L'art de croire             竹下節子ブログ

2018年 04月 17日 ( 1 )

カトリックが「便利」であること

前の記事で、「見ていない映画」にインスパイアされていろいろ書いた後で、「読んでいない本」についてコメントするのも気が引けるが、ある友人が、中井久夫さんの洗礼について触れられた本のことを紹介されていたので、ひとこと書きたくなった。


精神医学者としても文学者としても大きな業績を残された中井先生は、2年前に神戸でカトリックの洗礼を受けられた。中井先生と同じ80代のカトリックの友人はその洗礼式に出席された。私は中井先生の洗礼の記念に「精神の健全さについて」というシリーズをこのブログの中で書いている。


これが第1回で、


15回 まで続いている。


中井流の「スキゾ親和性」というものとカトリックの相性がいいのではないか、と思ったのだ。

で、その友人が紹介した本というのが『おひとりさまVSひとりの哲学』山折哲雄、上野千鶴子 (朝日新書)というもので、上野千鶴子さんが、


「優れた近代合理主義の知性である加藤周一、中井久夫、そして上野の師でもあった吉田民人などが、死を前にしたり施設の病床で、カトリックに入信したり仏教に傾倒したことにショックを受ける」(ネットの読者コメントから引用)部分だ。


友人のまとめによると、

>>「ブルータスお前もか!」という感じだと書いていました。「あの知性の高い中井先生がカトリックだって!!ブルータスおまえもか?っていいたくなりますよ。なぜ?カトリックに?って訊くとゆっくり「べんり、だから、ね」と言われた」そうです。<<<

「人は来世の信仰など宗教の支えなしに死んでいけるか」というテーマなようで、上野さんの無神論スタンスが、あまりにも、フランスのインテリ左翼無神論者の典型なのが新鮮だった。フランスの無神論はインテリ・イデオロギーというかアイデンティティの一つだけれど、日本にもこんな人っているんだなあ。

フランス左翼無神論者の欠点は、イデオロギッシュなので、信仰者の話をまともにきかなかったり、啓蒙時代の「蒙昧」、「迷信」のカテゴリーに宗教を一括したりで、超越性というものへの感性に自ら蓋をするところだ。

とはいっても、フランスのインテリである以上、実は、ギリシャ・ラテン文化とその延長としてのキリスト教についての造詣は深いのが特徴だ。でもそれだけいっそう、教養、文化としてのキリスト教を「信仰」に結びつけないような努力やジェスチャーや棲み分けを無意識にしている。

彼らの中にはフランスでは「無神論だ、宗教ではない」とみなされる仏教を実践する人もいるが、そういう人たちはなおさらキリスト教の本質に対する思い入れがある。

でも、日本のインテリ左翼無神論者や日本の一般の仏教徒は、当然ながら、文化の基盤ではないキリスト教の知識や教養が、ないか、少ないか、偏っている。

無神論者といっても、サルトルらのようにある日「神はいない」という回心体験を経た無神論体験を経るわけではなく、単に、西洋型インテリ左翼無神論者のモデルを採用している人の方が多いだろう。

キリスト教文化圏型の「無神論」に行きつくには、「神」や神の形象に対峙しそれを否定するという葛藤や選択が必要なので、日本のように一般に「無関心型」で宗教宗派への帰属感の薄い社会ではそれがない。


一般の仏教徒といえば、これも空気としての日本仏教や事物や行事への感性はあっても、仏がいるとかいないとか神がいるとかいないとかといった問いの立て方をしない。キリスト教に関しても、漠然と、「西洋」を連想し、イエスかノーかで融通のきかない一神教は不寛容で、その点、八百万神を許容する日本は寛容だとか、自然と共生するとか、農耕文化だから一神教とは相容れないだとかなどという言説が、エリート仏教者の口からさえも出てくる。

「西洋」だってベースは多神教だったのだし、農耕が始まって定住するようになってから文明が発達したのは人類共通だ。また生きるのに最も大切な太陽に生活を負っているのも普遍的なことで、太陽神を最高神として戴くような感性も地球上に共通している。

多神教だから寛容だというわけでもなく、どんな文化のどんな社会にも、残念ながら他者排斥型の心理メカニズムは存在してきた。

それなのに、「知性の高い中井先生も高齢になり健康を害したらカトリックの洗礼を受けるなんて、死を前にしたら知性よりも非合理的なものに救いを求めたくなるなんて、ブルータス、お前もか」と思うのは、単純すぎる。


中井さんほどの人が、どういう風に人間の心理を探り、信仰にたどり着き、しかも、カトリックを選んだのかということはスリリングなヒストリーであって、何も老いや病で弱ったからではない。

スキゾ親和性に「精神の健全さ」を探った中井さんでこその大きな意味がある。

そして、彼の答えの「便利だから」というのも言いえて妙だ。

前にこのブログで、死刑囚になったら断然カトリックに入れてもらう、と書いたけれど、そしてオウム真理教事件の死刑囚たちの霊的ケアがどうなっているのか気になると書いた。ここここ


キリスト教というOSは弱者にやさしいし、歴史上、いろいろなバグやプログラムのエラーや齟齬も経験してきたけれど、それをフィードバックしてバージョンアップする努力を惜しまずに生きのびたし、中でも老舗のカトリックは、マルチナショナルで開発費用も潤沢だったからか、秘跡やら奇跡やらのアプリが豊富で、カスタマイズもしやすくできているから、「便利」だと思う。

信仰は知性と対立するものではなくて、人が自由に飛翔するための両翼のようなものだとは今のカトリックの見解だ。


それにしても、今や、ハイゼンベルクやゲーデルによって不確定性や不完全性という理性の限界が考察され、脳神経学のレベルでも、脳障害で感情を失った人は理性の論理立てはできても最終判断ができないこと、理性が機能するには感情が必要だと分かってきた時代だ。

それなのに未だに、「近代合理主義の知識人が宗教とか信仰とかに向かうのはおかしい」というようなひと昔前の「インテリ左翼無神論」が残っているのは不思議でさえある。これはフランス的というよりむしろ、アングロ・サクソンのピューリタニズムの原理主義やその反対の偽善に叛旗を翻すアメリカ型無神論の影響なのかもしれない。

もちろん、人が精神と肉体を統合するための霊性、「超越」を必要とする時に、それが既成の宗教である必要はない。山折さんがいうような、日本的な野山の中でひとりになって自然と一体化するというような体験でももちろんいいし、多くのアーティストのように、アートの創造性におけるインスピレーション(霊感)に対する感受性を育てることでもいい。

利潤、コストパフォーマンスや自分ファーストの論理とは逆の人道活動などに専念している人を動かしているのも、「合理主義」とは別の位相にあるものだろう。


そういうものに比べて、宗教は、時には、「霊性を求める人々をターゲットにして霊性ビジネスをするカルト」の姿をまとうことがある。

カルトはまさに、老いや病を前にして弱った人々につけこむ場合が多いわけで、そのようなリスクを避けるには、「宗教の勧誘」一般を警戒するというのも分からないではない。


その点、日本での仏教だとかフランスのカトリックなど、その国の老舗宗教は、そういう新興カルトを批判する側に立つもので、主流秩序であったがための歴史上の様々な誤りを批判され尽くしているから、「宗教」に向かうなら老舗宗教がリスクが少ないですよ、というのは一応言えると思う。


日本仏教はもう長い間、インドや中国の仏教と離れて、まさに日本的心性とフュージョンし、民族宗教っぽくなっているので、例えばフランスに住むフランス人が「日本仏教」に帰依するというのはいろいろな落とし穴がある。それこそ「仏教系カルト」に取り込まれることもある。

その点では、日本に住む日本人がキリスト教を採用する時に、カトリックは今でも中央集権的ピラミッド構造があって末端の逸脱をコントロールするツールが少しは機能しているので、「リスクが少ない老舗」としては確かに「便利」だ。


そして、日本でキリスト教家庭に生まれた人は別として、成人洗礼を受けるような人は、安土桃山の時代から内面の葛藤や外的な不都合を乗り越えて「選択」した人が多い。

自分が「神」を求めるかどうかは別として「神を求めた人々」の軌跡を辿ることは、それこそ霊性とは何かをインスパイアしてくれる。

「知性」ある人がそれを切り捨ててしまうのは残念だ。

で、カトリックはいろいろな意味で「便利」なのだが、それでも、実際に洗礼を受けないと分からない「便利さ」がひとつある。それは「死が怖くなくなる」ためではなく、「生きる」ためであり、「生かす」ための便利さだ。

何を、誰を「生かす」のか、という答えは、書かない。





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by mariastella | 2018-04-17 00:05 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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