前にこんな記事を書いた。
このベートーヴェンのために、年末年始と、一度も休みなく練習した。時間の取れる時は1時間くらい、最低でも、問題箇所に集中して20分くらいは毎日だ。
そうやって毎日弾いていると、瞳ちゃんから「うまくなった」と言われた。彼女とは週一くらいでテレマンやヘンデルやコレットのヴィオラ二重奏をやっている。一人で練習するわけでなく、その都度楽譜を見て弾いて合わせるだけだ。それなのに、急に「うまくなった」と言われる理由が分からない。しいて言えば、毎日ベートーヴェンを弾いていたことがレベルアップにつながった?
といっても基礎練習をしている暇がないからベートーヴェンの問題箇所だけをひたすらさらっているだけだ。
で、久しぶりに、懐メロを少し弾いてみた。ヴィオラは歌と同じだから、メロディをやってみたかったのだ。「精霊流し」だとか「無縁坂」だとか「琵琶湖周遊の歌」とか「愛の暮らし」とか「神田川」とか。ベートーヴェンに疲れた後ではほっとする。
で、その次に、久しぶりにバッハの無伴奏チェロ組曲を少し弾いてみた。
驚いた。
確かに「うまくなっている」のだ。
うまくなっているのが自分で分かったこと自体に驚いた。
もう30年も時々弾いているので、楽譜を追うことはもともとできる。
バッハの曲の作り方、展開自体を楽しみながら弾いていた。
でも、今回弾いてみたら、「うわっ、すてきだ」と感心する自分がいた。
「技」と「表現」のつり合いがとれて、それを味わう距離もとれたわけだ。
これが「うまくなった」ということか。
ベートーヴェンでは速いパッセージはもちろん臨時記号が満載なのでひたすら形が整うことを目標に練習した。他の二人に迷惑をかけないこと、他の二人がミスっても絶対の安定を提供できること、だ。強弱などのニュアンスは楽譜通りに弾くが、それ以外の「表現」などというレベルは考える余裕などない。2/14のコンサートで曲を破綻させないこと、だけが優先時だ。
私は平凡な楽器奏者で、40の手習いで始めたヴィオラなど、簡単な楽譜の初見ができたらOKというレベルで楽しんできた。(最初の数年はコンセルヴァト進級試験にもちゃんと合格してきたけれど、室内楽オンリーに切り替えてからは、苦労せずに楽しむというスタンスでやってきた。バッハの無伴奏から気に入った数曲を弾けるレベル以上の目標もなかった。)
で、今回は、曲の要求しているスピードなどが私のレベルを超えていたので「練習する」以外の解決策はなかった。ピアノでも、ギターでも、一曲をこんな風に毎日「練習する」というのはなかった。ピアノやギターを練習する時は、まあ速いパッセージは繰り返して慣れる以外にはないのだけれど、完成形をイメージして表現を工夫することが課題だ。
下手なヴィオラ奏者として、自分のレベル以上の曲をコツコツ練習する以外には解決策がないことを自覚したこの数ヶ月、私にはたやすくないパッセージをなんとか筋肉の記憶に叩き込んだ。それでも、私の程度のレベルでは練習すればするだけ前に進める実感も味わえたので嫌ではなかった。下手なことがモティヴェーションになったのだ。
で、いつもどうりテレマンを弾いて「うまくなった」と言われ、久しぶりにバッハを弾いて、「うまくなった」と思った。バッハの楽譜を楽しめただけでなく耳に入る音も楽しめたのだ。
でも、この先、3日も練習しないと、また「下手になる」のだろうな。
生徒たちにも、「練習してうまくなる」喜びを伝えたいものだ。