L'art de croire             竹下節子ブログ

<   2018年 12月 ( 31 )   > この月の画像一覧

トリプティックが好き

私は教会などにあるトリプティック(三連祭壇画)が好きだ。

三つのテーマが並ぶことでストーリーが感じられる。

で、身近なアーティストの小品を購入する時も、できるだけシリーズのようにして自分でストーリーを作って並べるのが好きだ。

ずいぶん前にこういう絵を買った。日本調だけれど東欧系女性アーティストSylvie Kajmanのものだ。2002年の作とある。内面風景というタイトルのシリーズで、とても惹かれた。
     
c0175451_06222795.jpeg
で、どうしてもスリーを作りたくなって、次の年の展示会で、にこの2点を買った。
c0175451_06231981.jpeg
c0175451_06235555.jpeg
それを横一列に並べて飾っている。
c0175451_06032181.jpeg
それ以来、アーティストによる年末のオリジナルのカード展でもたいてい3枚を買って後で並べて額装することにしている。たとえばこれ。コロンビア出身のConsuelo Barbasa の作品。
c0175451_06042867.jpeg

下のシリーズはは有機的な感じだ。内面というより夢の中のようだ。Mercedes Uribeさん。バスクかスペイン系の名だ。
c0175451_06072618.jpeg
これは上と同じアーティストを昨年購入したもの。中の人物が鋲で留めてあって、くるくる回して向きを変えることができる。
c0175451_06085210.jpeg

今年はこの1枚に惹かれた。これは仏蘭西人女性アーティストSophie Rousseau ソフィー・ルソー。会場で、墨を流して創作する技法を説明していた。

c0175451_06055260.jpeg
で、トリプティックにするために2枚を買い足す。
c0175451_06053300.jpeg
c0175451_06070518.jpeg
で、こういう順番で並べて額装してもらって飾る。眺めていて飽きない。
c0175451_06100061.jpeg
これらのアーティストについては、今はネットで検索できるから、その後どんな作品を作っているのかなど近況が分かる時代なので勝手に親しみもわく。

なんでも3枚購入するわけではない。友人の師井さんの蝶々の作品は2枚並べている。
c0175451_06050977.jpeg

アメリカ人の友人ジョアンヌの作品も2枚並べている。
c0175451_06044725.jpeg

これはずいぶん前に私のアソシエーションで作品展をした日本の写真家の1枚。上のシリーズと同じ部屋に飾ってある。
c0175451_06103626.jpeg
私が選ぶ基準は、いつもどおり、

《私にとって「朝起きて最初に目に入り、夜寝る前に最後に目に入る」ことに耐えられるか》

というものだ。裏切られたことはない。




by mariastella | 2018-12-31 00:05 | アート

盲腸記  その4

退院してからは、6日間、抗凝固剤の注射、傷口の消毒と包帯替え(手術の傷は内視鏡手術なのですでにふさがっていたけれど、ドレーンのチューブは退院の日の朝に抜いたばかりだったので)のために訪問看護師に通ってもらう日が続いた


「黄色いベスト」運動が続いていたので、TVでは相変わらず、最低賃金で働き月末になると子供におやつも買ってやれないシングルマザーだとか、持ち家を売った金をくずさないと特別養護ホームの料金を払えない夫婦だとかが紹介される。最低賃金が手取り1200ユーロでなく1500ユーロはないとやっていけないという。

年金生活者も1200ユーロ以上もらっている人はいろいろな社会連帯税を取られているが、それが来年から値上がりするのを恐れている。(のちにマクロンが譲歩して最低賃金は100ユーロ上乗せ、年金も2000ユーロ以下なら差し引かれる税金の値上げは中止、などの決定がなされた)

病院での体験のおかげで、TVの討論に招かれて話す「黄色いベスト」メンバーたちを見ていると、Aさんや、たくさんの看護助手たちの姿や働く様子が同時に想起されて共感度が深まる。

ほんとうに貴重な体験だった。


ひとつ、退院してすぐに「しまった」と思ったのは、どうせなら、病院付きの司祭を呼んでもらえばよかったということだ。

フランスなら確か、65歳以上なら望めば「病者の秘跡」というのを頼める。

ひと昔前のカトリックなら「終油の秘跡」に相当する臨終前のものという印象だったけれど、今は、望めば何度でも受けられる。ルルドなどでは毎日の病者のミサででも受けられる。

日本にいた頃の私の印象では、『スケアクロウ』のアル・パチーノが、自分の子供が洗礼を受けずに死んだ(妻の嘘)と聞いて「地獄に堕ちた!」と錯乱するラストシーンのイメージだ。

1973年の映画なのに、第二ヴァティカン公会議の改革は知られていないのか、「洗礼を受けずに死ぬと地獄堕ち」って、中世のままだなあと驚いた。終油の秘跡もちょっとそういうイメージがある。

でも、今は65歳以上ならOKとフランスでは言われているので、日本に行った時に、それができる人に頼んでみたら、「いや、重病だとか、今から手術を受けるとかいう人にしかできません」と断られたことがある。でも全身麻酔の手術であればいつも多少の麻酔事故のリスクはあるのだから、病気が重大でなくともOKのようだ。

で、じゃあフランスで試してみるか、という暇もなかったのでそのままになっていたけれど、そうだ、今回は「たかが盲腸」とはいえ、しっかり入院して手術したんだから、そして病院には必ず司祭がいるか呼んでくれるはずだから、入院した時点で「司祭さんをお願いします」と言えば、絶対に来てもらえたはずだ。

どんな人が来て何をしてもらえるのか確認できるチャンスだった。

でも、アジア人の私がたかが虫垂炎で「すぐに司祭」を、なんて言っていたら、なにか怪しげな原理主義的宗派の老女、みたいなレッテルを貼られて偏見を持たれるようになったかもしれない。まあその反応を見るのもそれはそれでおもしろかったかもしれないとも思うけれど、まあ、正直言って、そんな心の余裕もなかったろうし、ストレスのもとになったかもしれない。

実際、退院するまで、入院している現実と宗教だの司祭さんだのとの関係など一瞬も頭に浮かばなかった。

ところが、退院してから連載原稿のテーマをもらったのが「カトリック病院について」だった偶然には驚いた。でも、特に緊急入院の患者などの場合は、宗教や信仰が役に立つのは患者本人ではなくて周りの人の方だろうなあと思う。10年前母が緊急入院した時には、深夜だったけれど時差があってまだ午後だったフランスに電話してチベットの高僧に祈ってもらうことにして救われた気分になったのを思い出す。亡くなる数時間前の友人に病室でパリの愛徳姉妹会の「不思議のメダイ」を渡したこともあった。


全快して希望と健康を取り戻して退院していく患者だけではなく辛く苦しい人生の終わりも世話して看取らなければならない病院のスタッフにとっても、宗教や信仰や祈り、スピリチュアルなものに思いをいたすことはさぞや助けになることだろう。


いやあ、これから先、私がまた病院のお世話になることもあるかもしれないし、親しい人、周りの人が病むこともあるだろう。そんな時に、ただパニックになったり自分の痛み苦しみばかりで完結したりするのではなくて、スピリチュアルな次元に向かって手をさしのばしてみることを忘れないようにしよう。


と、もう一つだけ後日談。

私が「盲腸の手術」をして退院したことを知っている人から、少し後でLINEが送られてきた。

東大の駒場祭にいるという。

その中で、研究の最前線の内容を10分でプレゼンテーションするというコーナーがあったらしい。そのテーマが「虫垂」。虫垂がサル類の進化とどういう関係があるか。


c0175451_05111895.png
c0175451_05073900.png
c0175451_05075521.jpeg
虫垂があるのは類人猿の進化の徴し。
私にはもう虫垂がなくなったから、「旧世界ザル」へ転落?
で、その「適応的意義」が

ー 腸内細菌(善玉菌)の備蓄
ー 免疫機能(リンパ組織が集中)
と、ここで1行あいて、
ー しかし虫垂炎になる

だって。

しかし虫垂炎になる

善玉菌をためて、免疫機能を上げて、それでも虫垂炎になるのかい。

というところをオチとして、この「盲腸記」を終わります。


by mariastella | 2018-12-30 00:05 | 雑感

盲腸記  その3

Aさんが退院してから、私は広い部屋をひとり占めすることができて、「黄色いベスト」運動のニュースを見たり、机の前で健康ブログのための「入院記」を書き始めたりした。

ネットで日本の週刊誌や雑誌をゆっくり読むこともできた。

一人だとそれなりに快適で、もう誰も来る予定がないかたずねたけれど、緊急の人が来る可能性はある、と言われた。Aさんのベッドや付属品、机や椅子やソファなどはすべて消毒されて、ベッドメーキングもされてもう彼女の気配は何も残っていない。

看護師や看護助手たちとは少し話したけれど、1人になると、わずか2週間前に訪問したヴェルサイユの老人ホームのオディールの個室でのことを思い出す。

この記事。


オディールの部屋で彼女のベッドに並んで腰かけて、由緒ある家系の出身のオディールの、やはり国際的だった人生についていろいろ聞いた。

彼女なら「黄色いベスト」運動のことをどう評価するのだろう。

16区のアパルトマンに一人暮らしをしていたオディールが転倒して骨折し、数ヶ月の入院とリハビリをしたのはどんなにつらかっただろう、とも今にして思う。

オディールのところには毎日近くに住む次女が通ってくる。リタイアした数学教師だ。

オディールは目も耳もだんだん不自由になってきたから、残っている感覚器を研ぎ澄ますように、世界の新たなとらえ方を模索していると言っていた。そして、完全に機能しているのは触覚だと言って、私の手を何度もさすった。

95歳の彼女の手をもう一度握ってさすって、ずっとそばにいたい。

さて、私は月曜までこの病室にいることになったけれど、もし、痛みに苦しんで叫ぶ急病の患者が同じ部屋に連れてこられたらどうなるのだろう。


隣人がまたAさんのようなエネルギッシュでユニークな人とは限らない。

フランス語が話せる人かどうかも分からない。アラブ人やアフリカ人かもしれない。

いろいろな人を知りたい好奇心があるとはいえ、こっちも一応元気いっぱいというわけではないから、あまりストレスフルになりそうな人が来たら困る。


で、向こうのベッドを仕切る衝立を看護師に頼んだ。


私が来る前に、Aさんにはそういう発想がなかったのだろうか。

オープンだったので、私は、フランスってカーテンや仕切りがないのかなあ、と思っていたが、Aさんが個室を頼んだつもりだったので用意していなかったのだろう。頼めばちゃんと仕切ってくれる。私のベッドはトイレやシャワー室と近い方だから、隣のベッド側を通らなくてもすむし、まあ半日のことだから何とかなるだろう。


で、新しい隣人がやってきた。衝立のせいでよく分からないけれどどうも黒人女性のようだ。やはり大柄でがっしりしている。病院なのに、誰と比べても私は存在感が薄い。

で、手術が終わった後、大勢の家族がやってきた。5、6人はいたので、私は「私の割り当ての椅子やソファを使ってもいいですよ」と言った。

彼らはすごい大声で話すので、衝立があろうとなかろうと、話が全部聞える。


家族関係を推測しようとしたが、そして訪問者の一部はこちらからも見えたけれど、黒人の年齢は私にはあまり見当がつかないので続き柄が分からない。明らかに中学か高校生くらいの若者が3人いるので子供だろうとは思った。夫もいるようだ。そしてもう一組のカップルは患者の両親のようだ。男の子ははやばやと帰った。


で、この人(Bさんとしておく)は、すごく権威的で堂々としている。だからはじめは彼女の両親が来ているのだとは思わなかった。上の子供かきょうだいかと思った。

そして看護助手に対してもすごく余裕があり、「あなたをどこかで見たっけ」などと言っている。

はじめに驚いたのは、彼女の手術の場所によるのだろうが、まったく動けず、用をたすときに腰の下に差し込む採尿容器みたいなものを使わなければならない。


で、最初に夫だけがいた時は看護師が夫に部屋の外に出るように言って採尿していた。ところがその後で、みんながそろった時に、Bさんは用をたす必要ができたと言い、看護師を呼ぶ代わりに、娘の一人に指示して容器をトイレから持ってこさせた。そして腰の下にあてがい、その後でトイレに流すことなどを支持した。あてがう角度や向きなどをうるさく指示する。

娘はあせっていたが、叱咤されながらなんとかできた。

私は驚いた。Bさんの母親もまだ若そうだから、そこで代わりにやってやるとか、「そんなこと子供にさせないで看護師さんを呼びなさい」とか言えばよさそうなものなのに...

と思っていたら、それまでのBさんが特に看護助手たちに話していた内容と合致するいろいろなことが分かってきた。

Bさんはこの病院ではないが遠くない別の公立病院のベテラン看護助手で、看護助手養成のための教育機関でも働いているらしい。

だから彼女の教え子や後輩がこの病院にもいるか、共通の知り合いがいるようなのだ。

病院内のいろいろなことも当然よく知っている。

こんな人が患者として入ってきたら、看護助手も看護師もなんとなくやりにくいんじゃないかなあ、と思ってしまう。


看護助手は圧倒的に黒人女性が多く、アラブ系がたまにいて、看護師は「白人」女性が多い。

夜の緊急病棟にだけは若い男性の看護助手がいた。「僕は日本のマンガのファンです」と言っていた。これは明らかに、医学部の学生のバイトだろう。

(学生は、義務である1ヶ月の看護実習を終えれば看護助手と同等の資格を持って働ける。この実習はとても教育的なものだ。医療実習や医師になってからはもう看護師の詰め所で繰り広げられる話やその暮らしの実態を知ることもない。フランスの医学部は実力主義の選抜で学費は実質ゼロだから、日本のように金銭的に余裕のある家庭の学生が多いわけではなく、このバイトをよい収入源にする学生もいる。)

で、実際に私の病室を担当した人たちでいうと、全体として看護師より看護助手の方が親切だった。

看護師の中に、明るくエネルギッシュな背の高いブロンド美人がいて、「ボンジュール、マ・ベル!」などと言いながら満面の笑みでやってくる。

ここは「ボンジュール・マダム」と言うべきだ。

よくシニアの患者やホーム入居者に子供に対するように呼び掛けたり話したりする介護者を批判する文を読むことがあるけれど、その不愉快さが何となくわかる。

その他に、注射をする時に「打ちますから動かないでよ」と言われた後で思わず手が動いてしまった時に、

「注射を打つときに動いたら痛いんだと知ってますか?

と嫌みに言われた。

私の頭の中ではすぐに、

「注射を打たれる時に動くのは意図的ではなく反射的だと知ってますか? そのリスクを予測してしかるべき処置をするのがあなたの仕事でしょう」

と言い返す言葉が浮かんだのだけれど、もちろん口に出さなかった。

注射針を持っている相手とベッドにいる私ではやはり「立場」の差が明白で、こういう時には自衛本能で自己規制が働くらしい。

で、Bさんの話に戻る。大声でまくしたてる家族の会話から分かってきたのは、Bさんの母親も昔は看護助手になるために見習の勉強をしていたらしい。ところがBさんを妊娠出産したことでそれを中断した。つまり、Bさんは、母親の果たせなかった職業に就き、あまつさえ後輩の指導までするカリスマというわけだ。

で、Bさんは自分の娘もゆくゆくは看護助手になること願っている。

だから、採尿器の扱い方などをここでいい機会だから実地にやらせていたわけだ。

そして家族のみながそれを認めていた。

前述のAさんのような波乱万丈の人生で、豊かな生活から最低賃金並みの生活に「落ちぶれ」て、成功した子供たちからもなかなか援助を受けられない人がいる。Aさんは、子供たちの結婚も本気で祝福する気になれず、孫たちが集まっても宗教上の齟齬によって険悪な雰囲気になるのを嘆いていた。

それに対して、Bさんの方は、両親も夫も3人の子供たちも見舞いに来てくれる。みななかよく大声で話し合っている。Bさんは親からも子供からも尊敬されている。

おそらく最低賃金レベルである看護助手という職業は、この家庭にとっては、代々受け継がれるべき「アッパーな職業」であるらしい。もちろん、確かに、国立病院で医師や看護師たちと共に働くステイタスがあり、患者の世話をするという「聖職」観もある。

それでも、普通は「黄色いベスト」運動の担い手であっても不思議でない職業なのに。

でもここはフランスだから、最低賃金や夜勤手当があり、失業のリスクもなく、夫や父親は影が薄くて何を仕事にしている人たちなのか分からなかったけれど、やはり最低賃金をもらっているとして、子供が3人いればこのクラスの人ならいろいろな助成金をもらえるし、教育費はもともと無料だし、「黄色いベスト」運動で生活苦を訴えるシングルマザーなどとは違って生活には困っていないのだろう。そして自分の仕事に誇りを持っている。

彼女らの付き合う同じような黒人家庭らの共同体意識の中では、彼女はカリスマ的存在なのだ。

うーん、病室の私から見ると、やはり看護師たちと、看護助手たちの間には一線が引かれていた。看護師の方が明らかに「格上」だというものだ。そこに「階層」があって、その「階層」は出身階層の差にもつながる。

でもBさん家族の内輪の会話を2時間も聞かされたことで(フランス語でなかったら分からなくてイライラしたかもしれない)、「フランスの看護助手」という「階層」の思いがけないフィールドワークができてしまった。

40年以上この国で暮してきて、まったく知らなかった世界を、たった数時間で内側から垣間見ることができたのだ。

盲腸、おそるべし。

(ところが私にとっての最後の夜、Bさんにとっての手術後はじめての夜、B さんは苦しみだして、何度も看護師が駆けつけて大変だった。彼女の手術がどんなものだったのかは知らない。ともかくトイレにも立てなかったのだから結構たいへんなものだったのだろう。それにしては麻酔が効いていたらしい時は元気だった。私は、寝不足でふらふらになったので、翌日の退院がなんとも嬉しかった)

(続く)


by mariastella | 2018-12-29 00:05 | フランス

盲腸記  その2

(これは前の記事の続きです)

今回のミニ入院が思いがけず私に新しい目を開かせてくれたのは、入院の3日目に「黄色いベスト」運動が始まったことだった。この運動は、最初は公共交通機関のない地方で毎日車で通勤する人々がエコロジー促進目的で値上がりを続ける燃料税に対して抗議したものだった。環境汚染による地球の終わりを心配するよりも毎月の終わりに家計が苦しくなる現実をずっと無視されているという怒りだった。そのほとんどは最低賃金やそれに近い給料をもらう就業者で、これまでいろいろな社会対策の対象となってきた「若年失業者」「高年失業者」「移民」「難民」「過激派」「ホームレス」などの「目に見える」貧困層ではない。

で、正直言って、私の周りには、そのような人がいない。

もちろん、スーパーでレジに座っている人たちや行きつけのいろいろな個人商店で働く人や、大衆レストランの従業員や、いろいろな人たちが最低賃金ライン(手取り1200ユーロ、今のレートで日本円にすると15万円くらい)で暮らしているだろうことは想像がつくけれど個人的な付き合いはがあるわけではない。

周りのアーティストには生活が楽でない人もいるけれど、なんというか、アーティストは「アーティスト枠」であって、「苦しむ小市民」とは別のカテゴリーなのだ。


音楽院の友人や私の生徒たちも、そもそも音楽を学ばせるということがこの国では親の教育程度や社会階層とリンクしているので(小学校には音楽の時間がない)、もともとある程度生活の余裕がある人たちだ。今までの生徒たちの親の職業で一番多いのは教師、公務員、医師、アーティスト(ダンサー、映画監督、陶芸家)、エンジニアなどだ。(レッスン料はアーティストを支援するNPOに寄付してもらう形になっている。)

ところが、今回、わずか一週間にも満たない入院で、「最低賃金」ラインの人々ととつぜん非常に深い関係になった。

例えば看護師や看護助手。

夜勤の多い大変な仕事なのに国立の大学病院で十分な給料がもらえない。これらの人たちとの関係は、スーパーのレジ打ちの人やお店の従業員との関係とは違う。フランスのシステムとして緊急入院して手術をする人には、一銭も請求されない。だから形としては彼らに一方的に「世話をしてもらう」ことになる。こちらは「ハンディのある弱者」だから、「普通の人ならできること」でも、彼らの手を借りて助けてもらうことになる。これはもう、向こうは仕事だから、なんていうビジネスライクな関係ではない。第一こちらが全身麻酔で意識がない時にも一方的にお世話してもらっている。

そして、特に看護助手のような看護師よりさらにランクの低い仕事には黒人女性の率がものすごく多いことを知った。カリブ海系の海外県から来ている人も多いようで、独特の訛りのある人もいる。平均して、がっしりとして太っている(というか胸と腰のボリュームに圧倒される)。頼りがいがある。ある程度年配の人も多い。今回初めて気づいたので恥ずかしくて言いたくないけれど、私には、彼女らの典型的なタイプを前にして「区別がつかない」ことが分かった。もちろん例えば白人にとって「中国人はみな同じ顔で区別がつかない」などと思われることもあるかもしれないけれど、黒人もたくさんいるフランスに長く暮らして、彼らを特別の人として識別して向かい合うことがこれまでの私にはなかったのだ、という現実を思い知らされた。でも、病床にあっては、彼女らは、私の名を呼び(確認義務があるのだろうが)、血圧や体温やらを測ってチェックし、点滴の薬を入れ替えたり包帯を替えたり、そもそも、短時間とはいえ全身麻酔の手術の後で意識のない私の世話もしてくれたわけだ。私も彼女らの名札を読んで名前を呼びたい。


実際私と同室だった女性はみなをファーストネームで呼び、差し入れのお花を上げたり、ジョークで笑わせたり、みんなといい関係を築いていた。後でわかったのだけれど、彼女は肥満治療のために胃に取り付けるバルーン治療の調整の手術だったので、前日から個室を頼んで入院して(もともと2人部屋なのでそこに緊急の私が飛び込んだ)、私と同じ日に手術しても回復が早かったのだ。彼女が退院して一人になったころは私も余裕ができて、若くて元気そうな大柄な看護師に、


「あなたはきっと入院したことなんてないでしょう。こんなところで働いて、世話する人はみんな言ってみれば病気や痛いところがあって苦しんで不幸な人ばかりで、そんな人ばかり見て落ち込まない?


と聞いたら、


「ええ、でも、最終的によくなって退院していくのは幸せなことだから、それを見るのが嬉しくて楽しみなんです」


と答えた。


優等生的答えというより実感がこもっていた。

そうか、来た時よりも元気になっていくのを見るのだから励みになっていいんだなあ、と感心したけれど、それならやはり、回復の見込めない重病人や意識不明のままの患者や、危篤状態や老衰の患者を看護する人は大変だなあともあらためて思った。


看護助手の一人からは、「黄色いベスト」運動のニュースを私がTVで見ていた時、「自分も車で通っているので少し見ていいか」ときかれた。この人たちもきっと「最低賃金」で働いているのだろう。「黄色いベスト」運動への共感が時々話題になった。


で、私の同室となった女性。

リタイアした普通の白人女性でエネルギッシュな感じだ。

はじめは彼女が起き上がった時に両脚にギブスをはめているのかと思った。

「事故ですか?」などときいてしまった。

考えてみたら「消化器外科」の病棟なのだからそんなはずはないのに間抜けな質問だ。ギブスだと思ってしまったのは、彼女の自前の動脈瘤防止の弾性ストッキングだったのだ。肥満治療に来ているぐらいだから両脚も太くてギブスを着用しているかのように見えてしまったのだ。病院で支給される普通サイズのものは入らないので特大サイズなのだそうだ。

仕切りもないし、かなり広い部屋とはいえ斜めに向かい合う方向でベッドが置かれているので、相手の様子が見える。彼女がしょっちゅうスマホを使って電話したりメッセージを受け取ったりする音がする。

「こういう時インターネット環境があるって便利ですよね」と私が言うと、「私は最低限しか使わないようにしている、ほんとうに時代は変わった。」と答えるので、「そうですね。今子供を育てている人なんて、子供の携帯の使い方などを考えると大変ですね。」と私。

SNSを使ったハラスメントやいじめの例が今はフランスでも話題になっていて、たった今TVで語られたばかりだった。


「子供がSNSでいじめられていても親が気づけないと悲惨ですね」と私がいうと、「ああ、それは一番つらい」と感情のこもった声で答えた。


そして、


「ネットがなくてもいじめられることはある。私は子供の頃から太っていて『ブタ』だとからかわれてすごくつらかった。死のうと思ったこともある。」


と言い出したのだ。

私は驚いた。そんな負の思い出を誰かから面と向かって話されたのは初めての経験だったからだ。


それから、彼女とのいろいろな話が始まった。

すごくユニークな人だった。

彼女を最初に見て、私の単純な先入観から漠然と思っていたのは、アメリカの「プアホワイト」の肥満者とかぶるもので、私の知人や友人たちとは異質な人、という印象だった。

この人は実は75歳で、その人生は波乱万丈のものだった。Aさんと仮に呼ぼう。


Aさんはある大手食品会社で働いていた。その時に知り合った同僚と結婚した。相手はユダヤ人だった。結婚してから独立して食品関係の会社を自分たちで立ち上げた。人件費とそれに伴う社会保障費を節約するために、彼女はほとんど無休で働いて社長である夫を支えた。

夫の母親は何度も彼女にユダヤ教への改宗を迫ったけれど、彼女は頑として断った。

Aさんはフランスでスタンダードな「なんちゃって」カトリックだ。で、母である彼女がカトリックだから、3人の子供はユダヤ人認定はされない。「無宗教」で育った。

子供は女、男、女の3人だ。

仕事はうまくいき、子供たちの教育も順調だった。

長女は最初医学部を目指したが、1年目の選別試験で落とされて法学部に転向して医療訴訟専門の弁護士になった。

(「あ、じゃあ、おかあさんがこうして入院してもなんとなく心強いですね」と私。)


長女はパリの一等地に自分の事務所をかまえている。50歳近いのに独身であることが心配だ。ユダヤ人弁護士と付き合っているけれど、同居するのは絶対嫌だと言って猫と暮らしている。ユダヤ人弁護士が猫を拒否するからだからだそうだ。

(「うーん、そういうケースは男が折れる以外に解決の道はないですよ。女性が自立して自分のアパルトマンを持っていて猫と暮らし始めたらもう結婚する気がなくなるなんてよく言われますよ」と私。)

で、その長女は猛烈忙しくて、Aさんをフォローするために病院に来るということはない。(彼女は行きも帰りも病院が呼んでくれるタクシーを使った。)

第二子である長男は情報関係のエンジニアでこれもパリ近郊で裕福に暮らしている。次男の「問題」は、モロッコ人女性と結婚していることだ。フランスで生まれ育ったモロッコからの移民の二世などではない。モロッコで生まれ育ったエリート女性で、その母親は作家としてモロッコで活躍している人だという。で、もちろんムスリムで、ムスリム女性はムスリムの男性としか結婚が許されないので長男はあっさりと「改宗」している。

イマムの前でアラーだけが神でありムハンマドだけが預言者である誓いの言葉を発するだけでいいので「結婚するために彼は嘘をついたのだ。」とAさんは断言する。

長男は何も信じていない、それでも、だんだんと飼いならされてきて、最近ではラマダンにも付き合わされるようになった。2人の子供にムスリムとしての戒律を厳格に守らせることにも異を唱えてはいない。

で、この長男だけが、ひとりで、木曜の夜に見舞いにやって来た。

大柄なAさんと違って痩せ型で小柄で、それでもムスリムらしく髭を生やしている。

Aさんのそばに座ってぼそぼそと話してから帰っていった。

「見た目は完全にアラブ人といってもおかしくないでしょ」とAさん。

で、末っ子の次女だがこれがまたすごい。彼女は本格的なイスラエル人と結婚して、本気でユダヤ教に改宗するために勉強を重ねている最中で(ムスリムになるのと違ってけっこうハードルが高い)、結婚してすぐにイスラエルに行ってキブツに住んでいる。幼稚園児と小学生の子供がいる。彼らのユダヤ教戒律遵守も大変で、肉とスープは同じ冷蔵庫に入れることもだめだとか、非常に細かいので、たまにフランスに戻って長男のムスリム家庭といっしょに食卓を囲む時などイスラムとの戒律のバッティングもあって大騒ぎになるのだそうだ。

Aさんはキブツに住むこの次女のことが心配で心配で毎日パレスティナ情報を調べている。

しかも、5年前に、この次女が、2人目を出産してすぐに乳癌になって治療することになった。同時にその次女の夫も睾丸癌の治療が必要だった。Aさんは孫たちの面倒を見るために半年間キブツで暮した。その時にもロケット砲が飛んでくる音を聞き、一触即発の雰囲気の中で暮した。次女は兵役も経験している。

それだけではない。Aさんは高血圧の他に持病もあるのだけれど、キブツの中の病院には行く権利がなくて車で40kmも先の診療所に行くしかないのだった。

キブツの中では、収入が配分される共産制で、病院も学校もすべて無料なのだけれど、それはイスラエル人にしか適用されないのだそうだ。家は自分たちのものだが、土地はすべて国家のものだ。


「え、でも、イスラエルの国籍を取得した娘と娘婿が癌治療の間に70歳の母親がわざわざ孫の世話をしに来ているというケースなんだから当然例外を認めるべきでは?」と私は驚いた。

Aさん自身はユダヤ人と結婚していても、姑以外からは何もしつこく強要されず、ユダヤ教への改宗を拒んできたのに、皮肉だ。

それだけではない。

子供たちも独立してビジネスも成功したAさん夫婦は、販路も広げたし世界の各地に旅行もした。何と日本にも行ったことがある。京都の思い出を話してくれた。

ところが、何があったのか知らないが、離婚。慰謝料をもらう代わりに広い庭のある自宅をもらった。問題は、リタイアした時に、彼女の年金が非常に少ないことだ。自営業でやってきて経費節減のため彼女の給料がパート扱いでほとんどなかったので、彼女名義で受け取る年金が800ユーロくらいしかなく、それでは広い家の維持費や固定資産税の支払いも大変だ。で、そこはフランスだからいろいろな社会保障費が支給されるのだけれど、それを全部合わせてようやく月1200ユーロなのだそうだ。

出た。


「黄色いベスト」運動の掲げる最低賃金1200ユーロの生活難。


臨時の出費があった時には長女が時々助けてくれるのだそうだ。


「子供たちを立派に育ててみんな仕事していて、彼らの父親のせいであなたが大変なのだから、もっと定期的に払わせれば? 母親の生活費を毎月援助する額のかなりの部分は節税になるはずよ」と私は言った。


するとAさんは、「そんなことをしたら向こうには減税で戻ってきても、私の方はそれを収入として申告しなければならない。そうしたら今払っていない所得税まで発生することになるので藪蛇よ」と答えた。


なるほど、それなら時々現金で「お小遣い」をもらうしかないのかもしれない。

彼女は退院してからは自分の車を運転して主治医のところに通うのだそうだが、「私は車の運転席の横フロントガラス越しに見えるところに黄色いベストを置いてマニフェストするつもりだ」と言った。

しかし、苦労して働いてようやく優雅な暮らしもできるようになった人が、キブツは別として、パリやパリ近郊に暮らして現役で働いている子供たちの援助を受けずに「黄色いベスト」に加わるつもりとは…。

彼女は私にとても親切で、最初、私がトイレに行くために起き上がるのが大変そうなのを見て、「ボタンを押して看護師を呼べばいいのよ」とその都度言ってくれた。夜中に看護師がなかなか来なかった時、自分もボタンを押して、しまいには、様子を見ると言って、起き上がって廊下に出ようとしたので、「いや、あなたにそんなことをしてもらいたくない」と私が止めるとようやく看護師が来たこともある。

退院する時、隣人だという女性が来て付き添ってくれたようだ。

みんなに慕われている人なんだなあ、と思う。別れる時にそばに来て抱きしめてくれた。


「あなたと知り合えただけでも今回の入院はポジティヴでラッキーだったわ」と私は言ったが本音だった。


私は好奇心全開でフィールドワーク風にいろいろなことを質問したけれど、Aさんの方は私のプライヴェートな情報を日本人だという以外にほとんど何も聞かなかった。これという波風もない私の人生は彼女の人生の前では語るのも気が引けるほどだけれど、一応「盲腸」という緊急事態で、彼女のように自前のタオルも何もない着の身着のままで入院しているのだから、ある意味で、しっかりと実存的弱者だ。「裸のつきあい」という言葉があるけれどそれに近いのかもしれない。

それに、ここはフランスだから、2人とも退院の時にまったく支払いをしなくてもいいという点でも平等だ。平等なのに、私たちの日常の生活感覚はきっとまったくかけ離れているだろう。そして彼女の人生は「普通のフランス人」のイメージと大きく異なる。

彼女のおかげで「黄色いベスト」運動の多様性のことを本気で考えるようになった。


(続く)


by mariastella | 2018-12-28 03:27 | フランス

盲腸記  その1

これを書いているのは虫垂炎の緊急手術をして退院してからまる1週間経った時点(11/26)だ。

それがどうして起こったかについてはすでに病室で「健康ブログ」にアップし始めた。

ここ。

フランスでの大学病院事情を報告しようと思ったので、そっちも並行して続ける予定。

で、その数日のうちに実に興味ある社会観察ができたし、出会いもあり、多くのことを考えたので、それを忘れぬうちに書いておく。

で、このブログでのこのシリーズのタイトルを「盲腸記」としたのは、今回の件で日本語では「盲腸」が死後になっていることを知ったノスタルジーからだ。

私のことだから、日本のブログでいろいろ検索したら、その中には、病院で「あなたは何の病気で何の手術をしますか」と「確認」を取られる時に、「盲腸」と答えると患者として「下位」にランクされるのでちゃんと「虫垂炎」と答えなければならない、という記事を目にしたことに驚いた。

うーん、1950年代前半生まれの世代としては、健康ブログの方にも書いたけれど、「盲腸」と言えば、「スイカの種やらブドウの種を食べるとそれが詰まる」という伝説の他、時々クラスの誰かが一週間くらい欠席する病気で、「手術」「手術後も笑うと痛いので笑わせるとダメ」「ガスが出ないと退院できない」というくらいの、半世紀前の「知識」しかなかった。

幸運にも、これまで自分自身も身近な家族も「切る」手術を経験したことがなかった。

今思うと、「笑うと痛いから笑わせるな」とか「ガスが出ないとダメ」とかいうのは、別に「盲腸」の手術だけではなく、開腹手術一般だと思うけれど、子供たちがわりと普通に「病気になって学校を休んでそして元気になって戻って来る」と認知している「病気」の治療に薬だけでなく「手術」があったということにもあらためて驚きだ。

それにしても、「盲腸」。

フランス語ではappendice、虫垂炎がappendiciteというのだけれど、この単語は、日本にいた頃の私の語彙にはなく、ソルボンヌのフランス語講座に通った頃にはじめて習って強烈な印象を残してその場で覚えた単語だ。先生が黒板に書く文字まで覚えている。

なぜこの単語かというと、フランス語は英語と違って、単語の綴りと発音が大体規則正しいので、「例外」を覚えさせられるからだ。

フランス語のen は鼻母音の中でも、カラスのカアーという感じで口を大きく開けて息を鼻から抜いて発音する。それに対して in は、口を横に引っぱって「エ」という形で息を鼻から抜く。どちらもカタカナでは「アン」と書かれたりするのだけれどまったく違う音で、cent cinq (最後の子音は発音しないのでどちらもサン)では、1005という大差の数字。

で、なぜか、盲腸はenと書くのにinと同じ発音、ということで、ソルボンヌで教えてもらったわけだ。

今回の「事件」で私は周りのフランス人にこの発音の例外を披露したら、みなあまり意識していなかったらしくて、「あ、ほんとだ」などと言っている。

もっとも近頃は、綴りと発音を一致させようという簡略化が公式に進んでいるので40 年前にフランス語の難問書き取りの達人だった私も、実はもう何が何だか分からない。

それに携帯やネット上のやりとりが蔓延して、もう「綴り?それが何か?」みたいな時代に突入している。

でも、今回、フランス語でもあらためて検索すると、appendice の綴りはめでたくappendice のままだった。語源的には「垂れる」「ぶら下る」だから、もともと「虫垂」に近い。

では、今回、日本で、「虫垂」が炎症を起こして「盲腸」になる、という表現が昔使われていた、という情報をあらためて考えると、盲腸とは、「大腸の一部で、小腸との接合部より口側(肛門から遠い側)の盲端部分」という定義がちゃんと存在する。

フランス語でもあって、やはり「盲」という語源。うーん、日本も欧米語から訳したものの最近「盲」という言葉自体が避けられているからだんだん使われなくなったのかもしれない。

もちろん、正確には盲腸があって、その先に虫垂が垂れているという感じなのだけれど、ともかく炎症を起こすのは「虫垂」、切除するのも虫垂。(しかし、「虫様突起」ってなんか嫌だなあ。)

いや、前振りが長くなって、ただの雑学披露になってしまった。

ともかく、日本と違って、半世紀前に習った「言葉」がまだちゃんと現役で通用したことに感謝しよう。


by mariastella | 2018-12-27 00:05 | フランス語

死後の世界って

前の記事から続く一神教の神学者たちによると、一神教における本来の「永遠」というのは、線的ではないということだ。
よく、多神教、汎神教的世界観は季節のように循環するけれど一神教では世界が神によって創造されてやがて世界の終わりが来るので線的で、まあそれが「進歩主義」を生むことになった、ひいては経済や生産性の「成長主義」も生んで、そのせいで環境が破壊された、などという言説がある。
実際は四季のある場所は多いし、穀物や果実の収穫も毎年循環するのだから、一神教のお祭りも、夏至や冬至などのリズムを踏襲している。

そして、「世界の終わり」と言っても、実際はこの世のあり方から神の世界でのあり方にシフトするというイメージだ。

永遠とか無限とかいうと遠さや長さを連想するけれど、一神教の考えてきた「永遠」とか「あの世」とか「神の国」には、過去もないし未来もない。上と下もないし前と後ろもない。カトリックの聖人崇敬でも、いったん神の国に入った聖人たちは、この世の人に起こる奇跡に介入したりできるけれど、そこには時間軸がない。例えば、今ここである人を助けてくれる聖人はまだこの世に生まれていない未来の聖人ということもあり得るわけだ。聖人の名をずらずら並べる連祷というのも、形としてはそれぞれの聖人に思い入れを託すとしても、実は集合的なあちらの世界の全体に働きかけているのだとも言える。

昔、台湾の方が、彼の家族の道教の考え方では、死者は別の多分地下の世界のようなパラレルワールドで整然と同じような暮らしをしていると思われているのが腑に落ちない、と言っていた。死者が海の彼方や山の彼方で「暮らしている」という考えは日本にもあったし、ケルト地方にもあったし、盆や正月やハロウィーンなどに例外的に「戻って来る」のを迎えたり送ったりする習俗もある。もちろんヒンズー教世界で生まれた仏教のように、魂が輪廻転生で生まれ変わり続けるというのもあるし、その度に「前世」のメリットによってステージが上がってついには輪廻を脱出して成仏するという考えもある。「自分の魂ファースト」を目ざす新宗教もある。

そんなことをこれまでいろいろ調べてきたし考えてもきたけれど、時間と空間の中の位置関係に縛られている「この世」に対して、時空と関係のない「あの世」が存在すると考えることが、実は私が過去に体験してきたことと一致している。

その「あの世」とは、「死後」の世界とかパラレルワールドではなくて、今ここに、私たちの世界を包んでいるものだ。私たちは生きている間はそれを時空の系列、時空の枠でしか認識しないけれど、実は、一瞬だけ凝縮してエントロピーを減らしているだけで、「あの世」も同時に生きている。幼児や老人や重病からの帰還者たちにはそのつながりが強かったり、「この世」のほころびから「あの世」を感じる人も出てくる。

昔、透視能力についてそのような実験結果をうかがったこともあるけれど、そんなにオカルトな不思議な話ではなく、納得できるものだった。まあ、普通の生活に追われている分にはそういう話は不都合な雑音かお花畑の夢物語かだろうし、「この世」での生命力の弱っている人に対してたまにそういう話でつけこむ輩もいるのだから、バランスをとるのは難しい。

でも、結局は、世に言う「死生観」とは、「死」と「生」の関係でなくて、その二つを包含する何かについてのビジョンなんだろうなと思うこの頃だ。

by mariastella | 2018-12-26 00:05 | 死生観

クリスマスの飾りつけ

メリークリスマス!

12/9、クリスマスの飾りつけをした。

これを楽しくなつかしく思えるのは不思議でもある。
日本の都市の核家族でキリスト教と縁がない(兄の通っていた幼稚園が神戸のキリスト教系だったことを除いて)家庭に育ったのに、毎年のクリスマスツリーの飾りつけや長靴に入ったキャンデーなどの思い出は忘れられない。金属の箱に入った小さな赤白縞のステッキやブーツ、玉などを飾り、てっぺんには星をつけ、モールをあしらい、最後には綿で雪を置く。毎年同じものと再会するのが楽しかったし、雪だけは、新しい綿を使うのだった。

前回の記事の「聖地」について解説していた神学者がクリスマスについても話していた。

クリスマスツリーの起源がキリスト教とは関係がなく北欧などの冬至の祭りだとかいうことはよく知られているけれど、キリスト教化して以来のフランスでは、その飾りはなんといってもリンゴだったそうだ。しかも、縁日にあるような赤いシロップでコーティングしたものだったそうだ。ノルマンディでは木の根にシードルを聖水のように振りかけていたともいう。
緑のモミの木に赤いリンゴ、これはエデンの園の中央にあったと言われる「生命の樹」を表現していたのだそうだ。

リンゴの木というと、生命の樹でなく、イヴが蛇の誘惑に負けて食べてしまった禁断の木の実(リンゴかどうかは分からないのだけれど。裸で暮らせるような気候だったのだからリンゴではなくイチジクだとも言われる)の生る「知恵の樹」の方を連想すると思う。
でも、神さまの命令を破って食べて「知恵をつけて」しまって楽園から追い出されたような木を記念に飾るという挑発的な話ではなくて、もう一つの、その実を食べると神のように永遠の命を得られるという生命の樹の方なんだそうだ。
つまり、緑の樹に赤い実が生るという〈命〉の賛美だ。この方が確かにもともとの樹木信仰とマッチしている。

この話をしていると、ユダヤ教の神学者が、ユダヤ教の七枝燭台や九枝燭台も、樹木であり、生命の樹を表しているのだと言っていた。

モーセがエジプトから脱出してからの四十年の月日、ユダヤ人を養うために天から降ってきた食べ物であるマナを記念するパン状のもの?を12月から1/6までの40日間テーブルの上に出しておくのだとも言っていた。40日には足りない気もするけれど、キリスト教のいわゆる待降節の期間と、イエスが生まれた後で東方の三博士が訪ねてくる1/6の「公現祭」と重なる。伝統的にはこの公現祭で年末年始の行事が終わってツリーも片づけることになっていたから、キリスト教国で暮らすユダヤ人の習慣にも連動するヴァリエーションができたのかということなのだろうか。(ユダヤの伝統的な「光の祭り」ハヌーカは、例えば今年は12/2の夕方から12/10の夜までで、伝統的な食べ物もいろいろあるけれど、そのどれがマナの記念で、ほんとうに1/6まで出しておくものがあるのかどうかは確認できなかった。)

どちらにしても、北半球で日照時間が最も短くなった後に、太陽が復活するかのような「冬至」の時期に、「樹」と「実」と「光」をセットにして「生命」を賛美するという気持ちは共通しているなあ、と思う。

by mariastella | 2018-12-25 00:05 | 宗教

一神教の「聖地」観  その4

(これは前の記事の続きです)

最後はユダヤ教。

「聖地」はない、と言う。

さすがさすらいの民。

ユダヤ教には「聖」ではなく、「聖」に近づくための「智慧」が大切なのだ。
ユダヤ教にとっての聖地は「神殿」である。

エルサレムにあったその「神殿」は破壊されて壁しか残っていない。

神殿があったころ、エルサレムは「聖地」であった。
神殿がない今は、「聖地」と呼ばずに「エルサレム」と呼ぶ。

のだそうだ。

カトリックはエルサレムのことを普通に「聖地」と呼んでいるのに。

もちろんこれらの解説は、それぞれの宗教の特定の神学者の言葉だから、他にもいろいろな見解があるのかもしれない。

でも、このユダヤ教の解説にはなぜだかとても好感が持てた。

(この放送は12/9の朝のものです)

by mariastella | 2018-12-24 00:05 | 宗教

一神教の「聖地」観  その3

(この記事は前の続きです)

このイスラム教の「聖地」について解説していた人は女性だった。

女性のイスラム神学者だ。

なんだかとてもすんなり理解できる。
ばりばりのイマームなんかに解説されたら、近頃のフランスの過激化するイマームの危険ばかり聞かされるのに慣れているので、同じことを言われても抵抗があったかもしれない。

しかも、この女性神学者はフェミニストでもあり、モスクでの女性の礼拝場所が男性の場所より狭くてみすぼらしいことに抗議していた。
もともとは男女が同じ場所で礼拝していた。けれども、イスラムの礼拝では、直立姿勢から跪拝する。膝をつき、顔を床につけるので、最初に尻を持ち上げる格好になる。
そのために、女性を前にしてはいけない、と言うので、男性が前で、女性は後方で礼拝するようになったという。それがいつの間にか、別々の場所となり、女性の場所が一ランク落ちるようになった、それは改めるべきだ、と言っている。

部外者から見ると、私にはチベット仏教の集まりでみながリンポチェの前で一人一人が五体投地をするのを見る時も違和感があるので、イスラム風の跪拝も集団となると異様な感じがする。

カトリックの巡礼地で、膝をついて歩く人も見ることがあるけれど、「痛いだろうなあ」と思うけれど、別に女性を後ろから見るのがはばかられる、というものではない。

いずれにしても、五十肩の人や足腰に痛みがある人には無理な姿勢なので、祈りは目を閉じるとか手を合わせるとかで形はOKという文化が私には向いているなあ、と思ってしまった。

(続く)

by mariastella | 2018-12-23 00:05 | 宗教

一神教の「聖地」観  その2

(これは前の記事の続きです)

次にイスラム教の聖地。

これはよく知られているように、三ヶ所ある。

まずはもちろんメッカのカーバ神殿。

ユダヤ・キリスト教と同じ一神教なので、創造神とアダムにまで遡る原初の神殿のような位置づけだ。七万
中の「御神体」は天使が運んできたという有名な「黒石」で、これに巡礼者が接吻などして触れるのは、触れれば全ての「罪」が一瞬で黒石に吸収されて、巡礼者は浄化されるからなのだそうだ。

黒石って「罪の色」で黒いのかなあ、ブラックホールみたいでもある。

生涯に一度はカーバに巡礼しろというのは、「清め」てもらって天国に行けるという意味もあるのだろうか。でも実際は、巡礼者が多すぎて接吻などしていられない。ぐるぐる回って指さすだけがほとんどだというから、「罪」の浄化はどの程度なんだろう。

キリスト教だって、初期の頃は、洗礼を受ければそれで天国へのパスポート、みたいな時代から、でもその後でまた罪を犯してしまうから、「告解」して「罪障消滅」してもらう時代、それでもまた罪を犯すから何度でも告解するとか、いよいよ臨終の「秘跡」で「清めてもらう」ようないろいろなプラグマティックな工夫がなされてきた。
仏教でも、もう罪を犯したり戒を破ったりするリスクのない死後に法名だの戒名だのを授けてもらうようなシステムが生まれているのと似ている。
生きているうちは罪深い存在だけれど、死ぬときには何とか清くなりたい、という心情は普遍的なようだ。というか、どの文化にもそれぞれの道徳だの戒律だのがあり、それを「厳守」できていない人は、たとえそれが社会的にばれなくても、それなりの罪悪感を抱くのだろうか。

で、二つ目はもちろんメッカを追われたムハンマドの死地で、墓所のモスクのあるメディナ、
三つめが、ムハンマドが天に上げられたというエルサレムの岩のドームがある神殿の丘だの。
メディナに住んでいたのに、天使ガブリエルに連れられた天への旅がまずエルサレムに行ってその岩を出発点にしたということになっている。

ともかく聖地はこの三つで分かりやすい。

(続く)





by mariastella | 2018-12-22 00:05 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧