L'art de croire             竹下節子ブログ

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Léo Larguier レオ・ラルギエのオレンジの樹

長年の友人であるジョゼットが、レオ・ラルギエの詩をテーマにした油絵を描いた。

J'imite l'oranger, il est un grand artiste,
La gloire d'été, ne l'a jamais séduit,
Travaillant à son or ainsi qu'un alchimiste,
Car ce n'est que l'hiver, qu'il a parfait son fruit.
私は真似る、オレンジの樹を、彼は偉大なアーティスト、
夏の栄光に惹かれたことは一度もない、
なぜなら錬金術師のように金を練りながら、
冬にしかその果実を完成することはないからだ
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うーん。日本語訳がぱっとしないけれど、これが、苦労を重ねてきた83歳のジョゼットを支える言葉であることは間違いない。

180cmの長身に完璧なプロポーション、金髪に青い目、淡いピンクのスーツを颯爽と着こなしてやってきたジョゼット。
変わらない。
17年前、彼女がコンセルヴァトワールをリタイアした後で私たちは時々いっしょにパリの美術館の展覧会に行った。そんな時、すでに70歳近かったのに、必ず、ジョゼットに声をかけてくる男たちがいた。

彼女は私たちのトリオをモデルにした絵も描いてくれたし、トリオの曲をテーマにした絵も描いてくれた。コンサートにはいつも大輪の薔薇を一輪だけ持ってきてくれた。薔薇は私たちよりもジョゼットに似ていた。

イタリア移民の両親のもとでフランスに生まれたけれど戦中、戦後と苦労した。
結婚して2人の娘もできたけれど、娘たちが独立した頃に間もなく夫に先立たれた。
その後ユダヤ人の医者と暮らしていたこともあるけれど、医者が同居していた母親のアルツハイマーの進行を認めないことで関係が悪化して、別れて以来一人暮らし。

彼女のように完璧な容姿を持っている人がどのように「老いる」のかは想像もつかなかったけれど、今も、完璧に美しい。彼女がTシャツとジーンズで現れたとしたら天地がひっくり変える。

最近車を手離したのでバスにのってやってきた。

昔は彼女の絵画制作を「趣味」だと思っていた。
今は、彼女の「生き方」だと分かる。

孫もひ孫もいる。慕われているけれど、基本的には関心がない。
絵を描くことが彼女のアイデンティティなのだ。

彼女が最近モットーにしている言葉は「Le pire est incertain. (最悪は不確実である)」というもの。
人は誰でも、悪い方の可能性ばかり考えていたずらに恐れるけれど、よいことが確かでないように、悪いことが起こるのも確実ではない。マーフィの法則の逆だ。
私も採用。

で、オレンジの樹。
夏の栄光を求めることなく冬になって太陽のような果実を完成させる。

人生は、錬金術。




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by mariastella | 2018-09-22 00:05 | 雑感

『肉体の冠』(1952) ジャック・ベッケル

『アフリカの女王』を新しい視点で観た次の日、なんだか同じ時代のフランス映画はどうだったのかと見たくなって、やはりTVで放映された『肉体の冠』を視聴した。

で、この記事を書くために日本語ネットで検索して『肉体の冠』という邦題に驚いた。

しかも当時のキャッチコピーが、

「非情な美しさ、悪魔的な冷酷さを豊満な肉体の底に秘した巴里女! 男たちをしたがえ、燃えるようなブロンドの髪を陽光に輝かせて行く」

というものだ。

「肉体の何とか・・」というのは「昭和」の映画によく使われた気がするけれど、タイトルもキャッチコピーもまったく内容とあっていない。

ラディゲの『肉体の悪魔』(クロード・オータン・ララ)がヒットした後だったからなのだろうか。

それでも、こちらも「身に潜む悪魔」と訳してもいいのだから、「肉体」はやはり昭和テイストなんだろう。

原題の「Casque d’or」は直訳すると「金兜」という感じで、肉体とは関係ない。ブロンドの前髪を高く結い上げた娼婦のニックネームだろう。

シモーヌ・シニョレの演じるマリーは、「悪魔的な冷酷さ」とは無縁でどこか無邪気だし、赤毛ならともかくブロンドが「燃えるような」というのもなんだか変な形容だ。

20世紀初めのベルエポックのパリのベルヴィルに実在したアメリ―・メリという娼婦にまつわる事件にインスパイアされた映画で、彼女のニックネームが「カスク・ドール」だった。バイセクシュアルで他の娼婦と同棲していたし、マンダという男は映画のようにギロチンにかけられず1902年にギアナの強制労働に送られ、彼女も1917年に結婚して堅気になっている。

その意味では、この映画は『アフリカの女王』と制作年も1950年代初頭でほぼ同じだし、1914年が舞台の『アフリカの女王』と物語の時代も重なっている。

アフリカの奥地とパリという違いがあるけれど、馬車が走っていたりするパリの方が「時代物」という感じがする。アフリカのジャングルの映像なら21世紀の今も同じイメージだからだ。特殊な場所だから、ある意味古くなっていない。

パリで女性が帽子を被っていないのは召使か娼婦だというのは少なくともブルジョワ地区では5月革命の前あたりまでそうだった。

宗教的なシーンとしては、教会から歌が聞こえてきて、「日曜じゃないのに」と覗いてみると結婚式だったという場面がある。その時に娼婦のマリーはショールを頭にかぶって髪と胸や腕を覆い、マンダの方はかぶっていた帽子を脱ぐ。カトリック教会の習慣があらゆる階層の人に共有されていたのが分かる。

ギロチン台に引きたてられていくマンダを無理やり支えて十字架を顔の前に近づける監獄付きの司祭もいる。

今と変わらないフランス的な場面は、マリーがギャングの親分の部屋でチーズを食べるところかもしれない。

「陽光輝く」というのは、パリから逃げて農場に実を隠す二人の牧歌的なシーンがあるからだ。

『アフリカの女王』はカラーだがこの映画はまだ白黒、というのは米仏の経済力の差だろう。

1871年のパリ・コミューンといつも結びつけられるLe Temps descerises(さくらんぼの実るころ)のメロディが何度も流れる。

これはイヴ・モンタンの歌。

この映画の撮影時にはシモーヌ・シニョレとイヴ・モンタンは結婚したばかりだった。

今思うと、ドイツ移民とイタリア移民出身のこの二人は、フランスを代表する文化人で知識人のカップルだった。

しかし、ドイツ系からかもしれないけれど、この映画のシモーヌ・シニョレはなんだかロミー・シュナイダーとそっくりだ。

相手役のセルジュ・レジアニはオマー・シャリフの若い時みたいだ。セルジュ・レジアニはイヴ・モンタンとほぼ同じ年で、やはりイタリア移民出身。

こう見てくると、日本人的感覚では「フランス人って何?」となりかねない。でも、フランス人の「混ざり具合」というのは、移民国家アメリカと変わらないと思えば不思議ではない。

純粋に映画としてみれば、視線の使い方がうまいのが目立つ。

ダンスのシーンも。

ラストの螺旋階段も。

拳銃を連射するマンダも、手元はまったく映さないので、撃ったのか撃たれたのか分からないくらいの怖さだ。

最初にマンダがマリーとワルツを踊る時に、まったく左腕を使わないでだらりと垂らしたままなのが印象的だった。ギャングたちのキャラが豊かなのもおもしろい。

でも、単純に比べると、『アフリカの女王』と『肉体の冠』というほぼ同時代を舞台にしてほぼ同時代に制作された二つの映画の最も大きな違いは、やはり、ハリウッド映画のハッピーエンドとシビアな終わり方のフランス映画、ということになるのだろう。


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by mariastella | 2018-09-21 00:05 | フランス

『アフリカの女王』(1951)ジョン・ヒューストン

『アフリカの女王』をArteで観た。

ジョン・ヒューストンの1951年の映画。

ハンフリー・ボガートとキャサリン・ヘプバーン主演の有名な古典だ。


これを観たのは初めてではない。

最初の時もTVの放映だったと思う。


「アフリカの女王」という蒸気船が舞台のエキゾティックなシーンのことはいろいろ覚えている。

でも、主演の2人は私の好きなタイプではない。

今回もう一度見ようと思ったのは、舞台がドイツ領東アフリカだということにあらためて気づいたからだ。

今のアフリカで中国が進出していることや、EUから離脱するイギリスがアフリカとの取引を強化していることなどの昨今の情勢を見ながら、イギリスとフランス、ベルギーなどがアフリカ大陸を「山分け」して来た歴史について近頃あらためて考えていた。

で、少なくとも、ドイツやイタリアは領邦国家だったから植民地政策に「遅れ」をとっていたなあと漠然と思っていた。そして、今はメルケルもレームダック状態だけれど、ドイツがフランスと違って移民や難民を歓待しているのは、人口減少問題など以外にも、中東やアフリカにおける「旧植民地と宗主国」という関係がないからできるのかもしれないとも思っていた。

フランスとアルジェリアのように激しい「独立戦争」という確執もないし。

しかし、ドイツが統一された後、1880年代にしっかりと「東アフリカ」(今のウガンダやタンザニアあたり)を植民地にしたり「領土」にしたりしていたのだ。

19世紀の「西洋列強」帝国主義とは本当に野蛮で、自分たちだけで「合意」して境界線を引いて「取り放題」だった。

1960代に多くの国が独立を勝ち取った時に、ドイツが「宗主国」でなかったのは、第一次大戦ですでに英仏に敗れていたからにすぎない。


で、この映画には、そのドイツ領のある村に、20世紀初頭にやってきて10年「宣教」しているメソジスト教会の牧師とその妹がいる。イギリス人だ。

そこに時々通う唯一の白人が、蒸気船で荷物や郵便などを運んで来るカナダ人のウォルナットだった。

メソジストだから、牧師も結婚できる。

それなのにこの牧師が独身で、妹も(今は死語だけど)オールドミスでオルガンを弾いているのは、宣教の使命感に駆られているだけではなく、要するに生きるのが下手で要領も悪く、自国で成功しないタイプだからだ。

実際、牧師は、自分より45歳ほど若かった仲間の牧師が国教会の主教に任命されたというニュースを新聞でみて嫉妬に駆られる。その牧師は有力者の娘と結婚したからだという。

それでも宣教に専心するのはコンプレックスの裏返しと、なんといってもそこでは文字通り上から目線の優越感に浸れるからだろう。

実際、村人を集めて聖歌の練習をさせている最初の場面では、彼らを除く全員が半裸の黒人で、ほとんど黒光りしていているショッキングな図だ。

「洋服」をきっちり来ているのが「文明」であり、「半裸」は野蛮人、未開人、土人というステレオタイプそのままで、しかもそれが見ている側にも刷り込まれているのに気づくからなおさらショックなのだ。

カナダ人のウォルナットが咥えていた葉巻だかタバコだかを投げ捨てると黒人の男たちがどっと群がって飛びつき、教会の土の床に座っていた男たちまでも次々と座を立つ。

で、戦争さえ起きなければ、ヨーロッパ人同士が合意して領土化していて、イギリス人の牧師が10年住んでいようと、カナダ人の水上運送業者が行き来しようと別に気にしないでやっていたようなのに、1914年に第一次大戦が勃発する。

牧師と妹のローズがウォルナットを通じてそれを知ったのはひと月後でしかなかった。


実際、すぐ後にドイツ軍がやってきて、村を教会ごと焼き払って村人全員を連れ去る。

しかし、ドイツ軍といっても、白人は数名の司令官で、後は全員、動員された黒人だ。

この村人たちも彼らのように兵士や要員とされるために強制徴用されたわけだ。

家は焼き払ったから戻れない。


自分の生きがいだったミッションが灰燼に帰したのを見て、小競り合いでの脳挫傷もあったのか、ドイツ軍が去った後で牧師は死んでしまう。


その後、船に乗り込んだローズたちがドイツ軍の基地の前を通過する時に銃を撃てと命令されるのも黒人兵たちだ。

ローズはただ逃げるつもりはなく、ドイツ軍に復讐するために魚雷を用意するようにウォルナットに頼む。ラストの場面でドイツの軍艦に捕らえられた時も、ドイツの司令官たちはもちろん酷薄な悪人役として描かれている。


要するに、これは、報復や戦争、暴力、そして人種差別などが満載の映画なのだ。


この映画が撮影されたのは第二次大戦後だけれど、ロケ地はまだ独立前のベルギー領コンゴだ。

そこで黒人のエキストラにこういう演技をさせている。

うーん、今の感覚でこういう背景を考えれば、いたたまれないような映画だ。

最初のシーンが音楽なしで、ジャングルの獣や鳥の声が印象的だし、船が進むときに流れる軽快な曲のオーケストレーションもいい。自然の中の動物たちの姿も迫力があるし、スリルに満ちた一種のロードムービーにラブロマンスが絡んでいて、ボガートもキャサリン・ヘップバーンも満身創痍の名演なのは間違いない。

いや、しかも、日本人のように、アフリカがはるか遠く、21世紀の今でもアフリカ支援について「何であんな黒いのが好きなんだ」と発言する現役議員がいるような国の人がこういう映画を観ても、そのシチュエーションはまるでディズニーアニメの架空の国の話と変わらなくスルーできるのだろう。

今回それに初めて気がついて、誰でも、自分の知らないものは見えてこないのだとつくづく思った。


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by mariastella | 2018-09-20 00:05 | 映画

愛は掟

先日、「今日の心の糧」というカトリック系のラジオ番組をネットでも配信しているサイトで、

タイトル:「人生を変えた言葉」執筆者:末盛 千枝子

というのを読んでなるほどと思った。

そのはじめの部分をコピー。

                 

 >>>私が大学に入学した時のこと、母が私に、「どこの大学にも、カトリックの集
まりがあるはずだから、そこに籍だけでも入れておきなさい。人生に悩んで、親
ではなく、誰かに相談したいと思うことが必ずあるはずだから。」というのです。

 私は、時代的なこともありましたし、洗礼を受けたのは、小学生の時でしたし、
自分がキリスト教徒であることを、しかもカトリックであることをなんとなく不
自由で、うしろめたいことに感じていました。
でも、面と向かって母に反対するほどの勇気もなく、仕方なくという感じでカト
リック栄誦会というクラブに入ったのです。
ところが、そこで出会った学生たちは、私が恐れていたような堅苦しい人たちで
はなく、実に気持ちのいい人たちでした。

 そして読書会や定期的にあった集まりには、いろんな講師もお見えになりました。
そんなある日、沢田和夫神父様がお見えになって、
たった一言、「愛はすすめではなく、掟です。」と静かに、しかし、強い口調で
おっしゃったのです。
そのときのショックは忘れられません。脳天に一撃を食らうというのは、こうい
うことを言うのだと思ったほどでした。<<<

なるほど。

私が大学に入った時も「聖書研究会」というのは見かけたけれど、カトリック系の集まりがあるかどうかなどとは思いもつかなかった。聖書何とかとかキリスト教何とかというのは、悪くするとカルト、よくても超まじめな融通のきかない集団か自己満足な人たちの集まり、くらいの漠然としたイメージだったろうか。

これを読むと確かに、「カトリック系の集まり」というのは一つの知恵かもしれない。

プロテスタントには諸派あって、とても、素人には識別できないし、本当にカルトがひそんでいるかもしれない。いわゆる無教会派というのもあるけれど、それは指導者の技量や人格に激しく左右されるだろう。

その点「カトリック」と名がつけば、ヴァティカンを頂点に、「教え」や「方針」が明確で公に書かれているから、明確だし、第二ヴァティカン公会議以降はいわゆる「勧誘」はないはずだから、「信者」でなくとも受け入れてくれるはずだ。

別に宗教的、あるいは哲学的な悩みの種がない学生には必要ないかもしれないけれど、霊的なことに「免疫」がない若者が、人生でふとした疑問や不全感を抱いたときにカルトに付け込まれるという例があるし、オウム真理教事件を見ても深刻な結果を招きかねない。「仏教系」というのもありかもしれないけれど、これも教派がたくさんあって、仏教系カルトだってあるのだから、識別はつきにくい。そう思うとカトリックってなかなか手頃な停泊地かもしれない。

で、その次の、「愛はすすめでなく、掟です」というのもすごい。

たしかに、「すすめ」くらいで「汝の敵を愛せよ」なんて言われても絶対に無理だ。

フランスのカトリック系の中学校の入学式で、

「学校の全員、クラスの全員を愛さなければならない、とは言いません。けれども、全員をリスペクトしなくてはなりません。これだけは譲れないことです」

という言葉を聞いたことがある。

全員を愛せよなどと言う建前や理想論ではなく、現実的な最低線をちゃんと示すのはなかなかいいなあと感心した記憶がある。

けれども、聖書にはちゃんと

心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」

という掟があるわけで、その隣人というのも、「同じ共同体の人」というのではなく、たとえ行きずりでも困っている人に手を差し伸べる関係だと明確に述べられている。

神を愛することと神の似姿として創られたすべての人を愛することはセットになっているのだ。

そしてそれはとても「勧め」られて実行できるようなことではない。

だとすれば、全ての人を愛することが「不可能」なくらいに、神を愛することも不可能だ。

そんなことができるのはまさに「神業」だ。

で、「掟」。

神の掟は人間の掟とは違う。

人間の掟では、個体や共同体の存続が優先するから、侵入者や弱者や少数者は排斥され、攻撃されれば報復する。「敵」は「悪」であり、憎み抹殺すべき存在だ。でも人間社会の「敵」は時と場所によって変わる。昨日の敵は今日の友、「鬼畜米英」が「日米安保条約」に。

今日の「多数の正義」に従っていたら明日は裁かれて殺される身になるかもしれない。

そんな「人間の掟」の世界で、不可能に近いような「神の掟」を守るというのは、ある意味で究極の「自由意志の行使」なのかもしれない。


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by mariastella | 2018-09-19 00:05 | 雑感

ギュンター・アンダースとヒロシマとソンミ村

エノラ・ゲイに原爆投下OKの指示を出したパイロットと文通を重ね、1958年の京都から広島への平和行進にも参加したギュンター・アンダースのインタビュー本(これ)を読んで今まで見えてこなかったものが見えてきた。

彼は、音楽哲学と自然哲学をやっていたけれど、生涯に4度のショックを受けて、4度目に世界観が変わった。第1は第一次世界大戦。

2番目はヒトラーの登場、3番目はガス室のホロコーストを知った時、そして4番目がヒロシマへの原爆投下だったそうだ。

この原爆によって、「人類は自滅できる」ということを理解して、最も大切なのは正義だの同情だの理性だのではなく、ただひたすら、「想像力」だと思った。アポカリプス、人類の終わりはあり得る、という想像力だ。

で、そのような世界に生きるからには、それまでの2500年の哲学の成果などは意味がないと思った。

必要なのはこの世界をどう解釈するかという哲学ではなく、この世界をいかに持続させるかの方法だからだ。

核兵器がヒロシマとナガサキ以来使われていないでただの抑止力だというのも大いなる欺瞞だと彼は言う。

ベトナム戦争は日本への原爆投下なしにはあのような展開はされなかった。

つまり、非戦闘員の無差別殺大量殺戮というハードルが取り払われた、というより、その「モデル」が堂々と掲げられた事実だ。で、戦闘機に追われてナパーム弾に焼かれる少女たちが登場し、今度はそれを「自分の手でやってみたい」というモティヴェーションに駆られてウィリアム・カリー中尉に率いられる一隊がソンミ村のミーライ集落に登場した。

それはアメリカのDIY、「Do it yourself」精神なのだとアンダースは言う。

戦闘機が原爆やナパーム弾を投下して適地を「壊滅」させる映像をすでに焼きつけられているから、次にはそれを自分たちの手でやってみようというわけだ。

高校生の私は当時の多くの若者のようにベトナム戦争に関心を持っていた。

ナパーム弾に焼かれて逃げる少女たちの写真には衝撃を受けていた。

ヒロシマの原爆よりも大きな問題のように思えた。

ヒロシマは私の生まれる前の「過去」の話で、ベトナムの子供たちが殺されているのは、私が平和にのんびりと暮らしている同時刻の出来事なのだ。「関心を持たないこと」は即「加害者側に加担すること」のような気がしていた。「ヒロシマ」は、アンダースが指摘するように、「忘れ去られていた」のだ。

ソンミ村の虐殺事件が表沙汰になったことももちろんはっきり記憶している。

けれども、私の中では、空爆でナパーム弾に焼かれて逃げる子供の映像の方が、ソンミ村の虐殺よりもインパクトがあった。戦時における「虐殺」というのは「南京大虐殺」も含めて「想像可能な悪」だと思えたのだ。

でも、実は、ソンミ村の虐殺は違った。

核兵器が可能にした「全地域を壊滅させる」というパフォーマンスを自分たちの手でやってみたいというDIYの精神で、村に入って507人の村人を1人も残さないように殺しまくって焼き尽くした(生存者が奇跡的に3人いた)。

原爆がつくった光景を自分たちで再現できると思ったのだ。

原爆がなければ、ソンミ村の虐殺はなかった。

「核兵器でさえなければいい」という口実でナパーム弾のような恐ろしい兵器が「開発」されることもなかっただろう。

というのがアンダースの見解だ。

カリー中尉だけが軍事法廷で裁かれて1971年に一応は終身刑になったけれど3年後にもう仮釈放された。2009年にはじめて「謝罪」を口にしたそうだ。

アンダースは原子力発電所の核燃料と核弾頭との関係を最初に大声で訴えて原子力発電に異議を唱えた人でもある。

こういう人の存在があったから、ドイツが「フクシマ」以降に原発からの離脱を確定したのも偶然ではない。

最初の妻だったハンナ・アーレントもそうだが、アンダースは、戦争などの大きな流れの中で正義や人道に対する感覚を麻痺させた人たちが

「(その時の主流秩序にとっての)間違いは、犯さずに罪を犯す」

ことを明文化した。

彼はチェルノブイリ事故の数年後に90歳で亡くなったが、「フクシマ」のことは見ていない。

「ヒロシマ」をきっかけに「反核」を最も長く、熱心に、死ぬまで叫び続けた知識人だ。

彼がヒトラーを生んだドイツ、日本の同盟国だったドイツの出身だったのも興味深い。

最初はパリで暮らそうとしたが、失業者が増えていたフランスは外国人の就業を禁止し、結局アメリカに渡ったが、後にオーストリア人としてウィーンで死んでいる。


どんなに核廃絶を訴えても、大量破壊兵器や軍需産業、原発産業がエスカレートする中、絶望的な状況において希望を何に見いだすか、何を慰めとするか、どのように勇気を維持するか、と問われたアンダースは、こう答えた。


>>>勇気については分からない。私のアクションに勇気はほとんど必要ない。

慰めはまだ必要としていない。

希望? 原則としての希望のことは分からない。私の原則はこうだ。

我々が直面している恐ろしい状況に介入することで少しでも寄与することができるなら、たとえどんなにわずかでも、少しでもチャンスが残っているなら、それをすべきだということだ。<<<


アンダースは、美学や哲学に没頭していられた時代を懐かしみながらも、核のアポカリプスに対する警報を鳴らし続けることに後半生を捧げた。


世にはいたずらに恐怖を煽る終末論や陰謀論がはびこっている。

一方で、核兵器も核燃料も現実に増えるばかりでそれをコントロールする術もないことは事実なのにそれらは巧妙に隠され問題をすり替えられている。


私たちは、正しい想像力の使い方、正しい恐れ方、すべての人と環境を自ら破壊することのない道を識別する方法を常に学ばなければならない。


それにしても、潜在意識の中のDIY論、恐ろしい。


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by mariastella | 2018-09-18 00:05 | 雑感

ヴァイオリンの響き

ここ20年以上はバロック・バレエとバロック舞曲三昧の生活だけれど、子供時代にクラシックバレエのクラスで踊りと共に心身にしみ込んだクラシック・バレエ曲は、いつ耳にしても、「識っている」という記憶の「型」にすっぽりはまって懐かしい。


私はヴィオラ弾きで、ヴィオラの音域はほぼ私の歌える音域と重なるので、歌っている気分になるのが好きだ。

チェロは男声の音域に重なるだろう。

で、ヴァイオリンは天使の音域、これを清らかにかつしっとり響かせるのは至難の業だ。


それでも、時々聴きたくなるのが、グラズノフの『ライモンダ』のグランド・アダージョだ。


1898年マリンスキー劇場の初演でばりばりのロマン派音楽なのに、このレオニード・コーガンの演奏だけは別世界に誘ってくれる。音と、空気と、バレエの振付が同時に喚起される。

(ここには3曲入っているがそのうちの最初のもので4:07くらいまで。)


ヴァイオリン曲は鳥の求愛の歌の模倣とされて、教会の中で弾くのがタブーだった時期もあるが、確かにこれを聴くと、天使の音なのか悪魔の音なのか分からない。


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by mariastella | 2018-09-17 00:05 | 音楽

『超死生観』

先日、健康ブログ、死生観ブログと化した、五十肩と代替療法の『たかが、かた(肩)』の月イチ更新をした。

いま書いている途中の『超死生観』という本は、一応は、「死が視野に入って来た高齢者の生き方を変える」目的で書いているのだけれど、今、「死者との交信」だとか、「殉教者としての死」とかの宗教的文脈や心理学的文脈を考察しているところだ。

日本語の言説を見ておこうと思ってググっているうちに『人は死なない』なんていう集中治療医の本が存在していることも知ってびっくりした。

フロイトが、人は誰でも、潜在意識の中では「自分は不死」だと思っている、と言っているが、なんだか妙に納得させられる。
「人は死ぬ」けど「私は死なない」んだなあ。

生きているうちに、できるだけ人の役に立つものを書きたい。
「普遍的なもの」と言いたいところだけれど、この頃は、50年後くらいを視野に入れて書いている。
私の同世代や上の世代の人でも、同じような視座を持って発信している人に共感する。
今の地球の異常気象やら各種殺戮兵器の性能向上などを見ていると、これからの50年を持ちこたえなくては普遍も何もあったものではない。

それとは別に、AIはどこまで人間性を獲得できるのか、人間にとって代われるのか、みたいなことについて、ここ数年、「目からうろこ」のようなケースをたくさん見てきたので、それについて別ブログで書いてみた。

このブログの番外編としてどうぞ。









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by mariastella | 2018-09-16 00:05 | 死生観

パリの石上純也展

ジャコメッティ館に行った時、すぐ近くのカルティエ財団の現代美術館に寄って石上純也展を観た。

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好評だとは聞いていたけれどスルーしていたのが、ついでだからと思ってチェックしてみた。

石上純也と言えば、「四角い風船」で、度肝を抜くコンセプチュアルアートという先入観しかなかった。

あらためてネットでインタビュー記事など読むと、作品とそれが置かれる空間、環境を同時に設計する際の発想の自在さが、やはり建築家ならではの感性に依っているのが分かる。

実際に行ってみて、天才だ、と思った。

しかも、透明度があって緑に囲まれたカルチェ美術館にぴったり。

場の全体がデザインされたインスタレーションになっている。

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「場所に合わせてデザインする」のではなく、「場」そのものを、視線や体の位置との関係で変容させていく。

地下で上映されているインタビューやドキュメンタリービデオも説得力があり、誰一人中座しないでじっと聞き入っていた。新しい世界の発見のようだ。

(日本人だから、日本語でネットを検索してもいろいろ見ることができるのでどうぞ)

中国で造ったものはさすがに金と空間がふんだんにある国での度肝を抜く冒険という感じ。谷間の聖堂は、谷の中にもう一つの谷という聖堂を入れ子にしたものだ。

水との関係も驚倒させられる。

ヴァーチャルなゲームの世界やテーマパークにあふれた世界で育った世代の自在な発想が、マクロなのかマイクロなのか、人工なのか自然なのか、二次元なのか三次元なのか、などの区別を取り払い突き抜けた世界を実現する。

デンマークの水の中の瞑想スペースやシドニーの雲のアーチなども魅力的だけれど、日本でも栃木県や神奈川県の大学や保育園、山口県のレストランなど、魅力的な作品がたくさんあるようで、いつかチャンスがあれば行ってみたい。

愉快なことに、カルチェ美術館の庭園の売店には、日本のドリンクや日本のスナックが置いてあった。

輸入したというより、石上展のスタッフが大量に持ってきた?とでもいうようなファミリーでキッチュな雰囲気で不思議だ。

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私のピアノの生徒で、バカロレアを終えてこの秋から建築の道に進むという学生に、この展覧会は必見だとメールを送った。

ただ一つ喉につかえる気がするのは、近頃の異常気象のせいで潜在意識に刷り込まれた不安のせいだ。

石上純也のような環境を封じ込めたり環境との関係性を変えたりするような空間デザインは、地震だの豪雨や洪水だのに耐えられるのだろうか、という疑問が湧きおこるのをとめられない。


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by mariastella | 2018-09-15 00:05 | アート

ジャコメッティのアトリエとジャン・ジュネ

ジャコメッティの最後のアトリエは、私が2005年頃からダンスの研修やクラスに通っていた14区の通りにあった。

そのアトリエの壁に至るまで夫人が大切に保存していたものが、40年後の今年、ラスパーユ近くの瀟洒なアールデコのホテル・パルティキュリエ(一戸建て邸宅)に再現されることになった。


公開されているが、入館チケットの販売はなく、すべてネットでの時間指定の予約のみ。最初の特別展は「ジャン・ジュネが見たジャコメッティのアトリエ」だ。(9/16で終了)

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前に書いたことがあるけれど、ジャコメッティのアトリエというのは私にとって「伝説」というか神話的な場所だ。

パリに住んで初期の頃にコレ―ジュ・ド・フランスで聴いていた講座にピエール・ブーレーズやイヴ・ボヌフォワのものがある。そして、ボヌフォワの語ったジャコメッティ論が私には強烈なインパクトだった。

ジャコメッティは「本物」、「生命」を表現しようとして工夫していたけれど、どんな肖像画や肖像彫刻を「本物」らしく制作していても、例えば、頭の丸みの中には「何もない」のは明らかだ。内臓や血管や血流も作れないし描けない。

で、ただのマチエールに過ぎない部分をどんどん削り取っていった。

それでも「本物」は現れず、彫像はどんどん細く、どんどん小さくなっていった。

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マッチ棒のようなものばかりになった時期がある。

それでもまだ命は宿らず、それを鑿の一撃で壊した。

その壊れる一瞬に、火花のように「本物」が現れたという。

いのちとは、形と形の消滅の境界線で輝くらしい。

その頃、もしアトリエが火事になったら、どの作品をもって逃げますか、と聞かれたジャコメッティは、迷わず「この猫」と、愛猫を指したそうだ。

猫は「命」を生きていたからだ。


やがて、すべてを極限に削っていった後に残るのは「視線」だと気づいた。

すべては「視線」を支え、「部分」やディティールの「本当らしさ」はどうでもよくなって、視線を支える「全体」が顕現するようになった。


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そういう話で、私にはジャコメッティのアトリエは神話の舞台のようで、広く深く薄暗い地下神殿みたいなイメージがなんとなくあった。

で、今回忠実に再現されたというアトリエはすごくコンパクトだった。

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休むためのベッドもそのままだという。

ジャコメッティ自身がアトリエをデッサンしたものも展示されていて、なるほどまさにこんな感じだったのだなと分かる。

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ここで、彼は、作品に絶えず手を入れ続けた。練って、揉んで、削ってという動きをやめなかった。

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そして、彼がある作品をいじりだすと、アトリエにあるすべての「未完成」作品が、脈打ち震えだすようだったというジュネの証言がある。クリエイトの波動がアトリエ内の彼の手による全てのオブジェに伝わっているらしい。

全時間と全空間を巻き込んでいかないような局所的クリエイトなどクリエイトではないのかもしれない。

「到達点に行き着くために探し続けている」のだけれど、「到達した作品は、失敗ということ」だ、と晩年にも言っている。探し続ける過程にのみ真実が宿るということだろう。そうなると、ボヌフォワが語った、全作品がミニチュア化していったスランプの時代と本質的に変わらない。この世における「完成」とはフェイクであり「失敗」なのだ。時間芸術である音楽とは違い「完成」した一点もののオリジナルが「作品」として残る

美術作品のジレンマだ。

だからジャコメッティの作品とは生命の希求、本物の探索をそのまま内包しているもので、それが、鑑賞者の生命哲学と呼応した時に新たに脈打ち始める。

 

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この犬の像は猫と物と同じく私の好きなものだけれど、アトリエにも置いてあった。

たとえば「犬の剥製」みたいなものと対極にある。

この犬に向ける視線で何かが息を吹き返す。

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ジャン・ジュネの肖像画。

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ジャコメッティの右がジャン・ジュネ。

丸顔だ。全てをぎりぎりにそぎ落としていくタイプのジャコメッティのスタイルで残ったぎりぎりの「視線」以外の「温かさ」が感じられる。
一連の作品を昔観たことがある矢内原伊作の顔の方が「ジャコメッティ」向きかなあ。  

いや、ジャコメッティの顔の方が彼の作品に似ているかも。
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彼は自分もまた「生きている」ことを知っていたのだろう。

おまけ:
今回修復されたこの建物はアールデコの小住宅の傑作で、建築か装飾系の人が窓や壁や階段などを盛んに撮影していた。トイレもドアを開けてから三段くらいステップを降りてこんな感じの作りで驚いた。
ジャコメッティには、似合わない。


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by mariastella | 2018-09-14 00:05 | アート

ブルゴーニュ  その20

ヴェズレーのバジリカ聖堂は、今もある修道会が巡礼者の世話をはじめとして黙想会や聖書の勉強会などをオーガナイズしている。エルサレム修道信心会だ。

ここの修道士や修道女が交代でバジリカ聖堂の無料ガイドも引き受けている。

夏場はその他に、歴史建築について学ぶ大学院生などもボランティアでガイドをしている。


どこを訪れても本当に満足を与えてくれるのは、人々との会話だ。


私はそのために聖堂を複数回訪れた。


ボランティアの会の学生が、カトリック信者なのか、そうでない場合、このような大聖堂を案内し歴史の説明をすることに霊的なモティヴェーションはあるものだろうか、そもそも今の若者が、このような教会建築に惹かれるきっかけは何か、ヴェズレーという「場」のオーラ、パワーなどを感じたことがあるのか、など、質問したいことがいくつでも出てきた。


サン・フロランタンやオセールでも観光案内所の人たちとじっくり話せたし、サン・ペールでその日の夜のコンサートのリハーサルをしているミュージシャンたちと話せたのも僥倖だった。

それらについていつか別の形で書くことになるかもしれない。

長くなってしまったので、ブルゴーニュ紀行はここでいったん終わることにする。

資料をじっくり読むのはこれからだ。

おまけはヴェズレーの猫。

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by mariastella | 2018-09-13 05:05 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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