L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:アート( 91 )

美術館の花見

4/26

今年は桜を見損なったので、山種美術館の『桜さくらSAKURA』展を観に行った。
前にもここの桜展を観たのでなじみのある絵に再会。

その中に河合玉堂のものもあって、これも2日前のイメージと重なってなつかしい水の流れ。
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でも、前回と同様、一番魅力的に思えるのは川端龍子のこの『さくら』。
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千住博さんの『夜桜』も、相変わらずの迫力で、これは絶対実物を見ないと伝わらない。今回は、千住さんの「秘密」がなんとなくわかる気がした。
でもまだ言語化できない。




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by mariastella | 2018-05-11 00:05 | アート

関頑亭の「胎蔵」

御岳美術館のエントランスで、関頑亭の『胎蔵』を観た。
このサイトの右下にあるもの

6体の地蔵の3体が外に見え、3体が内蔵されているという。
とても気を惹かれた。
「胎蔵界」を究極にシンプルにして立体にしたなにか。

こういう作家だそうだ。
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これが胎蔵の原型で「発芽」というタイトル。

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by mariastella | 2018-05-10 00:05 | アート

高村光太郎の『手』

4/24

御岳美術館で見た

高村光太郎の「手」。

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《ロダンの『手』は「習作」だけれど私の『手』は「作品」だ》

と言っていたそうで、「天を指す」イメージで、それをインスパイアしてくれた観世音菩薩像の「施無畏の印相」の自然な手に宇宙を感じる驚きについてのコメントも引用されていた。

手は指の動きを生むし、踊りや楽器演奏にとっても、「全体」、そしてその「全体」をも超えるものとつながっているというのをあらためて思う。

これは高村光太郎自身の左手がモデルだそうだけれど、この親指の反り方、ギター演奏にぴったりだ。

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by mariastella | 2018-05-07 00:05 | アート

御岳渓谷と川合玉堂

4/24
御岳渓谷を軍畑駅から上流に向かって歩く。
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川合玉堂の美術館の庭は多摩川の流れをイメージしたもの。
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玉堂の画手本を購入。たとえばこういう藤の絵を描く時の筆の運びや筆圧も説明。
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この人ほど、正統的な勉強も重ねた後で独自な境地に達したケースは稀な気がするが、このように自分の技術もきっちりと伝えていくという姿勢もすばらしい。
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by mariastella | 2018-05-06 00:05 | アート

割竹の不思議

4/18

日本に着いた時はまた氷雨でがっかりしたけれど、翌日の午後からやっと日が差し始めた。
日比谷のペニンシュラホテルでディナー。

メインエントランスに巨大な割竹あーとが。
割竹の内側を並べるという意外性。
濱恵泉さんといういけばな作家兼現代美術家の2007年の作品で、龍が宇宙を抱き伏せているイメージで平和と幸運を表しているそうだ。
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下のは割竹の内側と外側の印象の違いが分かる。
これに惹かれるのは、なんだか楽器みたいな有機性と機能性を感じるから。
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生花との竹の相性もよく分かる。レストランのテーブルにはこんな一輪挿しがあった。
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by mariastella | 2018-05-02 00:05 | アート

不思議なタブロー

(これは昨日の続き)

先日おじゃましたサロンのアパルトマンにたくさんの絵がかけられていた。

正直言って私の好みのもの(つまり、ベッドの向かいに掛けたと仮定した時に、眠る前に最後に目に入る絵で、朝起きた時に最初に目に入る絵として耐えられるかという基準。あるいは、滅亡した地球を去って別の惑星に移住すると仮定した時に、たったひとつの作品を「地球のいのち」というタイトルで持ち出す選択ができるかという基準)はひとつもなかった。

先日の MoMA in Paris 展の続きを観ているみたいだった。

バービー人形にメイクをして衣装を演出した作品が3種類あり、どれも、正面から見ると顔だけで、たとえば「修道女」というタイトルで、斜めから見ると武装している。

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これが正面
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これが斜め。

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これが正面

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これが斜め、というのもあった。

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まあまあ気に入ったのはこれだけれど、ジャック?シュヴァリエだかの作品だそうだが、持ち主自身が画家の名を覚えていないという。それに、他の人たちは誰も絵を眺めていない。常連で見飽きているのかもしれないけれど、私だったら毎回じっくり見て回ると思う。
全体に、メセナではあっても、アーティストの集まりではないので、話題も表面的だ。コレクター本人とさえ、コレクションの内容について、コンテンポラリーアートについての議論がきけない。

まあ私のフランスバロック音楽の話を本気で聞いてくれた人も2、3人はいたし、すてきな場所でのコンサートの可能性について提案してくれる人もいたので無駄ではなかったけれど。

そんな中で、テキサスの大学教授で比較神秘思想が専門だという女性に出会った。
彼女といろいろ話して、確かに同じようなアプローチの人であり、向こうは「こんなところでこんな人に会えるとは思っていなかった。私たちはもう親友です」とえらく感激して、メールアドレスを交換した。
おかしいのは、彼女のフランス語と私の英語のたどたどしさやとっさに言葉が出てこないのまでが同じ程度でもどかしかったことだ。お互いに読む方は何の問題もないので、メールは彼女は英語で私はフランス語で書くことに合意した。話す時もそうすればいいのだけれど、二人ともやはり聞き取り能力もいま一つなので、相手の下手なフランス語や下手な英語の方が意味を汲み取りやすいし、適切な言葉に変換し合うこともできた。アヴィラのテレサについていろいろ話せた。

でもこの女性は、私と意気投合する前に、いる人みんなに「自分は恥ずかしい、あんな大統領がいる国で」とさかんに言っていた。言っていたというより、ほとんど「謝罪している」雰囲気だった。他にもボストンから来た人もいたけれど、こんなサロンに来る人々が、アメリカ人がいるからと言ってトランプ大統領選出の責任を問うとかアメリカを馬鹿にするとかなどあり得ないことなのに、こんなに卑下してまわる気にさせるなんて、本当にトランプは罪作りだ。

でも、こういうパリの夜は、それはそれでおもしろい。




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by mariastella | 2018-03-28 00:05 | アート

MoMA in Paris  その4

(昨日の続きです)

入念に演出された写真で、実際の光景に立ち会っているような大きさ(174cm x 250.8cm)で、不思議な確固としたインパクトを与えるものがあった。


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この写真は、1950年代のラルフ・エリソンの『見えない人間』の冒頭シーンを忠実に再現した一種のインスタレーションをカナダのジェフ・ウォールが撮ったものだ。アメリカの黒人は、目に見えない、存在しない、つまり人間としては無視されているという人種差別告発だった。

1369個の電球の灯りとぬくもりの中でジャズを聴いている男の孤独や傷が、細部のリアリティから滲み出すようだ。

それこそ、イラストだって、画像編集だってなんでも可能な今の写真術ならどんなものでもできるだろうけれど、手作りディティールへのこだわりの質がクリエイトの質つながっている例だ。

過去にお蔵入りしたという、黒人が主演映画へのオマージュでもあるという。


ちょうど今、これまでは絶対に商業的には成功しないと思われていた黒人カルチャーの中で黒人ヒーローが活躍する『ブラックパンサー』がヒットしている。


隔世の感がある。


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by mariastella | 2018-03-11 00:05 | アート

MoMA in Paris  その3

(昨日の続きです)

音楽のインスタレーションでおもしろいものがあった。

「空間を音で彫り刻む」というのがコンセプトで、インパクトはすごい。

吉井秀文さんの「彫空の本」が私の手元にある。
空間を刻むというコンセプトも好きだし、それが常に変化するということも、私の手の中で私の手の動きがそれに参加するというのも好きだ。
泡と泡のせめぎ合いを見ていると、その中に自分が入り込んでしまう錯覚に陥る。

音楽の場合、もちろん、音楽を演奏する人は、空間を音で裂くことや、満たすことを実感している。
空間に音を積み上げ構築していくタイプの音楽もある。
でも、彫り刻む、というのはありそうでない感覚だ。

で、変則的な天井も高い、かなり広い空間で、40台のスピーカーが、周りをぐるりと取り囲んでいて、その一つ一つが、40人のコーラスの一人一人の声を近くでひろったものになっている。
ソプラノはボーイソプラノで、全部で五声部8人ずつの、16世紀のモテットのアカペラ。スピーカーは立っている人の大体耳の高さに位置するので、一つ一つのそばに行くと、自分がその歌い手の場所で全体を聞いているような感じもする。
で、臨場感あふれる、と言いたいところだが、四方から中央に向かって声が放たれるので、それぞれのエコーもあり、現実にはあり得ないシチュエーションだ。

「アートにおいて特権的な鑑賞ポイントは存在するのか」、という問いがメッセージなのだろう。
システィナ礼拝堂の天井画を見る時、私たちはどのポジションに誘われているのだろうか。
「ディティールに近づくこと」と「全体を受けとめること」の間を選択し行き来することの自由によってもたらされるセンセーション。

真ん中のソファに座って聴くと非現実的だ。目をつぶっている人が多い。視覚情報をカットしないと脳が方向性をどう処理していいのか迷うからかもしれない。で、そうやって聴いていると、教会の葬儀ミサで、自分が祭壇前に置かれた棺桶に入って聴いている気分になった。実際は棺桶の中で聴いても四方からは聞えてこないだろうけれど、方向性を失うので、身体感覚が消える。音に刻まれるのはこちらの体で、そのまま「昇天」しそうだ。埋葬されているのかもしれない。墓所を囲んで人々が歌ってくれている。うまくいくと、天使たちの歌声で、それに押されてやはり魂は天上に?
死んでからは聞えないかもしれないから、それなら死の床で聴きたい。安楽死施設にこういうオプションがあればいいのに、とかつまらないことも考える。聴覚情報のコンテンポラリー設計というのはやはりすごい。
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by mariastella | 2018-03-10 00:05 | アート

MoMA in Paris  その2

(これは昨日の続きです)


コンテンポラリー・アートについて前にこの本を紹介した。


それに関連してフランスのインテリ・ブルジョワ・アーティストを揶揄した映画のことも。

もともと、プロの美術評論家は、ある作品に先行する参照元を探し出すという手続きを経る。現代アートについても、ヨーロッパの美術の掲げた「普遍的な美」に対して、アメリカが、そこから情念を廃して「資本主義」の中で「美」をどのようにデザインするかを知的に開拓してきた歴史の中に位置づけようとする。

けれども、今は、もう、情報空間の質も変わったし、写真、ビデオ、アニメ、AIまで、媒体も発信の仕方も変わった。コンセプトを練り上げてメッセージを伝えるための設計アクセスも「万人仕様」になったので、コンセプトなしでも、メッセージなしでも、知的な努力なしでも、「インパクト」だけを誰でもクリエイトできる。

テロの煽動までデザインできてしまう時代だ。

今回のMoMA in Paris ではじめて見た媒体が、イアン・チェンのAIアニメーションだった。火口に住む部族にエコシステムと社会構造を与えて、環境が変わればどうなっていくのかというシミュレーション・ソフトで、一度始まると勝手に展開していく。シャーマンも出てきて、神や宗教の誕生も見える壮大な三部作《エミッサリー(使者)》の第一部が今回上映されていた、といっても、始まりも終わりもない。

こういう「場」に自分が参入できるというわけであろう「ゲームの世界」のただならぬ魅力もはじめて実感できる。

画像はこんなのを見つけたがあの実は不気味な感じはうかがえない。

ヨコハマ・トリエンナーレのことを思い出した。

もうずいぶん行けていない。

なつかしくなって、前に行った時のブログを読んでみた。


そこに、「直島にあって、横トリにはなかったもの、それは、エレガンスである。」という言葉があった。

よほど気に入ったらしく、次のトリエンナーレの記事でもまた引用している。


今、思うのは、「遍在」と「普遍」は違うなあということだ。


エレガンスを知るには、まず、今自分がどこにいるのかを知らなくてはならない。

(続く)


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by mariastella | 2018-03-09 00:05 | アート

FLV(ルイ・ヴィトン財団美術館)のMoMA in Paris

少し春らしくなったブーローニュの森。
斬新な建築のルイ・ヴィトン財団の美術館に初めて行った。
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前?から見るとこんな感じだけれど、横から見ると甲殻の幼虫みたいで、どこかがパタパタ開いて全体の形があっという間に変わってしまうんじゃないかという動きを感じさせるのはユニークだ。
中も明るい。
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現代アートについて考察中なので、アメリカン・ポップアートやインスタレーションなどを見た。

デュシャン以来の現代アートの三要素とは
インパクト、コンセプト、レイヤー
だという小崎哲哉の言葉に従ってながめていく。
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巨大なチューリップ。インパクトもコンセプトも分かりやすい。レイヤーの重ね方は「作りこんでいく」というほどでもない。

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アメリカの国旗の色(フランス国旗も同じ配色だけど)の三色のセロファンで飴を包んで、山のように壁に寄せ集めている。国にはいろいろなことが起こっている。でもそれを一つ一つ手に取ってみていくと、自分の中で文字通り「消化」することもできる、というコンセプトで、自由にもらってもいい。私は青いのを一つとって食べた。

コンセプトを基に、空間を設計するばかりではなく、それを見る人が形を変える偶然性を取り込んで、しかも、単に、「参加」型ではなく、紙を剥がして中身を食べるという五感動員型インパクトだ。
飴の一つ一つが違う人の手に取られて食べられていくということが「世界の見方」「生きられ方」の含意というレイヤーも手が込んでいる。

アメリカのアートがヨーロッパの時間軸を離れて対抗するために生まれた流れの行きつくところでもある。インパクトだけで終わったらあまり意味がないわけで、コンセプトとレイヤーを読み解かなければならないようにできている。
わっと驚かす部分だけに注目すると、単純なお遊びに見えるけれど、実は考え抜かれたものなので、その反動としてわかりやすく情動に訴えるアール・ブリュットとかサブカルアートがコンセプチュアルアートに並行して生まれたわけだ。

実際、驚かされ、コンセプトを探り、レイヤーを読み解くだけでは、知的には面白くても、それがどうした、ということが多い。デュシャンは「網膜を対象にしたアートではだめだ」と言ったそうだ。だからと言って「便器」で驚かすより、もっとアフォーダンスとかで工夫してほしい。

そういえば、「13世紀のモスクの尖塔(ミナレ)」と称される「アルミの巨大な鉛筆」というのが転がされていたのも記憶に残った。こういうの。
このご時勢にこんなネーミングで挑発的ではないのか、と一瞬どきりとした。それが「インパクト」なのかもしれないが、コンセプトとレイヤーは見えてこない。

(続く)

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by mariastella | 2018-03-08 00:05 | アート



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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