L'art de croire             竹下節子ブログ

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文書の場所が分からなくて焦った話

日記 その10

2/20

延々と書いたはずの文がPCの中で見つからない。内容ははっきり覚えているが、何のために書いたのかも覚えていない。雑誌の連載記事ではないようだ。今まとめている本のテーマに通じるのだから、挿入したいと思うのだけれど、どこにあるか分からない。

ブログ記事をストックしてあるところも見てみた。

毎日いろいろな情報が増えるばかりなので、アアウトプットすることで外部メモリーに保存、と思って毎日ブログを更新してきたが、その量も多くなりすぎて、もう、自分でもいつ何をどこに書いたのか混乱してきた。

結局、検索機能を使ってやっと見つけて挿入できた。

次著から抜けるところだった。

ついこの間のように思えるワープロで執筆していた頃と比べて、いろいろと、便利なのか不便なのか分からない。

今の作業は、編集と読み直しだ。まるで自分が、大学の先生かなんかであまり文章がこなれていなくて論文しか書いていないような人がはじめて一般書を出すというのでわかりやすいようにリライトしている覆面ライターのような気分だ。

でも、分かりにくい部分も当然ながら自分ではよく分かっているので、リライトは難しくない。それに自由裁量がいくらでも許されているわけだから楽と言えば楽だ。

ショックなのは、今のwordは、変換が時々、私のクリックしたものとは別に出てくることで、こちらはちゃんと変換したつもりなのに後でプリントアウトを読み返すと、もとがなんであったか分からないものがある。入力ミスをした場合もあるだろう。かな入力でも基本ブラインドなのでいちいち画面を確認することがない。かな入力だから、母音か子音のキーのエラーではない。たまに、文脈を考えながらいくら想像しても元の言葉が分からないことがある。地の文なら前後も変えて書き直せるけれど、引用文であるときは困る。その一つはテルトゥリアヌスの言葉だった。フランス語からの訳だったので、それらしいサイトをいろいろ検索してみたが出てこない。あきらめた。

思えば、いわゆるワープロで仕事していた時は、PCで調べ物をしてもそれをそのまま覚書としてワープロにコピーすることはなかったし、目次立て、章立てをした後は、大体、頭の中にすでにある流れにそって書いていた。今は、なんでも、思いついた部分から書き始めて、最後には、どこに何を書いたのか覚えていないような状況になるのだ。

資料も、PCから国立図書館や大学刊行物に入り放題だし、最後には何をどこから採ったかのか混乱してしまう。自分の書いた本の一字一句を想起できていた頃がなつかしい。

自分の著書はさすがにすべて手元にあるけれどデジタルデータはすべて持ってるわけではない。フロッピーディスクの山にはもう何年も触っていない。
すべてをデジタル化して簡単に検索できるようにしたいし、私の本を読んでくれる人にもデジタル版も手に入れて検索して利用してほしいと思う。そんなときにはデジタル版には私が使った元の論文などにリンクできるようになっていればいいのに。と、利用者の目線で思ったりする。


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by mariastella | 2018-02-28 00:05 | 雑感

フランスと日本が一緒でアメリカは違うもの

フランスに長九住む日本人として、アメリカよりもフランスのシェアの方が大きい部門が日本にあるとなんだか嬉しくなる。

生活に密着している者では、たとえば、メートル法に摂氏の温度。

メートル法なんて、完全にフランス革命の産物みたいなものだし、1867年のパリ万博に日本が招待されたことも大きいのかなあ。
英語っぽい「メーター」と表記せずにカタカナも「メートル」とフランス語っぽくなっている。

アングロサクソン国はずっとヤード・ポンド法だったけれど、今ではヤード・ポンドにこだわるのはアメリカくらいだろう。

摂氏温度表示も華氏よりグローバルだ。

私は日本人がアメリカに住んだら、ヤード・ポンド法と華氏で、生活感覚が少し狂うかも、などと思ってしまう。

フランスは時間の数え方を除けば全部10進法で本当に楽だ。(時間も10進法にしようとしたが根付かなかったらしい)

少しとまどうのは、嵐などの時のニュースや天気予報での「風速」表示だ。

日本では風速40mなどと秒速なのに、なぜかフランスは風速144kmなどと時速を使う。

はじめはぴんとこずに、イメージをつかむためにいちいち秒速に脳内変換していた。

1秒で40mというとピューっという風が具体的にイメージされるからいいと思うけれど、時速144kmというと、自動車や列車の速度でイメージするわけだ。それはそれで実感は分かる。

でも日本人だからなんとなく秒速にも変換してみたい。

でも、その時に、時間だけが60進法だから、せっかくのメートル法なのに、暗算に手間取ったりするのが皮肉だ。

それでも、なんでもかんでもアメリカ追随の日本が、戦後にヤード・ポンド法や華氏に変えさせられてアメリカナイズしていなくてよかった、と時々思う。

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by mariastella | 2018-02-27 00:05 | 雑感

『Apparition(聖母)ご出現』グザヴィエ・ジャノリ/ヴァンサン・ランドンの

グザヴィエ・ジャノリとのヴァンサン・ランドンの『Apparition聖母ご出現』


ヴァティカンにはじめてやって来たジャーナリストに


「教会は、いつも、偽のご出現を認定してしまうよりは、真のご出現をスルーする方を好むのです」


と説明する聖職者。


文書庫には、これまでボツになった無数のご出現、奇跡、超自然現象についての調査記録のファイルが並ぶ。

2年前と1年前にフランスで聖母のご出現を見たというアンナは今は18歳の見習い修道女で、普段は修道院で羽根布団の製造を手伝っている。舞い上がる夥しい量の羽毛が天使の羽根のようでもあり、雪のようでもあり、作業中にアンナが倒れる時に噴きあがる「運命」みたいなものにも見える。


アンナの信用度や精神状態について執拗な調査がなされる。

教会当局は基本的に安易な奇跡が嫌いなのだ。

イエス・キリストがこの世で起こした奇跡や復活以外に、「信じる」ための奇跡を必要としてはならない。


フランス南東部のご出現の場所には、すでに巡礼グループがブラジルなどからも押しかけている。シーツに血のシミのついた妙な「物証」みたいなものも掲げられている。アンナが出席するミサでは人々が彼女に触れたがる。

ご出現の場所における経済効果に関心を持つ者もいるし、アメリカからやってきてインターネットを通してアンナをブランドにしようと企てる男もいる。

160年前のルルドの洞窟での聖母ご出現に立ち会ったベルナデットの身に起こったことと同じ。それを現代に置き換えている感じなのだけれど、別に160年前だから人々が簡単に信じたわけではない。むしろ、社会全体に「無関心」が多い今よりも当時の方が反教権的な雰囲気は強かったし、教育も受けていない貧しい少女ベルナデットに向けられる軽侮や不信も今よりも激しかった。


私はこのルルドについてもう20年以上前だけれど『奇跡の泉ルルドへ』という本を出した。


章立てが巡礼、聖母出現、聖女出現、聖地出現、奇跡出現、と続く。

普段は、自分の本の検索など絶対にしないのだけれど、今この本を検索してみたらコメントに引かれた私の言葉があって、なんだか、その思いは全然変わっていないなあ、と思った。

そして、聖母や聖女や聖地や奇跡の出現が望まれ、生み出されていく過程の人間的なメカニズムも永遠に変わらないなあと思う。


で、聖母ご出現の調査についての優れたドキュメンタリーといえるほど充実したこの映画を今さら見ても、私にはあまり意味がないのではとも思ったが、意外にも、すばらしくおもしろかった。

百件以上のご出現調査の記録をもとにしたというこの映画をすぐれて今日的にしているのは、「信仰」や「宗教」そのものに懐疑的なジャーナリスト役を社会派の名優ヴァンサン・ランドンが演じているところだ。


彼の演じるジャックは、優秀な戦場ジャーナリストだったが、15年コンビを組んできたカメラマンの殉職にショックを受けてフランスに戻ってきて引きこもっている。そこにヴァティカンから電話があり、話を聞きに来てくれと言われ、アンナの審査に加わることを引き受ける。

ヴァティカンで参考文献として読むようにと手渡される本が、私の持っている本ばかりだった。奇跡礼賛の本ではなくてフェイクはいかにして作られるか、というケース・スタディが中心だ。

ジャックは現地で、神学者や精神科医や司教区から派遣されたエクソシストの神父やらからいろいろなレクチャーを受け、独特な用語の飛び交う彼らの話を聞くのだが、ヴァンサン・ランドンは、その「目」、「視線」だけで、ジャックの懐疑や違和感、それが変化していくのを見事に表現している。

ご出現を見たという少女アンナは、模範的で落ち着いていればいるほど、何か怖い。純粋なのか、下心があるのか、犠牲者なのか、挑発者なのかよく分からないインパクトもすごい。彼らをとりまく人々の造形も素晴らしい。


「信仰は自由で明晰な選択なのです。証拠があるところには神秘はなくなります」とジャックに語る女性精神科医もいい味だ。


ヴァティカンから無認可のまま巡礼地になった場所にやってくる人々の中に、病気なのだろう子供を抱いた父親の姿が見える。

聖母出現と奇跡出現を期待してやってくる人々の姿のインパクトは、実在の巡礼地と同じだ。

「信じていない人」がルルドに行った時、病気の人や病気の人のために祈りに来ている人たちの大群を見ると、不思議なことに、


「こんなの、どうせ治らないのに、こいつら、本気で信じているのか ?


などとは思わない。


そもそも、「信じていない人」が聖地に足を踏み入れた時点で、「聖地に呼ばれた」不思議が働くかのようだ。

「人間って悲しい、でも、人間ってすごい」

という感慨にとらわれる。


この映画は、終始、合理主義者であるジャーナリストの目を通して描かれているわけだが、巡礼地にいる間に起こる彼の心の揺れに同調できる。

監督のグザヴィエ・ジャノリは、これまでにも、

『A l’origine』で嘘から本物の活動家になってしまう詐欺師(フランソワ・クリュゼ)や、

『偉大なるマルグリット』で音痴なのに立派な歌手だと思い込む貴婦人(カトリーヌ・フロ)などを通して、虚実をめぐる人間性の不思議を描いてきた人だ。


文学部にいた頃はユイスマンス(自然主義から印象主義へオカルティズムからミスティックなカトリックに転向した小説家)に夢中だったというから、この映画を作った時のテーマへの向かい方も想像できる。

聖地がらみ、奇跡がらみ、聖人伝がらみの映画は、ただただ精神的なもの霊性を喚起するか、あるいは、無神論、合理主義の側から揶揄するか、ひたすら別世界のお話として提供するか、というのがほとんどだけれど、この映画のスタンスはまるでサスペンス映画のように「真実」を探っていく。


主人公ジャック自身のシリアでのトラウマへと回帰していく偶然、シンクロニシティもあって、ご出現の真偽調査とは別の次元での「徴し」を、「意味」を、見出していく過程も、言葉ではあまり説明されないのに説得力がある。


でも、それだけだったら、変な話、私でもシナリオが書けそうだと思うのだけど、実は、それらすべてとは別に、「もう一つの物語」が織り込まれている。

アンナの運命について意外な展開の後、さらに、衝撃の結末があるのだ。


この映画はシリアで始まり、シリアで終わる。


シリアの難民キャンプで夫と赤ん坊と共に救援活動に従事するメリエムは、教会の教義やら奇跡調査の中で不安定になっていく旧友のアンナとは遠く離れたところで、人の命の尊厳に寄り添って生きている。

ジャックがメリエムの夫に見せるために持って行ったものは、ヨルダンとの国境に近い荒野にある修道院にあったカザンのイコンの複製で、そに描かれた聖母(ロシア正教では生神女)の両眼は弾丸に打ち抜かれて闇の穴のようだ。

この映画が日本で公開されることがあるかどうかは分からない。

でも、この映画の「ネタバレ」を含んだコメントはしたくない。

それが「ネタ」であるとともに、そこからまたすべてが別の様相で見えてきて、それは「全体」と深くかかわっているし、人間とか宗教とかのあり方も深く考えさせてくれるからだ。

オリジナルの音楽の宗教的ではない感じも対照的ないい効果を出しているのだけれど、ここぞという時にすごい迫力で流れるバッハの無伴奏チェロ組曲のプレリュードには、やはりこれしかないなあ、と思わせる。モンドンヴィルの曲の使い方もフランス映画だと感じた。


数ある「奇跡」映画の中で、歴史に残る作品となるだろう。


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by mariastella | 2018-02-26 00:05 | 映画

故障を治すということ

日記 その9


2/17

いつもの通りベッドの中で目覚ましラジオを聞いていたら、メダル候補だったフランスのスキー選手が予選落ちしたことがニュースになっていたので、そういえば、フィギュアの羽生選手、どうなったかなと思って聞いていたが、まったく語られない。オリンピックになると、国による報道の違いがよく分かる。

で、ネットを検索したら、金メダルを取ったことが分かり、ネットの動画で演技もちゃんと見ることができた。

先日、この「Seimei」について野村萬斎との対談のことを書いたけれど、少なくとも、能舞台の跳躍では、どんなに素晴らしいものでも、まず、転倒とか怪我の心配はないなあとあらためて思う。

フィギュアスケートはバレエの要素も大きく、力と力のぶつかり合いではないので見るのは好きだけれど、ジャンプがどんどんエスカレートして一流選手でも転倒はもちろん、ひどい怪我をするリスクがある。


バレエでも男性ダンサーの回転とかジャンプはハードで、脚を痛めることはありそうだけれど、氷上のスピードと高さによるほどのリスクはないだろう。

足の故障と言えば、私事で思い出すのは、1999年の夏に日本で本を読みながら上がったメトロの階段を踏み外して足首をひねったことだ。人と会う仕事などがいろいろあったので、腫れが引いた後は、脚を引きずらないで無理して歩いていた。

ある角度での痛みはとれず、フランスに帰ってからやっと医者に行くと、もう固まっているからどうにもできない、などと言われた。

普通の生活はできたので、もし私に「踊る」という生活がなければ、そのまま、「昔、足を痛めたのでうまく走ることはできないおばさん」になっていたかもしれないけれど、バレエのステップが踏めないのは重大だったので、スポーツ医療の専門クリニックに行き、徹底的にリハビリに通うことになった。


まあもともとのレベルが素人のダンスだから、結局、完全に治すことができた。

五十肩の拘縮の後遺症が今でも左腕にあって、右よりもやや可動域が狭いことに比べると、さすがに、足はごまかしがきかないので、最後までリハビリを続けたからだろう。

その11年後に自宅の階段で滑って肩を強打した後でこじらせた。

それ以来、ひたすら転倒が怖くて、どこでも階段では手すりを持つし、バレエでも連続回転は目が回ってバランスを崩す前にやめている。

若い頃に踊っていた時よりも目が回るのが早い。もちろん目が回らないように視線の動きのコツがあるのだけれど、フィギュアスケートの高速スピンを見ていると、人間業とは思えない。検索したら訓練効果で回転も日常動作と同じと認識されて脳が刺激をブロックするのだそうだ。

すごいなあ。


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by mariastella | 2018-02-25 00:05 | 雑感

カトリック大司教と赤旗

日記 その8

2/16

サイトの掲示板で、高見長崎大司教が「しんぶん赤旗」2018/2/7で、憲法九条を改定してはならない、という記事を出されているのを教えてもらった。

早速検索して読む。


高見大司教はフランスのドキュメンタリー番組で、インタビューに流暢なフランス語で答えていたのが印象に残ったと前に書いた。その時の彼の発言にも少し触れたことがある

ちょうど6年前に、岡田東京大司教も赤旗のインタビューに答えていたのを思い出す。

「自戒こめたメッセージ 自然と命守り後世に伝える」というもので、

>>>「いますぐ原発の廃止を~福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして~」日本のカトリック教会が昨年11月に発表した司教団メッセージです。日本にいる3人の大司教の一人、東京大司教の岡田武夫さんに聞きました。2012/2/26<<<とある。

共産党とキリスト教は弱者に寄り添うという一点で共通している。

共産主義政権は、資本主義社会の構造的弱者である「労働者」を「強者」に転換するのを必然としているところが決定的に違う。

日本の社会主義者でソ連のコミンテルンから日本共産党の設立を支援した片山潜はプロテスタントだったけれど、ソ連のボルシェビキが「無神論路線」= 実は神と宗教にとって代わる路線」を採用したので、自分は本当は神を信じていなかった、みたいな弱腰の言葉を残している。でも実は、戦前のキリスト教社会主義者たちは、「御用宗教」としてのキリスト教を擁護していたのではなく、「キリストの教え」に忠実であろうとしたのだった。

日本共産党はその後コミンテルンから離れて独立路線をとったのだから、もう少しイデオロギー色を消して、それこそ、もとの、搾取されている人々を解放する、という方向に、現在の肥大した金融資本主義などの中での労働者の救済ということと、必ず真っ先に弱者が犠牲になる戦争や環境破壊に絶対反対するということに特化すれば、今のカトリックの目指すところと変わらないのは事実だ。

でも、旧ソ連の全体主義と袂を分かった自由諸国内の共産党が次々とそのブランドを捨てていくのに対して、日本の共産党だけはあいかわらず「赤旗」という革命旗を掲げているから、フランスのTVニュースでも取り上げられたくらいだ。

その「赤旗」ブランド死守が生存戦略の一つだというのも、旧社会党の末路と比べると分からないでもないけれど。

で、カトリックというのは、フランスでも二つに分かれている。

ブルジョワ階級のお仲間アイデンティティと、現ローマ法王のフランシスコ教皇と同調して、形や伝統よりも慈しみの実践と偽善の告発に熱心なグループに分かれる。

カトリックが超マイノリティーな日本でさえそんな雰囲気があるのは不思議だが「欧米のイメージ」、「ミッションスクールのお嬢様カルチャー」などのお仲間アイデンティティがフランスとは違う意味で存在していて、「大司教様が赤旗に応えるなんてあり得ない」「聖職者が反体制的な政治運動や発言をするなんてとんでもない」という反応も必ず出てくるようだ。

プロテスタントの方が、もともと個人的に社会主義運動にコミットメントするハードルが低い。

今は「神、金、革命」という次著をまとめている最中なので、いろいろな歴史的、地政学的文脈が頭に浮かぶが、日本でも、超宗派的な日本宗教者平和協議会があって合意事項を明白にしている。どんな宗教でも、人間の死生観に関わるのだから、行きつくところは同じだというのはもっともだ。

合意事項は、今、検索したら、

信教の自由政教分離の確立」、

核兵器の完全禁止と廃絶」、

「(自衛隊及び在日米軍)軍事基地の撤去と軍事条約(日米同盟)の撤廃」、

日本国憲法の擁護と平和・民主条項の実現」、

人権の擁護と民主主義の発展」、

「環境の保全と回復」、「宗教者の国際連帯の強化」(平和五原則

だそうで、宗教が正論に行きつくとこうなるんだなあ、と思う。


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by mariastella | 2018-02-24 00:05 | 宗教

釈尊涅槃会と四旬節

日記 その7

2/15


今日は釈尊涅槃会だそうだ。曹洞宗ではその前に『遺教経』を読誦し、釈尊の御遺徳を偲ぶと禅僧のブログにあった。

戒を守ることで心の安定を得られれば解脱につながるという。 


 >>>若し人、能く浄戒を持てば、是れ則ち能く善法有り。若し浄戒無ければ、諸善の功徳、皆な生ずることを得ず。是を以て当に知るべし、戒は第一安穏功徳の所住処たることを。
『仏垂般涅槃略説教誡経』、『大正蔵』巻121110

という引用があった。

カトリックでも四旬節が始まったところで、復活祭に向けて、昔はラマダンのように本格的に断食するとか、肉を食べないとか、善行や苦行をするというのがあった。


「食べない」というのも本来は、いわゆる精進潔斎の他に、「食べない分を貧しい人に施す」という意味なので善行を積むのと同じだ。


でも、「善行」は、「戒」のような形にしないとなかなか果たせない。


「体にいいこと」でもよほど意志が強くないと続かないのと同じかもしれない。

戒を護ると諸善の功徳を生ずる、ともある。その善行がまた心の安定をもたらすのだ。

「心の安定」「禅定」「解脱」。


80歳で静かに涅槃に入ったお釈迦様の説得力ある言葉。


それに比べてキリスト教のキリストは若くして最悪の苦痛を与えられて殺されたし、自分でも血の涙を流して苦しんだ。

まあ、その後で復活したからこそキリスト教が生まれたのだけれど、復活祭の前はそのキリストの苦しみをみんなで追体験しなさい、みたいな雰囲気だ。


もともと苦しいとか痛いとかの状況にあって、「心の安定なんてとても無理」などという人にはこちらの方が救いがあるのかなあ。


いや、「心頭滅却すれば火もまた涼し」で、禅定に入ると天国や極楽に行けなくても苦しみなどなくなって救われる?

「心の安定」なんてこの世では無理かも。


この世で得られるのはいわゆる「動的平衡」で、人生はいつも、綱渡り?


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by mariastella | 2018-02-23 00:05 | 宗教

「ドン・ホセ症候群」

日記  その6


2/14


今日はバレンタインデーで、フランスでは女の子が男の子にチョコレートを贈る日じゃなく、カップルの男が女に赤いバラを贈る日だ。

後は男が女をディナーに誘う。

この日だけはフェミニズムはお休み、とも揶揄される。

でも今夜は人気のサッカーの試合がある日なので、男たちはTVを見たくてディナーに出かけたくないのがジレンマ、というのが話題。


最近は香水もどうぞ、などのコマーシャルもあるが、基本的にチョコレートは、クリスマスと今年は4/1にあたる復活祭というピークの合間の「冬の時代」だ。(おまけにバレンタインデーは今年は四旬節の最初にあたる灰の水曜日で昔なら断食日だった)

先日「ドン・ホセ症候群」という言葉を初めて聞いた。


カルメンのドン・ホセだ。


日本語で検索したら出てこなかった。フランス限定?

カルメンはスペインが舞台だけれどフランス語原作で、世界で一番演じられているというオペラの『カルメン』もフランス・オペラだし。


「ドン・ホセ症候群」とは、要するに、振られた男が女に「僕らはあんなに愛し合っていたんだから今も愛し合っているはずだ」と言って、心変わりを認めないというやつだそうだ。


過去は変えられないけれど現在も未来も流動的なのに。

それどころか、過去にだって実は愛されていなかったのに、勝手に愛されていた、と一方的に思い込んで心変わりを責める男だっている。


「愛の幻想か、さもなくば、死か」というやつで、脳内過去を美化して「永遠」に刻印しようとする。


前にブログで書いたけれど、最近はカルメンがホセを殺すという新演出もある。


「愛の幻想か、さもなくば、死か」の解決という点では同じだ。

「愛の幻想」は絶対に「死」に勝てない。

そして、「死」に勝てるのは、幻想ではない「愛」だけだ。


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by mariastella | 2018-02-22 00:05 | 雑感

大逆事件、ボンヘッファー

日記 その5


2/13 内山愚童についての論文を読みかえしている。


その中で、高邁な殉教者である愚童と同時に大逆事件で死刑判決(無期懲役に減刑)を受けた臨済宗妙心寺派僧侶の峰尾節堂という人の獄中手記「我懺悔の一節  わが大逆罪事件観」を読んで悲しくなった。

25歳の若輩で、社会主義に本気で共鳴したのではなかったにせよ、もう捕まったのだし、どうせ助からないなら少しは「立派なこと」を言ってもいいと思うのに、仏教的なものは何もなく、卑屈そのものだ。


「次に私自身のことですが、これは又今迄の諸君と異って、家に資産も無ければ、 自身に學問・地位の有るでもなし、最も眞面目に正直に而も謹慎に日常を送らねば ならぬ筈の處、御愧しいが一番不眞面目であった。當時は、私は或る賣女に戀慕して本心を失ひ、有らう事か母の貯金の二百圓ばかりの金を盗み出して、日夜其の女の許へ其の歡心買ふべく湯水三昧の放蕩最中でした。初めから社會主義なるものを眞理と信じてゐた譯でもなければ、又そんな主義とか何とかの公共的事業に携はるべき資格は無論自身には無いと自覺してゐながら、唯只地〔知〕名一部の名望家、即ち多少社會的地位の有る大石と云ふ紳士と交際してゐるといふ事が自己の誇りと やらに思ふて同氏の家に出入りしてゐたのだから、殊に自分は今申上ぐる通りに賣女に迷ふて堕落してゐた當時だから、何んの幸徳氏が眼中に在らんや。」

判決を受けて8年後の大正8(1919)年3月6日、監獄で流感に罹り、34歳で病死したという。

僧籍を剥奪されていたのが平成8年3月25日、節堂が住職であった真如寺の住職と責任役員から「赦免、復階及び復権請願書」が提出されたのを承けて、臨済宗妙心寺派は同年9月28日、節堂の復階と復権を認め、「復階及び復権之証」を公示したそうだ。


さすがに愚道や、真宗大谷派の髙木顕明のように顕彰碑こそ立てられていないけれど、こういう妙な正直さにはなんと反応していいか分からない。

幸徳秋水なんて興味がない、と言うのも、保身のためというより、ほんとにこういう小人だったのろうと思わせる。


ナチス追随の教会を否定して殺されたドイツのルター派の牧師ボンヘッファーや、軍部に追随する本山に耐えられず社会主義に身を投じて処刑された内山愚童らのほんものさ加減、というものが際立つくらいの効果はある。


そういえばこの論文(眞田芳憲『大逆事件と禅僧内山愚童の「仏教社会主義」とその行動の軌跡禅僧愚童の抵抗の宗教的倫理と責任』中央学術研究所紀要 第45号)には、ボンヘッファーの有名な言葉も引用されている。

「彼が捕らえられて獄中にあったある日、日課の散歩の折に、あるイタリア人か ら、『なぜあなたは、キリスト者であり、牧師でありながら、このような陰謀に加担 することができたのですか』と聞かれて、『もし誰かがクールフュルステンダムの通 りで自動車を駆って歩道に乗り上げたとしたら、私は牧師として、その暴走の犠牲 になった死者を葬り、その身内の人たちを慰めることができるだけではすまされま せん。もし私がその場に居あわせたならば、私はその自動車に飛び乗って、その人 間から自動車のハンドルを奪わなければならないのです』と答えたという。」

これは、思想と行動の関係を考える人にとって永遠の課題だ。

あまりにも気に入ったので、本の中にも引用することにした。


ボンヘッファーは、政治的にだけではなく、キリスト教という普遍主義の中で神学者としても「殉教者」としても広く認められている。

それに比べたら、愚童はいくら宗派内で復権されて顕彰されているといっても、住職だった箱根の曹洞宗林泉寺よりも遠くには、なかなか光が届かない。

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by mariastella | 2018-02-21 00:05 | 雑感

オリンピックとナショナリズム

日記 その4

2/12


日本のネットニュースを見ていたら、日本の女性選手が五輪のジャンプで銅メダルを取ったというのがあったのでなんとなく開いたら、

「9日には開会式に出席。日の丸を背負う戦友たちとパワーを交換した。」

と書いてあったので驚いた。

見ると、sanspoというところのリンクで、産経新聞発行のスポーツ新聞だからこんな感じなのかなあ、それとも、オリンピック・ナショナリズムに戦争のレトリックを使うのってよくあることなのかなあ、と思った。

日本で、例えば憲法九条を守ろうという護憲運動や選挙などで、もう「本土」では「闘争本部」という言葉を共産党以外は使わないのだという話を読んだことがある。

「闘争」というのは、もう前世紀、というか、昭和の「全学連」とか「全共闘」の用語で、内ゲバなどに使われて自滅した「古い左翼」のネガティヴな言葉で、そういうのはとっくに「脱構築」されて相対化されたのだという。

オリンピック委員会の会長のトーマス・バッハさんは北朝鮮のオリンピック委員会から招待されたそうで、受けるかどうか検討しているという。

東西統一を経験したドイツ人だから、南北朝鮮の統一に対して思い入れがあるかのかもしれない。


少なくとも、こういう人が北朝鮮に行っている間はアメリカが先制攻撃など仕掛けないだろうから、いろいろな要人が北朝鮮に行くといいのに、などと思ってしまう。


国別の「闘争」心は競技で解消して、オリンピックそのものがほんとうに平和外交の契機になるといいのだけれど。


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by mariastella | 2018-02-20 00:05 | 雑感

羽生選手と野村萬斎

日記 その3


2/11

日本のネットニュースを見ていたら、やはりオリンピックで、フィギュア―の羽生選手が到着したというのが出てきて、それに関連してこういうのが出てきた。


野村萬斎との対談。


すごくためになる。

いやあ、競技というより、すべての舞台人が聞くべきだ。


野村萬斎の狂言はもうずいぶん前に国立能楽堂で見たことがある。


その時も活き活きしたパワーを感じたけれど、本物なんだなあ、と思う。


カリスマ性が突出した舞台人で古典芸能の名手なのに守備範囲が広くいつも新ジャンルにも挑戦していることで、なんとなく坂東玉三郎に重なるイメージがあったのだけれど、このインタビューの話し方を聞いて、全然別のカリスマ性を感じた。


若く見えるし童顔だから舞台の外では玉三郎のようにソフトな感じを想像していたので、その凝縮度、強度に驚いた。

しかも、萬斎のカリスマって、「幸せ」なカリスマだ。


それに比べると、玉三郎の方は、舞台の外でソフトに軽やかに話していても、ただならない深刻な何かがどこかに、静かに、ずんと宿っているとあらためて思う。




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by mariastella | 2018-02-19 00:05 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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