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L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:宗教( 427 )

フェミニズム神学

ようやく『神と女のキリスト教史』にかかっている。
内容はもうすでに十分考えてきたものなので資料もそろっているのだけれど、神学書がそろっている書店に行ってみた。
私の考えているようなアプローチのものはない。

私はいわゆるフェミニズム神学を紹介しようと思っているのではないから、その手のコアなものはむしろ敬遠していた。
でも、一応系統立てようと思って、フェミニズム神学の流れを紹介した本。
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フェミニズム神学の観点から聖書を読み直す本、これは、アングロサクソンではなく、フランスのカトリック、プロテスタントの女性神学者たちの共同作業、『女たちの聖書』。
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そして、ジャーナリストでもある著書が、イエスは女性を男性と対等に扱っていただけではなく、男性よりも女性の方が好きだったのだ、という証拠を福音書の中で検証していく本。
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ちらちらと読んでみたけれど、フェミニズムがどうというより、ほんとに「目から鱗」の話がたくさん出てくる。
確かに、2000年近くも微に入り細に入りあるゆる国の人たちが聖書を研究し、解説してきたと思っていたけれど、それはほぼ全部、男による男のための読み方だった。
だから、「原語」の意味が都合のいいように翻訳され直しているところもあるし、「通説」も全部「男の目から見たヴァージョン」で根付いている。改竄としか言えないようなものすらあるのだ。

でも、よく考えてみたら、聖家族だのイエスの登場の仕方って、古代ローマから続く父権制の世界と対極にある、最高に不都合なものだった。
その不都合さが、解釈や改竄によって「女子供の教育」向けに正されているにしても、完全な「上書き」はされていない。よく見れば「不都合なまま」で残されているのが分かること自体が奇跡的なほどだ。

その「不都合さ」が、エゴイズムのぶつかり合いから少しずつでも人々を共生に導いていったのかもしれない。まだまだ道は遠いけれど。


by mariastella | 2019-06-18 00:05 | 宗教

覚書から その10 聖イーヴのグラン・パルドン

ブルターニュには年間500ものパルドン(免償祭)がある。

一週間も続く大きいのは二つ。

その一つが北海岸トレギエの聖イーヴのグラン・パルドンだ。(免償祭といっても、「パルドン」とはブルターニュで特定の聖人に捧げる巡礼のことを指す。)

日本語では「聖イヴォ」と呼ばれているようだが、「イーヴ」Yvesは、イヴ・サン=ローランやイヴ・モンタンで日本でもなじみのフランス名だ。(イヴというとアダムとイブのイヴみたいだけれど、フランス語ではアダムの連れ合いはエーヴÈve という。日本語でも、日本のキリスト教新共同訳聖書ではエバだ)

で、毎年何千人もの巡礼者がやってくる聖イーヴのグラン・パルドンの特徴は、国外からも弁護士がたくさん来ることだ。弁護士の守護聖人(法律家、ブルターニュの守護聖人、貧者、未亡人、孤児の守護者でもある)だからで、ブラジルから来た弁護士団もいた。海辺だから、漁民と船員(商船、海軍乗組員)たちもたくさん来る。

20195/19の日曜にはパリのオプティ大司教も出席した。

この祭りがブルターニュっぽいなあと思うのは、頭蓋骨の入った聖遺物容れを持って行列するフォークロアっぽさだ。

こういうの。

弁護士が担いでる。

イーヴの祖父は13世紀初め、聖ルイ王と共に十字軍に加わって騎士の称号を獲得した。その息子の第二子で長男がイーヴだ。(1253年頃)

14歳でパリに出て、工芸学の終止の後で教会法を学び、オルレアンで民法を学び、1274年に一度パリに戻って神学を学んだあとで法学博士となった。

1281年にブルターニュのレンヌで教会法の法官に任命される。この法廷で、常に公正を求め、より貧しい人の側に立つことで有名になった。

31歳で司祭に叙階されている。1303年に死ぬまで、教区の仕事と法官としての仕事を掛け持ちした。

1347年、クレメンス六世(アヴィニヨンのフランス人教皇)により列聖された。

聖イーヴで特筆すべきなのは、中世において唯一、司教でも修道院長でもない、地方の一教区の司祭で聖人となった唯一の人だということだ。

聖イーヴのグラン・パルドンの特徴は普通の行列は午後や夜半なのに、昼前に、聖遺物がカテドラルからトレギエの教会に運ばれることだ。ふたつの村の境界で、旗や十字架の交わる演出があり、その後でまたカテドラルに戻る。20世紀には聖俗兼ねた祝祭となった。1936年に「弁護士のパルドン」となり、国際的な巡礼が組織されたけれど、一時は下火になった。1960年代末に、祝日の5/19ではなく5月の第三日曜日にパルドンの日を移したことで、また巡礼者の数が増えた。

そして2019年には、第三日曜と5/19が重なったのだ。


出席したパリ大司教は、司教座であるノートルダム大聖堂が使えなくなっているので、自分もカテドラルから焼け出された「難民」だから、とユーモラスにコメントした。


一度、行ってみたい。


by mariastella | 2019-06-15 00:05 | 宗教

ノートルダムの火災でフランス・カトリックの真価が分かる

4/15に起こったフランスのノートルダム大聖堂の火災は、日本でもずいぶん話題になった。


日本人観光客でここを訪れない人などいないからだろう。


歴史的建造物の火災ということで、同じく先の大戦の被害を免れた京都や奈良の有名寺院の火災対策についても語られていた。

大手ブランドが次々と復興支援金を寄付して、マクロン大統領がパリ・オリンピックを見据えてか、5年以内の再建案を通したのもニュースになった。


1905年の政教分離策以来、大聖堂の所有権は国で、カトリック教会は使用料を払わない店子という位置づけだが、今回の寄付金は、文化省の指定する四つの財団に振り分けられて、その中のノートルダム財団というものだけがカトリックと直接の関係がある。

日本的な感覚からいうと、ノートルダム大聖堂が焼けてカトリック教会は大ショック、と思うかもしれないけれど、直後に、今のフランス司教会議代表であるランスの大司教が出したコメントに、

「この世では永遠に存続するものは何もない」

とタイトルがつけられていたのには感心した。

この世の栄華は儚いとして諸行無常の理を説く仏教と変わらない。

内外の多くの人が、宗教施設、信仰の場としての大聖堂よりも歴史建造物、文化遺産としての大聖堂(観光資源でもある)の危機を嘆きショックを表明していた時に、すぐにこのコメントが出るなんてかっこいい。


聖週間の始まりとしてはつらい出来事だったけれど、キリストの生きる体こそが生きる石でもあるので、形としての石ではない。いや、聖なる教会が火の被害を受けたことよりも重大な被害があらゆる神の座で起こっている、それは、私たちの心のことだ、という。

「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。

神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。( コリントの信徒への手紙一 3,16-17)」

というパウロの言葉をうけたものだ。

つまり、成果主義だの、自己責任だの、弱肉強食だの、生産性だのによって、私たちは、本来私たちのうちにあり守らねばならない貴いものをないがしろにしたり傷つけたりしている。そもそもイエスがこの世にやってきたのは、頑なになった人々の心や体を生まれ変わらせてあらたにするためだった。

ノートルダムの火災とそれを前にした時の人々の自発的な連帯は、そのことを思い出させてくれる。


というのだ。

うーん、危機を前にすれば真価が分かる。

この火災がちょうど復活祭前の聖週間の月曜日だったことから、このことを灰の月曜日(復活祭は「灰の水曜日」から始まる)、聖金曜日(イエスの受難の日)の先取り、内的な十字架の道(復活祭前の期間にイエスの受難を追体験する)、などと形容する人々も多かった。すべては、火災を聖なるお祭りをだいなしにする障害物としてではなく、その意味をあらためて考えさせてくれるものととらえられているわけだ。

で、次の週にパリ総代理司教のブノワ・ド・シネティがこう発言していた。

彼については前にも書いたことがある。



で、シネティ師によると、今回の火災の後で集まった寄付金の膨大さは、

カトリック教会にとって、大聖堂の火災自体を上回る試練だ、

というのだ。


彼の意見を要約しよう。

焼け落ちた尖塔は、19世紀にヴィオレ=ド=デュックが18世紀の塔よりも高いものを建造したものだが、その中の聖トマス像のモデルに自分の肖像を使うなど、純粋な信仰心というよりかなり自己承認欲求が強かったように思える。「それらの彫像群は、火災の4日前に取り外されていて助かったそうだ。内部でも壊れたのは第二ヴァティカン公会議記念の祭壇だけだった。)

今回の「修復」や「再建」にあたって、焼け落ちた者よりもより立派なものを、などというのでは、それは「バベルの塔」と同じだ。

今回は、過去にはカテドラルのそばには必ず設けられていた貧者のための施設 « hôtel-Dieu»のようなものを再建すべきなのではないか。今カトリック教会は難民ばかり優遇するなどという批判を内部から受けているけれど、すべての苦しむ人に寄り添うこと、彼らがすべて神から愛されていることを知らせることが私たちの使命だ。石の大聖堂が火災に遭ったことを、聖霊の炎による一つの徴しととらえて、使命を遂行しなくてはならない。貧しい人たちのことを考えに入れないノートルダム修復はあり得ない。

このような、ある意味での、宗教者としての「正論」がすんなり出てくるのはすばらしい。


天皇の代替わりで奉祝奉祝とさわいでいた日本の「宗教?」事情を見てしまった目には、少し、うらやましくもある。
by mariastella | 2019-05-25 00:05 | 宗教

那智大社と速玉大社

5/4

次の朝はボートで勝浦港に戻って、那智大社、熊野古道の大門坂へ。

宿の朝食も、御膳とブッフェとが組み合わされるというユニークなものだった。

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午前中は観光バスに乗って、熊野古道。すごく歩きにくい。フォトジェニックではある。

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八咫烏、かわいい。

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那智の滝は霊水を飲むのも含めて初穂料というか、カネがかかりすぎ。

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那智大社は西国第一番札所の青岸渡寺(インド僧である裸形上人が開いたという)とセットになっている。参道はすべて登り。

ふたつが分かれた背景にある明治の「神仏分離令」のことを思う。

200名以上の歴代天皇の半数以上が上皇となり、その半分以上が出家して「仏教」に帰依し、「法皇」と称した歴史も合わせて考えると、今の神社が掲げる「令和奉祝」の言葉も感慨深い。


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修験道の聖地だから役行者の像も。

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青岸渡寺、三重塔や那智の滝が見える。

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八咫烏
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午後は新宮の速玉大社に。
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速玉大社の印象的な弁慶像。

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脚がいい。

弁慶は熊野水軍を味方につけるために弁慶を派遣したのだそうだ。

梛の神木。

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私の好きなのはこのオガタマの木。モクレン科だという。

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相変わらず「令和」。
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端午の節句の武者幟。江戸時代のもの。

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鯉のぼりよりジェンダーバイアスいっぱい。

下に仁田四郎が猪にまたがっているのが今年の干支を思わせてちょうどいい。


速玉大社から1kmほど歩いて神倉神社へ。速玉大社への参道も階段が大変だったけれど、ここの階段はそれに歩きにくさが加わる。

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普段はロワール以北の平野に暮らしているから、山と海が競り合うような迫力に圧倒される。どこの寺社にも「神木」というのがあることにもあらためて感動。
キリスト教の教会は石造りのイメージがあるけれど、木材が足らなかったせいであり、「生命の木」が中心なのは同じで、中のしかるべきところには木が使われていた。ノートルダム大聖堂などにもそういう火災に弱い部分があったわけだ。

逆に、日本の山岳信仰には「石神」がある。国歌にあるように「さざれ石が巌となり苔がむす」という石の成長テーマがあるのだ。

先に南方熊楠のことを書いたけれど、修験道やら山伏にもいろいろな思い出がある。

今となっては元の疑問が何だったのかは思い出せないのだけれど、大学院で謡曲の講義をとっていたのだろうか、『安宅』がらみで修験道や山伏や『谷行』につながったのだろうか。ある日、本郷の宗教学科の修士課程のゼミで、どういう経緯だったのか、同じクラスにいた中沢新一くんにその話をしたところ、次の週の時間に、折口信夫が『谷行』について書いたテキストをコピーして持ってきてくれた。その中沢君からはその後博士課程のレポートに至るまでいつも斬新な切り口で助けてもらうことになった。その最初がこの『谷行』だったのだ。

熊野は何しろ陸の孤島だから、今熊野など、熊野権現を勧請した京都や大和などの山があって、『谷行』も大峰山に向かう途中の葛城山の出来事だ。
でもその頃には中沢君は出羽三山などのフィールド・ワークに熱心で、私も、彼の影響を受けて出羽三山に行ったり恐山に行ったり、飛島に行ったり、と、東北新幹線もない時代、寝台車を乗り継いですっかり「東北」フォークロアにのめりこんでいたのはなつかしい。

今ネットで検索すると、折口信夫の『谷行』のテキストは出てこなかったけれど、青空文庫というのでいろいろ読むことができて、山伏については


>>>山人の中、飛鳥末から奈良初めへかけて、民間に行はれた道教式作法と、仏教風の教義の断篇を知つて、変態な神道を、まづ開いたのは修験道で、此は全く、山の神人から、苦行生活を第一義にとつて進んだのです。だから、里人に信仰を与へるよりも、まづ、祓への変形なる懺悔・禁欲の生活に向はしめました。即、行力を鍛へて、験方の呪術を得ると言ふ主旨になります。だから、修験道は、長期の隔離生活に堪へて、山の神自体としての力を保有しようとした山人の生活に、小乗式の苦行の理想と、人間身を解脱して神仙となるとする道教の理想とをとり込んだに過ぎません。後々までも、寺の験方の形式をとり去ると、自覚者の変改した神道の姿が現れるのです。<<<


と、すごく明確な定義があった。近頃修験道に興味を示しているオディールに今度会う時にこう説明しよう。


(引用は下のテキストからの抜粋です)









by mariastella | 2019-05-20 00:05 | 宗教

初台教会

4/20、初台教会で復活祭徹夜ミサに出席。

なかなかすてきな教会。
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外の小高いところにルルドもあるし。ここはカナダ系司祭が中心になっていた修道会だそうだから、フランスっぽい部分もある。創設者の聖アルフォンソはチェンバロも弾く作曲家でもあった。
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十字架の道はこんな感じ。
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平和の挨拶(握手はしない)の時と、司祭さん がご復活おめでとうございます、と声をかけてそれに応答した時だけはみないい感じだったけれど、みなもっと楽しそうにすればいいのに。このミサで楽しくなければ、ネガティブな宗教になってしまいそう。侍者の人たちも無表情を貫き、緊張しているのかなあ。
聖歌のソロの人が素晴らしい。女性はまさに鈴を振るような声でうっとりするし、男性はカウンターテナー。日本人はみんな楽譜が読めるから答唱の部分はフランスのようにリードなしでOK。説教が英語でもあった。フィリピン人の家族がいるのかなあと思ったけれど、白人の奥さんと日本人男性のカップルが子供連れでいた以外はかなり日本人中心という感じだった。
説教は、心のドアを開けておくのが大事、ドアを開けておけばいつかは復活を体験させてもらえるというテーマだった。
最後に卵を持ってきた人は祝別してもらっていた。
その一つを後でいただいた。感謝。昔は教会で用意していたそうだけれど、冷蔵庫に入れてすぐに食べない人がいるので、何かあると嫌だから自分で持ってくることになったのだそうだ。
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フランスの復活徹夜祭で卵の祝福って見たことがない。
日曜の朝に庭に隠した卵形のチョコを子供たちが探し、ランチは仔羊というのが定番。

ミサが聖堂の中で始まったので、十字架のイエスの姿も最初から見えていたし、明かりも少し暗いくらいで、しかもまだ外も明るくて、火のセレモニーの演出としては少し物足りない。しかも洗礼式がなかったのも残念。でもみんなが聖水を振りかけてもらえた。
うちへ帰ったら、表参道の喧騒で、あの教会の別世界でリフレッシュできたことに感謝。クリスマスには多くの信者でない人もミサを見学にくるそうだけれど、復活祭がやはり一番すてきな春の祭りだ。
みんな行けばいいのに。入場料もないし、大声で歌えるし、心身の健康にも絶対にプラスになる。ハロウィンだの聖ヴァレンタインの祝日を祝うくらいなら復活祭の方が絶対楽しいと思う。他に宗教アイデンティティがない人なら、十字架で死んだ人が復活するとか全人類の罪を背負って死んだとか、その他の教義やら神学的なことが「躓き」になるとは思えない。(問題は、多くの人にとって歩いて行ける距離にないというところかもしれない。私はネットで検索したけれど、日本の滞在先から歩いて行けるのはプロテスタント教会、ユニオンチャーチ、サイエンティスト教会、果てはセントグレース大聖堂というライトアップされた結婚式場、などで、渋谷教会など、ホームページを開いてもミサの時間が載っていない。初台は載っていたのでタクシーで行った。)

文学でも演劇でも、映画でも、事実らしさや合理性などとは別の次元でのコミュニケーションが成り立っているのだし、真理へのアクセスにはいろんなドアが開いている。




by mariastella | 2019-04-21 10:15 | 宗教

近況 枝の日曜日

3月後半からこれを書いている4/14まで、超死生観の書き下ろしの脱稿、講談社学芸文庫版のジャンヌ・ダルクの加筆と校正などいろいろあわただしかったので、このブログにはもう一ヶ月分の予約投稿をしておいた。

でも、あした日本に出発という今になって、あまりにもタイムラグができそうなので、日本に行く直前のこの週末のことを書いておく。

土曜は1ヶ月半ぶりにアンギャン=レ=バンに出かけた。
前にも書いたことがある。

パリ地方で唯一のカジノがある保養地で、右後ろに見えるのがカジノ。
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上の記事と同じ木だけれど、新緑の初々しい感じがいい。

日曜日は復活祭の聖週間突入で、枝の日曜日のミサに行ってきたけれど、超満員でしかも前の広場で集まってから始まる2時間は疲れた。
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柘植の枝に聖水をふりかけてもらおうと掲げる人たち。

2年前は日本の東京カテドラルで参加した。


その前はパリのお気に入りの教会で。寒かった。
今日は、明日の出発の支度で忙しいので歩いて5分の教会。昔の生徒の親のポーランド人女性に久しぶりに会う。
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教会の中でも枝を振り回して歌っている。
少し前までは、あと五日もしたら磔刑で殺されるって分かっているのになんでこんなに無邪気にイエスのエルサレム入城を喜べるのかなあなどと思っていたけれど、今は物語をシナリオ通りに毎年たどっていくのも「文化」なんだなあと思う。まあ、死ななければ復活できず、キリスト教も生まれなかったので、復活を先取りして祝っているわけだけれど。
ここの司祭は声はいいのだけれど、言っていることは平凡なので私は別のことを考えていた。
先週のフランシスコ教皇の説教で、「目から鱗」の一節があって、さらに、別の話で、「復活祭」の意味を考えなおさせられることがあったからだ。
(4/21の真生会館で紹介します。4/28午前中にも奈良の教会での勉強会があるので、聖霊が助けてくれているのかも。)

祭壇の飾りつけはこういうのだった。
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子供たちがイエスさま、大好き、みたいなメッセージをはりつけているのも、かわいい。
ロバはイエスがロバの背に乗って入場したことにちなんだものだ。
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(ええと、この後に予約投稿のものが続きます。)



by mariastella | 2019-04-14 23:03 | 宗教

バルバラン枢機卿事件について補足

これを書いているのは 3/29。

あすから、日本に行くまでの準備と日本に行ってからあわてないように、20回のシリーズものを予約投稿しておくので、これは昨日に続いて最後の時事記事になる。

またまたフランスのカトリック・スキャンダルで申し訳ないけれど、フランシスコ教皇がリヨン大司教のバルバラン枢機卿の有罪判決後の辞職願を受理しなかったことの背景がひとつわかったので書いておく。

それは、去年の7月、オーストラリアのフィリップ・ウィルソンというアデレード大司教が、やはり、教区内のペドフィリアを司法に届け出ず「隠蔽」したという罪で有罪判決が下された後で、教皇が辞職願を受理していたという例だ。ところが、次の控訴審で、最終的に無罪判決が出た。


ことの次第は1970年代に遡る。ジム・フレッチャーという司祭がペドフィリア行為で有罪になり、2006年に獄死している。70年代に若い司祭であったウィルソン師は、その犠牲者たちの証言を聞いていたというのだ。

にもかかわらず隠蔽したということで20185月に12ヶ月の禁固刑の有罪判決が下された(実際は自宅軟禁に変更された)。

でもウィルソン師は、ずっと無実を訴えていた。若年性アルツハイマーでもあることからすでに大司教としての活動は休止していたものの、有罪判決の後は、すぐに控訴すると発表し、辞職は拒否した。

ところが、すでにペドフィリア事件で傷ついていた国の人々からの非難は高まるばかりで、フレッチャーの被害者たちばかりでなくカトリック教会も彼に辞職を促し、なんとオーストラリアの首相までがフランシスコ教皇にそのことを知らせたという。オーストラリアの司教会議も、「辞職に反対するつもりはない」としてウィルソン師を見捨て、追い込まれたウィルソン師の辞職願は7/30に教皇に受理された。

ところが、12/6、控訴審は、当時の犠牲者がウィルソン師に証言していたという事実に矛盾があるとしてウィルソンに無罪判決を下した。

その後でも辞職願の受理は取り消されていない。


つまり、フランシスコ教皇には、本人の無実の訴えよりも「カトリックを含めた世間の圧力」を優先して、控訴審を待たずにウィルソン師を辞職に追い込んだという苦い経験があるわけだ。

それを考えると、控訴をするバルバラン師の有罪が確定するまでは辞職願を保留するという今回の態度は、十分に理解できる。

もちろん、フランスでは当のペドフィリア司祭がまだ生きていてそちらの最終判決もまだ出ていないという、心情的にさらに面倒な要素がある。

全体として、今回の件は、そもそもヴァティカンという国の首長が、「カトリックのリーダーとしての立場」と小さいながらも国際的に認められている「主権国の首長としての立場」との二つの間で一貫していないことがあるという現実の一つの結果でもある。

そしてカトリックというシステムが、典型的な上意下達のヒエラルキーがあるにもかかわらず、実は、ローマ教皇が「ローマ司教」であるように、各司教区の司教が絶対的な自治権を持っているという「地方分権」のシステムでもあるという構造も、ことを複雑にしている。

さらに、原理的には、リヨンの大司教であろうと、叙階されたばかりのどんな田舎の一司祭であろうと、「聖霊」によってキリストと直接結ばれているのだから、「上司」の許可がなくても、信徒と神を仲介する全責任と自由を付与されていることになる。

だから、一つ間違うと、内向きの閉鎖的な共同体のグルのような行動に突っ走ることが誰にでも可能になるということだ。

特に共和国型無神論という歴史の洗礼を受けてきたフランス型の政教分離社会では、カトリック教会はその歴史を達成し支えてきた一要素となっている。

アングロサクソン・プロテスタント型の国と違って、「私は神を信じる」ということを「共同体」の外では口にできない環境になっているのだ。

でも、今回のスキャンダルで「瀕死」の状態にある、もう立ち上がれないに違いない、とまで言われるフランスのカトリック教会にも、ようやく新しい声が上がっている。

自分たちが閉じ込められていると思っていた政教分離、無神論型の社会の中の檻には、実は、鍵がかかっていないことに気づいた、という人がいるのだ。

「福音宣教」の本当の意味をあらためて問うことで、本当は「檻」の外の多くの人が、「神を信じる」という人の声を聞きたいと思っていることに気付いたという。


日本でなら、それこそ一部の新興宗教や政治家の場合を別として、一般に、だれかが初詣に行ったとか寺社でお祈りとかお祓いをしてもらったとか口にしても、誰も、その人の「宗教信条」を問題にしたり「政治イデオロギー」を追及したりしない。

フランス型無神論のタブーによって形成されている「檻」の感覚はなかなかつかめないだろう。


今回のカトリック教会のペドフィリア・スキャンダルは、宗教の比較社会文化論の見地から見ても非常に興味深い現象だ。

引き続き観察していくことにする。


by mariastella | 2019-04-13 00:05 | 宗教

シャルトル その3

ステンドグラスを少し。マンガのコマ割りとしたら、真ん中の聖母子が2コマ続きで強調されている。
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ユグノー戦争が続いた後、結局カトリックに改宗することでフランスをまとめたナヴァールのアンリ四世は、フランス王が聖油塗布こだわったランスの大聖堂ではなくてこのシャルトルで即位した。1594/2/27のことだった。この写真を撮ったのはちょうどそれから425年後の同じ日に当たる。
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はい、お気に入りの聖遺物。聖母のヴェールの布。

今はヴェールと呼ばれているけれど、なんと、イエスを生んだ時に身に着けていた上衣(長シャツ)と信じられてきた。イエスを妊娠していた間ずっと身に着けていたという説もある。あまり衛生的ではないが。
聖母が死ぬ時に親しい女友達に託し、それが後にビザンティン帝国の女帝エイレーネ―にまで伝わり、エイレーネ―がそれを、ヨーロッパを統一したシャルルマーニュ(カール大帝)に進呈し、シャルルマーニュの孫シャルル禿頭王が876年にそれをシャルトルの大聖堂に与えた。で、瞬く間に巡礼者が殺到、12、13世紀が黄金時代で、カトリックの刷新された時代にも、フランシスコ・サレジオやヴィンセント・ア・パウロなどの聖人がこの前で祈った。

布はビザンティンの絹(パレスティナではないのか、という突っ込みはなし)だそうで、これをかたどったミニチュア型がお守りグッズとして飛ぶように売れたらしい。
またこれのレプリカをカテドラルの中で祝別してもらったものを騎士たちが戦場で身につけた。もちろん貢献あらたかで、騎士が剣で甲冑を裂かれた時もこの布には傷がつかず助かったし、1522年のミラノで砲弾を受けた騎士も、他の服は焼けたのにこの布は無傷で助かったので、帰国してから感謝の奉納版を寄贈している。

レプリカは歴代のフランス王妃が妊娠した時にも贈呈されるようになった。金糸の刺繍が施されたタフタで、「本物」を前にして祝別されたものだった。

アンリ三世はわざわざ1579年に巡礼にやってきて自分用と王妃用に持ち帰った。王妃が妊娠していたわけではなく、それを身に着けて寝ることで子供を授かろうとしたのだ。(結局子供はできなかった)

もちろん、1811年、皇帝ナポレオンの大事な大事な皇妃マリー=ルイーズが妊娠した時にはそれで身を包ませた。(和親条約でカトリックを復活させておいてよかったね)

コピーに聖なる力を転移させることができるというのは仏舎利などと同じだ。
でもそれなら、磔刑像とか聖母子像などがいくらでもミニチュアで存在していたのだから、わざわざ聖遺物の布のそのまたレプリカでなくともいいような気もするのだけれど、うーん、気持ちはわかる。

そんな呪術的心性は過去の遺物だろうなどと言っていられない。陰謀論もフェイクニュースも、21世紀にますます広がっている。

狭義の真偽ではなくて、どんな心を、希望を託すかが問題なのだ。

で、今回私が購入したのは、はじめて見たデザインの、シャルトルの迷路柄のメダル。
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裏にはシンプルにシャルトルCHARTRESと書いてある。
これで快晴のミニバカンスの巡礼記はひとまずおしまい。







by mariastella | 2019-04-11 00:05 | 宗教

シャルトル その2

シャルトル大聖堂の内部についてはネットでいくらでも調べることができると思うので、ここには詳しく書かないけれど、今回私が驚いたのは、15、16世紀の内陣障壁の彫像群が修復中で、ちょうど半分が出来上がっていて真っ白で感動的だったことだ。反対側は黒ずんでいて、これが大変な作業だと分かる。ラテックスでパックをして汚れを取るのだそうだ。

高さ6mくらいで長さは100mにも及ぶ。イエスの生涯や聖母マリアの生涯のエピソードが立体紙芝居のように展開しているのだ。

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この真ん中は受胎告知のシーンだ。マリアは広げた本の前にいる。
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これはヨセフが夢の中で妻子を連れてエジプトに逃げろと告知されているシーンだろう。マリアは縫物をしている。
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マリアって、読書中毒気味だったのかもしれない。子供を抱きながら、あやしながら、本を読んでいる図像もたくさんあるし。もちろん、手首に数珠がかかっているし、神殿で育てられたくらいだから敬虔で時祷書をいつも開いていて祈って設定かもしれないけれど、文庫本とかスマホを手離さないで暮らしているおかあさんに見えて来る。

有名なのは柱の聖母子像だ。(そしてもちろん地下聖堂の黒い聖母)
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でも、復活祭前ということもあってやはり磔刑像がつらい。
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人間の姿としてこういう悲惨な最期を遂げることが分かっている赤ん坊の「受胎」から始まる家族のシーンや母親の苦しみなどを臨場感豊かにこうして見せられることで、キリスト教文化圏の心性が養われてきたんだなあと思うと感慨深い。

by mariastella | 2019-04-10 00:05 | 宗教

シャルトル  その1

シャルトルに行くのは12年以上ぶりになる。

昨年ペギーの回心について書いたので、パリからの巡礼で麦畑の向こうに大聖堂の鐘楼が見えてくるときの感激をもう一度追体験したいと思っていた。

でも、今回はパリからではなく、ル・マンからパリへの帰りだったので、高速道路をシャルトルの出口で離れると市街地に出てそのまま町の中から大聖堂にアクセスするので、あの「麦畑向こうに忽然と姿を現す」というアングルがなくて、なんだか普通の町の普通の大聖堂、という感じ。

その昔はシャルトルに行くときは、ペギーよりもユイスマンスだった。
まずステンドグラス、それから黒い聖母、迷路、といろいろ興味の中心が変わってきて、最後に行った時は、叔母を案内して市内の他の観光スポットも回った。

でも、このブログを始めたのはそのすぐ後だから、その時のレポートがない。しかも、このブログに写真を取り入れるようになったのはごく最近だから、このところ、なんだか、写真満載の記録のない過去はまるで削除されてしまったかのような錯覚か起きる。もちろん昔はフィルムの写真だったから、今のように好きなだけ撮りまくることもできなかったし、そもそも私は、旅行に行くときにカメラを持参しないことも多かった。そしてノートに詳細にデッサンと記録を残していたのだ。

今は、逆に、どんな場所でも検索すれば写真も見られるから、自分であれこれとる必要さえないのに、撮っておけば後でそれを追いながら整理して記録できると思い、しかも、それすらしないままになっていることも多い。

シャルトルのようにちょっと半端な距離にあるところって、その気にならないとご無沙汰してしまう。

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で、いきなり大聖堂の正面に。
前の広場のこんなブロンズの彫像、以前にもあったっけ?
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11世紀始めの司教(22年間も司教職にあった)で、カテドラルを再建しただけではなくこの人のおかげでシャルトル学派が12世紀のヨーロッパの大権威となったことを市が感謝している。
プラトン、ピタゴラスらのギリシャ哲学とヨーロッパのキリスト教神学が出会い、新しい地平を開いた。その後にはアリストテレスを軸にしたスコラ神学の時代になっていったのだけれど、シャルトル派は大きな足跡を残したわけだ。

政教分離のフランスでも市が地元の大神学者に敬意を表しているのだなあ、と軽く驚いて少し調べると、ベルナール・ダミアーノという人の作品で、1997年4月に当時の市長ジョルジュ・ルモワーヌ(ミッテラン政権下で大臣も務めた社会党の政治家だ!)と司教が浄水関係の会社の資金提供で設置したのだそうだ。

カトリックがどうというわけではなくて、フランスの権威がヨーロッパで輝いていた時代のシンボルというのが誇らしいのかもしれない。
イスラム過激派の問題が出てきてからの宗教バッシングや近頃のカトリックバッシングを見ていると、複雑な気分だ。
ともかくこのブロンズ像は私の好みにあっている。

シャルトルの学校と言えばやはり大聖堂のすぐそばにあるステンドグラスの学校が有名だ。
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大聖堂に近づくと、
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柱のデザインがスタイリッシュだ。
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by mariastella | 2019-04-09 00:05 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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