戦争から災害まで不安や恐怖をそそるようなニュースが蔓延している時代に「健康」を考える時、例のウェル・ビーイングの定義のことをまた考える。
WHOが「健康とは、肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」という健康の定義の中に「精神的」の後に「霊的(スピリチュアル)な良好な状態(ウェルビーイング)を付け加えようとしたときに、日本の厚生省が反対したというエピソードだ。もう四半世紀以上も前のことだ。
私のファンを自認してくれていた数学者の山口昌哉さんが「霊的」の定義についての会議で仏教の見解を示すためにジュネーヴの国際会議に招かれた時の話は『カルトか宗教か』(文春新書)P147~で紹介している。
近頃耳にするのはサルトジェネーズという言葉だ。
特に、霊的なインパクトが健康に及ぼすインパクトという文脈で取り上げられている。人生における実存的な空虚は、「うつ状態」「攻撃性」「アディクション(依存性)」などをもたらす。サルトの語源は、「健康」にも「救済」にもつながっている。
日本語で検索したらこういうのが出てきたけれど、英語からの機械翻訳のようで、意味がはっきりしない。でも参考にリンクしておく。
ちなみに、サルトジェネーズの対になるのはパトジェネーズで、「病気」の原因を探るというもの。ジェネーズは旧約聖書の『創世記』に使われている言葉でもある。
「原因」が特定できてそれに手術、投薬、療法で対処できる「病気」については少なくとも「先進国」では手厚い対応も期待できる。
でも、「霊的」に良好な状態というのはどうすれば得られるのだろう。
ここで「霊的」というのは、現実世界で対処できるものを超えているエリアを指す。
無限と永遠の違いでもある。無限と言うと、今見えている限界を先に延ばすという、時間軸の先にある「延長」だ。永遠とは、そのような時間や空間とは別の次元にあり、「測る」ことができない。
大自然の中で瞑想して宇宙と一体化するような体験などが一例だろう。「説明」はできない。
伝統宗教の多くは、それをある程度のメソードとして示してくれる。
「永遠」への扉を開いてくれる、窓の向こうの「超越」を感じさせてくれるツールのひとつとして「宗教」をとらえることができるだろう。
特定宗教でなくても、先祖から伝わった伝統の中などで宗教的「超越」を生活に組み入れながら平穏に暮らす人はいつの時代にもいた。
でもその「知恵」を外に求める人にとっては、既成宗教の教義や典礼や共同体の敷居は低くないし、カルトなどの罠にかからない識別力も必要だ。
その意味で時代の波に洗われてきた「老舗宗教」はリスクが少ない、というのが日頃思っていることだが、サレジオ会のコンプリ神父(95歳!)の楽しいサイトを見つけた。ちょっと落ち込んでいる時や忙しくて疲れている時にささやかな笑いの癒しを与えてくれる。