L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:雑感( 422 )

「仏祖の方便」と拡大鏡

「仏祖の方便とは、皆、愚か者を教えるためのはかりごと」だという。

イエスの連発するたとえ話にも似ている。

ある禅宗のお坊さんのブログに『沙石集』からこんな話が引かれていた。

>>『首楞厳経』には1つの喩えが説かれていて、演若達多という者が、朝起きて鏡を見ると、自分の顔が見えなかったことを、誤った持ち方をしているからだとは思わずに、鬼の仕業だと思い込んで、首から上が無くなったと勘違いし、驚き騒いで走り回ったことがあった。人の諫めも聞かなかったが、流石に、周りの人が余りに教え諭すので、鏡をよくよく見たところ、頭が戻ってきたと思った。このように、愁いが無いところで愁い、また、喜びを起こさずとも良いところで喜ぶ。
 このことが喩えているのは、無明の心とは、理由無く頭が無くなったと思って、それを求めるようなものである。本覚の明心は、かねてより失われたことが無い。それは頭が無くなったと思い込むのと同じで、失ったように思っているだけだ。始めて見つけて、それを得たと思うのは、始覚門で菩提を得るようなものだ。<<

これを読んで、「信仰の夜」のことをまず連想した。

あのマザーテレサや十字架のヨハネも悩んだという「信仰の夜」だ。

彼らは人生の途中で神を見失い、闇の中で苦しんだと言っているわけだが、それも、「鏡が裏返った状態」だったのだなあ、などと思える。

逆に言えば、回心体験とか神秘体験とかいうのも、自分の視線の方向が変わったのではなくて、突然鏡が裏返ったようなものかもしれない。
何が、鏡を、自分と神を映す方向に回してくれたのか…は永遠の謎だけれど。

などと思っていたら、洗面所で、脇にあった鏡に自分の顔が映っていず、一瞬驚いた。

暗くゆがんだ光だけがある。
ちょっと怖い。

実はその置き鏡は、両面鏡で、片面が普通の鏡、もう片面がかなり大きい倍率の凸レンズなのだ。自分の顔のディティールが見えないので一応セットしてあるものだ。
普段は見えなくても気にならないので使わないけれど、たまに目に異物感があるとまつげが落ちて入っていたりするので置いてある。

で、それが、凸面の方がこちらに向いていて、屈折率が大きいので、まっすぐ正面から見るとちゃんと自分の顔が見えるけれど、離れたところから斜めに視線をやると、いったい何が映っているのか分からない光や歪みだけが見えていたのだ。

なるほど、と思った。

普通の鏡が、鏡面でない方に裏返っていたら、「見えない」だけですむことでも、鏡の特殊な反射を持つ側に裏返っていたら、「異様なもの」「ゆがんだもの」が見える。

神を見失う、とか、無神論になる、とかではなく、
亡霊の影に怯えたり、悪魔の存在を信じたりもしそうだ。

なにごとも、しっかり自分の目で見つめる、だけではだめなので、
どういうものを通して、
どういうアングルから見るのかを、
いつもチェックしなくてはならない。

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by mariastella | 2018-02-05 00:05 | 雑感

小西誠さんと沖縄

軍事ジャーナリストの小西誠さんと三上智恵さんのトークで 

『南西諸島陸自配備について 標的の島』というのを視聴した。


あまりにも徹底した住民不在の考え方には驚くとか怒る以前に、笑うしかない、みたいな話がある。

この22分あたりを見ると、笑えてくる。実際、三上知恵さんも小西さんも笑っている。

55分あたりから、1921年に太平洋地域の島嶼要塞化禁止を合意したワシントン条約というのが日米英仏伊の五ヶ国で締結されていたことが語られる。

沖縄は明治維新以来の非武装地帯だったのだがそれが確定した形だった。

この島嶼要塞化禁止を提案したのは日本だったそうだ。


まあ、すでにある軍事基地はそのままに、という話なのだから、核拡散禁止条約のようにすっきりしない部分はあるけれど。


その沖縄に1944-45年にかけて日本が軍隊を送り込んだことがそもそも沖縄の地上戦につながった、とも言っている。

小西誠さんを見てとてもなつかしかった。

今はじめて見たとしたらそれなりに年配者なのだろうけれど、若い頃に会った人って、昔のままのイメージだ。


1970年だったと思うけれど、小西誠さんの『叛軍』の映画の少人数の上映会みたいなものに出席した。その後で小西さんとのディスカッションがあったのだと思う。

今になって、ネットで検索したら、こういう解説があった。

>>>小西の<叛軍>行動にたいして、検察は、これを自衛隊法第六四条および第一一九条をもとに「政府の活動能率を低下させる怠業的行為」として起訴したが、小西は「国民を護る義務を帯びた自衛隊が国民に銃を向ける訓練をするのは違法だ」といった考えにもとづいて、それに<不服従>の権利をもって対抗した(『陸上自衛隊服務関係法令解説』にも「違法の瑕疵が重大かつ明白な場合は、命令を受けた隊員はみずから職務上の命令の無効の判断をすることができ、これに服する必要はなく、また服してはならず、もしこれに服したときは、その結果についてみずからも責を負わなければならない」とある)。民主主義の徹底化によって大幅に<不服従>の権利をみとめ、軍隊の職務ならびに機構上の特殊性からとかくおちいりがちな兵士たちのロボット化、そのロボット化による非人道行為の横行をあたうかぎり防止する。<<<

「不服従の権利」というのがあるんだ、すごいなあ、と感心して、フランスの軍隊はどうなんだろう、とフランス語で検索したら、

「不服従の権利」でなくて「不服従の義務」というのばかりがずらずら出てきて驚いた。「不法な、あるいは不当な命令には服従してはならない」し、それをすみやかに軍事大臣に報告する義務があるというのだ。

ついいろいろ別の国のものも調べてしまった。今は国際的に標準になっている項目らしいが、それを権利というか義務というかのニュアンスもいろいろあって興味深い。

ちなみに小西さんは、今も「自衛官人権ホットラインの相談室という掲示板を運営している。


>>自衛隊法や自衛官の人権についてのご質問、隊内での暴力・いじめなど  
自衛官、家族のみなさんの悩みや不安にお応えするための相談室です。  
事務局長小西誠はじめ自衛隊や軍事問題の専門スタッフが相談に応じます。<<<


とある。


少し読んでみたが、日本のような同調圧力の高い国での軍隊のような閉鎖的な階級社会の実情はかなり深刻そうだ。


それにしても、半世紀の間、変わらず人権と軍事の問題を追及してきた小西誠さんって、すごい。


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by mariastella | 2018-02-04 00:05 | 雑感

パブロ・カザルスのおかあさん

金日成の回想で、武装、武装、闘争、闘争という風に突き進んでいく時代の流れに辟易としていたので、口直しに読み返した『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』。

カザルスの末の弟エンリケは、末っ子で母親から特別に可愛がられていた。
それなのに、エンリケにスペイン陸軍から召集令状が来た時、母はこう言った。

「エンリケ、お前は誰も殺すことはありません。誰もお前を殺してはならないのです。人は、殺したり、殺されたりするために生まれたのではありません‥。行きなさい。この国から離れなさい。」

で、エンリケはスペインを逃げ出してアルゼンチンに渡った。徴兵令を破ったものへの恩赦が行われて帰国したのは11年後だったという。

カザルスは

世界中の母親たちが息子に向かって、「お前は戦争で人を殺したり殺されたりするために生まれたのではないのです。戦争はやめなさい」というなら戦争はなくなる、

と夢想する。

世の中には、愛する者を守るために戦う、という人がいるし、すべての戦争は自衛の戦争という名目で始まるのだから、ことは簡単ではない。

フランスにまだ兵役があった20世紀、良心的兵役拒否をしたり、ベルギーに逃げたりした知り合いがいる。そういえば、昔、日本で、私の従兄がベトナム戦争から脱出したアメリカ兵をかくまった、という事件もあったっけ。

カザルスの言うことは、「お花畑」なことではない。

カザルスやアルベニスのことを考えると、カタルーニャの人々の独立への願いも身につまされる。

バッハを弾くと「人生の脅威を思い知らされて胸がいっぱいになる」

とカザルスは言う。

バッハが弾き継がれていけないような世界にしては、いけない。


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by mariastella | 2018-02-03 00:05 | 雑感

金日成主席『回顧録 世紀とともに』

今、書いている本は、「神」、「金」、「革命」という三つのイコンが、互いにどのように関わり合い、偶像化されて歴史や人を動かしているかという考察だ。

「革命」としたのは、この三つの言葉を「か」で始まるものにして頭韻を踏ますために使っているが、既成権力、権威を暴力、武力で倒して新しい権力、権威を打ち立てる「力」全般のことを指す。

「神」や「金」や「力」の礼拝、信仰、利用の歴史は複合的なので、当然ながら総論というのは難しい。

私の切り口はこれまで通り、日本とフランス、ヨーロッパを中心に、革命がらみでロシア、ラテン・アメリカなのだけれど、中華民国の孔教についてコラムで触れようとしているうちに、深みにはまってしまった。

韓国のキリスト教についてはブログでも書いたことがあるので、少し詳しくその経緯を書こうとしているうちに、金日成とキリスト教(長老派)の関係をチェックしようとして、ネットで回顧録の訳が読めることを知った。
彼の歩みはそれだけで非常に興味深いのだけれど、やはり、今の北朝鮮危機のこととシンクロする。

北朝鮮ではこの回顧録はきっとバイブルのように読み継がれているのだろう、金正恩も読んでいるのだろうなあ、などと想像しながら読むと、日本への恨みの深さがずっと維持、更新されるのも当然だなあと思う。

私は年をとるにつけますます、どうして、人が人を傷つけたり殺したりできるのだろう、と素朴に考えてしまうのだけれど、子供の頃は戦記漫画も読んでいたし、武器を持って戦うような遊びを普通にしていた。

「力を行使するのはアドレナリンが出て、不快ではない」ような刷り込みって、多分進化論的に定着した部分があるのだろう。

だから、この回顧録でどんなに日本軍のがひどさが書かれていても、それ自体は、時と場合によってはどんな国のどんな人でも「敵を人間とみなさない」ということがあるので、日本人として罪悪感を感じるというような気になるよりも、「敵を人間とみなさない」という刷り込みを一人一人がどう克服するかの方に課題を感じる。

一応の平和と豊かさを享受して力を行使しなくても生きていける立場にある者こそ、「弱い立場にある者を力で支配する」ことの意味とそれをどう否定するかについて考える使命がある。

金日成が『武装には武装で』という章で書いていること。 

>>>
(…)9.18事変によって、われわれには抗日戦争を遅滞なく開始すべき緊迫した課題が提起された。第2次世界大戦を予告する不正義の砲声に、正義の砲声でこたえる絶好の機会が到来したのである。 (…)日帝の満州侵略が伝えられると、革命家たちは地下から出てきて、それぞれ闘争態勢をととのえた。大陸をゆるがす砲声が、満州地方の人たちをわれにかえらせたといえよう。砲声は人びとを萎縮させたのでなく、むしろ覚醒させ発奮させた。敵の暴圧で焦土と化した満州地帯に再び闘争の気運が胎動しはじめたのである。
(…)われわれは、大衆を闘争のなかで鍛える好機が到来したと判断した。正直にいって、当時、満州地方の人たちは暴動の失敗後、挫折感にうちひしがれていた。革命を新しい段階に引き上げるには、彼らに自信をいだかせる必要があった。だが、それは檄を飛ばし、議論をたたかわせるだけで解決できるものではない。失敗をくりかえし、落胆している大衆に勇気と自信をいだかせるためには、彼らを新たなたたかいに決起させ、それを必ず勝利に導かなければならなかった。たたかいに勝利してのみ、大衆を悪夢のような深淵から救い出せるのであった。
(…)マルクス・レーニン主義の理論でも武装闘争の意義を強調してはいるが、どのような形式で武装闘争を展開すべきかという公式の規定はなかった。どの時代、どの国にも適合する処方などありえないからである。わたしは武装闘争の形式を模索するうえでも、ドグマにとらわれないように努めた。
(…)国家がないので正規軍による抗戦は望むべくもなく、また全人民をただちに武装蜂起させることも不可能であった。だから、わたしはおのずと遊撃戦を志向せざるをえなかった。
(…)レーニンによれば、遊撃戦は、大衆運動がすでに暴動に転化したとき、または国内戦争で大戦闘と大戦闘のあいだに多少の中間期が生じたとき、不可避的に進められる補助的な闘争形式であると規定されていた。レーニンが遊撃戦を基本的な戦闘形式とせず、一時的、補助的な闘争形態と見たことが、わたしには歯がゆかった。なぜなら、そのときわたしが関心をいだいて探究を重ねたのは正規戦でなく、遊撃戦だったからである。
<<<

共産主義革命は、もともと普遍的な「階級闘争」だったはずなのだけれど、それがヨーロッパ的文脈から離れた時は「民族解放」になった。
「近代革命」にはフランス革命風の自由・平等を理念とするものの流れが最初にあったからだ。
実際、金日成も言っているが、

民族解放の民族独立の革命と、
世界中の労働者を資本の搾取から解放するという普遍主義との

どちらを優先するのか、という問題意識は常にあった。

でも、結局、

「武装には武装で、反革命的暴力には革命的暴力で!」

というスローガンに行きつく。

今の中国は、マルクス・レーニン主義など教えていないそうで、共産主義は政治的独裁を担保しているだけのようだけれど、今の北朝鮮がアメリカに対して核武装をするというのは、金日成の理論といまだ地続きのようだ。

フランスにいると、アングロサクソン系の国とフランスのメンタリティのあまりもの違いにいつも驚くけれど、日本と韓国中国のメンタリティの違いもすごいなあとあらためて思う。
アメリカに原爆を落とされ、占領され、基地を提供しても、この密着ぶりだというのもそうだけれど、やはり、神、金、力の三位一体のバランスのとり方が違うのだ。

今少し書いているのだけれど、「メシア信仰」への感受性がだいぶ違う。日本はやはり海の向こうや山の彼方に住む先祖神に守られているのが基本で、弥勒菩薩の浄土思想というのも現世的ではないし、現世に現れてくれるメシアというのは「神風」みたいに自然神の自然現象みたいな形だ。

ここに書いていると長くなるのでこれ以上書かないけれど、朝鮮半島のシャーマニズムと日本のシャーマニズムとの違いにもかかわってくると思っている。

(これを書いたのは、この部分を執筆中の時で、我ながら、例えば、パリのバロック・バレエのクラスで踊りながら金日成のことを考えている日本人の私って…とシュールに思えるくらい朝鮮半島の歴史で頭がいっぱいだった。私の周りにいるフランス人は私の語る極東分析に飽きてしまったかもしれない。それにしても大学の紀要などの論文がネットでいくらでも読める時代はすごい。時々、しかるべき論文をリンクするだけでいいんじゃないかと思ってしまう時もあるけれど、誰でもがコアな論文をわくわくして読むわけではないだろう。思いがけない素材を頭の中に入れるだけで別の世界が別の視点で見えてくることの快感は特別だ。)




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by mariastella | 2018-02-02 00:05 | 雑感

チベットのことわざ

フランスで「チベットのことわざ」とされているものにこういうのがある。

「幸せに長生きするための秘訣。

食べるのは半分に、

歩くのは二倍に、

笑うのは三倍に、

愛するのは無制限に生きなさい。」

確かに、免疫とかストレスとか生活習慣病とか、あらゆる面で正しい気がする。


でも、


最初の「食べるのは半分に」、というところから、もう、難しい。


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by mariastella | 2018-01-30 00:05 | 雑感

魯迅とパリ新大司教

この16日にノートルダム大聖堂に着座したミシェル・オプティ張り大司教のインタビュー記事を『ル・モンド』紙で読んだ。


この人が、総合医として11年を過ごした後で39歳で神学校に入り、44歳で司祭叙階された聖職者として「遅咲き」の人 であることは前にも書いた


このインタビューでは、病院勤務によって、人々をそれ人が誰であるかというのとは関係なく愛することを学んだ、と言っている。

医師として、いい人でも悪い人でも等しく治療する。

扉を叩く人を無条件で受け入れる、ということを学んだ。

教会は、不法滞在者であろうとキリスト教徒でなかろうと、だれも拒まないで扉を開ける、暖を取る人、休みたい人、静けさを求める人も来る。

無料で、誰もが安心して休める場所は多くない。

病院を離れる時に、それが司祭になるためだと説明したら、数名の患者が、自分は何十年間も、家族にも知られないで朝晩祈っている、と打ち明けてきたので驚いた、とも言っている。

どういうわけか、魯迅のことを想起させられた。


魯迅は、1904年から一年半くらい仙台医学専門学校に留学して解剖学を学んでいたが、ある時、医学の道を捨てると決心した。


教室で日露戦争の記録映画が上映された時に、中国人が、ロシアのスパイの容疑で処刑されようとするシーンを見て、同席していた中国の同胞が、喝采したのだそうだ。

その無自覚さに衝撃を受けて、医学をやめて分泌で中国人の精神を啓発しようと決心した。

「あのことがあって以来、私は、医学などは肝要でない、と考えるようになった。愚弱な国民は、たとい体格がよく、どんなに頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、その見物人となるだけだ。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。むしろわれわれの最初に果たすべき任務は、かれらの精神を改造することだ。そして、精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、むろん文芸が第一だった。そこで文芸運動をおこす気になった。」(竹内好訳『阿Q正伝・狂人日記』(1955年)岩波文庫)

というのだ。

「病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。」

という言葉にはっとする。

私たちは丈夫で長生き、健康寿命を延ばすのに必死で情報を集め、病気になればもちろん慌てて医師のところに行って治療をしてもらうことを望む。

でも、だれでも、いつか何らかの形で病気になったり死んだりするのは、たしかに、自然の理であって不幸とまでは言えない。

それよりも、たとえ肉体が頑強であっても蒙昧であれば、歴史に翻弄されて、支配者から見せしめにされたり、それを批判することもない迎合者となったりする、その方がずっと重大だ、と思ったわけだ。

人々の病気の治療ばかりしていたオプティ医師も、体の検査だけでは見えない心や精神の荒れ野に出ていって人々に寄り添うことを決心したのだ。

私たち(と言って悪ければ私)は、今どこか痛いところがあると、まずは痛み止めの対症療法を望むもので、そんな時に高邁なことを口にする医師なんて必要としない。世界のすべてはどうでもいいから、今ここにいる私の痛みをすぐに何とかしてくれ、と思う。

だからすべての医師や医学生が聖職者や革命家になってもらっては困る。


でも、実際に、そのように進路を劇的に変える少数の人は存在して、彼らは診察室でよりもずっと多くの人々を救ったりインスパイアしたりしているのだろうな、と思うと、感慨深い。


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by mariastella | 2018-01-29 00:05 | 雑感

コンスタンス・ドゥブレと宝塚

最近、『プレイボーイ』という自伝風小説を出版したコンスタンス・ドゥブレ。

おじいさんが、第五共和制憲法にかかわりドゴール大統領の第五共和制の最初の首相になったミシェル・ドゥブレだ。ミシェルの父のロベール・ドゥブレは小児医学の草分けで彼の名を冠した病院もパリにあるし、ミシェルの四人の息子はいずれも政治家やジャーナリスト、作家など有名人で、コンスタンスはその一人のヴァンサンの二人の娘の1人だ。コンスタンスは弁護士で妹はジャーナリスト。

細かく言うといろいろあり、それはこの本にも書かれているのだけれど、とにかくこの人がすてきすぎる。

後に貼っておくが、本の紹介のために出た番組で入ってくるときの長い手足を持て余したようなちょっと照れたようなしぐさ、とか可愛い。

日本人の女性で宝塚のトップスターに憧れたことのある人なら彼女に夢中になると思う。何というか、宝塚のツボにはまりすぎている。


45歳なのだけれど、そして20年の結婚歴があって一人息子もいるそうなんだけれど、途中で自分がバイセクシュアルではなくて完全に女性が好きなのだと気づいて、以来、二人の女性との愛と別れがあり、とにかく今は、「見た目」を男に変えてしまった。

カルチェラタンの10平米の一部屋で暮らしているんだそうだ。

彼女の写真いろいろ。髪の長かった頃のものもある。


彼女が出てくるインタビュー番組。



まあこの人の場合は、代々のブルジョワの名門家庭の出身で、弁護士でもあり、マヌカンにもなれそうな容姿で、しかも、見た目が宝塚の男役、ってユニーク過ぎる。

こんな人のフェミニズムへの意見とか聞いてみたい。


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by mariastella | 2018-01-28 00:05 | 雑感

ショパンの心臓

ショパンの心臓はコニャックに漬けられて、故郷ポーランドのワルシャワにある聖十字架教会の柱の中に納められている。


パリで死に、ペール・ラシェーズ教会に埋葬されたが、心臓だけは故郷の教会にというのが本人の遺言だったそうで、妹のリュドビカが持ち帰った。

その聖十字架教会は立派なバロック教会だったが、第二次大戦中にダイナマイトで爆破された。

連合軍の攻撃によるものではなく、1944年にワルシャワで起こった暴動の際にドイツ人が爆破したのだ。その時に、十字架を背負ったイエスの像が残骸の中に倒れた写真がある。

天に向けられたイエスの手が胸を打つ。


1945年に規模を縮小されて再建された教会に、ショパンの心臓は無事に納められた。

聖人の遺物というわけではないから外から見えるわけではないが、最近、ガラス容器が取り出されて、その状態から、結核で死んだ人の心臓だという所見が出されたところだ。


そもそもショパンが故郷を捨ててパリに来たのは、1830年に当時の占領者ロシアに対して民衆が起こした暴動の後の制圧を逃れてのことだった。

故郷に戻った心臓も、ナチスに破壊されそうになったわけだが、ポーランド出身のナチス将軍Erich von dem Bによって救われたという。


この教会は、1980年にダンスクで組合ソリダノスクとポーランド共産党政府の合意の後で、ミサが全国にラジオ中継されることになった時のミサが挙げられた場所でもある。ショパンの心臓はそれを生で聞いていたわけだ。


碑銘には、


「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。(マタイによる福音書 6- 21)」


とある。


日本語訳では「心」とあるが「心臓」と同じ言葉だ。つまり、「ショパンの富のあるところにショパンの心臓もある」、逆に、「ショパンの心臓があるポーランド、この教会が、ショパンの富」だということなのだろう。



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by mariastella | 2018-01-26 00:05 | 雑感

イラン人と革命

今回のイランの「暴動」に関して、まだ在仏イラン人とは話し合っていないのだけれど、いろいろな記事を読んでいて、今まで私が気がついていないことがあった。

イラン人って、もともと、体制に対して「ノー」を突き付けることができる人たちなんだということだ。

思えば、アメリカの肝入りで導入された王政に対して、イスラム革命が起こったのも、歴史を俯瞰する目で見ると納得できる。

そんなホメイニ革命だったが、それが今のように宗教原理主義化するなどとイラン人は考えていなかったわけで、最初はそうではなかったし、原理主義化の動きにはすぐに抗議の声が上がったし、実際、あることが起こらなければ、ホメイニ体制は長く続かなかっただろう。

あることというのは、ホメイニ革命と同年の1979年にイラクでサダム・フセインが政権を取り、そのサダム・フセインの親欧米スンニー派との確執でイラン・イラク戦争が起こったことだ。

全部で百万人という犠牲者を出したこの戦争。
戦争となれば、国内で改革や革命、政府批判などしている暇はない。
8年も続いたこの戦争がホメイニ体制を確固なものにしたわけだ。

戦争がようやく終わると、今度は、戦死者を含める戦争被害者に、ホメイニの政権は補償年金の支払いを決めた。石油マネーがそれを支えた。すると、年金を必要とする人々は政権を倒すリスクをおかしたくなかった。
そうだよなあ、と思う。
その結果、宗教原理主義体制が20年近く続いたわけだ。
でも「NOと言える民衆」にとってはそろそろ限界なのかもしれない。

ここ10年の私の周りでは、ホメイニ革命の後で亡命した人や、イランの宣教から戻って来た修道女や、王室に近い人々、ばかりと付き合ってきたし、ドバイやカタールなどアラブの湾岸国に知人たちが今も暮らしているので、彼らを通して見えることもあるが、逆に見えなくなるものもあるなあと気づいた。

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by mariastella | 2018-01-25 00:05 | 雑感

オリエントのキリスト教徒(続き)

Arteで『オリエントのキリスト教徒の最後』というドキュメンタリーを観た。

エジプト、トルコ、レバノン、イラク、シリアのそれぞれの状況。


レバノンがフランスの肝入りでキリスト教マジョリティ国として作られて、1943年からの30年くらいは、大統領はキリスト教徒、首相はムスリム、と決まっていたのは知っていたけれど、首相はスンニー派で国会議長がシーア派というところまで決まっていたのだそうだ。

それが、内戦を経て、「レバノンキリスト教徒の鬱」という言葉ができて、レバノンのキリスト教徒は今や、スンニー派寄りとシーア派寄りに分断されたという。シーア派寄りが多い。いや、中東のキリスト教の多くがシーア派とパートナーシップを組んでいる。なぜかというと、マイノリティ同士だから連帯するのだそうだ。


でも、スンニー派はサウジアラビアの系統で「欧米」に支援され、シーア派はイランに支援されるから、結果として中東のキリスト教徒は「欧米」から見捨てられる傾向にある。


それなのに、現地では、「キリスト教欧米の手先」のように見なされて攻撃される。典型的なのがイラクで、2003年の英米軍の侵攻以来、「アメリカのコラボ」という目で見られて教会や信者や聖職者が何度も犠牲になった。


エジプトのコプトへのテロもひどいが、中近東のキリスト教徒がスケープゴートとしてひどい目にあっているのは、ちょうど、一九世紀ヨーロッパのユダヤ人と同じスタンスだという。

マイノリティであり、独自の生活や信仰様式を持っていること自体が迫害を招いているのだ。


キリスト教徒よりさらにマイノリティのイェジディ族はユダヤ教より前の一神教で、彼らは難民キャンプなどでキリスト教徒に守られている。

モスルの司祭が、千年前から伝わるキリスト教の貴重な古文書を救うためにトヨタのトラック2台にぎっしりと積み込んでクルド自治区に脱出しようとした。道すがら、多くの難民が徒歩で必死で逃げているのを見て、トラックの荷台の古文書の上に乗せられるだけ乗せた。

チェックポイントについたがゲートは閉じられている。

後ろからはISが追ってくる。

車は通せないが、歩いてなら入ってもよいことになる。

司祭は、すずなりに乗せてきた難民たちに、持てるだけの本や文書を抱えて入ってくれと頼んだ。

子供たちまでがそれぞれ貴重な書物を抱えて走った。

おかげで、貴重な資料は失われずに無事に避難させることができたという。


トルコのキリスト教徒のジェノサイドのことは知っていたが、もともと、中東で最大のキリスト教コミュニティがあったのだという。

ムスリムがやって来た時は、キリスト教の一宗派だと思っていたそうだ。

それでいろいろとアドバイスし助けていたのに、結局は乗っ取られた形になり、「トルコ=ムスリム」アイデンティティの国になり大虐殺につながった。


エジプトで興味深かったのは、20世紀の前半は、「イスラム化」が目指されたのではなく「アラブ化」が目指されていたということだ。

たとえば、家の中や聖堂の中で靴を脱ぐのはムスリムの習慣ではなくてアラブの習慣だ。

帝国主義国の支配から解放されての、宗旨を問わぬ民族団結のアイデンティティを築こうとしていたのに、欧米諸国から支援されなかった。で、アラビズムがイスラミズムへと転化していったのだという。


他にもいろいろあるが、ともかく、オリエントのキリスト教が、いたるところでその宗教帰属ゆえに過激派から殺され続け追われ続けているというのに、ヨーロッパの国々はまったく関心を示してこず、自国のジャーナリストがひとりでも人質になると大騒ぎする。我々は、西洋の人権主義、人道主義、平等主義、普遍主義など、とうてい信用できない、という聖職者のコメントが印象に残った。


彼らのために本気でがんばっているのはカトリックのローマ教皇くらいかもしれない。南米出身の教皇ということがここで生きてくる。


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by mariastella | 2018-01-24 00:05 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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