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L'art de croire             竹下節子ブログ

話題の映画「サクレ・クール」を観てきた

モンマルトルのサクレクール大聖堂はパリ観光の人気スポットで日本人にもお馴染みだけれど、訳すると「聖心」となって、聖心の名がつく修道会、聖心の名がつくミッションスクール、上皇后の出身大学で有名な聖心女子大など、と同じ言葉だ。
名の響きだけからすると「聖心」は「清い心」のようなイメージだが、フランス語の「coeur」は「心」だけでなく「心臓」という内臓器官の意味もある。

実際の「聖心」信仰は、17世紀にフランスの修道女の前に現れたイエスが自分の胸を開いて炎と光を発して鼓動する心臓を取り出して見せた、しかもその心臓を修道女マルグリット・マリーの心臓に重ねたので彼女はいつも胸が燃えるように熱かった、など、なかなか生々しいイメージがある。

カトリックの聖人の聖遺物には心臓を取り出して保存するという場合が少なくない。内臓を取り出してからミイラ化する文化や遺体をすべて火葬したりする文化と違って、臓器としての心臓を聖遺物化のベースはもともとあるものだ。
でもイエスは復活後昇天したので体の聖遺物は残さなかった。
聖心への信仰というか崇敬は、聖体パンをイエスの体の「化体」とみなすカトリックでは聖体パン(ホスチア)と重なる。だからこそホスチアが血を流したり、脈打ったりなどという「奇跡」が時々あるわけだ。
けれども、最後の晩餐でイエスはワインを「血」と言ったが、無酵母パンについては「これが私の体」とは言ったが、「心臓」と特定したわけではない。

映画にはマレトロワのイヴォンヌ・エメも出てくる。

遠方で汚された聖体パンがイヴォンヌの思念によって現れて木の枝に引っかかった。それを撮った写真も出てくる。

映画では、カトリック教会から離れていた人たちがパレイモニアルに行って、エマニュエル会の若者たちのエクスタシーに似た高揚に触れて人生観が変わるという例、重度障碍者や子供を亡くした夫婦などの「回心」による救いの例など、カトリック系チャンネルですでに見かけた人や著者などが出てくるので、全体としては、新鮮味がない。別に映画館の大画面で観なくてもいいのではないかと思った。


ところが興味深かったのは、上映が終った後、ある男性から「この映画、あなたにとって説得力はありましたか?」と問われて、その後、エントランスホールでコーヒーを飲みながら1時間も話したことだ。

普通の映画なら、観に行く気になった理由もさまざまだろうし、上映後に知らない誰かと話すなどということはない。

しかも、この男性、一見した印象は、路上生活者かと思う風体だった。半分白くなったぼさぼさの髪や髭、手にしているのはプラスティックの使い古しの紙袋だけ、地下にあるホールへの階段の昇り降りが大変そうな足どり。

道ですれ違ったら、距離をとってしまいそうな風体だ。

でも、パリでも少ないこの上演映画館に足を運んだ人だ。

実際、コーヒーを飲むにあたって、この人がぜひと言って、支払ってくれた。

風体と中身がずれている。

で、話しているうちに、1959年生まれのこの人は、鉄道技師だった父から虐待されていたこと、15歳でどうしてもヴァイオリンを習いたくて父に内緒で母が習わせてくれたこと、職業は子供の保護司だったこと、バッハの音楽こそが神に通じると思っていることなど、いろいろな身の上を話し始めた。

私はいい機会だから、この人がなぜこの映画を観たのか、カトリックなのか、この映画とその評判についてどう思うか、などの質問をしたのだけれど、なんだかずるずると彼の身の上話になり、今でも父親から受けた虐待の傷が癒えていない、などと聞かされたわけだ。

でもヴァイオリンは今も弾いていて、ヴァイオリニストやオルガニストの友達もいて、アーティストたちの思い出や評価、いろいろな曲の精神性など、かなり専門的な話にもなった。


平日の午後だったから、他の観客はシニアのカップルやシニアの女性同士のグループがほとんどだった。でも同じ映画館で上映されている他の映画には、学生らしい若者も少なくない。


イエスの聖心の映画を観て、見知らぬ人の身の上話を聞いてセラピーまがいの受けごたえをすることになるなんて、やはり「普通の映画」ではないのかなあ、と思わされた。


by mariastella | 2025-12-02 00:05 | 映画
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