私のトリオはCh=L.Mion の発掘、紹介を目的とするものだが、当然ラモーも弾く。モンドンヴィルやデュフリーのチェンバロ曲もやるが、ラモーはミオンと同様、基本的にオペラ曲の管弦楽譜を全部3台のギターに移したものである。フルートやヴァイオリンでは何ということもないパッセージがギターでは超難しいのでテクニックも要求される上、解釈の問題、3台の楽器ののシンクロなど、なかなか大変だ。しかし、中にはものすごくギタリスティックな曲もあり、その音色のピュアさの贅沢さは代えがたい。
ラモーの曲は難しいし、ひどく頭脳的な脳内楽園である。今のバロック・オーケストラではさすがにひところのようなロマン派風の演奏はないけれど、指揮者と楽器奏者がぴったりあっていることはなかなかないし、踊り手の体の落としどころ、みたいなものも感じられない。まあ、デフォルメせずに無難に弾けばラモーのエクリチュールが際立ってくるんで一定の水準には行くのだが。
一昨日の練習でゾロアストルのパスピエをさらった。
ラモーの天才は際立つ。クリエートというのはこういうことだ。
全然怖がっていない。
何にインスパイアされているのか。
一定の約束事や秩序に従って部分を並べていくということは全然していない。
編集という手続きが一切ない。
ただし、彼のインスピレーションに乗れないと、ちょっと外すだけで、雲から転落する。
Hが、4月に私のアソシエーションでやった展覧会でのミニコンサートで弾いたラモーをYoutubeに載せていた。
Les Indes galantes から、Entree de la suite d’Hebe である。
クリックするとその前後にもラモーがひしめいているので楽しい。
これは3拍子である。何たる3拍子。
若さへの賛歌でもある。再構成された若さはピュアで脆弱で生で薄っぺらい。でも、その薄っぺらさは薄氷であり、支える堅固な冷たさに支えられている。一皮むけばそれ自体が消える薄っぺらさではなく、そこから転落すれば永遠に届かなくなる薄っぺらさだ。
下にアドレスをコピーしておこう。
http://www.youtube.com/watch?v=6R0rnMVR11Y