L'art de croire             竹下節子ブログ

2018年 08月 30日 ( 1 )

ブルゴーニュ その6 オセール

ポンティニーからオセールに入り、ヨンヌ川を渡るとカテドラルが見えてくる。

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サン・エティエンヌ大聖堂。

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扉上の立派な彫刻群。


サン・エティエンヌはキリスト教最初の殉教者聖ステファヌスのフランス語読みだ。(リエゾンする)

だからこのカテドラルにも石打刑で死んだステファヌスにまつわる図像もあるけれど、やはりオセールで一番人気なのはサン・ジェルマンだなあと思う。

サン・ジェルマンというとパリの一番古い教会の一つサン・ジェルマン・デ・プレを連想するかもしれないが、パリのサン・ジェルマンはパリ司教だった人。オセールのサン・ジェルマンはオセールの司教だった。オセール近くで生まれたゲルマン人で、ローマ帝国の兵士となったが、回心して418年にオセールの司教となり、448年にラヴェンナで死んでいる。

オセールの司教になったのは、住民たちが一致して望んだからだともいう。だとしたらトゥールのサン・マルタンとよく似た経緯だ。狩好きの貴族の息子がオセール司教の聖アマートルから受洗して後を引き継いだという記録もあり、数々の「奇跡(地に立てた杖が樹木になったとか)」もあり、パリの守護聖女となったジュヌヴィエーヴが10歳の時に神に奉献したとか、いろいろなエピソードもある。

彼の遺体はオセール近辺に戻ったものの、フランス革命で喪失、彼の遺体を運んだ木の台のかけらが立派な聖遺物入れに入ってカテドラルに飾られている。

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オセールにはサン・ジェルマンの名を冠した王立修道院があってそちらは広大な地下墳墓が残っていてすばらしい。パリのルーヴル広場の近くにはサン・ジェルマン・ロセロワ(オセールの人という意味)教会があり、ここで薔薇十字団コンサートが開かれたように、アーティストに人気の教会となっている。

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で、このサン・エティエンヌ大聖堂だが、ちょうど晩課の時間に行き当たった。50人くらい入る聖母のチャペルの中で3人くらいの人がロザリオを唱和していた姿が印象的で、歌のプリントを手にして座っていたら、次々と人が集まってきた。

司祭の声がすばらしく、ミサの応唱が美しい。

司祭が説教で真っ先にペンシルバニアのカトリック教会のペドフィリア・スキャンダルに触れたことが印象的だった。ルーティーンのミサではなく、真剣で誠実な気持ちが伝わってくる。

列席している人は地元の信徒という感じで、まるで地方の村の小さな教会にいるような家庭的な雰囲気がある。それでもミサに「よそ者」などはいなく、みなが微笑み合う。

今回のブルゴーニュの教会巡りでは、いろいろな有名な場所や巡礼地を回ったにもかかわらず、歴史の旅、文化の旅、アートの旅としては極上だったものの、どこでもスピリチュアルなもの、「霊性」を感じることが出来たとは言えない。

最も霊性を感じたのがこのミサだった。


霊性とは、大聖堂や聖遺物に宿るのではなく、人間に宿るのだなあ、とつくづく思う。

それは個人にではない。キリスト教の霊性というのは、イエスの名によって集まる「共同体」に宿るということだ。

誰かが一人静かに瞑想にふけっている時に到達するかもしれない無我の境地や自然との一体感などとは少し違う。安らぎや充実感とも少し違う。


「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。(マタイによる福音書18,19-20)」

というイエスの言葉の意味が実感される。

ルルドやファティマのような大巡礼地では、人々の期待や信仰が渦巻いていて、そのサイコ・エネルギーに圧倒されるし、なにかもう、いろいろな霊がよってきそうな最強のパワースポット化している。

そういう意味ではごく地味なこのカテドラルの片隅で、50人にも満たない人たち(子供もいたし杖を突いているお年寄りもいる)が、心を一つにして唱和することで生まれる霊性はイエスの言葉そのものだ。

オーセールの女性詩人マリー・ノエルの言葉に、「幸せでいるために幸福は必要ではありません」というのがある。

日本語でこう書くと分かりにくいけれど、要するに、「幸せな状態」というのは、いわゆる「幸福」の要素(健康とか衣食住の豊かさとか)とは別にある、ということだ。

「あなたのそばにいる人があなたのそばにいることを喜んでくれている状態」が「幸せ」ということなのだろう。

このチャペルには、それがあった。


幸せでない霊性、愛のない霊性なんて求めても意味がないなあと思う。(続く)


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by mariastella | 2018-08-30 00:05 | フランス



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