ドミニコ会のアドリアン神父のyoutubeは時々視聴して参考にしているのだけれど、p先日、聖書の中で誤解されがちな10のパッセージについて明快な説明があった。
その中で、「敵を愛する」ということに関して、なるほどと思わされるものがあった。
ひとつは、
「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。(マタイによる福音書 5章39節)」というやつで、「目には目を、歯には歯を」というハムラビ法典などを根拠にする報復の連鎖を断つものだ、という解釈が多い。
ガンジーの「非暴力の抵抗」などと結びつけるものもある。
で、アドリアン神父の紹介する解釈。
ユダヤ世界のほとんどは右利きの人だった。で、誰かが右の頬を打たれるということは、向かった相手が「右手の甲」で殴ったということになる。平手打ちよりも数倍も痛い。右手の甲で殴るのは相手を対等と見なしていないとされる。当時のラビの規則でも、平手打ちに課せられる罰金の二倍の罰金が課せられていた。
だから、イエスが「左の頬を向けなさい」というのは、自分を平等な立場の者として扱いなさいという意味なのだという。「打つなら、こっちでしょ」とたしなめている?
イエスが大祭司のもとに連れていかれて死罪を言い渡された時も、
>>そして、イエスの顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打って、
「メシア、お前を殴ったのは誰か、言い当ててみろ」と言った。(マタイによる福音書 26,67-68)<<
などとあるけれど、わざわざ「平手打ち」とある。「こぶしで殴る」のは「頬」ではないだろう。この時イエスは無抵抗だったようだ。
はじめて耳にした解釈だけれど、なるほどなあと思ったのでメモ。