Q : 沈静化するために有効だった政策はなんですか?
A : 政策というより現実的な対応ですね。政府は結局、教会の財産目録づくりを停止しました。国務院(参事院)が少しずつ緩和策を打ち出しました。反教権主義者が強硬に反対していた教会行事の戸外での行列の自由などです。決定的だったのが、1914年からの第一次世界大戦でした。「聖なる連合」が、反修道会法を棚上げしました。以前にもまして、教会活動の自由が認められたのです。
修道会は1924年に特別な法的ステイタスを認められました。
Sekko : 昔書いた記事の中で、第一次世界大戦でカトリックが社会的に復興したことについて書いたことがある。従軍司祭、修道女の看護師、終油の秘跡、埋葬、祈り、いろいろなものが必要とされる。
行方不明を含む大量の戦死者が出た時に、従軍司祭の役割も含めていろいろなことが変わった。政教分離法成立の後だったにもかかわらず、戦死者はそのまま「聖人」扱いされて、教会のステンドグラスも飾ることになったのだ。
イエスと子供たちという図柄に戦死した息子の顔を加えたステンドグラスを教会に寄付した父親もいた。
共同体ぐるみで喪と癒しのプロセスを実現するには、やはり「宗教的な場所」が必要だったということだろう。
老いや病や災害による死ではなく、人間同士が殺し合う戦争の中での「死」は、社会の中に居場所を必要としているということかもしれない。