Q : コーランに最初に興味をもったのはクリュニー修道院長の尊者ピエールでした。
その経緯は?
A : 1142年にピエールは、修道会に属する複数の修道院を訪問するためにスペインに行きました。そこで、イギリス人のロバート・ド・ケットンと、現在のクロアチアに当たるイストリア出身のHerman de Carinthieと出会います。この二人の識者がアラビアの科学に興味を持っていることを知って、その知識を求めるためにイベリア半島を旅することになりました。ケットンらはすでに天文学と数学のアラビア語の本をラテン語に翻訳していました。
ピエールはケットンにコーランの翻訳を依頼し、Carinthieには、ムハンマドやその子孫の生涯や言葉に関するコーラン以外の文書の翻訳を託しました。
ピエールは、サラセン帝国の異端と戦うためにイスラムを理解する必要があったのです。当時はイスラムについて流言飛語がまかり通っていて、ムスリムをキリスト教に改宗させるための神学議論など不可能だったからです。
ピエールがまとめたイスラム文書「Corpus islamolatunum」は1143年に完成し、その一部はクレルヴォーのベルナルドゥスに送られて、イスラム批判について書くことを促しました。 シトー会とクリュニー修道会の間にあったライバル関係を終わらすためでもありました。
Sekko : カトリック内部での見解の違いなどを乗り越えるために、別の宗教の研究を共有するというのはいいアイデアだ。