Arteで、ドイツ(統一されたのは1871年だからここでは「ドイツ語話者」という意味)からの移民の歴史について3話に渡るドキュメンタリーを視聴した。
トランプ大統領がドイツ系だというし、合衆国でのドイツ系の立ち位置などに興味を持っていたからだ。
ヨーロッパは何度も大寒波や飢饉に襲われ、その度に、ドイツの農民たちは土地を捨ててて移動してきた。そのためにはオランダの港などにまで家族で移動しなくてはならず、その途中で疫病も含めて多くが命を失っている。新大陸アメリカに植民者として渡るにはイギリスの許可を得てイギリスから出発しなくてはならない。
生き延びてアメリカに渡ったものもいたが、与えられた場所で一から開拓しなくてはならなかった。ピッツバーグには今も「ドイツタウン」と呼ばれるようなドイツ人コミュニティがあった。そこでは先住民のコミュニティとも共存があったそうだ。
で、アメリカの独立戦争。
宗主国イギリスに対抗するため、米仏連合軍が戦った。その30%がドイツ人だったという。3万人のドイツ人兵士のうち、1万2千人はドイツに戻ることがなかった。アメリカで戦死したか住み着いたわけだ。
アメリカに残ったドイツ人はピッツバーグで昔別れた家族の子孫などと再会した。彼らはいまだドイツ語(方言化していた)を話していたので、通じ合った。19世紀まで続いた。
ドイツ移民は、ブラジルへも渡った。
けれどもどこでも二級人民扱いで、4年間も兵役についても国籍を与えられなかった例もある。アルジェリアにはフランスの植民者として渡った。
19世紀半ば、アメリカには50万人のドイツ系移民がいた。1846年に起こったアイルランドとドイツでの深刻な飢饉の後の移民だ。
1844年に、ドイツ移民の奴隷状態について、あるドイツ夫人がルイジアナ州(ここは名が示すように旧フランス領だったがナポレオンが合衆国に売却した。)の農場で働いていたサリー・ミラーというドイツ女性の不当な扱いについてニューオリンズ市を訴えた。
サリーは3歳の時、バイエルンから1817年に家族と共に移民してきた。そこでは黒人しか労働していなかった。黒人と共に過酷な「奴隷労働」をしていたサリーは法廷で「サロメ・ミュラール(ドイツ名)」と名乗り、白人であるのに黒人と同様の扱いを受けていることの不当性を訴えた。サリーに黒人の血が入っているなどという中傷もあったが、この裁判のおかげで、「白人」の奴隷労働について一応のブレーキがかかる先例となった。
それにしても、貧しい移民が即奴隷労働者として売買されるという形が、もともと「奴隷貿易」によって強制的に売られてきた黒人奴隷と「区別」されて「解放」されることになったわけだ。それを決めたのが徹底的に「肌の色」だったというのを知ると、20世紀になってもアメリカにおける「黒人奴隷の子孫」の差別撤廃運動の困難が続いたことも納得できる。
先住民であるアメリインディアンの囲い込みも含めて、アメリカという国のアイデンティティ模索の歴史は、日本人にとって想像しがたいほどに複雑だ。
ちなみに、トランプ大統領の祖先は飢饉から逃れた移民ではなく、ブルジョワ家庭だったようだ。「一攫千金」のアメリカン・ドリームを夢見てやってきた人たちもたくさんいるわけで、一般化できるようなものは何もない。
世界の富裕層のシンボルのようなイーロン・マスク(南アフリカ、カナダ、アメリカの三つの国籍を持つ)の先祖にも、ピッツバーグを有する「ペンシルベニア・ダッチ」がいる。(ドイツやアルザスやスイスから来たドイツ語話者の子孫だ。)
差別の対象の「有色人種」に分けられて、それでも「肌が黒くない」ことに助けられて道を切り開いてきた多くのアジア人のことに思いを馳せる。
参考)