子供たちをスマホから引き離す対策として、秋葉忠利さんが「メンター制度」について書いていた。
確かに、ひと昔前と違って、核家族で両親が働いている家庭では、子供と一対一で話せる時間がほとんどない場合が多いだろう。いや、ひと昔前でも、一人っ子なら別だけれど、きょうだいができると、親と一対一でじっくり話す機会はぐっと減る。
メンター制度というのは、一人の大人が長期間にわたって、一人の子供と信頼関係を築いて一対一で助言したり指導したりすることだという。
それを読んでいて、今私がピアノやギターの個人レッスンでやっていることはまさにそれだと思った。
幼稚園から教えていた子供が高校を卒業したり、小学生から大学院に通っても続ける生徒がいる。この秋の新学期は、小学生から教えていて今は中学生になった生徒が4人いる。きょうだいとの確執や親への不満を語る子もいるし、音楽を通しながらいろいろな話をする。同じメソードを使っても、進歩の仕方が子供によって全く違うので、その子の癖や特徴をつかんで、どうやって動機づけをするかを考え続けている。彼らは、学校の様子や、将来の夢や、他の趣味や活動についても生き生きと語ってくれる。そのおかげで、この国の今の教育や子供たちの実態もつかめて視野が広がる。
しかも、当然ながら、私との時間にはスマホなどない。
学校のように毎年担任が変わるわけでもない。週一回でも、定期的に、家族ではない同じ大人と一対一で関わり続けるのだ。
しかも私はアソシエーションのためにボランティアでやっているという形であり、レッスンで生計を立てたり小遣い稼ぎをしているわけではない。誰かに評価されるというプレッシャーもない。ただただ、レッスンの間はその生徒がその曲をどのように愛することができるか、個性的に構築できるか、を目標にして集中している。
子供と曲の出会いはいつも刺激的だ。
ほとんどの場合、それが彼らに伝わっているし、信頼されているのが分かる。
家庭では、週一回でも親と一対一でそのような時間を持つのは容易くないだろう。
これまで、「美は存在する」ことを伝えるためにレッスンを続けてきたと思っていたけれど、スマホ画面依存になって大人との生身の時間を築くのがどんどん難しい時代には、「メンター」としての役に立っているのかもしれない。
私が今や高齢だし女性だということも安心できる要素だ。
今や保育園でさえ子供へのセクハラなどが問題になる時代だから、大人と一対一になる時間に対してもナーバスになる傾向がある。(モンテソーリの幼児クラスで若い男性の指導者が必ず別の大人の立ち合いを要求されたというエピソードを思い出す。)
こんなレッスンや発表会などいつまで続けられるのだろう、と思っていたけれど、なんだか、これからの世代の役に立つメンター活動のひとつなんだと考えると、覚悟と勇気が湧いてきた。