Q : コーランが流通することになってからキリスト教の教義への懐疑は生まれましたか ?
A : はい、1548年に初めて登場したカトリックによる禁書リストの中でもう書名が上げられています。
アラゴン王国のでユマニストあったミッシェル・セルヴェは、三位一体の教義がイエスによっても使徒によっても説かれていないという説を支持しました。1553年に出版した書物の中で、ビブリアンダーが出したケットンの翻訳によるコーランの中にある三位一体否定の論議を引用しています。
このことでセルヴェはフランスの異端審で死刑判決を受け、ジュネーヴに亡命しましたが、プロテスタントからも異端視されて著書と共に生きたまま焼かれました。
1547年には、ラテン語からイタリア語に訳された最初のコーランが印刷されました。
イタリア最北東部フリウリの製粉業者であった読書好きのメノッキオという人物もコーランを読み異端審問にかけられました。
異端審問の法廷で、コーランの1節にブハムが父親の偶像を破壊したというところがあるのを引用して、カトリックも聖遺物崇敬や聖人像をやめるべきだと主張しました。
この人も死刑となっています。