L'art de croire             竹下節子ブログ

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ヴィム・ヴェンダース『フランシスコ教皇Pope Francis - A Man of His Word』

先日、今年のカンヌ映画祭で上映されたヴィム・ヴェンダース監督のドキュメンタリー映画『フランシスコ教皇PopeFrancis - A Man of His Word』を観た。


クローズアップのインタビューが主ということでそんなに期待していなかったのだけれど、映画館を出るときには、キリスト教徒に、ではなく、環境保護者になっていた。


ゴミの山やプラスティック廃棄物、また廃品回収のスラム街などの圧倒的な描写を映すドキュメンタリーは他にもあるだろうけれど、それにかぶせて「母なる地球を殺した」と何度も言われると罪悪感と絶望感にとらわれる。それでも、「キリスト教では、未来はひとつの名前を持っています。それは『希望』です」と言われると、「希望を持ってもいいの?」と謙虚な気分にもなる。

ヴェンダースにドキュメンタリー映画の白紙依頼が来たのはフランシスコ教皇が選出された2013年の末だそうだ。ヴァティカンとしての公式の依頼ではなくましてや広報映画ではない。

ヴェンダースはカトリックですらない。

で、「どうして私が?」と聞くと、「ベルリン・天使の詩』です」というのが答えだったそうだ。

映像の美しさなのかとも思ったけれど、天使が単にメッセンジャーとして傍観するのではなく、世界に飛び込んで変革する意志のところなのだろう。

ヴェンダースにとってその映画は宗教映画ではないけれど霊的な映画であることは間違いない。

彼は「多くの面で宗教は信仰の敵になり得る」と思っていたが、この映画の責任を引き受けることは、結果的に自分の信仰告白になったとも語る。

それだけではなく、ヴェンダースは、「キリスト教と社会主義の両方の教養と感性を持っている人」として選ばれたという。すでにフランシスコ教皇の「社会主義的感性」が明らかになっていたからだろう。

ヴェンダースはデュッセルドルフのマジョリティであるカトリック家庭の生まれで、16歳の時には司祭になろうと思っていたそうだ。

その後、ロック・ミュージックやフランスの685月革命の影響を受けて社会主義を信奉する学生となり教会を離れた。ドイツは税金の申告に所属宗教を書かせて「献金」を代理徴収する国だから、教会を離れるというのは足が遠のくというのでなく、はっきりとカトリックから離脱したということだ。

1970年代には精神分析を続けて受けて、仏教に興味を持った。この辺も、この世代のヨーロッパのインテリ左翼の王道でもあるが、「無神論者」にまではなれなかったのは、精神分析を必要としたことからも分かる。その後で父と兄を亡くしたことからまたキリスト教に接近してプロテスタントの信者となった。「死」への通過儀礼における宗教共同体の重要さが分かったのかもしれない。

ヴェンダースが影響を受けたのはオーストリア出身のユダヤ系哲学者マルティン・ブーバーで、「対話の哲学」などの痕跡が彼の映画に感じられる。

カトリックではアメリカのフランチェスコ会士であるリチャード・ロアを愛読しているという。


リチャード・ロアは多作で宗旨を超えた人気作家だけれどなぜかフランス語にはほとんど訳されていない。発想は自由で、「神」を頂点に据えて被造物の傍観者のような図式を作ったのはアリストテレス哲学の影響で、それが神と人間の交わりを阻害してきた。神とはそれ自体が三位一体という関係性であって、創造と恵みと愛は絶えることのない奔流のようなものだという。

ということで、ヴィム・ヴェンダースは、聖フランチェスコの名をはじめて選んだローマ教皇の勇気に感心した。さらに、フランシスコ教皇がアッシジのフランチェスコの精神を忠実に生きていることに驚き、共感して、それをこの映画ですなおに表現した。カトリックの御用映画だと思われないように中立性を求めて距離を置くとか批判的な目を向けるというようなことは一切していない。そもそも自分はカトリックの信徒ですらないのだから。


だから、この映画の中でフランシスコ教皇が、軍事・武器のビジネスを一切廃止せよとか、我々はモノやカネを蓄積するのでなくもっとシンプルに生きていけると言う時、全ての人の友愛や平等を説く時、かえってまっすぐにメッセージが飛び込む。

こういうことを民主主義の建前を掲げている全ての国のトップに立つ人々にぜひ繰り返し聞いてもらいたい。

今の風潮では、他の人が同じことを言っても、「現実を見ないお花畑」などと切り捨てられることが多い。

でも私たちにはいつも、アッシジのフランチェスコが必要だ。

そうしないと、本当に、

この世界から風にそよぐお花畑が消滅してしまう。


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by mariastella | 2018-09-30 01:20 | 映画

21歳の日記

トリスタンとイゾルデの話は一応昨日で終わった。

その後、バロック仲間やピアノの生徒とも話して、一番驚かれたのが、このストーリーで相思相愛の部分はトリスタンとマルケ王であるところだった。互いが互いを思う心と、王という身分ゆえに子孫を残すことを期待すされる苦しみ、貞節や自己犠牲とは何かということと、「愛の妙薬」によって引き出された「欲望」をどう処理できるのかという葛藤だという話た。イゾルデはトリスタンの傷をいやした時にすでに恋に落ちたけれど、トリスタンの方は「愛の妙薬」のせいだった。「愛の妙薬」はたとえの一種でお話だからというのではなく、かなり本質的な部分である。納得がいかない、とリラダンがワグナーに質問したことでも分かる。
それなのに、「トリスタンとイゾルデ」は「ロミオとジュリエット」のような悲恋物語に回収されたのだ。

で、これらの記事を書いた数日後、探し物をしていて、偶然、学生時代の日記を見つけた。しかもちょうど卒論を書いていた頃のものだ。
斎藤磯雄さんとの出会いについて何か書いているかなと探したら、まさに、彼と会った日の日記があった。

先日のブログに書いた思い出話と基本的には一致している。
この日記によると、二日続けて会ったのだ。

この日記を読んだのは多分それを書いて以来で半世紀近く経過しているということだ。このブログに書いて数日後にこれを読んだという偶然に驚いた。

21歳の自分に会える。
本来なら、私はこんなものをブログにアップする趣味はまったくないのだけれど、なんだか、ここまで時間が経過したら、自分の日記とは思えない。
まったく個人的な記録だから、字も乱雑だし、「貸す」を「借す」と誤記するなどつっこみどころもたくさんあるが、1970年代の女子学生ってこんな風に書いてたんだなあ、と感慨深いので、ここにそっとその日の分を載せておく。
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by mariastella | 2018-09-29 00:53 | 雑感

パリ・オペラ座の『トリスタンとイゾルデ』 その3

(これは前の記事の続きです)

ここで、ルージュモンの著作や私の論文の内容について書くつもりはない。

今思うと、第二次世界大戦がはじまる少し前に書かれたルージュモンの『愛について――エロスとアガぺ』(原題は「愛と西洋」でトリスタンとイゾルデ文学の系譜をたどっている)にももちろん、ワーグナーのトリスタンとイゾルデが言及されていたのだけれど、マルケ王との愛の関係は記憶がない。

性愛の欲望に焼かれる「エロス」の過激と過剰はそれ自体が「死」をはらんでいて、それが究極には、「アガぺ」という別の価値に拠る生き方につながる逆説というのが印象的だったのを覚えている。(ルージュモンの他の著作は後にフランスでフランス語で読んだが、この本はあれ以来一度も読み返していない)。


で、キリスト教の神秘主義者が語る「神との合一体験」のエクスタシーとの関係とか、昇華作用というものに興味を持った。ワグナーのトリスタンには一度も「神」という言葉は出てこないのに、私の卒論には聖書の引用がたくさんあった。その時の私でも、こんなものをカトリックの神父さんに見せてもいいのか、という気はちらりとしたけれど、アヌーイ神父は、「自分にはよく分かるけれど先生たちには理解できるかどうか心配です」と言ってくれた。


『アクセル』の主人公のアクセルは財宝があるのに世俗を離れて知識を求めようとしている。けれど、人を殺めた後で、生きる欲望が目覚めて導師のもとを去る。ヒロインのサラは修道院にいたけれど抜け出した。2人とも、禁欲の果てに約束される輝かしいものを捨てたのだ。そんな2人が出会って、トリスタンとイゾルデのように愛の妙薬を飲んでもいないのに、はじめての生身の「愛」に向かい合って昂揚するのだけれど、トリスタンとイゾルデの第二幕の二場でトリスタンが突然「生」から「死」へ振れるように、この世では決して至高の「愛」には到達できない、愛を永遠のものにするにはこの世から別のところに行かなければならない、となる。

(それはどちらかというとトリスタンやアクセルの側から来るもので、イゾルデやサラは、この世での至福をまず味わうことのどこが悪いの ?と思っている部分がある。)


で、卒論を書いていた当時の私がまったく無視していたことがある。

リラダンは、『アクセル』を書く前にワグナーに会いに行ってワグナー宅に滞在しているのだ。

1869年の716-25913-18、そして1870719-303回。

トリスタンとイゾルデの初演は1865年。

リラダンの死は1889年。『アクセル』は死の年に書かれたと思われる。

リラダンの信奉者だったジョセフ・ぺラダンが薔薇十字サロン展とワグナーの『パルジファル』の曲を使ったコンサートを開いたのが1892年。『パルジファル』は聖杯伝説も取り入れたキリスト教的救済劇でありぺラダンの求めるものと一致していた。

ぺラダンは1888年にバイロイトに行き、「トータル・アート」であるワグナー楽劇に感動し、リラダンのアクセルもワグナーも薔薇十字風にアレンジした。

ぺラダンは神秘的カトリック至上主義者で、パルジファルとアクセルという傑作はカトリックがテーマであり、ラテン世界においてはカトリックなしに芸術はなく「無」しかない、とまで言っている。

確かにリラダンもカトリックだった。


で、1887年にリラダンが残した回想記にワグナーとの会話がある。(彼は記憶違いで1868年とした)


トリスタンとイゾルデの「愛の死」が、リラダンの最大の関心だったことが分かる。


トリスタンとイゾルデの、死につながっているような至高の愛が、愛の妙薬などによって盲目になって求めあうようという次元の低いものであることの矛盾を感じたリラダンは、神という言葉が一度も出てこないことを含めて、ワグナーに質問したかった。ニーベルンゲンの指輪など北欧の神話とキリスト教について聞いた時のワグナーの答えは明快だった。


グナーは青い目を見開いてリラダンを見つめ、「自分の芸術は祈りである」と答えた。

真のアーティストは自分の信じているものしか歌わず、愛しているものしか語らず、考えていることしか書かない。信じてもいないものを成功や金のために創られる作品は死んだ作品で、そのような裏切り者による「神」の名は、「虚偽」である。熱烈で聖なる信仰、正確で変更不能な信仰こそが真の芸術家の第一の徴である。真の芸術の価値と生の価値は分かつことができない。信仰のない者の作品は芸術家の作品ではない。生を高め、大きく、熱く、強くする生きた炎がないからだ。

科学だけでは器用で整合性があるもののしかできず、信仰だけが、超越に向かう叫びを生み出すが、世俗の耳には支離滅裂だと聞える。 

真の芸術家だけが、科学と信仰という分かつことのできない賜物を結び付け作品芸術作品に消化できるのだ。

私に関しては、私は何よりもまずキリスト教徒である。私の作品のすべてはそのことにインスパイアされている。


グナーのこの言葉を聞いたリラダンは、カトリック教会から異端扱いされたボードレールもこの同じ真実を語っていたと述べている。

(これは私の意訳なのでこの部分のフランス語を記事の終わりにコピペしておく)

リラダンの全文はここで見ることができる。


いやあ、驚いた。

卒論制作当時の私が何をどこまで把握していたか、実はもう覚えていない(読み返すこともなかったので)。

でも、これで見ると、リラダンの『アクセル』のラストシーンにおける主人公2人の「愛の死」はワグナーのトリスタンとイゾルデをキリスト教神秘主義で読み取って突き進めたものといっていいくらいだ。

ワーグナーのこの「19世紀ドイツ風キリスト教アイデンティティ」は、後に反ユダヤ主義に結びつく要因になったともいえる。リラダンやぺラダンのように徹底して高踏、反俗「神秘主義」の方に向かったアーティストとは道が分かれた。

もし、当時、インターネットがあれば、これらの資料をいくらでも使えたかもしれない。いや、当時のワグナーやリラダン研究自体がまだ今ほどには進んでいなかったかもしれない。

逆に、今、私が大学生でこれをテーマに卒論を準備しているとしたら、資料が多すぎて、溺れてしまい、風呂敷はどんどん広がり、ハードルは上がり、迷宮に迷い込むかもしれない。

最も必要な能力は、テーマについて考えることでもそれを理解することや自分の考えをまとめることでもなく、何より先に、まず、ネット資料のリテラシーになる。

ワーグナーのオペラを実際に観たのは高校時代の『トリスタンとイゾルデ』の他には『さまよえるオランダ人』、『ワルキューレ』くらいしかなかった。ビルギット・ニルソンのリサイタルには行ったことがある。

でもイタリア・オペラを観た回数の方がはるかに多い。

フランス・バロック・オペラ頭になってからは、今の自分のやっている音楽とワーグナーの関係など考えたこともない。

私の新刊『神と金と革命がつくった世界史』の第三章にはエリック・サティが1892年のぺラダンの薔薇十字コンサートの音楽監督だったことが書かれている。サティの「信仰」は、ワーグナーやぺラダンの方向には向かわなかった。その点に関して詳しいことは書いていないけれど、今なら、リラダン、ぺラダン、ワーグナー、ルージュモン、サティを組み合わせて、ドイツ音楽とフランス音楽の関係についてももっと本質的な何かについて書いてしまいそうだ。

それにしても、壁だと思っていた場所にいろいろな扉がパタパタと開く思いがけない「パリ・オペラ座のトリスタンとイゾルデ」体験となった。

ドイツ音楽美学の渡辺護さんとフランス象徴派文學の斎藤磯雄さんという私の若い頃の年の離れた「文通相手」が突然、つながった。

今日は、このことをバロック音楽仲間に話して聞かせることにしよう。

(以下、リラダンの回想より、ワーグナーの答えの部分です。

Jeme souviendrai toujours du regard, que, du profond de ses extraordinaires yeuxbleus, Wagner fixa sur moi.

Mais,me répondit-il en souriant, si je ne ressentais, EN MON ÂME, la lumière etl’amour vivants de cette foi chrétienne dont vous parlez, mes œuvres, qui,toutes, en témoignent, où j’incorpore mon esprit ainsi que le temps de ma vie,seraient celles d’un menteur, d’un SINGE ? Comment aurais-jel’enfantillage de m’exalter à froid pour ce qui me semblerait n’être, au fond,qu’une imposture ? — Mon art, c’est ma prière : et, croyez-moi, nulvéritable artiste ne chante que ce qu’il croit, ne parle que de ce qu’il aime,n’écrit que ce qu’il pense ; car ceux-là, qui mentent, se trahissent enleur œuvre dès lors stérile et de peu de valeur, nul ne pouvant accomplir œuvred’Art-véritable sans désintéressement, sans sincérité.

Oui,celui qui – en vue de tels bas intérêts de succès ou d’argent, — essaie degrimacer, en un prétendu ouvrage d’Art, une foi fictive, se trahit lui-même etne produit qu’une œuvre morte. Le nom de DIEU, prononcé par ce traître, nonseulement ne signifie pour personne ce qu’il semble énoncer, mais, comme C’ESTUN MOT, c’est-à-dire un ÊTRE, même ainsi usurpé, il porte, en sa profanationsuprême, le simple MENSONGE de celui qui le proféra. Personne d’humain ne peuts’y laisser prendre, en sorte que l’auteur ne peut être ESTIMÉ que de ceux-làmême, ses congénères, qui reconnaissent, en son mensonge, celui qu’ils SONTeux-mêmes. Une foi brûlante, sacrée, précise, inaltérable, est le signe premierqui marque le RÉEL artiste : — car, en toute production d’Art digne d’unhomme, la valeur artistique et la valeur vivante se confondent : c’est ladualité même du corps et de lâme. L’œuvre d’un individu sans foi ne sera jamaisl’œuvre d’un ARTISTE, puisqu’elle manquera toujours de cette flamme vive quienthousiasme, élève, grandit, réchauffe et fortifie ; cela sentiratoujours le cadavre, que galvanise un MÉTIER frivole. Toutefoisentendons-nous : si, d’une part, la seule Science ne peut produire qued’habiles amateurs, — grands détrousseurs de « procédés », demouvements et d’expressions, — consommés, plus ou moins, dans la facture deleurs mosaïques, — et, aussi, d’éhontés démarqueurs, s’assimilant, pour donnerle change, ces milliers de disparates étincelles qui, au ressortir du néantéclairé de ces esprits, n’apparaissent plus qu’éteintes, — d’autre part,

lafoi, SEULE, ne peut produire et proférer que des cris sublimes qui, FAUTE DE SECONCEVOIR EUX-MÊMES, ne sembleront au vulgaire, hélas, que d’incohérentesclameurs : — il faut donc à l’Artiste-véritable, à celui qui crée, unit ettransfigure, ces deux indissolubles dons : la Science et la Foi. — Pourmoi, puisque vous m’interrogez, sachez qu’AVANT TOUT JE SUIS CHRÉTIEN, et queles accents qui vous impressionnent en mon œuvre ne sont inspirés et créés, enprincipe, que de CELA SEUL.

Telfut le sens exact de la réponse que me fit, ce soir-là, Richard Wagner — et jene pense pas que Madame Cosima Wagner, qui se trouvait présente, l’ait oublié.

Certes,ce furent là de profondes, de graves paroles…

—Mais, comme l’a dit Charles Baudelaire, à quoi bon répéter, ces grandes, ceséternelles, ces inutiles vérités !


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by mariastella | 2018-09-28 00:05 | アート

パリ・オペラ座の『トリスタンとイゾルデ』 その2

(これは前の記事の続きです)


私が高校生の時にはじめてバイロイト引っ越し公演の『トリスタンとイゾルデ』を観た時に、当時ワグナーについての権威だった渡辺護さんから招待を受けた話は前に書いた。

私はドイツのカイネ・ロマンツェというか、ちょっと退廃的なロマン派文学が好きで、大学の第二外国語(第一は既習のものということで英語)もドイツ語をとっていた。


それが、途中で転向してフランス語に進み、高踏派、象徴主義のヴィリエ・ド・リラダンを卒論のテーマに選んだ。

卒論はフランス語だったので苦労したことは前に書いたことがある。(こことかここ


で、アヌーイ神父さん以外に、この卒論に協力していただいた方がもう一人いる。

その方も、今思うと、渡辺護さんとほぼ同世代で、私の父と同世代の方だった。

彼とも、渡辺さんと同様、お会いした後で文通していた時期がある。

ヴィリエ・ド・リラダン研究第一人者であった斎藤磯雄さんだ。


当時普通の書店で手に入るのは『残酷物語』くらいで、私は『未来のイヴ』や、彼の訳した1940年代の『アクセル』(リラダンの遺作となった戯曲)を神保町の古書店で見つけたものを読んでいた。

その最後の場面がアクセルとサラの「心中」だった。

愛が最高潮に達した時に、これ以上この世で愛を生きても堕落、下降するばかりだから、「至上の愛」のために二人で毒をのむという結末だ。


これを私は神秘主義者の神秘体験の系譜の中で分析した。


その時、死に終わる「西洋」の悲恋文学の伝統について最大の参考図書にしたものが、ルージュモンの『愛について―エロスとアガぺ』だった。


構想はできていた。

でも、論文はフランス語。

もちろんインタ-ネットなどない時代。


『アクセル』のフランス語の原本がどうしても必要だった。


で、訳者の斎藤磯雄さんが当時明治大学の教授だったことを調べて、彼の授業のある日にお茶の水の明治大学に突然訪ねて行ったのだ。他大学の中に入るのも初めてだった。


「東大の女子学生が卒論のための本をどうして手に入れたらよいのか相談しに来た」というのだから無下には追い返されないとは思っていた。

でも、相手は高踏派の文学者。

緊張する。


で、教室から出てきた斎藤さん。

私は、自己紹介し、論文のことを説明し、持って行った斎藤さん訳の『アクセル』を見せた。

その時に彼の顔色が変わり、これをどこで手に入れたのかと聞かれた。

神保町の古書店だと答えた。

その本は贈呈本で、斎藤さんの署名があった。「徳之介兄へ  斎藤磯雄」 というものだ。

価値があるかも、とは思っていた。

彼は、次に会う日を指定し、自分の持っている原本を貸してくれると言ってくれた。

で、その後、彼とやりとりがあり、私の持っていた『アクセル』は、彼が亡き兄に贈呈したものだと分かった。確かに献辞に「兄」とはあったが、敬称で、ほんとうのお兄さんだとは思っていなかった。

で、彼が敬愛する兄に贈呈したものが古本屋に渡ったということにショックを受け、兄の未亡人が売ったのだろうか、どうして形見に持っていてくれなかったのか、あるいは自分に返してくれなかったのかと、一瞬でいろいろな思いが頭を駆け巡ったのだそうだ。

でも、結局、私との出会いは兄が結びつけてくれたものだ、と思うようになったという。

私はその後、お借りしたフランス語版と同時に、この『アクセル』を全編コピーして、お兄さんの蔵書だったものは斎藤さんに譲った。


彼はそれに感謝して、自分で編集して世に出したお兄さんの遺稿集を贈呈してくれた。

それは今もある。

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で、それが、『トリスタンとイゾルデ』とどういう関係があるかと言えば、あったのだ。


私がリラダンの分析に使ったルージュモンの『愛について』こそ、まさに、トリスタンとイゾルデの系譜について語った本だったからだ。(続く)


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by mariastella | 2018-09-27 00:05 | 雑感

パリ・オペラ座の『トリスタンとイゾルデ』

先日 バスティーユのオペラ座の『トリスタンとイゾルデ』を観に行った。


この観劇が、いろいろなものをつないでくれるミッシングリンクの発見になるとは思わなかった。

それほど興味深いものとなった。

チケットを買った時はそこまで考えていなかった。


で、いろいろなことを書こうと思うのだけれど、まず、フレンチ・ワーグナーに加えてピーター・セラーズとビル・ヴィオラビデオ作家による演出というものについて一言触れようとして、念のためネットで検索したら、パリオペラ座の引っ越し公演『トリスタンとイゾルデ』というのが日本で2008年にあったことを知った。

その時もこの演出で(歌手たちはイゾルデの侍女役で安定のエカテリナ・グバノヴァ以外は、全員異なる。指揮者も違う。)、すでにたくさんの人が観に行った感想をブログなどにアップしているのを見つけて驚いた。さすが日本。しかも4万円以上のチケットを買った人もいるし、トリスタンの公演はすでにいろいろ見尽くして比べている人もいる。すごい。

パリ公演を観た人、バイロイトで観た人もいる。

そういえば、私の行ったに日も、日本人のツアーらしいグループがいて、終演後に「メトロに乗る前にトイレに行ってください」などと世話係が叫んでいた。

オペラっていつの間に、日本人のスタンダードな趣味になっていたんだろう。バブルがはじけて久しいのに。

で、日本でも演じられたのなら、演出についてのコメントはスルーしようかなと思ったのだけれど、日本のネットでこの演出のビデオのことをめちゃくちゃに貶して(しかも旧仮名ブログで)いる人が目についた。

私はその人の意見に概ね賛成で、特に、初めの方でトリスタンとイゾルデが二つに区切られた画面の奥から歩いてきて、少しずつ服を脱いで全裸になるというストリップにはあきれた。

でも、そのことを、そのブログ主は、アポロンならぬ中年フランス男の体など見たくない、と書いてあるのだ。

日本のプログラムに解説がなかったのだろうか。

別に「フランス男」を弁護する気はないけれど、あのビデオは、2004年にロスアンゼルスでの公演の時に、まずビル・ヴィオラがビデオを作って、ピーター・セラーズはそれに合わせなければならなかったという話だし、ビデオの中で全裸になる男女ももちろんカリフォルニアの役者だ。だから、演出の全体は「メイド・イン・USA」で、こういうと何だけれど、アメリカ西岸テイストだしビル・ヴィオラは有名なビデオ作家だそうだけれど、CG以降の映像の世界では、2004年の映像の使い回しって、「古い」としか思えない。

ピーター・セラーズはそれでも、マルケ王を客席から登場させたり合唱を客席の後ろ、イングリッシュホルンのソロをバルコン、他の歌手もバルコンに配置するなど立体的な演出を工夫している。第三幕でスクリーンが縦型になるのも悪くないし、登場人物も、近頃のオペラによくある変な今風の服よりは地味な黒でビデオの役者の黒子みたいな感じも表現しているのは理解できる。最後の死の床のトリスタンだけ白い服になる。


バロック・オペラでもスクリーンを使う演出はある。それで感心したこともある。

このトリスタンの初公演と同じ2004年に見たパラダンだ。

そのことをサイトのバロック音楽室で少し触れている。

2005年のピグマリオンを観た時の感想だ。

ここの

pigmalionのところ。

該当部分をコピーすると

>>>それで、ピグマリオンの方は、歌もコーラスもあり、バレーが歌のところにも同時に入ってバランスも良く、楽しめましたが、ラストのように明らかに踊りが入ってほしいところに、まったく動きをつけないなど違和感もありました。このオペラの振り付け譜は残っていないのでしょうか。一ヶ所、バック・スクリーン に飛び立つ鳥のシルエットが映し出されたのは印象的でした。私は、ミオンのオペラ復活に向けてもう何年も振り付けを研究しているのですが、去年やはりシャトレー座で観た『パラダン』で、ヴアーチャルナイメージをふんだんに使っていた効果に感心して以来、別に人間の体は必要ないと思うようになっています。バロック・ジェスチュエルをもっとも効果的に使ったアニメ、バロック音楽のダイナミクスをぴったり使った動きを配したら、生身のダンサーは1人でも足りる気がします。
生身のダンサーは、観客のためというより、演奏家にとって、そのダンサーの体を持ち上げたり落としたりする感覚を喚起するために有用なので、まったくアニメだけというわけにはいきません。それにしても、バロックのバレー曲に、そのエスプリに合ったアニメの振り付けが出来れば、ディズニーの『ファンタジア』をはるかに超える心身音楽体験が出来ると思います。予算的にも、オーガナイズ的にもバレー団を動員するよりずっと実現可能性が高そうだし。絵は自分で描けますがデジタル・アニメのノウハウはないので、まだ先が見えません。<<<

その時感心したのではっきり覚えているけれど、実物大よりはるかにクローズアップされた生身の人間などではなくて、私がアニメといったように、とても「デザイン」的なものだった。実写ではないし、「自然の風景」のようなものでもない。その方が「古くならない」と思う。

すっかり「バロック・オペラ」人間になった今、何十年ぶりかで観た『トリスタンとイゾルデ』は、けっこう『ニテティス』に通じると思った。水(ここではこれがメインだが)や火をテーマにした画像が多く、「森」もあったし、ニテティスの四大元素のシンボルや、王を殺された王女の恋だとか、何よりも、装飾音やら不協和音だらけの和声進行とか終始のカダンス抜きで光景ががらりと変わるところとか、その技巧的なところが、あれ、ラモーにも通じるなあ、と一瞬思った。パリ・オペラ座管弦楽団の演奏のせいもあるのかもしれない。

もちろん決定的な違いはある。

ラモーやミオンがひたすら音の色彩感を変化させて行くのに対してワグナーは音の質感の方を変化させるし、やはりロマン派以降の「感情に訴える」という意図が強い(そして成功している)。

これはそうとうの「役者」の演技力が必要で、今回、マルケ王のルネ・パーぺなど、あまりにも真に迫っていて本当に感動してしまった。指揮者のフィリップ・ジョルダンは2020年からウィーンの国立オペラ座の音楽監督就任が決まっているせいか、トリスタン(アンドレアス・シャーガ-)もイゾルデ(マルティナ・セラフィン)もウィーン出身歌手で、ルネ・パーぺもドイツ人だし、ネイティヴだから歌いながらこれだけ感情移入できるのかと思うほどだ。

こちらもすっかりストーリーのディティールにはまり、トリスタンの従僕とイゾルデの侍女の忠誠ぶりはまるで儒教世界だなあ、歌舞伎を見ているみたいだなあ、と思う。何かというと「恥」「不名誉」の感覚が強調されるのも「恥の文化」ですか、といいたくなる。

そして、マルケ王が若い甥のトリスタンを愛するあまり、最初の妻が子をなさぬまま死んだ後も再婚せず、トリスタンに王位を譲るつもりであったのが、トリスタンがイゾルデを連れてくるのを裏切りのように感じる。

フランス語のプログラムではわりとはっきりと、王がトリスタンの最初の愛人だったとある。で、王はイゾルデに触れなかったふしもある。前の王妃に子供がいなかったのもそのせいかもしれない。

つまり、「不倫」はイゾルデではなく、トリスタンが王を裏切ったと何度も強調されている。

そう、イゾルデは罰の対象にならないのだ。トリスタンも王の純愛の対象だから王が自分で罰する気にはなれない。

それらみんながそれぞれの「立場」からの「恥」や「名誉」や「愛」や「義務」に翻弄されているわけで、このオペラには、ワーグナーのゲルマン性や多神教世界とは全く別で、「神」という言葉がまったく出てこない。その徹底ぶりはすごい。

なんとなく共有されている、「王の婚約者を王のもとに連れて行く途中、愛の妙薬を飲んでしまったせいで道ならぬ恋に落ちる」なんていう話ではまったくない。すごく過激で錯綜している。

その情念をマルケ王とトリスタンが思い入れたっぷりに表現するので、イゾルデの立場って何 ? って思ってしまうほどだ。

ワーグナーのトリスタンって、もともとこういうストーリーだったのだろうか。

調べてみると、2004年のロスアンゼルスでの初演の後、2005年にはじめてパリのオペラ座でこの演出で上演された時の本Tristan et Isolde à l'aube du XXIesiècle: trois visions pour une œuvre をネットで読むことができた。そこには、トリスタン物語のもとになった中世の文献を見ても、マルケ王とトリスタンが口にキスをしていたり、マルケ王の横でトリスタンがハープを弾いていたり(ダビデとサウル)の図があるので間違いないのだそうだ。うーん、それなら、あのビデオの生々しい男女の全裸とか、ますます的外れなのでは ?

いやもういろいろな思いが重なって、歌や音楽を批評する気は失せる。

ただ、昔と違って、ヴィオラを弾くようになって四半世紀近く経ち、オーケストラっぽいものにも参加しているせいか、弦楽のバランスがよく聞き分けられる。ヴィオラが効果的に使われているところなどは特に。

そして、こんな長い曲、指揮者も歌手もオーケストラもさぞや大変だろうなあと思う。

(続く)

バスティーユのメトロから地上へ上がると広場が見えてくる。

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後ろを振り返るとグラフィティでいっぱい。

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オペラ座の中からバスティーユの広場を見る。

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二キ・ド・サンファルの回る彫刻。

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劇場の中。

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オーケストラピット。椅子はクッションがあって背もたれも調節可能で間隔もある。

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朱が入った楽譜。大変そうだ。

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カーテンコール。

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by mariastella | 2018-09-26 00:05 | 音楽

カレール=ダンコス、スレイマン・バシル・ディアヌとハンマド・イクバル

先日、女性のラビと女性のアカデミー・フランス会員(歴史学者)のエレーヌ・カレール=ダンコスがテレビで話していたのを聞いた(再放送だった)。

グルジアからの亡命者として生まれたロシア史学者のカレール=ダンコス(89歳でエネルギッシュな明敏さにあらためて驚く)が、ソ連での女性の地位について話していた。ソ連では、革命のすぐ後も、1921年から男女平等が掲げられていたが、実際は女性が重労働に駆り出されるだけで、政治の中枢は男ばかりだった。それでも38日の女性の日だけ女たちは働かずにデモ行進をし、男たちは女たちに花を捧げていたという。3/8の国際女性の権利デーって、そんなに歴史があったのかと後でネットで調べたら、1909年にアメリカの社会党が2/28を女性の日にしたのが始まりらしい。それから2月最後の日曜とかいろいろあって、3/8に落ち着いたそうだけれど、なるほど、もともと革新政党が始めたものだからロシア革命後のソ連でも続いたのだ。

すると同席していた女性のラビが、ユダヤ教では毎月の最初の日が女性の日となっています、と発言した。

知らなかった。

インタビューの女性が、年に一度よりも月に一度の方がましなのか、その他の日はすべて「男の日」なのか、と苦笑いした。

さらに、カレール=ダンコスが、ロシア帝国でエカテリーナ二世以降女性が皇帝になれなくなったのは、母と確執があった息子のパーヴェル一世が即位したときに、法を変えて決めたからだと言った。

後に、ロシア革命で倒されたニコライ二世には血友病で即位不可能な状態の未成年の息子1人と、健康な姉娘たち4人がいた。もし彼女らが帝位を継ぐ立場にあれば歴史は変わっていたかもしれない、と言う。

別の日には別の番組でスレイマン・バシル・ディアヌが話しているのをこれは「生」で聞いた。

セネガルの数学者、哲学者で、今はNYのコロンビア大学で教えている。

この人はフランス語圏アフリカの知識人としてエリート中のエリートで、バカロレアの後パリのルイ・ルグランから高等師範学校に進みデリダやアルチュセールに師事し、というか哲学のアグレガシオンを取得、ハーヴァード大学にも留学した後で、わいてくるソルボンヌで数学の博士号も取得した。

60代前半だが、見た目はごく普通の黒人のおじさん。フランス語にもわずかだけれどアフリカのフランス語圏出身独特の訛りがある。雰囲気としては、「白人社会に伍するエリート」には見えない。

ところが、この人が話しているのを聞いた15分ばかりで、彼の知性に圧倒された。

今までもちろん古今東西の大思想家、哲学者らの本は読んできたけれど、その著作を今まで読んだことがなく、外見の雰囲気からは「知的」というステレオタイプが欠如している人がTVで話すだけで、先入観も外見も関係なく、ただただ、こんなすごい人がいるのだと感動した。ジョークにしろ「人は見た目が9割」などと言う言説が存在する世界があるとしたら情けない。

しかも彼の語るのはイスラム文化である。

この御時世に、セネガル人でムスリムでイスラム文化擁護者というだけで、愚かなこちらの偏見、先入観が無意識に発動されていたと思うのに、あまりにも明晰であまりにも説得力があり、しかも、ポジティヴで、一瞬でファンになった。

で、そんな彼のイスラムとは、スーフィズムだ。西アフリカのスーフィー信心会で活動していて、イスラム啓蒙思想の基本に据えるべきユニヴァーサリズムの重要性を唱える。

歴史的には西洋文化(ギリシア・ラテン・ユダヤ=キリスト教、ケルト・ゲルマン)ルーツを持つユニヴァーサリズムは、非西洋や非白人、非キリスト教文化圏からは、「白人からの押しつけであり普遍などではない」と見られることもある。それはその伝播が政治経済的に「帝国主義」を経由した「上か」のものだったからであり、これからは、同じコンテンツを、水平方向に、そして「交渉可能」なものとして展開すべきだと言っている。

まったく同志という気がする。

彼の著書の『イスラムと開かれた社会、ムハンマド・イクバルの思想における伝統と前進Islam et société ouverte, la fidélité et le mouvement dans la penséede Muhammad Iqbal 』に俄然興味が湧く。

ハンマド・イクバルは1877年にラホールで生まれたムスリムの父詩人で哲学者で音楽家で、英領インドからパキスタンが分離独立するに至った思想的な建国の父であり、インド人からも、アフガニスタン、イランでも敬愛されている人だ。「知の巨人」で、ミュンヘンではペルシャにおける形而上学の発展についての論文で博士号を得て、故郷では弁護士、政治家としても活躍した。すごい。ペルシャ語でも作品を残している。

うーん、なんだか遠い世界の人にも思える。

いや、私との接点もかすかにある。私もイクバルと同じようにルーミーの神秘詩に傾倒したことがあるところだ。ルーミーをペルシャ語で読みたくて大学院時代にペルシャ語を習ったけれどガザ―リーを少し読んだくらいのところでほぼ諦めた。でもそのわずかな接点のおかげで、イクバルにも、彼を紹介するスレイマン・バシル・ディアヌにも親近感を覚える。

フランスに住んでいると、ここ数年、テロのリスクはもちろん、移民のゲットー化のせいなどで、「イスラム系のアフリカ人」には反射的に警戒する癖がついてしまった。

そんな偏見を吹っ飛ばして尊敬と敬愛の念を抱かせてくれるような「出会い」が、TV番組の中で得られるなんてすばらしい。

(言いたくないけれど、日本のテレビのインタビュー番組でこのようなインターナショナルで多様な視座(ロシア系学者や女性ラビ、黒人ムスリム哲学者まで)のもとで、知的に興奮できたり感心したりできるものに出会った記憶がない。)


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by mariastella | 2018-09-25 00:05 | フランス

ショパン、ルービンシュタイン、ポーランド人の調律師

昨秋は、日本公演の準備もあったので、ピアノの調律をしてもらう時期を逸した。

そのせいで、古いピアノはいろいろ不調が出てきて、生徒たちにも申しわけなかったと思っている。

で、今年は、調律だけでなく、不具合なところを細かく調整してもらった。

しかも、10年ぶりに、昔やってもらっていたポーランド人調律師Sさんに来てもらった。まだリタイアしていず、昨年うちの近くに来たからと言って寄ってくれたのだ。

彼にはじめて頼んだのは26年くらい前。

2台目のアップライト(Kawai)を買った翌年で、ショパンを弾いていたら、その曲で決定的なファのシャープのキイがうまく上がらなくなったのだ。

それ以前に来ていた調律師は引っ越していて、その時は、ともかく、早くショパンのその曲をちゃんと弾きたかったので、「職業別電話帳」を繰った。すると一人、ポーランド風の名の人がいたので、即連絡したのだ。訛りがあった。

でも、ポーランド風だと思ったものの実は「どんな外国人」が来るのかは分からない。

「知らない人」を家に入れるのだからいざとなると少し心配になった。

ドアを開けると、ヨハネ=パウロ二世に少し似たスラブ風のおじさんでほっとした。

彼はアルトゥール・ルービンシュタインがパリにコンサートに来ると必ず呼ばれたのだと言った。

私がその時弾いていたのは、実は、中学生の時に日本でルービンシュタインのリサイタルに行った時に、アンコールで弾いたワルツ7番(嬰ハ短調Op.64-2)だった。

最初の4小節で別の宇宙が現れて、ショパンやルービンシュタインのポーランドへの思いが全部分かった。当時ルービンシュタインはすでに70代後半でテクニックは低下していルービンシュタインとも言われていたけれど、その小曲に凝縮して濃密に立ち上がる「ポーランド性」は圧倒的だった。

しかも、プログラムの他の曲はともかく、そのワルツは、当時の私のテクニックで十分弾けるものだった。

でも、いったい、どうしたらこんな風に弾けるのだろう。

最初の4小節で「全て」が込められ、顕われるなんて。

他のどんなピアニストにも不可能な魔法だった。

その日以来、そのワルツでその時の演奏の秘密を知ることが私の課題になっていた。

そして、ようやく、それが分かった。ショパンの思いが分かった。

その頃に来てもらったのがSさんだったのだ。

調律を終えたピアノでそのワルツを弾くと、彼の顔が輝いたのを覚えている。

で、ルービンシュタインに信頼されていたポーランド人Sさん。

不思議な縁だった。それから彼に、古いアップライトの鍵盤などを新しくしてもらい、私のアソシエーションのアパルトマンのために、彼がアトリエで全面的に手を入れたリッペンのアップライトピアノも用意してもらった。

その後で、そのピアノをうちに引き取り、さらに知り合いを通じて古い小型のグランドピアノが来て、そのピアノをずっと調律していたという調律師に来てもらうようになった。それから近所でサロンコンサートをよく開いていた友人夫妻の調律師が、彼らのピアノを調律する時にうちにも寄るようになった。

で、Sさんとはいつの間にか連絡しなくなっていた。

今回、久々に、アップライト3台とグランドピアノ1台を全部調律してもらったのだ。

 

前の記事で書いたように、第一次大戦から第二次大戦の間のドキュメンタリーの中でポーランド人がどう生きていたかの一端を見たばかりだ。

知識として知ってはいたけれど、ロシア、ドイツなどにさんざん翻弄されてきたポーランド。

ショパンもロシア軍に攻められたワルシャワに二度と戻らず、故郷を思いつつパリで死んだ。

ルービンシュタインも、ポーランドとヨーロッパの激動の時に生きた。

1936年、ソ連は国内のすべてのポーランド人を処刑せよと言った。

ヒットラーはポーランド侵攻によって第二次大戦の幕を切って落とした。

そして独ソ不可侵条約を結んでいたはずのソ連がいつのまにか戦勝国になり、ポーランドを奪い返す形となった。

今思うと、Sさんも、冷戦下の共産圏ポーランドを捨ててフランスにやって来たのだ。

いろいろな思い、別れ、出会いがあったのだろう。

ショパンとルービンシュタインとSさん。

これはリッペンのアップライトを開けたところ。

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これは下の部分。
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メカニズムは、いつも美しい。




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by mariastella | 2018-09-24 00:05 | 音楽

『1918-1939二つの戦争の間で潰えた夢 les rêves brisés de l'entre deux guerres』

1918-1939二つの戦争の間で潰えた夢 les rêves brisés de l'entre deux guerres

9/11-13に連続で、Arteの番組を観た。


実在の人物の日記や手紙を基にモザイク風に構成した再生ドキュメンタリーで、当時の映像を挿入しながら進む。ベルリン、パリ、ロシア、イタリア、ウィーン、バルセロナなどでの同時進行。9ヶ国13人の人生の変転を描く。有名、無名の人の残した証言がところどころにはさまれる。

11/10まではネットで視聴可能なので、8話続けて見ると7時間くらいかかるけれど、フランス語が分かる人は

1918-1939 les rêvesbrisés de l'entre deux guerres

で検索して順番に見てほしい。ドイツ語版もあるはずだ。

ロシアでは、赤軍と戦う女性兵士が、クロアチアの兵士に守られ、 西部の前線に行くつもりだったのにシベリア鉄道に乗せられてウラジオストック(米軍が駐留していた)に送られる。(シベリア鉄道は当時チェコ軍がコントロールしていた。)

ウラジオストックでは、負傷兵が優先されてアメリカに渡れるので自分で手や足を撃つロシア人も少なくない。しかし赤軍が攻めてきて、アメリカは白系ロシア人の多くを見捨てて撤退したが、女性兵士はサンフランシスコへ。途中ではじめてレコードでチャイコフスキーのバレエ曲を聴いて、アメリカで、ロシア皇帝の弟と同性愛関係にあったというダンサーのもとで踊りを習う。

ベルリンでは、ユダヤ系ポーランド人のポーラ・ネグリがユダヤ人監督による無声映画『カルメン』のオーディションをうけて大スターになるが、百年ぶりにようやく独立したポーランドでは、対独レジスタンスだった父の怒りをかう。ポーランドでは、カトリックの司祭が残っているドイツ人をみな吊るせと煽っている。「昔はモスクワもポーランドだったのよ」という老女もいる。

結局、ポーラ・ネグリは国家社会主義者、共産主義者などが台頭して全体主義と暴力の渦巻くドイツから逃げてハリウッドに行くが、トーキーの時代になって、訛りのある英語のせいで人気は落ち、ディートリッヒやガルボ全盛で仕事がなくなる。そこにナチスからの招待があり、ドイツの映画会社と契約しベルリンに戻るが、映画製作者がすべて徴兵される中で仕事がなくなり、コートダジュールへ逃避行、結核を詐病して生き延びる。

ドイツ人は飢饉と貧困、失業で悲惨、5時間に一人は自殺者が出る時期もあり、庶民レベルでは貧困と共に「愛国心」など跡方もなく吹っ飛んだ。

1918年11/11の11時(実際は10:45)に終戦となった時、前線では「平和万歳、フランス万歳」と叫ばれた。どんな形でも戦争の終わりを待っていたのだ。

とはいえ第一次大戦ではドイツ主都市の爆撃を受けたわけではなく、軍の上層部たちは無傷で帰国している。帰還兵や労働者はアナーキストやコミュニストとなり、ストをしたり、「ソヴィエト」を形成したりするが、ヴィルヘルム二世が退位して「共和国」になった社会民主党政権に鎮圧される。

ドイツでの共産主義者の「赤戦線」がこれほど活発だったのもはじめて知った。

逆に、第一次大戦からの帰還兵で貧困にあえぐ若者は、「ロスチャイルドもローザ・ルクセンブルクもマルクスもイエス・キリストを殺したのもみなユダヤ人だ」と洗脳されていく。

パリでもアナーキストの活動が顕著でアメリカ大使館に爆弾が仕掛けられたりする。

一方で、パリやベルリンでは退廃的な社交の場が繰り広げられている。

元気なのは「ボーイズ」と呼ばれる米兵たちだけだったけれど、彼らも戦争の現実を見て、「殺し殺される」という日常をデフォルトとしたので、帰還した後もギャングの犯罪が飛躍的に増加する。あらゆるところで命のハードルが低くなったのだ。今のアメリカで頻発する拳銃乱射事件も、テロや「戦争」映像の刷り込みに関係しているのかもしれない。


戦後すぐ、パリで様々な平和会議が繰り広げられるが、どの国も、疲弊して平和の100年の計を目指していたはずなのに結局目先の利益ばかり追い求める。まるで戦国時代だ。イギリス・フランスが中心になってヨーロッパの国境を書き換える。ソ連、ポーランド、ルーマニア、イタリアらの思惑は別にある。連合国軍として戦った植民地国の兵は報奨としての独立をもらえないことで苛立つ。ドイツと共にシリアでイギリスと戦ったトルコも苛立つ。

希望を聞いてもらえないイタリアと日本は気分を害してパリ会議から離れる。

ヴェルサイユ条約は結局、戦勝国のうち少数のエゴによって成立した。

アメリカは、「ヨーロッパの歴史的な事情を何も知らないくせに審判顔をする」と批判される。

結局、「白人」国家がアフリカ、中国、太平洋を「分割」する構図は変わらないけれど、「白人」国家の中でも「負け組」が叩かれたり差別されたりする。

その様子を見ていると、日本とイタリアがどのようにしてファシズムに向かい、結局ドイツの側につくようになったのかも実感として分かる。

日本人の振りをしてパリ会議に潜入しようとしたベトナム青年がいた。彼は後にモスクワに渡りコミンテルンで武器の使い方とマルクス主義を学び、武器と金をもらって世界同時革命を目指して国に戻り、ホーチミンとなる。

そしてスペインのフランコ。無神論共産主義と戦うカトリックが旗印だ。

ムッソリーニもヴァティカンを切り離して資金を提供する。オーストリアがドイツに併合された時、ウィーンの司教たちはヒットラーが共産主義から守ってくれることを寿ぐ。失業率20%のウィーンでは「軍需産業」は「神の恵み」みたいなものだったろう。

ヨーロッパ中で、飢えや失業の社会で、共産主義と全体主義とが弱者の「救い」や「光」の提供者となっていく。どちらも互いを殲滅しようと闘う。暴力に次ぐ暴力。失業者を救うのが共産主義革命でなく兵器産業へとシフトしていくのも不思議ではない。


ファシストとナチスとが上客になるパリの娼家を経営するのは第一次大戦の戦場でのトラウマを抱えた男。クレジット経済が始まり、娼家に金を貸してくれるのはアメリカのユダヤ系銀行家だ。

ワイマール共和国に融資をしたのもアメリカだ。

変わり種は、イギリス貴族の娘でヒットラーに夢中になってミュンヘンにまでいく女性。姉妹はみな親に反抗して、コミュニストになる者やアメリカに渡る者もいる。イギリスの貴族の娘の「前途」は親の決めた結婚と不倫の世界でしかないからだ。

スウェーデンの独身女性ジャーナリストのエピソードもある。父が牧師で18人きょうだいだった。母親が消耗しきっていたのを見てきた。鉱山で働く女性たちが、度重なる妊娠で死に至るのを見て、避妊の方法を実践する。

その他いろいろな人間模様があるのだけれど、どの人も、実は身近な平和を求めながら、それぞれに、間違った道や不幸な道を選んだり突き進んだりしていくのがよく分かる。

殲滅の対象になる「敵」もそれぞれのご都合主義でナチスになったりファシストになったりコミュニストになったりころころ変わる。ソ連はファシストの弾圧をやめてポーランド人弾圧に切り替える。


20世紀前半の戦争をテーマにしたフィクション映画もドキュメンタリーも数あるが、20世紀に2度の大戦を経験したヨーロッパの状況を、これほど切実に実感をともなって描いたものを見るのははじめてだ。

暴力、戦争などを描く映像作品は悪夢のもとになるからできるだけ見ないと決めていた私だけれど、この作品の訴求力の方が強かった。近代以前の戦争ももっと悲惨だったかもしれないけれど、20世紀前半のこの「みんなが戦争にこりごりして平和を望んでいたはずなのにまたもっとひどい暴力とカオスへと突き進んだ」という悪夢の20年には映像記録や手記などが残っているから生々しい。

ヨーロッパの政治家は全員これを見るべきだ。これを観たら、もうEU離脱などという気が失せると思う。

わずか80年ほど前に、ヨーロッパ中が、今の中東やアフリカのような悲惨な状態にあった。

これを見ていると、人が人を支配したいという欲望、覇権主義、植民地主義も奴隷制度も人種差別も民族差別も階級差別も性差別も宗教差別も、「すべての人に固有の人格、尊厳があることを認めない」という同じルーツにあることが分かる。こんなものを「普遍」にしてはいけない。

第二次大戦について、ヒットラーが悪いとか、軍部の暴走が悪いとか、大虐殺だとか、日本の「自虐史観」だとかいろいろ言われてきたけれど、戦争は敵味方の関係なく、圧倒的に多くの人の、最悪の部分を引き出す。

本当に、「軍隊や武器の永久放棄」を誓いでもしなければ、強者のエゴと支配欲はどんな暴力でも許容してしまうのだ。いや、弱者だって、力を行使できる限定的な場面では、窮鼠が猫をずたずたに噛み殺すことだってある。あらゆる独立戦争や革命初期にある絶望的な自爆や怒りによる無差別攻撃、テロリズムから、手を汚さない原爆投下まで、いったん「勝者」の側に立てば、敗者の悪や蛮行のみがあげつらわれる。

どんなに「お花畑」と揶揄されるようとも、悪と憎悪の土地に赦しの苗を植え、愛の水で育てる以外には、平和の花は咲かない。


もう一つ、つくづく思うのは、今の60代から70代くらいのヨーロッパの人たちは、みな、二度の大戦を生き延びてトラウマを抱えた親たちに育てられたんだなあ、ということだ。

それは日本人も同じで、「戦争を知らない子供たち」と歌った団塊の世代以降の50代後半から70代前半の人のほとんどは、目の前で人を殺したり人が殺されたりしたのを目撃するというトラウマを抱えた人たちに育てられたのだ。考えてみると恐ろしい。知識としては知っていても、ほとんどの親たちは、そのトラウマを抑圧して生き延びたのだから、それは生々しい形では伝わってこなかった。

日本やヨーロッパでは、その次の世代は、ほとんどが「戦争を知らない子供たち」によって育てられたわけだけれど、そんなことは人類史的に見てはじめてに近いだろう。いや、江戸時代などは「戦争」はなかったかもしれないけれど、その「平和」は「差別と搾取」の構造に支えられていたわけで、飢饉、災害、疫病にもさらされていたわけだから、20世紀後半以降の「平和」とは質が違う。

私のピアノの生徒Bはスペイン系の母とフランス人の父を持つ。母方のおばあさんはフランコのスペインから逃げてきた人だ。彼女がカトリック教会に憎しみを見せることに驚いたことがあるがこのドキュメンタリーを見てはじめてその気持ちがしみじみと分かった。

今のうちにおばあさんにいろいろな話を聞いておいた方がいいよと私はBに言った。

Bは、おばあさんはうちでは十字架を飾り、聖母像を飾り、お祈りしているのに、という。

彼女の信仰と、彼女の生きたスペインのファシストに利用されたカトリック教会は別物なんだよ、と私は言う。

18歳のB、やはり私の生徒だった46歳のBの母親、そしてさらに世代が上で日本から来た私も、実はあまり違わない。みんな、戦争を知らず、親に守られ、都会に育ち、教育を受け、ピアノやバレエを習った。でも、ゲルニカと共に生まれ、フランコ政権のもとからフランスに逃げてきたおばあさんの過去は私たちの想像を絶する。Bの祖父母、私の両親らは、戦争のトラウマを封印して子供たちを育ててくれたのだ。


一方、同時に、今でも、日本や欧米など一部の地域を除いてどこでも戦争は続いているし、差別と搾取も場所を移しただけだし、「冷戦」もあったし、軍事独裁政権も、宗教の争いも、全体主義も、欺瞞も偽善も、不正も汚職も、飢えも貧困も、至る所にある。

どんなに難しくても、ひとりひとりが自分自身の最良の部分と出会わなければならない。

それを成し遂げる人もいる。

自分の最良の部分と出会った人々が、過去のこのような不幸な証言、記録と出会い、その「良心」が、このような番組を作るのを可能にした。


この番組との出会いが、また、視聴者の「良心」との出会いを促すのでは、という希望が、わいてくる。


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by mariastella | 2018-09-23 00:05 | 歴史

Léo Larguier レオ・ラルギエのオレンジの樹

長年の友人であるジョゼットが、レオ・ラルギエの詩をテーマにした油絵を描いた。

J'imite l'oranger, il est un grand artiste,
La gloire d'été, ne l'a jamais séduit,
Travaillant à son or ainsi qu'un alchimiste,
Car ce n'est que l'hiver, qu'il a parfait son fruit.
私は真似る、オレンジの樹を、彼は偉大なアーティスト、
夏の栄光に惹かれたことは一度もない、
なぜなら錬金術師のように金を練りながら、
冬にしかその果実を完成することはないからだ
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うーん。日本語訳がぱっとしないけれど、これが、苦労を重ねてきた83歳のジョゼットを支える言葉であることは間違いない。

180cmの長身に完璧なプロポーション、金髪に青い目、淡いピンクのスーツを颯爽と着こなしてやってきたジョゼット。
変わらない。
17年前、彼女がコンセルヴァトワールをリタイアした後で私たちは時々いっしょにパリの美術館の展覧会に行った。そんな時、すでに70歳近かったのに、必ず、ジョゼットに声をかけてくる男たちがいた。

彼女は私たちのトリオをモデルにした絵も描いてくれたし、トリオの曲をテーマにした絵も描いてくれた。コンサートにはいつも大輪の薔薇を一輪だけ持ってきてくれた。薔薇は私たちよりもジョゼットに似ていた。

イタリア移民の両親のもとでフランスに生まれたけれど戦中、戦後と苦労した。
結婚して2人の娘もできたけれど、娘たちが独立した頃に間もなく夫に先立たれた。
その後ユダヤ人の医者と暮らしていたこともあるけれど、医者が同居していた母親のアルツハイマーの進行を認めないことで関係が悪化して、別れて以来一人暮らし。

彼女のように完璧な容姿を持っている人がどのように「老いる」のかは想像もつかなかったけれど、今も、完璧に美しい。彼女がTシャツとジーンズで現れたとしたら天地がひっくり変える。

最近車を手離したのでバスにのってやってきた。

昔は彼女の絵画制作を「趣味」だと思っていた。
今は、彼女の「生き方」だと分かる。

孫もひ孫もいる。慕われているけれど、基本的には関心がない。
絵を描くことが彼女のアイデンティティなのだ。

彼女が最近モットーにしている言葉は「Le pire est incertain. (最悪は不確実である)」というもの。
人は誰でも、悪い方の可能性ばかり考えていたずらに恐れるけれど、よいことが確かでないように、悪いことが起こるのも確実ではない。マーフィの法則の逆だ。
私も採用。

で、オレンジの樹。
夏の栄光を求めることなく冬になって太陽のような果実を完成させる。

人生は、錬金術。




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by mariastella | 2018-09-22 00:05 | 雑感

『肉体の冠』(1952) ジャック・ベッケル

『アフリカの女王』を新しい視点で観た次の日、なんだか同じ時代のフランス映画はどうだったのかと見たくなって、やはりTVで放映された『肉体の冠』を視聴した。

で、この記事を書くために日本語ネットで検索して『肉体の冠』という邦題に驚いた。

しかも当時のキャッチコピーが、

「非情な美しさ、悪魔的な冷酷さを豊満な肉体の底に秘した巴里女! 男たちをしたがえ、燃えるようなブロンドの髪を陽光に輝かせて行く」

というものだ。

「肉体の何とか・・」というのは「昭和」の映画によく使われた気がするけれど、タイトルもキャッチコピーもまったく内容とあっていない。

ラディゲの『肉体の悪魔』(クロード・オータン・ララ)がヒットした後だったからなのだろうか。

それでも、こちらも「身に潜む悪魔」と訳してもいいのだから、「肉体」はやはり昭和テイストなんだろう。

原題の「Casque d’or」は直訳すると「金兜」という感じで、肉体とは関係ない。ブロンドの前髪を高く結い上げた娼婦のニックネームだろう。

シモーヌ・シニョレの演じるマリーは、「悪魔的な冷酷さ」とは無縁でどこか無邪気だし、赤毛ならともかくブロンドが「燃えるような」というのもなんだか変な形容だ。

20世紀初めのベルエポックのパリのベルヴィルに実在したアメリ―・メリという娼婦にまつわる事件にインスパイアされた映画で、彼女のニックネームが「カスク・ドール」だった。バイセクシュアルで他の娼婦と同棲していたし、マンダという男は映画のようにギロチンにかけられず1902年にギアナの強制労働に送られ、彼女も1917年に結婚して堅気になっている。

その意味では、この映画は『アフリカの女王』と制作年も1950年代初頭でほぼ同じだし、1914年が舞台の『アフリカの女王』と物語の時代も重なっている。

アフリカの奥地とパリという違いがあるけれど、馬車が走っていたりするパリの方が「時代物」という感じがする。アフリカのジャングルの映像なら21世紀の今も同じイメージだからだ。特殊な場所だから、ある意味古くなっていない。

パリで女性が帽子を被っていないのは召使か娼婦だというのは少なくともブルジョワ地区では5月革命の前あたりまでそうだった。

宗教的なシーンとしては、教会から歌が聞こえてきて、「日曜じゃないのに」と覗いてみると結婚式だったという場面がある。その時に娼婦のマリーはショールを頭にかぶって髪と胸や腕を覆い、マンダの方はかぶっていた帽子を脱ぐ。カトリック教会の習慣があらゆる階層の人に共有されていたのが分かる。

ギロチン台に引きたてられていくマンダを無理やり支えて十字架を顔の前に近づける監獄付きの司祭もいる。

今と変わらないフランス的な場面は、マリーがギャングの親分の部屋でチーズを食べるところかもしれない。

「陽光輝く」というのは、パリから逃げて農場に実を隠す二人の牧歌的なシーンがあるからだ。

『アフリカの女王』はカラーだがこの映画はまだ白黒、というのは米仏の経済力の差だろう。

1871年のパリ・コミューンといつも結びつけられるLe Temps descerises(さくらんぼの実るころ)のメロディが何度も流れる。

これはイヴ・モンタンの歌。

この映画の撮影時にはシモーヌ・シニョレとイヴ・モンタンは結婚したばかりだった。

今思うと、ドイツ移民とイタリア移民出身のこの二人は、フランスを代表する文化人で知識人のカップルだった。

しかし、ドイツ系からかもしれないけれど、この映画のシモーヌ・シニョレはなんだかロミー・シュナイダーとそっくりだ。

相手役のセルジュ・レジアニはオマー・シャリフの若い時みたいだ。セルジュ・レジアニはイヴ・モンタンとほぼ同じ年で、やはりイタリア移民出身。

こう見てくると、日本人的感覚では「フランス人って何?」となりかねない。でも、フランス人の「混ざり具合」というのは、移民国家アメリカと変わらないと思えば不思議ではない。

純粋に映画としてみれば、視線の使い方がうまいのが目立つ。

ダンスのシーンも。

ラストの螺旋階段も。

拳銃を連射するマンダも、手元はまったく映さないので、撃ったのか撃たれたのか分からないくらいの怖さだ。

最初にマンダがマリーとワルツを踊る時に、まったく左腕を使わないでだらりと垂らしたままなのが印象的だった。ギャングたちのキャラが豊かなのもおもしろい。

でも、単純に比べると、『アフリカの女王』と『肉体の冠』というほぼ同時代を舞台にしてほぼ同時代に制作された二つの映画の最も大きな違いは、やはり、ハリウッド映画のハッピーエンドとシビアな終わり方のフランス映画、ということになるのだろう。


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by mariastella | 2018-09-21 00:05 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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