コロナ禍以来、新作映画を映画館に観に行くということが超レアになっているけれど、ピエール・ニネがカリスマ・コーチを演じる予告編の迫力に惹かれて観に行ったのがGourou(グル、尊師)。ほんとうに教祖の迫力。
ニネ以外の役者では説得力に欠けるだろうなあと思う。
監督はヤン・ゴズランで、スリラー映画で知られているらしい。
だからこの映画もスリラー映画のカテゴリーなのだが、社会風刺映画かと思っていた。血が流れるとか暴力シーンのある映画は見ないようにしていたのに、ショッキングなシーンがあった。
このブログで、シャルル・ペパンがセルフ・デベロップメント(自己啓発)のコーチング批判をしているインタビューを紹介したが、そのコーチングの典型だ。
大勢の「信者」が集まったところにグルが現れて、迫力ある言葉とジェスチャーでアドレナリンを放出させる、それがビジネスになるというのは、福音派メガチャーチにも見られるアメリカ型なのだけれど、それがフランスで盛り上がると、「フランスあるある」というので、カルト規制の政府機関が乗り出してくる。実在するテレビ番組を使ったりしてけっこうリアルだ。
盛り上がっている聴衆の中でなじめない雰囲気の者に近づいて、トラウマを告白させて「解放」し、高揚させるのをまた全員で盛り上げるというシーンのカメラ・ワークは迫力があって素晴らしい。エキストラの動員がさぞ大変だったろうなと思う。ショービジネスにおける「臨場」のもたらすカタルシスというのは特別だろうが、それが画面でも伝わってくるというところにあらためて驚かされる。AIによる動画も含めて、多くの人の「生(なま)」への欲求が自然に低下していくかのようだ。
童顔でいかにも自身のなさそうなアントニー・バジョンがグルによって救われる「変身」の演技がすばらしい。彼とグルの関係の変化が、このような「マインドコントロール」の恐ろしさを明らかにする。
しかし、今の時代、「救世主」のような役柄をこなすことのリスクは自明だ。成功すると「バズる」という現象で一気にヒーローになるが、一つ間違えればバーチャルなリンチの対象にもなる。いや、SNSのようなツールがあるからこその「大成功」もあるので「カリスマ」は多くの人の羨望の対象にもなりモデルにもなるわけだ。
そのベースに、フランスでいまだにアメリカン・ドリームがあり、ラスベガスでの成功、などがあるという描写にも考えさせられた。
オウム真理教のことも思い出してしまった。あの時代にスマホやSNSがあったとしたら麻原彰晃というグルや「信者」たちの運命はどうなっていたのだろう。
SNSでの「視聴者数を増やす」ことや「クラウド・ファンディング」に頭と時間をかけている人や団体は今や無数にいるだろう。閉塞感、不全感、無力感、不安などを抱く多くの人がターゲットにされることは多い。
でも、映画の冒頭と最後にフランス語と英語で聴衆に語りかけられる言葉には強烈な「魔力」があった。消費する言葉としてのカリスマには特に警戒心を呼び起こされない。エンタメとして普通に感嘆できる。私にとってリアルとバーチャルはまったく別世界なのだ、となぜか安堵した。
前に映画館で観たニネイの映画。