Q : 自分自身になるために必要なものは、勇気以外には何がありますか?
時間? 自分を信頼すること?
A : 人生全部です! 我々は、他の人をその人の人生の終りにしか裁いてはいけない、というサルトルの言葉が好きです。人とは、生きてきたすべてのアクションの総計だからです。ですから、人はいつでも、目指すところを変更することもできます。それまでのやり方の過ちを正すこともできます。ある時点での「自分」は、自分の出発点にはいません。核にある本当の自分というのはありません。誤った「セルフ・デベロップメント」の言説の問題はそこにあります。
「あなたの奥に隠れていて他の人には見えていない本来の自己はすばらしいものです」というやつです。信じたいですが、間違っています。私の奥には、絶対の価値に基づいた確固としたものなどありません。時間をかけて、存在すること、創造すること、この世での冒険のリスクを知って進むこと、を生きなければなりません。もっとも大切なのは、私と他者、私と世界との関係性において自分がその都度決定していくことです。
Q : ニーチェは「自分がそうであるものになれ」と言っています。
A : そのフレーズはどのようにも解釈できます。本来の自己のようにすでにある自分になれ、というのではなく、自分の生きてきたものの中に、自分が何かを見ることができる、と私は思います。私は「何かである」よりも「何かになる」が好きです。
Sekko : 「真の喜びが力を与える」という記事タイトルにつられて少しずつ読んだわけだけれど、そして、カトリック雑誌の記事だったので「カトリック」のタグもつけたのだけれど、思っていたものとずれていた。哲学者というのが強調されていたので、「哲学」のタグもつけたけれど、古今の哲学者の引用がすらすら出てくるところは、いかにもフランスの「哲学の先生」という感じだ。
肝になるのは、いわゆる「自己啓発」、「本当の自分」探し、「自己肯定」のような言説を否定して、「自分」とは現実の世界や他者との関係性の中で少しずつ築いていくものだという意見だ。
確かに、「羅針盤」がなくなったような世界で自分の中に隠れている「本来の自己」を探して自己実現を果たそう、という言説や、無理筋な規範や抑圧、差別、上下関係などから「解放」されたポジティヴな境地に至るには、という言説が一世を風靡したことがある。
そのような大きな流れの傾向に反して、自分にとってネガティヴな事象をありのままに受け入れて、その中で、人生で得た「知恵」を指針にしながら、気分や行動における「過剰」に陥らないように絶えずバランスを取りながら、修正もしながら生きていこう、というのが趣旨だろう。
人生について常に思いを巡らせてきた哲学者たちや宗教者たちの言葉のおかげで、そのバランスのとり方がうまくなるかもしれない。バランスをとりながら「進む」というのが必要で、自分の立場を固持しろというわけではない。その中で、「長きにわたる判断の過ち」を認めるには勇気がいる。
結局、このインタビューは私と同じようなスタンスを表現しているわけで、その意味ではカトリック雑誌に取り上げられていた理由も分かる。
(このインタビュー記事はこれで終わりです。)
これがシャルル・ペパンの本。