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先日、藝大美術館でやっている雪村展に招待していただいた。
非常に興味深い。 近頃流行りの「奇想の」という形容がなされているのだが、肝はそれではない。 動物の動作や表情に個性があるとか、木の枝ぶりにも表情があるとか、岩の輪郭が独特だとかいう指摘の方が注目のしどころであり、思わず、ディテールに目を凝らして感嘆するというのはその通りだ。 これも先日、太田記念美術館に「浮世絵動物園」展を観に行ったのだが、人間の体形や仕草に動物の顔が配されているものが多いし、あるいは魚に役者の顔をつけた人面魚みたいなのがあるが、雪村の鳥や魚のように、一つ一つの個体が個性的なものは見当たらなかった。 雪村画を構成する各部分は実に生き生きしている。 けれど、雪村の特徴は、実は、全体を別の視点から見ると、別の絵が見えてくるというところだ。 だまし絵とか隠し絵とかいうものを見るつもりで見ると、龍だとか、雌伏する虎だとか、冬の枯れ木に座る老白猿だとかが見えてくる。その図も流れがあって生き生きしている。 これは私のこじつけではなく、風景の中の「見立て」というのは造園において顕著なように日本の伝統的なもので、禅文化に普通に見られるものだ。 雪村の風景画や花鳥画を画像検索して試して見てもわかると思う。 雪村は瀟湘八景など、中国の画の模写もしているのだが、雪村らしさは、その中に別の有機的な画像が現れてくるのですぐわかる。逆に、雪村の画が他の画家に模写された作品は、ディテールは書き込まれているのだが、見立てのダイナミズムは全く看過されている。だから画面が息づいていない。 雪村の画を 忠実に模写しようとしたら、有機的な二重構造に流れる勢いをキャッチしなくてはならないのだ。 このことは誰からも言及されていないのだけれど、私の目には明らかすぎるほどの発見だった。 何よりも雪村自身が画論の説門弟資云でこう言っている。 画は仙術である、と。 古人の図画を参照しても 自己の筆意とは関係がない、 形は万象に倣い、 筆跡の省略は師に習い、 筆力は自己の心意に止める。 すなわち、ディテールでは筆跡が見えるが、筆力は 心意、筆意から生まれるもので、細部の筆跡に宿るものではないということだ。 岩も、枝も、落雁の群も、合わさって別の大きな生きた形象を生み出している。まさに仙術だ。 六義園に行ったときも、池の中に「臥竜石」などがあったので、雪村のことを思い出した。 木々の枝ぶりも有機的で、いろいろな見立てを隠している。 ![]() ![]() アフォーダンス理論のことも考える。 知覚の九割以上は脳が再構成したイリュージョンだという説も想起される。 植物は自力で移動しない生き方を選択した生命体で、コミュニケーションもとれば 苦しんだり喜んだりもする。そういうことを自然にキャッチする人もいる。 雪村の二重構造は筆跡からは見えてこないから、その気配だけをマニエリズムのように感じ取る人がいる。 筆意がわからないままで、細部の筆跡にだけ感心したり、奇想を愛でたりすることになる。 瀟湘八景を凝縮した作品についてフランドル絵画が引き合いに出されての解説があったが、フランドル絵画にも隠し絵があるので興味深い指摘だと思った。 ■
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by mariastella
| 2017-04-09 00:05
| アート
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