政治におけるルッキズムについて考えていたのでこの本が目に留まった。
歴史において「劣った容姿」「ハンディになる容姿」を持っていた人がそれをプラスに変えたエピソードだ。要約をgoogle traductionにかけたものを貼っておく。
>>偉大なものは醜い
もしトゥールーズ=ロートレックが背が高くハンサムだったら、画家という同じ道を歩んだだろうか?もしパラティーヌ夫人がおとぎ話の王女に似ていたら、義兄ルイ14世の宮廷をこれほど自由に扱っただろうか?醜悪な容姿に恵まれたダントンは、革命期のパリで同じような地位を確保できただろうか?歴史的文脈における身体的屈辱の重要性を軽視したいという誘惑に直面して、ピエール=ルイ・ランセルは、ルイ12世によるジャンヌ・ド・フランスへの婚姻無効裁判から、1980年代初頭の「地球外生命体」歌手クラウス・ノミの舞台での活躍まで、11の驚くべき物語を通して、その役割を研究することを提案する。
醜さは、あまりにもしばしば怠惰に侮辱され、不毛な哀れみの眼差しで見られ、あるいは偽善的な否定によって消し去られてきた。しかし幸いなことに、醜さはそれをはるかに超える全体の一部である。それは個性であり、多くの場合、自らを蝕み、自らに疑問を抱かせるものを超越し、変容させることさえできる。
ピエール=ルイ・ランセルは、類まれな筆致で、自らの障害を財産に変え、同時代の人々の称賛を集めた、並外れた人々の肖像を12編のアンソロジーとして描き出す。これは歴史と希望の教訓である。
要約:
サント=ブーヴ、ヒキガエルの誘惑
マダム・パラティーヌ、自分らしくある強さ
アルベール・ジュゴン、「壊れた顔」の名において
ミッキー・ルーニー、魅力への別れ
ジャンヌ・ド・フランス、花嫁はあまりにも醜かった
トゥールーズ=ロートレック、解毒剤としての人生
ジョルジュ・ダントン、苦労する価値のある頭
シャルル2世、魅惑された体
ジェーン・バーネル、世間の鼻先
アン・ド・クレーヴス、醜さと野獣?
クラウス・ノミ、地球外生命体
結論:ドストエフスキーの囚人、不名誉と優美さ<<
フランス革命のダントンが自分の顔と体のインパクトを理解していてそれを演出しながら演説していたというのはなるほどと思った。
あらためてダントンの画像を検索してみるとなるほど、優美とか繊細とかいうのとかけ離れた迫力だ。
そういえば映画でダントンを演じていたのがジェラール・ドゥパルデューだったというのも感慨深い。ウォーキズムとの関係についても考えさせられそうだ。
これを書いているのは日本に出発する少し前なのでこの本を読んでいる暇がないので、忘れてしまわないようにここに覚書を残しておく。