L'art de croire             竹下節子ブログ

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ウィーンの話 その3  シュテファン大聖堂の南の 塔に昇る


ウィーンでは一日に18000歩も歩いた。

シュテファン大聖堂も、南の塔の上まで昇った。

ずっと低い北の塔の展望の良いところまではエレベーターがある。

そちらももちろん昇ったが、南の塔は300段以上の螺旋階段を延々と昇らなくてはならない。

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写真の右端のところどころに開いているのが見える長方形の穴から吹き込む風でなんとかしのげるが、おりからの猛暑で大汗をかく。

なんでこんな高いところに昇るのかなあ、と自分でも思う。

降りるのはもちろんずっと楽だ。

天国に上がるのは難しい、

地獄に堕ちるのは簡単、

ってことかなあ。

大聖堂内の説教壇も、階段を昇ってかなり上の方にある。

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下の方には動物やら怪物やらの彫刻が施されている。

これは別に、司祭が会衆を見下していわゆる「上から目線」で説教を垂れるためではない。王侯貴族の宮殿に付属する聖堂では、王たちが聖堂に入らずに居住室から直接、説教壇より高い位置にあるテラスの席について、見下ろす形になっているところなどいくらでもある。

説教壇が高いところにあるのは、そこに上ることで煩悩やら邪心やら「悪」を「下界」に置いてくるという決意の意味があったそうだ。自分の卑しい部分を下に残して、霊的な部分を聖霊にインスパイアしてもらって説教の言葉が出てくるようにするためだという。


そうなると、苦労して塔の上に昇るのも、登山と同じでちょっとストイックな「浄め」の気分なのかなあ、とも思ったが、「馬鹿と煙は高いところに上がるのが好き」という言葉も頭に浮かんだ。

シュテファンというのは十二使徒の中で最初に石打ち刑で殉教者になったステファノだ。

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祭壇の絵ももちろん殉教図になっている。


フランス語ではエティエンヌという。ステファヌという名前もある。カトリックのことを知らない人には、エティエンヌとステファンが同じ使徒由来の名だとは気づかないくらいに違う。

ピーターやペーターがピエールやペドロ、ピエトロ、ピョートルなどとヴァリエーションがあるのはまあ見当がつく。

ステファンがスティーヴンやエステバン(スペイン語)になるのもやや分かりにくいが、Sが完全に抜けたフランス語のエティエンヌって、慣れれば普通なのだけれど、フランス語のミシュランのガイドブックの地図にSt Etienne と堂々と表記してあるのを見ると違和感があり過ぎだとあらためて思った。

ハプスブルク家のウィーン最大のゴシック・カテドラル、地下にはカタコンブもあれば歴代の皇帝、王族の内臓を収めた壺も並ぶ。見どころは満載だ。


「ハプスブルク家はみな敬虔なカトリックだった」と解説にある。


「敬虔なカトリック」ってなんだろう。


権威付けや人脈や政治や外交のツールの他に、迷信、あらゆる種類の「神頼み」をほんとうに必要としていたということか、それとも本気で「教義」を信じていたのだろうか。確かに、信心グッズのコレクションの壮大さにはただの見せかけではない強迫観念が垣間見える。

ともかく、最大の野次馬的興味は、この大聖堂が捧げられている殉教使徒シュテファンの聖遺物である。それはどこにある?


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by mariastella | 2017-08-08 05:44 | 宗教

スウェーデンのカトリック その2


スウェーデンでカトリックが今だに政治レベルで過小評価されているのは、アンダース大司教が枢機卿となったニュースに国王も首相も祝いのメッセージを送らなかったということに現れている、と枢機卿は言う。

議員で唯一祝いを述べたのは福音派の保守党女性議員だけだったそうだ。

(と言われても、日本人にはピンとこない。フランスでもピンとこない気がする。政教分離が進んだ世俗国という点では日本とフランスは似ているから。スウェーデンと似たケースでは国教会のあるイギリスだろうが、イギリス人が枢機卿に任命されたらはたして女王や首相が礼儀上祝辞を述べるのだろうか。検索してみたが分からなかった)

ともあれ、アンダース師の枢機卿任命は、スウェーデンのプロテスタント諸派からは祝辞を受け、何よりも、マスコミ、メディアが大きく取り上げたのだそうだ。

そのせいで街を歩いていても、人々から声をかけられたし、最も人気のある夏のラジオ番組にもゲストとして呼ばれた。ルターの改革500年記念というのに、すっかり「宗教離れ」しているスウェーデンでは大した話題ではなく、ルーテル教会の牧師らは誰もメディアから呼ばれていない。

同じ首長を頂く一宗派として世界最大の普遍宗教であるカトリック教会にスウェーデン人の枢機卿誕生が生まれたことは、「アイス・ホッケーの世界大会でスウェーデンが優勝するようなもの」なんだそうだ。

普遍性が担保するナショナリズムなのだろうか。

 

各国に難民の受け入れを呼びかけるフランシスコ教皇は、スウェーデンの移民受け入れと統合を模範的なものだとしばしば口にしている。それは本当か?

と問われたアンダース師は、「一昔前まで、スウェーデンはバチカンの妊娠中絶反対の立場などに異を唱えていたが、今はバチカンがスタンスを変えることはないと理解した。今も、良心に従って中絶を拒否した二人の助産婦をめぐって議論があるがスウェーデンの立場も変わらない。」と言う。

確かに、平和主義、武器廃棄、難民受け入れ、貧困との戦いについてはスウェーデンとバチカンのポジションは同じだ。

と言っても、スウェーデンでも移民・難民地区での銃撃や麻薬の問題があり、ストックホルムは実はヨーロッパで最大の、社会地位による棲み分けが進んだ首都だ。一見寛容だと言われるが、スウェーデン人と移民との間の緊張は高まっている。教皇は理想化したイメージを持っているのかもしれない。

なるほど。

スウェーデンでも、フランスと同様、民族や出生地別の統計は禁じられているという。

でも、移民統合政策で教育社会主義が徹底しているはずのフランスでも事実上、移民ばかりが暮らす地区というのがあってゲットー化するのは事実で、「統計」に基づいた「逆差別」政策などがない分、偽善的だともいえる。

プロテスタントとカトリックの宗教間対話については、

以前は「解決困難な問題点」に集中して話し合われていたけれど、今は、「共にできること」について話し合うという。カトリック教会と世界ルーテル派連合は「確執から交わり(コミュニオン)へ」という共同声明にサインした。救いにおける教会の役割や秘跡についての話し合いでは先に進めないが、洗礼の意味や、人間観や福祉を出発点について話し合うことはできる。月曜には共同の祈りをするし、共同の黙想会もやっている。福祉活動でも我々は大切な役割を果たしている。

だそうだ。

枢機卿は続ける。

スウェーデンのルーテル教会はプラグマティックで、信者に社会活動を呼びかけるが、霊的な感性に向かうというイメージがない。今は、もし神の恩寵についての説教を聞きたいなら、プロテスタント教会よりもカトリック教会に行け、と言われているほどだ。

ラテン・アメリカやアフリカからの移民にはルーテル教会やカトリック教会でなく福音派教会に惹かれる人が増えている。

カトリック教会にはヴァイタリティが欠けているという人がいる。カリスマティックな運動には好き嫌いがあるが、私もこの夏にブラジルのシャロム運動のコミュニティに行き、ハレルヤ・フェスティヴァルにも参加する。彼らはスウェーデンに支部を置きたいと言っているが私は歓迎する。

だそうだ。

何だか、ラテンなカリスマティックはスウェーデンのイメージに合わない気もするが。

福音派というのはメガチャーチや、派手な演出、マーケティング、奇跡や異言がバンバン起こりそうな熱狂的な感じがして、アメリカでもすごい勢いで広がっている。カトリックのカリスマ派というのは、もっと閉鎖的で原始教会にインスパイアされた感じの共同体という感じだったが、カトリックから正式に認知されているので、福音派に惹かれるタイプの信者を吸収できている面もある。

で、スウェーデンに進出するというシャロム共同体、日本語で検索してみたらこういうのがあった。

マニフェストみたいなのを見つけた。

http://www.ultraman.gr.jp/shalom/shalomkyoudoutai.htm

安曇野で、自然と共生して持続可能な幸せな暮らし、ヒュッテ、オーガニックレストランやカフェ、ショップなどもある。経済は友愛であるという共生システムで21 世紀の生き方を考える、ともある。

どちらかと言うとディープ・エコロジーでキリスト教っぽくはない

ブラジルのシャロム共同体というのは、1982年にできたもので、2007年に世俗の共同体としてバチカンから認可されている。

ネットによると、パレスティナでユダヤ人とアラブ人の平和のための運動が呼称のルーツともあるし、日本のシャロム共同体というのは単に同名だけなのかもしれない。

『ラ・デクロワッサンス』なんかとも相性がよさそうだ。

マニフェストには

「分離の時代は終わりました。これからは一つに溶け合う時代です。あなたと私。宇宙もすべてが一つなのです。ジョンレノンは歌います。国がないということを想像してごらんと。今流れは分離対立から融合調和へと向かいひとつになろうとしています。人間も自然も木も草も虫も月も星もみんながつながっています。

それは、階級と競争による対立の時代、物質文明の時代から、自立した者同士による智恵の時代、精神文明の時代へと変化を促す、宇宙の意志の現れかも知れません。」

とある。

うーん。

「宇宙の意志の現れ」を「神のみ旨」と言い換えたら、カリスマティックや福音派にもつながるのかも。

しかしこういう流れは私のすごく苦手なものだ。「一つに溶け合う」のも嫌いだけれど、今世界が「精神文明の時代」へと変化するという言説は、カルト宗教にあってもおかしくない。

私は何にでもそうだが、「正論」に対しては「総論賛成」なんだけれど、具体的な共同体や指導者の顔が見える「各論」になるととたんに警戒するタイプだ。

もし本当に、カリスマティック共同体や福音派のメッセージが伝わっているなら、この世はもう少しましになっていてもいいと思うけれど。

スウェーデンのカトリックに関して書いているうちに話がそれてしまった。


北欧諸国というと、生活の質が高くて福祉と経済成長が融和している「成功例」みたいなイメージがあり、いろいろな意味でそれを可能にする程度の規模の国々なのだと思っていた。でもどこの国でも「世俗化」と、理念、理想の追求とが両立するためにはいろいろな工夫や努力が必要なのだなあとあらためて考えさせられる。

「総論」が実現するのは「神の国」だけで、「各論」はいつも誘惑と落とし穴だらけだ。でも、この総論と各論の間をどうやって行き来して「神の国」の方向にかろうじて顔を向け続けていられるかが大切な課題なのかもしれない。

日本国憲法の前文と中身もそんな関係だったりして。


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by mariastella | 2017-08-01 05:01 | 宗教

スウェーデンのカトリックと移民、難民  その1

スウェーデンのストックホルムのカトリック大司教が6月末にローマ教皇から「枢機卿」に任命された。次の教皇を選ぶ選挙権もある枢機卿はカトリック行政の上では教皇の下の最高位だ。(霊的にはすべての司祭の上に上下関係はない)

ヨーロッパの国の首都の大司教なら枢機卿になるのも順当に思えるかもしれないが、実は、スウェーデンでは初めてのことだ。

なぜなら、スウェーデンはいわゆるプロテスタント国で、カトリックは人口の2%というマイナーな国だからである。

スウェーデンの宗教などについてはここで書いている

しかも、67歳のアンダース大司教、

カトリックには20歳で改宗した人で、


元カルメル会の修道士で、


プロテスタント改革以来、はじめてのスウェーデン人司教(それまではドイツ人やポーランド人が任命されていた)だという。

なるほど。


日本のカトリックもスウェーデンよりさらにマイノリティで、昔は外国人司教ばかりだったけれど、戦中の国策ですべての外国籍司教が辞任して日本人司教に代わっていった経緯がある。20世紀の世界大戦で中立国だったスウェーデンではそういうナショナリズムはなかったのだろう。


アンダース大司教と共に枢機卿に任命された他の4人のうちの2 人もマリとラオスという「非カトリック国」の人であることも、カトリックは「カトリック教会」にとっての辺境や周辺地域でこそ仕えなくてはならないという今の教皇の方針を反映しているのだろう。

で、もっと驚いたのは、ルター派の福音ルーテル教会をスウェーデン国教会としているバリバリのプロテスタント国だと思っていたスウェーデンが、実は、今は世界でも有数の非宗教、非信心国であるという話だ。多くの国民は「キリスト教」が何であるかも漠然としか分かっていない完全な「ポスト・キリスト教」社会なのだそうだ。(宗教帰属意識が低いと言われる日本人にとって冠婚葬祭から初詣や各種の祭りなどけっこう「信心」行為のハードルが低いのと比べ物にならないようだ)

で、もっと驚いたのはそんなスウェーデンで、カトリックが今人気になりつつあるという話だ。プロテスタント離れしてしまったので、過去にあったアンチ・カトリックの偏見はほぼ消えてしまった。それどころか、今は注目されている。

それは「スウェーデン国教会」に対してカトリックが超国家的でユニヴァーサルだということで、スウェーデン内のいかなる共同体よりも、カトリック共同体は文化的にも民族的にも多様性があるからだという。

国教会に集まる「信者」は、人種的にも世代的にも社会的にも似たような人たちだが、カトリック教会に集まる「信者」は100以上の国籍が共存していて、多くの移民がいる。

そういえば、スウェーデンと言えば、2013年にシリアからの難民を制限なくすべて受け入れると宣言していた。今や国民の5人の1人は外国生まれだともいう。

ラテン系や旧植民地国も多く人種の混ざり具合が大きいフランスなどと違って、金髪碧眼率の高い北欧諸国では中東やアフリカの難民、移民は目立ちすぎて同化できないんじゃないかとか、カトリック教会が勢力拡大に移民を利用しているんじゃないか(ベルリンの例など)などというこれまでにも書いてきた私のゲスの勘繰りは、ほんとうに、ただゲスなだけなんだろうか…(続く)


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by mariastella | 2017-07-30 01:10 | 宗教

聖遺物泥棒

今の時代に不思議だけれど、イタリアではここのところ聖遺物盗難が続けて発生しているそうだ。
ヨハネ=パウロ二世の血の入ったガラス容器が盗まれた後、ドン・ボスコの脳のかけらが入った聖遺物入れが盗まれたという。

日本のサレジオ会のドンボスコ社から本をだしていただいているご縁があるので、ニュースを聞いてドン・ボスコの名に反応してしまった。
彼の詳細な伝記も読んだことがあるし、青少年の教育者としてのドンボスコのいろいろなエピソードも読んだ。
けれども聖人である彼の聖遺物の種類などは調べたことがない。

今世紀に入ってから亡くなったヨハネ=パウロ二世くらいに新しい人は、「血」の聖遺物がたくさんある(東京カテドラルでも見た)のはなぜだろう。もちろんナポリで毎年液状化するという奇跡の聖ヤヌアリウス(ジェナーロ)の血のように有名なものもあるけれど、一番多いのはやはり聖遺骨であり、中世の聖人はもとよりリジューの聖テレーズのように比較的新しい聖人も、骨が仏舎利のように細分された。

ヨハネ=パウロ二世の遺体はバチカンに安置されているから、聖遺骨は分けられていないけれど、これも伝統的に聖遺物となる心臓はどこかに安置されているのだろうか。

私の見たり聞いたりした彼の体の聖遺物には、1981年に銃撃されて暗殺未遂となった時の血の付いた髪の毛というのがある。その時は、彼が亡くなるかもしれない、そうすれば現役教皇の殉教、即、列福列聖という連想が働いてその髪を切り取って保存した人がいたのだろうなあなどと想像してしまう。

で、21世紀の今、数年前に亡くなった人の骨だの内臓などを世界中にばらまくのは時代錯誤だということで、体の一部だけれど外部を損なわないで採取できる「血」なのだろうと思うが、亡くなった後に取ったのか、生前の血液検査での血を保存していたのか、などといろいろな想像をしてしまう。

どちらにしても、すべての聖遺物崇敬って、類推呪術にルーツがあると思うが、プラセーボ効果というのもあるから、「信ずるものは救われる」というのは納得がいく。
中世に聖遺物取引が一大マーケットになったのは、しかるべき効験あらたかな聖遺物を抱えた教会や修道院が巡礼地となって莫大な利益を生んだからでもある。

今は聖遺物の売買はカトリック教会からは禁止されているから、たまにオークションで出たりするとスキャンダルになる。

拝観に供する「聖遺物入れ」は古来金銀細工や宝石など立派なものが多いので、当然、その容器を目当ての窃盗はあったのかもしれない。

しかし今の時代に聖遺物だけを目当てに盗むとは思えない。

教会には「金属泥棒」がよく出没するので、今は監視されたり鍵をかけられたりするところが多い。銅などは高く売れるようだ。つまり、有機的な聖遺物が入っている容器(しかもガラスがあるから壊れやすくて持ち去るのにも不便?)でなくとも、泥棒にとってコストパフォーマンスのすぐれたものは他にいくらでもあるというわけだ。

売れもしない「聖遺物」を狙ってどうする。

そして、盗まれたドン・ボスコの聖遺物は「脳」の一部。

心臓を別に埋葬するのは聖人でなくてもヨーロッパでは普通に行われていた。
ハプスブルク家の遺体とと心臓は別々のところにあるし、ショパンも遺体はパリに、心臓はポーランドにある、など有名だ
一つの心臓をばらばらに切り刻んだ聖遺物は私は見たことがない。

骨というのはまあ、もともとひと続きではないから、ばらばらにしたりかけらにするのは抵抗が少ないのかもしれない。

でも、脳って。

脳のかけらって。

それを聖遺物として崇敬するって。

それが盗まれるって…

なんだか不思議だ。

個人的には自分が死んだら絶対に高温火葬の完全灰でどこかに撒かれるか、聖母のように体ごと「被昇天」で消え去るかがやっぱり理想だなあ、と思うけれど。
母が2008年に亡くなった後、「思い出の品」はたくさんもらったのだけれど、最初はそういうものに「よすが」を求めていたのかもしれないけれど、今となってはもう「思い出の品」に託す感傷も自分の中で消化し昇華してしまった感じがする。
誰にとっても、先に亡くなった「大切な人」の思い出の品は「聖遺物」となるけれど、「遺物」から卒業した時にようやく「聖なるもの」の灯がともるのかもしれない。

(追記 : その後、 ドンボスコ の脳の聖遺物は盗人の自宅のキッチンのティーポットに隠されていたのが発見されたというニュースがあった。これって、もちろんいろんな意味で「普通でない」にしても、やっぱり「イタリア」的なのだろうか、だとしたら、なぜ…?)


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by mariastella | 2017-07-12 01:26 | 宗教

ローマ法王とフランス大統領 その2

(これは昨日の続きです。)

ローマ法王フランシスコとフランス大統領マクロンの五つの共通点(By 《La Vie 3744 》

その2です。

2番目の共通点とは去年の春、まだ社会党内閣の経済大臣だったマクロンが独自に立ち上げた運動 En Marcheだ。

En Marche は日本語では「前進」と訳されているようだが、単に歩くという意味だけではなく、動いている、うまくいっている、目的に向かう途上にある、などのいろいろなニュアンスがある。

まず法王。

ヴァティカンのように何世紀もイタリア領邦国家の利権とずぶずぶだった巨大組織は、前進どころか慣性で一歩も前に進めないというイメージだけれど、この教皇は、どこかの国の「岩盤規制の一点突破」みたいなやり方ではなく、広く全方向的に窓を開いていくような動き方をしている。

離婚して再婚したカップルを再び共同体に迎え入れること、
多宗派とのエキュメニカルな理解と前進、
ヨハネ=パウロ二世時代にいったん破門された聖ピオ10世会との歩み寄り

など、いろいろな分野で、たとえ歩幅は小さくても少しずつ動き進むことを好む。問題の解決とは人々が並んで歩くことによる出会いの中で見い出されるものだろう。
目は天を仰ぎ、足は地に着けて「歩いていく」ことがフランシスコ教皇のやり方だ。

マクロン大統領は、その「前進」という運動名はイデオロギーではなく現実との接点を表現する。彼の政策のいくつかは、その運動の内部から自発的に生まれた。また、頭の中だけではなく実際に体を動かせるという「可動性」の徳も強調する。物理的なアクセス可能は、社会的公正を目指す政治の一部だ。彼が大臣時代にそれまで公共機関の独占だったバス路線を「自由化」したことで、フランス中を長距離バスで移動する人が大幅に増えたことがその典型だ。<<


これはやはりプラグマティズムに基づいているのだけれど、
巨大な権威を持つ教皇が広く浅く少しずつ「伝統」を揺さぶろうとしているのに、民主主義と議会制度に縛られるマクロンの方が、強硬に自由化の法を整備して目に見える結果を出すのが対照的だ。

政治家には「次の選挙」というハードルがあるし、常に「政敵」からの攻撃を受ける対策も必要だ。「今ここで」自分の実力を見せつけることが必要とされる。
教皇の方は時として挑発的なコメントを小出しにしながら、様子を見て、パン種が発酵するのを待っている。政治生命のスパンが全く違う。
次の選挙や選挙の地盤を後継者に譲るなどの憂いもない。
配偶者も子供もいないし、時空を超えた神や聖人たちとの交わりの中で足を地につけている。

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by mariastella | 2017-06-05 17:12 | 宗教

パリのファチマ

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これを書いている5/13は、ポルトガルのファチマで3人の牧童に聖母マリアがはじめて姿を見せた日から100年の記念日。

ファチマではフランシスコ教皇が巡礼して、幼くして病を得て死んだフランシスコとヤシンタという2人を聖者の列に加えた。殉教者ではないはじめての子供の聖人となる。

私は去年の秋に一足先にファチマの巡礼に行ったから、親しく感じてパリでの記念ミサとロザリオの集まりに出て見た。フランスにいる移民で最も多数なのはポルトガル人だ。ポルトガル人とのハーフの数もとても多い。で、パリには、 ポルトガル人の教会と称されるところがある。ファチマのノートルダム教会とも言われ、ファチマの聖地の出張所みたいな格付けになっている。ファチマの聖母の言った通り、毎月13日(12日の夜)にロザリオの祈りがささげられる。
この教会は19区の端にあって、第二次大戦後のパリ解放の記念に建てられたゴシック様式のもので、十字架のイエスが栄光の姿であるところが近代的。
かなり広いが人はいっぱいで2階席も使われた。
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ロザリオの祈りは、先唱が、病の床にある人の嘆息のようにひそやかにはじまり、「大声を出さないように」と何度も注意がある。ロザリオの祈りというとつい機械的に繰り出されるし、ファチマで聞いたのも念仏みたいなものだったが、ここでは、隣の人の祈りを聞きなさい、とまで言われた。そうしてはじめて共同の祈りとなる。なるほど。

司式をした司祭はユーモアもあって、

実は今からファチマの秘密を公開します、

と宣言し、それは十字架のイエスが、自分の母をもうママンとは呼ばずに、婦人よ、と呼んで、全ての人のママンとして捧げ、新しい母性を創造したということです、と言った。だからみんなは聖母をママンと呼んでもいいのだ、と。

その後で、献金の籠が回される前には、

ファチマの第二の秘密も明らかにしましょう、

聖母は、銅アレルギーなのです、
紙が好きです、

と言って笑わせた。

で、1ユーロ以下の銅貨は入れられず、見ると、5ユーロ札が一番多かった。
ヨハネ-パウロ2世の聖遺物もあった。
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入り口では私も去年ファチマで買った公式ロザリオなどが売られていた。
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途中でも最後にも、「ファティマのノートルダム、」「私たちのためにお祈りください」という掛け合いが三度続いた後に、二人の子供の新聖人の名が「聖」を冠して呼ばれて「私たちのためにお祈りください」、と続く。聖人の連祷という奴だが、この三者に限定したところが新鮮だ。早逝したこんな子供たちが、突然「聖ナントカ」と呼ばれて祈りの取次ぎをたのまれても戸惑っているかもしれない。

ともかくここのミサでは跪く人の割合も高くて、アヴェ、アヴェ、アヴェ・マリアという時に掌を上に向けて高く上げる人の数も多く、化体(聖変化)の時には鈴音が響くし、聖体拝領を手で受けない人の数も多い。ポルトガル風味だ。

でも、こういう場所のこういう「演出?」を見ていると、フランスのような国で選挙戦を戦うような人は、少なくとも教会でどういう典礼がどのように行われ、どういう言葉が使われているのかを熟知している必要があるなあとあらためて思う。マクロンがイエズス会の学校で洗礼を受け「超越の存在」から使命を託された印象を述べ、愛を持って謙虚に仕えるなどと語るルーツは多くの人からサブリミナルにキャッチされているのだろう。



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by mariastella | 2017-05-14 03:16 | 宗教

500周年を迎えるルターの宗教改革のゲルマン性

ルターの95ヶ条から500年、今年に入ってからルター派についていろいろと読んで、今までいかにbkbsi ちゃんと向かいあっていなかったが分かった。

確かに、考えてみたら、フランソワ一世がいた頃のフランスになぜこうもルターの改革派教会が根付かなかったのかということは、日本にキリスト教が根付かなかったということと同じくらい興味深いテーマをはらんでいる。

私は今まで、それはフランスのガリア教会主義が認められていたから(1516年8/18にレオ10世が前年に戴冠したフランソワ一世にフランスの司教を指名する権利を与えるなどのコンコルダを締結している)だと表現してきたし、それは間違いではないのだけれど、もっと根深いものがある。

ひとことでいうと、ルターの改革派教会とは、「キリスト教のラテン・インカルチュレーション」であったローマ・カトリックから分派した、「キリスト教のゲルマン・インカルチュレーション」だったのだなあ、と思う。

当時のカトリック教会についてルターの批判したようなことはカトリック教会の内部でもいろいろな人が声を上げていた。免罪符や聖職売買や司祭の要請についての多くの点の改革すべきところは自明だった。フランスでもギョーム・ブリソネなどが批判していた。けれども、「救い」の場から聖母や聖人を締め出すことはしなかった。「聖母と聖人と煉獄に関しては批判しない」というコンセンサスができた時にカトリックを去った人(ギヨーム・ファレムなど)などもいる。

ルターが死んだとき、多くのプロテスタント教会にルターの実物大の肖像画が描かれたり、デスマスクと手足の型がとられて服を着せられて保存されたりしたのも、カトリックの「聖人崇敬」が実は広く人々の必要に応えたものだったことを反映している。

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(ルターのデスマスク)

ルターもかなりのものをラテン語で書いていたし、ラテン語の著作はフランスでもそのまますぐに読まれた。ストラスブルク、バーゼル、パリ、リヨンなどの印刷業者を通してラテン語からやドイツ語からの仏訳もかなり出回った。1534年までに15作と、エラスムスの著作のフランス語訳よりも多い。

それでもルターは「ドイツのヒーロー」だった。
今から200年前の1817年の10月には、ルターが身を隠したワルトブルク城で500人の学生が改革300周年と、プロイセン王国がライプツィヒでナポレオン軍を破った4周年とを同時に祝った。
第一次大戦のときのドイツのプロパガンダではルターとビスマルクがドイツの根幹を形成してい(た。イタリア人のローマ教皇やフランス人のカルヴァンに反対したということが、ドイツのアイデンティティを称揚したのだ。

ローマカトリック教会のラテン性もルター教会のゲルマン性も(さらにいえば聖公会のようなアングロサクソン性も)、みなそれぞれの地域でインカルチュレーション(文化変容)したキリスト教なのだが、日本のような国からは、みなまとめて「欧米の宗教」だと見なされきた。プロテスタントの民族性を分けて考えることは少ないだろう。

なぜフランスにルーテル教会が根を下ろさなかったのかを引き続き考えていくことで気づかされることは少なくない。
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by mariastella | 2017-04-23 06:01 | 宗教

復活祭の聖週間の始まりのカテドラルと桜

復活祭の聖週間の始まりは枝の主日だ。

エルサレムではシュロの葉だろうが、北のヨーロッパではもっぱら柘植の小枝で、一昔前のフランドルではどこのうちにも前の年に祝福してもらった枯れた小枝がおいてあった。

それは次の年に燃やされて灰の水曜日に額に塗ってもらう灰になるというリサイクル。

この写真で手前の人々が持っているのが柘植。

今では都会ならそれらしい大ぶりの葉を調達できるが、昔の田舎は本当に柘植一種だった。

基本なんでもよくて、自分のうちの庭の木の小枝を持って行ってOK。

教会はどこも歩いて行ける距離だからという事情もある。

何も持ってこなかった人に柘植の小枝を配って、小銭の献金を入れる場合もあるし、小枝を折って分け合うこともある。どんな枝でも聖水をふりかけてもらえば満足。

先日、生まれてはじめて日本の教会の枝の主日に参加したら、立派な葉っぱを、大きめのと小さめのとを選べるようにして全員に配っていた。

東京カテドラルの前は、人でいっぱいで、「ここだけ聖週間」という不思議なテーマパークみたいだった。

カテドラルには聖遺物が増えていて、フランス人の女性が、こういうのはルネサンス時代の巡礼者相手の金儲けだったから私は大嫌い、と、年配の日本女性にフランス語でまくし立てていた。

ミサの間に平和の儀とか平和の挨拶と呼ばれるものがあって、日本ではただ会釈するだけみたいな感じで席から離れないのだけれど、フランスでは、結構、席から移動して握手し合う。
抱き合う人もいればキスするカップルもいる。

東京のカテドラルでは隣がアメリカ人らしい女性2人(英語の式次第を読んでいた)だったので、つい握手の手を出すと、向こうもにっこりして握手したので、アメリカでもそれが普通なのかなあ、と思った。

目白の駅前の学習院大学の構内の桜が満開で「日本の復活祭」という趣があったので、インカルチュレーションってことで「桜の小枝の日曜日」にしたら奇麗なのに、お昼から聖水ならぬ雨が降ってきた。

一週間後にはもう花は散っているだろうけれど、復活祭には若葉も、よく似合う。
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by mariastella | 2017-04-13 03:21 | 宗教

フランスとイスラム その13---- 黒いISと白いIS (続き)

カメル・ダウドの2015/11/20の記事の続き

ワッハーブ宗は、18世紀に生まれたメシア的過激派だ。
コーランとメディナとメッカと砂漠へのファンタズムに基づいてイスラムのカリファを再建しようとして生まれた一種のピューリタリニスムである。

多くの血を流した。女性差別を徹底したほか、聖地に異教徒を入れないとなどと決めた。

宗教的に謹厳で、特に図像についての統制を厳しくした。
あらゆる画像表現、肉体、裸、自由が排除される。

サウジアラビアとは「成功したIS」なのだ。

欧米諸国がそれを見ようとしないのは驚くべきことだ。

彼らはこの神権政治に同盟国として敬意を表し、イスラム過激派のイデオロギーの主要メセナであることに目をつぶる。

いわゆるアラブ世界の過激派の新世代は、ジハディストとして生まれてきたのではない、
イスラムのヴァティカンとでもいうべき、ファトワ・ヴァレーによって哺育されたのだ。

神学者、宗教法、書物、アグレッシヴなメディア政策を生む膨大な産業がそれを支えていた。

(続く)
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by mariastella | 2017-03-11 00:54 | 宗教

カリスマ司祭が結婚で教区を離れる話

昨日に続いてさらにもう一つ最近気になった話題で寄り道。

リヨンの名物司祭ダヴィッド・グレアが結婚する。

先週の日曜日、彼の教区サント・ブランディーヌ教会のミサに、彼は姿を見せず、代理の司祭から彼の手紙が読み上げられた。

45歳のグレア師は、栄光という名のロックグループを率いて「ポップ賛歌」というコンサートツアーによってフランス中に知られていた。いろいろな映画にも司祭役で出演している。
2000年に29歳で叙階され、21世紀の福音宣教について大いなる情熱を燃やしていた。

毎週の教会は満員状態で、人々は歌と音楽と喜びとエクスタシーの混ざったような盛り上がりを見せていた。

彼の「説教」の一例はこんな感じ。(雰囲気だけどうぞ)(この説教の感想はというと、うーん、よくできてるし彼の思い入れが伝わってくるし、この説教に感動してからこの教会を後にする人の人生は、少なくとも入る前よりも悪くはなっていないだろう。他の人の人生をより害するということはないだろう。ここで説明されるヤコブの話についてはいつかまた書いてみたい)

これは彼のミサでの演奏の様子。主の祈りが歌われ、若者たちが恍惚となっているのが分かる。


いわゆるカリスマ司祭であり、福音派のメガチャーチではないが、こういう個性的な人のパフォーマンスがないと、今どきの若い人の心をとらえられないのかもしれない。

私は何にしろ「集団の熱狂」というものが苦手で、特にそれを外から見ていると全く共感に向かわない。むしろ警戒してしまう。

でも、グレア師のような雰囲気で、ファンに囲まれていたら、いつかしかるべき女性とめぐりあって結婚へと向かうというのは、不思議なこととは思えない。

彼はその女性と暮らすように「神から呼ばれた」という表現をした。

司祭でいることの歓びと結婚する望みを教会の中で両立できるか模索してリヨン大司教バルバラン枢機卿に相談した。枢機卿は、教皇に会うようにとアドバイスした。

実際グレア師はバチカンでフランシスコ教皇に会ったという。教皇はやさしく耳を傾けてくれ、彼の模索が理に適っていることを評価してくれた、らしい。

枢機卿は教皇と話し合い、グレア師に少し時間をおいてじっくり考えるように、識別の時間を持つようにと言った。

結局、愛する女性と暮らすことを神に促されたと感じて、結婚を決めて、教区を離れることを選んだ。復活祭前の四旬節が始まる前にと思ったのかもしれない。

上にリンクした説教の終りに彼は創世記の一節(28-15)を引用している。

「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」

これはヤコブの夢の中にでてきた神の言葉だが、グレア師も「神に見捨てられない」ことを知っているのだ。旧約の神というと嫉妬深く怒りっぽいイメージがあるが、この神の言葉は確かに心強い。

「司祭」であることは聖霊による聖別だから取り消されないが、「職務停止」ということになる。これからもロックグループで歌って福音宣教するのだろうか。

新司祭は9月に任命される予定でそれまではリヨンのカトリック大学付きの司祭が代行する。
3月5日には枢機卿が来て教区民に話すという。

信徒たちとあれだけ熱烈な関係にあった人だから、グレア師にとって最大の「罰」は手紙ではなく直接彼らに説明できなかったことだろう。

カトリック教会の司祭の独身制が固まったのは1139年の公会議のことだった。
中世の間は、あまり深刻な問題ではなかった。当時の司祭のほとんどは農村部にいたわけで、普通に同棲して子供も育てていたからだ。問題になったのは、プロテスタントの宗教改革の後でカトリック教会が態勢を立て直し、「神学校」を作って厳格なカリキュラムを組むようになり、独身制を守っていた都市部の宣教師らが農村地帯に送られるようになってからだ。

それでも20世紀のフランスの田舎には、身の回りの世話をする「家政婦」と公然と暮らしている司祭がいた。

20世紀には他の「妻帯司祭」もカトリック教会に流入した。ポーランドなど旧共産圏で無理やり妻帯することになった司祭たちの受け入れや、女性司祭の解禁に反対してカトリック教会に合流することを望むイギリス聖公会の妻帯司祭などだ。
また、グレア師のように、恋愛して結婚する若い司祭もいたが、若い司祭が激減するフランスでは専属司祭のいない教会がたくさんできて、需要が供給をはるかに上まっているから、なかったことにしてそのまま教区司祭を続けるケースもあった。
信者のメンタリティも変わったから、プロテスタントの「牧師夫妻」のように司祭のカップルを受け入れているところもあった。

それに、映画『沈黙』ではないが、形だけ踏み絵を踏んでも信仰が消えるわけではないように、妻帯司祭もほとんどの場合、結婚したからといって「信仰」を捨てたわけではないし、司祭を「天職」と感じ続けている人が大部分である。信仰があるからこそ、ちゃんと結婚して添い遂げようと思っているわけだし。

フランスには妻帯司祭の家族の互助会も存在する。
しかし、こういうカップルで後で離婚するケースはどのくらいいあるのだろう。
もちろん結婚に当たっての覚悟が普通とは違うだろうからかなりがんばると思うけれどゼロだとは思えない。本人や妻の浮気だとか、愛が冷めるとか、などの場合も罪悪感などが半端ではないに違いない。でも一信徒として司祭に告解を重ねて解消できているのかもしれない。

結婚に後悔することは?

うまくいっている人の証言しか読んだことがないので分からない。

リアルではもう40年近く前に、日本人の奥様と東京で暮らしているフランス人の元司祭夫妻と食事をしたことがあるが、その時はとても突っ込んだ質問なんかできなかった。

リヨンのバルバラン枢機卿は、司祭の小児性愛事件を厳しく扱わなかったことなどでさんざん叩かれたところだし、なんだか気の毒だ。

ラジオでパリ大司教ヴァントトロワ枢機卿がこの件についてインタビューされて、やはり元気のない声で、

「いや、問題は独身制でなく、約束に忠実であるかどうかなのです」

と答えていた。

今のカトリック教会では司祭になる時に独身でいることと、司教に服従することのふたつを約束することになっている。
修道会に入る人は、「清貧、貞潔、服従」の誓いを立てるが、司祭は厳密にいえば「結婚」さえしなければ「貞潔」の方は「約束」したわけではない。
それはまあ基本的に「結婚」以外の性的関係が最初から「想定外」であるからだ。

チベットのお坊さんたちの「授戒」の時に、結婚どころか、女とも男とも動物とも性的関係を持たないとされるのと比べると、カトリックって以外に「お花畑」?

いや、独身制の確立までにはいろいろな段階があって、最初はすでに結婚していたり同棲したりしている人は問題ないとされたり、禁欲すればOKとされたりの時代もあって、「人間が創りあげていくシステム」の複雑さを反映しているだけだ。(下にリンクしたディドロの記事に詳しく載っていて興味深い)

でも今や60歳以下のフランス人司祭は絶滅危惧種と言われている時代なのだから、今こそ、250年前に百科全書でディドロが述べている司祭の結婚のメリットを考え直す時代かもしれない。
司祭は平均の男よりも「いい夫」で添い遂げる確率が大きいから、幸せな妻が増える。安定した夫婦に育てられる敬虔で善良な子供が増えるし、家族がみんな信者になるのだから信者も増える。司祭の性的フラストレーションによる問題も減る。独身であることに耐えるよりも、妻や子供から来るプレッシャーに耐える方が人間が鍛えられる…etcで、想定される反論にもいちいち答えている。

あ、でも、百科全書はクレメンス13世によって1759/3/5(ディドロのこの記事は1752)に禁書目録に入れられたんだから、無理かも。(禁書目録システムは実効の意味がなくなったので1966年になくなっているけれど、これらの本は一応注意してくださいね、というニュアンスは残された。でも、考えてみると、禁書目録と言っても、いったん禁書にされたコペルニクスやガリレイの本が禁書を正式に解除されたりしているので、禁書があった時代のローマ教会もそれなりに良心的。)

なんにしても、司祭から相談されると司教は見て見ぬふりはできない。
しかも、いろいろ「不都合」なことをつい曖昧にしておいたり世間の目から隠しておいたりする体質を放置すると、小児虐待司祭のような重大なケースも出てくるわけだ。
司祭たちの恋愛や結婚も犯罪も全部まとめて監督責任を負わせられる気の毒な司教たちにも神からの「福音」がちゃんと届いていることを信じよう。
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by mariastella | 2017-02-24 00:09 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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