(前の記事の続きです。)
長い内戦や飢饉に続き、ドイツ語話者の移民は膨大なものになっていた。アメリカ大陸だけで何百万人もの移民が、ドイツ語を話し、ゲルマン民族のアイデンティティを維持していた。1871年に普仏戦争に勝利したプロイセンが、ドイツ連邦を「統一」してアルザス・ロレーヌも割譲させ、その後はじめてアフリカにも植民地を獲得した。
アルザス・ロレーヌの住民には1年の猶予期間が与えられ、フランス国籍を選んだものはフランスに移民させられた。ドイツ語話者たちだが、フランス人からの保護を受けた。
アフリカの植民地は南西部のナミビアだ。ゴールドラッシュのアメリカでも西部開拓のドイツ移民が続いていたが、アフリカも文字通りの「新天地」で、多くの移民が押し寄せた。現地の黒人との混血を避けるためにカップルでの移民が推奨された。
開拓民として働くのではなく、実際は先住民による奴隷労働の監督だった。
完全に「家畜」として扱われていた黒人がやがて暴動を起こし、ドイツ兵によって圧殺された。
第一次世界大戦の敗北によって、アフリカの植民地も失い、アルザス・ロレーヌも失った。
その後、ナチスの台頭と、第二次世界大戦での決定的な敗北がある。
アメリカでは、ドイツ系移民が活躍し、イングランドやアイルランドからの移民よりも多いほどであり、ドイツ国籍も維持し、ドイツ語で学校教育していた。クリスマスツリーをアメリカにもたらしたのもドイツ移民だし、アメリカの代表食になったハンバーガーもハンブルグに由来している。
ナチスの敗北により、全てが変わる。ドイツ国籍を捨てることやドイツ語で電話したり手紙を書いたりすることやドイツ語の学校も禁止されたという。「ドイツ語話者」という移民のアイデンティティは消失した。
アメリカの移民というと何となく、「アングロサクソン・プロテスタント」と「アイルランドかヒスパニックのカトリック」という構図を連想してしまうが、ドイツ語話者の移民が第二次世界大戦後の「ナチス=絶対悪」の図式によって蒙った「生き方の変更」の深刻さを始めて知った。
それでも、目標を「ビジネスチャンス」に特化して富豪となり大統領にまでなる人もいる。
第二次世界大戦の間、日系の移民もまた差別の対象になり強制収容所に入れられた歴史を持つわけだけれど、白人でキリスト教のドイツ系移民は、別の生存戦略を余儀なくされたわけだ。すくなくとも、トーマス・マンなど、ナチス政権から逃れるために「亡命」したドイツ人の受け入れ先は同じ「キリスト教文化圏」の中に存在した。日本の皇国史観、軍国主義に反旗を翻した人には同じ文化圏の「亡命先」がなかったことに思いを馳せてしまう。
色々なことに目を開かせられるドキュメンタリーだった。
(細かい数字などはもう一度視聴してから記録しておこう。)