5/21はオディールの葬儀ミサと埋葬に出席した。
100歳記念の親族だけのミサでも75名だったのだが、それからまたひ孫の数が増え、友人なども参加するので聖堂はいっぱいだった。
前に孫のブルノー君が私の友人のO師の追悼ミサを挙げてくれた同じ15区のサン・ジャン=バチスト・ド・ラ・サル教会で、ブルノー君のお兄さんと、教会の司祭との3人の共同司式。

子供たちを来させなさい、と言っているイエス、白い服にこの赤い布、トランプがイエスの姿のAI画像を配信して顰蹙を買ったことを覚えているだろうか。普通の日本人にはぴんと来なかったかもしれないが、受難図ではなくて救世主のイエスの一般的なイコンの服装なのだ。
祭壇の前に置かれた棺の上に、10人くらいのひ孫たちがしずしずと進んで小さな蝋燭を乗せていく。
オディールの孫息子の一人が、私と彼女を引き合わせてくれた。
彼女と研究の地平を共有できただけでなく、彼女の生涯のいろいろな話を聞くことによって時代と場所を超えた世界も知ることができた。
孫もひ孫も彼女をBonnemamanと呼び、敬称で語りかける。
私はもちろんオディールと呼んでいたのだけれど、祖母をボンヌママンと呼ぶのは貴族を見分ける一つのサインだということを、今さらだけれどはじめて知った。
単にこの家族の呼び方だと思っていたのだ。
葬儀ミサを司式した兄弟はオディールの娘の子供たちだが、彼女も貴族と結婚しているので、子供たちの姓も長い。
そういう家系に好奇心はあってもなんの先入観もない私の自由さをオディールはキャッチしていて、若い頃からのいろいろな心境を話してくれたことの幸運にあらためて感謝する。