Q : コーランの翻訳の全てがキリスト教の内部での護教や論争の目的で使われたのですか ?
A : 16世紀末まではコーランは、カトリック、プロテスタント、イスラムという三つの間の論争に使われていました。その後に、ヨーロッパにもアラビア語とヘブライ語の教育研究機関が複数誕生しました。学術的に堅固なアラビア語のコーランがはじめて出版されました。
オリエント学者にとっては、アラビア語によってヘブライ語への理解が深まったり、聖書の読解に新しい知見が生まれたりしました。
その状況においてもカトリックとプロテスタントの知識人の間にライバル意識は存在していましたが、互いへの批判よりも、神学を深化するための知識にアクセスするためのツールとしてコーランが読まれたのです。
Sekko : 日本でごく普通のマジョリティで都会の核家族に育った身としては、例えばプロテスタント教会でカトリックが間違っていることを教えられるということがぴんと来ない。
カトリックの方が「老舗」だから鷹揚で、聖人崇敬は多神教風土に受け入れられやすいし、聖職者の独身制も、昔は「出家」と「独身」は一体だったから、わりとすんなり受け入れられそうだ。
ヨーロッパで今に至るまで、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三つの一神教が互いに対立したり共和を図ったり、政治のツールになったりする様子は、西洋や中近東から離れている日本からなかなか想像できないとあらためて思う。