L'art de croire             竹下節子ブログ

2018年 06月 15日 ( 1 )

カトリック教会のペドフィリア・スキャンダル その1

6/11


今発売中のリベラル・カトリック週刊誌の表紙を見て驚いた。


カトリック教会のペドフィリア問題対策の責任者である司教と、リヨンの司祭を告発することで始まったペドフィリィア犠牲者の会の主催者である40代男性の二人が並んでいる。

この2人は別々にはいろいろなところでインタビューに答えてきたが、公式に同時にインタビューを受けるのは初めてだそうだ。

細かいことをいろいろ書くのはスルーするけれど、リヨンの某司祭がカトリックのボーイスカウトの指導をする中で少年たちに性的な虐待をしていたというスキャンダルだ。しかも、そのことが司教の耳に入った後、司教は、その司祭を別の教区に異動させ、司祭はまた別の教区で同じことをし続けたという。それが何度も繰り返され犠牲者の数が増えた。その間、この事件が公になることはなかった。その司祭は現在職務停止だが逮捕拘禁はされていず判決待ちである。

この犠牲者の一人が、仲間数人と犠牲者の会を立ち上げ、それがきっかけとなって、アイルランドやアメリカや中南米のカトリック教会のスキャンダルがどんどんと明らかになっていった。いや、すでに知られていたものもあるが、声が大きくなり、芋づる式に大スキャンダルに発展したのだ。いわば、どこにでも横行していたセクハラが「#Me Too」運動によってメディアを席巻した構図に似ている。

前にも書いたが、ペドフィリアという未成年(特に子供)に対する性的虐待とその「隠蔽」は、

「子供にとって権威的な立場にある大人(ほとんどが男)が子供(男も女もある)と密室で二人きりにる」

という情況で発生する。


だから一番多い現場は「家庭内」で、父、義父、母の連れ合い、兄、義兄などによるもの、また、学校や部活などでの教師、監督、コーチ、その他の指導者によるもので、「カトリック教会」の中で起こる率は実は少ない。

ボーイスカウト、告解、公教要理のクラスその他だ。

家庭内や学校などより率が低いのは、現代においては「司祭」になるためにすでに性的禁忌や禁欲についての了解事項や誓いが明快なので、ハードルが高いからだろう。

それでも「カトリック教会」内のスキャンダルが最もアグレッシヴに攻撃されるのはいくつかの理由がある。

まず、ハードルが高いことそのものにある。


「神」の名において禁欲やら貞潔やらを誓い、奉仕者を自称するのだから、親や子供たちからの信頼が高い。信頼度が高い分、それを裏切る罪は重い。

「家庭内」のペドフィリアの「責任」追求や罰は加害者個人に向かう。

学校や部活などでは、加害者はもちろんだが、その「上」にある校長や教育委員会などの「監督責任」まで問われることもある。

それらすべてに、そのような加害の温床となっている社会のメンタリティ全体について問いが投げかけられることもあるが、漠然としている。


それに対してカトリック教会というのは、プロテスタント諸派などとは違って、教区や司教会議、ヴァティカン、ローマ教皇と、ピラミッド型のビューロクラシーがはっきりしているので、「カトリック教会」という大きなくくりで「責任」を追及することができる。


また、キリスト教文化圏の国には、もともと、「反カトリック教会」というロビーや無神論イデオロギーが存在するので、プロパガンダ的にも「ペドフィリア」スキャンダルを追求するベースがあるし、報道価値もある。

「カトリック司祭は独身で性的に欲求不満」などという俗受けする攻撃もできる。


「どこそこに住む何某が再婚相手の連れ子を何年も虐待していた」などと言う「ニュース」よりも社会的な価値やニュース価値がある、と認識されるのかもしれない。

誤解のないように言っておくが、この記事では「カトリック教会」内のペドフィリアを相対化しようとしているのではない。

その反対で、カトリックの聖職者によるこの手の犯罪は、世俗社会において罰せられるべきであるだけではなく、職業倫理としてははるかに重大で、「情状酌量」は通用しない。

カトリックの司教たちは、そのスキャンダルを長年にわたって「隠してきた」ことを非難されている。


一つには、もちろん、メンタリティの変化がある。


ひと昔前までは、未成年に関わらず、性的被害にあった者は、「泣き寝入り」した方が害が少ないと思われてきた。その手の被害を公にすることは、相手を罰するメリットよりも被害者の被るマイナスの方が大きいと思われたからだ。それが結果的に加害者をのさばらすことになった。

けれども、「#Me Too」運動もそうだが、レイプが親告罪ではなくなったように、今は、「性的被害をなかったことにしておく。」というメンタリティは大きく変わりつつある。


ひと昔前の「カトリック教会」の司教たち(司祭の監督責任がある)が司祭のペドフィリアを「もみ消した」こと自体は理解できないでもない。もちろんこれも、決定的に「神」に背き、聖職者としての誓いを破ったのだから、本来、「普通の世間」のメンタリティにソマリアっている場合ではない。

しかもリヨンのケースは、その司祭を別の教区に異動させ、そこで「再犯」させていたのだから、司教の罪は重い。

ペドフィリアはもちろん、強い立場にある者が弱者の尊厳を「意図して踏みにじる」ことは、家庭内であれ、学校であれ、職場であれ、スポーツの場であれ、宗教の場であれ、絶対に許されてはならない。

命令系統の明快なカトリック教会であればなおさら、即刻「職務停止」と「隔離」を実行するのが「最低」線で、公の司法にゆだねるのも当然だ。今は、法律上は時効になっているケースにも判例に従って、賠償金を支払うことが検討されている。

で、今やフランスの司教団は、ボーイスカウトの指導者や公教要理の指導者、司祭全員を対象に、密室での告解をしてはならない、未成年と2人きりにならないなどのレクチャーをして「再発」を防ぐ対策をしているというわけだ。

又は、最近、やはりペドフィリアのスキャンダルを受けて、なんと、チリの司教団全員が辞職願をヴァティカンに提出するという事件が起きた。

これは、まるで、「トカゲの尻尾切り」ではなくて、「トカゲの頭」を差し出したわけだ。


一見すると、世界中の多くの「指導者」や「権力者」たちが、「不祥事」を前に自分たちの責任を認めずに、末端に罪を被せたり、嘘を重ねさせたり、辞職させたり、自分たちは給与の一部返上みたいなことでお茶を濁したりすることに比べると、「潔い」と見えなくもない。

もっとも、古いタイプの「カトリック教会」の体質を残している国とは違って、例えばフランスのように、政教分離が進んで知識人の間で不可知論者がデフォルトになっているような国では、「司教」や「枢機卿」などに「昇り詰める」ような人は、使命感に満ちた高潔な人がほとんどだ。生涯独身で、「選挙」の支援団体におもねる必要もないから、二世、三世議員やらが活躍する「政治家」などとはそれこそメンタリティが違う。

だからこそ、彼らには、「ペドフィリアという犯罪を犯す司祭」というものについての「想像力」が完全に欠落している。そう、彼らは、仲間だから、教会の恥だからという思いで「もみ消した」という意識より、「信じられなかった」ということが大きかったと思う。

多くの人はある種の「悪」への想像力がまったく欠如している。それが欠如しているDNAが自然選択されてきたからだともいえる。

自分自身を見ても、ペドフィリアはもちろん、例えば犬や猫を意図的に虐待する、などと言う発想は、まさに「信じられない」。

今はネットなどで、そういう人たちがいて、実際の虐待シーンを公開する人さえ存在することを知ったけれど、やはり想像を絶する蛮行だ。もしも自分の周囲に実はそんな人がいると言われても、茫然として、やはり「信じられない」、と思うだろう。

で、今回の、再発防止の対策担当司教と被害者の会のリーダーの「対決」。


まったく意外だった。 


(前置きが長くなったので続きは後はこの後で。)


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by mariastella | 2018-06-15 00:05 | 宗教



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