Q : この展示会(ルベの国立文書館で開催されている「生きるか、生き延びるか ---19-20世紀の労働と貧困」展)の結論というべき部分には、1870年にギーズGuiseでジャン=バチスト・アンドレ・ゴダンGodinが設立したfamilistèreという共済システムが紹介されています。その意図は?
A : 彼は労働者から企業主になった人で、生産と住居の共済システムを考えたというのが興味深いからです。小さな規模ですが、まさにユートピアとして一世紀近くも機能しました。ゴダンは、労働力があり価値を生み出す能力のある人たちこそが社会の中心にいるべきだと考えました。
彼は「豊かさの同等」という考えを支持していました。つまり、豊かさとは、物質的なものだけではなく、教育、文化へのアクセスから、水泳の訓練まで、人生の多くの活動を対象に、より良い条件を整えていくということです。彼によれば、労働こそが人々に社会の中での居場所を与えるベースとなるものです。この革命的ヴィジョンは今も私たちをインスパイアするものだと思います。
Sekko : この路線はキリスト教的だ。正確に言えば初期キリスト教の共同体を思わせる。原始共産主義ともいわれている。
この展示ではマルクス主義はどう扱われているのだろう。労働組合には共産主義イデオロギーを持つものが多かった。しかし「資本家」を倒したところで、一部の権力者が国家の富や労働形態や私有財産や自然環境を独占的に管理し、「経済成長」を掲げた独裁体制に向かうという現象は今や誰の目にも明らかだ。
ミクロなレベルで、互助が成立するとしても、いざ、「国」が介入すると、官民協力というより、国際的なグローバル経済のシステムに巻き込まれて、「産学共同」となったり、国際的な巨大テック産業へひたすら献納するかのような事態になったりする。
いわゆるグローバル・サウスは経済力を増大させているけれど、その秘密のひとつは、自国内の安い労働力が「先進国」の下請けとなっているからだ。「弱者」はその弱さにつけ込まれて搾取され続けている。「国家」の経済力が国際的な競争力をつけたとしても、その国の内部で格差が拡大して恒常的「貧困」の度合いが増えているのだとしたら、「豊かさ」とはいったい何だろう。
そういえば、日本が目覚ましい経済成長を遂げていた時代「一億総中流」という言葉が流行った。
「総中流」なんて、今思うと、もはやどの国にも手の届かないものになっている。
かといって、自国内の困窮者が増える元凶が「移民」「不法移民」労働者だと決めつけて、彼らを「追い出す」ことで「総中流」世界に戻ることなどできない。人口構成も生産システムも、地政学もすさまじく変化した。
「持続可能な成長」などというレトリックは限界にきていると言えるだろう。
フランスでは一年間に寄せられる寄付の多くが年末に集中している。
翌年の税金控除に間に合わせるというのもあるかもしれないけれど、やはり、クリスマスと「馬小屋で生まれたイエス」というイメージに、促されるのかもしれない。
寒くなると多くの教会が夜にホームレスのために場所を提供する。
ここ数年はウクライナやらガザやらで戦争のために廃墟となった画像を毎日のように見せられるので、なんだか、感受性が偏ってしまって、身近にある「恒常的な貧困」にどのように対峙すべきかを考えられなくなっていた。
その意味で、年末(このシリーズは予定稿)にこのインタビュー記事を少しずつ読んでいろいろ考えさせられたことに感謝。