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L'art de croire             竹下節子ブログ

La Confrontation 『対決』

私がフランスで購入するフランス語の本はほぼ全部、自分の関心のあるテーマについての一般書や研究書で、手軽な小説を買うことはほとんどない。小説を読みたいときは日本語のミステリー文庫本というのが基本だ。
たまに、読書欲をそそられるフランス語の小説を読むことがあって、最初に刺激を受けたディディエ・ドゥコワンの「飛ぶ男」は翻訳したくて出版社に連絡したけれどすでにサンリオのSF文庫と契約していると言われがっかりした。次にどうしても翻訳したくなったのはDV・コヴラルトの「ジミーの福音書」で、これは「聖骸布の仔」として翻訳出版が可能になった。翻訳するので読みなおしたので、細部の不整合に気づいて作者のコヴラルトとオペラ座付近のカフェで会って相談したこともある。(この作者は今もますます私の関心領域に被るノンフィクションの仕事を続けている。)

で、12月上旬に、ラジオでクララ・デュポン=モノ―の「対決」という本について耳にして、あまりにも近頃の情勢に切り込む刺激的なものだったので、翌日に即購入(普段私が買うような本は店頭にないので予約取り寄せなのだが、これは小説の新刊なのですぐに手に入った)して、他の仕事に優先して(楽器の練習は別)3日で読了した。メトロで移動中にも読んだ。(自宅でまとまった時間があれば数時間で読めただろう。印刷の色が濃くて字も大きいのでシニアにとってはとても読みやすい。)
La Confrontation 『対決』_c0175451_18465981.jpg

テックの大会に出席するためパリに来ていたイーロン・マスクが大会後にパリ近郊にある幼稚園で4歳の子供19人と先生を人質にして教室に立てこもったという設定だ。
小説としてよくできているし、手に汗握るミステリー仕立てで、これも翻訳したいくらいだけれど、今すぐに読むべき「旬」のテーマなので翻訳している暇がない、テック関係の用語やシステムの翻訳が私にはハードルが高い、というのがすぐ分かったのでともかく読書に徹した。
人質を撮って立てこもる犯人との「交渉」というと、日本的なイメージではなんだか家族を呼んできて情に訴える、というのが頭にあったけれど、フランスではGIGNという特殊機構がある。

この本の「対決」とは、イーロン・マスクを名乗る犯人と、GIGNのエリートのネゴシエーターとが互いの顔を見ないままでやり取りする様子だ。どちらもいわば「天才」的な頭脳の持ち主であり、緊張の中で互いが、一種の「同類」感を抱くことが伏線として感じられる。「天才」が犯行を計画するとどうなるのか、誰が「説得」するのか、そのためには、AIでは絶対に生み出せない「共感」と「誠実」の空間を短時間で築き上げなくてはならない。そう、この小説は、AIと人間の対決の物語でもある。

犯人は、AIに囲まれた環境で育つ子供は平均知能が30%低くなる事実から、人類が絶滅する日は近いという。人類が生き延びるには、AIで徹底的に知性を奪われた人間が残された「野蛮」「野生」による生存本能で生きるか、あるいはAIを排除して知性を伸ばした一部エリートが対策を講じるかのどちらかしかない。
そして小説の中の幼稚園を含む一貫校は、3歳から10歳の子供たちをスマホなどのスクリーン情報から完全に切り離して教育するという理念に拠っている。
 
この話は今の時代に緊急な問題だ。
結果、小説の半分以上を占めるGIGAのエリート・ネゴシエーターと犯人とのやりとりは、「共感」を構築するという挑戦の中で「人と人の関係」とは何かを見せてくれるものになっている。
今のAIやサイバー空間、SNSの世界の大元には、グローバル企業の資本家や資産家が政治家を操りながら「世界標準」を操作している実態がある。
嘗て共産主義国家は「宗教は人民の阿片」と言って、「共産主義」を宗教に置換したが、「識別力」を養わない、喪失させる、という意味では、「スマホ依存」も阿片のようなものだ。

私のように旧世代の人間は、ネットによる恩恵ばかり受けている。文献や論文の調べ物が速くなり、世界の情報がタイムラグなく入って来る。
自分の情報発信は、基本的にネットではしない。このブログはまさに自分が取得した情報管理、覚書と検索のツールとして貴重だが、いわゆるSNSには触れない。
誰かの役に立てばいいとは思うけれど、「認証欲求」はないしそれどころか、目立たないことを第一にしている。それでも、うちの猫がそばにいるのに「かわいい猫動画」みたいなものが画面に現れると次々見てしまうアディクションも意識している。
 
それが、今や、ほぼ赤ん坊のころから親のスマホを見たり触ったりする世代が登場するとなると、ほんとうに未来はどうなるのだろうか。どういう形で破綻するのだろうか。
そんな時代に、この小説で展開する未知の人間同士の極限状況下でのやり取りや関係性の構築を堪能できたことは貴重だった。





by mariastella | 2026-01-06 00:05 |
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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