L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:宗教( 379 )

アニック・ド・スゼネル その7

(これは前の続きです)

>>>「とはいえ、(生き方を照らす)光は、毎日のたえまない学びによってしか得られません。読むこと、そして祈ることです。

祈りは私にとって主との親密な時間です。単に「主の祈り」を唱えるといったことではありません。それぞれが主とつながるように生きることで、私の場合は一人で祈っている時よりも出会いの時にそれが多くあります。

私の魂と体と精神は愛の中、恵みに対する深い感受性の中で生きられる秘跡によって養われています。パンと葡萄酒は生きるのに大切なものであると同時に、神の秘密に至る最終レベルの読み方によって聖書の啓示へと私を導き続けてくれています。それがヤコブが見た梯子の最後の場所、主がヤコブを待ち、私たちすべてを待っているものです。」<<<

Sekko :これがカトリック雑誌でのインタビューの最後の部分。

「ヤコブの梯子」というのは「彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。(創世記28,12)で天と地を結ぶもの。

スゼネルの挙げる聖書の句は、それこそ「字面」のレベルでは、信仰や伝統を共有しないものにとっては「意味が分からない」「ただの神話 ?」のようなものだけれど、彼女は実は、コーランやヴェーダの研究もしている。

彼女の知見をわかりやすく言ってしまうと、


どんな伝統の聖典でも、それぞれに固有の信仰や伝統のレベルよりも深く掘り下げて読み解くと、すべての人類に共通する潜在意識につながっている、

それを意識化して、聖典に隠された普遍的な知恵の光に照らされて実践することで人は喜びの内に生きることができる、


というものだ。

これは、その後の人生を変えるようなあらゆる「神秘体験」のシンボリズムは共通している、という認識でもある。


スゼネルはそれをユダヤ=キリスト教の言葉で語っているわけだけれど、深層心理学の造詣、心理療法士としての体験をふまえているところが、「神秘家」としてユニークだ。

そう、彼女の言葉は、その学識、カバラ研究の碩学などで一見よくわからないけれど、まさに「神秘家の言葉」なんだと思う。


私の「神とフェミ」論考の中で、創世記におけるジェンダーの分析については彼女の論文に啓発されるところが多い。それは私には手の届かないヘブライ語のカバリスティックな良質の研究がフランス語で読めるということ、しかもその著者である95歳の女性が体現しているものが理解できる気がしているからだ。

現存のユニークなインテリ神秘家スゼネルを紹介するシリーズはこれでいったん終わり、次から、これもユニークな、42歳の脳性麻痺のスイス人哲学者、韓国で3年間暮らして禅の修行をしたアレクサンドル・ジョリアンのインタビューを紹介。

スゼネルの記事と同じ雑誌の同じ号に載ったものだ。興味深い。


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by mariastella | 2018-10-22 00:05 | 宗教

アニック・ド・スゼネル その6

(これは前の続きです)

>>> 「神がアダムに動物に名をつけるようにといった意味を理解しなければなりません。それは、私たち自身のうちの魂の内なる動物を指し示すことになります。傲慢なライオンや陰口を告げる蛇、独占欲のタコなどはしばしば出現します。それらは克服すべき試練として現れるのです。でも、それら一つ一つに名を与えた後で、それらを捕獲して私の代わりに動くことを妨げることができたという体験をしました。その時には主が秘密の錬金術によってそれらから情報を引き出して見せてくれるのです。それが「知識の樹」を作り実らせるということです・それが連なって信じられないような喜びにつながります。」(スゼネル談)

Sekko :アダムのくだりはこういうもの。「主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった(創世記2,19)」。

「タコの独占欲」というのはタコのように複数の脚の吸盤で子供を離さないという母親による子供の囲い込みの比喩。私は日本では聞いたことがない。

いろいろな「煩悩」が湧きおこってきたらそれを一つ一つに分けて意識化していくことで相対化できて距離を置ける、という感じだろうか。でもそれが「信じられないような喜び」につながるというのは楽観的過ぎる気もする。

でも、スゼネル女史、95歳にしてこの自信に満ちて生き生きした感じ、「主の錬金術」を知っているんだろうなあ。

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若い人からのインタビューにも答えている。「内にいる神になる」というテーマ。
滑舌の良さも含めて、なんという明快さと明晰さ。字で読むといろいろつっこみたくなるけれど話を聞くと傾聴するばかりだ。


(続く)


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by mariastella | 2018-10-21 00:05 | 宗教

アニック・ド・スゼネル その5

(これは前の続きです)

>>>聖書を通して神ははっきりと語っている。すべての文字がロゴスである主のシンボルだ。ヘブライ語は複数のレベルの読み方を可能にし、そのそれぞれが神との対話になる。もちろん文字通りの意味はある。けれども文字が私たちにウィンクしてくる。例えば、同じ文節の中で同じ言葉が二度出てくるときは、二度目はいつも、隠れた意味を読むようにというよびかけなのだ。もっと深い読み方もあって、そこで得られた情報は読む者によって生きられるべきもので、それを生きることが喜びと解放のすばらしい体験となる。その生き方の求める道は犠牲を伴うし、物質的、感情的、時には霊的な安全地帯からの離脱につながる。親しい人に理解されなかったり、知り合いのサークルすべてから抜け出したりすることもある。

Sekko :これって一見、なんだか物騒な気がする。ある「教祖」の言葉を読んでカルト宗教に取り込まれてすべてを捨てて「出家」し、時には反社会的行為にまで突き進むような例を想起してしまうからだ。

とはいえ、最近、ヨーロッパではまさに、イスラム原理主義のような「強度」のある言説と信仰こそが浸透力があるわけで、それに比べて、既成の伝統的な諸宗教は限りなくぬるくなり、冠婚葬祭以外のインパクトを生活にもたらさず、生きる喜びも解放にもつながらない状況がある。民主主義や共和国理念の言説も弱弱しい。

科学主義、進歩主義が伝統「宗教」を抜け殻にして、宗教から「信仰」の言葉を奪ってしまった。その空白にこそカルトや原理主義の提唱する「生き方とリンクした強い言葉」が刺さっていく。

それは危険な状態だと思うから、他者と平和に共存し連帯するような生き方を可能にするような言葉や実践がインパクトを持って広がってほしい。

でも現実は、「絶対平和」などを騙るとすぐに理想論だとか、お花畑だとか言われて、「ミサイルが飛んでくる」「やられる前に攻撃せよ」などと叫ぶ声の方が響き渡る。


スゼネルのように何十年もぶれることがなく霊的人類学を探求し、「聖なる書物」のシンボリックなレベルでの普遍性を確信するに至ったような人が声を上げてくれるのは貴重なのだろう。

(続く)


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by mariastella | 2018-10-20 00:05 | 宗教

アニック・ド・スゼネル その4

(これは前の続きです)

>>>その後、心理療法士となったスゼネルは、トーラーの勉強を続け、50歳を過ぎてから『人体のシンボリズム』を上梓した。これを書くのはまさに聖霊の賜物のようだった。時として、自分の知らないことまでも書くことができたからだ。聖書によって引き起こされた内的な変革によって創られる作品は、完全に作者に属しているものではないことがある。この本のおかげで、スゼネルは、あちこちで講義や講演をするようになり、生きる意味を探す人々に寄り添うようになった。

Sekko :  この本は画期的な本だった。人の体を、喜びや苦痛を表現するランガージュの手段としてだけでなく、肉体そのものが解剖学的なディティールに至るまで「読み解くべき一つのランガージュである」というアプローチで、人体と自然、宇宙のマクロコスモスとミクロコスモスの関係を語る壮大な構想を持つものだ。人は「神の似姿」として創られたのだから、神を読み解くように人の体を読み解く。カバラの手法、すなわち生命の樹を10のセフィロトの樹として人体をカバラによって実に細かく説得力を持って説明する。

ユダヤ=キリスト教文化のベースがない人やタロットやオカルトやシンボリズムへの感性のない人には「?」と思えるかもしれないが、ただの衒学趣味ではなく、長年の研鑽の結果だけでもなく、彼女がいうように、どこかそれを突き抜けたような大きな流れの中にある印象の本だ。

スゼネルは2008年に85歳でスピリチュアル人類学研究所を設立した。2018年の秋のセミナーでも95歳の彼女が講演する。

(続く)


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by mariastella | 2018-10-19 00:05 | 宗教

アニック・ド・スゼネル その3

(これは前の続きです)

>>ヘブライ語で『創世記』を研究することで一つの新しい人類学へと導かれた。天地創造の6日目に創られたアダムとは「ユマニテ」だった。彼は「神の似姿」であり「男+女」だ。

それなのに『創世記』のアダムはヘブライ語でIsh であり、女性の部分Ishahを忘れ意識下に閉じ込める。蛇の前で禁断の実を食べたのはこのアダムの無意識だったのだ。私たちの人生でも、私たちの潜在意識が自分の代わりに何かを決定してしまうことがある。

禁断の実を食べたせいで、アダムは「動物」と同じ状態に退行し、「男と女」に二極化してしまった。そこで初めて聖書の中の女が「エバ(イヴ)」という名で呼ばれ始める。けれども全てのアダムは創造された時のIshahを自分の中に想起することができる。キリスト教の信仰は「神を信じる」ことだけではなく「神の似姿」を見わたしたちの中に再発見すること、失われた女性性を見つけることにある。それはキリストを通じてなされる。ひとりひとりが、イエスが語る神(Elohim)にもどらなくてはならない。

「そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。(ヨハネ福音書10-34)」 <<<


Sekko : なるほど、確かに、創世記を読むと、神は「人」を創っただけで、アダムとエバを創っていない。智慧の実を食べてしまってからはじめて「アダムと女」となり、楽園を追われてからアダムが「女」をエバと名付けて自分の一部だったものを疎外して外在化させた。

アニック・ド・スゼネルが「納得」させられた気分は何となくわかる。

「あなたたちは神々である」という言葉も悪くない。



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by mariastella | 2018-10-18 00:05 | 宗教

アニック・ド・スゼネル その2

(これは前の続きです)

>>アニック・ド・スゼネルは数学を専攻した。その後で看護師として働く。

信仰の上では15年ものさすらいが続いた。カトリック教会以外での霊性を求め探した。ある時パリの正教会に足を踏み入れた時、再び「聖霊」に捕らえられた。その聖霊が正教会の司祭コヴァレフスキー神父と、あるユダヤ教のラビとの出会いに導いてくれた。コヴァレフスキー師によって彼女は再びキリストの家に居場所を見つけ、シンボルの世界を知るようになった。ラビによってヘブライ語とヘブライ文字のシンボリズムを学ぶことができた。彼女がそれまでずっといろいろな問いを発し続けてきた聖書が別の意味を持ってあらわれてきた。それまでのフランス語訳とは異なるテキストが出現して彼女の人生を変えた。<<<

Sekko : 彼女が正教会に改宗したのは1958年です。

これがもう少し後だったら、アメリカン・ニューエイジの影響を受けたり、チベット仏教とか「禅」や瞑想系に惹かれたケースだなあと思います。カトリックの第二バチカン公会議による「改革」によってカトリックに戻ったかもしれません。でも、ちょうど絶妙のタイミングで、「古いフランス」の温床だったカトリック教会を離れて、「正教会」というキリスト教異文化やそのルーツであるユダヤのラビと出会ったのは、彼女のその後の研究の恩恵を受ける私たちにとってラッキーなことでした。


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by mariastella | 2018-10-17 00:05 | 宗教

アニック・ド・スゼネル その1

『神とフェミ』(仮題)のために、旧約聖書の創世記をヘブライ語でちゃんと検討しようと思うが、ヘブライ語はアルファベットの読み書きしかできない。けれども、フランス語では、アニック・ド・スゼネルという強い味方がいる。彼女の『Le Féminin de l’être』はまさにバイブルだ。彼女の『人の体のシンボリズム』はもうずいぶん前に読んだけれど、創造における女性性を三つに分けて考えるこの論考は刺激的だ。

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その彼女が95歳でまだお元気であり、これまでたどった道についてインタビューを受けている記事を見た。(La Vie No.3814)とってもすてきでユニークなので、少しずつ紹介していくことにする。(意訳です)

>>1922年、第一次大戦後の平和の希求とルサンチマンの醸成とエゴの解放という空機の中でカトリックの強いブルターニュのレンヌに生まれた。幼い頃からこの世は不条理でばかげていると感じていた。まるで、みんなが耳をふさいでいるような世界だと思った。聖書の箴言(25,2)には

ことを隠すのは神の誉れ/ことを極めるのは王の誉れ。」とある。

洗礼を受けた人は見な、預言者となり、司祭となり王となるように招かれているのではないか?

彼女は生まれた時から神に出会った気がする。それが95歳の今にして思うことだ。

小さい時から神と神の言葉を切望していた。隠れているものを見つけたかった。

司祭さんに何度も「どうしてヤコブは脚を引きずったのか、どうしてサムソンの髪は切られたのか」などと聞いたけれど答えてもらえなかった。

「そのとき、イエスはこう言われた。『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。(マタイ福音書11-25)』ということに通じる。

彼女がミサに出た時の聖霊を感じる喜びは、第二バチカン公会議以前の閉鎖的な教え方のせいですっかり曇らされた。20歳で教会を離れた。

Sekko:

この中で、ヤコブが足を引きずったというのは、天使と戦った後の話です。

創世記32,25以下にこんな記述があります。

>>ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。

ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。

「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」

(…)ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。

こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。 <<<

ユダヤ教やキリスト教に縁が薄い人には、「え、何のこと?」と意味不明ですが、あるフランス人のラビ(Rav Ron CHAYA)の解説を読んでびっくり。


天使はヤコブが子孫を残せないように生殖器をつぶそうとしたのに手元がくるって腿の関節を打ったのだ、で、朝までヤコブはあしを引きずった。朝とは救いの光、律法のシンボルであるヤコブは救いに至るまで闇の中の試練に耐えなければならない、という答えでした。

突っ込みどころが多すぎて、ますます分かりません。ヤコブはその時点ですでに妻も側女も11人の子もいたのだから、今さら子孫を残せなくとも・・・とか、そもそも天使が人間相手に負けそうになるとか攻撃を失敗するとか・・・とか。腰の肉を食べないとか…。


うーん、でも、昔のカトリックでは信徒に聖書を読ませずに、聖人伝とか説教集しか読ませなかったという意味が分かる気もしますね。

「昔の人」でも「子供」でも、聖書を読めば疑問だらけになるタイプなんていくらでもいたということです。21世紀の今でも創世記を文字通りに信じている原理主義の人たちがいるからといって「昔の人」や「子供」をあなどってはいけません。


(続く)


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by mariastella | 2018-10-16 00:05 | 宗教

パリ外宣と不思議のメダルの聖堂

日本へのお土産用の「不思議のメダイ」を買いに久しぶりに「不思議のメダイのノートルダムのチャペル」に行った。

すぐそばのパリ外国宣教会ではインドのベナレスで宣教活動をして10年になる宣教師の「絶対の探求--インドとチベットの間」という写真展をやっていた。

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この人は『ベナレスの司祭』という本も出している。ガンジス河が美しい。

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このau-dedansというタイトルは新鮮だ。「内に向かう」何か。絶対とか超越とか聖なるものとかを求める時は天に向かいそうだけれど、実はそれは自らのもっとも内側の深いところと通じている。

うーん、でも、フランス人によくある「インド症候群」を思い出してしまった。

カトリック文化に浸って宣教師になったフランス人が、突然ベナレスになぞ行けば、それは大カルチャーショックだろう。実際、写っている人物のほとんどはヒンズー教、仏教、ジャイナ教の人々ばかりなので、さすがに気が引けたのか、わざわざ「カトリック教会はすべての宗教の中の真なるもの聖なるものを否定するものではない」という第二ヴァティカン公会議の言葉を引いている。

ガンジス河に大量に放水される工場汚水だとか岸壁にびっしりはりつくゴミの山だののドキュメンタリー映像を最近見たところだから、ますます複雑な気分になる。このヴァヌー司祭でさえも、「自分は現実を見ないで理想化しているのだろうか」などと自問をしている。


で、気を取り直して不思議のメダイこと奇跡のメダル聖堂に行くと、ここはもう、なんというか安定の巡礼地だ。じっと座って祈っている人々の表情を見ているだけで、ガンジス河やヒマラヤに行かなくても、聖母マリアにすがるこれらの人々のau-dedansの濃密さに圧倒される。


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昔、母をはじめて連れて来た時に、ここに立ち込める祈りの波動としか言えないような衝撃に母が驚いていたことを思い出す。「家内安全」みたいなものをお願いする気は吹き飛ぶ。


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by mariastella | 2018-10-13 00:05 | 宗教

ローマ教皇と北朝鮮

北朝鮮の金正恩がローマ法王を招待する、熱烈歓迎する、と言ったことが日本でも報道されていた。

確か日本政府も来年の教皇来日を計画していたはずだ。

ひょっとして北朝鮮訪問とセットになるなら、いったいどういう反応が起きるのか見ものだ。

世界的に人気のあるフランシスコ教皇は、2014年に最初のアジア訪問先として韓国を選んだ。その時期をチェックするために日本語のネットを検索したら、いわゆる「嫌韓」の記事が出てきたのには驚いた。

空港に着いた教皇の迎えが大衆車だったのが失礼だとか、教皇が土下座している銅像をつくったとか、教皇が韓国人に苦言を呈したとか、いろいろある。

もともと韓国はキリスト教の人口が多く、カトリックも重要なポジションだ。どうしてそうなったかについては、『神と金と革命がつくった世界史』の中に書いた。

で、2014年は朴槿恵大統領の時代で、彼女もミッションスクールで学び中学生の時にカトリックの洗礼を受けている。今の文在寅大統領はさらに信仰篤いカトリックとして知られていて、就任後すぐにバチカンを訪れている。教皇の「対話外交」にインスパイアされていると言われる。

で、今回、9月の3度目の金書記長との会談には韓国司教会議議長でもある光州大司教を同行した。そこでこの招待が話題になったということで、金書記長は教皇に平和のメッセージを知ってほしいと言ったという。1018日にバチカンに行く文在寅大統領からこの北朝鮮のメッセージが教皇に伝えられる、ということらしい。

このことについて教皇がどう反応するかと問われたバチカンの広報官は「まず招待が来るのを待ちましょう」と答えた。

北朝鮮とバチカンにはもちろん外交関係はなく、公式には無神論体制で宗教は完全に国家に統制されている。けれどもバチカンの外交官と北朝鮮の代表者が非公式にすでに何度か話し合っているという。

20世紀はじめには「アジアのエルサレム」とまで呼ばれた首都平壌の中心地にある唯一の教会の香部屋にはローマを訪れた韓国人の信徒たちがヨハネ=パウロ二世と握手している写真が掲げられているという。韓国教会の司教や司祭たちもこの教会を訪問しているし、何よりも、人道支援の交流で活躍している。2017年には北朝鮮の外交官が、「カトリックの人道団体の支援活動は、スパイを送り込む他の大手人道組織よりも正直で真摯で効率よく、いい仕事をしている」とフランスのカトリック・ジャーナリストに語った。

宣教司祭たちは北朝鮮の医師などと宗教について語ることもあるがもちろん「宣教」「布教」は禁じられている。と言っても、今のカトリック教会、今の教皇の考えは、布教でなく相互理解、対話、平和共存が郵船なので、「秘密の布教」をする必要も心配もないわけだ。


どういう形であれ、ローマ教皇が東アジアの平和に貢献してくれることを願うばかりだ。


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by mariastella | 2018-10-11 00:05 | 宗教

サン・フロランタン教会

ブルゴーニュに入ると、丘の上に所々にモコモコした感じの木々があって、ブルゴーニュの水彩画の記憶と重なる。

ポンティニーに行く前にサン・フロランタンによる。ここの教会はもとお城のあったところでこういう感じの入り口が残っている。
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驚いたのは、今は教会は普通はしまっていて、観光案内のオフィスに身分証明書を預けて鍵をもらって入る。
教会の扉を自分で鍵を開閉したのは初めてだ。
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ここのステンドグラスは素晴らしい上に、詳細な解説がついている。
美術館も顔負けだ。しかも、無料で貸切。
贅沢。
デューラーの黙示録をモデルにしたと言われたステンドグラスはこういうもの。

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15世紀末から、トロワで発展したステンドグラスのアトリエの技術がこの教会に結集している。

傑作は聖母マリアのステンドグラスで、赤が基調になっている。
写真でディティールを見るとこんな感じで、
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実際はこういう感じで輝いている。
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ここの彫刻は元の色彩がわずかに残っているものも少なくない。
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(続く)

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by mariastella | 2018-08-25 00:05 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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