L'art de croire             竹下節子ブログ

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ワールドカップのロシア大会

6/21の夏至の日に行われたロシアのサッカー・ワールドカップでのフランスとペルー戦について、スタジアムの大半が赤い色のペルーのサポーターで埋め尽くされていたのに、フランスのサポーターはちらほらにしか見えないことについていろいろ解説されていた。フランス・チームはペルーの国歌斉唱の時も圧倒されていたという。

ロシアに行って滞在するのは費用が掛かるからフランス人はあまり行かないのだそうだ。


で、ワールドカップに外国から来る人たちのうちで一番多いのは、なんと、自国のチームが予選落ちしていて出ていないアメリカ人なのだそうだ。

アメリカと言えばベースボールにバスケットボールにアメリカンフットボールだから、サッカーのレベルが今一つだというのは理解できるけれど、競技としてのワールドカップを楽しみたい人は多いらしい。そして、やはり、金があるんだろうなと思う。

ドイツ人も多い。前回優勝の強豪国で金もありロシアにも比較的近いから分かる。


でもペルーなどの中南米の国からそんなに大挙して押しかけることができるのはなぜだろう。一体だれが金を出しているのだろう。それとも4年に一度の大会のために必死で積み立てているのだろうか。

距離的に言っても、フランスやドイツやイングランドなどからロシアに行くよりもずっと大変なのに。

今回初めて全試合が無料テレビで放映されるというイタリアは、皮肉なことに欧州予選落ちしているからみんなで盛り上がって観戦というのはなくて、カフェなどのテレビ観戦している人は肩身が狭いこともあるそうだ。

欧米から経済制裁されているロシアで存在感を増す中国企業の漢字広告がスタジアムで映る中国も出場していない。

ワールドカップを本当に支えているのは愛国心とは別の次元の「金の論理」で、「愛国心」はマーケティングの一つのアイテムということなのだろう。

それにしても、ナイジェリアやセネガルなど、経済難民がたくさん出るようなアフリカの国と、難民に厳しいポーランドのような国や、サウジアラビアとイランなど、普通なら絶対に「対等に向かい合う」などと言うことはあり得ないような国々が出会い、サポーターが国旗を振っているシーンはなんだか非現実的だ。

オリンピックでも国別のメダル争いなどが話題になるけれど、サッカーのワールドカップというのはなんだかもろに「世界大戦」であるかのような愛国ワードがとびかうので、フィクションみたいだ。


そういえば、日本で韓国ヘイトの言説が堂々と目に見えるきっかけになったのが2002年の日韓共催ワールドカップ以来だという話を最近読んだことがある。フィクションもヘイトの種になるのだ。


フランスのナショナルチームは相変わらず黒人選手が活躍して彼らの姿がメディアによく出るのはよかったなあと思う。

2015年のパリのテロで実行犯の逃走劇があった時は、黒人テロリストの兄弟の顔写真がずっとTV画面にアップされっぱなしで、同名の人や黒人は肩身が狭かったと思うからだ。

(私はこういうテロや犯罪の時に画面にアップされ続けるのがもし東洋人の顔だったら、しかも自分と同じ姓だったら、などと想像してしまうタイプなのだ。しかも、マジョリティの白人系フランス人たちからは、知り合いでもない「黒人の顔」とか「東洋人の顔」は、「個人」でなく「カテゴリー」に見えてしまうからなおさらだ。)


今は一番露出度の高い黒人の姿がサッカーのスター選手たちだからイメージアップでほっとする。それに、フランス・チームが勝ち進むといつものことながら、町の機嫌がよくなってリラックスするのはいい。


20年前に自国で優勝したワールドカップを回顧する特集があちこちで見られる。

当時のキャプテンが今の監督で、当時のスター選手もレアル・マドリードの監督としてチャンピォンズ・リーグ三連勝の記録を達成したばかりだから、「栄光の過去」は存在感を増しているのだ。


それでも、20年前とは決定的に、何かが、変わった。


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by mariastella | 2018-06-30 00:05 | 雑感

ルルドで「診療してはいけない」お医者さん その2

(これは前の記事の続きです)

アレッサンドロさんはマルタ騎士団のメンバーでもあり熱心なカトリックだが、ルルドの「治癒報告」に対する科学的な判断の客観性は揺るがない。


「説明不可能な治癒」の基準は非常に複雑で、ハードルが高い。


例えば、この5月にはアメリカ人女性による癌の突然治癒の報告文書が届いた。

ちょうど、シカゴの腫瘍学専門の医師が訪れていた。

ルルドの国際医学協会のメンバーの1人で、彼らは毎年会員更新する。

カトリック以外の医師も含めて73ヶ国の11千人のメンバーが登録していて、専門と必要に応じてデータを確認したり新しい検査をしたり、「説明不可能な治癒」を司教に申告する最終投票に参加したりする。


アレッサンドロさんは、この英語の案件を腫瘍医に渡した。

次の日、腫瘍医は、その癌の自然治癒は極端に少ない例ではあるが不可能ではなく医学的に説明可能である、と答えた。「奇跡の治癒候補」から直ちに外されたのだ。

1858年の聖母御出現以来、たったの70件しか「奇跡認定」されていないが、こうしてはやばやと「はねられる」申請の他に、「説明できない」としたまま保管されている案件は1883年以来、実に7000も保存されている。

「説明不可能」なうえに「奇跡」という名を冠されるには、治癒を得た人のその後が信仰の模範となるかどうか、福音的効果に左右されるものだから、治癒を受けた後ボランティア活動に専心したりもともとシスターや司祭などの場合が「無難」だと思われるかもしれない。

70件の公式「奇跡」認定を受けた人のうち、10人が修道女、3人は後に修道女になり、修道士1人、司祭1人だそうだ。

こういう人たちは信仰の点でも、周囲の人による祈りのサポート点でも、ルルドに関与する可能性の点でも最初からプラスのバイアスがかかっていることを思うと、奇跡の治癒むしろ少ないくらいだといえる。

国籍別にいうと、フランス人45%、イタリア人30%、アメリカ人10%、その他15%だ。

地理的にいっても、実際に訪れる病人の巡礼者の割合からいっても妥当な数字だそうだ。


実状として英仏伊の3ヶ国語が医学検証事務所の公用語化しているのだから、この3ヶ国語で記された医学証明書が審査されやすいのも理解できる。

実際私は説明できない突然の治癒をルルドで得たという日本人の話を詳しく聞いたことがあるが、その方もわざわざ診断の書類など出していない。

変な仮定だがもし私がそういう治癒を体験しても、申請、報告などしないだろう。自主報告でなくビフォーとアフターの詳しい診断を出し、その後の経過も詳しくチェックされ、ルルド医学協会のメンバーからの問診や再検査を受ける、などというモティヴェーションはない(当事者ノンフィクションを書きたいという色気は出てくるかもしれないけれど)。

で、アレッサンドロさんの「奇跡の治癒」候補の審査というのは、毎日のように届けられる報告書、申請書のチェックだけではなく、保管庫にひしめいている7000件の報告に時々目を通して、「有望」だと思われるものを取り出して、「その後」の経過を調べるためにコンタクトすることになる。

アレッサンドロさんが着任3年後にはじめて奇跡認定された68件目の「奇跡の治癒」を得たシスター・ルイジナ・トラヴェルソさんは83歳だが今も元気で毎年ボランティアとしてルルドを訪れる。

彼女は何度も手術を繰り返してもよくならない坐骨神経髄膜瘤で背骨が完全に麻痺して196531歳の時ルルドに着いた時には担架で列車の窓から降ろされた。

帰りは自分で歩けるようになり、付き添いの司祭は歓喜の涙を流した。

ルルドの医学事務所は1984年にはじめて彼女にコンタクトしたが、それきりになった。2009年に着任したアレッサンドロさんは、この件に注目し、もう一度検査するように頼んだ。X線撮影による彼女の背骨は変形したままで、今でもまともに立てるはずもない所見だった。機能だけが回復したのは「説明不可能」というほかはなかった。

それでも、今、ルルドへの巡礼者は激減している。


私が『奇跡の泉ルルドへ』を出版した20世紀末には世界一の巡礼者数と言われるマリア御出現の聖地だったが、今は半減している。

21世紀初頭に日本の大学生に付き添って訪れた時のことは『聖女の条件』に書いたが、今はテロ対策のセキュリティ・チェックもあり、洪水の影響もあり、多くのホテルも閉鎖されたという。


皮肉なことに、今は、「医学のお墨付き」のインパクトすら必要とされていない時代なのだろう。

プロテスタントの福音派は派手な演出で「その場の治癒」を喧伝するし、「治癒付き」新宗教もたくさんあるし、何よりも、「治ればいい」というプラグマティズムが支配するからだ。昔の「蒙昧」への先祖返りではなく、マーケッティングとコスト・パフォーマンスの追求だ。メディアの消費者はフェイク・ニュースにも慣れ始めている。

ルルドでの「厳密」な医学検証の方が完全に時代遅れで非効率でペイしない。

アレッサンドロさんは予算の削減により一人しかいなくなったアシスタントと一緒に5ヶ国語で会報を発行している。治癒報告書のデジタル化も進めた。


時代とともに病も変わった。

以前の「奇跡」は動けなかった人が動けるといった機能回復が中心だったが、今のルルドには心を病んでやってくる人が多い。

鬱病の突然の治癒を「説明不可能」と証明するのは難しい。

でも、「生きるのが困難になる」という点では、心の病は体の病と同じように深刻だ。


ルルドは今でも多くの人が癒されているのは間違いがない。

ルルドでは、私も、健康な学生たちも、病んでもいないのに癒された。


利益追求社会の中で「恵み」の無償性を掲げ続ける場所と人の存在を知るだけでも意味がある。

71件目の奇跡の治癒認定も間近という噂のある今、アレッサンドロさんにはまだまだがんばってほしい。


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by mariastella | 2018-06-29 00:05 | 宗教

ルルドで「診療してはいけない」お医者さん その1

「ルルドの水」で有名な世界的な巡礼地ルルドにある医学検証事務所に、突然のアレルギー発祥で駆け込んだアメリカ人女性ツーリストの前にいたのは、一部の隙もないエレガントなスーツ姿の医師アレッサンドロ・フランシシスだった。


「申し訳ないです。私は医者ですが、診察はできないのです。契約書に書いてあります。私は役に立たない医者です。治った患者しか受け付けないのです。」


というのが彼の対応だった。


LOBS/n.2797》の載った『奇跡ドクター』という記事の冒頭だ。(下の写真もL'OBSの同記事より)

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LOBS》というリベラル雑誌にルルドの奇跡の話が載ること自体が意外だったので、どういうトーンなのか知りたくて読んでみた。

ルルドと言えば、1858年に川沿いの洞窟に聖母マリアが「御出現」して、湧き出た泉の水で、たくさんの「奇跡の治癒」が起こった巡礼地。


医師団のお墨付きによってその「奇跡(実際は奇跡認定は司教によるもので医師団は説明不可能、という結論を出す)」を認定しなくてはならないほどに「あやしい」ケースが多いのか、あるいは逆に、科学の名において高らかに効能をうたい上げるという宗教的、経済的な「戦略」なのか思われるかもしれないが、実はそのどちらでもない。

古今東西、ありがたい水やらお守りやらお祈りやらが「効く」とされて多くの巡礼者を集めている「聖地」だのパワースポットだのはたくさんある。

そういうところに行く人の中にはすでに「期待」があり、そういう人々の期待の集合パワーもすごいし、積み重ねられてきた「物語」や築き上げられてきた「演出」も半端ではないから、「現時点では説明不可能な完全で突発的な難病治癒」などというもってまわった「お墨付き」など誰も必要としない。


それなのに、ルルドにだけものものしくそんなものがあるのは、アレッサンドロさんが言うように、ここが「デカルトの国」だからだ。

しかも、「蒙昧」を吹き飛ばしたフランス革命の後のフランスに突如として出現した「新しい聖地」だからである。


アレッサンドロさんは、別に奇跡を期待し確信しているわけではない。「奇跡の認定があっても別にボーナスは出ませんから」と笑う。


2009年にこのポストに就いてから201220132018年と3件の「奇跡」認定につながる仕事をしてきた。

それは、聖地内で起こった不思議な治癒が報告されてそれを吟味して検査して専門医に問い合わせてチェックする、という単純なものではない。ルルドで流れる時間は普通の「お役所仕事」の時間とはかけ離れている。

「洞窟のドクター」と呼ばれるのが好きだというアレッサンドロさんは「リタイアした信仰深いお医者さんの余生を捧げる」仕事としてこのポストについているわけではない。


父親がイタリア人で母親がアメリカ人で、ハーバードの学位も持っている。英独仏語のトリリンガル。イタリアの大学で医学部教授だっただけでなく、ナポリの北、カンパネラ州カゼルタの行政トップである政治家だった。2009年、地方の名士であり職業人として脂の乗り切った54歳の時に、突然タルブ=ルルドの司教から手紙を受け取った。

人口14千人の小都市ルルドの聖域内で「奇跡の治癒」が申告される事務所の常駐責任者になることを要請されたのだ。(常駐は2人。聖域全体では300人が正規職員)

アレッサンドロさんは四ヶ月も迷った末に、引き受けた。

独身であることは身軽だが、母と二人の姉妹を支えていた。

それでも、ルルドで働くことは魅力的だった。

17歳の時、初めてナポリからルルドにボランティアに行った。そこで病人の世話をしながら、医者になるという使命感が生まれた。特に病気の子供たちをルルドの聖水の浴槽に浸ける手伝いをしている時に、将来は小児科医になると決心したのだ。

(続く)


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by mariastella | 2018-06-28 00:05 | 宗教

『La promesse de l’aube』(夜明けの約束)と『Ôtez-moi d'un doute.(疑いを晴らしてください)』

帰りの機内で観た映画 その3


フランス映画『La promesse de laube』(夜明けの約束) エリック・バルビエ監督。


イヴ・サンローラン役がはまっていたピエール・ニネと、シャルロット・ゲンズブールという二人のユニークな性格俳優が母と息子の年代記を演じる。


ピエール・ニネはなんとなくスラブ顔だが、ゲンズブールはポーランド人に見えない。いや、実際は、彼女の演じるニーナ・カツェフはロシア人の元女優で、息子が生まれた頃はポーランド領とされていた地域に住んでいたが、ユダヤ人でロシア正教に改宗しているらしい複雑な背景だ。


1980年に66歳で自殺した人気作家ロマン・ガリーの自伝が原作で、母親は息子を一人で育てているが、何としても息子にフランスで一旗あげてほしい、父親はフランス人であると強調する(実際のロマン・ガリーの父はユダヤ系ロシア人だったらしいが当時のアーティストたちにとってはフランスは憧れの祖国的存在だったようだ)。


で、14歳で母子そろって憧れのフランスのニースに移住するが、母の期待を受けて小説を描き続け、しかし、第二次大戦がはじまって空軍のパイロットとなり、その後でイギリスに逃れて「自由フランス」のレジスタンス戦士として活躍するなど、波乱万丈の生涯を送る。


これも、ヨーロッパの複雑な歴史と地政学的状況、文化、宗教、ロシアとロシア革命、二度の大戦、反ユダヤ主義などの背景が具体的な一組の母子の運命を通して浮きあがってくるのが面白い。


この手の背景は、「昔の話」ではなくて「当事者」が今でもいくらでも「再生産」され、研究も深まるので、「映画的ごまかし」はきかないから、かなり本気で制作されている。

母子関係だけを見るととんでもない「鬼母」で、教育的に絶対「正しくない」圧力のかけぶりで、息子は絶望的なマザコンだけれど、激動の時代に異常なテンションとボルテージ、執念と強迫と才能とが火花を散らしてフランス文学の「天才」作家が生まれた。その何かが足りなくて時代の犠牲になった無数の若者たちがいたことはいうまでもない。

最後がごくシンプルなフランス映画のコメディ『Ôtez-moi d'un doute.(疑いを晴らしてください)』だ。


女性監督のカトリーヌ・タルディュー。


今や名優となりつつあるフランソワ・ダミアンに、すっかり熟女になったセシル・ド・フランスなどが出ている。

バック・ミュージックにヴィヴァルディの二台のマンドリンの協奏曲とか、モーツアルトのオペラとかが効果的に使われているのが印象的だった。


親族間の遺伝子検査で父親と血がつながっていないと知ったブルターニュの不発弾回収者エルヴァンはやもめだが、育ての父親も愛しているし、妊娠中の娘も愛している。母はもういない。


しかし私立探偵をやとって実の父について調査し始める。

それらしいと分かった老人のもとを訪ねてうちとける。その前に偶然出会った女医に惹かれるが、彼女はその老人の娘だった。ということは異母兄妹という関係かもしれない。

他にいろいろな人間関係が絡むのだけれど、お涙頂戴でもなく笑い飛ばすわけでもなく、ぎりぎりのところで知的でエレガントに仕上がっていて、それには主演の二人の「品」が寄与している。


特殊な家族関係のドタバタでありながら、ヒューマンドラマになっているところに好感が持てた。


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by mariastella | 2018-06-27 00:05 | 映画

『天国でまた会おう』と『若きマルクス』

帰りの機内で観た映画  その2

フランス映画もいくつか観た。


『天国でまた会おう』( Au revoir là-haut


2013年のゴンクール賞を獲得したピエール・ルメートルの原作を映画化したもの。


もとはミステリー作家だけれど、この映画にはまるで『天井桟敷の人々』を観ているような香りと味わいがある。

マルセル・マルソーのピエロの化粧と、顔を失った男の仮面とが重なる。


 第一次大戦後のパリというのは独特の欠落と自由と不安と享楽が混在した独特の雰囲気で、『天井桟敷の人々』の舞台のパリとは一世紀も隔たっているのだけれど、同じ不思議な魅力がある。


「傷痍軍人」が支給されたモルヒネを売って生きのびたり、戦士の記念碑のデザイン詐欺によって金儲けをしたりというそれぞれのサバイバルのエネルギーに圧倒される。

 アートと戦争、アートと金儲けとサバイバル、そして父と息子、見どころ、考えどころがたくさんある。

ルイーズ役の11歳の少女が、あごを失ってうまく発音できない主人公エドゥアールペリクール(これを演じるのはあの『BPMビート・パー・ミニット』「バロック俳優」ナウエル・ペレズ・ビスカヤールで、彼なしにこの映画は成り立たない)の独特の言葉をどうやって通訳できるのか分からないが、彼女の存在もまるでユゴーの世界みたいだ。

『若きマルクス』はフランス・イギリス・ベルギー製作でラウル・ペック監督。でも邦題はなぜか『マルクス・エンゲルス』


パリで若きマルクスが眺めるアナーキストの演説に出てくる標語は「労働、平等、一致」だ。

マルクスはケルンを追われて、1844年にパリに出てくるが、子供が生まれて生活は楽でない上に、不法滞在でもある。

マルクスはプロテスタントに改宗したユダヤ人ラビのの息子だが妻はウェストファリアの貴族の娘だ。

イギリスのマンチェスター工場で出会ったアイルランドの女工であるエンゲルスの連れ合いの方は、何よりも「自由でいたい」ために、子供も欲しくないし、貧乏なままでいたいという。エンゲルス自身はプロテスタントの裕福な紡績事業主の息子だ。

この二組のカップルを見ていると、組み合わせの妙、カップルの力というのは大きいなあ、と思う。


フランスに長年暮らしている身として感慨深いのは、マルクスもエンゲルスも、独仏英の三か国語がペラペラだったんだなあ、ということだ。

マルクス夫妻もマルクスとエンゲルスも、フランスでは他人がいなくても互いにフランスで話してしまうシーンも、「あるある」だ。

ロシア人ももちろん出てくるが、ロシア人もフランス語を話す。


『共産党宣言』の起草にあたって「カトリックに代わって新しい宗教を創る!」 と言っているのもおもしろい。こういう時に反面教師というかモデルになるのは、やはりプロテスタントではなくて教義も組織も盤石で続いてきたカトリックの方らしい。


最近、近刊の資料としていくつかのマルクス伝を読んできたけれど、ヨーロッパの多言語がとびかう映像による再構成というのは追体験として貴重だと改めて思った。


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by mariastella | 2018-06-26 00:05 | 映画

『シェイプ・オブ・ウォーター』と『神様の思し召し』

帰りの機内で見た映画いろいろ (その1)

5月初めに帰仏した時に機内で観た映画について忘れないうちに記録しておこうと思っているうちにひと月以上も経ってしまった。

まずアメリカ映画

『シェイプ・オブ・ウォーター』サリー・ホーキンスリチャード・ジェンキンス

これについてはすでに少し『亜人』評の中で述べた。


孤独なヒロインに寄り添うのがゲイの黒人の老人などと社会的ハンディをいくつも持っている人物であるのに対して、彼女にセクハラ、パワハラ全開の男は典型的なWASPの白人男で、「全ての人間は神の似姿として創られた」という聖書のセオリーも、「神は私の方によく似ている」などと言う。

そして、「人間」ですらない謎の水中生物は「神の被造物」にも入れてもらえないらしく、人権も生命の尊厳も顧慮されない。


SFとファンタジーとレトロな雰囲気が交錯した不思議な映画だ。

イタリア映画『神様の思し召し』(エドアルド・ファルコーネ 監督)



 まず、このサイトからストーリーをコピー。


>>>完璧主義だが、傲慢で自己中心な辣腕医師トンマーゾを主人公に、将来は医者へと期待を寄せている息子の思わぬ告白から、ある神父と出会い、人生観がひっくり返される様子をコミカルに描いている。トンマーゾと結婚して以来、かつての輝いている自分が消えうせ、子どもが育った今、人知れず孤独を抱えている妻や、トンマーゾらとほぼ同居状態の能天気な娘、トンマーゾからは馬鹿にされながらも、愛嬌のある不動産業の娘婿と、家族のキャラクターも個性的。トンマーゾの態度が変わることで、家族との関係が変化していく様子も丁寧に捉え、トンマーゾと共に家族が再生していく姿も感動を呼ぶヒューマンコメディー<<<

邦題が『神様の思し召し』で原題は『神が望むなら』だそうで、フランス語の題は『それだけは、だめ』だ。つまり、カトリック時代に大罪である同性愛のカミングアウトを受け入れるのは、今ではトレンドで我慢するけれど、医学部にいる一人息子が大学を中退して神学校に入って神父になるなんて、それだけは、絶対受け入れられない、という意味。


イタリアと言うとカトリックのおひざ元という感じだけれど、この映画では教会の壁に落書きがあるし、立小便している者もいる。医師も、キッチンドリンカーの妻も、カトリック教会は世界一意味のない組織だ、神父は煙突掃除人と同じくらい時代遅れの職業だ、と断言する。


若者たちを洗脳している絶対に怪しそうな神父は前科者でもあり、医師は彼の欺瞞を暴こうとするが、神父はどうやら彼よりも人間としての器が大きい。

テーマは結局、宗教がどうとかではなく、「境遇がまったくちがう大人の男の意外な友情」であり、ある意味でラブストーリーだ。


ラストで事故に遭った神父が助かるかどうかという時に、若者たちは病院に駆けつけるが、医師は病院から出て教会に赴く。そこで無神論者の彼がいよいよ「神頼み」で祈るのかと思うと、一心不乱に床掃除をしだすのだ。そのシーンが実にうまい。

(続く)


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by mariastella | 2018-06-25 00:05 | 映画

コロ―とチェロ弾きの修道士

(これはマルモッタン美術館シリーズの続きです)

さて、今回のマルモッタン美術館行きの目的はコロ―の肖像画展だった。

その中でも、もう自分としては、何度も何度も反芻してネット上で眺めた一点を観るためだった。

というのは私は楽器演奏の絵と踊りの絵を複製がほとんどだけれどコレクションしていているのだけれど、特に「チェロ弾き」の絵は独特の雰囲気のあるものが多いことに注目している。

このコロ―の絵はその中でも秀逸で、このシトー会士と思われる感想修道士が、何の背景もなく、ただ、チェロを弾いているのが印象的だ。
光と影の配合が見事だ。
左手がハイポジションであることから、初心者ではないことが分かる。
ミサの伴奏などではなく、瞑想の中にあるようだ。
あるいは、チェロ奏者が何らかの理由で修道請願をしたのかもしれない。

コロ―の最晩年の作品である。(78歳)

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展覧会ではこの絵と共に、同じ修道士テーマの二点が飾られていた。
三点ともかなり大きい。
本を読む修道士。一つは「自然」の風景の中で、もう一つはチェロ演奏と同じく、ほとんど背景がない。
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で、「チェロを弾く修道士」については、ネット上の画像を何度も見ていろいろな分析もすでにしていたのだけれど、実際にこの三点が飾られているコーナー(文字通り角にある)に立って、戦慄を覚えた。

この三点に囲まれている空間だけが異次元のように密度が違う。何の密度かと言うと、何かスピリチュアルなものとしかいいようがない。
コロ―が描きたかったもの、晩年の死生観を貫きその先へ続く何かが、凝縮している。この「スポット」に入ってしまったら「波動」と光に捕らわれる、というそんな感じだ。自分が「にわか霊能者」になった気分だった。

だから、このブログでこの写真を出してみても、もちろん伝わらない。
観る前に考えていたことを改めて言語化しようとして、今まで「寝かせておいた」のだけれど、まだまとまらない。
こうなると、「複製」の鑑賞と「本物」は何かが本質的に違うと認めざるを得ない。
ライヴの音楽演奏を聴くのと複製音楽との違いとまったく同じような波動や空気やアーティストとの接触が絵画にもあるのだ。

今回の展覧会、コロ―にはこういう肖像画もある。
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画家のアトリエ、上に彫刻があり、キャンバスに絵があり、でも、女性の持っているのは絵筆ではなくリュートだ。
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この絵もそうだ。絵と、楽器と、思索、が、コロ―の中で一体になっている。
修道士のように本を読む女性たちの絵もたくさんある。
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これはマグダラのマリア。(マリー=マドレーヌ)
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本を手にする女性というのは聖母マリアのイコンでもある。受胎告知の時も、幼子イエスを抱いたりあやしたりする時も本を読んでいるマリアの姿は繰り返し書かれてきた。
コロ―の読書する女性たちは、瞑想とメランコリーの間を漂っている感じもする。

それにしても、コロ―と言えば「バルビゾン派の風景画家」という先入観が吹き飛ぶ展覧会だった。







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by mariastella | 2018-06-24 00:05 | アート

マルモッタン美術館のナポレオンとモネ

(これはマルモッタン美術館シリーズの続きです)

マルモッタン美術館の常設展示にナポレオンを題材にしたものがある。

私が『ナポレオンと神』(青土社)を書いた時には参考にしなかったけれど、こうしてあらためて見るとアンヴァリッドやフォンテーヌブローのナポレオンとは違った趣がある。

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これは刺繍作品
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フォンテーヌブロー城近く、舟遊びでくつろぐ珍しい姿。
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第一執政官だったころの若い姿の肖像。
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マリー=ルイーズとの結婚式でのエトワール広場の花火の絵。

19世紀始めにこんなに華やかな花火技術があったのだ。しかも街の真ん中で。

この美術館の名の一部でもあるモネの部屋はもちろん充実している。
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ジヴェルニ―の同じ場所を違う時間の違う光の中で描く贅沢さ。画家冥利に尽きるようなライフスタイル。
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私がジヴェルニーに最後に行ったのは20世紀のことになる。
彼がオランジュリーの水蓮の製作を決心したのは第一次大戦の勝利を記念したかったからで、でも、その意欲と自信と高揚がだんだん怪しくなってくる動揺がはじめて実感できる。それでも、友人だったクレマンソーの励ましで無事に完成して、第二次世界大戦勃発より前に死んだのでヨーロッパの平和が続かなかったのを見なくてよかったなあと思う。

モネの展示室には2017年フィリップ・ガレル作のモネの肖像彫刻があった。
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何だか悲しい目だ。





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by mariastella | 2018-06-23 00:05 | アート

マルモッタン美術館の男と女  マネとモリゾー

(これはマルモッタン美術館シリーズの続きです)


 マルモッタン美術館では、コロ―から印象派にかけての時代の作品だけではなく、彼らの交流の歴史が実感を持って繰り広げられている。


彼ら同志が肖像画も描き合っている。

 

例えばこれはルノワールが描いた「新聞を読むモネ」の肖像画。

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なんといっても、この美術館の「顔」ともなっている出色の肖像画はエドゥアール・マネによるベルト・モリゾーの肖像画だ。

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ベルトはコロ―の弟子だった女流画家だ。

マネの兄と結婚した。娘も絵を描いた。

彼女の姉も画家で、マネの親友と結婚した。


この時代で意外なのは、女性たちが男性画家のアトリエで弟子として「修行」することが流行っていたことだ。熱心に師匠の作品を模写する者もいれば、単なる「お稽古事」気分の者もいたようだ。そんなアトリエ風景を描いた絵もある。中央にいるのが師匠で、女性たちはまじめに聞いている者もいれば窓の外を眺めている者もいる。

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ベルト・モリゾーは、姉と二人でルーヴル美術館でルーベンスの絵を模写している時にマネと出会った。

その時すでにマネは結婚していた。

『草の上の昼食』の裸の絵がスキャンダルになっていた頃だ。マネを評価していたボードレールが死んで2年後である。

マネはもともと「女性」が好きで話もうまかった。カリスマ性もあった。

ベルトはマネにすぐ惹かれるけれど、その他大勢の一人でなくマネのミューズでありたいと思う。

二人の恋はそれなりのスキャンダルにもなったらしい。

ベルトが姉に書き送った書簡をもとにしたマネとベルトの物語をマンガ化した大判のコミック(BD)まで出版されているのには驚いた。

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このコミックを見ていると、フランスのアート・シーンと知識人サークル(文学者、哲学者など)におけるギャラントリーとエレガンスにおける男女の協働関係の伝統がよく分かる。

17世紀から続くサロン文化から日本でも有名だったサルトルとボーヴォワールの内縁関係、#Metoo に向けたカトリーヌ・ドヌーヴらの違和感にまで通底している流れだ。

「エリート」「アッパークラス」にだけ通用する話だと言われればそれまでだけれど、だからこそ、ひとつの独特の「文化」を形成してきた。


マルモッタン美術館には、ベルトの作品がたくさんある。

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それにしても、マネによるベルトの肖像画の表情や眼の光を見ていると、ベルトの性格や葛藤や挑発などがみな透けて見えてきて、「二人の関係」が知的にも芸術的にもいかに刺激に満ちたものであったかが容易に想像できる。



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by mariastella | 2018-06-22 00:05 | フェミニズム

米朝首脳会談の後とシリアから戻った子供たち

 先ごろ、米朝首脳会談に関する日本のメディアの記事を読んでいるとなんだかネガティヴなものばかりで心もとなかったけれど、私がいつも読んでいるブログの三方は全員がポジティヴな見方をしていたので少しほっとした。


元広島市長による広島ブログ。


弁護士の澤藤さんのブログ

元外交官でレバノン大使だった天木さんのブログ


私は他のことに関して彼らの意見にすべて与するものではない。

彼らの間でも意見が異なるテーマがある。

でも、彼らはそれぞれ「ぶれない」ところが信頼できる。

家族会関係者のこの発言も興味深く読んだ。


なるほどだと思う。


40年も経っていれば、一方的に拉致被害者の返還などというより、日朝国交を回復して被害者が向こうで作ったかもしれない家族とも自由に行き来し、今の時点でそれぞれの当事者たちが最も望む形に沿えるように支援することが最善であるというのは分かる。

今のフランスで切実な問題は、ISに洗脳されてシリアに渡ったフランス国籍の女性たちが連れて行ったり、現地で生んだりした子供たちの「引き取り」だ。

子供たちはある意味で「拉致」されたと言える。

現在フランスに戻ってきた子供たちは70数名だそうで、シリアにはまだ300人以上残っているというが、現地で生まれた子供たちについては出生届とかがあるわけでないので正確な数字は把握されていない。

彼らは、テロ関係の犯罪容疑で裁かれる親たちと隔離される。

フランスによる再教育のプログラムを受ける年齢でない子供たちは、保護家庭に引き取られているが、ISの子供たち専門のオリエンテーションを受けた保護家庭ではない。

いろいろな問題が噴出しているようだ。

普通の移民や難民の子供たちを暫定的に引き受ける家庭に振り分けられるからだ。


ISから来た子供たちは多くの問題を抱えている。

もちろん、生まれた時から「戦闘地域」にいたというトラウマもあるが、みんな父親との関係がなく母親とだけ暮らしてきた。もちろん保育園や幼稚園や地域の「社会生活」というのも知らない母子隔離状態だ。だから子供たちは母親から引き離される時点でパニックに陥るという。


母親の中には積極的にテロリズムに参加した者から、洗脳の犠牲者、性暴力の被害者、最初から騙された者などいろいろなケースがあるが、それは裁判によって明らかになるまで「容疑者」として留置されている。(シリアで逮捕されて裁かれ、終身刑の判決を受けた女性もいる。)


どのケースであっても、子供たちはみな、被害者だ。


それを思う時、北朝鮮による拉致被害者に子供や孫がいる場合、彼らを一体どのように「保護」できるのか、というパースペクティヴをはたして日本政府が持っているのかどうかについての疑問が、頭を離れない。


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by mariastella | 2018-06-21 00:05 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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