L'art de croire             竹下節子ブログ

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パリのテロ事件について  その7

この件について休止しようと思っていたのに、掲示板でも微妙に警戒心をそそられることを言われたし、あちこちから日本での論調についての意見を聞かれたりもしているのでもう少しあれこれ書いてみる。

他の国がらみのニュースで興味をひかれたのは、ロシアの風刺新聞『Novyi Krokodil』誌(そんなのロシアにもあったんだ)が、シャルリー・エブドに連帯して1920-50年代のソ連のアンチ宗教(ロシア正教)プロパガンダを再掲載する特集を予告したそうだ。 これは1932年のもの。

これらのカリカチュアと共に大規模な迫害があって、多くの聖職者や信者が犠牲になったそうだ。

これってどういうことだろう。
宗教を迫害する体制側がカリカチュアを使ってアンチ宗教の空気をつくっていたということだと理解できるが、何となく真意が分からない。カリカチュアが独裁体制の側に利用されることもあると言いたいのだろうか…

中学3年のピアノの生徒が、パリから乗ったメトロで高校生くらいの若者が3人、テロリストの話をしていて「よくやった」「自分もできたら手伝いたかった」などと言っているのを聞いて怖かったと言っていた。
単なる挑発なのか、過激化する予備軍なのか分からない。

これは公立の話だが、中学や高校で黙祷の時にそれを拒否した生徒もチェックされたという。これは国歌を歌わないとかいう話ではないから、「黙祷しない」というのは黙祷の時にイスラム過激派のスローガンだのを敢えて叫んだりしたということらしい。教師がそれを書きとめて教育委員会に提出して、それがただの「反抗」なのか、過激派グループと関係があるのか、あるいは指導が必要なのかを検討して当局に知らせるたというニュースもあった。

私の生徒はカトリックの中高一貫校に通っているのだが、クラスにはユダヤ人もムスリムもアジア人もいる。市民教育の時間に、「メジャーなジハードとは完成に向かう内的な戦いのことで、マイナーなジハードがイスラムの教えを布教するということなのだ」などと教えられたという。

その生徒の8歳の弟もカトリック系の小学校に行っていて、そこにもいろいろな家庭の子供がいるのだけれど、ムスリムであるアラブ系の子供に向かって別の子供が

「あんたたちみたいな人のせいで人が殺されたんだ」

と言ったそうで、それを先生が耳にしたかどうかは知らないが、弟くんが母親にそれを告げて、「ひどいことを言うんだよ」とショックを受けていたという。

8歳の子供が差別的言辞を吐くというのは今回の事件の報道を見ていた周りの大人がそう言ったのだろうから重大だ。

フランスが今のような混乱に至った理由はいろいろあるが、一番の問題は2007年のサルコジ政権以来推し進められて、2012年からの社会党政権にまできっちり引き継がれて拡大してきたコミュノタリスム(コミュ二タリアニズム)だ。

2007年までは何とか続いていたゴーリズムや共和国主義の原則が、どんどん崩れてアメリカ化していった。

新自由主義経済の下で国家が「企業」化して、収支決算や利益率、経営状態などで「査定」されるような存在になったからだ。

国家も「企業」化したが、実効支配しているのはマネーでありそれも実体のない金融マネー支配となり、国家はマルチナショナルの大企業に追随するようになってしまった。

で、フランスのコミュノタリスムが進んだ。

「多様化」「異種共生」の名のもとに「棲み分け」が広がったのだ。

それまではヨーロッパの中ほどに位置してゲルマンとケルトとラテンがまざって多様なルーツの者が共通の社会を築いていたのに、旧植民地からの移民をはじめとしたゲットー化が進行した。

日本では今回のテロに関して、時として、「白人の価値観を押し付けられ差別されるイスラム系移民が過激化した」ような言われ方もされているが、ことはもっと複雑だ。

日本でのヘイトスピーチや差別の対象になるのは主として、やはり過去に一部や全部を植民地化された国だが、もともと日本文化は多くをそれら大陸や半島の国経由のものをルーツにしているから親和性がある。
そして、何より、見ただけでは区別がつかない同じ東アジア系の姿だ。それなのに彼らの二世や三世が日本人と同じように生きていても差別の対象になることがある。

それに対して、同じように例えばフランスにとって「見た目」も変わらず文化もルーツを共有し親和性のあるイタリア(大戦の敵国であった歴史もある)からの大量の移民はフランスの共和国主義の下で完全に共和国市民になってきた。イヴ・モンタンを「イタリア系フランス人」などという者はいない。
イザベル・アジャーニがドイツ人とアルジェリア人の親を持つからフランス人でないという者もいない。

フランスは「何々系フランス人」と言う呼び方を公的な場で使わなかった。

ここにある意味で盲点がある。

「何々系」とか出身国によって区別せず、肌の色によっても区別しないという原則は確固としているのに、「宗教別」のカテゴリー分けは禁止していないからだ。なぜかというと、政教分離のライシテが徹底しているせいで、公の部分では宗教そのものがスルーされてきたからである。それは長い間葛藤を繰り返したカトリック教会との折り合いでもあった。

そこにムスリムが大量に移民してきた時も、最初の世代は「共和国市民」としての恩恵を受けることの方が多かった。

それが今のような険悪な状態になったのは、冷戦の間に西側諸国とアラブ系独裁国や軍事政権が利害を共にして結びつき、冷戦後にそれが崩れたこと、石油産出国などがイスラム原理主義者に資金を提供したことなどがある。

ゲットー化した郊外の移民が密集する地域では、そのようなイスラム国から派遣されてくるイマムが実際に原理主義的な流れを作った。もちろん原理主義がテロリストになるわけではないのだが、フランスの将来のテロリストたちの温床となったのがそのような環境であることも事実である。

ところがフランスは出生地主義で二重国籍もOKだから、移民の二世三世が有権者となるので、政治家たちは票を集めるためにコミュノタリスムをますます容認するようになった。

公立小学校でムスリムの子供のために別のメニューを提供したり公営プールで女性専用の時間を作ったりし始めたのだ。

これが一般化し始めたころのこんなエピソードを思い出す。

ピアノの発表会の後の立食パーティの時だ。
11歳の生徒の一人の友達(どちらも女の子)がいた。
いろいろあった料理のうち、パスタがあり、その女の子を連れてきた女性(発表会で弾いた子供の母親)が私のところに来て、そのパスタに豚肉は入っていないかどうかを聞いたのだ。
その子はムスリムだから豚は食べられないと言って。
私は「知り合いのレストランからおまかせで取り寄せたものなので細かいことは分からない。気になるなら他のものを食べれば」と答えた。

するとすぐ後にまた別の大人が、その子を連れて来て「この子は豚を食べないのであのパスタに豚があるかどうかきいているんだけれど」と私にたずねてきた。

「私には何も保証できない。ケーキを食べれば ? ケーキには豚がないよ」と私は答えたが、非常に嫌な気分になった。

私はその子を招待したわけではない。他の誰からも会費をとっていない。30人近くいろいろな人がいたが、別に満腹させるために招待したわけではない。もちろん飲むことも食べることも強制していないのだから、食べたくない人はおしゃべりしているだけでもいいし、帰ってもいいのだ。

でも、その女の子がしつこく聞いてきたのは、親から豚を食べるなと言われていたからかもしれないが、そもそも、こういう場所でこういう時にはそんなことをいちいち聞くものではない、とその子を連れてきた大人(普通のフランス人)が言ってもよかったと思う。

30人もいれば、好き嫌いもあればアレルギーもおなかの具合もあるだろう。
誰も主催者の私にいちいち自分の個人的な事情を告げにくることはない。

その女の子は明らかに、自分の「違い」をアピールしていた。

それがその頃のムスリム家庭の傾向になっていたのだ。

それでも、「普通のフランス人」はみんなその子にやさしく、自然に甘やかしていた。

フランス人はもともと消費の場ではクレームもつけるし自己主張もするので、「共同体主義」の「違い」アピールがもつイデオロギー性に気がつかなかったのだ。

それに旧植民地に対しては過去の植民地主義を責められてきたせいで自虐的にもなっている。

イタリアやスペインやポーランドなどの移民を特別扱いせずあっさりとフランス人にしてきたフランスが、20世紀のおわり頃から「違い」を主張するコミュニティの前でどうしていいか分からなくなってきた時代に突入したのだ。

そこに新自由主義経済の発展による格差の広がりが加わり、公教育が崩壊し始めた。

そんなことが積み重なって社会不安が高まっているところに、アフリカや中東でのテロリスト集団の勢力拡大、それにともなってフランスが今や実際にアフガニスタン、マリ、イラクに軍隊を出しているのだから、その「テロリストとの戦争」がフランス国内でも始まるのは当然でもあった。

「西洋の価値を押しつけられた異文化のグループが差別されて反撃している」という単純な構図とは、少し違う。
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by mariastella | 2015-01-14 10:27 | フランス

パリのテロ事件について  その6

日曜のフランス全土で500ヶ所4百万人とも言われるデモ行進が終わった夜、ラジオ・フランスのホールで特別スペクタクルがあったのが公営放送で中継されたのを視聴してしまった。

大規模行進の終わりはたいていチンピラが店のウィンドウを壊すなどの悪い終わり方をするのがこの国の常なのだけれど、昨日はさすがに群衆の「正義オーラ」に気おされたのか、すべて平和裏に収束した。

で、夜の特別スペクタクルの方は、準備に24時間しかなかったというのに、フランスらしさが全開だった。

司会のナギはフランスで一番人気の司会者だけれどこの日自分で言ったようにエジプト生まれ(父がエジプト‐ギリシャ人、母がフランス‐イタリア人)で、フランス型の多様性にぴったりだ。

なにしろシャルリー・エブドの追悼だから、お笑い芸人たちがたっぷり毒のある風刺を繰り広げるし、カリカチュア作家たちもその場で何枚もデッサンを描いてはその都度披露された。

公序良俗に反する言葉や絵が全開で、政治的公正なんてまったくなし。

平常時ならカットされたり自粛するようなフレーズが自由に飛び交ったりする。

なかなか不思議な光景だ

。普通なら、こういう「非常時」で追悼番組だからこそ、みんなが偽善的に神妙にしてもいいのだけれど逆なのだから。

歌や音楽もたくさんあってユダヤ人の人気歌手パトリック・ブリュエルも歌ったし、シャルリーのために特別に創られた曲もある。ミッシェル・ルグランのピアノでナタリー・ドゥセがデュエットした。

カトリックの司祭に扮したコメディアンが金の計算ばかり言って

「それで、いったい神はどうなってるんだい」

と聞かれ

「え、それって何?」

と答える落ちもあった。

多くのギャグの中で面白いと思ったのは、この数日あらゆるところでお題目のように

「イスラムとテロリストのアマルガムをしてはいけない(混同してはいけない、同一視してはいけない)」

と唱えられているのを揶揄して

「イスラムとテロリストのアマルガムをしてはならない、ぼくはテロリストを知っているがムスリムでないやつがたくさんいるよ」

というものだ。

もちろん本来は「テロリストでないムスリム」というべきところである。

昼間の政治家の行進のことも「シャルリー」が残した最大のカリカチュアだと評されていた。

アフガニスタンの作家は、自分はジャン・バルジャンのフランス、ヴォルテールのフランスに憧れてやってきたが、そのフランスに今日はじめて出会うことができた、と言っていた。

「あなたはムスリムですか」と聞かれて

「私は私の宗教です。

自分の弱さを認識していることで仏教徒であり、

自分の弱さを告白することでカトリックであり、

自分の弱さを恐れることでムスリムであり、

自分の弱さを歯牙にもかけないことでユダヤ教徒です」

と答えていたのも楽しい。

深刻だったのは、イラクなどでレポーターをしている女性ジャーナリストがその場を借りて、「イスラム国」が4000人の女性を誘拐して性奴隷化してジハディストに提供していること、世界中からやってくる若者たちの中には、それが目当ての者もいるのだということを訴えたことだ。

なるほど。

彼らはウェブ上の勇ましい戦闘シーンなどを見て鼓舞されているのかと思っていたが、表には出なくても、「あそこに行けば…」という情報が浸透しているということらしい。

9・11の後の呆然と自粛と報復の雰囲気と違って、フランスではこういう時に表現者たちの存在感が増すところが頼もしい。

ゴールデン・グローブ賞の授賞式でジョージ・クルーニー(アイルランド系カトリックで、レバノン出身のアラブ系イギリス人と最近結婚した)が最後にフランス語で「私はシャルリー」と言ったし、シンプソンのアニメで赤ん坊も「私はシャルリー」のフランス語の旗を掲げていた。
2003年のブッシュ大統領のイラク侵攻の時に、シラク大統領が真っ向から反対した時、セザール賞の授賞式でマイケル・ムーアがフランスを称賛したことも思い出す。

アーティストたちは基本的に「表現の自由」の風の吹くところでしか生きていけない。

それに対してオバマ大統領はその日これといった予定がなくてワシントンにいたのにパリに駆けつけなかったことでいろいろ批判されているようだ。

オバマ大統領が出席したなら日本の首相も行っていたのだろうか。だとしたらますますカリカチュアだ。

今回「私はシャルリー」たちの発する提案の中で一番過激だと思ったものは、

フランスに「冒涜の権利」法を成立させて、その条文をすべての宗教の聖所の扉に張り付けておく、

というものだ。

誰かにとっての「聖なるもの」を他人に強制してはならないからだ、と言う。

「聖なるもの」を崇めることを他者に強制するのは明らかに間違っていると思うが、それがすなわち「冒涜を許可する」のにつながるというのには少し違和感を覚えた。

だれかにとっての「聖なるもの」はリスペクトされるべきではないかと思ったからだ。

たとえば、ある人ににとって「聖なるもの」である母親を「お前のかあちゃん***」というような言葉で侮辱されたら、それだけで報復されるケースがある。
2006年のワールドカップの決勝戦で相手チームの選手からこの種の侮辱言辞を吐かれたジダン選手が相手に頭突きをして退場させられたことを思い出す。

人それぞれ「マイ聖域」や「マイ聖なるもの」があってそれが表明されている場合や、親や家族や祖国や宗教のように「聖なるもの」かもしれないと想像できるものについては、それが他者にも強制されているわけでない場合は敢えて嘲笑したり侮辱したりしてはいけないのでは… ? と単純に思った。

しかし『ル・ポワン誌』でサルマン・ラシュディ(『悪魔の詩』でホメイニから死刑宣告を受けた)のコメントを読んで納得した。

風刺の芸はいつの世も自由の側に立ち、暴君や不正直や愚行に対抗してきた、
『宗教をリスペクトする』ということは今日『宗教を恐れる』ということと同義になっている。
我々はある思想を批判するように宗教を批判しなくてはならない、
身の危険を感じることなく揶揄したりリスペクトを欠いたりできなくてはならない

こう言われると分かる。

時代の文脈の中で、ある宗教を批判すると仕返しに何をされるか分からないという原理主義、全体主義がまかり通るシーンでは、「報復を恐れる」故の自粛や沈黙という状況が発生し得る。

リスペクトが恐れに裏打ちされているような時には、それを打ち破る揶揄が許されなくてはならないのだ。

これは相手が宗教だけではなく、独裁国家で独裁者の批判をすれば罰せられたり抹殺されたりする場合も同じだ。

イラン出身の女性小説家であるChahdortt Djavann の言葉にも共感した。

宗教であろうとイデオロギーであろうと、ある社会で思想のシステムとなっているものはすべて批判や揶揄の対象になるべきである。
特にそれが「絶対の真実」として主流秩序の中で通用している場合には。
イスラムの指導者は、イスラム過激派について「あれは本来のイスラムではない」などと悠長なことを言っている場合ではない、「イスラム批判は一つの権利である」と断言しなくてはならない。
それはヨーロッパで過去に人々がキリスト教の異端審問などに「否」を唱えて戦ってきたことと同じだ。

この意見は結局、最初の「冒涜の権利」に通じている。

なるほど。

いや、この『ル・ポワン』誌はシャルリー事件の直後の緊急編集でできるだけ多くの人のコメントを載せているので、どの人も多分まだショック状態だったろうから、普段考えていることや本音がでてしまっていてなかなかおもしろい。

この事件について最初にどうコメントするかで、それまでに言ったり書いたりしてきたこと以上に、その人がどういう人か分かってしまう。

他にもいろいろな切り口があるのだが少し休憩。

サイトの掲示板にこの件で質問があったのでそこにもコメントしておく
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by mariastella | 2015-01-13 09:14 | フランス

パリのテロ事件について  その5

もう書くのをやめようと思ったけれど、今朝のラジオでジャン・ドルメソンが話していたので興味を持った。
テレビでは同じような画像ばかり流していて情緒的な表情ばかり見えるので情報の絶対量やオリジナリティはラジオの方が多い。

ジャン・ドルメソンJean d'Ormessonはパリ解放も体験している89歳で、王党派、貴族、カトリックのルーツがあるアカデミー・フランセーズのメンバーでありながら、今や国民的に広い層から信頼されている賢人的ポジションにいる人だ。

今度の事件で、多くの人がフランスにおける表現の自由の伝統についてヴォルテール(寛容論の著作があり、たとえ自分と違う意見の人でもその意見を述べる権利を自分は死守すると言った)を例に出すのだけれど、ドルメソンは、風刺の伝統として、シャルリー・エブドのように猥雑なものも含めて、フランス人はラブレーとボーマルシェの子孫である、と何度も強調した。

レジスタンスとリベルテール(主流秩序による制限を否定して絶対自由を標榜する)がフランスだと。

結局午後の行進にはイスラエルとパレスティナの首脳まで含めて50ヶ国もの代表が参加することになったので、パリは厳戒態勢である。
それもこれも、フランスの掲げるユニヴァーサリズムが国際的に理解されていて、フランスに仕掛けられたテロは「人類」に仕掛けられたテロだと全世界が認識しているのだ、と、メディアは高揚している。

行進に参加するかどうかのアンケートでは81%のフランス人がウィと答えたそうだ。

一方で、シャルリー・エブドの「生き残り」のカリカチュア作家の一人は

「政治的に利用されるのが我慢できない、自分はサルコジやメルケルと握手など考えられない」

と言ってパリを離れて地方の行進に参加すると言う。最近になって警備も軽くされ、六万部の赤字発行で、廃刊寸前の綱渡りを強いられてきたシャルリー・エブドの口惜しさが伝わってくる。

シャルリー・エブドのカリカチュアを転載したドイツの新聞社も昨夜放火された。ドイツからフランスの行進に参加する人のために運賃を半額にした交通機関もある。

この盛り上がり方は、ドルメソンによるとパリ解放の依頼で、68年5月革命を上回る、 と言う。

メトロの中やアカデミー・フランスセーズの中でも黙祷があったそうで、「アカデミー・フランセーズがシャルリーのために黙祷した」ことの意味の深さをかみしめるドルメソンは、この盛り上がりが後でスフレのようにしぼまなければいいが(この比喩がフランス的だ)、と懸念していた。

一方、アンケートで「行進に参加しない」と答えた人には何種類かあって、

「ムハンマドを揶揄したシャルリーに『私はシャルリー』などという共感をしたくない」というべたな反発、

「政治家たちに利用されるのが不愉快だから」というもの、そして

「アンチ・コンフォルミズムの精神から」というものなどがある。

普段は互いに無関心だったり批判しあっていたり反目しているような人々が「危機を前にして団結する」というお話は美しい。そういう形の危機管理のリアクションがDNAに組み込まれているからこそ私たちは何とか生き延びてきたのだろう。

「東日本大震災」の後の「絆」なども思い出してしまう。

でも、9・11の後も、アメリカのことを、「危機が起きると国内が一致団結して政権の求心力が高ま」ったという言い方があるが、この「政権の求心力」というのが別の危機になる場合もあるという気がする。
「挙国一致」というやつだ。

まあアフガニスタンだの中東やアフリカだのにまで出て行って戦争を仕掛けたりするよりは、「自分たちよりも大きな理想」を掲げてそれをテロリストに見せつけるという方針は大いに意味があると思う。

どんなものでもそうだが、「サイレント・マジョリティ」の良識というのはなかなか表には出ない。
過激なスローガンやプロパガンダばかりが喧伝されて、下手をすると若者を惹きつける。

共和国の自由・平等・共生の理念は、普段は強烈なスローガンにならない。フランスはアメリカのように国旗掲揚や国歌斉唱や忠誠の誓いを一般人に強制することがないからだ。

多くの人が集まることでそれを形にするのは、自覚においても、テロリストによる挑発の答えとしても貴重な機会である、

ウェブのハッカー集団アノニムスがテロリストのネットワークを徹底的に破壊するという感じのヴァーチャルな宣戦布告をしたので、おお、そういう手があったか、と一瞬期待したが、それをやられると安全保障のための危険人物監視や諜報活動に支障をきたす、と当局が困惑しているという話もある。

難しい。

即効ではないが、長い目で見てやはり最も大切なのは「教育」だと思う。
これについては考えていることがたくさんあって、私なりにずっと実践してきているのだが、それはまた別の機会に書こう。

朝の諸宗教者対談番組を観た。こういう場所でいつもただ一人の女性である義妹だけがファーストネームで呼びかけられていた。

ユダヤ教、イスラム教、プロテスタントの代表がいて、三つの一神教はアブラハムが息子を犠牲に捧げようとしたのを救われたところに基盤を持つ兄弟であるから、「人を犠牲に供する」ことを否定することから始まった画期的な平和宗教なのだ、と言っていた。

仏教は勘定に入っていないな。

義妹は、

リスペクトが大切、それは自分に対するリスペクト、他者に対する、環境に対するリスペクトだ、

と言い、それを受けて「リスペクトするには容認が必要で、容認には識ることが必要で、識ることは愛することなのだ」とまとめられていた。(「認める」というフランス語の中には「識る」という言葉が含まれている)

合間に、各宗教のテキストが映し出され、

「あなたが誰かに向かって手を挙げればそれだけであなたは不信仰者だ」というタルムード、

「あなたが誰かを殺せばそれは人類すべてを殺すのに等しい(宗教を殺す、だったかもしれない。要確認)」というコーラン、

「神を愛するという人が、一方で兄弟を愛していないならその人は嘘つきだ」という聖書など、

それぞれの代表者が選んだのかテレビ局が選んだのか知らないが、宗教の名のもとに暴力を行使する輩にはぜひ読んでほしい。

その中で「愛と慈悲は一つの宗教である、愛は普遍的宗教である」という感じのダライラマの言葉があったが、いつもながらダライラマってかなりキリスト教起源の啓蒙テイストの人だなあと思った。
仏教が「超越をたてない無神論哲学」だと伝統的に認識されているフランス向けの言葉としては正しい言葉だ。

と、ここまで書いて、午後3時になったので、「歴史的行進」のTV中継を観ることにした。

7/14のシャンゼリゼの軍事パレードなど比べ物にならないインパクトだった。

これだけのVIPが、完璧に警護されているとはいえ、腕を組んで大通りをただ「歩く」という光景はシュールだ。

今世界の主要国の首脳はみな第二次大戦の体験がない世代だから、ここに集まったのは「新しい戦争」への決意である。

まあ、いわゆる「民主主義国家」でない国の代表もいるのだからみなが「言論の自由」のために歩いているのではなく「テロとの戦い」のために歩いているわけだ。プーチンがいなくて残念。(ロシアとウクライナの代表はいたが)

(追記:オランドの隣がメルケル首相というのは予想できたが、右隣がマリの大統領というのは金髪女性と黒人男性のコントラストが目立った。

マリは評判の悪いオランド政権で唯一、2年前にマリからの要請で軍隊を出してテロリストの南下をくいとめたというタカ派的「成功」体験のある国だ。

旧植民地でフランス語が公用語であり、イスラム教が多数派だ。
2年前にマリ政府から「救世主」のように感謝された様子は「フランスの偉大さ」を示す貴重な図であった。

マリ大統領を隣に並べたのは、フランスのユニヴァーサリズムと、ヨーロッパとアフリカという組み合わせで広がりを演出する意図があったのだろう。

もう一つ、今回ユダヤ人を殺したテロリストは黒人でマリ移民の二世だった。そういうところにも配慮したのかもしれない。)

一方、イスラエルのネタニヤフ首相はフランスのユダヤ人に、

「君たちのホームはイスラエルだ、フランスを去ってイスラエルに来なさい」

というメッセージを発したが、フランスの大ラビは、

「私はフランスで生まれ、フランス語を話し、フランス語で夢を見るフランス人だ。いつの日か『フランスのユダヤ人のように幸せだ』という表現が生まれることを願う」

と表明したそうだ。

今日のような日に、フランス市民である前にユダヤ人である、などと言うはずはない。
(と言っても、日曜夜のパリのシナゴーグでの追悼セレモニーの後では、4人の犠牲者はイスラエルに埋葬されることになったそうだ)


犠牲者の家族とVIPの行進のために足止めされていたのでレピュブリック広場に集合した人たちは1時間半経っても一歩も動けなかった。

マリアンヌの像の台座に上った若者たちはマルセイエーズを歌っていたが、フランスの旗だけではなくいろいろな国の旗が掲げられていた。ブラジル、レバノン、イスラエル、クルドなどだそうだ。

これまで大きな政治デモは政府に対する抗議や要求だからみながパリに出てくることが多かったが、今回は共和国理念を表明すると言うことで、地方でのデモも多く、各地で90万人が集まったということだ。

鉛筆を掲げたり、大きな鉛筆フィギュアを掲げたり、「表現の自由」用語がやはり目立つ。

犠牲者の関係者が行進している光景はやはり見ているだけで涙が出てくる。

シャルリー・エブドの現場から直接オランド大統領に電話した救急医(シャルリー・エブドに記事を書いている)とオランドが抱き合っているのも心が動かされる光景だった。公式のものではないこの連絡によって、オランドがすぐに現場にかけつけたのだ。

携帯電話の時代ならではのエピソードである。

この抗議運動がここまで広がったのは、二つの理由がある。

ひとつはシャルリー・エブドがもともと左翼の雑誌であり、サルコジなどには猛烈な攻撃を仕掛けていたので、社会党とは親和性があるということだ。オランドもシャルリーのジャーナリストを個人的に知っていた。その社会党政権下のできごとだった。

もう一つはジャーナリズムが標的になったことで、御用メディアや右派メディアも含めて、メディアの人間にとって「他人事」ではなく、「表現の自由」「報道の自由」を守るために報道が過剰とは言わないまでも、増幅したことである。

木曜までは犠牲者は「警官」と「ジャーナリスト」だった。

本来シャルリー・エブドも含めてジャーナリズムは主流秩序批判の使命を帯びているので、秩序のシンボルである警官の側に立つ人とは別のグループにいるのだが、この事件では一致した。

金曜日にユダヤ人が標的になったことで政治的なテンションは高まってやや微妙になりかけたが、土曜日に感動的なシーンが放送された。

ユダヤ人4人を殺したアメディ・クリバリはマリからの移民の二世の黒人だ。イスラム国の名でビデオ・メッセージも残している。ところが、水曜に別のテロリストに殺された警官の一人がアメド・メラベという名のイスラム教徒だったのだ。

土曜日に、アメドの家族が、

すべての差別主義者、反イスラム者、反ユダヤ主義者に告げる、戦闘開始したりモスクやシナゴーグを攻撃したりするのをやめろ、死者は帰ってこない、他の人を攻撃しても、犠牲者は戻ってこないし家族が慰められるわけではない

と記者会見で訴えた。

40歳のアメドは昇進試験に合格したところで、11区の勤務は最後の日だったという。

このアメドとテロリストのアメディの名は発音が似ている。

どちらももちろんクラシックなフランス風の名ではない。

で、「アメディ=テロリスト」と刷り込まれそうになった時に「アメド=ヒーロー」が上書きされた。

そして、ヒーローのアメドはアルジェリアからの移民二世のムスリムだ。

シャルリー・エブドを襲ったテロリスト兄弟も、アルジェリアの移民二世のムスリムである。

木曜にそのプロフィールが公開された時は、昔ながらの

「アルジェリア移民の二世=犯罪者、あるいは監獄で洗脳されたテロリスト」

というステレオタイプの偏見を呼び覚まされた人も多かった。

ところが、同じ社会的立場にありながら、

一方は警官になり昇進試験にも合格し、共和国の公務員として殉職した。

もう一方はテロリストになリその警官を残忍に殺した。

この事実が、

「フランスにおけるテロリズムの問題は移民の問題でもイスラムの問題でもない」、

という認識を人々にきっちりと促した。

みんなが情緒的になって興奮している時に、人種や宗教にかかわるヘイト・スピーチを効果的に封じる偶然の出来事だった。

しかもこのところ雨もよいで寒かったのが、日曜は晴れ間さえ出て暖かかった。

家族連れも多かった。

無事に終わってよかった。

広場を埋め尽くす人の波をテレビで見ながら、これが日本なら、安全のための警戒だけではなくて地震が起きた場合も想定しなくてはならないのでは・・・と連想してしまった。パリでは少なくともその心配がないから助かる。

実はフランスでは昨年末からいろいろな物騒な事件が起きているのだが、メディアもなんだか「見て見ぬふり」の風潮があった。

今回は前述したような様々な要因が手伝って、

「フランスのユニヴァーサリズムや理念はテロを許さない」

という決意をひとまず市民が表明したわけだ。

何か本質的な変化に結びついてくれたら、と思う。
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by mariastella | 2015-01-12 03:50 | フランス

フランスのテロ事件に思うこと  その4

日曜は共和国の行進。

それに行くかどうか、と質問をされたのだが、私はもちろん行かない。

木曜正午の黙祷の時にも公共の場所にいないように配慮した。
スーパーにいても音楽が止められて黙祷が促される。

私はもしうちでTVを見ていて黙祷のシーンになったら黙って心を合わせるタイプだ。

別のチャンネルにわざわざ変えるつもりもないし、突然しゃべったりトイレに立ったりもしない。

でも、時間を決められたいっせいの黙祷のような行為を外で強制されるのは苦手だ。
もちろんいざその場に居合わせたら目立たないようにおとなしく黙祷するだろう。
自分のそういうことなかれ主義のオートマティズムが不愉快なので選択の余地があればそういう場所にはいたくない。

行進もまったく同じ理由で、「みんなで盛り上がる」ということ自体に抵抗があるのだ。

今朝のラジオのインタビューの最後でレジス・ドゥブレは、「私はコミュニオンが好きなのでもちろん行きます」と言っていた。

この人は私よりずっと素直でキリスト教的だとあらためて思う。

実は今回の事件についてこの人が何を言うかぜひききたいと思っていたのだが、ちょうどラジオのインタビューが始まったので嬉しかった。

私の世代のかなりの人はそうでないかと思っているのだけれど、私にとってのレジス・ドゥブレは高校に入ってすぐのヒーロー的著者だった。中学生でポール・ニザンの『陰謀』や『アデン・アラビア』に夢中になって、高校ではドゥブレの『革命の中の革命』だった。

今振り返ると、ニザンの方がまだ想像可能なところにいて、ドゥブレなんてボリビアのファンタズムだったのかなんだか分からない。

2人ともフランスのエリートでインテリの共産党シンパという近い位置にいたが、今から思うと、日本の中学生や高校生にとって彼らはただのシンボルだったのかもしれない。

で、1990年代くらいになってドゥブレと再び、今度はフランス語で出会うようになって、この人がすごく自分と近い感性を持っているのが分かった。

仲間のような気がする。

で、今回のことについても私と同じように、アメリカとの違いを強調する。

ブッシュがしたように、テロリストに対して戦争と称して愛国法を作ってそれこそ表現の自由などを制限したり拷問を正当化したりしてしまうのではなく、法治国家の掲げる理念を追求することにこだわる。

「判断の自由」、啓蒙の光と「反抗」はフランスのDNAだと言う。

彼が「自由判断libre jugement」 という時は、キリスト教の「自由意志libre arbitre」が明らかに念頭にある。

人権宣言には「表現の自由は絶対のものではないし無条件のものでもない」とある。

時代の文脈に合わせ、共存と平和の実現が可能な方向でそれを調整する法の制定が必要だということだ。

オランド大統領も今回さすがに、「我々の理想は我々よりも偉大だ」と認めている。

フランスは革命を経て政教分離した時に、共和国理念を宗教の差異を超越するものであると見なした。
いや、国家の差異さえ超越する普遍主義だと言ったのだ。

だからドゥブレが言うように、国家が衰退してシンボリックな権威を失う時、勢いを増すのはカルトとマフィアだけだとなるのだろう。つまり狂信と反則。 

権力がリスペクトされるためにはメタフィジックが必要だ。

サルコジは今度のことを「文明への戦争だ」などとハンティントンばりのアメリカ的言辞を繰り返したが、ドゥブレはこれをトインビーのいう意味でのチャレンジとレスポンスだと見る。

そして、もう一度共和国理念のもとに人々が連帯するには、垂直のディメンションが必要だと語る。

政治(ここでは共和国)が世俗宗教であることをやめて(すなわち宗教モラルを世俗的に継承させていくシステムであることをやめて)、歴史と希望のメッセンジャーでもなくなった時、巷の宗教がイデオロギー化し、政治化する。

政治はエコノミストであることをやめ、マネーの独裁や金勘定から離れて、大文字の「真実」とか「国家」に戻らなくてはならない。

言い換えると、いわゆるポスト・モダンの相対化による水平の多様化だけでは人は本当には平等に共存できないので、差異を超越する価値を掲げて集まり、同じ方向に向かって進まなければならない。

ドゥブレもゲリラ戦に加わった体験から、戦争が若者を惹きつけることや大義のために命を捨てる欲望も理解出来るという。
しかし、ゲリラ戦で捕虜を殺すことはなかった。そこにはヒューマニズムのコンセプトがあった、と言って、「キリスト教のコンセプト」があった、と回想する。

こんな話を聞いていると若い頃は勇ましい共産主義の革命家だったドゥブレがいかに、キリスト教的文化の継承者で一神教的世界観を持っているかが分かる。

しかし、こういうことを語ると、必ず、西洋と東洋(ここでは非西洋、つまり非キリスト教ということ)はそもそも違うんだ、その差異を認めるべきだ、と言う人が出てくる。

すなわち

我々の西洋的価値では権力や権威を批判したり揶揄したりする自由は認められているが、それが東洋のほとんどの国では冒涜であり罪であるのだ、つまり、異なる価値観の衝突なのだ

という言い方である。

また非キリスト教文化圏の日本のような国でも、

「西洋は自分たちの民主主義だの資本主義だの自由平等などを絶対の普遍価値のように押しつけるが、そもそもそれは彼らの伝統ではあって、我々の伝統には合致しない。西洋スタンダードを押し頂くのは考え直すべきではないか」

などという論調も耳にする。

これについては、両方とも正確ではない。

そもそも人間の社会は長いスパンで見ると、東西どこでも、聖俗の支配者や権威を公に批判したり揶揄したりすることが罪になり罰の対象になるところがほとんどだ。

階級の差であったり長幼の差であったり、性差であったり、上下関係を規定し固定するルールはどこにでも存在する。
自然神にしろ先祖神にしろ、「聖なるもの」とその代理人、司祭、神降ろしをする人を冒涜すれば共同体から追放されたり制裁されたりということも一般的で、そこに東西の差はない。

そんな中で、確かにキリスト教は「神が人間になって生まれ、超人ぶりを発揮しないまま罪なくして無抵抗で殺された」という起源を持ち、「人類はみな神の子で自由平等に愛し合うべききょうだいである」、という特殊なメッセージを持っていた。
もちろんそれだけではメジャーになりえないのだが、ローマ帝国の国教となってから一気に拡大した。
逆に言えば帝国の国教になってから、支配に不都合なメイン・メッセージは隅においやられてしまった。
しかし、まあ、完全に忘れるわけにもいかないので、いつの時代にもメイン・メッセージを掲げて改革に乗り出す人やグループはいたのだ。

そのせいで、教会分裂や宗教改革や反教権主義から理神論などが生まれて、そこに他のいろいろ複合的な要素が重なって、特権階級や宗教の権威に服さずに自由に生きる権利を追及する大きな流れが出てきたのがヨーロッパのキリスト教社会の中においてだったことは間違いがない。

そこから革命だの戦争だのが繰り返されて、実際に無産階級や女性らの自由や平等の権利が拡大されてきたのも事実だ。

つまり、「西洋の価値観」と言うのは別に人種的地域的に固有な伝統ではなくて、近代の三世紀くらいをかけて血を流し、試行錯誤し、反省を重ねてようやく「普遍価値」として合意したもので、だからこそ自分たちの身の丈よりも大きい、上方にある価値なのだ。

キリスト教の父なる超越神が天の国にいるという垂直イメージがそのまま基本的人権や自由平等の理念の普遍性、超越性のイメージになったのである。

まあ、慈悲の神を戴く宗教でも人間の手にかかればあっというまに偶像と化し便利な道具になってしまうように、自由平等や民主主義の普遍理念も、あっという間にただのお題目になり権力の担保になるのがほとんどのケースではあるが。

だからこそ、フランスのような国でも、共和国理念と合いいれない偽善や見て見ぬふりの裏で差別や格差が広がるわけである。

今回のようなテロが起きると、大統領が言うようにフランスは本来のフランスらしいレベルで共和国主義と連帯を取り戻すきっかけになるようだ。

それに比べるとアメリカという国は宗教戦争や封建制度打倒などの「戦い」の歴史を経ずに最初から理想的な「神の国」を建国したという意識と自負があるから、わりと単純に

「うちの価値観が西洋の価値観で普遍的で正しい価値観だ」

と言い切る。

けれども「西洋の価値観」は実は長い戦いの歴史の中でようやく獲得された理想の価値観であって、常にその「質」を維持する努力なしには独善主義や覇権主義に簡単に陥る危ういものなのである。

でも、一部の狂信者がいるからといってある宗教の価値観を否定できないように、「西洋の価値観」をふりかざす帝国主義者がいるからといって自由平等の人権主義や法治主義そのものを否定することはできない。

そういうことがあるから、日曜に英・独・伊・仏・西・欧の首脳やヨルダンの王夫妻や、イスラエルの首相までが集まって共和国の価値観のもとに「歩く」というのは、いかにもフランスらしい、いいことだと思っている。

アクシデントが起こりませんように。

(このテーマを追っていくとますます仕事が遅れるのでいったんストップするつもりだが、政治批判のお笑いとかカリカチュア文化は日本と「西洋」ではかなり違うなあといつも思う。日本のお笑い芸の政治性はアグレッシヴなものはないし、レベルの高いマンガも、カリカチュア風の政治がらみで面白いと思うのは業田良家(ガラガラポン・日本政治)くらいかなあ。でも日本のマンガですごいと驚くのは、講談社の『モーニング』誌で見る『いちえふ』「福島第一原子力発電所労働記)だ。マンガ家が実際に建屋で作業してそれをドキュメント・マンガにしているもので、これなどはさすが日本だなあと感心する)
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by mariastella | 2015-01-11 07:39 | フランス

フランスのテロ事件 その3

思えば9・11の時も、家族がNYにいたりして、いろいろな情報が入ってきたが、今回のパリのテロも、当然だけれどかなりコアな情報も入るので、いろいろ考えさせられる。

昨日は、まだ人質事件が解決していない時点でコンセルヴァトワールでの室内楽の初練習に行った。

ピアノとヴァイオリンとヴィオラのトリオで、一週間の名前がついているテレマンの組曲みたいなのを次々に初見していったのだけれど、「金曜日」のイントロダクションが特に気に入った。

はじめはテロの犠牲者のために「レクイエム」を弾こうかとヴァイオリニストのジャンが言いだしていたのだが、テレマンの美しく楽しい曲に癒された。

ピアノ(実際は通奏低音部分)を弾いたコリンヌは、その時にシャルリーのテロリストが立てこもり中だった町から車で10分のところに住んでいて、途中で娘から経過を知らせる電話がきたりしたのでみんな落ち着かなかったのだ。

コリンヌの夫(クラリネット奏者)は昔19区の小学校で音楽を教えていたことがあって、今回のテロで車を運転するなどいろいろ協力したという18歳の青年(テロリストの義弟)のことをよく覚えているという。少年が絶対に歌を歌わず、縦笛を吹くことも拒否したからだ。 

今回のテロリストたちの少年時代を知る人の証言で、みんなごく普通の少年(あるいは普通のチンピラ、普通の不良)だった、というようなものが流れているけれど、今から8年前にはもうテロリストたちは筋金入りのイスラム過激派に変貌していたのだから、この義弟もしっかり洗脳していて「育てて」いたのかもしれない。音楽を禁止するというのもイスラム過激派にはあるからだ。

室内楽の練習から戻って、行く前に書いていた記事をアップし、ひとりの生徒のレッスンを済ませてテレビをつけたら、テロリストたちが全員殺されていた。

パリの北郊外の印刷所で人質になっていたと言われていた26歳の男性は実はずっと隠れていてテロリストたちは彼の存在に気づかなかったそうだ。
で、その男性は携帯電話を通していろいろな情報を警察や特殊部隊に流していたと言う。

ヴァンセンヌのユダヤ人用食品スーパーに立てこもった別のテロリストも、ある人に電話した後で切るのを忘れてしまい、その人から通報された警察に通話中のままの電話を通して中の様子を逐次知られていたという。

印刷所に押入ったテロリストは「民間人は殺さない」と言ったそうだ。

シャルリー・エブドのテロ現場で隠れていて助かった人も、乱射が終わった後でテロリストが「これで全部か」と言った後、女性が生きているのを見て「女は殺さない」と言ったのを聞いている。

なんだか、やくざが親分から

「堅気の者には手を出さないように」

と言い含められているように、これは無差別テロなどではなくて

「標的を絞って処刑し、関係のない民間人は巻き込まない」

という立派な聖戦だと洗脳されている落ち着いた確信犯だと想像できる。

木曜日には女性警官が殺されたが、警官は警官というだけで立派な標的になる。

ユダヤ人向けスーパーではすぐに人質数人を殺害した模様だが、ユダヤ人は「パレスティナの報復」ということで「民間人」には入れてもらえないのだろう。

特殊部隊の突撃は、二ヶ所でほとんど同時に行われた。ヴァンセンヌの犯人がテロリスト兄弟を逃がすことを要求していたから、ばらばらに突撃することはできない。

実際は、兄弟たちは武器をもって出てきて攻撃したので殺され、ヴァンセンヌではそれを受けてすぐ突撃に入ったそうだが、その時間は犯人が祈っていた時間だと聞いた。

それは偶然ではなくて、印刷所から打って出たテロリスト兄弟は、祈りの時間だからこそ、武器を取って撃たれる「聖戦の殉死」にさらに箔がつくと見なしていたのかもしれない。

こういうディティールはすべて、カルト系テロリストを思わせる。

はじまりは社会からドロップアウトしたただの「不良」でも、軍隊の武器を手にして訓練して「戦いの大義」を叩き込まれると冷徹な「プロ」のテロリストになるという例だ。

自爆テロなら、覚醒剤とかを使ってとか、あるいは絶望してなど、異常な精神状態で突撃するというイメージもあるけれど、この手の「洗脳」されて自分たちの大義や正義を信じ切っているテロリストというのは怖いものがなく落ち着いているというのがおそろしい。

うちの家族の一人はパリの軍の病院で医学教育についての講座に出席していたのだが、出席者の半分以上がスマホに釘付けで、そのまま救急医として呼び出されて退席した人もいたそうで異様な雰囲気だったらしい。

最も影響を受けたのはやはり義妹で、各宗教界代表として緊急に大統領に呼び出された姿が水曜のテレビにもう映っていた。

今年の3月には仏教者連合の代表を辞める予定なのに災難だ。

木曜にはパリのモスクで宗教界代表が共通コメントを出して正午の黙祷をいっしょにしたのだがそれにももちろん出席した。

あちこちのモスクが攻撃されていて、テロリストと一般のイスラム教徒を混同しないようとフランスのムスリムは必死に呼びかけている。

それでも共同声明を考える時にはそれなりに難航したそうだ。

前にも書いたが、シャルリー・エブドがムスリムだけでなくあらゆる宗教(仏教は別だけど)を過激に冒涜していたというわだかまりが底に残っている。

文化的、歴史的に「共和国の敵」とされた過去のあるカトリックはもちろんだが、もともとそのカトリックを否定することで生まれたプロテスタントの方は、冒涜されたという傷が少ない。で、プロテスタント代表が、黙祷の時に例の「Je suis Charlie(私はシャルリー)」というバッジを全員つけようと提案したそうだ。

しかし、シャルリー・エブドに傷つけられてきたカトリックだのムスリムだのの心情を察し、余計なテンションを招くことは避けようと義妹が言ったので却下されたという。

百万人の人出が予想される日曜の「共和国行進」にも当然参加しなくてはならない。

日曜朝の公共放送の宗教番組でもこの宗教界代表が集まって話すことになっている。

日曜、大統領だけではなくドイツやイギリスやイタリアの首脳も参加している間はさすがに警備がマキシマムだろうが、それが終わったら速攻で帰宅すると言っている。

「出家」によって瞑想三昧の生活を目指していたはずの義妹にとって皮肉な、大忙しの毎日である。
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by mariastella | 2015-01-10 08:38 | フランス

フランスのテロの続き

人質事件(これを書いている時点では同時発生している人質事件は解決していない)のテレビ中継や先日のシャルリー・エブドに関する分析だのオピニオンだのを追いかけるのにかまけていてメールに返事を出さなかったら、複数の知人たちから「大丈夫ですか」と心配の声をかけてもらったので、ブログを更新しておく。

今回のテロは今の「イスラム国」型でなくアルカイダ系だとは言うけれど、その方法などはやはり1995年のパリのテロや2001年のNYなどとはもう隔世の感がある。実は、個人的な心配という点では、メトロで不審な荷物があれば爆発物ではないかと恐れた頃よりは不安が少ない。2012年のトゥールーズも、今回も、軍人、警官、ジャーナリスト、ユダヤ人など、攻撃目標が決まっているようだからだ。

 「フランスの9・11」ということで、9・11との比較も多い。

今回は、ツイッターなどで、「よくやった」とテロリストを称賛するような書き込みも少数派とはいえ上がっていて、それも取り締まれと息巻く人も多い。イスラム過激派に与するようなものだけではない。
シャルリー・エブドは68年5月革命の流れをひく「インテリ=左翼= 無神論」系の過激派なので、例えば保守派大統領やローマ教皇などはムハンマドなどよりはるかに激しく揶揄され、笑いものにされ続けてきた歴史がある。
そのことで名誉棄損を訴えた党派ももちろんあるし、それを恨みに思っていた人たちが、過激派だから過激派に報復された、挑発しすぎた、自業自得だ、というような論評を小さな声でしたり、匿名でツィートしたりしているわけだ。

同じくカリカチュアを多用する風刺新聞でも「カナール・アンシェネ」の方が穏便で、私はシャルリーもたまに読むが、確かに下品で絵が汚いと感じることが多かった。

それでも、主力を根こそぎ奪われたシャルリーを存続させようと、翌日にはもう35の自治体が年間購読を申し込んだそうだし、人々は、「もしあなたがシャルリーを読んだことがなくても、嫌いでも、年間購読を申し込んでください、なぜならこれはフランスの言論の自由、すなわち共和国の理念に仕掛けられた戦争なのだから、シャルリーを救うことはレジスタンスなのです」と言い合っている。

これがフランス的だ。

9・11のブッシュもすぐにこれは戦争だと言って戦線布告したが、戦争だと言うとアフガニスタン空爆のような攻撃にすぐ訴えるアメリカとちがってフランスは戦争というと「レジスタンス」というリアクションが伝統になっているように見える。

確かに、国が命じる戦闘よりも一人一人に訴えるレジスタンスの方が長い目で見るとよい結果をもたらす。

今回の風刺画家の死で、風刺画家についてのドキュメンタリー番組も放送されたが、それによると、アメリカでは、9・11の後、ブッシュの「十字軍」発言の後でも、風刺画家たちはかなり自粛を要求されたようだ。彼らは、もともとアメリカにはそのピューリタンの伝統や、アングロサクソンのメンタリティのせいで、度を超えた風刺がなかなか出にくかったのだと言っていた。

それに反テロリズムの「挙国一致」体制を要求されればブッシュを笑い飛ばしたり政府を批判したりすることにはかなりのヴェールが掛けられたと言うのが理解できる。

それに対してフランスはもともとローマ・カトリックと関わる旧体制を革命で打倒して共和国を打ち立てたというアイデンティティがあるので風刺画やジョークは過激になることが可能だ。もちろんヘイト・スピーチのようなものはとりしまられるわけで、シャルリーも、自分たちは宗教や宗教者が政治にかかわる時にだけ批判しているのだ、と言っていた。カトリックに関しては宗教そのものも揶揄されるが、それはフランス文化の一要素だといってもいいだろう。

後、フランスらしいと思うのは、全国一斉に、例えば高校生たちのSMSなどでの暴言に対して、リセの哲学の教師が緊急にこの問題について生徒と話し合ったり、小学校低学年の生徒にも、何が危機にさらされているのか ? と尋ねて「言論の自由」と答えさせたりしているところだ。日本語では「言論の自由」というと漢語が二つ並んで難しいけれどフランス語なら子供にも分かる言葉なのでそれは少しうらやましい。

ユーモアの自由、笑う自由が侵されたこと、ジャーナリズムが攻撃されたことでメディアは猛烈に憤り反発しているのだが、他のカリカチュア作家たちやユーモリストたちがいっせいに、笑いをとりながら立ち上がるのも今回の特徴である。国民的漫画アステリックスの作家も引退しているにもかかわらず、特別にイラストを提供した。

表現者に表現をうながすテロとなった。
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by mariastella | 2015-01-10 01:10 | フランス

寒波とホームレス

年の瀬。

急に冷え込んでいる。

田中龍作ジャーナルで渋谷区が野宿者を公園から締め出したという記事を見てショックを受けた。

私はフランスに住んでいて比較文化的なことを書いているから、ときとして「おフランス礼賛」トーンになるのではないかと誤解されるのだけれど、「フランス文化人」は中華思想でなく自虐好きだし、私も別にフランスが全体的に日本よりましだと思っているわけではない。

でも、ホームレス対応の差にはショックだ。

フランスでもともとの例えばカトリック修道会系の福祉事業の発達しているのは別としても、少なくとも、1954年の厳寒のパリでアベ・ピエールが発した連帯の呼びかけはいまだに有効で、政権が代わっても、これだけはアイデンティティになっている部分がある。

今年も寒波が来て以来、パリ市内の体育館が3週間単位でローテーションを組んでホームレスに簡易ベッドを並べ、暖かい食事や医療を提供し始めた。日本で公立の体育館が避難所になるというと台風や地震などの災害の場合だけの印象があるけれど、この季節のパリのホームレス避難所として体育館は大活躍だ。受け入れは男女別または家族用になっている。

パリ市のいくつかの区役所(1,3,4,11,15区など)もホームレス収容の場所を提供しているし、ホームレスでなくても一般の生活困窮者のために暖かい食事を提供する場所はたくさん稼働している。

SOSの無料の115番というのがあって、休みなしの24時間対応のそこに電話すると、心理的、身体的、社会的困難に応じてしかるべき場所に誘導してくれる。

昔は夜露だけをしのぐ場所の提供が多かったが、今は昼間も残れる避難所が増え、20くらいのNPOが七つの食堂で1000人以上分の夕食を炊き出している。

パリ市社会活動センター(CASVP)では現役を引退したボランティアの医師が無料診察を常時引き受けている。
単に寝食を提供するだけでなく社会復帰のオリエンテーションや心理セラピストによるケアもある。

それでも社会格差は進み失業者やホームレスの数は増え続けているのだけれども、少なくともそれが「公的な問題である」という意識はある。

プロテスタント国ほどには個人による寄付文化は発達していないのだけれど、その代わり、たとえ財政赤字があってもともかく「国や公共団体が対応すべきだ」というコンセンサスがあるのだ。

フランスというと、出生率が回復して久しいので、今や半数以上に上る婚外子の権利保護はもちろん女性が子供を産み育てやすい環境整備や公的な援助の充実などばかりが「お手本」のように日本でも話題になるけれど、妊婦や乳幼児、乳幼児を育てる人という「社会的」な競争力や戦力のない弱者を守る政策と失業や心身の故障や老いなどで安全な生活基盤を失う弱者を守る政策は本来同じルーツを持っているものだと思う。

ホームレスの炊き出しが行われていた公園を次々と閉鎖するようなメンタリティで「女性が輝く社会」だとか「少子化に歯止めを」だとか言っても効果がないのは自明ではないだろうか。
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by mariastella | 2014-12-30 03:27 | フランス

市役所葬儀の法案

市民葬という法案がついに出てきた。

フランスは、「政教分離のチャンピオン」と自認している国だ。

それはただ、国が特定宗教に肩入れしないなどというものではなく、フランス革命まで国民の冠婚葬祭から教育、福祉までの生活すべてを仕切っていたカトリック教会のやっていたことをすべて国や市役所がする、ということと同義だった。

子供に代父、代母を登録する洗礼も、頼めば市役所で無料で市民洗礼をやってくれる。

教会での結婚式に代わって、すべての市役所には結婚式ホールがあって、市長や助役が結婚式を司式する。指輪交換も誓いの言葉もある。

その結婚証明書をもっていけば教会ではまた別に教会の結婚式を挙げることが出来るが逆のことはできない。

教育や医療などの多くが無料に近いことも社会活動型修道会のやってきたことを踏襲しているからだ。

ところが、葬儀だけはこのシステムが機能していなかった。

もちろん金のない人も公的共同墓地に葬られることはできても、葬儀というセレモニー自体は各自が各自の宗教、または無宗教で行わねばならない。

その点は、金がなくても、小教区の信者として教会に出入りしていれば、ちゃんと葬儀ミサをしてもらえる。そのせいか年取ってから突然教会に戻る人もいる。

ペール・ラシェーズのような公営墓地には、キリスト教のチャペル風ではあるが十字架などのシンボルがなくて、どんな宗教のセレモニーでもできるようになっている建物がある。無宗教葬儀をオーガナイズしてもいいし、仏教の僧侶を呼んできてお経をとなえてもらってもいい。

それが今回の法案では各市役所に葬儀用ホール(結婚式ホールを兼用してもいいらしい)を設け、市長などしかるべき人物が無宗教で葬儀を司式するようにできることになっている。結婚式と同様、無料である。

今はフランスでも友達葬だとか無宗教の葬儀をやる人も少なくないが、そのためには誰かが金を払ってオーガナイズしなくてはならない。

日本でも今は斎場があって、どこの宗派のお坊さんでも呼んでくれるわけだけれど、もちろんサービスは有料だ。

結婚式を見てみよう。

日本では結婚届にしかるべきハンコを押して市役所の窓口に届けるのが「籍を入れる」という正式の手続きで、後のセレモニーは、すべて個人がオーガナイズするものだ。

「結婚式」でさえ、仏式、神式、信者でなくともチャペルでなどほぼコスプレに近いような演出でもOKであり、法律とは関係がない。

法律的に籍を入れていなくとも「結婚式」で誓いの言葉をかわすのも自由だ。

披露宴となるとなおさら、社会的なパフォーマンスであって、消費主義経済の中では莫大な金がかかることも少なくない。

そういう「金のかかる結婚式」と「市役所の窓口に書類を提出」との差はあまりにも大きい。

フランスなら、一銭も使わずに、市役所で一番立派な結婚式ホールで、友人や親戚にたくさん出席してもらって「式」を挙げてもらうことが可能なのだ。

そう、冠婚葬祭という人生の節目はどんな共同体でも通過儀礼の一種だから、人は「お披露目」としての何等かのセレモニーを必要とするのだろう。

「結婚」には、二人の成人が家庭をつくって共同生活をするというコンセンサスがあるけれど、死んだ人を「送り出す」とか残された人を慰めるというセレモニーの方は宗教によって違う「死後の世界」の考え方によって微妙に変わるから、今まで国が介入しなかったのだ。

でも、無料、無宗教の「市役所葬儀」法案を導入するというのは、フランス風政教分離のロジックの帰結点であり、考えれば当然のことだと思う。今までなかったのが不思議なくらいだ。

まあ、誕生や結婚は心の準備をする暇があるけれど、「死」というのは時として突然訪れるし、残された者のショックが大きくて、とりあえず宗教にすがって伝統的にやる、というリアクションがほとんどだったので、市役所には「死亡届」だけですましていたのだろう。

でもこの法案が通ったら、結婚と同じようにまず市役所での葬儀セレモニーを済ませなくては教会の葬儀もできないのだろうか。それとも「オプション」としてあるのだろうか。まだまだこれから検討されるのかもしれない。

まあ個人的には自分自身の亡き骸など、密葬でも直葬でも何でもいいと思うし、簡単なものほどいい。

でも、「残される側」としては、飼い猫が死んでも、写真を飾って、花を飾って、蝋燭を灯して在りし日を偲び、どうか安らかにと祈る、というプチセレモニーなしには次の一歩が踏み出せない。

人間的な、とても人間的な「喪」というものをどのように「自由・平等・兄弟愛」の共和国理念に取り入れるのか、注目したい法案だ。
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by mariastella | 2014-12-17 00:58 | フランス

オランド大統領がプーチン大統領と会ったこと

12月6 日、フランスのオランド大統領がカザキフスタンを訪問した後1時間ほど足を延ばしてモスクワに行き、空港でプーチン大統領と会談した。

プーチンと会談するためにカザキフスタン訪問をアレンジしたのではないかと誰もが思っている。

8カ月で4300人以上の死者を出したウクライナ危機が始まって以来、モスクワでプーチンと会った「欧米」唯一の元首だ。すごい。

グルジア危機の時にサルコジ大統領も颯爽と出かけて最悪の事態を回避したことがある。
サルコジはリビアに攻め込んだし、オランダもマリに兵を出したし、フランス大統領が「アフリカの警察」さながらに軍隊を派遣するのは苦々しい限りで、近頃はオランドの顔を見るのもうんざりしていたのだが、今回のスタンドプレーには感心した。

フランスは経済システムの「自新由主義的な改革(規制緩和というやつだ)」が遅れていると、ユーロ圏の優等生ドイツのメルケル首相から近頃名指しで糾弾されている。

そのメルケル首相は旧共産圏の東ドイツ出身だからかロシア語がしゃべれて、プーチン大統領もドイツ語が話せる。で、二人は直接会話ができて、ドイツとロシアの経済関係も緊密だったし、政治的にもけっこう歩調を合わせていた。そのメルケル首相もウクライナ問題では、オバマ大統領に同調してロシア糾弾で硬化したままだ。

そんな時に、オランドが、軍艦売りたさ(ロシアから発注されたミストラルの配達を現在ストップしている)の一心かもしれないが、アメリカとドイツを尻目に堂々とプーチンを呼び出して会談してしまった。

日本の首相なら考えられない。

うーん、こういう時、フランスが第二次大戦の時に米ソと共にちゃっかり「連合軍」側としてドイツに勝利したという歴史が関係してくるのかなあ、と思う。

オランドは、(ベルリンの壁のような)壁が我々を隔てるのは避けなくてはならない、障害を乗り越えて解決をみつけるべきだ、解決を共に見つけよう、きっかけをつかむ時期はあるものだ、と言い、プーチンも「我々の会談はポジティヴな結果を生むと信じる」と答えたらしい。

なんにしろ、あらゆる紛争には、示威行為や軍事衝突の前に「話し合い」があるべきで、こういうことをできてしまうフランスのような国があって、経済成長だとか何とかいうのとは別の次元でそれを許してしまう複合的なヨーロッパのような地域があってよかったと思う。

ヨーロッパはいろいろな意味で満身創痍でもあり、そんな折、ヨーロッパ議会の議長マルティン・シュルツ(カトリック系リセで学んだドイツ人)が、ローマに行ってフランシスコ教皇にヨーロッパ議会で話してくれ、と頼みに行った。

教皇は11/25にストラスブールで演説し、人々は市民であり経済主体であるだけでなく超越的尊厳を持つ人格であるということがヨーロッパの根幹にある、を強調した。その「人格」としての人々が社会の中で権利と義務と共通善のもとに結びついているのだ、と言い、出席者に賛同された。

この教皇はアルゼンチン人だ。

こういう離れ業みたいなものとオランドの自由さも関係があるのだろう。

危機管理には多様な道があるべきだ。

正直いって、うらやましい。
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by mariastella | 2014-12-10 00:24 | フランス

国家の里子たち  des pupilles de la nation

フランスには「国家の被後見人」という制度がある。

私のバロック・バレーの友人で被害日本大震災のチャリティーコンサートでも踊ってくれたエマニュエルも父親が空軍で戦死または事故死(?)して国家の里子認定を受けた人で、子供たちのためにバロックの「踊れる森の美女」という物語をボランティアでやっている。そのつながりのネットワークは密なようだった。

それについてのドキュメンタリー放送を見て感心した。

第一次大戦の1917年7月に戦災孤児を救うために発足した制度で、第二次大戦、植民地戦争、その他殉職警官の孤児も含み「国のために死んだ」親の孤児だという裁判所の判定により「国家の被後見人」となる。出生証明書に「国家によって養子とされた」と記入される。

子供には2年に一度外套が支給されるなど物質的援助もあるし、必要なら優先的な養子縁組も得られるし、彼らのための教育機関もある。グルノーブルの全寮制中高一貫の空軍士官学校はその後各種グランゼコールにも進める。「国家の里子>現役軍人の子弟>民間航空事故の孤児」の順で優先権があって、生徒の70%を占める(後は司法官の子供、他の奨学生など)。

日本的な感覚ですごいなあと思ったのは、例えば第二次大戦の末期のノルマンディなどでアメリカ軍の空襲の犠牲になって死んだ民間人の子供たちも皆認定されていること、ロシアからフランスに亡命してきた後で母親がアウシュビッツに送られてしまった姉妹たちなどフランス国籍を持っていなかった子供にも適用されていること、などだ。 警察官の父を失ったある少年は、カリブ海にあるフランスの海外県であるマルチニク出身の黒人の父親と旧植民地からの移民であるアルジェリア人の母を持つが「フランスの子」として保護されて「すごーくフランス人」だと感じると言っていた。旧仏領インドシナ出身の女性もフランス人家庭の養女となった。

日本にも殉職者の家族にはいろいろな保障制度があるのだろうとは思うけれど、第二次大戦による多くの戦災孤児は、もちろん日本が敗戦国で占領されていたこともあるけれど、手厚く支援されたわけではないだろう。

カトリック系の修道会が養護施設をつくったり、そこに進駐軍が寄付したり、混血孤児を世話して学校まで作ったことで有名な聖公会系のエリザベス・サンダースホームがあったりしたのは知っているけれど、「国」がどこまで手を差し伸べたのかは知らない。

ましてや旧植民地の被害者は無視されたのだろう。
軍人ですら、連合国から「戦犯」のレッテルをはられて処刑されたら、他の戦死者と合同の慰霊を忌避されかねない空気だし。

敗戦国のドイツやイタリアの戦災孤児はどうだったんだろう。

こういうところに意外に国民性の本質が見える気もするので、いつか調べてみようと思ってここに覚書しておく。
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by mariastella | 2014-10-12 23:36 | フランス



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