L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:フランス( 293 )

「アンチ政権」の文学は政治哲学となるか

これは去年の16世紀文学の学会の講演内容をまとめた本だ。

今忙しいので、翻訳しないで表紙と裏表紙をそのまま紹介。

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ざっというと、ヨーロッパで「宮廷文化」が定着し始めた頃、「宮廷」での生き方、生き延び方、出世の仕方、自分より上位の者に対する忖度の仕方などのマニュアルももちろん出回っていたのだけれど、同時にそれを批判し、揶揄し、軽蔑さえして、宮廷を捨てて自然の中で生活しよう、という書物もたくさん出ていた、という話だ。

今でいうと、都会を捨てて田舎でエコロジーな生活をしよう、という感じである。

しかも当時それを書いたわけだから、庶民ではなく、宮廷の駆け引きのただなかにあった人たちだ。

スペインのアントニオ・デ・ゲバラによる「宮廷を軽蔑し田舎生活を賛美する」という本(1539)などは、またたく間に各国語に訳されてヨーロッパ中に広まったという。ラテン語の話ではない。驚きだ。

もちろん中世の頃から、権力、政治の駆け引きが渦巻く宮廷の世界を皮肉り、古代ローマ風の「田園」生活に憧れるというタイプの文学、絵画は存在していた。

それでも、そういう「貴族の想像上の遊び」だけではなく、この「宮廷での処世術」のカウンターである「シンプルライフの勧め」は、その後のヨーロッパの政治哲学に確実に影響を与えた、というところが興味深い。

もちろん、たとえば日本にももっと古い隠棲文学の『方丈記』などがあるし、中国だとさらにはるかに古い陶淵明のような隠遁文學もあるわけだけれど、その多くは、政治的な失脚、遁世、出家などと関連していて、「世をはかなむ」雰囲気もある。

ヨーロッパにも、アッシジのフランチェスコのように町や「文明」を捨てて自然を賛美した修道士たちもいたのだけれど、出世と権力への色気たっぷりのまま「宮廷」と「田園」のはざまで文学を弄している16-17世紀文学とは種類が違う。この16-17世紀の「嫌宮廷文学」は、権力を掌握している世界で「現役」で生きている人による「自問」、そこから飛び出すことができるのか、それはどういうことか、という問いかけだからだ。

いってみれば、政権の欺瞞や「忖度」に我慢できなくなったり疲れ果てたりする人のために、本気で「下野」する風景を作り出す力がある。

ひるがえって、21世紀の今の世界の「民主国家」では、なんだか、独裁的な首長がやたらと増えていて、それを批判する言論が弾圧されたり、メディアが自主規制したり、役人が政権を忖度しまくったり、という風潮が広がっている。

16世紀文学がすぐれた今日的問題をあぶりだしてくれるとは意外だった。


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by mariastella | 2018-10-09 00:05 | フランス

シャルル・アズナブールの死

シャルル・アズナブールが眠ったまま亡くなったということで、10/1のテレビはニュース番組まで彼の歌や映画(80本も !)で埋めつくされた。ジョニー・アリディより20歳上の94歳だから、ファンの年齢層がさらに広い。


100歳まで歌う予定だったそうで、ミッシェル・サルドゥーに、100歳の人口はこれからどんどん増える予定だから、マーケットは安定している、などと言っていたそうだ。

この9月に日本公演をしたという。亡くなる3日前にもTVに出ていた。


彼の後悔の一つは、ジャック・ブレルやジョルジュ・ブラッサンスやシャルル・トレネなどの「フランス人に最も愛される歌手」のグループには入れなかったことだという。アメリカではすごい人気だった。ルーツであるアルメニアでは国民的歌手だった。

それでも、フランスの、ブレルやトレネのファンたちにとっては、アズナブールは「声が悪い」のが致命的だという。確かに若い時は酷評された上、「悪声のカジモド」とまで痛罵されたことがあるそうだ。

日本で「シャンソンの神さま」「フランスの至宝」などと宣伝されているような雰囲気ではない。今日本のブログを検索したら、「素敵な甘い声」などともあったけれど。

映画俳優としても活躍したように、彼は舞台の上でドラマを作るのがうまいから、全体のパフォーマンスとして、舞台でのカリスマがあったのだろう。確かに、小柄だし「見た目」だけでは、大ホールを熱狂させる歌手には見えない。でもその「語り」のうまさは飛びぬけていた。私も高校生の頃に、ラジオから流れてきた「イザベル」の迫力に驚いた記憶がある。フランスではドキュメンタリー番組で、家族に囲まれてゴッドファーザー的家父長オーラ全開だったことが印象的だったことを覚えている。

この9月の日本でのリサイタルはどうだったのかは知らないけれど、最近ドバイでのリサイタルを聴いたフランス人は、音程も悪くなんだか悲愴な感じで見ていられなかったなどと言っていた。

でも、いわゆる「健康長寿」のお手本として希望と元気をもらう人もいるのだろう。


「追悼番組」は作りやすい。何しろキャリアが長いし、ナナ・ムスクーリやフランス・ギャル、セリーヌ・ディオンから今の若手の歌手まで、膨大な数のデュエットを残しているから、窓口が広い。


ついつい長々と見てしまった。

アズナブールがいいというより、懐メロっていいなあ、と思う。


ナナ・ムスクーリが久しぶりにTVに出て、涙を流しながら、2人で歌った『愛の喜びの』デュオが一番好きだと言っていたので、貼り付けておく。


(この歌はアズナブール作のものではなく18世紀からの「ロマンス」と呼ばれるジャンルのスタンダードナンバーだ)




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by mariastella | 2018-10-03 00:05 | フランス

カレール=ダンコス、スレイマン・バシル・ディアヌとハンマド・イクバル

先日、女性のラビと女性のアカデミー・フランス会員(歴史学者)のエレーヌ・カレール=ダンコスがテレビで話していたのを聞いた(再放送だった)。

グルジアからの亡命者として生まれたロシア史学者のカレール=ダンコス(89歳でエネルギッシュな明敏さにあらためて驚く)が、ソ連での女性の地位について話していた。ソ連では、革命のすぐ後も、1921年から男女平等が掲げられていたが、実際は女性が重労働に駆り出されるだけで、政治の中枢は男ばかりだった。それでも38日の女性の日だけ女たちは働かずにデモ行進をし、男たちは女たちに花を捧げていたという。3/8の国際女性の権利デーって、そんなに歴史があったのかと後でネットで調べたら、1909年にアメリカの社会党が2/28を女性の日にしたのが始まりらしい。それから2月最後の日曜とかいろいろあって、3/8に落ち着いたそうだけれど、なるほど、もともと革新政党が始めたものだからロシア革命後のソ連でも続いたのだ。

すると同席していた女性のラビが、ユダヤ教では毎月の最初の日が女性の日となっています、と発言した。

知らなかった。

インタビューの女性が、年に一度よりも月に一度の方がましなのか、その他の日はすべて「男の日」なのか、と苦笑いした。

さらに、カレール=ダンコスが、ロシア帝国でエカテリーナ二世以降女性が皇帝になれなくなったのは、母と確執があった息子のパーヴェル一世が即位したときに、法を変えて決めたからだと言った。

後に、ロシア革命で倒されたニコライ二世には血友病で即位不可能な状態の未成年の息子1人と、健康な姉娘たち4人がいた。もし彼女らが帝位を継ぐ立場にあれば歴史は変わっていたかもしれない、と言う。

別の日には別の番組でスレイマン・バシル・ディアヌが話しているのをこれは「生」で聞いた。

セネガルの数学者、哲学者で、今はNYのコロンビア大学で教えている。

この人はフランス語圏アフリカの知識人としてエリート中のエリートで、バカロレアの後パリのルイ・ルグランから高等師範学校に進みデリダやアルチュセールに師事し、というか哲学のアグレガシオンを取得、ハーヴァード大学にも留学した後で、わいてくるソルボンヌで数学の博士号も取得した。

60代前半だが、見た目はごく普通の黒人のおじさん。フランス語にもわずかだけれどアフリカのフランス語圏出身独特の訛りがある。雰囲気としては、「白人社会に伍するエリート」には見えない。

ところが、この人が話しているのを聞いた15分ばかりで、彼の知性に圧倒された。

今までもちろん古今東西の大思想家、哲学者らの本は読んできたけれど、その著作を今まで読んだことがなく、外見の雰囲気からは「知的」というステレオタイプが欠如している人がTVで話すだけで、先入観も外見も関係なく、ただただ、こんなすごい人がいるのだと感動した。ジョークにしろ「人は見た目が9割」などと言う言説が存在する世界があるとしたら情けない。

しかも彼の語るのはイスラム文化である。

この御時世に、セネガル人でムスリムでイスラム文化擁護者というだけで、愚かなこちらの偏見、先入観が無意識に発動されていたと思うのに、あまりにも明晰であまりにも説得力があり、しかも、ポジティヴで、一瞬でファンになった。

で、そんな彼のイスラムとは、スーフィズムだ。西アフリカのスーフィー信心会で活動していて、イスラム啓蒙思想の基本に据えるべきユニヴァーサリズムの重要性を唱える。

歴史的には西洋文化(ギリシア・ラテン・ユダヤ=キリスト教、ケルト・ゲルマン)ルーツを持つユニヴァーサリズムは、非西洋や非白人、非キリスト教文化圏からは、「白人からの押しつけであり普遍などではない」と見られることもある。それはその伝播が政治経済的に「帝国主義」を経由した「上か」のものだったからであり、これからは、同じコンテンツを、水平方向に、そして「交渉可能」なものとして展開すべきだと言っている。

まったく同志という気がする。

彼の著書の『イスラムと開かれた社会、ムハンマド・イクバルの思想における伝統と前進Islam et société ouverte, la fidélité et le mouvement dans la penséede Muhammad Iqbal 』に俄然興味が湧く。

ハンマド・イクバルは1877年にラホールで生まれたムスリムの父詩人で哲学者で音楽家で、英領インドからパキスタンが分離独立するに至った思想的な建国の父であり、インド人からも、アフガニスタン、イランでも敬愛されている人だ。「知の巨人」で、ミュンヘンではペルシャにおける形而上学の発展についての論文で博士号を得て、故郷では弁護士、政治家としても活躍した。すごい。ペルシャ語でも作品を残している。

うーん、なんだか遠い世界の人にも思える。

いや、私との接点もかすかにある。私もイクバルと同じようにルーミーの神秘詩に傾倒したことがあるところだ。ルーミーをペルシャ語で読みたくて大学院時代にペルシャ語を習ったけれどガザ―リーを少し読んだくらいのところでほぼ諦めた。でもそのわずかな接点のおかげで、イクバルにも、彼を紹介するスレイマン・バシル・ディアヌにも親近感を覚える。

フランスに住んでいると、ここ数年、テロのリスクはもちろん、移民のゲットー化のせいなどで、「イスラム系のアフリカ人」には反射的に警戒する癖がついてしまった。

そんな偏見を吹っ飛ばして尊敬と敬愛の念を抱かせてくれるような「出会い」が、TV番組の中で得られるなんてすばらしい。

(言いたくないけれど、日本のテレビのインタビュー番組でこのようなインターナショナルで多様な視座(ロシア系学者や女性ラビ、黒人ムスリム哲学者まで)のもとで、知的に興奮できたり感心したりできるものに出会った記憶がない。)


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by mariastella | 2018-09-25 00:05 | フランス

『肉体の冠』(1952) ジャック・ベッケル

『アフリカの女王』を新しい視点で観た次の日、なんだか同じ時代のフランス映画はどうだったのかと見たくなって、やはりTVで放映された『肉体の冠』を視聴した。

で、この記事を書くために日本語ネットで検索して『肉体の冠』という邦題に驚いた。

しかも当時のキャッチコピーが、

「非情な美しさ、悪魔的な冷酷さを豊満な肉体の底に秘した巴里女! 男たちをしたがえ、燃えるようなブロンドの髪を陽光に輝かせて行く」

というものだ。

「肉体の何とか・・」というのは「昭和」の映画によく使われた気がするけれど、タイトルもキャッチコピーもまったく内容とあっていない。

ラディゲの『肉体の悪魔』(クロード・オータン・ララ)がヒットした後だったからなのだろうか。

それでも、こちらも「身に潜む悪魔」と訳してもいいのだから、「肉体」はやはり昭和テイストなんだろう。

原題の「Casque d’or」は直訳すると「金兜」という感じで、肉体とは関係ない。ブロンドの前髪を高く結い上げた娼婦のニックネームだろう。

シモーヌ・シニョレの演じるマリーは、「悪魔的な冷酷さ」とは無縁でどこか無邪気だし、赤毛ならともかくブロンドが「燃えるような」というのもなんだか変な形容だ。

20世紀初めのベルエポックのパリのベルヴィルに実在したアメリ―・メリという娼婦にまつわる事件にインスパイアされた映画で、彼女のニックネームが「カスク・ドール」だった。バイセクシュアルで他の娼婦と同棲していたし、マンダという男は映画のようにギロチンにかけられず1902年にギアナの強制労働に送られ、彼女も1917年に結婚して堅気になっている。

その意味では、この映画は『アフリカの女王』と制作年も1950年代初頭でほぼ同じだし、1914年が舞台の『アフリカの女王』と物語の時代も重なっている。

アフリカの奥地とパリという違いがあるけれど、馬車が走っていたりするパリの方が「時代物」という感じがする。アフリカのジャングルの映像なら21世紀の今も同じイメージだからだ。特殊な場所だから、ある意味古くなっていない。

パリで女性が帽子を被っていないのは召使か娼婦だというのは少なくともブルジョワ地区では5月革命の前あたりまでそうだった。

宗教的なシーンとしては、教会から歌が聞こえてきて、「日曜じゃないのに」と覗いてみると結婚式だったという場面がある。その時に娼婦のマリーはショールを頭にかぶって髪と胸や腕を覆い、マンダの方はかぶっていた帽子を脱ぐ。カトリック教会の習慣があらゆる階層の人に共有されていたのが分かる。

ギロチン台に引きたてられていくマンダを無理やり支えて十字架を顔の前に近づける監獄付きの司祭もいる。

今と変わらないフランス的な場面は、マリーがギャングの親分の部屋でチーズを食べるところかもしれない。

「陽光輝く」というのは、パリから逃げて農場に実を隠す二人の牧歌的なシーンがあるからだ。

『アフリカの女王』はカラーだがこの映画はまだ白黒、というのは米仏の経済力の差だろう。

1871年のパリ・コミューンといつも結びつけられるLe Temps descerises(さくらんぼの実るころ)のメロディが何度も流れる。

これはイヴ・モンタンの歌。

この映画の撮影時にはシモーヌ・シニョレとイヴ・モンタンは結婚したばかりだった。

今思うと、ドイツ移民とイタリア移民出身のこの二人は、フランスを代表する文化人で知識人のカップルだった。

しかし、ドイツ系からかもしれないけれど、この映画のシモーヌ・シニョレはなんだかロミー・シュナイダーとそっくりだ。

相手役のセルジュ・レジアニはオマー・シャリフの若い時みたいだ。セルジュ・レジアニはイヴ・モンタンとほぼ同じ年で、やはりイタリア移民出身。

こう見てくると、日本人的感覚では「フランス人って何?」となりかねない。でも、フランス人の「混ざり具合」というのは、移民国家アメリカと変わらないと思えば不思議ではない。

純粋に映画としてみれば、視線の使い方がうまいのが目立つ。

ダンスのシーンも。

ラストの螺旋階段も。

拳銃を連射するマンダも、手元はまったく映さないので、撃ったのか撃たれたのか分からないくらいの怖さだ。

最初にマンダがマリーとワルツを踊る時に、まったく左腕を使わないでだらりと垂らしたままなのが印象的だった。ギャングたちのキャラが豊かなのもおもしろい。

でも、単純に比べると、『アフリカの女王』と『肉体の冠』というほぼ同時代を舞台にしてほぼ同時代に制作された二つの映画の最も大きな違いは、やはり、ハリウッド映画のハッピーエンドとシビアな終わり方のフランス映画、ということになるのだろう。


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by mariastella | 2018-09-21 00:05 | フランス

ブルゴーニュ  その20

ヴェズレーのバジリカ聖堂は、今もある修道会が巡礼者の世話をはじめとして黙想会や聖書の勉強会などをオーガナイズしている。エルサレム修道信心会だ。

ここの修道士や修道女が交代でバジリカ聖堂の無料ガイドも引き受けている。

夏場はその他に、歴史建築について学ぶ大学院生などもボランティアでガイドをしている。


どこを訪れても本当に満足を与えてくれるのは、人々との会話だ。


私はそのために聖堂を複数回訪れた。


ボランティアの会の学生が、カトリック信者なのか、そうでない場合、このような大聖堂を案内し歴史の説明をすることに霊的なモティヴェーションはあるものだろうか、そもそも今の若者が、このような教会建築に惹かれるきっかけは何か、ヴェズレーという「場」のオーラ、パワーなどを感じたことがあるのか、など、質問したいことがいくつでも出てきた。


サン・フロランタンやオセールでも観光案内所の人たちとじっくり話せたし、サン・ペールでその日の夜のコンサートのリハーサルをしているミュージシャンたちと話せたのも僥倖だった。

それらについていつか別の形で書くことになるかもしれない。

長くなってしまったので、ブルゴーニュ紀行はここでいったん終わることにする。

資料をじっくり読むのはこれからだ。

おまけはヴェズレーの猫。

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by mariastella | 2018-09-13 05:05 | フランス

ブルゴーニュ  その19 サン・ペール

ヴェズレーから数キロ離れた小さな村サン・ペールは、最初にヴェズレーにやって来たベネディクト会の修道院の分院もあったところだ。もう何も残っていないけれど、ここにはゴシック大聖堂のミニチュア版のようなノートルダム教会がある。13世紀から15世紀にかけてのブルゴーニュの建築技術の粋を極めた傑作だと言われている。


村の入り口に巨大樹の木陰にテラス席が広がるレストラン。

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村の中心に向かうと、教会の尖塔の十字架が見えてくる。


全貌が見えてくる。

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古くて黒ずんでいるけれど風雪に耐えた感じのファサード。

ここもヴィオレ=ル=デュックが修復した。

小ぶりなので、「子持ち風ガルグイユ(ガーゴイル)」もすぐそばに見える。

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中もゴシックのカテドラル仕様。
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ラッキーだったのは、その日のコンサートのリハーサルを聴けたことだ。

カウンターテナーを中心としたアンサンブル・セラドン。


その日のタイトルは「DEO GRATIAS ANGLIA」。

コンサートの曲目は、13世紀から15世紀にかけてのブルゴーニュの作者不詳の典礼音楽とイギリスのキャロル音楽の組み合わせだ。

時は英仏百年戦争、ブルゴーニュ公国はイギリス側と連携していた。

で、イギリスの民衆舞曲が教会音楽に転化したものが混ざっている。

もともと教会の祝祭行列で使われたようで、鈴を振りながら歩いて歌う。その動き方と音の響き方を試行錯誤しているところ。

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変化に富み、非常に魅力的で、ナイーヴさとバイタリティが同居している。

アンサンブルのメンバーと話ができたのは、コンサートを聴きに来たよりありがたかった。

ノートルダムを出てシェール川を渡る。
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木靴(サボ)職人の店があるのも、まるで中世のテーマパーク風。

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川を渡ったところから教会を見る。

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川のせせらぎに癒される。

音楽が、どこにでも、ある。



(お知らせ) 新刊のコメントをアップしました。


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by mariastella | 2018-09-12 00:05 | フランス

ブルゴーニュ  その18 ヴェズレー 9

ロマン・ロランの家は、近代美術館になっている。

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広い。

ヴェズレーは崖地なのでどの家も高低の構造が複雑だ。

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書斎も残る。
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小高い庭の部分もある。
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屋根裏も展示室になっている。

ピカソの部屋が充実している。

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1957年作の横顔のデッサンのモデルとなったジャクリーヌが、

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1962年のリノカットではこんな感じに変容した。

そのピカソの友でもあったハンス・アルトゥング展も興味深い。

抽象画は退廃的、堕落した芸術だと糾弾されたナチス・ドイツを離れてフランスにやってきた。

ピカソやカンディンスキーに影響を受けた。

抽象画が主だけれど、彼には、1940年頃に描いた、まるでメッサーシュミットみたいな「顔」のシリーズがある。

横顔ばかりで、コンテ、油、パステル、グアッシユなど、いろいろなもので試みたものが80-90点くらいあるという。舌を出しているものが多く、怒りや不安などネガティヴな感情の表出だが、強烈だ。

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こういう「連作」モノを前にする時にだけ、全体からしみ出してくる「情報」というものがある。

ヴェズレーでそういうものに遭遇するとは思ってもみなかった。


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by mariastella | 2018-09-11 00:05 | フランス

ブルゴーニュ  その17 ヴェズレー 8

午後9時。 麓のホテルから急な坂道を上ってバジリカ聖堂へ。

歩くのがつらそうな高齢のカップルらがゆっくりと聖堂をめざしている。

住んでいる人以外には、車はまず使えない。

コンサートのタイトルは「ピレネーの平和」。


なぜこのタイトルかというと、1635年から続いたフランスとスペインの争いが、1659年にようやくピレネー平和条約として終結し、翌年のルイ14世のスペイン王女との結婚式の祝宴音楽を担当したのがフランチェスコ・カヴァッリだったからだ。これによって、ブルボン家はスペインにおけるハプスブルク家のヘゲモニーを奪い、後に、ルイ14世の孫がスペイン王となってブルボンの家系が今でも続いている。

カヴァッリ(1602-1676)は、モンテヴェルディと共にバロックオペラの先駆者として知られているけれど、ヴェネツィアの聖マルコ大聖堂のオルガニストで音楽監督を長く務めた。


その時代、音楽は政治と宗教の「力」を演出するものだった。

そういう背景、システムを変えることなくオリジナリティを発揮できた数少ない作曲家たちがいる。


ヴェズレーでの演目は、原題は、

Musiche sacre concernenti messa, e salmi concertaticon istromenti, imni, antifone et sonate (1656)

で、キリエやグローリアなどだけではなく、オルガンの独奏やオルガンだけの伴奏での歌手のデュオや詩編などの組み合わせでなかなか劇的に展開する。


ソリスト8人、合唱8人、ヴァイオリン2、チェロ1、オルガンの編成で、管楽器は自由に付け加える形式だったらしいが、ここではコルネットが2人、「神の楽器」トロンボーンが3人で、迫力がある。

だから突然オルガニストだけの伴奏に移る時も効果的だ。


アンサンブルはバンジャマン・シェニエ指揮の「ガリレイ・コンソート」。

ガリレイとはガリレオ・ガリレイの父であるユマニストにちなんだ名。

全員が立ったままで演奏していた。

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バンジャマン・シェニエは、今回のコンサートを「熱、バジリカ、音楽」という三つの言葉で表現し、ヴェズレーが音楽にたとえるとどんな音楽か?という質問に「15世紀のポリフォニーの美しいミサ曲」と答えている。

イタリアの17世紀音楽にほれ込んでいるけれど、ヴェズレーに繰れば時間が遡るらしい。

私にはこの曲を聴くのは初めてだったけれど、いろいろなパートのコントラストが見事で、その知的な構成はフランス・バロックの萌芽につながる。フランス・バロックで、オペラ曲もモテットも体の動きを内包していたように、カヴァッリも、世俗音楽と教会音楽を本質的なところで区別していない。

バンジャマン・シェニエもフランス・バロックを熟知している人だから、ポイントを外さない。

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ビブラートをふんだんにきかせていたというロストロポーヴィチのバッハのコンサートでなくてよかった。


では、「神」はどこに ? と言われても困るけれど、いつもながらこういう聖堂のコンサートでオルガンの鳴るところは巨大な船に乗っている気がする。


船がどこに行きつくのかは、分からない。


船を出ると、明るい月が上っていた。

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by mariastella | 2018-09-10 00:05 | フランス

ブルゴーニュ  その16 ヴェズレー 7

ジュール・ロワの家から坂を下りていくと、右手にジョルジュ・バタイユの家。

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彼が住んだのは1942年から49年という「戦後」の時代。

ヴェズレーを去ってからも何度も訪れ、1962年に死んでこの地に埋葬された。


彼がヴェズレーについて書いたものには様々な「音」が喚起される。風の音、鐘の音、虫の鳴き声、鳥の鳴き声。バタイユと言えば「無神論者」と自称していたのだから、一見ヴェズレーと異質のようだが、彼の全作品と生涯は神秘主義とエロティシズム、死と生と聖なるもののはざまで揺れ動いている。

もともとランスで暮らしていた時に、第一次大戦勃発時、17歳でランスのカテドラルでの司教ミサに出て「回心」し、一度は司祭になろうとして神学校にも在籍していたくらいだから、「神が存在しない」というタイプの無神論者とは程遠い。

「この世のカトリック教会の神」より大きな霊的存在を求めていたらしい。

ジュール・ロワもそうだけれど、20世紀前半を生きたフランス人はみな、2度の大戦のトラウマを背負っている。それが、イエスの復活に唯一立ち会った「罪の女」マグダラのマリアに惹かれる要因になったのかもしれない。

フランスが愛国熱に駆られた第一次大戦にはっきりと異議をとらえたロマン・ロランの晩年の家もヴェズレーにある。

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こう見てくると、ヴェズレーは「巡礼地」ではなくて「住みたい場所」なのかもしれない。

なんとなく、分かる。(続く)


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by mariastella | 2018-09-09 00:05 | フランス

ブルゴーニュ  その15 ヴェズレー 6

バジリカ聖堂を出てすぐ右に、ジュール・ロワの家がある。

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ここから見える聖堂は最高のアングルで、ヴェズレーへの「狂おしい愛」を切々と語り続けた彼の冥利に尽きる。

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この作家は、1907年フランス領アルジェリアに生まれ、空軍パイロットとして第二次大戦で戦い、最初はヴィシィ政権を支持したが後でドゴールの自由フランスの空軍に加わる。第二次大戦後はすぐにインドシナ戦争に従軍したが、このあたりでフランス軍も含めた戦争の野蛮さや不条理に耐えられなくなって辞職。ジャーナリストとしてアルジェリア戦争にも従軍し、その残虐さを告発し、数々の戦争を総括するアクティヴな平和主義者になった。

1978年からヴェズレーのバジリカ聖堂の斜め向かいの家に住み、多くの政治家、文学者らが彼のもとを訪れた。2000年に93歳で死に、ヴェズレーに埋葬された。

彼の書斎がそのままの形で残されている。ここも無料。

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これはロストロポーヴィチがヴェズレーでのバッハ無伴奏チェロ組曲のコンサートと録音をした際の記録を本にしたもの。『ロストロポーヴィチ、ゲンスブール、そして神』

非常におもしろい。


ヴェズレーでロワと暮らしていたタチアナ夫人はロシア人だったのでロストロポーヴィチのために通訳もした。

ロワは、信者でないとバッハは弾けない、と断言している。

また、バッハに一番感謝しなければならないのは神だとも。

復活祭の聖週間、3月のまだ底冷えのするバジリカ聖堂での練習風景やコンサートでのアンコール演奏が五番のサラバンドというさらに凍りつくチョイスなどが詳細に書かれている。

私はロストロポーヴィチのこの演奏を聴いたことがないので何とも言えないけれど、ロワの文を読む限りは、「舞曲」とはかけ離れた感じだったようだ。


最も興味深いと思ったのは、ロストロポーヴィチが、自分は絶対にロシア正教の教会の中では弾かない、と言ったというエピソードだ。なぜなら、装飾品が多すぎるからだそうだ。

確かに。


ドイツ、イタリア、ハンガリーなどのカテドラルにもインスパイアされなかった。

ヴェズレーではすぐにここがバッハを弾く場所だと分かったという。


ヴェズレーのバジリカ聖堂は、簡素そのものだ。音響はすばらしい。


今回ヴェズレーに来た目的の一つが夜のコンサートだ。


「奏楽の動物たち」が修復されず居場所を与えられなかった聖堂で、17世紀のミサ曲を聴く。

(続く)


(お知らせ)新刊が出ました。

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サイトでもまたお知らせします。








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by mariastella | 2018-09-08 06:01 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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