L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:フランス( 260 )

参謀総長が正論を言える国

2011年の5月末、東日本大震災被災者のためのチャリティコンサートをコンコルド広場の海軍参謀本部のサロンで開いた。

参謀総長の海軍大将は心から最大の援助をしてくれた。

協力してくれた海軍の他の組織の人たちがヒエラルキー意識から逃れられないのとは対照的に、実にシンプルで人間的だった。

その後で、アフガニスタンに派遣されていた軍人ブリス・エルブランの書いた戦争のトラウマについての本についてもブログで触れたことがある。

アメリカ軍と違ってフランス軍の攻撃の規制が厳しいこと、それでも人を殺したことがトラウマになってそのことを現役士官が出版し、なんの検閲もされない、ということのフランスらしさが気に入った。

昨年11月のパリの無差別テロの翌日にすぐに防衛大臣に呼ばれ、2日後に空母シャルル・ド・ゴールに乗った参謀総長ピエール・ド・ヴィリエ将軍は、その1週間後の新聞インタビューで「軍隊はISに対する勝利をめざすものではない」と言った。

テロの後ですぐに「総力戦、IS壊滅」のような勇ましい言辞を発したのは政治家の国内向けの姿勢であるが、実際はそのような短期戦はあり得ないし意味もない、ということだ。。

それについてさらに、今年の1/20付の『ル・モンド』紙で堂々とこう言っている。

「フランスの戦略は完全に国内政治によってなされている」

「戦力は必要だとしても充分であることは絶対にない。戦争に勝つことと平和を獲得することは別物である」

さらに、

文明的な軍隊は、正統性や魂を失わずして倫理的な縛りを侵すことはできない

とまで言う。

つまり軍隊の魂や正統性は倫理的縛りによって担保されているということだ。

「テロリストを前にして、ミメティスム(擬態)に陥らぬようにきをつけなければならない。」

とも。

すごいなあ。

ヴァルス首相が空爆強化反対派に対して

「(この非常時に際して自由・平等・博愛などの)大義をかざす者たちは我々が戦争中だということをお忘れのようだ」

みたいに揶揄するのとは大違いだ。

ピエール・ド・ヴィリエという人は、貴族の出の保守政治家で大統領選にも出たことのあるフィリップ・ド・ヴィリエ(子爵)の8歳下の弟にあたる。

この二人とも、ちゃんと共和国エリートコースを歩んでいるから、頭がいいことは間違いがない。

フィリップ・ド・ヴィリエはまあ、いろいろある人なのだけれど、弟がそれにも染まっていない?ようなのもフランス的個人主義のいい面かも知れない。

なんだか軍国主義的な方向に向かいつつありそうな最近の日本だけれど、こんなことを軍のトップにいる人が一流新聞の記事に堂々と書くことが起こるなど想像できない。

オランド大統領の非常事態宣言もメディアの自由には手をつけられなかったし、妙な自主規制もメディアの側にも軍人にもないようで、フランスの国のこんなところは好きだ。
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by mariastella | 2016-01-29 04:44 | フランス

武器のおもちゃ

フランスでは、11月のテロの後、クリスマス・プレゼント用の子供のおもちゃ売り場から実物と似たタイプの拳銃や機関銃や短剣などのおもちゃが姿を消した。
強制というわけではないが、多くの大手スーパーや玩具店が自主規制してひっこめたようだ。
町で出会う人を撃つというタイプのゲームも回収された。

ゲームのことは分からないが、怪獣やモンスターを倒すゲームではなくて非武装の普通の人を撃つようなゲームに子供たちが熱中するのが「不健全」なのは確かだろう。

でもピストルの類はどうなのだろう。
アメリカのように子供に本物の銃をプレゼントして射撃場に連れ出すなどというのは論外として、おもちゃの武器を排除したからといってテロリスト予備軍の数を減らせるものだろうか。

親がイデオロギー的無神論で宗教を厳密に排除して子育てをした家庭から、親に反発する形で宗教やカルトに出会って免疫がない分取り込まれてしまう若者がいる。
ある程度いい加減な宗教性だの迷信の中で育った子供の方が批判精神を発揮したり別の道を模索したりするのが容易な気がする。

それと同じように、完全な非暴力主義で武器を嫌悪して隠すタイプの親や共同体の中で育った子供は、武器に対する免疫がなくて、かえって魅力を感じてしまうかもしれない。
もちろんある種のサディズムのような倒錯傾向がある子供はいるもので、そういう人は、おもちゃの武器があろうとなかろうと何らかの機会にそれが覚醒するだろうし、武器のおもちゃを与えていないからと親が安心して危険な倒錯の兆候を見逃す方が心配かもしれない。
一方「普通の子供」は、武器を持って遊んだからといって戦争好きになるわけではないと思う。

というのは私自身が、小さいころから兄といっしょに刀やピストルでいつも遊んでいたからだ。
それは別に暴力がどうとかではなくて、時代劇やら西部劇の真似事だったわけだけれど、その後は普通に、というか普通以上に臆病で暴力嫌いの人間になった。
ピストル自体が魅力的だと思ったことはなく、ベルトからさっと取り出してくるりと回して構えるとかの早撃ちなどに興味があった。
スポーツとしてアーチェリーをやっていた時期もあったけれど、矢を放って的を射るという行為にそれ以上の感覚を抱いたこともない。
水鉄砲だとか、連続して音や光の出る機関銃風のおもちゃやレーザー銃風のおもちゃの購入にも忌避感を抱いたことはない。

おもちゃ売り場の棚から武器類をすべて取り去るところや、子供が銃のおもちゃを自主的に返却したら代わりにパズルのおもちゃをもらえるというシステムなどもテレビで紹介されていたけれど、なんだか目先のごまかしのような印象を受けたのは私だけなのだろうか…
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by mariastella | 2015-12-24 00:42 | フランス

フランスの州議会選挙の結果について

フランスの州議会選挙の結果についての感想を聞かれたのでひとこと。

極右国民戦線FNがコルシカを除く12州のうち3州で第1回投票でトップに立ったのが、第2回投票での与野党協力(というか与党社会党PSが共和党Repに譲った)が効を奏してすべて落選した。

投票率も上がったので、フランス人は危機になると立ち上がる、と満足の声も出ているが…。

実際は、勝利した党が議席の25%を自動的に得て、残りの75%を、得票率で分ける。

例えば40%の得票率で勝った党は、25%と、残り75%のうちの40%である30%をもらえるので55%という過半数の議席をもらえるわけだ。

だから、どの州議会でも、敗れたとはいえFN議員が躍進するわけで、FNを阻もうとして社会党が自党候補を引っ込めた州では社会党は今回の選挙による議席はゼロということになる。

ブルゴーニュなんて、RepとPSとFNの得票率は事実上三分の一ずつである。
PSがまともに勝利したのは現役の防衛大臣が率いるブルターニュだけだ(何しろ「戦争」中だし」)。

この様子を見ると、2年後の大統領選にはまだ「FNのガラスの天井」というのが機能しても、7年後にはRepやPSの側によほどの改革がないとFN大統領が生まれてもおかしくはない。

唯一の救いは、RepやPSが改革する速度や効率よりもFNが「普通の保守派」に舵を切ることの可能性の方が大きいことだ。

もちろんRepやPSは、FNを共和国の敵、極右ファシスト、とレッテル付けする努力を惜しまないのだけれど、マリーヌ・ル・ペンは父親の極右政策からすでに大きく「共和国」派でゴーリスト(ドゴール派)だという方向に看板を塗り替えていて、父親とけんかし、罵りあって互いに親子の縁を切ったりしている。マリーヌによるその「脱極右キャンペーン」がある程度成功しているからこそ得票率が増えているのだ。

今、創立者ジャン=マリー・ル・ペンの流れで超保守派を率いるのはわずか26歳の孫娘マリオンだ。
若くて金髪で綺麗なマリオン、普通ならその外見も敵の攻撃の俎上にのせられそうだけれど、開票後の会見を見ても、堂々とポピュリズムに応え、若さや外見もしっかり武器にして何のコンプレックスもない。知性があるかどうかは別としてアジテーターとしての才能があるのは確かだ。
このマリオンはカトリックの保守団体にも覚えがよくて、そういうイメージを払拭しようとしている叔母のマリーヌをいらいらさせている。

まあマリーヌであれマリオンであれ「ル・ペ」ンの名を掲げている限り、創立者の金や地盤や権益から離れられないのは当然だが、今回アルザスで敗退したフロリアン・フィリィポなどはFNの新しいタイプである。

この人はいわゆる共和国的な環境(両親が公立校学校教師)で地方の出だが、超優秀な学歴を持つ。知性によって道を切り開いたタイプだ。30代前半と若い。
この人は最近メディアでFNの代弁者としてディベートに参加していたが、言っていることはともかくとして、たいていのPSやRep側の参加者よりもはるかに頭がよいのが見てとれた。というか相手の頭の悪さ、整合性のなさを目立たせた。

JM・ル・ペンの頃のFNには絶対に合流しないタイプで、この人を取り込めたのはマリーヌの戦略の成果だろう。ただ、見た目がなんとなく、私の偏見の中でのすごく人種差別主義者っぽいFNという雰囲気なので警戒心をそそられていたけれど、実際は、いわゆる内向きの超保守という人ではない。

第一ゲイであることをカミングアウトしている。
離婚を繰り返しているマリーヌもカトリック教条主義者(最初の離婚前に三人の子を教条主義教会で洗礼を受けさせているが)とは近づけないわけで、二人共いわゆる「中絶反対」「同性婚反対」タイプのグループとのフュージョンはない。

フィリィポがFNに合流した最大の論点は経済政策とEUの問題で、それを別にすると、いわゆる「人種差別、マイノリティ差別の極右」というレッテルからは外れている。
だからPSやRepがいつまでもJM・ル・ペンを攻撃していた頃と同じ攻撃の仕方を続けていると、だんだん現実と乖離してくる。フィリィポのような人材をまともに組み入れることができるほどの見識が他の党にあればいいのにと思うほどだ。

まあFNがもっと進出するリスクのある2022年の大統領選の頃は、党の名前も変えてフィリィポのような若手がリーダーになって事実上の「共和国主義」政党になっている可能性はあるわけで、そんなことに希望を託さざるを得ない今の状況がかなしい。

頭がよさそうでかつ誠実であるという印象を与えるのに成功しているのは北の地方で今回マリーヌを破ったRepのグザヴィエ・ベルトラン、若手のブルーノ・ル・メールなどで、今や「賢者」風なのはアラン・ジュッペ。

PSはCOP21の茶番劇や、協定成立に感涙を流してノーベル平和賞候補などといわれている外務大臣のファビウスも今さら見ていていらいらする。

パリのテロのおかげで、COP21という外交劇でフランス政府に恥をかかせる勇気は世界のどこにもなかったわけだけれど、大切な問題は何一つとして解決していない。

そういえば今回、独立派のナショナリストが勝利したのはコルシカだけど、コルシカって、歴史的経緯からして、今でも他の地方よりも大きな自治の権限が与えられているんだそうだ。

沖縄とはだいぶ違うなあ。
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by mariastella | 2015-12-15 01:17 | フランス

フランスのテロ、マルク・フェロ、そして私のやること

前に「有志連合の空爆はテロではない」、というのを書いた。

その後、今は消去されたようだが、あるフリージャーナリストがネット上で、すべてはアメリカの2003年のイラク侵攻から始まった、アメリカに無差別攻撃されて殺されたイラクの一般市民の怒りが自爆テロになったのだ、という意味の記事を書いていたので驚いた。

私は2003年の米英のイラク侵攻にずっと反対していた。

アメリカという国が銃など武器の携帯や使用のハードルが低いせいか、爆撃に慎重さがないのはフランス軍も驚いているという記事を書いたこともある。

「侵攻」へのハードルも「誤爆」のハードルも低い。

第二次大戦末期のフランスで、多くのフランス人がアメリカの空襲で命を落とした。町も大量に破壊された。早々と降伏して占領されて親ナチ政権を作ったからドイツ軍からはあまり被害を受けていない。
少なくともアメリカからの被害とは比較にならない。

最近ようやくタブーを破ってその実態を書いた本が出てきている。

まあ、なんと言っても、アメリカにつくことでド・ゴール将軍の自由フランスが連合国の一員として「戦勝国」の仲間入りできたのだし、破壊された都市の「復興」で大儲けをした人たちもたくさんいたから、「アメリカ軍の爆撃で殺されたから復讐する」という話はきいたことがない。まあ補償がいろいろな形でなされたこともあっただろう。

いや、私がここで言っておきたいのはそういうことではなく、

「2003年のアメリカ軍の無差別攻撃はテロと同じで、そのせいで絶望した弱者が聖戦にめざめた」
という単純な図式は、完全にテロリストサイドの図式であり、そんなものを日本のジャーナリストが繰り返してはいけないということだ。

前にも書いたけれど、パリなどの先進国で展開されているテロは、イスラム過激派という一種のカルト団体の洗脳に基づいてプログラムされたものだ。
これはこれできっちり、犯罪学やカルト対策専門家に対応してもらうべきものである。

人は絶望したからと言って必ずテロリストになるわけではない。テロに至るまでには絶望から怒り、怒りから報復という殺意へ導くプロセスが必ずあって、それを組織的に行っているのがISだということだ。
だから別に移民の子弟だとかゲットー化した場所に住む若者だけでなく普通の意味では絶望をする状況にない「代々のフランス人の若者」までがターゲットにされて取り込まれている。
これらを予防したり逆洗脳することが必要だ。

しかしそれよりもさらに深刻なのは、ネットで広く知られるようになったようにブレストのイマムが子供たちを集めて「音楽は悪魔のものでを聴くと豚になる」など堂々とフランス語で演説しているような状況だ。

もちろんISのテリトリー内ではもっとひどい。

ISは占領地域で多くの子供を拉致して兵士として洗脳している。
また、もっと遠大な計画のもとに、多くの女性を拉致したり勧誘したりして「兵士」たちと「結婚」させ、子供を産ませて、その子供を集めて教育している。
3歳の子が武器を持たされる。
小学生ほどの男の子たちが迷彩服を着せられ、訓練され、イスラム法を厳格に守らない不信心者は西洋人であれ、イスラム穏健派であれ、みな憎むべき、殺すべき対象だと教えているのだ。
その様子もビデオに撮って堂々と流している。

もちろんイスラム教系ではないカルト宗教でも、はじめは人生に悩む若者たちを励まし、救い、洗脳し、まあそれが金を貢がせるだけならまだましだけれど、無差別テロの実行にまで導くタイプのものがあることは日本も経験済みだ。

でも最も悪質なのは、子供を巻き込むことだ。
子供連れで「出家」させて親と引き離して純粋カルト脳に仕立てるなどである。
教育現場における思想統制や教育支配ほど、人間に特有な悪はないと思う。
そのようなカルトの摘発や規制が社会にとって最優先の課題であってもいい。

その意味でISのしていることはまさに人道に対する犯罪なのであり、それを「アメリカに力にまかせた無差別攻撃をされたから弱者が自暴自棄で復讐を誓い自爆テロリストになった」かのようなIS言葉で解説してはならない。

もう一つ、「2003年のイラク空爆がIS誕生の遠因」というような言説が間違っていることに関しては、アルジェリアの大学の教授をしていたこともある歴史家のマルク・フェロ(91歳!)が最新の本で解説している。
「イスラム過激派」の誕生は、少なくとも、1928年のイスラム同胞団の誕生にさかのぼらなければならないという。

ヨーロッパの近代は、キリスト教のヘゲモニーを倒すことで確立してきた。実は欧米的な平和主義も民主主義も普遍主義も平等主義も、野蛮で蒙昧で欲望全開の世界において『福音書』のメッセージがようやく発酵したという形で形成されてきたのだが、既成権力者、権威者、支配者としての「教会」はそれを体現していたわけではないから、王侯貴族と共に、民衆やブルジョワジーによって倒された。
歴史的に言って、その対象となったのはローマカトリック教会だ。

それでも奇跡的に生き延びたカトリック教会は、まあよく考えてみたら、革命家や共和国主義者たちが言ってることって、実は福音的なことじゃないのかと思い当たるわけで、
「そうだ、反省しよう」みたいな形で、
「自由、平等、同胞愛? それってキリスト教的だよ、ぼくらの伝統は伝統でやっていくけど、政教分離で十分共存できるよね」という道をたどった。

宗教が「近代化」したのだ。

そうなると、カトリックの聖職者などは終身だし、独身だし、普通の国の政治家たちのような選挙活動だの権益のための誘惑がない分、

「自由、平等、同胞愛(同胞というのはすべての人間が神の子という意味)っていうのは理念だけじゃなくて実践もできるよー」

と近代理念の優等生のような人も出てきた。

ヨーロッパの政治家が「神は最近になって近代理念に改宗した新参者で私たちには必要ない」と言ったのはそれを牽制したものだ。

で、欧米の「キリスト教由来の近代」史観を持っている人たちの目には、イスラム過激派というものが理解できなかった。
イスラム過激派というのは、「近代社会をイスラム化(イスラム法を厳格に適用)する」というのを目標としているからだ。
いわゆる欧米人がそれをいかに理解していなかったのかを示すのは、ホメイニ革命を見たときである。
イランのシャーが倒された。革命というと「王と宗教が民衆とブルジョワに倒される」という認識しかなかった彼らには、ホメイニが王を倒すために当時の共産勢力と手を組んだことなど全く理解できなかったのである。
ホメイニはイランのためにイスラムを掲げたのではなく、その反対だった。

マルク・フェロは15年前にモロッコの大学で講演した時の出来事を語る。
彼がアルジェリアで教えていた過去もあることですべて和気藹々と進み、夜は10人くらいとディナーになった。

イスラムのこと、イスラミズムのこと、イスラム同胞団のことなど、なんでも自由に話し合った。

フェロがふと気づいて、「ところであなた方の奥さんはどうしていっしょではないのですか」と訪ねると、場の空気が凍りついたという。

ひとりがある包みを持ってきて、フランスに戻ってから開いてくださいと言った。

それは『近代をイスラム化する』というタイトルの1997年発行の本だった。

キリスト教が近代化を余儀なくされたように国際社会で共存するために「イスラムを近代化する」というのではない。
もっともキリスト教はローマ法がすでに適用されていた世界で生まれ、「カエサルのものはカエサルに」という有名な言葉によってすでに「政教分離」のベースを持っていた。
イスラム教の方は、砂漠の部族社会の間に宗教共同体と同時に政治共同体がセットになって生まれたから、原理主義者たちが「政教分離」と逆の方に行くのは当然で、過激派は最初から「近代世界のイスラム化」という壮大なプランのもとに動いていたとフェロはいうのだ。

これはキリスト教文化圏の国でなくても日本人にとっても想像できない発想だ。日本だったら、たとえ極右ナショナリストだとか、神道復帰とか、欧米から押し付けられる普遍主義などやめて本来の古き良き日本の美徳に戻ろうとか、そういうことがあっても、いわば内向きで、「全世界を日本風にしよう」なんていうのは「過激派」の発想にはない。
日本に生まれた救世主が世界を救う、式のカルト宗教があっても、それはまた別物だ。

ともかくそういうイスラム過激派の発想を、ヨーロッパでは誰も直視せず認めようとはしなかった。
その路線ではすでにイスラム世界で1950年代から過激派によるテロが起こっていたという。
それなのにヨーロッパは、格差問題だとか移民差別の問題などに落とし込み、過去の植民地政策の罪悪感で正当化し、冷戦時代のご都合主義や石油利権への思惑を優先してきたのだ。

そのようなイスラム過激派が石油、武器、インターネットを駆使して地域実効支配にまで至った現実にどう対応するのかというのは、それにすでにとり込まれている子供たちや女性たちをどう救うのか、巧みな勧誘の魔手にさらされる青年たちをどう守るのか、といったことと別に考えなくてはいけない。
見ないふりをしていては、リスクが高まるばかりだ。ひとりひとりが目を開かなくてはならない。

では私が具体的に何をするかというと、やはり、ブレストのイマムが子供たちに音楽は悪魔から来ている、聴いただけで豚か猿になると言ったことに対抗して、とりあえず音楽による子供の教育を続け、公共の開放的な場所でコンサートをすることだ。

その1. ピアノやギターの生徒たちに音楽を通して分かち合える幸福を知ってもらう。

その2. 誰かを喜ばせたいというインセンティヴで家を出た子供たちが、森で出会う恐怖を分別することで恐れを克服するというデジタルの音楽童話を完成させる。(曲は18世紀フランス・バロック音楽のみを使っている。)

その3. 少し先の話だけれど、6/11にパリのフィルハーモニック音楽都市の広場で200人の弦楽コンサートにヴィオラで参加する。その後、フィルハーモニーの本舞台であるジル・アパップのコンサート(こちらは有料)のアンコール曲をジルやオーケストラといっしょに弾く。彼のサイトのモーツァルトのコンチェルトのカデンツァの動画を見ると幸福感が伝わってくる。
大人数だから譜面台など使わないので暗譜しなくてはいけないのが心配だけど。4曲分の楽譜をもらった。

音楽を弾圧するような宗教原理主義、コンサート会場を襲ったテロリストらへの、ひとまずの答えである。
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by mariastella | 2015-12-07 08:44 | フランス

フランステロとCOP21

今回のパりのテロは陰謀論者なら泣いて喜びそうなタイミングで起きた。

テロが2週間遅れだったらオランド大統領の悲願の国際会議COP21はキャンセル、延期、または世界の首脳の参加取りやめという形になっただろう。

でも2週間経過して内輪の追悼セレモニーも終り、アメリカやロシアにも行って根回しも終わったので、

これでCOP21に参加しなければテロに屈してフランスを支援しないということになるから各国首脳がちゃんとやってきてパリの豪華ホテルに泊まった。

1/11の表現の自由の共和国デモの時に、ワシントンにいながら駆けつけなかったオバマ大統領はそれを挽回するために前の日に来て、オランドといっしょにテロの舞台となったパリの劇場にわざわざ追悼に来て見せた。

非常事態宣言のおかげで、環境団体の大規模デモなどをすべて禁止したり、ちょっとした小競り合いでも多くの危険分子や邪魔者をあっさり逮捕して11/30の開会式の間、留置所に閉じ込めたり外出禁止の措置をとれた。

厳戒態勢のため交通規制があり、車の乗り入れが禁止され、空港につながる高速道路も閉鎖されたので、首脳たちのやって来る2日間、パリは排気ガスも少ない模範的エコロジー都市になった。

1月のシャルリーエブド銃撃の後の共和国デモでスタンドプレーして見せた政治家たちだが、今回は環境会議最高の数の首脳を集めて、しかもみんながまだパリのテロを忘れていないので一石二鳥の効果があった。

うーん、来週は地方選挙がある。

セキュリティを振り回す極右国民戦線が支持を集めて喜んでいる。

どいつもこいつも、という感じだ。
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by mariastella | 2015-12-02 00:08 | フランス

有志連合の空爆はテロではない

対IS戦争はトルコによるロシア機の撃墜によってますます混迷を見せている。エルドガンのトルコがNATOに参加しているところからして「共闘」が困難なのは目に見えていた。

それは別として、ひとことだけ書いておきたいのだけれど、日本語ネットで、

中東専門家が、パリの惨劇は米仏などのIS空爆が原因と説明しているとか、TVの報道番組で

「一方で有志連合のアメリカのロシアの、あるいは、ヨーロッパの一部、フランスも含まれますが誤爆によって無辜の民が殺される。結婚式の車列にドローンによって無人機から爆弾が投下されて、皆殺しの目に遭う。これも、反対側から見ると、テロですよね」

と発言した人が批判されているというのを見て、これに関してはこういう言い方をすべきではない、と思った。

ちなみに私はエスカレートする空爆には反対だし、特にあちこちであっさり誤爆するアメリカのやり方とか強面のロシアには危惧する。フランスは言論統制が限りなく少ないのでこの2国よりはましだけれど、「戦争だ」と息巻く今の姿は見ていられないと思っている。ましてや日本がどさくさに紛れて、さあいつでも戦時体制に入れるようにあれこれ準備を、などというのは論外だと考える。

それでもなお、有志連合の空爆はテロではないと言いたい。

それは「暴力」ではあるがテロではない。

「パリの惨劇は米仏などのIS空爆が原因」

などという言い方は完全にISのふりまわす論理なので、そんなものに乗っかってはいけない。

「どっちもどっちですよね」という、例の「一神教同士の覇権争い」、「報復のエスカレート」のような高みの見物の立場をとってはいけない。

日本人の判官びいきというのがある。

第二次大戦で日本をも無差別爆撃した連合軍の暴力があったことの記憶がてつだうせいか、

「有志連合」の強力部隊が激しい空爆をしているのに対して「自爆」を覚悟で数名で大国の首都に乗り込む若いテロリスト、

という一見非対称な戦いに見えるのかもしれない。

また、「イスラエルの戦」車に対抗して「素手で投石するパレスティナの青年たちのインティファーダ」という非対称のイメージもあるだろう。

軍人が敵軍施設に突っ込んだ特攻隊の「カミカゼ」がこちらで自爆テロの代名詞になっているので「弱い者が自己を犠牲にして強い者に向かう」という英雄のイメージもどこかに刷り込まれているかもしれない。

けれども、一応戦争法内での軍事行動の特攻隊と、フランス国籍を持つテロリストによるパリでの無差別テロはもちろんなんの関係もない。

このテロについて、多くの社会学者や政治学者が侃々諤々とコメントするせいで問題が見えなくなっているけれど、フランス国内のテロの実行犯については、少なからぬ犯罪学者が発しているコメントの方が当たっている。

プロファイリングも進んでいる。

このような形の都市型テロは、必ず「狂信」、「怒り」、「殺人衝動」の三段階を経たものだという。

「狂信」は必ずしも宗教とは関係がない。
あるセオリーを、無批判に絶対的に排他的に過激に信じて、社会生活が円滑に送れないステージにいたることである。
しかし「狂信」者が即テロリストになるわけではない。

ある宗教や宗教指導者を盲信しても、全財産を寄付して出家するとか寝食を忘れて祈りだけで暮らすとかいうだけではテロリストにならない。

しかし「過激さ」があるレベルを超えたところで、それを他者や他宗教や他民族などに対する怒りに誘導され、その怒りのはけ口、また「解決法」として他の人間の命を奪うという決定に至った者がテロリストになる。

都市型の無差別殺人の多くはそういう経緯をたどっているので、それをどのレベルでどのようにチェックし食い止めるのかが防止法になる、と犯罪学者たちは言う。

もちろんフランスではこのプロセスがムスリム共同体の実態と深く結びついているのは事実だ。
といっても、2,400あるモスクの中で、共和国理念と両立しない宗教原理主義を説くイマムのいるところは100ヶ所くらいしかないそうだ。しかし3分の2のモスクは、軽犯罪やドラッグ売買や武器流通が横行する非行青年たちの共同体の隠れ蓑になっていて、ISがリクルートするのはそういう場所なのだ。

彼らに対して、よく考え抜かれた「狂信」「怒り」「殺人の正当化」のメソードが適用されて、「選ばれた者」がISで「訓練」されてから国に戻って任務を遂行する。

移民の子孫でないいわゆる「普通のフランス人」も「狂信者」とのコンタクトによってテロリスト側の世界に踏み込んでしまう。

「西洋諸国の独善によるIS空爆というテロに対抗するジハード」という正当化はその時にまず与えられるお題目だ。

しかしイラクやシリアのIS占拠地区で住民に対して暴虐の限りを尽くしているのはISであって、英米ではない。

無数のキリスト教徒や他のマイノリティが殺され、奴隷化され、追われている。ISはそれを公開して誇り、恐怖と共に一部の人間に倒錯的な求心力を及ぼしてさえいる。

「普通のムスリム」たちも、音楽やスポーツまで奪われ、処刑され、恐怖政治のもとにある。だからこそ何十万人もの難民がヨーロッパに逃げてきているのだ。

私は英米が2003年にイラクに軍事介入したことをはじめとしてフランスのアフリカへの軍事介入の仕方にも異を唱えてきた。

解決策は別にあるはずだと実際に模索もしている。

それでもなお、「空爆もテロだからどっちもどっちだよね」的な「ISの思うつぼ」的な言辞をメディアなどが軽々しく口にすることは戒めるべきだと考える。

弱者の正当防衛による必死の抵抗と、ISテロリストの占拠地でのテロや国外での無差別テロを混同してはいけない。

ISの占拠地では弱者やISに従わないものは毎日のように問答無用に殺されているのだ。

幸い直接の身の危険を感じずに済む安全地帯にいる人は、考えて、考えて、考え抜かなくてはいけない。
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by mariastella | 2015-11-26 00:10 | フランス

パリのテロと十字軍、パリ支援のロゴのことなど。

(これは昨日の記事の続きです。)

1096年、フランス人教皇のウルバヌス二世が「神がそれを望む!」と煽って、何千人もの庶民巡礼者が638年以来イスラム教徒の支配下にあった「聖地」に向かい、「十字軍の騎士」がそれに続いたのは史実だ。

イスラム教が登場するまでの「中近東」地帯はキリスト教徒がマジョリティだった。

十字軍は「聖地奪還」してエルサレム国などのキリスト教国を打ち立てた。

しかし、1187年にイスラムの英雄サラディンがジハードを宣言してエルサレムを再び奪還した。

この前後の経緯については政治や宗教以上に、社会的にも経済的にも複雑な背景があるのだけれど、その後、数世紀経っても、キリスト教側もイスラム側も、単純な「戦争頭」は、この十字軍やらジハードの「聖戦」とか「正義の戦争」を都合のいいように刷り込んできた。

1990年にクウェートを救うと言ってイラクに侵攻したブッシュ(父)も「正義の戦争」と言ったし、ブッシュ(息子)の十字軍失言も有名だが、イスラム側もナセルからカダフィー、サダム・フセインまで、人気とりを意識して自らとサラディンを重ね合わせてきた。

最悪なのは、この、

「自分たちのテリトリーである中東に勝手に«エルサレム王国»をたてられたけれど、絶対に認めない、いつかは奪還して見せる」

というサラディンの成功体験のレトリックが現在進行形でイスラエルに向けられていることだ。

つまりもうキリスト教もユダヤ教も関係がない。

宗教が「他者への憎悪」「他者の排除」の口実に使われ、単純化された「十字軍」のような分かりやすいシンボルが横行するだけだ。

それを効果的にするためにイスラム過激派は「自由主義諸国=キリスト教国」とレッテル貼りをしているけれど、フランスはキリスト教文化圏の国でも群を抜いて政教分離で無神論、反教権主義がイデオロギーになったり知的担保になっている国なのだから皮肉だ。

シャルリー・エブド襲撃テロの後に有名になった『JE SUIS CHARLIE(私はシャルリー)』というロゴはフランス人の作ったものだけれど、今回出回ったのは同じ黒地の配色の『PRAY FOR PARIS(パリのために祈って)』というものは、アメリカ発だそうだ。

危機に当たって宗教的コノテーションがあるフレーズが出てくるのはアメリカらしい。9・11の後のNYに「なぜ神はこのテロを許したのか?」というチラシがNYの街角で配られていたのを思い出す。

ロンドン在住のフランス人イラストレーターのジャン・ジュリアンのデザインしたロゴも出回った。

これは核廃絶のシンボルでヒッピー運動以来peace and loveとして使われてきたロゴ

にエッフェル塔を組み合わせたものだという。

これを見て、あら、不思議、下に十字架が現れた、と思う人がいるとかいないとか・・・

私のもう一つのブログにがんばれマークをつけてくださった方、ありがとうございます。なんだかすごく力づけられました。)
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by mariastella | 2015-11-20 02:08 | フランス

人間の兄弟、ジハードと十字軍

30年以上愛読しているカトリック週刊誌が普段より一日早く同時多発テロ特集で発売された。

聖職者とか修道会が作っているものではなくリベラル・カトリックのジャーナリストが出している伝統ある雑誌だ。

表紙がパリの町を闊歩する兵士たちの写真で大きく「La France en GUERRE(戦争)」と書いてある。

軽々しく戦争という言葉と画像を使うことに少し失望した。

どのメディアも同じ路線だが、少し変わった書き方をするかと思ったのだ。
巻頭の言葉にも気になるものがあった。

野蛮な無差別テロに悲憤を表明するのはいい。
イスラム過激派とムスリム、過激派と宗教、外国人とテロリスト、宗教と暴力を混同するなというのもいい。

でもその後に、

「イスラム過激派はイスラムにとって死に至る病で我々の時代の最大の禍だ、(といっても)それは我々同じ人間の兄弟であるムスリムを糾弾するものではない」

とあったのが気になった。

信教や文化の別にかかわらず人間はみな兄弟だというのは分かる。

でも言い換えると、無差別テロという非人間的な蛮行をするテロリストは我々と同じ人間ではなく、兄弟ではない、という風に聞こえる。

蛮行が非人間的だからと言ってそれをした人が「人間ではない」と思ってしまうのは危険な気がする。

もちろん正当防衛の本能というのは分かる。
だから、たとえ悪意のない人(例えば薬や精神の病で幻覚にとらわれて関係のない他者を攻撃するなど)に襲われた時に、自分や被害者の身を守るためにとっさに相手を倒してしまう、というようなことだってあるかもしれない。
ましてや悪意、害意を持ってテロを遂行する相手にその場で刃向かうというのは自然なリアクションだろう。

でもそれは、その行為に対して、攻撃に対しての抵抗であって、相手が「人間ではない」から殲滅してもいいという意識が少しでもあるとしたら怖い。

「新大陸」を発見したヨーロッパ人が、「野蛮なこと」をしている先住民を見て彼らは人間じゃないとか魂がないとか言って虐殺したのを思い出してしまう。

ポスト・ファシズムの今の時代、すでに2006年にフレデリック・グロという哲学者が21世紀の暴力状態にもう戦争という言葉を使うのをやめようと提案したことがあった

戦争という言葉は「西洋世界」が定義した

「名誉、勇気、犠牲などの倫理を前提に政治的な目的を持ち法的枠内で行使される公で正当な(!)武力闘争」

のことだったそうで、今はもうそれは通用しないというのだ。

テロリストの攻撃も、恐怖により疑心暗鬼を煽り内戦を誘導したりカオスを作り出すのが目的だ。

でも、攻撃された国が「すわ、戦争」という時は、昔の定義通り、「正当な戦争」と言いたいのだろう。

すべての「戦争」は「防衛戦争」だというのはこの定義に合っている。

そして、「征伐された側」は、正当でもなく、ひょっとして「人間の兄弟」としてさえ認めてもらっていないのかもしれない。

そういう違和感は別として、この特集には興味深い記事がいろいろあった。

ジハードと十字軍の関係もその一つだ。

11世紀に起こった十字軍などアナクロニックな話だが、9・11の後のブッシュ大統領も口にしたほど、「教養のない人」の頭に安易に浮かぶ言葉である。

今回のテロの犯行声明でISは三度も十字軍に言及した。

パリはヨーロッパで十字軍の旗を掲げる首都であり、犠牲者は十字軍兵士であり、ISは十字軍の先頭に立ったフランスを罰したのだ、というレトリックである。(続く)
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by mariastella | 2015-11-19 01:54 | フランス

黙祷はソルボンヌ

誤解をされた方がいらっしゃったかもしれませんが、日曜のノートルダムの追悼ミサは別に「国葬」扱いではなく、カトリック教会の主導です。もちろんシンボリックには大きな扱いでしたが。

今回のテロは「冒聖の自由」とは関係がなかったから、あちこちのモスクでも、シナゴグでもそれぞれ追悼をやっていましたし、月曜正午の1分間の黙祷もいろいろな場所であったようです。

私は前の時も書きましたが、決まった時間に集まっていっせいに黙祷とかいう集団行動が嫌いなので(もしい合わせてしまったらもちろん他の人へのリスペクトのためにみなと同じようにしますが)、パリ市内ですが全然関係ない場所にいたので黙祷を目撃しませんでした。

オランド大統領がソルボンヌを黙祷の場所に選んだのは悪くなかったと思います。

学生や教師の中に犠牲者がいたこともありますが、外国人も多く自由を謳歌している若者たちのいる多様性満載な場所は、宗教や国籍や性的傾向などと関係なく音楽を楽しみにやってきた場所でテロにあった若者たちを追悼するにふさわしい感じがしました。

メディアは犠牲者のプロフィールをいろいろ流していますが、犠牲者を「数字」でなく個人として紹介することで多くの人の感傷を煽っているのが実情なのでそういうのは見ないことにしています。
天災の犠牲者と違って、そういうのを流せば流すほど、「想定テロリスト」(これは実行犯が死んでいるので若いアラブ系ムスリムとか実行犯と姓や名前や出身地が同じ人たちやシリア難民など)への偏見や憎悪などが養われ、報復空爆を無条件正当化する感じがします。

変な話、私は、自分や自分の家族が巻き込まれたら、とにかく目立たないようそっとしておいてほしいタイプです。

テロの次の日に超特急TGVの試運転で脱線事故があり、試乗していた子供たちを含めかなりの死者も出ました。

テロ特集の陰でほとんど詳しい報道がなく、犠牲者の家族はそれをどう受け止めたか知りませんが、これが「平時」であったならさぞや大騒ぎして繰り返し犠牲者の個人情報が垂れ流されていたことだろう、と複雑な気持ちになりました。

活字メディアの中には読み応えのある記事も少しあり、いろいろ気づかされましたがそれはまた別の場所に反映させます。

TVでは、ある座談会の終わりに、今の情況でオプティミズムとペシミズムをどう見るかと問われた時に、シャルリー・エブドの編集長を長く務めたフィリップ・ヴァルが「卑怯者(下司野郎)には悲観的だが、ただのバカには楽観的だ」、と答え、もう一人が「理性には悲観的だが意欲(意志)には楽観的だ」と答えていたのが印象的でした。

次のテロが予告されているとのこと、フランスの他の都市やワシントンやローマのことも心配ですがやることがたくさんあるので救われます。
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by mariastella | 2015-11-18 01:16 | フランス

大司教の話と大統領の話

11/15の日曜夕方、ノートルダム大聖堂で、テロ犠牲者の追悼ミサがあった。

弔鐘は6h15だった。

聖堂内は満席だけれど、入場制限があったのだろう、立っている人はひとりもいない。

でも聖堂前の広場は一般の人たちでいっぱいになっていた。もちろん囲われていて警備はされている。

ジスカール・デスタン元大統領やフランソワ・フィヨン元首相などが参列しているだけではなくちゃんと並んで聖体拝領をしている姿がテレビで映っていた。

さて、パリ大司教のディスクールだけれど、キリスト教とかカトリックとかいう言葉でなく「共和国の価値観」を強調していた(共和国の価値観の基礎がキリスト教普遍主義にあることはフランスのカトリック教会にとっては自明である)。

そして、破壊の力に対して信念と落ち着きを持って戦うことを呼びかけた。

我々(共和国理念を共有する人)の生き方の何がいったい蛮行を挑発するのか? との自問もあった。

「自由」だろうか。「自由」がイスラム過激派を怒らせるのだろうか。しかし我々はその共和国価値観のもとで実はどのように暮らしているのだろうか ? (これは、今の自由主義国が自由放縦、弱肉強食で本来自由と並ぶべき平等や兄弟愛という部分を忘れているのではないだろうかという警告 かも?)

フランスが特に狙われるのは、イラクやシリアへの空爆もあるけれど、そもそもフランスの政教分離の徹底と個人主義がISの気に入らないのだという記事も外国のメディアに現われている。

アングロサクソン国などは一応「神の加護」を政治家も公に口にするけれど、フランスは絶対にしない。

終末の夜、みんなが楽しそうにカフェやレストランのテラスに繰り出してワインを飲み、タバコを吸い、歌ったり踊ったりするパリ。サッカースタジアムが満杯になるフランス。
イスラム過激派が音楽もサッカーも禁止するということは2014年のカンヌ映画祭で話題だったモリタリア映画『トンブクトゥー』の場面でも有名になった。

そして、フランスには「神を信じない自由」がある。これが一番のリスクだというのだ。

いや自由主義諸国(民主主義国とは言わない。選挙さえあればイスラム民主国と称するものもある)ならどこの国でも信教の自由はあるし、「日本人は無宗教」などともよく言われる。
けれども、日本人の無宗教と呼ばれるものは「無関心」がほとんどで、「神仏を信じていないから初詣にはいかない、お宮参りをしない、葬式に坊さんを呼ばない」、などという「信念」を表明する人などいるとしたら超少数で、「イデオロギー」として成立するわけではない。

フランスはイデオロギーとしての無神論が成立した国で、それも血を流して試行錯誤の末に到達した境地だったから、カリカチュアや冒聖、冒瀆も「自由のシンボル」としての歴史があるわけだ。

しかし、この「自由」の名の下での人生の謳歌の仕方が、一部の若者にとって「暴力」を「理想」に変化させてしまう何かを誘発しているのだろうか。

コンサートホールの犠牲者の国籍は19ヵ国に渡りそのほとんどは30歳以下の若者だったと言う。

そして、フランスで、イスラム過激派に洗脳された若者の3分の2は15歳から25歳なのだという。

この断絶のもとを共和国の学校教育にさかのぼって考えなくてはならない。

先ほど大統領がヴェルサイユで演説したのを中継で聞いた。

時代に合わなくなった憲法の改正のことも言っていて(フランスは時々憲法改正している)、日本のことを考えざるを得なかった。同じことを言っても誰がどこで言うかによって受け止められ方も実際も大きく変わる。

もうシリアでの報復空爆を開始して成功したとか勇ましいことを言っていた。

今度の状態を「戦争」と言い切るのはISを国として扱うことにならないかという懸念の声もあるのだけれど、緊急事態宣言を3ヵ月に設定して、すでにブラックリストには載っているけれど通常では手が出せないあちこちの強制捜査、家宅捜索、危険人物の召喚、尋問などをすごい勢いで進めている、と聞けば、チキンな一市民としてはそっちの方はがんばってくれと言いたくなる。

でもシリアからの指令を受けてヨーロッパテロを計画遂行する中枢部はベルギーにあるそうで、もともとベルギーのユダヤ施設でテロがあってフランスに逃げてきたり、1月のフランステロに続いてすぐにベルギーでも騒ぎが起こったり、8月、アムステルダムからパリに向かうTGV国際列車のテロリストはブラッセルから乗車したり、今回も実行犯がベルギーに逃亡している(というか戻っている)。

テレビでベルギー人はもともと「国家」嫌いなので緊急事態態勢がとりにくいと言っていた。はじめて耳にする表現だったけれど何となく納得する。

しかし私はこういう時に大統領だの首相だのが発するimpitoyableな報復、戦い、という形容詞が嫌いだ。

「容赦しない」という意味で、おいおい、それはテロリストが使っているのと同じ語彙だろう、と思う。

でもこれが連発されるということはこの言葉を待っているあるいは要求している多くの人々がいるからなのだろう。

大統領なら絶対に使うけれど大司教なら絶対に使わない言葉で、カトリック教会は少なくとも十字軍だの異端審問だのという負の歴史から学んだ経験資産を生かさなければならないという自覚があるということだ。

先日のミケランジェロの祈りの記事
ではないが、「主よ、容赦ない暴力の行使なしに正義と平和を実現することを望むというお恵みを私にお与えください」と祈ることが正解なのかもしれない。
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by mariastella | 2015-11-17 02:24 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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