L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:映画( 199 )

«Qu’est-ce qu’on a encore fait au Bon Dieu ?»『神様にまた何をした』フィリップ・ド・ショヴロン

フィリップ・ド・ショヴロンの大ヒット作『神様に何をした』の続編を先日観に行った。



2014年の前作についての記事。https://spinou.exblog.jp/22246255/

ブルジョワのカトリック夫妻の4人の娘たちが全員フランス人だけれどユダヤ人、アルジェリア人、中国人のルーツの男たちと結婚し、末っ子がようやくカトリックの婚約者を連れてきたら、ブラック・アフリカから来た役者だった。という話。

この監督の作品は2917年には『A bras ouverts』(両腕を広げて=歓待)も見た

そこではブルジョワの庭に住み着くロム(ジプシー)の話が出てきた。ゲイの作家のエピソードも挿入されていた。で、今回の『神さまに‥』の続編には、庭の一角にアフガニスタンの難民を受け入れるとか、同性婚とかも取り入れているので前の二つを合わせたような部分がある。

前作と同様にお笑い全開で、でも、このせいでポリティカル・コレクトネスがすべて無視されて全方位性の偏見が展開される。

観客の誰もが差別する方と差別される方に同時に共感して結局「正しい罪悪感」を払拭してしまうということになり、きびしい批評も見受けられる。

でもよくできている。あまりにも「あるある」なので、フランスでしか通じないと思うけれど。

「罪悪感がなくなる」こと自体に罪悪感を覚えるほどだ。

でも笑いっぱなしなので免疫力アップするかも。

最後に泣かせどころも少し用意してある。

4人の婿たちは互いに偏見を丸出しなのだけれど、「今のフランスには住みにくい」という点で一致してしまう。

フランスとフランス人への悪口が、フランス人の自虐も含めてどんどん出てくる。

フランスとは、神のくれた天国なのに、そこが地獄だと文句を垂れるフランス人が住んでいる国、という言葉の通りだ。その意味で4人の婿たちは典型的なフランス人だともいえる。

ユダヤ人の婿はフランス語しか話せないのに事業がうまくいかず、イスラエルに移住しようという。

アルジェリアにルーツのある弁護士の婿は、自分は酒も飲む普通のフランス人なのに、ブルカだとかブルキニだとか、フランスにいるムスリムの権利を擁護してくれというような依頼人ばかりでうんざりしている。で、いっそアルジェリアに戻って自由化のために戦うムスリムを助ける側に回りたいと決心する。

銀行家の中国人は英語もフランス語も中国語もOKの自分は上海の銀行でステップアップできるという。画家の妻もその気になっている。

アフリカ人の婿はフランスで受けるオーディションはつまらない黒人のチンピラの役ばかりで、いっそインドへ行ってボリウッドでデビューしようと決心する。父権的な父親に干渉される自分の国(象牙海岸)に戻ることは考えない。

ここで、登場人物の誰もが実態を知らず「偏見」しか持っていない「インド」が揶揄の対象になる。「人々が牛の前でひれ伏する国」という具合だ。

おもしろいのは黒人の婿がインドが変な国だという時に「白人の顔をした黒人の国」というところだ。

インドは白人のアーリア人が移住して先住民を支配して上位カーストを形成した歴史がある。だから、多くのインド人の顔立ちは確かにアジア人やアフリカ系黒人の目から見ると「白人」だ。でも、確かに、「ぱっと見」の「色」は黒い。私の子供の頃、「最初の第一歩」とかいう遊びがあって、「オニ」が顔を隠して10数えているうちに、他の子供たちが少しずつオニに近づくというものだった。フランスにもまったく同じ遊びがあって「アン・ドゥ・トロワ、ソレイユ!」という。アン・ドゥ・トロワと目隠しして数えてソレイユ(太陽)で振り向くのだ。

で、昔の日本の子供たち(地域限定なのか今もあるのか調べていない)の遊びで10数える代わりに「だるまさんがころんだ」というのと、「インド人のくろんぼ」という2種類があった。単なる10文字の語呂合わせで差別の意識もないし、「インド人」を見たこともなかった。でも、今思うと、日本はアフリカやアメリカとは離れているから、肌の色が濃い人というのは「インドの人」という先入観がどこかにあったのだろうか。(だるまさんがころんだ」の達磨大師も「インド人」だ。でもだるまさんやお釈迦さまについて「くろんぼ」という表現は聞いたことがない。)

ともかく、この映画で、「インド人」のことを「白人の顔をした黒人」と見るアフリカの黒人がいることが分かった。

で、娘たちや孫たちが遠くへ行ってしまうことに耐えられないブルジョワ夫妻は、フランスの良さを再発見させるために婿4人をロワールの城巡りに招待する。そしていろいろな人に金を払って、アルジェリアやイスラエルがどんなにリスクのあるところかをうまく説得させるのだ。黒人の婿には「オセロ」のオーディションを受けさせて採用させる。先日の映画の『ショコラ』と同じで、シェイクスピア劇の主役を演じるのがヨーロッパの黒人俳優のキャリアの頂点という先入観が100年経っても変わらない感じで使われる。

銀行家の中国人の婿だけは、「中国経済はこれから頭打ちだ」と(舅に頼まれた)銀行の頭取に脅かされても、移住の意志は変わらない。けれども最終的に、姑が中国大使館にこの婿が「チベット解放」のデモに参加していた写真を送りつけたことで、ビザの発給を停止されてしまう。

ブルジョワ夫妻はなんだか「反則」だらけの姑息というかひどいエゴイストたちなのだけれど、この写真によって、この中国人の婿が単に金銭的な成功を目指しているわけではない「人権」擁護派で、とっても「フランス的に正しい」人だと分かるのが救いになっている。

フランスから外に出たいという4人の婿たちが「君たちは全員マクロンに投票したじゃないか、君たちの選んだ大統領がいるじゃないか」みたいなことを舅に言われるのも世相を反映していて面白い。(ブルジョワ夫婦はいかにも共和党のフィヨンに投票しそうな人たちだ。でも、娘婿たちのルーツを見ているから、決選投票では極右のル・ペンにはさすがに投票しなかっただろう。)

結局、全員がフランスに残る。

しかも、パリから離れてブルジョワ夫妻の地域に引っ越した者もいる。

「自分が離れたかったのはフランスじゃなくてパリだったんだ」と気づいたからだ。

気づいたと言えば、彼らは帰りのTGVの中で、舅が金を払って「地方でも差別されずワイン製造業者としてリスペクトされている」男を演じさせた黒人と偶然乗り合わせた。その男が友人にそのバイトの話しているのを偶然聞いたことで、舅がいろいろなことを仕組んだことに気づく。つまり「騙されたままにしない」ことで、舅夫妻の「奸計」の罪悪感も緩和される仕組みになっているわけだ。

そしてそれらがすべて、金をつぎ込んで謀略を張り巡らせても、娘たちや孫たちに同じ国にいてほしい、という親の煩悩、家族の愛情に発しているという前提がある。同様に、婿たちの「移住」計画も結局、子供たちにより良い生活、より安全な生活をさせたいという愛情に発しているのだから、最後は「めでたしめでたし」ということになるわけだ。

もちろんあり得ないようなご都合主義のシナリオなのだけれど、私は、昨年入院していた時の同室者Aさんの話で、このような極端な「多様性」家族がどのように暮らしているのかの実情の一例を知った。


そのAさんにも、実はこの映画(1作目)の話をしたら、彼女も観ていて、彼女のところはもっと大変なのだと言っていた。

そんなこともあって、そしてもちろん私が「フランスにいるアジア人」なのだから、いろいろ考えてしまう。

それにしても、ある意味でこんなきわどいテーマをすべてジョークにしてしまう監督はすごい才能だ。

そして、この映画の軽妙な会話の中の、偏見やらトゲやらカリカチュアやら無責任さやら政治的不公正やらは、一つ一つを批判することはできても、なぜか、「偽善的」な匂いだけはしないのは不思議だ。

これだけ言いたいことを全部吐き出せば偽善ではなくて居直りだからだと言われるかもしれないけれど、どこかに憎めないところがある。


それがアングロサクソン・ピューリタンのベースでないフランスのいいところにつながるのかも知れない。何となく、ほっとする。


by mariastella | 2019-02-18 00:05 | 映画

ショコラ -- 君がいて、僕がいる

『ショコラ --- 君がいて、僕がいる(2015) 監督・脚本:ロシュディ・ゼム

先日TVで放映されたのを見た。

公開当時に予告編を見てもなぜか観に行く気がしなかった微妙な映画だ。



「ショコラ」という芸名の黒人の道化師役のオマール・シーは『最強の2人』で日本でもよく知られている。今もキャリアの絶好調で、カリスマ性はすごいし、舞台シーンの演出をすべて任されたフティット役を演じたジェームス・ティエレ(チャップリンの孫)も名演だ。

映画の中でリュミエール兄弟による撮影シーンが出てくる実物の映像も最後に流れる。



これで見ると、実物のショコラはフティットより背が低い。そして実際は、北の地方サーカスで「人食い人種」を演じていたわけではなくて最初からパリである程度の人気キャラだったそうだ。それに比べてオマール・シーは体格もよく堂々としているから、客を怖がらせる「人食い人種」役だったという設定というのもまあ分かるし、その彼がコンビでは殴られ役に徹するからこそおもしろいし、ある意味で見ている方の罪悪感が軽減される。

「人食い人種」役というのは、「黒人」がアメリカが「社会の被差別構成員」ではなく「見世物」として成立していたヨーロッパならではの話だ。

この見世物が「人間動物園」だった。(この記事で書いた)



映画の中で、ショコラもパリの植民地博覧会に訪れて展示されている「原住民」を見るシーンがある。それは「アフリカ」とのはじめての「出会い」でもあった。

でもショコラはキューバの奴隷の息子で、アフリカから来た「原始人」ではない。

遠いアメリカから来た「異種」だった。

だからこそ、「人食い人種」を「演じる」ことができたのだとも言える。


これにはジョセフィン・ベーカーのキャリアのことを想起させられる。

ジョセフィン・ベーカーはアメリカ生まれのユダヤ人と黒人のハーフだが、黒人のレビューグループ、チョコレート・ダンディーズ(これもショコラ!)のメンバーだった。1925年パリのシャンゼリゼ劇場で「レビュー・ネグロ(黒人レビュー)」に出て大成功をおさめた。半裸でバナナを腰の周りにぶら下げただけという衣装も有名だ。「南海の女王」「はだかの女王」そして「タムタム姫」などで「南洋の土人」を主演した「アメリカ人」なのだ。

ショコラと同じようにフランスで大成功したけれど、祖国アメリカでは人種差別に苦しんで、結局1937年にフランスの市民権を取得し、第二次世界大戦ではレジスタンスに関わり、中尉として飛行士になり、戦後は勲章を授与された。その後、日本の孤児2人を含めるさまざまな国の子供たちを養子として古城で暮したことでも有名だけれど、私は『孤児たちの城―ジョセフィン・ベーカーと囚われた13人』というドキュメンタリーが『新潮45』に連載されていた頃ずっと読んだことがあるので、複雑な気分だ。


オマール・シー自身はアメリカではなくカリブ海でもなく西アフリカのセネガルからの移民の子弟でフランス生まれ。

監督のロシュディ・ゼムはモロッコからの移民の二世。

俳優でもあり、いい映画も監督している。

私はこれまでに2作見ていた。その一つ『ボディビルダー』の感想はこのブログにもある。



この『ショコラ』を手掛けたのは、19世紀末のパリを撮りたかったこと、2人の男の友情を語りたかったこと(『最強の2人』と同じプロデューサーらしい。映画ではフティットがゲイを思わせるように描かれているけれど、実際は妻子もいる上に女好きだったという。でも、才能ある二人のプロの結びつきを強調して語る意味はある)、そしてエピキュリアンであるショコラの栄光と転落の人生を描きたかったからだという。


オマール・シーも、ロシュディ・ゼムも、今のフランスの「多様性」のすばらしい例だ。

フティットはイギリス人だったそうで、フティット役のジェームス・ティエレも、スイス生まれでサーカス育ちの国際派だ。

もともと、昔から今に至るまで、「サーカス」というのはインターナショナルな場所だ。言語によらないパフォーマンスの場だからか、サーカスも、オーケストラも、国境がなく、技能さえあれば差別などない世界だ。

その意味では、その中で「黒白」コンビで笑わせるからと言って、それは「演技」であり、金を払って観に来るパリの観客は単なる「差別感」を「満足」させていたのではない。黒人を「異種」と見ていただけだ。(第一次大戦でアメリカの黒人兵たちが大挙してフランスに入ったのを見てはじめてジャズが爆発的に流行ったが、19世紀末の時点では「対等な人間」とは見ていなかった。同時に、個々人をことさら差別するほどの認識もなく、だからこそ、ショコラのように「アイドル」にもなれたわけだ。蝋人形館にも陳列された。もちろんそうなると「嫉妬」もあるし「憎悪」も生まれてくる。)

ショコラ自身も、舞台での役割を屈辱だと感じたことによってではなく、成功した「成り上がり」エピキュリアンとしての暮らしの中ではじめて、キューバで奴隷だった父の姿を見て以来の実存的な被差別感を意識したのかもしれない。


1897年のパリで彼ら「白黒」コンビがデビューしたのは「パントマイム宮殿」と言われていた建物で、今はパラスホテルであるマンダリン・オリエンタルのある場所だ。

2人の芸で、ショコラが「殴られ役」であることを「差別」として見るのかどうかが微妙だ。

漫才などでどちらか一方が殴られっぱなしというキャラはある。

でもショコラが単独でポスターに登場した時は、キャプションにbattu et contentとある。

「殴られてもニコニコ」という感じだけれど、別にマゾヒストだと見られていたわけでもなく観客もサディックな目で見ていたわけではないだろう。

実際は彼らの演し物にはいろいろなヴァリエーションがあったそうだし、白塗りしたフティットも「ゲイシャ」姿で「ありがとう」などというシーンもあるけれど、これもまたサーカスの見世物であってここで「日本人差別」があったとも思えない。ショコラはおおらかでいつも楽しそうで生き生きしているからこそ、殴られるのを見るのがおもしろいので、白塗りで貧相なフティットやゲイシャが殴られるのを誰も見たくない。

それだけに、嫉妬によって不法滞在を密告されて捕まったショコラが拷問されたり、賭博の借金を取り立てるギャングに襲われたりする暴力シーンを見るのはつらい。

実際のショコラは逮捕されたことがなかったし、子供も芸人になったそうだ。映画では人気の頂点から零落していく結末までが誇張されてドラマティックに描かれているわけだ。

「どうして君は笑ったことがないんだ」とショコラに言われるフティットが、最後にはじめて笑い出し、やがて嗚咽するのがラストになる。

この、天才だけれど地味で陰気に見えるフティットを演じるジェームス・ティエレの陰のあるインパクトはすごい。チャップリンの血って濃すぎるのか、祖父の哀愁と可笑しみが2重写しになる。


それにしても、オマール・シーが今圧倒的な人気の役者でなかったなら、そして監督もアフリカ大陸にルーツを持っているロシュディ・ゼムでなかったら、この映画は実現できなかったかもしれない。ジェームス・ティエレの演技と芸のレベルの高さに感心する機会もなかったかもしれない。

フランスでこういう映画を見ると、考えさせられることが多すぎる。


by mariastella | 2019-02-16 00:16 | 映画

ミシェル・ルグランのこと(続き)。『シェルブールの雨傘』

『ロシュフォールの恋人たち』を観た次の日には『シェルブールの雨傘』と、昨年製作されたミシェル・ルグランのドキュメンタリー映画が続けて放映されたので観た。


『シェルブール・・』は映画版では久しぶりに観たわけだが、映画ならではの背景がしみじみと時代を感じさせた。

恋人のギイが兵役のために列車に乗り込む最北端のシェルブールの駅、同じプラットフォームの片側がノルマンディ南にあるクタンス行きで中距離用。反対側が「パリ サン・ラザール」と書いてある。画面手前に大きく「シェルブール」という看板。そのひなびた感じが胸を突く。

時代が1957年末のことでまだ兵役がある上に独立戦争中のアルジェリアに2年も送られる。アルジェリア戦争後には確か1年の兵役ですんだのにその頃は2年だったのだなあと思う。

戦地からの手紙の中で、ギイが強い日差しのことを書き「アルジェリアでは太陽と死とがいっしょに旅している」、というところも、カミュの『異邦人』の「太陽が眩しかったから」という有名な殺人のことを考えてしまう。シェルブールはノルマンディでも突出して肌寒く雨の多い町という印象だ。そんなところから、灼熱のアルジェリア戦争に駆り出される男の心情はいかばかりだったのか。


パリも遠く、アルジェリアはもっと、ずっと、遠く、若者たちの2年は永遠のように長い。


メールもSNSもない時代、どれだけ多くの恋人たちの関係が破綻したかと思うとこれもあらためて感慨深い。


『ロシュフォール…』と同じようにこの映画でもドヌーヴがタバコを吸いだすが、妊娠中なのでさすがに母親にとめられる。「傘」のショップを経営する母が娘の結婚相手に「傘」で守ってくれることを求める、というくだりにも今回初めて注意をひかれた。

ここのカーニヴァルでもコンフェチ(紙吹雪)で通りが埋まっている。


ミッシェル・ルグランのドキュメンタリーでは、ルグランの映画の影響が強い『ラ・ラ・ランド』の音楽との比較が興味深かった。どんな感情を扱っても、アメリカの音楽は単純だけれどルグランの曲はすべて両義的だというのだ。相反する感情が同時進行していると。ルグランは真の意味で音楽のジャンルを超え境界を無化した人だと。

『シェルブール…』や『ロシュフォール…』のジャック・ドゥミももちろんだけれど、フランスのヌーヴェル・ヴァーグの映画と音楽との関係が画期的だったこともあらためて分かる。

ジャズをはじめて映画音楽に使ったのもルグランだったそうだ。サスペンス映画ではバッハの教会音楽もジャズにアレンジした。

でも、その斬新の価値に気づいたのはハリウッドだった。


フランス映画では『シェルブール…』よりも前に制作上演された『5時から7時までのクレオ』(ジャック・ドゥミの妻だったアニエス・ヴァルダの監督作品)が、ミシェル・ルグランの姿をあまりにもよくとらえている。

あの頃の私には何となく「おフランスの芸術映画」のような見方しかできずに、ピアニスト役のルグランの天才ぶりは目に入らなかった。

『シェルブール…』が日本でも有名な古典だということは知っていたけれど、その映画の吹き替え版の日本人歌手をミシェル・ルグラン自身が指導している場面もあった。私が少女時代に日本で観た『シェルブール…』って、何語だったのだろうと一瞬考えた。

思えば、ラストシーンは1963年のクリスマスで、1962年にアルジェリア戦争がようやく終結した後という設定も興味深い。この映画の製作年代とも重なる。

でも私が同時代の日本ではじめて観た時は、後のイタリア人監督による『アルジェの戦い』もまだ観ていない時だし、頭の中ではフランス語と日本語の違いさえも曖昧で、パリもノルマンディも、アルジェリア戦争も、何もかもが、遠い「外国」の出来事だった。


人は自分の丈に合ったもの、視力にあったものしか見えないらしい。


by mariastella | 2019-01-31 00:05 | 映画

ミシェル・ルグランと『ロシュフォールの恋人たち』

1/26未明にミッシェル・ルグランが87歳で亡くなったので翌日にTVで放映された『ロシュフォールの恋人たち』を観た。



この有名なミュージカルはこれまでにも何度も放映されているけれど私は観たことがなかった。

私が観たのは半世紀以上前の日本の映画館だ。

その時の音楽や踊りや明るい色彩やファッションや港町の様子などよく覚えているけれど、映画としてストーリーも平凡で、「もう一度見たい」という気持ちが起こらなかったのだと思う。


それに比べると『シェルブールの雨傘』の方は、日本でもフランスでも観た。特に印象的だったのはこのブログにも書いた劇場版だ。


その時にもあらためて思ったのだけれど、ミシェル・ルグランは天才だ。

今は彼の音楽の数々を聴いてなおさら、彼の天才ぶりが分かる。

『ロシュフォールの恋人たち』の贅沢さにも今回あらためて驚いた。少女時代に日本で観てから実に半世紀以上が経っている。フランスでは25周年でも話題になったから、さわりの場面はよく目にするし耳にもする。

で、今回まともにもう一度始めから視てみると、ミシェル・ルグランの自由さと即興性、細部と全体の流れの統合に名人芸を感じた。セリフや歌のフランス語が完全に理解できてから観るのも初めてで新鮮だ。すべての脚韻が心地よく耳に入る。これを字幕で見ていた時っていったいどういう受け取り方をしていたのだろう。

音楽に対する教養も昔と今ではまったく違う。

高校生の私はピアノと声楽のレッスンは受けていたけれど、もとより大した才能もなくただお稽古事が好きだっただけだ。ミッシェル・ルグランのように即興もできてオーケストレーションもできて、天性の音楽の才能を持っている人を身近に知ったのはフランスに来てからだ。(私自身は今でも即興もほとんどできないし通奏低音のアレンジもできなく暗譜も苦手で、まだダンスの方が即興や振付ができる。)


トリオのHが、10代の時にオペラ座図書館でミオンのオペラの総譜をその場で観ただけで、うちによってピアノで再現できたり私たちのアンサンブルのためにアレンジを始めたりしたのを見て、こういう人が本当にいるんだなあと思った。これももう四半世紀になるけれど、今東京の新国立劇場の芸術監督である大野和士さんがイタリアにいらした時だったか、パリの私のアソシエーションのアパルトマンに泊まられたことがある。(お兄さまが私の後輩でもあり私のパリのワンルームに当時住んでいらした)

せっかくだからパリのバッハのコンクールで2位になった石山聡さんも呼んでピアノを弾いてもらった。すると大野さんも気軽にピアノの前に座ってオペラの曲を弾きながらいろいろな話をしてくれた。

目の前にピアノさえあれば何でもするすると弾けてしまう人たちって魅力的だ。


フランス・バロック音楽は特に即興の面も多いので、後にはそういう人たちと普通に付き合うようになった。

ジャズも、バロック・ダンス曲のハーモニーとアフリカのリズムが出会ってできた音楽だから、実はバロックと相性がいい。で、ミシェル・ルグランも、そういう「フランス性」をたたえている人だから、『ロシュフォール・・』のようなダンス映画ではその魅力が全開している。

で、当時50歳くらいのダニエル・ダリューが20代半ばのドヌーヴらの母親役で、再開する恋人のミシェル・ピッコリがまだ42歳くらいだったというのは驚きだ。娘役のフランソワーズ・ドルレアックの運命の人となるピアニスト役がなんとジーン・ケリーなのだけれど、当時52歳で、今思うと釣り合わない組み合わせだ。(でもこの映画をはじめて見た頃は、高校生だったから、「大人」はみなざっくりと同じように見えた。)

ドヌーヴを運命の人とするジャック・ぺランには、その後パリで日本映画の上映会があった時に左幸子さんが招かれた時に出会って話したことがある。日本映画なんてめったに見られなかった時代で、何の映画だったかもう覚えていない。なつかしい。


今回の放映を見て、ドヌーヴらが歌って踊る祭りの仮設舞台がHONDAのオートバイの提供のものだというのにもあらためて気づいたが、すごい量のコンフェチ(紙吹雪)が広場の全体に撒かれるのにも驚いた。そういえば、昔のフランスのお祭りってコンフェチの量が半端ではなかったなあ。今でも学年末の催しの後など小学校の前の道にコンフェチが残っている。でも今は祭りを盛り上げるためにレーザーだとかいろいろな便利なものがあるからコンフェチはずいぶん減った。

日本で字幕で観ていた時は「スターたち」はみな「外人」だったけれど、今見ると、それぞれの訛りあり、それぞれの国際的な移動あり、港町というのは、さすがに国際色豊かで世界中に広がっているんだなあ、と分かる。その一方で、インターネットも携帯もない時代、若者たちが一度はパリに「上京」したいという憧れを抱いている「地方性」も活き活きと伝わり、その交差がおもしろい。


これまたなつかしいジョージ・チャキリスらの演じるトラックを運転して企業の広報ショーを担当する2人組は、行く先々でダンサーらをスカウトしてついでに「仲良く」なろうという分かりやすい無責任なプレイボーイなのだけれど、この二人と絶妙の距離を保ちながら実は厳しい美女たちの態度が小気味いい。

一度共通の目的に向かって協力し合った男女が、「ところで僕たち仲良くなったんだから寝ない?」みたいな感じで男から誘われると迷いなく拒否する。だけど、彼らの申し出るサービス(パリに連れていく)自体は拒否するわけではない。彼女らはその才能と美しさ、魅力、「若い女性」であるということだけで、男たちに十分「恵み」を与えてやっているのだから、それ以上の「取引」には応じない。彼女らの選択の琴線に触れるのは「恋」だけだ。


近年、#Metoo運動に対してドヌーヴらが発した 反論に、男たちによる「執拗だったり不器用であったりする口説き」は犯罪ではなく、「言い寄る自由」「ウザがられる自由」が彼らにある、というものがある。

この反論は「一部の女性強者の論理」だとも批判されたけれど、ハリウッドでは大物女優たちもセクハラ糾弾に容赦がない。その目から見ると、『ロシュフォール…』の中の男たちの「言い寄り」ぶりは、セクハラという概念がなかった頃の「不適切」なシーンかもしれない。


でも、この映画でそのような男たちからの「言い寄り」を前にした女たちの態度は、半世紀後のドヌーヴらの態度と変わらない。「男たちとのやり取り」のパターンが「文化」の一部になっていることは他の国でもあるだろうけれど、『ロシュフォール…』(邦題は「ロシュフォールの恋人たち」だが原題は「ロシュフォールの娘たち」だ。この違いにも注目。)以来一貫しているフランスのギャラントリー文化は、ピューリタン文化とのバランスをとる意味でも意味がありそうだ。(セクハラについていろいろ考えている人はそういう視点で『ロシュフォール…』を観返してみるとおもしろいかもしれない。)


ドヌーヴ姉妹がパーティの食事中にそろってタバコを咥えていたり、子供もシャンパーニュだか白ワインだかを飲むというのも一昔前のフランスの「あるある」だった。

ダニエル・ダリューがミシェル・ピッコリとの恋をあきらめるのがDAMEというその姓のせいで、マダム・ダームと呼ばれるのが嫌だったからという理由も、恋の成就と結婚が結びつかず結婚しても別姓が普通の今のフランスでは考えられない。


時代を感じさせるそのようなディティールは別として、とにかくこの映画にはミシェル・ルグランがあらゆる友人たちといつも即興演奏し合っている様子そのものを彷彿とさせる。

「どんな曲がいい ? バッハでも、ストラビンスキーでもミシェル・ルグランでも」というセリフもあるし、はじめて見るピアノコンチェルトの楽譜をやすやすと弾いたり、トランペットやホルンやら何でも手に取って演奏したりと、登場人物の多くが音楽家であり、なんでも自在に楽しめてしまう。

そのノリがとにかくミシェル・ルグランそのものの自由な人生を表しているかのようだ。

彼には他にも有名な映画音楽もたくさんあるし、なぜ『ロシュフォールの恋人たち』の放映かと思ったけれど、この映画の隅々にミシェル・ルグランが活き活きと息づいているのがよく分かった。


by mariastella | 2019-01-30 00:05 | 映画

『エドモン』シラノ・ド・ベルジュラックの誕生

『エドモン』は、シラノ・ド・ベルジュラックで有名なエドモン・ロスタンを主人公にした執筆秘話のストーリーだ。


この映画はあらゆる点で私のツボにはまりまくりの映画だった。

監督の若手のアレクシス・ミシャリックは最初映画のシナリオとしてこれを書いたのだけれど予算がなくて芝居にし、それが2016年の賞を総なめにするくらいに受けて、映画化された。芝居の方が有名過ぎるので、映画としてこなれていないことを指摘する批評も少なくないけれど、もともと劇中劇のような文脈だから私は気にならなかった。この作品出の成功はエドモン・ロスタンの成功とだぶる。

シラノはドン・キホーテと同じくらいに世界中で有名だ。有名さではハムレットも有名だけれど、ではハムレットの姿を想起せよと言われてもプロトタイプがあるようなないような、で、セリフの方が有名だ。

それに比べると、シラノのセリフはアレキサンドランの韻文で長いしすぐにいくつも口を突いて出ることはないけれど、その「鼻」のビジュアルは強烈だ。

で、ドン・キホーテに比べると作者のセルバンテスの知名度が低いようにシラノの作者のエドモン・ロスタンの知名度も、シラノとは違って、国境を越えたら低いだろう。

このエドモン・ロスタン、シラノを書いた時はわずか29歳、結婚して10年の妻との間に2人の子供もいるのに2年間のスランプで何も書けていなかった。それなのにサラ・ベルナールとかコンスタン・コクランなどの人脈があって、シラノ・ド・ベルジュラック(17世紀の詩人で武人)を題材にした初めての「コメディ」を書き上げて、大成功をおさめたのだ。

189712/28の初日に来ていた財務大臣が感激して楽屋でレジオンドヌール勲章を渡した(正式授与は数日後)とか、1903年にアカデミー・フランセーズの会員に選ばれたとか、20代で書いたたった一作であらゆる栄光を得た。最初の500日で400回の上演というからその人気は半端ではない。

当時は映画の上映が始まったばかりの時代で、もう芝居はすたれるのではないかと思われていたらしいけれど、フランスは今でも演劇の上映がヨーロッパ一多い国だったと思うし、シラノも世界中で上演されているのだから、永続価値が十分にあったわけだ。

サラ・ベルナールはアメリカでも大成功を収めてパリに戻ってきた当時のインタビューで、「アメリカの聴衆は熱烈だけれど大人の落ち着きのあるパリの客に会えるのが嬉しい」と言っている。


この映画が私のツボにはまるのは、パリの町(最初に時代背景がコメントされるけれど、右にそびえるサクレクールと左にそびえるエッフェル塔の画面は今と変わらない。)への親近感(私の住んでいるうちも、1880年の建物)、そして、物書きとインスピレーションの関係、舞台づくりへの苦労と情熱、聴衆とのコンタクトなど、いろいろなテーマが、私の生活とささやかだけれど重なるからだ。もちろん、フランス・バロック奏者として、フランス語の演劇とdéclamationへの思い入れは大きい。

他の言語でシラノを読んだり聞いたりしたことがないので想像できないけれど、フランス語のリズムが分からない人にはこの映画の魅力の半分以上が分かるのかどうか心もとない。でもパリのベル・エポックが好きな人なら十分楽しめる。ムーランルージュのフレンチカンカンだとか、アブサントを飲ませるカフェだとか、チェーホフと出会ってその言葉にヒントをもらう設定になっている売春宿とか、芝居小屋の楽屋とか、そして最後に突然現れる大樹と修道院の中庭の実写も清々しい。


シラノの歴史的なセリフがすべて現実のちょっとしたシーンに促されて次々と偶然生まれるという設定で、確かにいかにもつくりもののお手軽感はあるのだけれど、気にならない。コルシカ訛りのプロデューサーで女衒でもあるコンビも戯画的で現実感は希薄だし、ドタバタ風のギャグもあるのだけれど、もともとエドモン・ロスタンのサクセスストーリーという「お話」の枠なので私には不自然ではなくて楽しかった。

マティルド・セニエやオリヴィエ・グルメのようなベテランの存在感は大きいし、エドモンと同年で童顔のトマ・ソリヴェレスも新鮮だった。

エドモンにインスピレーションを与え、シラノ・ド・ベルジュラックの本も見せてやったおそらくカリブ系の黒人であるパリのカフェのパトロンは、実在でなく架空の人物だ。この人が、この映画で唯一の正統派の好人物で、教養があり勇敢で人間味もあり太っ腹で、差別に対する態度もアーティストたちに対する支援も、ある意味でとても今日的な設定だと思った。

エドモンが創作のためにミューズを必要とすること、それには仮想恋愛と日に2回のラブレター書きが最高の策だったということも、カリカチュラルとはいえ、説得力がある。作家にはたとえたった一人でも作品を崇めてくれる存在が必要だというのも分かる。カーテンコールで栄光の頂点に立った夫を見ながら、それでもその夜は彼が帰ってきて自分と同じ床に入るのだと自負する妻の心情も分かる。

この映画の過剰さはエレガンスとはかけ離れているのだけれど、その過剰さもふくめてすべて気に入った。(とはいえ、自分の「ツボにはまる」という評価は、他の人に無条件で勧められる普遍性を持つ映画だとか問題提起の映画ではないということでもある。一方で、この映画をすごく気に入った、という人は好みを共有する「おともだち」だなあ、と思う)


エンドロールで、これまでに映画化されたシラノたちの姿とセリフが次々と挿入される。何と最初は1900年のものでコクランの姿が見える。最後がジェラール・ドパルデューのものだ。懐かしい。

1600もの韻文を記憶して朗誦しなくてはいけないシラノの役に挑戦するのは体力と覚悟を要求する。

これまでフランスで知ったり知り合ったりしたあらゆる演劇人を見る度に、このメチエがいかに「情熱」によって支えられているのかにいつも感動する。アマチュアの演劇人でも同じことだ。子供の世界でも演劇のクラスがとてもたくさんある。日本で見聞きするようないわゆる「タレント養成」や「タレント志望」とはまったく異なったものだ。

(そう言えばマクロン大統領も高校時代の演劇クラスの指導教官だったブリジッドさんと知り合ったことが有名だ。政治家は、多かれ少なかれ「名演」を求められる。)

映画を観たシネマ・コンプレックスで、ホールを出たら、矢印付きの看板があって、


Sortie / Retour à la réalité

(出口 / 現実への帰還)


と、書いてあった。


by mariastella | 2019-01-20 00:05 | 映画

Forgiven(ローランド・ジョフィ監督、フォレスト・ウィテカー主演)

Forgiven(ローランド・ジョフィ監督、フォレスト・ウィテカー、エリック・バナ主演)

最近はフランスのコメディ映画の新作を少し見たのだけれど、コメントする気が起こらなかった。

で新年最初に行ったこの映画は、見ごたえがあった。


前半が冗長、刑務所での暴力シーンが多すぎるなどの批評は目にしていたが、すべては伏線を構成していて納得がいく。暴力シーンは目を閉じたけれど。

ローラン・ジョフェ(これはフランス語読み。1945年ロンドン生まれだけれどフランス系ユダヤ人だそうだ。英仏二つの国籍を持つ)は『ミッション』などの名作を監督した社会派。この映画はアパルトヘイト後の南アフリカでネルソン・マンデラによって「真実と和解委員会」の委員長に任命されたノーベル平和賞受賞者デスモンド・ツツ聖公会大司教が、筋金入りの差別者で殺人者の元警官を前にし手苦悩するという設定だ。ジョフェはこれを『アーキビショップとアンテクリスト』(大司教とアンチ・キリスト)というマイケル・アシュトンの戯曲を基にしたのだけれど、タイトルを「赦される」と変え、最初の2人の面会シーン以外は大幅に書き換えて映画化したのだそうだ。



ツツの姿は実際のマンデラの葬儀の時も印象的だった。


よく見ると演じるフォレスト・ウィテカーの瞳は青い。なんだか不思議だ。表情が陰影に富んでいて、赦しと処罰の問題の難しさがよく表現されている。


ジョフェは、昨年末ユネスコでの上演の時にパリに来てインタビューに答えていた。

タイトルを変えたのは、そもそも「赦し」という行為が、人間に「生得」のものなのかあるいは「学ぶ」ものなのかについて以前から自問していたからだという。ジョフェは南アフリカだけではなく、ナチス・ドイツや軍事特栽時代のアルゼンチンの拷問者などにも取材して彼らのさまざまな意見を聞いたという。

調べてみると、1995年には南アフリカの新憲法はすでに死刑を廃止していたので、「殺人鬼」たちも死刑になる心配はなかった。日本のように、社会を揺るがす凶悪事件が起こる度に死刑存続が支持される国とは何かが根本的に違う。矛盾していたとはいえ南アフリカの軸足がヨーロッパにあったからかもしれない。ツツも、ロンドンのキングスカレッジで神学を学んで南アフリカ初の黒人大司教になった人だ。

ジョフェが南アフリカの白人たちから聞いたという話に興味深いものがあった。9-10歳くらいまでは多くの黒人と白人の子供たちが平気でいっしょにサッカーなどをしていた。大人たちは敢えて何も言わなかったという。ところが大人たちのちょっとしたしぐさや表情に気づくことによってだんだんと差別感が生まれ、遊んでも白人の子が士官、黒人が兵隊、サッカーでも白人の子がオフェンス、黒人がゴールキーパーのように役割が分かれていった。最終的に黒人への友情が自分たちの家族の価値観への裏切りのような気がして、その反動で黒人の友を憎悪するに至ることもあるというのだ。

このことがこの映画の背景にもなっている。

これをきくと、私の友人の同世代アメリカ人アーティストの言っていたことを思い出す。彼女は西海岸のリベラルな白人だけれど、やはり子供の頃は黒人の友人との間に何の境界も感じることなく親友になってつるんでいたのが、ハイスクールになってすべてが変わった、「違い」とそれに対するわだかまりや罪悪感などいろいろな感情が生まれて自然に疎遠になったというのだ。

最近こういうビデオを見た。

大の仲良しの黒人と白人の子供が、2人の見分けがつかないようにして先生を驚かせようと同じ髪型にすることを思いついたという。5歳の2人には自分たちの肌の色の違いがまったく意識されていない。

これは今どきの話だから、大人たちもほほえましく見ているのだけれど、確かに、この年齢では、子供は「肌の色の違い」など意識していないということだろうか。



ジョフェの描こうとしたのはもちろん善悪二元論などではない。

ただ、歴史を振り返るといつも、エゴイスティックな生き方と開かれた生き方の間に戦いが繰り返されているという。強者が支配するという力の世界の見方と、人は相互扶助の中で進化するというイメージが対立してきた。その二つの道の間で、いつもどちらかを選択するという自由意志があるとジョフェは信じる。

さらにジョフェは、自分を不可知論者だという。合理主義、科学主義的な彼にとって「神を信ずる」と言ってしまえば神を理解するということと等しく、神を理解するということは有限の中に神を閉じ込めてしまうことになるからだ。

けれども量子的世界から古典的な物理世界が生まれ、互いの法則は異なるように、この世を創造した神の世界があるのかもしれない。自分は絶えず探し続ける。

疑いを持つことがなくなれば、すべてが確信の中にあれば、脳は機能しなくなる、という話と同じだ。

この映画の中のツツの苦悩が、彼が高位聖職者であるがゆえになおさら人間的に見えてくるのはそのためなのだろう。

結局、南アフリカの黒人たちは「復讐」の無限ループに入らないことを選んだ。

人類史上画期的なことだった。

映画でも、愛する娘を無残に殺された母は、憎しみや復讐によって娘の死を汚すのを拒否した。

しかし、「赦し」は難しい。


後悔し、謝罪し、「赦し」を求める相手を赦すならまだしも、確信犯のままで憎悪を隠さなかったり冷笑したりするような敵を一方的に「赦す」ことなどできるのだろうか。ましてや「被害者」自身が永遠に去ってしまった状態では。

(この春は4/21に真生会館で赦しと死刑制度に関する話をするよう依頼されている。南アフリカの「真実と和解」についてもっと考えてみたい)


by mariastella | 2019-01-19 00:05 | 映画

『急いでいる男』Un homme pressé エルヴェ・ミムラン監督、ファブリス・ルキーニ

この映画は、ファブリス・ルキーニの映画だから見てみた。

しかも、あの「立て板に水」の話の達人のルキーニが脳梗塞の後遺症で言語障害になってリハビリを受けるというシチュエーション。 プジョーのトップだったクリスティアン・ストレフの実話「私は急いでいる男だった」もとにしているものだ。



主人公アランはジュネーヴの車のサロンで何としてもスピーチしたいとリハビリに励むのだけれど、ジュネーヴのこういう国際サロンの様子を間接的に知っている私には、すごくリアルな情景に見えた。

そして、主人公がそのスピーチに一応成功するものの、そこでハッピーエンドとならずに冷酷に首をきられて一瞬に居場所がなくなるところなど、最近のルノー・日産のカルロス・ゴーンのことも連想してしまう。


たとえビジネス界の大物でも、国立の大学病院に緊急入院してしまえば、病室は立派なところでも、看護師やスピーチセラピストからは「患者」としてフラットに接されるという現実も、やはり先ごろ胃がんの手術で国立病院に入院して、看護師や看護助手の人出が足りないことを体験したベルナール・タピの証言を思い出す。(タピはこの体験から、若年失業者に単に失業保険を給付する代わりに看護助手のそのまた助手としてどんどん採用するシステムを創るべきだ、来年早々にスタートさせたい、と言っている。)

アランが突然陥った困難は、疎遠だった娘との仲を縮めてくれた。けれども、アランは、政治学院への入学試験の口頭試問に立ち会ってくれとはじめて娘に頼まれるのに、手帖をカフェに忘れて遅れてしまい、帰宅して娘からなじられるシーンは、それまでのいつも忙しく急いで家庭を顧みなかった男の過去への恨み、ルサンチマンなどがぶつけられ、涙なしには見ることができない。

で、その後がその全てを昇華してしまう「サンチアゴ・デ・コンポステラ」への二ヶ月かけた巡礼の旅で、すばらしい風景のロードムービーになっている。全然違うシチュエーションなのに「砂の器」を思い出してしまった。

結局は、自然の中に身を置いてこの世の忙しさや成果や成功と関係のない「霊的」な何かとつながることが救いやら癒しをもたらすことなのだとすなおに腑に落ちる展開になっている。

主人公のリハビリに忠実についてくる犬も感動的で、これを見ていると、「ああ、猫じゃなくて犬がいいなあ」と昔は「犬派」だった自分がよみがえる。「自分の犬」がそばにいてくれれば絶対に孤独でなくなる。

(でも、猫はどこの猫を見ても、「孤独」に耐える力をもらえる気がするからまあしょうがない。映画館から戻ってわいわいと迎えてくれたうちの猫たちを見て、「ごめんね」と思わず言ってしまった。)

ルキーニだけではなくて、スピーチセラピスト役のレイラ・ベクチもすごくいい。彼女は典型的なフランス生まれのアルジェリア移民二世の若手女優で、この映画の中でスピーチセラピストとして一流病院に勤務できているのは、生まれた時から母親が育児を拒否してすぐに「フランス人」の養父母に引き取られて育てられたという伏線がある。彼女は実の母親を探しだす手続きを開始したが連絡が取れない。こういう場合はたいていそうだけれど、ほんとうに見つけたいのは「実の親」ではなくて、「自分のアイデンティティ」なのだ。

この映画はとても気に入った。ビジネスの現場、サロン、病院、パリの町のあちこち、政治学院、養父母とアラブ系の娘の家庭、巡礼の道など、さまざまな世界が展開されて興味が尽きない。

「同世代もの」としても考えさせられるところが多く一級品だ。

でも、フランス語圏以外での上映はハードルが高いだろう。

主人公アランの記憶障碍をともなう言語障害というのが、語彙の混乱を伴うもので、たとえば「メルシー」を「シーメル」と言ったり、「おはよう」の代わりに「さよなら」と言ったりするのだけれど、他に子音を入れ替えるような微妙な間違いの連続で、それが笑いを誘うところでもあるのだけれど吹き替えや字幕は難しいだろう。フランス語が分かる外国人でも、私のように普段からアナグラムなどのフランス語の文字ゲーム好きの場合は別として、アランが何を言おうとしているのか把握するのはたやすくないと思う。

そしてこの映画の最後は、だいぶ「言葉」を取り戻したアランが、鉱業学院(アランは飛び級した後ここをトップで卒業したという設定だ。理科系の名門グランゼコールでカルロスゴーンもポリテクの後ここを出た)の見知らぬ女子学生から突然相談を持ち掛けられて、「ああ、いいですよ、話を聞きましょう」と答える一言でエンドマークとなる。

でも、彼は、「Je vous écoute.(聞きましょう)」 と言ったつもりで、「Je vous épouse.(結婚しましょう)」と言い間違えてしまうのだ。

その言い間違いがそのまま「オチ」になっている。




by mariastella | 2018-12-20 00:05 | 映画

『移りゆく時』LES TEMPS QUI CHANGENT アンドレ・テシネー

アンドレ・テシネーの2004年作品、モロッコのタンジェを舞台に、ジェラール・ドパルデューの演じるアントワーヌが30年前の恋人だったカトリーヌ・ドヌーヴの演じるセシルを追ってやってくる話。


この二人は30代には1980年にトリュフォーの『終電車』で 共演し、その後立て続けにクロード・ベリ、アラン・コルノー(1981,1984)、フランソワ・デュペロン(1988)作品に起用されていずれも「濃い」印象の名演を見せたが、その後はまったく共演していなかった。 ドヌーヴが60代後半(ドパルデューは5歳若い)の2010年には『しあわせの雨傘』(雨傘)などで再び共演したけれど、これはその中間の2004年で、15年以上ぶりの共演、まさに、「再会」という感じの作品だ。ドヌーヴを何度も起用してきた名監督テシネーの作品でもある。でも、なぜだか、日本ではほとんど知られていないようだ。


2人が再会するシーンはこれ。


この映画の後、この二人は、貫禄たっぷりのドヌーヴ、太ってモンスターのようになったドパルデュー、と、ずいぶん雰囲気が変わったけれど、この作品では、2人ともまだ若い頃の繊細さ、脆弱さを残している。

ドパルデューはすでにかなり老けてはいるけれど、メガネの扱いがうまい。繊細なメガネをかけていて、メガネがないとはっきり見えないというのを強調する場面がいくつかある。それだけで、根本的な心の弱さが表現される。「対等な立場の2人の人間の関係においては、より相手を欲する方が圧倒的に弱くなる」というセオリーの一例だ。

今の私よりも若いこの二人の揺れ動く心は中学生みたいでほとんどかわいい。

テーマは「人は時の移ろいに抵抗できるのか?」。時は移ろい、人の心も移ろうのか、そこに生まれるのが無常観ではなくてメランコリーだというのがロマンティシズムの特徴で、それを初老の男女を通して描いたものなのだけれど、実は、名監督に名優を配しているのにフランスでも毀誉褒貶の差が激しかった。批評家の評判はいいが、一般客の一部からは激しく非難されている。

そのほとんどは舞台であるモロッコへの偏見を助長するようなシーンが多くて差別的だとはっきりいうものと、それを念頭においたものだ。

そして、これは、フランスの大都市とその近郊に住む人にとっては切実な問題なのだ。


私も、実は、この映画によって、はじめて、今まで目に入っていても見えてこなかったものが見えてきた。

日本の日本人ならもともと目に入っていないから、この映画のモロッコも単なるエキゾチシズム以上ではないだろう。

モロッコはアルジェリアとチュニジアと並ぶマグレブ三国で、モロッコは少しニュアンスが違うのだけれどありていに言えばすべて過去のフランスの植民地で、昔から大勢の「安価な労働力」として動員され、独立後も特別枠で多くの「移民労働者」やその子弟を「供給」し続けている。植民地だったからアラビア語の他に「フランス語」圏の一つでもあり、物価の安いそれらの国で働くフランス人も多いし、パリで教育を受けて国際的に活躍するムスリムの富裕層もいれば、移民の子弟のように二重国籍者も多ければ国際結婚する人もたくさんいる。

だから、パリや近郊で暮らしていて「マグレブ系」の知人がいない人などまずいないと言っていいだろう。


いわゆる「ゲットー」化している場所から抜け出せない人(その中には軽犯罪を繰り返した末に過激化してジハディストになる者も出てくる)は別として、共同体主義を排し人種統計も禁じられているフランスでは教育社会主義も徹底しているので、能力がありその気になればだれでも高学歴を得られる。

(大学やグランゼコール予備クラスは基本的に無料だし、例えば医学部はすべて国立で無料であり、最初の内部試験に合格すればすぐに看護助手としてのバイトもできるし4年目からの実地研修ですでに多少の報酬ももらえる。)

もちろん建前とは別に「コネ」で成り立っているセクターも存在するけれど、「マグレブ系」の多くはまったく差別されていないし、人気芸能人などもたくさんいる。日本のように、見た目がまったく変わらなくても芸能人などが「旧植民地」出自などと偏見の対象にされるのとは全く異なる。

で、この映画も、そういう「フランスのマグレブ系」のスターたちが名脇役として好演している。

ドパルデューの演じるアントワーヌ(建築系の技師でこれはフランスの王道エリートの学歴を持っているのだと分かる)とドヌーヴの演じるセシル(彼女も学生時代にアントワーヌの恋人だったのだから高学歴だったのだろう。同い年という設定で、彼を捨てて10歳年上の精神科医のところにはしり、その後、その医師との関係で知り合った、今度は年下のモロッコ系の医師ナタンと結婚してモロッコに渡った。)の2人だけが金髪碧眼っぽい典型的なフランス人という設定だ。

でも、サッカーのナショナルチームの例を持ち出すまでもなく、「フランス人」と言っても、アジア人の目から見ると、それこそアジア人だとか黒人でなければ、マグレブ系とヨーロピアンの区別を普段は意識しない。

もともとラテン系、ケルト、ゲルマンの混血が多いし、マグレブ系は「肌の色がくすんでいる」と言われても、たとえば日本人の目からすると、マグレブ系の子供たちには金髪もいるし、ジダンのようなタイプもいるし、みな地中海的「濃い」タイプであって、基本的に「フランス人という外人」である。典型的な白人のフランス人だって、成人して髪の色が濃く髭も濃く、マグレブ系と似た風貌の人だっている。

そんなこともあって、フランスに40年以上も暮らしている私にとっても、「モロッコ」のイメージはさだかではなかった。モロッコの「フランス人ご用達」のバカンス村で過ごして観光もしたことがあるが、そこで働くモロッコ人スタッフはフランス生まれの人が多くて言葉の問題もない。今思うと観光用のエキゾチシズムを楽しんだだけだった。

映画なら相変わらず『カサブランカ』のイメージ。

そして身近に普通にいるマグレブ系の知人、隣人、アーティスト、知識人。

その他は、TVで報道される、若者たちの姿だ。自国で仕事がなく必死の思いでモロッコからスペインへと「不法侵入」してヨーロッパにいる同胞に頼ろうとする若者たちの絶望的な戦いが繰り広げられる。

それらの「モロッコ」を俯瞰するという視点が今までの私にはなかった。

この映画は、そんな私にとって強いインパクトを与えてくれた。単に、外国を舞台にすることで初老の男女の陰影あるラブストーリーが味付けされているというようなものではない。

マグレブ系のフランス人が怒ったのは、ドパルデューが指揮する建設現場のモロッコ人労働者たちがあまりやる気のない「群れ」のように描かれているとか、マクドナルドでバイトする若い女性が外ではしっかりとイスラムスカーフで髪を隠し、評判を気にして絶対に男を寄せつけないとか、そしてこれは私も確かにショックを受けたけれど、羊を犠牲にする儀式のシーンで、もがく羊を担いで来て、その周りで儀式の祈りを唱える男たちの前で押さえつけて喉を掻ききって、まだぴくぴくと脚を動かしている羊から真っ赤な血が広がっていくシーンが与える「野蛮」な印象などだ。

その一方で、カジノやバーもあり、サッカーをする子供たちや、マクドナルドなど、とてもリベラルというか「欧米」風文化も普通にあって、国際都市(舞台は晴れた日にスペインがはっきり見える地中海側のタンジェで、海岸にたむろして渡航の機会を狙う人々の描写についても偏見だと批判された)の開かれたエネルギーが感じられる。(これは2004年のもので、すでにイラク戦争についてのコメントも出てきていて、その後で高まっていくイスラム主義の気配も感じとられる)

セシルと夫である医師のナタン(これを演じる俳優はコンスタンティノープルからアルジェリアに移住したユダヤ系の名家出身で、マグレブ系フランス人のカテゴリーだと言える。実年齢はセシルを演じるドヌーヴより15歳も若い。優秀な医師でスポーツマンという設定だ。金髪で若々しい「白人」の女性を妻としているのに、しょっちゅう浮気をしているという設定だ)の間の一人息子サミ(この俳優は見た目が赤毛のソバカスで色白だが実際にアルジェリア人の父とブルターニュ出身のフランス人の母を持つハーフのフランス人)が、モロッコの青年と同性愛の関係にあるというシチュエーションも、意味がなく偏見を助長すると批判された。サミは、パリで教育を受けたためにモロッコに仕事がないと言って、パリで子連れのモロッコ人女性と同棲している。でもおそらくパリで知り合ったらしいモロッコ人青年が忘れられずに「帰省」すると彼のもとに通う。これも、より欲望に身を焼かれるサミの方が弱い立場で、実際、モロッコ人男性はサミに、「お前は半分モロッコ人で半分フランス人で、半分男で半分女だ」と言って貶める。肌のくすんだマグレブ人が白人同性愛者にとってセックスアピールがあるという「偏見」を助長されると批判の的になった。

これら、批判の対象となった数々の偏見とか先入観というのは、こうもはっきり並べ立てられると、あらためて、フランスにおけるマグレブ系の人たちに対する集合無意識だの集団幻想だのの実態を明らかにしてくれる。

サミと共に「連れ子」といっしょに故国モロッコにバカンスに来たナディアは、双子の姉妹であるアイシャのところに行こうとするが断られて、サミの両親の家に厄介になることになる。ナディアの息子はどう見ても純マグレブ系だ。ナディアはサミがバイセクシャルであることも知っている。

パリで暮らすことで「自由」を手に入れた(けれども生き難さは隠しきれない)ナディアに対して、長くいっしょに暮らしてきた双子のナディアに見捨てられた形でモロッコに留まり、独身で自立して必死に生きるアイシャは冷たい。この双子の二役を演じているのはベルギー女優で、父がモロッコ人で母がスペイン人のハーフである。この映画で痛感させられるモロッコとスペインの距離的近さも連想せずにいられない。

この映画で、ドヌーヴの演じるセシルはラジオのパーソナリティをしている。アラビア語の担当女性が話すすぐ後にフランス語で語るのだ。そのラジオ局にはセシルと同年配のラッシェルという白人女性がいる。この人も国際的にいろいろな過去を持つ設定らしい。ラッシェル役は、国際的な映画人であったスラブ系のアメリカ人を父に持つ米仏の二重国籍女優だ。ほんとうに日本では想像がつかないくらいあちこちで「混血」しているし、国籍意識も希薄だ。「民族主義」など成り立たない社会なのだ。

(そんなヨーロッパに「イスラムアイデンティティ」を掲げる「移民」が増え続ければヨーロッパは早晩にイスラム化するだろう、と危機感を煽っているのが右翼政党だというわけだ。)

こういうとても示唆的で、私にマグレブとヨーロッパと「混血」の実態をあらためて考えさせてくれた映画だが、フランスの一部の観客には生々しすぎで反発を生んだのだろう。

逆にもし日本人が見たら多くのものがスルーされるだろう。


で、こういう特殊なバランスの状況で繰り広げられる肝心のラブストーリーの方は、ある意味で平凡だ。

アントワーヌの方は、セシルと分かれてからもいろいろな女性と関係はしたけれど「愛」したのはセシルだけだという。結局結婚もせずに30年過ぎて、人生の終わりはセシルと過ごしたいと思いをつのらせる。彼女がタンジェでラジオをやっているのを突き止めてタンジェの建設現場の監督の仕事を手に入れる。この辺はスケールの大きいストーカーだ。

でも、ホテルでラジオから流れる彼女の声を聞いて過ごしながら会う勇気は湧かないという臆病ぶり。

とはいえ、上のビデオで見えるような情けない情況で出会った後では、一度拒絶されるとモロッコの伝統呪術の力に頼って彼女の愛を取り戻そうとするほど常軌を逸する。

けれども、自分には「家庭」があるから、とアントワーヌを拒絶したセシルも、一人息子のことで医師の夫ナタンといさかいをしたり、ナタンの浮気を知っていたり、ナタンが条件のいい転職をしようとする時に、自分のラジオの仕事を手離したくなくて残ったり、そんなセシルにナタンは冷たい仕打ちをし、息子の連れ合いの双子の妹であるアイシャを誘惑したり、と、実は家庭の中の愛や恋などはとっくに枯渇している。


仕事もあり医師の夫も息子もいて幸せそうに見える「外観」には多くのフラストレーションが隠れている。ずっとモロッコで暮らしているのにアラビア語を解せず学ぼうともしなかったところにもセシルの無意識の宗主国意識が隠れているのかもしれない。

そして、とうとうアントワーヌと期間限定で関係を再燃させることに同意したセシルなのに、思いがけない事件が起こる。映画の冒頭にあった不吉なシーンは現実なのか悪夢なのか分からなかったけれどそれが現実になるのだ。

そうして、時間がとまって、時間の流れが変わって、新しい「時」が再生される。


ラブストーリーというより、人生に関するある種、哲学的な問いかけの映画なのかもしれない。


カメラワークも含めたディティールはさすがテシネーとしかいいようがない。


by mariastella | 2018-12-17 00:05 | 映画

『真夜中の刑事』(アラン・コルノー監督。イヴ・モンタン主演)

映画館では絶対見ないような映画を最近TVでなんとなく見てしまった。



原題の『ポリス-パイソン357』のコルト・パイソンはマグナム弾357が撃てるリボルバーのロールスロイスと言われたものだそうで、その「回転銃」の回旋、円形のイメージそのものが、時計の文字盤や丸く切り取られた写真などと共にモティーフのひとつになっている。

イヴ・モンタンとシモーヌ・シニョレというカップルが共演しているところにノスタルジーをそそられたのだ。

わりと最近シモーヌ・シニョレの若い頃の映画を観たからかもしれない。

私がフランスで済み始めた頃はまだこのカップルは健在だった。

今はもうどちらもいない。

この映画は1976年制作だから、ちょうど私がフランスに住み始めた頃のものだ。

イヴ・モンタンは50代半ばだけれど、もう初老の哀愁を漂わせる役柄になっている。

こんなにうまい俳優だったんだ、とあらためて思う。


始めはあまりにも遅い展開で、もう見るのをやめてしまおうかと思った。

でも、イヴ・モンタンの演じる独身で拳銃マニアの部長刑事が、有能なのか無能なのか、カッコいいのかカッコ悪いのか分からない不思議な立ち位置で、ほとんど不条理なコメディかと思えるほどに、不器用にカタストロフィへと突き進んでいく。

後半のモンタンはほとんど言葉を発することがなく、刑事の本能で動いているのか、保身の本能なのか、愛する女の死による自我の崩壊なのか、不可解さと不運さが交錯するその姿にはなかなか訴える力があって、結局、文字通り自壊していく最後まで見てしまった。

「運命の女」を演じるのが、なんだか無邪気で清純そうなステファニア・サンドレッリで、彼女からも懐かしさが揺すぶられる。

何といっても学生時代に日本で見た『暗殺の森』(ベルトリッチ)でのドミニク・サンダとのタンゴのシーンだ。

当時の後輩だった映画研究家の平野共余子さんから絶対お勧め、と言われてみたのでそのシーンばかりが記憶に焼き付いている。

この映画は少なくとも、いわゆる「刑事もの」としては異色の性格ドラマで、メルヴィル作品と同様、「フランスもの」の独特の味が際立っている。


by mariastella | 2018-11-27 00:05 | 映画

機内で観た映画 7 『LBJ ケネディの意思を継いだ男』

LBJ ケネディの意思を継いだ男


結局、今回の機内で観た映画の内ではこの映画が一番面白かった。


私はケネディ大統領の暗殺やジョンソンの就任などを同時代的に見てきた世代なのに、確かにジョンソンは副大統領からそのまま大統領になったなあ、そしてベトナム戦争で泥沼にはまったなあ、などという印象しかなかった。公民権運動がどうして南部出身のジョンソン政権下で実を結んだのかを考えたことがなかった。

JFKがそれまであり得ないと言われていたカトリックの大統領だったことには注目して分析してきたけれど、北東部エスタブリッシュメントとのケネディが最初から一匹狼ではなく弟たちと共に強固なグループを形成していたのに対して、ジョンソンはそれこそ、「南部出身の大統領」なんてあり得ないと思われていた南部カーストだったのだ。


そして、リンカーンの奴隷制廃止以来、実に100年経っても、人種差別が堂々とあらゆるところで存在していたというアメリカの現実にも今さらながら驚かされる。


ケネディは人種差別撤廃をアメリカの理念、理想に従って掲げたけれど、ジョンソンは、何十年も使えてくれている黒人のメイドの生きる現実からその不公正を実感する。


南部の議員たちが、自分たちの守りたいのは人種差別などではなくて、伝統であり、伝統的な生き方の継承だ、ということの欺瞞はジョンソンには通用しない。伝統よりも大切な正義がある。伝統を持って正義とみなす考え方もあるけれど、『ワンダー』に有ったように、「正しいことをすることと人に親切にすることとのどちらかを選ぶ」なら「人に親切にすること」「思いやりを持つこと」の方を選ぶべきなのだ。


ジョンソンの車を先に南部に運転して行ってくれるメイドが黒人であるがために途中でレストランにも行けずホテルに泊まることもできない現実は許すことができない、とジョンソンは確信する。

ケネディ大統領の華麗なストーリーや悲劇は何度も取り上げられるけれど、ジョンソンのこの話と議員たちとの駆け引きを知ることで、アメリカの現実が実感を持って分かる。


ベトナム戦争はまた別の話だけれど。


そして、トランプ大統領。中間選挙のために南部の小都市を回って人々を夢中にさせる映像が流れる。

マイケル・ムーアが『華氏119』で言うように、アメリカは、世界は、常に理念だけでない本当のブレイク・スルーを必要としている。


by mariastella | 2018-11-26 00:05 | 映画



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧