復活祭前の四旬節カレムの期間、カトリックは伝統的に、食事の節制、慈善、祈り、の三つのテーマを掲げてきた。「七つの大罪」と言われてきた傲慢、強欲、色欲、嫉妬、憤怒、暴食、怠惰を斥ける。
今のフランスでは、キリスト教に結びつけられてきた「大罪」は姿を消した。
けれどもキリスト教がなくなってもモラルは残っている。
いや、ポストモラルというか、シュルモラルというか、モラルが宗教にとって代わった側面もある。
モラルがキリスト教の教えと違うのはそこに「超越」の概念がないことだろう。
けれども、モラルは、「超越」でなくともスピリチュアルであり得る、ともいう。
このスピリチュアルというのがまた厄介だ。「霊的」と訳されることで、キリスト教的の三位一体の神の一翼である聖霊の「スピリット」も連想させる。
東洋的には「霊性」とは肉体と精神を統合する何かだと表現する人もいる。
日本語のスピリチュアルは「オカルト」と同義に使われることもあって、眼に見えない世界のエネルギー、「気」を操作するなどの超能力と結びつけられることさえある。
20世紀後半からの「個人主義」が物質主義につながり、「意味」の欠如、意味の追求の欠如につながった。
ニーチェはキリスト教道徳が自然に反するとしてMoralin(フランス語ならmoralineモラリーヌ)小道徳と呼んで批判したが、モラルの「意味」を掘り下げないで単純な善悪二元論に落とし込む傾向は古今東西の社会で見られてきたものでもあるだろう。
モラルがゼロのような最近の政治状況や社会状況を見て、いろいろと考えさせられる四旬節となっている。