L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:沖縄( 15 )

「黄色いベスト」運動と沖縄

これを書いている時点(12/14夕方)、火曜日にストラスブールのクリスマス・マーケットを襲ったテロリストはまだ捕まっていない。
(13日付の私の記事にはその後の情報を追加して訂正した「追記」があるので確認してください。)

昨日の夜のニュースでは、テロリストが腕を負傷していることもあり、ドイツに逃げたのではなく地元の過激派地区に隠れているのではということで、捜査の方法が少し変わったようだった。

ニュースの解説者が面白いことを言っていた。

「きっとつかまるでしょう。なぜなら、彼は私やあなたと共通点が一つあるからです。
それは彼が人間だということです。
人間だから、食べたり飲んだり傷の手当てをしなくてはなりません。

もう48時間経っています。潜伏し続けることはできないので食べ物や水や手当を求めてどこかに姿をあらわすでしょう。
仲間のアジトにかくまわれると思われるでしょうが、かくまうことでの量刑の重さは知られているはずです。彼ら同志の忠誠や団結の意識は普通考えられているよりも脆弱なものです。」

だそうだ。

「人間だから」と言われて何か高邁なことが続くのかと一瞬思ってしまった。
そして、仲間に見捨てられる確率が多いとわざわざ言うのは、彼らがイスラム過激派といっても、宗教的、あるいは疑似宗教的な互いに対する犠牲精神を養うグループではないと確認しているからなのだろうか。

まとまったグループの方が諜報機関にサーチされやすく、これまでもストラスブールのテロ計画が未然に防がれてきたのだから、「一匹狼」の銃乱射の方が怖いといえば怖い。

(ここまで書いたすぐ後、14日の夜に、やはり地元に隠れていたテロリストは目撃情報によって追い詰められ、警察に発砲した後で結局撃ち殺された。翌日マクロンがストラスブールに来て犠牲者を追悼し、警察を慰労した。クリスマスマーケットは再開された。ほんとうに平和が戻るのだろうか…)

でも、陰謀論はともかく、このテロのおかげで、警察に拍手する民衆もいて、これまでは「黄色いベスト」運動を取り締まる警官たちを「権力のイヌ」とみなして敵対していた人たちの戦い方が変わりつつあるのは確かだ。
4 週間に渡るデモの警備で全国の警官たちは過労状態がマックスになっていて、これではとてもテロに対抗することができない、もうそろそろデモはやめてくれ、と内務省も訴えているし、「黄色いベスト」のグループの一部も訴えてはじめている。

マクロンが一応最低賃金の値上げやボーナスの支給を無税にするなどの対応策を出したし、これ以上土曜のショッピングを閉鎖したり観光客を逃がしてしまうのでは経済に打撃が多く、それこそボーナス支給どころか倒産しそうな店も出てくる。この辺が手のうちどころだ。

それにしても、政党とも組合とも関係なく種々雑多な人が暮らしの苦しさを訴えて声を上げ、そのうち落ち着くだろうと高をくくっていたマクロンをついに譲歩させた。
そればかりでなく地方のロータリーを占拠し続ける人たちが連帯して、市長にかけあって車の中で生活している人に公営住宅を提供してもらったり、失業者に仕事を見つけたりと、互助の広がりも見せている。

直接民主主義とは何か、経済民主主義、社会民主主義とは何かについて多くの人が真剣に考えて意見を述べるようになった。何のデモの後にでも便乗する「壊し屋」の集団の問題は別として、この「黄色いベスト」の自発的な運動そのものには、半数が女性で、四分の一がシニアであるなど、多様な層の怒りが表明されてそれに共感し応援する世論は、8割を超えることすらあった。

一部過激派が煽るような「マクロンを殺せ」というような暴力革命の志向ではなく、「民衆の声をちゃんと聞いて誠実に答えよ」という原則の絶対支持だ。
そういう意識は「庶民」ではないエリート層にも徹底しているし、「ノブレス・オブリージュ」の伝統はすごく根強い。
庶民に対して上から目線で皮肉っぽい態度をとったマクロンは、下品な態度をとったサルコジよりも反感を持たれた。みんながそれに激しく反応するところは、フランスっぽいとしか言いようがない。

この展開を見ていたら、あらためてショックなのは、日本の「あきらめ」メンタリティだ。

ここ数年のいくつもの法案の強行採決、「友達」優先の数々の忖度スキャンダル、公文書改竄では自死者まで出しているのに、「怒り」は一部の空間や時間限定でしか可視化されない。
首相も大臣も「誠実」や「謝罪」どころか、何も答えなかったり言を左右にしたり、責任の所在を曖昧にしたり、それこそ上から目線の失礼な発言をしたり、どの一つをとっても、フランスでならとっくに限界値を超えている。

私は自分自身、怒りを表明したり、群れをなしてマニフェスト行動をしたりするタイプではないし、不満があっても、自分のことならある程度スルーして、迂回した形の抗議しかしない。
それが日本で生まれ育った庶民の事なかれ主義のせいなのかどうかは分からない。でも、日本にももちろん強者からの不当不公正な圧力に怒りの声を上げる人もいるし、決してあきらめない人もいる。
40 年以上フランスで暮し、フランス人の怒りの表明の仕方、そしてそれが結果的にまともな「対話」の回復につながることを見てきたので、日本ではそれがその方向に進まない現実をますます深刻に受け止めてしまう。
日本では時として、抗議することをあきらめない人たちが「セミプロ活動家」として敬遠さえされるのだ。

私はこのことを、沖縄の辺野古海への土砂投入という蛮行に怒る人々への共感を念頭に書いている。

12/13付の自由法曹団の声明を澤藤統一郎さんのブログからここにコピーしておきます。
私は、このところ、毎日、「涙そうそう」を歌ってます。

日本政府の辺野古海域への土砂投入方針の撤回を求める声明

今年9月に行われた沖縄県知事選挙で、辺野古新基地建設反対を掲げ、「オール沖縄」の支援を受けた玉城デニー現沖縄県知事が、安倍政権の全面支援を受けた佐喜真淳候補に8万票以上の圧倒的大差をつけて勝利した。辺野古新基地建設反対は圧倒的多数の沖縄県民の意思である。

 しかし、日本政府は、行政不服審査法を悪用して、埋め立て承認撤回の効力を停止させた上、12月14日にも辺野古新基地建設に伴う埋め立て土砂の投入を強行しようとしている。こうした日本政府の方針は、沖縄県知事選挙で示された沖縄県民の意思を真っ向から踏みにじるものであり、断じて許されない。

 しかも、日本政府は、土砂投入のため、12月3日に名護市安和にある民間桟橋から土砂搬出作業を開始したが、同桟橋は沖縄県規則で定められている桟橋設置工事の完了届がなされておらず、桟橋内の堆積場についても沖縄県赤土等流出等防止条例で必要とされている届出がなされてないなど、違法に違法を重ねている。

 また、今回計画されている土砂投入は、埋め立てに必要な2100㎥のうち、辺野古側の約129㎥分にすぎない。地盤の強さを示すN値がゼロという”マヨネーズ並み”の軟弱地盤が大浦湾側の護岸の建設予定地で見つかっているところ、軟弱地盤の改良には公有水面埋立法に基づき沖縄県に届け出ている設計概要の変更と玉城デニー沖縄県知事の承認が必要であり、かかる承認がなければ日本政府は大浦湾側で埋め立て工事を進めていくことはできない。

 このように埋め立て工事を進めていく展望が全くないにもかかわらず、日本政府があえて土砂投入にこだわるのは、来年2月24日に予定されている辺野古新基地建設の是非を問う県民投票、3月以降に予定されている衆議院沖縄3区補選の前に、少しでも土砂を投入したことを見せつけて埋め立てを既成事実化し、新基地建設に反対する沖縄県民を諦めさせることを狙っているからである。

 自由法曹団は、二重三重に沖縄県民の意思を踏みにじる土砂投入の強行を許さず、日本政府に対して、土砂投入方針の撤回を強く求めるものである。
  2018年12月13日 自由法曹団 団長・船尾徹


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by mariastella | 2018-12-16 00:05 | 沖縄

沖縄県知事選挙

Yahooニュースにはすぐ出ていなかったけれど、田中龍作さんのツィッターで玉城候補当確とあったのでこれを書き始めている。

ウェイン司教の祈り(多分)が通じたかな?

アメリカ人の絶対反戦論者ウェイン・バーント司教、

在沖縄アメリカ軍人の息子の玉城デニー氏、

そしてアメリカの軍事基地による汚染の実態をきっちりと調査したアメリカ人ジャーナリストのジョン・ミッチェルさん、


日本の対米従属とかトランプ大統領の暴政ぶりとか、近頃、アメリカにネガティヴなイメージを貼り付けてしまいそうな時期に、この3人が態度を表明してくれるのは力強い。

「アメリカ」の掲げる民主主義や自由に希望を持てるような時代が来てほしいからだ。

一昨日、Arte「人間動物園」のドキュメンタリーを見た。

西洋白人キリスト教国が19世紀から20世紀にかけて、植民地政策を正当化するためにいかに「人種」のヒエラルキーを構築したかという政策が、障碍者なども含める「異形の人」を見世物にする民衆娯楽として広がったかを振り返る。

それがなくなったのは、「映画」の登場で、映画の中で「人食い人種にさらわれる金髪の美女」などのストーリーを消費できるようになってからやっと「原始人」ショーはすたれた。

特にヨーロッパには黒人奴隷とその解放の歴史がなかったから、アフリカの黒人は即原始人でサルと人間の間の進化過程のミッシングリンクとまでされた。(その後、第一次大戦でアメリカの黒人兵が大挙してやってきたことが常識を変えた。)


それにしても、「原始人」「未開人」「土人」の基準は、肌の色ももちろんあるけれど、心象的には、「裸」が一番大きなインパクトだった。その頃のヨーロッパで、女性が人前で授乳したり胸をはだけて歩いたりというのはもちろん考えられない。で、動物園で、半裸の黒人が暮らす様子を演出した。

当然ながら、アフリカの黒人の肌が黒いのも、半裸で暮らしていたのも、その気候に適応していたからだ。

だから、パリやベルリンの「動物園」で冬場も半裸で見世物にされた黒人たちは、次々と肺炎になったりウィルス性の病気で倒れ、死んでいった。

アメリカでは普通のアメリカ人と同じ生活をしている黒人がいるからエキゾティックではないから、オーストラリアのアボリジニなどが見世物として「人気」を博したが同じように多くがかえらぬ人となった。

番組では、20世紀初めの頃の植民地地図が出て、そこには、日本に「併合」された朝鮮半島ももちろん入っている。

アイヌの人の生活場面も少し流れた。

ヨーロッパの万博で「ゲイシャ」風の着物の日本女性たちが楽器を弾いているシーンも出た。

でも、日本女性たちは全身を覆う着物を着ているので、エキゾティックではあっても、「原始人枠」、「土人カテゴリー」ではないし、アイヌの人々も、北海道で暮らす人々だから、当然半裸などではなく、見た目は「白人」に近い。

これを見ていて、昔、沖縄の人々がルーズな恰好で生活していることを観察したことが、差別の根拠にされたという話を思い出した。

南の国ほど、当然衣服は薄くなる。そんな当たり前のことが、「動物は裸で暮らす」「人間だけが文明化して服を着る」という規準を利用して、「未開人」を蔑視し支配する政治の道具にされたのだ。

これらの過去の刷り込みは根が深い、サッカーの黒人選手やフランスの黒人の女性大臣について「猿」という言葉でヘイト言辞が出てくるのは、植民地政策に続いた「原始人ショー」という民衆カルチャーの総括がなされていなかったからだ、と番組はいう。それらの記録はずっと封印されてきたのだ。

21世紀の日本だって大阪府警の機動隊員が沖縄の人に向かって「土人」と発言した。その時に、1903年の大阪で開かれた博覧会で、沖縄女性2人が「展示」された「人類館事件」があったことを知った。これはまったく、ヨーロッパやアメリカの人種差別博覧会の、それこそ「猿真似」だ。

人類の人種は生物学的な人種ではない。すべての人はアフリカから移動してきたことはもはや常識だ。

その垣根を目に見える形で打ち砕くのが、「混血」であり、番組でも、ニューカレドニアからヨーロッパへの見世物興行に駆り出された一団の一人が、「白人のフランス女性」と結婚して生まれた女性が登場した。父と母の写真があったが、幸せそうな美男美女だ。父は病死した。それでも、母は、結婚した時に、フランス国籍を保持するための申請をしなくてはならなかったという記録が残っている。

そんなこともあって、アメリカ人の血をひく玉城デニーさんの当選はほんとうにシンボリックで希望が持てる。

世の中、悪いことばかりではないなあ、と思えてきた。

これからが大変だけれど、とりあえず、

玉城さんを支持されたみなさん、おめでとう。


来年の秋にトリオの沖縄公演を実現させたい。

平和と美が共振できるような何かをしたい。

フランシスコ教皇が、ヴィム・ヴェンダースの映画の中で、「アーティストは美の使徒です」と言っていたのを思い出す。





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by mariastella | 2018-10-01 00:05 | 沖縄

沖縄スパイ戦史

リテラで読んだ『沖縄スパイ戦史』についてのインタビュー、興味深かった。

監督2人が女性で、決意のほどが伝わる話だった。
名前を出して資料を見せて発信している人々に対して陰謀論やフェイクニュースや勝手な誹謗をネット上で仕掛けてくる人にどう対応するか、という部分も考えさせられる。


その後、予告編を見た。


この映画、見てみたい。


お知らせ

先日10/28 の講座の案内、申し込みがここここにあります。
おみやげ用意していくつもりです。





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by mariastella | 2018-07-29 00:05 | 沖縄

6/23 沖縄慰霊の日に思ったこと

(これを書いたのは6/23です


今年の沖縄慰霊の日は、春にはじめてアブラチガマなどを案内していただいて、沖縄戦の犠牲の話などを子孫の方からお聞きした年だったのでしみじみと平和への気持ちを新たにした。

この日に向けて、案内してくださった沖縄のカトリックの方々に7/10発売の『カトリック生活』8月号の平和特集に載る記事の原稿を見ていただいてご意見もいただけたことも嬉しかった。


けれども、同時に、返還交渉で米軍が核貯蔵権を要求していたという米の公文書が公開されたり、名護市の農作業小屋での流弾事件などのニュースもあり、「慰霊」といっても犠牲者の魂を慰めるには程遠い現実がある。


その現実だけをクローズアップして眺めると、いったい沖縄の人たちはどうやって毎日を耐えながら暮らしていけるのだろう、とさえ思うこともある。

幸い人間には精神の安定を保つための防衛機制というものが無意識に働くので、戦争や暴力や治外法権や騒音や危険と隣り合わせに生きているとある種の「慣れ」が生まれるという。そのおかげもあってか、厳しい環境の中でポジティヴな取り組みも生まれているのが嬉しい。


最近ネットで知ったのは嘉手納外語塾という町立の学習塾の存在だった。

嘉手納町は極東最大の米軍空軍基地(品川区と同じくらいの広さ)が町の面積の88%大半を占める町だ。前に書いたことがある。


そんな町で、「耕す土地がなければ、頭を耕せ!(なんていい言葉だろう。ヴォルテールの『カンディード』の結びの句「自分たちの庭を耕さねばならない」というのを思い出す)」をコンセプトにして20年前に外語塾が発足したという。


入塾資格は本人か両親が町内に3年以上居住している1825で、受講は無料、塾生全員に給付型の奨学金が用意されているという。基本支給額は月25千円で、資格取得などの成績に応じて最高5万円が支給され、米軍基地内の事業所などでのインターンシップや、米国への短期留学も支援する。留学先で学生は沖縄の文化を紹介するプログラムもあり、グローバルな人材を育成しているという。

毎年15人程度の枠があるのに半分くらいしか埋まっていないというのが残念だけれど、これまでの19期で181人が卒業し、国内外の大学や大学院に在学中の者もいるそうだ。

沖縄戦では、追い詰められて断崖絶壁から身を投げた人々がいる。


ヴァレリーは『海辺の墓地』という詩の中で、「風立ちぬ、いざ生きめやも」という堀辰雄の訳で有名な「Le vent se lève. Il faut tenter de vivre ! (風が立つ、生きようとしなければならない!)」と書いた。


沖縄の美しい海は、死の場所ともなった。

それでも今も、陽が照り、風が吹く。

断たれてしまった多くの命を思う時、それでも、いや、だからこそ、「生きようとしなければならない」と、慰霊の日は教えてくれる。

 生きるために、頭を、心を耕そう。
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by mariastella | 2018-07-03 00:05 | 沖縄

沖縄を考える その10

沖縄に行ってからひと月経った。

まだ書いていないことの方がたくさんある。

沖縄で実際に行ったり、見たり、聞いたり、説明したりしていただいたことで、ますます、他の方や他の時代の沖縄についての論考を渉猟するようになった。

だから、考えをまとめるよりもどんどん深入りすることになっている。

私は今、ベトナム戦争でも兵役拒否をしたアメリカ人のウェイン師を新司教に持つ沖縄のカトリックと、韓国のカトリック教会などのつながりに、東アジアの平和への希望を見出そうとしている。
それなのに、そのような取り組みを、「反日」やレイシズムのヘイトに満ちた言葉で攻撃する人もいることも知るようになった。

でも、政治的などんな偏見やら思惑よりも、実際に毎日、「基地の島」の現実から被害を受けている人々の生き方、あり方を改善することが先決だと思う。

ライプニッツは、カトリックとプロテスタントの三十年戦争によって荒廃をきわめたドイツの現状を見て、キリスト教の宗派対立を調停するという道を選択した。モナドロジー(単子論)が生まれた。
人口の四分の三を失い、農業、商業が壊滅し、社会のモラルが失われた当時のドイツ社会を立て直すために、もはや宗教的な物語を利用することはできない。それこそが社会の荒廃を引き起こした本質的な理由だからだ。

(これは今のイラクで、もうスンニー派とシーア派の色のついた政党ではなく政教分離の民主政党を立ち上げる運動があるのと通じる)

そこでライプニッツは、自分たちの「絶対」を掲げる宗教ではなく、どんなものでも見方によって変わるという相対主義を唱えることになった。

ライプニッツは、ある町をどの角度から見るかによってその町のイメージがまったく違うことを例に挙げる。
見る人の視点だけ町がある。
ちょうど「群盲象を撫でる」と同じだ。「実際に触れた」ことから来る確信など、全体の真実にはつながらない。

けれども、町を取り囲む要塞の壁の前にたたずむ人と、中心部の丘に建つ塔から町を見下ろす人では情報の質も量も雲泥の差であることにライプニッツは注目する。

できるだけ多くの角度、多くの要素を取り入れるのも大切だけれど、絶対に見ることのできない盲点は常に存在する。

町を最もよく見はらすことができるのは「神の視座」である。
人間が神の視座に到達ことはできないが最終地点は必ずあるという意識が、この世界やモノや他者を「よりよく」見ようとすることを促す力動を生む。

ライプニッツの結論は、「真実を求めるエスプリにとっては、進歩は決して終わりがない」ということだ。

相対主義ではない普遍主義はいつも「神」と関係がある。

相対主義で、敵対するどちらの側にも一理ある、とおさめるのが便利なこともある。「どちらが悪いか」という裁きは難しい。

けれども、たとえば、ある共同体に人身御供や障碍者抹殺などの「伝統」や「文化」があったとしても、外部の者がその「多様性」に驚いていた時代から、今では、個々の文化や伝統にかかわらず、「すべての人の命の尊厳が守られるべきである」という「絶対」善がコンセンサスとなってきた。

神の視座の普遍主義というのは、宗教の教義や宗派のトップの判断などとは関係がない。
個々の人間や風土を異にするさまざまな共同体にとっての「正義」だの「善」だのを超えた普遍的な視座がどこかにあること、そこに到達することはできないけれど、「よりよい」ものを求めるという選択は必ずあることを信じ、期待することだ。

ライプニッツの「町」と同じで、私がたまたま立った地点からだけで「沖縄を考える」などと大それたことは言えない。
同じように、「沖縄」の不条理だけを見てイランやシリアやアフリカや、世界中で起こっている不公正や不条理を語ることはできない。

でも、あらゆる不公正のある場所には、いろいろなレベルで苦しんでいる生身の人たちの毎日の生活がある。

私の「沖縄を考える」は、そこに絶えず回帰しながら続いていくだろう。

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by mariastella | 2018-05-30 00:05 | 沖縄

沖縄を考える その9 野國総管と唐芋

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これは、嘉手納町の駅の前にある「唐芋」を伝えて琉球や日本を飢饉から救った野國総管という人の銅像。ぜひ写真を撮って広めてくださいと言われた。
左手に持つのがイモ。

日本で「サツマイモ」と言われ、普及させたのが甘藷先生、青木昆陽とされているのは間違いだから、と。

1605年に救荒対策として荒地でも育つ芋の苗を明から持ち帰った野國総管を記念して、「野国いも」と呼ぶことが、唐芋伝達400年記念の2005年に嘉手納で宣言されたそうだ。

だから野國総管は、それ以来、日本全土を飢饉から救った恩人だ、と言う。

沖縄の「薩摩」に対する悪感情は分かるから、何よりも、サツマイモと言う呼称が気に食わないのだと思う。青木昆陽の名が広く知られていることも。

でも、青木昆陽の名は確かに「習った」けれど、別に「恩人」と刷り込まれてはいない。青木昆陽にたどり着くまでに唐芋は、琉球王からから種子島に寄贈され、薩摩や瀬戸内海に広がり、100年以上経ってから儒学者の昆陽が文献を見て薩摩から取り寄せたと、Wikipediaにあったから、別に、呼称とか手柄にこだわったわけではなさそうだ。

中国との交易や地理的関係から見ても、沖縄の方が九州よりも先に文物を取り入れると言うのは不思議ではない。
野國総管が嘉手納に分骨されて宮も建てられ毎年祝われているというのは、この人が、飢饉対策などで先見の明を持つ優れた為政者だったからだろうし、産業振興の恩人だっからだと言うのはよく理解できる。

でも、いつの時代のどこの誰の功績が後々の出来事の「出発点」だったかと決めるのは難しいし、恣意的でもある。

私がなんとなく分かるのは、フランスに住んでいて、私が「日本のもの」だと認識しているものをフランス人が中国のものとか韓国のものだと見なしていると、直接関係もないし、実際の由来も知らないにもかかわらず、なんとなく不愉快だとか不当だと感じてしまうからだ。
パリの韓国料理レストランで、フランス語で「韓国料理」というタイトルのりっぱな写真集の表紙が「巻き寿司」だったのを見たことがあるが、その時の感覚だ。

それとは逆に、長い間「外国」に暮らしていると、どんな文化だって色々なところから伝わって進化したり特殊化したりするのだから、時にはその中の普遍性に感嘆したり、時にはヴァリエーションやハイブリッドを楽しんだり、時にはその好き嫌いによって自分自身の立ち位置を発見したりすればいい、という心境もある。

でも、搾取したりされたり併合したりされたりの歴史のある地域間では、先取性がアイデンティティと切り離せなくなることもあるだろう。

空軍基地のある嘉手納だからこそ、めぐりめぐって、野國総管の重要性が拠り所になるのかもしれない。ちなみにフランスはジャガイモの国だけれど、ジャガイモが「新大陸」から来たことはみんな知っている。オランダ船がもたらしたというジャガイモも日本の飢饉対策となった。

20世紀のフランスの飢えを防いだものにはキクイモ(これもアメリカ大陸由来)がある。
種まき、苗の植え替え、刈り入れなどが大変な穀物と違って、イモって確かに飢饉に強そうだし、洋の東西を問わず、品種改良が続けられた歴史にも敬意を評したい。





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by mariastella | 2018-05-27 00:05 | 沖縄

沖縄を考える その8 沖縄の新聞(追記あり)

沖縄では、いつも沖縄の県民の側に立ってぶれないことに感心している地方新聞2紙を、アナログで手に取ることができて感慨深かった。

琉球新報には「9条の行方ー沖縄から問う」というコーナーがあって、自衛隊明記についての記事があった。沖縄では、なんと、「復帰」前から憲法記念日を祝っていたという。
「復帰」すれば日本の軍隊を持たないという「平和憲法」が適用されるはずだ。
沖縄の人たちが望んで夢見ていたのは琉球処分以降の大日本帝国への「復帰」ではなく、基地を一掃してくれる「平和憲法」に合流することだったのだと思う。

でも、平和憲法も、復帰も、とんだ「看板に偽りあり」だったわけで、米軍基地の治外法権ぶりは変わらなかった。日本の「中央」にとっては、沖縄は琉球処分以来の戦略地点でしかなかったのかもしれない。

沖縄タイムスには、「語れども、語れども」という「うまんちゅの戦争体験」という連載がある。

私の行った日は「屈辱の日」の翌日だった。サンフランシスコ条約で日本が主権を取り戻したのに沖縄が切り離された日だ。
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同じ琉球だった奄美大島は鹿児島県になって切り離された。
復帰後も、沖縄県となったので、「高校野球」の応援で、奄美の人は琉球だったのに沖縄代表よりも今は鹿児島代表を応援してしまう、というエピソードも、単に笑って聞き過ごせない気がする。

その「屈辱の日」は、2年前にうるま市の女性が元海兵隊員の軍属に殺されて遺棄された日でもある。犯人と結婚していた女性や子供、その家族の人生も破壊された。
次の日は遺体が発見された日で、金武町(キャンプ ハンセンなど、基地が60%も占めている町だ)の発見場所(追記:恩納村から金武町に抜ける県道104号の道路沿い。この2年間、お菓子やお花や飲み物、メッセージカードが絶えたことはないという)には追悼のテーブルと椅子が置かれていた。
被害女性のご両親などがいらっしゃるのを、前町長さんが待っていた。

殺されるのはもちろん、米軍関係者による交通被害にあった人も、乱暴された人も、生き延びても心身の傷は消えないだろう。

話だけでは抽象的であっても、美しい花が供えられている前で手を合わせると、理不尽さや無念さが胸を衝く。
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by mariastella | 2018-05-26 00:05 | 沖縄

沖縄を考える その7

嘉手納空軍基地を見下ろせることで有名な道の駅「かでな」にも連れて行っていただいた。

展望台では、基地や戦闘機よりも、子供連れも含めてそれを見学に来る人達の熱気の方が印象的だった。私はあらゆる列車が好きな鉄道ファンやカーマニアの気持ちもあまり分からない人間なのだけれど、戦闘機マニアに心躍らせることは、本質的にリスクをはらんででいるのでは、と思わざるを得ない。

でも、集まっている若い人たちを見ていると、何か壮大なゲームを楽しんでいるように見える。ここから飛び立つ戦闘機が爆撃したり、訓練中に事故を起こしたりしていることなどへの想像力や記憶とは乖離した世界のような気がする。
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カメラが並ぶ。
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土産物屋?も、米軍グッズや戦闘機写真。オスプレイの写真も見える。
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駅と基地の間のわずかな場所(黙認耕作地)に畑などができているのもシュールだ。
でも、案内してくれている方は、実際にこの近くに住んで、戦闘機の爆音をずっと聞かされている人なのだ。

リゾートや観光ルートだけめぐっていると、このように、「基地問題そのもの」が観光の対象になっているところの存在を知らないままでやってきて去っていく人も多いだろう。(続く)

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by mariastella | 2018-05-25 05:22 | 沖縄

沖縄を考える その6    糸数アブチラガマ

4月末、沖縄戦で日本軍の陣地や野戦病院としても使われたアブチラガマを案内してもらった。(最初に表記の間違いがありました。下のサイトにあるアブチラガマが正しい表記です)

このサイトに詳しい説明がある。

ここに各地点を360°見渡せる写真があるので、実感を持って追体験できる。

生存者の証言も載っていて、一つ一つ読んでいると、戦争の放棄と武器廃絶以外に人間の尊厳を守ることにふさわしいものはないのではないか、とあらためて思う。

それでも、実際に連れて行っていただいたからこそ、このサイトを開き、じっくり読むことになったのだから、「情報との出会い方」は決定的だ。

ガマへ降りるには懐中電灯とヘルメットが必要だった。

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実際何度か頭をぶつけた。

最近沖縄のニュースで観光地の階段が石灰岩で滑りやすく、足元に気を取られて頭をぶつけた人が出ているというのをネットで読んだ。

私はこのガマの翌日にそれこそ観光鍾乳洞である玉泉洞にも入ったのだけれど、ライトアップも完璧だし、「通路」の周りの鍾乳石はバッサリと切り取られている。

エスカレーターやエレベーターもあって、なんだかわたしが子供の頃に時々訪れた「昭和の鍾乳洞」の趣だ。環境保全意識の発達した今なら「?」というようなところもたくさんあるけれど、最近公開された「ガンガラーの谷」の鍾乳洞などは、さすがによくできていて、火をともしたランプを手渡されて「自然」風味が残されている。

「アブチラガマ」などは、まったく別のコンセプトだ。

多くの方が亡くなった「死」の場所であり「慰霊」の場所であるだけではなく、アウシュビッツの収容所が負の歴史遺産として保存されているように、二十世紀の戦争の歴史遺産であるからだ。

ポーランド人神父などがやってきて沖縄戦の悲惨さを聞いて、アウシュビッツのように保存していないのか、と言われた時に、沖縄では地上は焼き尽くされたので、地下壕しか当時の状況を残しておけるものはないと説明するのだそうだ。

広島では爆心地のいわゆる「原爆ドーム」が残されている。長崎の「被爆の聖母」のインパクトも大きい。 

アブチラガマでは、私などは転倒しないように最大の緊張感を強いられるのでそれだけで感受性がマックスになる。こんな危ないところに小学生たちも「平和学習」に来るなんて驚きだけれど、非日常感を味わえてさぞや印象に残ることだろう。

沖縄の地下鍾乳洞や縦穴の壕、その中で展開された悲劇、痛み、苦しみ、エゴイズムや差別(わかりやすい差別で安全な壕の奥から日本兵、住民、朝鮮人慰安婦という証言が残っている)などや、それでもなお存在した助け合いや生命力の発揮を思うと、アウシュビッツの記録を読むのと同じように「極限状態の人間」について考えさせられる。

でも壕の特徴はなんといっても「暗闇」の恐怖だろう。いや、証言を読むと、真の暗闇は、恐怖をも凌ぐ。

暗闇が駆り立てるのは光の渇望、色のある世界の渇望だ。

「生きること」と「光」は切り離せないのだなあと分かる。

「信仰の闇」を体験して苦しんだという聖人たち(マザー・テレサやリジューのテレーズや十字架のヨハネなど)の語ったことの意味が少しわかる。

「神を見失った」ことと、だからこそより「神を渇望する」こととは同じなんだろう。

「健康」だの「若さ」だの「親」だの、「失ってはじめて分かるありがたさ」と言われるものはいろいろあるけれど、視力が残っているはずなのに「光」を断たれることは、「ありがたさ」がどうとかいう次元ではない。ただただ、「命の渇望」なんだということが、証言者の言葉でよく分かる。

「戦争になってはじめて平和のありがたさが分かる」なんていう日を来させてはならない。


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by mariastella | 2018-05-24 00:05 | 沖縄

沖縄を考える  その5  ユタとノロと最初の切支丹

5/1に斎場御嶽やガンガラーの谷に連れて行ってもらった観光ハイヤーの運転手さん當銘さんには、ユタやノロについていろいろお話をうかがった。

どの地域にも一人いるユタだが彼も若い頃はまったく興味を持っていなかった。けれども結婚するにあたって、一家を構えるのだから、大人たちがしてきたことはすべてしておくように、と言われて、ユタのところにはじめて行った。

ユタは元グスクの近くに集められていたので、名前に「城」がつく人が多い。

彼の地域のユタは山城さんだった。家族の将来などについて一つずつ予言がなされるのだれど、彼の場合は、長男についてだけが不思議にあたっていた。怪我を予言された後で事故に遭ったというのだ。「予防できないのなら意味がないのでは?」と質問したが、ともかく、それからは、長男については何でも相談するようになったという。

子供たちも巣立って長らくご無沙汰していたが、最近妻が悩み事を抱えて山城ユタをたずねていった。すると、もう高齢なので、体力が持たないので霊媒はできないと言われて戻ってきたという。

「霊媒」としてお告げを聴く時の心は心身にとても消耗する重労働だからだそうだ。

ユタやノロの暮らしは代々共同体から支えられているけれど、今は後継者がいなくて大変だともいう。


共同体のおかかえ占い師のスタンスのユタと違って、巫女的な位置づけのノロの場合はもっとたいへんで、ノロが集中している久高島出身の人などは、本島で誰かと付き合っても、結婚話が出ると、「久高島出身」というだけでひかれてしまうので、なかなか結婚もできず、後継者もいなくなるそうだ。

もちろん基地についての話もいろいろ聞いたのだけれど、この方は歴史好きで、図書館から借りてきたという『首里城内の女たち』という本を貸してくれたので、車の中で読んだ。

c0175451_05001520.png

この中の第四話に尚灝王(しょうこうおう)の名吟というのが出てくる。


上下やつまて  中や蔵たてて

奪ひとる浮世  治めくれしや


国王や人民は困っているが中の役人たちは蔵を建てるほど利益をむさぼっている。実に治めにくい世の中だ


という意味だ。なんだか、実感がこもっている。


同じ本の中に、沖縄で迫害されたキリシタンの男の話があった。

『切支丹里之子』というタイトル。


山本秀煌の『近世日本基督教史』の中に、過去に琉球政府からベトラム(ベッテルハイム)の護衛につけられた青年が梁木につけられているのに遭遇したエピソードが引かれ、プロテスタントだけではなくカトリックの最初の信者もいたと書かれている。

1844年にフランス軍官アルメーヌ号で来球したフランスの司教フォルカード師がアウグスチヌス高という中国人の神学生を伴って泊村天久聖現寺に2年間留まって以来のフランス人宣教師たちの様子と洗礼を受けた立った一人の琉球人の話だ、


ちょうど、前の日に沖縄のカトリックの方々とお会いして、『キリスト教の死生観と沖縄における望ましい祖先記念行事のガイドブック」(沖縄宣教研究所――宗教と習俗委員会)という小冊子を読んだところだったので、興味深かった。


明治維新以来の、国家神道の押しつけと民間信仰とキリスト教の関係について、沖縄で起こったことは日本で起こったことの縮図のような部分がある。

これについてはまた別のところに書くことになるだろう。(続く)


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by mariastella | 2018-05-22 00:05 | 沖縄



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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