前の記事に続いて、「敵を愛する」ことの一見しての「無理筋」についてのアドリアン神父の解説を紹介。
聖書の言葉は前の「右の頬を…」に続くものだ。(ルカにもある)
マタイによる福音書 5章 43~45
>>「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と言われている。しかし、私は言っておく。敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
天におられるあなたがたの父の子となるためである。父は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。<<
とあり、敵を愛する理由も一応語られているけれど、
やはり「無理筋」だと思ってしまうのが人情だろう。
でも実は、ここで語られる「愛」とは、家族や友人、恋人などを愛する「愛=フィリア」とは違う「アガペー」だということを知らなければならない。
つまり、互いの信頼やシンパシーを前提とする愛ではない。イエスは「敵を信頼せよ」とは言っていない。敵を信頼すると危険だ。
アドリアン神父は四つのプロセスを紹介する。
まず自分を守ること(ウィルスを防御してマスクをつけることに通じる)
復讐しないこと、報復の連鎖に入らないこと
敵のために祈る
最後に、敵といつか和解できることを祈る
というものだ。
世の中には強者が弱者を皆殺しにするかのような「悪」があふれている。
でも、私たちの目や耳に入って来る情報には全てバイアスがかかっている。
簡単に「裁く」立場に立ってはいけない。
肝に銘じたい。