L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:本( 65 )

「善の陳腐さ」について

ストレスフルなニュースばかり続くこの頃、久しぶりに心が軽くなる本の著者がインタビューされているのをarteで見た。

『父を救ったこの不思議なナチ』



フランソワ・エスブールFrançois Heisbourgという戦略研究家でテロリズム対策についての著作などもある人だけれど私は読んだことがない。その彼が、自分の父親をヒットラーから救ってくれた人物をついに探し当てた。父親はレジスタンス活動で収容所に送られるところだった。でも、このころの多くの人と同じで父親は当時のことをほとんど語ろうとしないままで亡くなった。で、息子がさまざまな調査をしてようやく発見した「恩人」は、ドイツの男爵で、志願してナチスの将校となったフランツ・フォン・ホイニンゲンだ。

この人は、当時のドイツの普通のキリスト教貴族として普通のユダヤ人への偏見ももっていたし、ヒットラーの政策にも共鳴してナチスに加盟した。
でも、また普通の正義感も持っていて、ユダヤ人やレジスタンスの殲滅作戦には賛同せず、数百人のユダヤ人やレジスタンスの闘士たちを逃がした。
最後はヒットラーへの反逆の罪を逃れるために妻とルクセンブルクに逃げてそのままひっそりと余生を過ごしたらしい。誰にも知られなかった。

で、エスブールが伝えたいのは、あの時代、普通の人が普通に、不当な扱いを受ける犠牲者を救う行動に出たということだ。

ナチスの蛮行というと私たちはアイヒマン裁判を見たハンナ・アーレントの「悪の陳腐さ」を思い出す。普通の公務員が普通に、命令通りに、大犯罪を犯してしまう。

でも、実は、アーレントの証言にも、「普通の善」の証言もたくさんある。
ユダヤ人の子供たちを匿ったり、ユダヤ人の子供たちのために偽の「洗礼証明書」を発行した司祭や牧師もたくさんいた。

ユダヤ人を救った義人というと私たちは勇気ある英雄だと讃えるけれど、実は、市井の普通の人の多くが、ナチスの将校ですら、罪のない人たちをとらえて殺すなんてとんでもない、と思って、自分たちの身の丈に合った救援活動をしたのだ。

「普通の人」が陳腐な悪の方に振れるのか、陳腐な善の方に振れるのか、その差はごく小さいのかもしれない。

「陳腐な悪」の方が私たちに衝撃を与え、そちらに触れないように自戒を促す。
でも、私たちは実は、ずっとたくさんある「陳腐な善」に囲まれて、その恩恵を受けっぱなしで生きているのだ。

エスブールはもう一人、セルマ・カルタルとかいうやはりユダヤ人らを救った人の消息を探し続けているということで、TVで呼びかけていた。

ナチスの残党を世界の果てまで追いかけて罰しようとするユダヤ人組織の執念を見るのはなんだか怖いといつも思っていたけれど、「陳腐な善」を追い続ける子孫たちの熱意には勇気づけられる。

「陳腐な善」をみんなが実践しやすい社会でありますように。



by mariastella | 2019-03-19 06:54 |

イザベル・グイックとクリステーヴァとアヴィラのテレサ

サンタンヌの精神病理学アートの展示会で購入した5冊の本のうちのこれには絵がない。

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サンタンヌのアートセラピーで絵の才能を見出されて、「病気」も治ってしまって、退院してから画家として活躍するイザベル・グイックのをセミナー講演が収録されているものだ。

このセミナーは主として精神病理学の領域における精神分析の関係とその進化を研究者たちが定期的に報告し合っているもので、この本は2016-2018年にかけて「女性性、女性、女性らしさ」の三つを見分ける目印となるものは何かをテーマに集めたものだ。

ということは、イザベル・グイックの体験談も、単に病とアートの関係だけでなく彼女が女性だということに関係があるのだろう。

彼女を除くほとんどが精神病理学の臨床研究者の講演だけれど、一つだけ特に私の目をひいたものはフランソワーズ・ポンティチェリの『アヴィラのテレサ、女と聖女』というものだ。なるほど、ジュリア・クリステーヴァが『テレサ、モナムール』を書いたのは彼女の精神分析家(精神分析医ではない)としてのアプローチを勧められたのがきっかけだったようだ。

私もテレサの本を書こうとしてアヴィラにも取材に行ったのだけれど、クリステーヴァの大部の本が出てしまったので気をそがれてそのままになっている。

この二講演の記録を読むのが楽しみだ。もとは内部供覧用の本なので、サンタンヌのこの展覧会に行って、スタッフと話し合った時に勧めてもらわなければ出会えなかった。

他にも興味ある記事が満載だ。(参考に目次を載せておきます)

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by mariastella | 2019-03-15 00:05 |

『スピノザ組』マキシム・ロヴェール

スピノザと言えば、アムステルダムダムのユダヤ人共同体から追放されて、ハーグに移ってレンズ磨きで生計を立てて生涯独身、孤独に『エチカ』などを執筆したというようなエピソードを思い出す。

けれど、実際はまったくそうではなかった。彼の「哲学」が神学の殻を破って、やはりオランダに住んだことのあるデカルトの数学的合理主義の影響を受けたように、彼の生きた時代と人脈による「チーム」を形成していた。

アムステルダムのユダヤ人共同体といっても一枚岩ではなく、懐疑派もいればリベラルな者もいた。彼の追放も、カトリックの破門のような絶対的なものではなくローカルな「出入り禁止」に過ぎない。もちろんアムステルダムのユダヤ人は彼と付き合うことを禁止されたから、兄弟たちとの縁は切れた。

でも、別に「蒙昧なユダヤ共同体が理性的な啓蒙哲学者を否定した」というような話ではない。

母は彼が幼い頃に死んでいて、23歳で父が破産して死んだ時に父の負債を引き受けないために、日本語で何というか分からないけれど、縁を切るような手続きをとった。オランダの法律的には合法的だが、それはユダヤの慣習法に反するもので、形式的にはその一点だけで、「追放」の条件を満たしている。

もっとも、もスピノザはごく若い時から聖書を合理主義的に検証してその矛盾をつくなど批判的な立場を隠さなかったから、ラビに神学的に非難されたのだ。このアムステルダムのユダヤ人共同体は、スピノザの祖父と同じようにスペインからポルトガル経由でオランダに移住してきたもので、ユダヤ人のアイデンティティよりもポルトガルのアイデンティティの方が強かったという。そういう閉じたサークルから追放されたのだ。

けれども、当時のオランダには理神論的な哲学者、科学者たちがたくさんいた。

スピノザは幼少の頃から飛びぬけて頭脳明晰であり、宗派を問わず知識人たちから尊敬されることになった。聖書や神学の内容を一から「仕分け」して理性で説明していく方法は、多様な文化的背景、教養を持った知識人たちの思想を「真理」によって統合できると信じていたからこそのものだ。彼らは意見を交換し、戦わせ、ヨーロッパ近代の「理神論」や「無神論」の流れを共に形成していったのだ。

独身をとおした禁欲的な人生というのも違うようで、26歳の時に自分のラテン語教師の娘16歳のクララ・マリアに恋をして結婚を考えた。けれども相手はカトリックでスピノザにカトリックに改宗してくれるように頼んだが彼は拒否した。結局彼女は、カトリックへの改宗を受け入れたプロテスタントの男と結婚した。

その失恋が尾を引いたわけだ。レンズの研磨をして望遠鏡を売っていたのは事実だが、それも幾何学と光学の関係から始めたものでいわゆる「職人」というわけではなかった。レンズを磨く前に幾何学の個人教師をしていた。友人から年金を支給されていたのも事実で、「食うために働く」状態ではとてもあのような著作は残せなかっただろう。『無神論』(中央公論新社)でも書いたけれど、ヨーロッパでは宗教改革の始まる16世紀には知識人の間で実質的にはもう「ローマ・カトリックの教義」というものを言葉通り信じている者はいなかった。しかしそれを言葉にして、神学から切り離した哲学を構築するのか、は簡単なことではなかった。ローマ・カトリックのシステムと秩序は庶民の生活の中での冠婚葬祭の典礼や互助組織から、政治、経済に至るまで浸透していたからだ。でも、ユダヤ教のベースから宗教イデオロギーを否定した人たちとカトリックやプロテスタントのベースから宗教を否定した人たちが誕生しつつあった「合理主義」の名のもとで結びついて確かなチームワークが形成された。無神論はそれぞれの宗教の鏡であるから「多様性」はそのままだったけれど、普遍的なことばで「真実」に迫るというモティヴェーションが彼らを結びつけた。多くの書簡が残っている。

今のように世界中でタイムラグなしの通信が可能な時代、「真理」の探究者たちがどんどん意見を交換して協働に向かうエスプリを維持していることを期待する。

この『スピノザ組』という本はフィクション抜きの小説だ、と著者であるマキシム・ロヴェールが言っている。

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1677年とはスピノザの死の年だ。けれどもチームワークは続く、というより本格的に始まり、啓蒙の世紀へとつながっていく。
エッセンスをひとことで言ってしまうと…。

自由とは「ノー」と言えるところに存在する。ノーという自由がある時にだけ、「イエス」という合意が、従属ではなく確信に基づくことになるからだ。

(読みやすくて刺激的だ。500ページを超える大著なので今まで敬遠していたけれど先月文庫版が出たのでさっそく購入した。)


by mariastella | 2019-02-19 00:05 |

HAI KAI

オディールがパリのアパルトマンからヴェルサイユの施設に移った時に蔵書を数十冊譲ってもらった。

オディールについては前に書いた。

譲ってもらった本の中には思いがけないものが多い。

彼女の父親の書いた本もあった。その中にラ・フォンテーヌばりの寓話もある。


印象的なのはある修道院が多分自分たちの内部供覧のためにクリスマスにつくったと思われる詩集だ。

最初はOZON修道院が1988年に、再版はAbbaye du Presqueと場所が変わっている。

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もう一冊は「HAI KAI」(俳諧のことだろう)とある短詩の詩集で、いずれも水墨画のようなタッチのイラストがついている。

著者はどちらもSOEUR IMMACULATA というシスターだ。

イラストも同じシスターのものだろう。 夜の歌、鳥や花の歌がたくさんある。自然や天気に託した心象風景も。神だの仏(当たり前だけれど)だのは出てこない。どんな人だったのか、この詩集をみんながどんな風に読んだのか、思いをめぐらせてしまう。

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「鳥。

空をわがものにして飛ぶ。

決して触れることなしに。」


by mariastella | 2019-02-13 00:05 |

ガブリエル・アレグラとテイヤール・ド・シャルダンの対話

最近買って読んでいる本でとびぬけておもしろいのが、1935年に聖書の中国語訳に着手して2012年に故郷のシチリア島で列福されたフランシスコ会のガブリエル・アレグラが1942年から45年に北京でテイヤール・ド・シャルダンとかわした会話の記録のフランス語訳だ。

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あまりにおもしろいので日本語訳など探したけれどなく英訳は1970年に出ていたようだ。

もとはイタリア語で書かれたものなのだろうか?

フランス語版はフランス語で朗読されている内容を少し視聴できるところ があった。


本にもCDがついているので目の悪くなった友人にプレゼントできる。

私はもうだいぶ前から「神と宇宙」という本を企画していたのだけれど、この本をまだ読んでいなかったので機が熟していなかったのだろう。


対談時のアレグラはまだ35歳の若さ。対するテイヤール・ド・シャルダンは60がらみ。

フランス人のティヤール・ド・シャルダンは考古学者でもあり、北京原人の発掘者としても有名だ。

で、彼は進化論など研究しながら、当時の教会から著書を「禁書」扱いなどされていたくらいにスケールの大きい宇宙規模の進化論を提唱していた。

研究や調査の実績だけ見ると、学者がたまたま聖職についたのかと思えるほどだけれど、彼の信仰と神学と研究とは不可分のものだった。だから、今風に言うと、ビッグバンの彼方には必ずキリストがいる。しかもこの人はイエズス会士だ。

異端扱いされる60歳のイエズス会士と、35歳のフランシスコ会士、では何の接点もないように思えるかもしれないけれど、実はまさにその壮大な(キリストに終結するとはいえ)汎神論的宇宙の感性は、フランシスコ会の世界観とつながっているのだそうだ。

つまり、アッシジのフランチェスコが鳥たちに説教したり、太陽も月も自然はみな兄弟姉妹だと謳い上げたことと通じる。アレグラがティヤール・ド・シャルダンを定期的に訪問してかわされた豊かな会話には、第二次大戦中で日本軍に統制されていた時代にもかかわらず、戦況や政治については不思議なほどにまったく触れられていない。

そんな彼らの会話の記録は1960年代からアメリカのフランシスコ会神学者の興味を引いた。フランシスコ会には、アレクサンデル・ハレンシス(「神学者の王者」といわれ、13世紀のスコラ学、フランシスコ会神学の祖)、ボナヴェントゥーラ、ダン・スコトゥスなどのキリスト中心主義の神学の伝統がある。それらと、テイヤール・ド・シャルダンの神学と宇宙観の驚くべき新しさには連続性があると考えられ、それを確かめるために彼らはこの会話記録を歓迎したのだ。


このブログで前にアメリカで大人気のフランチェスコ会士リチャード・ロアについて触れたことがある。


今思うと、リチャード・ロアはこのアレグラとティヤール・ド・シャルダンの系譜につながっているのだろう。そして「フランシスコ」教皇も。


「キリスト中心主義」への集結というと「キリスト教」だと思うかもしれないけれど、宇宙の生命の中心にあるものを彼らは「キリスト」と呼んでいるのだ。イエス・キリストはもうそこではナザレのイエスという人間として生まれる前から永遠のレベルに位置する存在で、仏教だって、釈迦如来が、もうゴータマ・シッタルダという人間が悟りを開いたのとは別の永遠のレベルに遍在すると言われる場合があるのと同じだ。


人が自分の生命を超えた次元の何かをキャッチするシンボルの世界は共通している。

少しずつ探っていこう。


by mariastella | 2019-02-05 00:05 |

ケインズの「平和の経済的帰結」その1

先日の朝、ぼんやり聞いていたラジオで突然こんな一節が朗読された時、一瞬これはBrexitのことかと思った。


「ヨーロッパの声なき鳴動はイギリスには伝わらない。ヨーロッパは離れていて、イギリスはヨーロッパの血や肉には属さないのだ。だがヨーロッパはそれ自体として確固たるものだ。フランス、ドイツ、イタリア、オーストリア、オランダ、ロシアとルーマニアにポーランドは、共に脈打ち、その構造と文明は基本的には一体だ。これらの国々は共に栄え、戦争においては共に震撼してきたが、私たちイギリスは、そのすさまじい貢献や犠牲にも関わらず(私たちより程度は劣るがアメリカと同様に)経済的にはヨーロッパの外にあり、そしてかれらは倒れるときも一連託生かもしれない。」

(私の聞いたのはフランス語訳ですが、ここでは山形浩生さん訳を引用しました)


続きを聞くとBrexitのことではなくて、これは1919年のパリ講和会議の途中でパリを去ってすぐに書かれたケインズの「平和の経済的帰結」の序文の部分だった。アンドレ・ジイドの勧めで出版され、翌年すぐに訳されたフランスでは超有名なテキストで、何度も出版されているし、学校でも使われるし、フランス語訳も版権フリーでネットで全文読める。

私は読んだことがなかった。

ケインズと言えば「ケインズ経済学」で、ハイエクとの関係を含めて一般的な知識はあったけれど、彼が何よりもイギリス財務省の高級公務員でパリ講和会議に加わって、クレマンソーをこき下ろし、席を蹴った経緯などは知らなかった。ここで、「ロシア」がヨーロッパの運命共同体と言われていることで、当時のソビエト革命の影響力やボルシェビキの広まりの脅威などがあらためて理解できる気がする。

ケインズの経済学は独立した学問として認知されてからの経済学とは少しニュアンスが違う。

経済学は、イギリスでも最初は道徳哲学の学部の一部門で、ケインズの師であるアルフレッド・マーシャルもケンブリッジの歴史と道徳科学部門で経済を教えていた。経済学部が独立して創設されたのは1903年だ。フランスではその頃でもまだ「法学部」の一部門だった。19世紀の経済学は神学や政治学とも分離していなかった。そのニュアンスの違いや、道徳や哲学と経済学の関係をあらためて考えさせられる。 

で、ケインズがパリ講和会議を蹴ったのは、運命共同体、一つの有機的な体であるヨーロッパの中でフランスがドイツに過大な賠償を支払わせるのはヨーロッパ文明全体を危うくすると思ったからだ。

ケインズはクレマンソーへの憎しみ(要するに老害ということだ)を隠さないけれど、そこには逆説的に彼がフランスやヨーロッパを愛していたこともうかがえる。ロシアについても、ロシア人のバレリーナと結婚していたし、バイセクシュアルでアーティストの愛人と暮らしていたこともあり、いろいろな意味で両義的な人だった。

第二次大戦当時、ケインズのこのテキストのせいでヒトラーが生まれた、という人もいたそうだ。彼が英仏にドイツに対する罪悪感を植え付けたからだという。(続く)


(このテキストは最初に私がBrexitのことかと勘違いしたくらい非常に今日的で、おもしろい。日本での訳書があるかとネットで探したところ、古い訳の他に、なんと無料で全文読めるものがあった。この記事の最初に引用して使わせてもらった山形浩生さんのものだ。この方の翻訳のエネルギーというのは凄すぎて圧倒される。ここにリンクしておくので一読を。特に第三章がおもしろい。アメリカ大統領の愚鈍ぶりの的確な批判はおもしろい。ケインズがトランプ大統領のそばにいるのならなんと言っただろう…。

ウィルソン大統領がブレストに到着した時はまるでメシアのように迎えられたそうだ。会議の席で彼を間近に観察できたケインズならではの洞察はおもしろい。絶対正義に適っているはずだというアメリカの確信は建国以来のメンタリティなのかもしれない。英仏のリーダーは実はたいてい懐疑に捕らわれているか、確信犯的に正義を棚上げしているかの場合が多い。

(パリ講和会議のドキュメンタリー番組について前に書いた記事もあわせてどうぞ。)




by mariastella | 2019-01-26 00:05 |

歴史と政治とアート

昨日の記事で書いた書店で買った2冊目の本。

ヨーロッパの19世紀後半に「過去」というものがどういう風に「発明」されたかという歴史をアートでたどるもの。
これは2014年のリヨン美術館の展覧会のカタログも兼ねた記念出版で、大判でDVDもついている高価なものだけれど、アウトレットなので格安だった。
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興味深い論文と絵画を中心とした作品のコメント。

フランスにおいては、「フランス革命」のトラウマとロマン派の黎明期とが重なった時代にどのようにして「ナショナル」な歴史を形成するためにアートが使われたかというテーマがおもしろい。「普遍主義」の夢がボロボロになった時点であらたなナショナリズムを育てるにふさわしい「過去」や「伝統」は果たして存在するのか。

ヨーロッパの他の国についても、オーストリアとボヘミア、ハンガリー、ポーランドなどいろいろ微妙な版図が動く時代のナショナリズムは、過去の歴史的な「事件」をどう切り取って描くかという政治的なアートに反映させられた。
16世紀に遡るメアリー・スチュアートの処刑のようなテーマも、フランス、イングランド、スコットランド、ハプスブルク家のスペインなどが入り組む「歴史」のシンボルとして劇的な絵柄だった。

牢で病に伏すジャンヌ・ダルクを尋問するウィンチェスター枢機卿の絵 についてコメントしたいところだけれど仕事が遅れているのでこのメモのみ残す。



by mariastella | 2019-01-24 00:05 |

ネフェルティティの定理

先日、シャルル・ド・ゴール空港から遠くないアウトレット内の書店で美術関係の本を3冊買った。
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そのひとつがこれ。パリのアラブ世界研究所で開かれた展覧会のカタログだ。エジプトを中心に、王族や神々のイコンがどのように作られたかの変遷を古代から現代まで。完全にアラビア語とのバイリンガル仕様になっている。こういう時、アラビア語は左から右への横書きなので、本の反対側から反対開きでアラビア語になっている。ネフェルティティ
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アラビア文字はまだ少し読めるので右から最初にネフェルティティ王妃の名が書かれているのが分かる。
フランスでは日本のマンガがたくさん翻訳されているけれど、セリフの言葉の向きと開き方のせいで絵はみんな左右が逆になっている。アラビア語やペルシャ語に訳されるマンガならまた左右が戻ることになるのだろうか?

by mariastella | 2019-01-23 00:05 |

マルセル・ゴーシェの『ロベスピエール』

年明けに入手したもう一つの歴史本は、マルセル・ゴーシェの『ロベスピエール』だ。

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フランス革命の経緯についてはもういろいろ言い尽くされ書き尽くされているのではないかと思っていたが、なにしろ、あのマルセル・ゴーシェが書いているのだ。

確かに、フランス革命の理想と現実の乖離、理想が原理主義になり暴走することの病理などは、ロベスピエールの運命に象徴されていると言えるだろう。

「正義」や「理念」のために身を捧げる人たちがある一線を越えて「不正義を徹底的に排除し懲罰する」という不条理。それがひょっとして「正義」という理念の中にアプリオリに組み込まれているのだとしたら怖い。

きわめて今日的な問題でもある。


私が子供の時に読んだ長編小説にユゴーの『93年』の短縮版の『嵐の九十三年』というのがあった。

主人公のゴヴァンは最後にギロチンにかけられるのだけれど、その前に「共和国、万歳! Vive la République !」と叫ぶ。ギロチン台での処刑というのもショッキングだけれどいわば同じ共和国のために、革命にかかわった側から処刑されるのにもかかわらず、「共和国、万歳」とする信念は変わらない。そのことに強烈な印象を受けたのをはっきりと覚えている。

理念、信念、と生身の人間、その命と感情、価値観の関係の難しさに圧倒されたのだ。

今は著作権フリーだからこの小説はフランス語ならネットでどこでも全文読める。


ネットの検索機能を使って「Vive la République !」が何度出てくるか調べたら7か所だった。

それをチェックしながら、いろいろ考えさせられた。

(これを書いている時、日本語のネットでマルセル・ゴーシェ君主制についてインタビューに答えている記事を見つけた。
今のマクロンと黄色いベスト運動を念頭に置いているのだろう。確かにフランスの第五共和制は今でも「王政」に似ている。オランドが出てきたときはそれがより合議的なものに変化するかと予測した者は多かったけれど、そうはならなかった。けれども、マルセル・ゴーシェがオランドはギロチンにかけられたというのはあたっていない。彼は「王」になれなかったからだ。民衆はマクロンという「王」、ギロチン台に送り込むに値する「王」を必要としたのだ。)



by mariastella | 2019-01-11 00:05 |

無敵艦隊の軌跡とカミカゼ

年明けから読んでいる本の続き。

Dansle sillage de l’invincible Armada

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1588年、エリザベス一世を滅亡させる絶対の勝算があったフェリペ二世のアルマダ(無敵艦隊)が敗れた原因は戦力の差などではなかった。

途中で当時スペイン領だったオランダ総督パルマ公の軍隊10万人が加わるはずだったのが反乱のために当てが外れ、悪天候に帰路を阻まれ、飢えと寒さで15000人が死んだのだ。 


スペインが一方的にイングランドを侵略しようとしたわけではない。


フェリペ二世は妻のイングランド女王でカトリックのメアリー1世がイングランド女王であった時は「共同王」だった。その後、プロテスタントである義妹のエリザベスが庶子であることを理由に、王位継承者はカトリックの前スコットランド女王メアリー・スチュアートであるべきだと画策した。結局エリザベス一世がメアリーを処刑した。かくなる上は実力でイングランドと戦って併合するしかない、というわけだ。


Brexitの今に至るまで確執を残す英国の、イングランド国教会と、スコットランドの一部とアイルランドのカトリックとの対立の根は深く複雑だ。けれども、確実なのは、これが「宗派の対立」などではなく、単に当時強大だったハプスブルグ家の覇権主義と、島国での生き残りと海洋勢力拡大とを賭けたイングランドとの間の「政争」だということだ。

イングランドの「宗教改革」による国教会成立よりもずっと前に「カトリック一色」だったヨーロッパでも様々な戦いがあり、英仏百年戦争ではジャンヌ・ダルクの異端審問まで起こった。王族たちの政略結婚やそれによる領地の相続などによって「勢力地図」はたえまなく変わり、「勢力」や「国家」と関係のない庶民が絶えず戦禍を被った。

でも、「建前」は、互いを異端だとしたカトリックとプロテスタントの戦いで、スペインの艦隊は「十字軍」認定されて、守護の聖人の旗を掲げ、プロテスタントのイギリスはエオールやネプチューンなどギリシア神話系の神の旗を掲げた。

確かにこういう時は「一神教」の同じ創造神を奉っていては戦意を昂揚できないだろう。

で、当時最強だったアルマダは、さまざまな思いがけない不運のために軍の半数を失って帰還するのだが、その間、スコットランドやアイルランドをぐるりと回って兵站を補填しようとしたがさまざまな要因で阻まれた。

英仏海峡の天候の困難さはよく知られていて、そのことが二度の世界大戦の戦況にも大きく影響を与えた。

圧倒的な戦力による侵略が、具体的な戦闘でなく自然要因で失敗したというと、日本人の私には13世紀の元寇で台風が日本を救ったといういわゆる「神風」エピソードが頭に浮かぶ。

フランス人ならナポレオン軍がモスクワに侵攻した帰りに飢えと寒さで大打撃を受けた「冬将軍」エピソードだろう。

もちろん実際はそう単純な話ではなくいろいろな要素が絡んでいるのだけれど、もし「神風」が吹かなかったら、日本は元・高麗に征服されていたのだろうか、とか、季節の読みを誤っていなければナポレオンはロシアも征服していたのだろうとか、「歴史」の妄想も起こる。

リベラシオンのディレクターであるローラン・ジョフランは歴史マニアで、航海マニアだ。彼は、自分の船でアルマダの跡を季節も含めて正確にたどって、当時の船の精度、航海法などを科学的に調査しながら、無敵艦隊の悲劇をたどる本を出版した。私は一般の「戦記物」にはあまり興味がないのだけれど、この本はおもしろい。

その中で、アルマダ侵攻の初期に、悪天候のために港に停泊していた時に、「火船」によって多大な被害を受けたというところに注意を引かれた。「火船」というのは「自殺船」ともよばれ、イングランドは、タール、ピッチ、火薬を搭載した自爆船をアルマダに体当たりさせたというのだ。

うーん、それこそ、「神風特攻隊」を想起させる。

で、調べてみたら、こういう「火船」の歴史は古く、普通は無人で風や海流を計算して流したようだけれど、敵のすぐ近くまで別の船が誘導していく例もあるという。後に長距離爆弾だの魚雷や飛行機だのが登場してからは「火船」は姿を消すのだけれど、『アフリカの女王』のラストシーンにもあるように、イチかバチかで敵の巨艦に突っ込むことの威力は「戦略」として延々と続いていたわけだ。

「神風特攻隊」の「カミカゼ」は21世紀のイスラム過激派テロリストの自爆テロにまでつながる「国際語」になってしまったくらいにインパクトが強い。

アルマダに打撃を与えた「火船」も、「無人」ではなく、志願か強制かは分からないがけれどひょっとして「自爆要員」が乗っていたのではないか、と想像したくなる。火薬を積んでいても体当たりのタイミングで確実に爆発しなくては意味がないのだから。


戦争の歴史には人間の愚かさがいっぱいつまっている。


by mariastella | 2019-01-10 00:05 |



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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