この聖堂も、両脇に告解室がずらりと並んでいるのだけれど、告解する信者が座る場所の脇にそれぞれ別のイエス像の写真が貼られている。栄光のイエスとか慈愛のイエスと言うのでなくみな苦しそうな磔刑のイエス。イエスでさえ、このような苦しみを経てから復活したのだから、ここで罪を告白する人が鼓舞される?
アウグスティヌスらによって、イエスの受難は人々の罪を一身に引き受けて償うためだったとされている。そうして苦しむイエスの画像の傍で、「さらに罪を重ねてしまった」ことを後悔するように、という流れかもしれない。


聖堂には、聖アンナを見たニコラジックと、放蕩(暴力沙汰も含む)の後で回心してこの地の司祭となったカリオレ神父の二人を祝福する聖アンナの絵がある。