人気ブログランキング |

L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:本( 69 )

自然法と諸権利

仕事が一段落したので、ようやくピエール・マナンという政治哲学者の『自然法と諸権利』という本をゆっくり読んでいる。

彼がパリのカトリック大学で行った6講演を収録したものだ。
今の民主主義国のスタンダードで当然のように思われている基本的人権やその中の表現の自由などが、実際はどういう問題をはらんでいるかという話で、非常に興味深い。あまりに「目から鱗」だったので、世界の見方が少し変わった。
でも、そう簡単には説明できないので、いつか別の形で紹介するつもりだ。
フランス語を読む人で、この分野に関心のある方にはぜひお勧めです。
c0175451_02031077.jpeg


by mariastella | 2019-09-03 00:05 |

ソルフェリーノの思い出

フランス語が日本語と同じ感覚で読めるようになって、しかも、gallicaで古い文献なら何でも読める時代になって、過去の出来事が驚くほどの実感で迫ってくることがある。

赤十字の創設のきっかけになったアンリ・デュナンの『ソルフェリーの思い出』を読んで(恥ずかしながら、ソルフェリーノと聞いても今まではパリのメトロの駅がまっさきに浮かんでいた私、)その迫力に圧倒された。


彼はこの本を1859年のソルフェリーノの戦いの3年後に自費出版して政治家や軍人たちに配った。

赤十字つながりで、デュナンがにわか看護師となって負傷兵を世話しようとした修羅場が有名だけれど、何よりも、肉弾戦の戦場で、兵士たちが、最後の最後まで、「生き延びる」ことではなくてただただ戦うこと、相手を破壊することしか考えられなくなっている様子が怖い。自分もひどい傷を負っているのに敵の喉に文字通りくらいついて噛みちぎろうとするなど、勝敗というより殺戮本能、破壊衝動だけがあるかのようだ。それは馬たちにも伝染しているようで、興奮していななきながら敵の馬に噛みついていくシーンもある。負傷した将校を教会に引き入れた後で敵が来て大きな石でその将校の頭を打ち砕き脳漿が飛び散るシーンなど、とにかく、死ぬまで、完膚なきまで攻撃がやまないシーンもたくさんある。

デュナンは当時のフランス領アルジェリアで土地を購入する許可をもらいにナポレオン三世を戦地まで追ってきたのだが、はからずも、従軍記者のような迫真のレポートを残すことになった。

戦地にいない人々にはまったく想像もつかないそのリアルが公開されたことで、スキャンダルとなり、本の出版の翌年に将軍や医師ら4人と共に負傷兵救済国際委員会を発足させることができた。その翌年に「戦場で敵味方の区別なく負傷兵を手当てする」という赤十字条約が締結された。筆の力が人をここまで動かすことができる。

そのためにはただの従軍記者ではなく、中立なジャーナリストの目が必要で、そこに「人間を人間」として見る必要がある。戦場では、敵はもちろん、すべての兵士が「人間」でない「戦闘要員」で、「いのち」に対する感覚が完全に麻痺している。

私は映画でも残虐シーンとか暴力シーンが苦手でできるだけ見ないようにしているのだけれど、勇ましさの誇示とか戦意高揚とかではなく「現実の修羅場を記録して知らせる」というショック療法なくしては、赤十字のような人道機関は陽の目を見なかったんだなあ、と思う。

そうなると、原爆記念館だとか、アウシュビッツだとか、さまざまな戦争犯罪を語り伝えることの大切さがあらためて分かる。そこで肝心なのは、誰と誰が敵と味方として戦ったのかとか、加害者と被害者という視点からの告発や非難ではなくて、命への罪、人類への罪、という視点で、どこでも誰でも時と場合によっては自分の尊厳も捨て去り、他者の尊厳もふみにじり、「非人間」になってしまうことがあるという現実の認識なんだろう。


AIが人間を超えるかどうかなんて言っている場合では、ない。


by mariastella | 2019-08-31 00:05 |

内的エコロジー小論

すぐに使えない分厚い本を買うのはやめようと思っていたのに、アマゾンの試し読みをしてあまりにも刺激的なのでつい買ってしまった。
2019年の宗教文学賞(宗教文学の書店組合が選ぶもの)を獲得したジャン=ギエム・クセリの『あなたの魂を世話しましょう ― 内的エコロジー小論』(Cerf)。

20世紀に花開いた精神分析学と文化人類学に基づく「構造主義的人間観」が下火になり、21世紀には生物学、共感主義、サイバネティックスに基づく「神経システムとしての人間観」が優勢になった。

ヒトは何を知ることができ、何をすることができ、何を期待できるのか、という問いには大きく分けて四つのアプローチがある。

それによって、ヒトが病人や子供や障碍者、動物、機械、とどう接するかが変わってくる。

1.アリストテレス的(人は考える動物、魂と肉体のミックス)
2.デカルト的(機械としての体と考える心の主体は別)
3.構造主義的(歴史や文化や生育環境に依拠する無意識に支配される)
4.ニューロン的(内面はある種の分子によって影響を受ける。知覚、感情、気分、意識。抗鬱、抗不安、催眠、抗精神役、気分安定剤、興奮物質、精神刺激薬に対応する分子の発見)

で、マインドフルネスなど黙想、瞑想の話になって、それらは欧米では禅やヨガなどの流行で広まったけれど、実はキリスト教初期の「砂漠の隠修士」と呼ばれている教父たちが詳しい理論を書き残しているのだという。(「聖アントニウスの誘惑」なんていう画題は日本でも有名だ。)

で、彼らの理論を精神分析学者で生物学者でもある著書が徹底的に分析してそれらが魂の病にとって最高の「療法」であることを紹介、解説している。
禅林語録みたいなおもしろさもあるけれど、禅の言葉よりももっと分かりやすい。

神学的なものではなく実践的、実存的、療法的なものだ。
すごくおもしろそう。
c0175451_19142759.jpeg


by mariastella | 2019-06-17 00:05 |

『ジャンヌ・ダルク』


講談社現代新書だった『ジャンヌ・ダルク』が学術文庫で再登場しました。

フランスで最も書かれている歴史上の人物は、このジャンヌ・ダルクとナポレオンとルイ14世で、この3人については私も絶対に書きたいと昔から思っていました。

ジャンヌ・ダルクはその「聖女」としての切り口でこの本を書き、その後、白水社の『ふらんす』に連載した『ジャンヌ・ダルク異聞』を加筆したものを2013年に『戦士ジャンヌ・ダルクの炎上と復活』で出しています。2010年代には、もうジャンヌ・ダルクに関する膨大なフランス語文献にほとんどすべてネット上でアクセスできるのに感動しました。

ナポレオンも同じく連載したものをもとに『ナポレオンと神』(青土社)を2016年にだしました。

ルイ14世だけは、『バロックの聖女』(工作舎)1996の中の「ヴェルサイユの聖女」の章で書きましたが、一冊の本にはしていません。
ルイ14世は政治的なディメンションが大きいので切り口がたくさんありすぎるのですが、なんといっても、バレエの王立アカデミーを創設したバロック・ダンサーでギタリストであったという部分が、私のやっていることとぴったり重なるので、いつか書きたいとは思っています。

で、ジャンヌ・ダルクは「聖女」と「戦士」で2冊も書いたうえに、今回「聖女」が復活し、しかも、それは何かに呼ばれたような気がするタイミングでした。

そのことをじっくり加筆しています。

しかも、カバーには山岸涼子さんの鮮烈なジャンヌ・ダルクが。

ぜひ手に取っていただければと思います。



by mariastella | 2019-06-08 00:05 |

「善の陳腐さ」について

ストレスフルなニュースばかり続くこの頃、久しぶりに心が軽くなる本の著者がインタビューされているのをarteで見た。

『父を救ったこの不思議なナチ』



フランソワ・エスブールFrançois Heisbourgという戦略研究家でテロリズム対策についての著作などもある人だけれど私は読んだことがない。その彼が、自分の父親をヒットラーから救ってくれた人物をついに探し当てた。父親はレジスタンス活動で収容所に送られるところだった。でも、このころの多くの人と同じで父親は当時のことをほとんど語ろうとしないままで亡くなった。で、息子がさまざまな調査をしてようやく発見した「恩人」は、ドイツの男爵で、志願してナチスの将校となったフランツ・フォン・ホイニンゲンだ。

この人は、当時のドイツの普通のキリスト教貴族として普通のユダヤ人への偏見ももっていたし、ヒットラーの政策にも共鳴してナチスに加盟した。
でも、また普通の正義感も持っていて、ユダヤ人やレジスタンスの殲滅作戦には賛同せず、数百人のユダヤ人やレジスタンスの闘士たちを逃がした。
最後はヒットラーへの反逆の罪を逃れるために妻とルクセンブルクに逃げてそのままひっそりと余生を過ごしたらしい。誰にも知られなかった。

で、エスブールが伝えたいのは、あの時代、普通の人が普通に、不当な扱いを受ける犠牲者を救う行動に出たということだ。

ナチスの蛮行というと私たちはアイヒマン裁判を見たハンナ・アーレントの「悪の陳腐さ」を思い出す。普通の公務員が普通に、命令通りに、大犯罪を犯してしまう。

でも、実は、アーレントの証言にも、「普通の善」の証言もたくさんある。
ユダヤ人の子供たちを匿ったり、ユダヤ人の子供たちのために偽の「洗礼証明書」を発行した司祭や牧師もたくさんいた。

ユダヤ人を救った義人というと私たちは勇気ある英雄だと讃えるけれど、実は、市井の普通の人の多くが、ナチスの将校ですら、罪のない人たちをとらえて殺すなんてとんでもない、と思って、自分たちの身の丈に合った救援活動をしたのだ。

「普通の人」が陳腐な悪の方に振れるのか、陳腐な善の方に振れるのか、その差はごく小さいのかもしれない。

「陳腐な悪」の方が私たちに衝撃を与え、そちらに振れないように自戒を促す。
でも、私たちは実は、ずっとたくさんある「陳腐な善」に囲まれて、その恩恵を受けっぱなしで生きているのだ。

エスブールはもう一人、セルマ・カルタルとかいうやはりユダヤ人らを救った人の消息を探し続けているということで、TVで呼びかけていた。

ナチスの残党を世界の果てまで追いかけて罰しようとするユダヤ人組織の執念を見るのはなんだか怖いといつも思っていたけれど、「陳腐な善」を追い続ける子孫たちの熱意には勇気づけられる。

「陳腐な善」をみんなが実践しやすい社会でありますように。



by mariastella | 2019-03-19 06:54 |

イザベル・グイックとクリステーヴァとアヴィラのテレサ

サンタンヌの精神病理学アートの展示会で購入した5冊の本のうちのこれには絵がない。

c0175451_19011659.jpeg
サンタンヌのアートセラピーで絵の才能を見出されて、「病気」も治ってしまって、退院してから画家として活躍するイザベル・グイックのをセミナー講演が収録されているものだ。

このセミナーは主として精神病理学の領域における精神分析の関係とその進化を研究者たちが定期的に報告し合っているもので、この本は2016-2018年にかけて「女性性、女性、女性らしさ」の三つを見分ける目印となるものは何かをテーマに集めたものだ。

ということは、イザベル・グイックの体験談も、単に病とアートの関係だけでなく彼女が女性だということに関係があるのだろう。

彼女を除くほとんどが精神病理学の臨床研究者の講演だけれど、一つだけ特に私の目をひいたものはフランソワーズ・ポンティチェリの『アヴィラのテレサ、女と聖女』というものだ。なるほど、ジュリア・クリステーヴァが『テレサ、モナムール』を書いたのは彼女の精神分析家(精神分析医ではない)としてのアプローチを勧められたのがきっかけだったようだ。

私もテレサの本を書こうとしてアヴィラにも取材に行ったのだけれど、クリステーヴァの大部の本が出てしまったので気をそがれてそのままになっている。

この二講演の記録を読むのが楽しみだ。もとは内部供覧用の本なので、サンタンヌのこの展覧会に行って、スタッフと話し合った時に勧めてもらわなければ出会えなかった。

他にも興味ある記事が満載だ。(参考に目次を載せておきます)

c0175451_19015377.jpeg
c0175451_19025337.jpeg



by mariastella | 2019-03-15 00:05 |

『スピノザ組』マキシム・ロヴェール

スピノザと言えば、アムステルダムダムのユダヤ人共同体から追放されて、ハーグに移ってレンズ磨きで生計を立てて生涯独身、孤独に『エチカ』などを執筆したというようなエピソードを思い出す。

けれど、実際はまったくそうではなかった。彼の「哲学」が神学の殻を破って、やはりオランダに住んだことのあるデカルトの数学的合理主義の影響を受けたように、彼の生きた時代と人脈による「チーム」を形成していた。

アムステルダムのユダヤ人共同体といっても一枚岩ではなく、懐疑派もいればリベラルな者もいた。彼の追放も、カトリックの破門のような絶対的なものではなくローカルな「出入り禁止」に過ぎない。もちろんアムステルダムのユダヤ人は彼と付き合うことを禁止されたから、兄弟たちとの縁は切れた。

でも、別に「蒙昧なユダヤ共同体が理性的な啓蒙哲学者を否定した」というような話ではない。

母は彼が幼い頃に死んでいて、23歳で父が破産して死んだ時に父の負債を引き受けないために、日本語で何というか分からないけれど、縁を切るような手続きをとった。オランダの法律的には合法的だが、それはユダヤの慣習法に反するもので、形式的にはその一点だけで、「追放」の条件を満たしている。

もっとも、もスピノザはごく若い時から聖書を合理主義的に検証してその矛盾をつくなど批判的な立場を隠さなかったから、ラビに神学的に非難されたのだ。このアムステルダムのユダヤ人共同体は、スピノザの祖父と同じようにスペインからポルトガル経由でオランダに移住してきたもので、ユダヤ人のアイデンティティよりもポルトガルのアイデンティティの方が強かったという。そういう閉じたサークルから追放されたのだ。

けれども、当時のオランダには理神論的な哲学者、科学者たちがたくさんいた。

スピノザは幼少の頃から飛びぬけて頭脳明晰であり、宗派を問わず知識人たちから尊敬されることになった。聖書や神学の内容を一から「仕分け」して理性で説明していく方法は、多様な文化的背景、教養を持った知識人たちの思想を「真理」によって統合できると信じていたからこそのものだ。彼らは意見を交換し、戦わせ、ヨーロッパ近代の「理神論」や「無神論」の流れを共に形成していったのだ。

独身をとおした禁欲的な人生というのも違うようで、26歳の時に自分のラテン語教師の娘16歳のクララ・マリアに恋をして結婚を考えた。けれども相手はカトリックでスピノザにカトリックに改宗してくれるように頼んだが彼は拒否した。結局彼女は、カトリックへの改宗を受け入れたプロテスタントの男と結婚した。

その失恋が尾を引いたわけだ。レンズの研磨をして望遠鏡を売っていたのは事実だが、それも幾何学と光学の関係から始めたものでいわゆる「職人」というわけではなかった。レンズを磨く前に幾何学の個人教師をしていた。友人から年金を支給されていたのも事実で、「食うために働く」状態ではとてもあのような著作は残せなかっただろう。『無神論』(中央公論新社)でも書いたけれど、ヨーロッパでは宗教改革の始まる16世紀には知識人の間で実質的にはもう「ローマ・カトリックの教義」というものを言葉通り信じている者はいなかった。しかしそれを言葉にして、神学から切り離した哲学を構築するのか、は簡単なことではなかった。ローマ・カトリックのシステムと秩序は庶民の生活の中での冠婚葬祭の典礼や互助組織から、政治、経済に至るまで浸透していたからだ。でも、ユダヤ教のベースから宗教イデオロギーを否定した人たちとカトリックやプロテスタントのベースから宗教を否定した人たちが誕生しつつあった「合理主義」の名のもとで結びついて確かなチームワークが形成された。無神論はそれぞれの宗教の鏡であるから「多様性」はそのままだったけれど、普遍的なことばで「真実」に迫るというモティヴェーションが彼らを結びつけた。多くの書簡が残っている。

今のように世界中でタイムラグなしの通信が可能な時代、「真理」の探究者たちがどんどん意見を交換して協働に向かうエスプリを維持していることを期待する。

この『スピノザ組』という本はフィクション抜きの小説だ、と著者であるマキシム・ロヴェールが言っている。

c0175451_05050601.jpeg
1677年とはスピノザの死の年だ。けれどもチームワークは続く、というより本格的に始まり、啓蒙の世紀へとつながっていく。
エッセンスをひとことで言ってしまうと…。

自由とは「ノー」と言えるところに存在する。ノーという自由がある時にだけ、「イエス」という合意が、従属ではなく確信に基づくことになるからだ。

(読みやすくて刺激的だ。500ページを超える大著なので今まで敬遠していたけれど先月文庫版が出たのでさっそく購入した。)


by mariastella | 2019-02-19 00:05 |

HAI KAI

オディールがパリのアパルトマンからヴェルサイユの施設に移った時に蔵書を数十冊譲ってもらった。

オディールについては前に書いた。

譲ってもらった本の中には思いがけないものが多い。

彼女の父親の書いた本もあった。その中にラ・フォンテーヌばりの寓話もある。


印象的なのはある修道院が多分自分たちの内部供覧のためにクリスマスにつくったと思われる詩集だ。

最初はOZON修道院が1988年に、再版はAbbaye du Presqueと場所が変わっている。

c0175451_22470458.jpeg
c0175451_22482543.jpeg

もう一冊は「HAI KAI」(俳諧のことだろう)とある短詩の詩集で、いずれも水墨画のようなタッチのイラストがついている。

著者はどちらもSOEUR IMMACULATA というシスターだ。

イラストも同じシスターのものだろう。 夜の歌、鳥や花の歌がたくさんある。自然や天気に託した心象風景も。神だの仏(当たり前だけれど)だのは出てこない。どんな人だったのか、この詩集をみんながどんな風に読んだのか、思いをめぐらせてしまう。

c0175451_22455234.jpeg
c0175451_08284679.jpeg

「鳥。

空をわがものにして飛ぶ。

決して触れることなしに。」


by mariastella | 2019-02-13 00:05 |

ガブリエル・アレグラとテイヤール・ド・シャルダンの対話

最近買って読んでいる本でとびぬけておもしろいのが、1935年に聖書の中国語訳に着手して2012年に故郷のシチリア島で列福されたフランシスコ会のガブリエル・アレグラが1942年から45年に北京でテイヤール・ド・シャルダンとかわした会話の記録のフランス語訳だ。

c0175451_06312455.jpeg
あまりにおもしろいので日本語訳など探したけれどなく英訳は1970年に出ていたようだ。

もとはイタリア語で書かれたものなのだろうか?

フランス語版はフランス語で朗読されている内容を少し視聴できるところ があった。


本にもCDがついているので目の悪くなった友人にプレゼントできる。

私はもうだいぶ前から「神と宇宙」という本を企画していたのだけれど、この本をまだ読んでいなかったので機が熟していなかったのだろう。


対談時のアレグラはまだ35歳の若さ。対するテイヤール・ド・シャルダンは60がらみ。

フランス人のティヤール・ド・シャルダンは考古学者でもあり、北京原人の発掘者としても有名だ。

で、彼は進化論など研究しながら、当時の教会から著書を「禁書」扱いなどされていたくらいにスケールの大きい宇宙規模の進化論を提唱していた。

研究や調査の実績だけ見ると、学者がたまたま聖職についたのかと思えるほどだけれど、彼の信仰と神学と研究とは不可分のものだった。だから、今風に言うと、ビッグバンの彼方には必ずキリストがいる。しかもこの人はイエズス会士だ。

異端扱いされる60歳のイエズス会士と、35歳のフランシスコ会士、では何の接点もないように思えるかもしれないけれど、実はまさにその壮大な(キリストに終結するとはいえ)汎神論的宇宙の感性は、フランシスコ会の世界観とつながっているのだそうだ。

つまり、アッシジのフランチェスコが鳥たちに説教したり、太陽も月も自然はみな兄弟姉妹だと謳い上げたことと通じる。アレグラがティヤール・ド・シャルダンを定期的に訪問してかわされた豊かな会話には、第二次大戦中で日本軍に統制されていた時代にもかかわらず、戦況や政治については不思議なほどにまったく触れられていない。

そんな彼らの会話の記録は1960年代からアメリカのフランシスコ会神学者の興味を引いた。フランシスコ会には、アレクサンデル・ハレンシス(「神学者の王者」といわれ、13世紀のスコラ学、フランシスコ会神学の祖)、ボナヴェントゥーラ、ダン・スコトゥスなどのキリスト中心主義の神学の伝統がある。それらと、テイヤール・ド・シャルダンの神学と宇宙観の驚くべき新しさには連続性があると考えられ、それを確かめるために彼らはこの会話記録を歓迎したのだ。


このブログで前にアメリカで大人気のフランチェスコ会士リチャード・ロアについて触れたことがある。


今思うと、リチャード・ロアはこのアレグラとティヤール・ド・シャルダンの系譜につながっているのだろう。そして「フランシスコ」教皇も。


「キリスト中心主義」への集結というと「キリスト教」だと思うかもしれないけれど、宇宙の生命の中心にあるものを彼らは「キリスト」と呼んでいるのだ。イエス・キリストはもうそこではナザレのイエスという人間として生まれる前から永遠のレベルに位置する存在で、仏教だって、釈迦如来が、もうゴータマ・シッタルダという人間が悟りを開いたのとは別の永遠のレベルに遍在すると言われる場合があるのと同じだ。


人が自分の生命を超えた次元の何かをキャッチするシンボルの世界は共通している。

少しずつ探っていこう。


by mariastella | 2019-02-05 00:05 |

ケインズの「平和の経済的帰結」その1

先日の朝、ぼんやり聞いていたラジオで突然こんな一節が朗読された時、一瞬これはBrexitのことかと思った。


「ヨーロッパの声なき鳴動はイギリスには伝わらない。ヨーロッパは離れていて、イギリスはヨーロッパの血や肉には属さないのだ。だがヨーロッパはそれ自体として確固たるものだ。フランス、ドイツ、イタリア、オーストリア、オランダ、ロシアとルーマニアにポーランドは、共に脈打ち、その構造と文明は基本的には一体だ。これらの国々は共に栄え、戦争においては共に震撼してきたが、私たちイギリスは、そのすさまじい貢献や犠牲にも関わらず(私たちより程度は劣るがアメリカと同様に)経済的にはヨーロッパの外にあり、そしてかれらは倒れるときも一連託生かもしれない。」

(私の聞いたのはフランス語訳ですが、ここでは山形浩生さん訳を引用しました)


続きを聞くとBrexitのことではなくて、これは1919年のパリ講和会議の途中でパリを去ってすぐに書かれたケインズの「平和の経済的帰結」の序文の部分だった。アンドレ・ジイドの勧めで出版され、翌年すぐに訳されたフランスでは超有名なテキストで、何度も出版されているし、学校でも使われるし、フランス語訳も版権フリーでネットで全文読める。

私は読んだことがなかった。

ケインズと言えば「ケインズ経済学」で、ハイエクとの関係を含めて一般的な知識はあったけれど、彼が何よりもイギリス財務省の高級公務員でパリ講和会議に加わって、クレマンソーをこき下ろし、席を蹴った経緯などは知らなかった。ここで、「ロシア」がヨーロッパの運命共同体と言われていることで、当時のソビエト革命の影響力やボルシェビキの広まりの脅威などがあらためて理解できる気がする。

ケインズの経済学は独立した学問として認知されてからの経済学とは少しニュアンスが違う。

経済学は、イギリスでも最初は道徳哲学の学部の一部門で、ケインズの師であるアルフレッド・マーシャルもケンブリッジの歴史と道徳科学部門で経済を教えていた。経済学部が独立して創設されたのは1903年だ。フランスではその頃でもまだ「法学部」の一部門だった。19世紀の経済学は神学や政治学とも分離していなかった。そのニュアンスの違いや、道徳や哲学と経済学の関係をあらためて考えさせられる。 

で、ケインズがパリ講和会議を蹴ったのは、運命共同体、一つの有機的な体であるヨーロッパの中でフランスがドイツに過大な賠償を支払わせるのはヨーロッパ文明全体を危うくすると思ったからだ。

ケインズはクレマンソーへの憎しみ(要するに老害ということだ)を隠さないけれど、そこには逆説的に彼がフランスやヨーロッパを愛していたこともうかがえる。ロシアについても、ロシア人のバレリーナと結婚していたし、バイセクシュアルでアーティストの愛人と暮らしていたこともあり、いろいろな意味で両義的な人だった。

第二次大戦当時、ケインズのこのテキストのせいでヒトラーが生まれた、という人もいたそうだ。彼が英仏にドイツに対する罪悪感を植え付けたからだという。(続く)


(このテキストは最初に私がBrexitのことかと勘違いしたくらい非常に今日的で、おもしろい。日本での訳書があるかとネットで探したところ、古い訳の他に、なんと無料で全文読めるものがあった。この記事の最初に引用して使わせてもらった山形浩生さんのものだ。この方の翻訳のエネルギーというのは凄すぎて圧倒される。ここにリンクしておくので一読を。特に第三章がおもしろい。アメリカ大統領の愚鈍ぶりの的確な批判はおもしろい。ケインズがトランプ大統領のそばにいるのならなんと言っただろう…。

ウィルソン大統領がブレストに到着した時はまるでメシアのように迎えられたそうだ。会議の席で彼を間近に観察できたケインズならではの洞察はおもしろい。絶対正義に適っているはずだというアメリカの確信は建国以来のメンタリティなのかもしれない。英仏のリーダーは実はたいてい懐疑に捕らわれているか、確信犯的に正義を棚上げしているかの場合が多い。

(パリ講和会議のドキュメンタリー番組について前に書いた記事もあわせてどうぞ。)




by mariastella | 2019-01-26 00:05 |



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧