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L'art de croire             竹下節子ブログ

フランスって「やればできる」?  オリンピックとノートルダム

5年前の春に火災で塔や屋根が焼け落ちたパリのノートルダムが12/7に工事終了で再開となる。

大統領のスピーチは聖堂内でなく前の広場だとか、
有料化を拒否して、でも、完全予約制にするとか、

正教分離、イスラム原理主義の横行、教会での破壊や窃盗、

いろいろな問題山積みのフランスの状況が反映されている。

それでも、宗教離れ、歴史離れをしているフランス人が、炎上するノートルダムを見て涙して、祈りや修復の寄付金が殺到、5年で修復するなどという「不可能」(間にコロナ禍もあった)が可能になった、などの「奇跡」の連続だった。

政治的には、マクロン政治への信頼が失墜、政府は分断状態、国際的にはウクライナ戦争にガザ=レバノン戦争、それに伴って、EUも分断、アメリカはトランプの返り咲きに伴う不穏。いくら「観光の目玉」だからといって、ノートルダムの修復に威信をかけているような状況ではなかった。

暴力沙汰、麻薬、公立学校教師の危険などのニュースがデフォルトになるような毎日で、リスク管理が難しいと思われていたパリオリンピック、しかもセーヌ河や街中を舞台にするという思い切った演出を、いわば力づくで強行した。それでも、「独裁国家」のやり方と違って、暫定内閣のまま、人々が密に重なって歌い、応援し、叫ぶという「ノリ」年前の春に火災で塔や屋根が焼け落ちたパリのノートルダムが12/7に工事終了で再開となる。

大統領のスピーチは聖堂内でなく前の広場だとか、
有料化を拒否して、でも、完全予約制にするとか、

正教分離、イスラム原理主義の横行、教会での破壊や窃盗、

いろいろな問題山積みのフランスの状況が反映されている。

それでも、宗教離れ、歴史離れをしているフランス人が、炎上するノートルダムを見て涙して、祈りや修復の寄付金が殺到、5年で修復するなどという「不可能」(間にコロナ禍もあった)が可能になった、などの「奇跡」の連続だった。

政治的には、マクロン政治への信頼が失墜、政府は分断状態、国際的にはウクライナ戦争にガザ=レバノン戦争、それに伴って、EUも分断、アメリカはトランプの返り咲きに伴う不穏。いくら「観光の目玉」だからといって、ノートルダムの修復に威信をかけているような状況ではなかった。

暴力沙汰、麻薬、公立学校教師の危険などのニュースがデフォルトになるような毎日で、リスク管理が難しいと思われていたパリオリンピック、しかもセーヌ河や街中を舞台にするという思い切った演出を、いわば力づくで強行した。それでも、「独裁国家」のやり方と違って、暫定内閣のまま、人々が密に重なって歌い、応援し、叫ぶという「ノリ」、「盛り上がり」が自然に発生した。厳戒態勢が敷かれていたにもかかわらず、オリンピックのお客様への「おもてなし」は徹底していた。
「ふーん、やればできるじゃん、」と、安心安全のパリの再来を夢見ることも可能になったくらいいだ。

で、ノートルダム。

これはすごいことだ。

公式カメラマンのインタビューを聞いた。一人は火災の前からノートルダム前の広場の発掘などの記録写真を撮っていたカメラマン。すでにスタンバイしていた人だから、「焼け跡」のノートルダムの劇的な写真も撮ることが出来た。
その後も修復の様子をすべて詳細に撮影。何万という写真を撮ったけれど、あらゆる職人による連携に一番感心した。そこにノートルダムに対する使命感があったのか、歴史につながる仕事だという自負があったのか。「聖霊」に鼓舞されたのか、それは謎だけれど、ともかく、個々の仕事が一種、超越的な次元でインスパイアされ合って、有機的に動いていたという。それぞれのメチエには技術の歴史もあるし、ノートルダムには中世以来、今は失われたような技術も使われている。それらを研究し、模索し、関係者のすべてにとって、「修復」ではなくクリエーションでもあったのだ。

最初に時として何百年もかけてゴシック式カテドラルを創った人々の世界と融合し協働するということでもあったようだ。

2022年の終わりに、もう一人のカメラマン(ビデオ撮影もする)が公募された。
三人目はメディア用のエージェントのために働くカメラマンだ。

彼らはもうすでに、修復されたノートルダムの内部を撮影しているわけだが、驚いたのは明るさだという。石が煤けていたのは知っていたが、洗浄しても元がグレーだと思っていたのが、実はブロンドだったというのだ。
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多くの壁画なども、19世紀の大修復の時のものなのに、すでに煤けていた(これらは火災の前にすでに林立する大蝋燭などのせいだ)。それらが「再生」するのも驚きだったという。

フランスの各地で、さまざまな職人たちが働いた。
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2000もの同業組合職員が各地で動員された。コンパニョナージュの躍如というところだ。


ノートルダムのような「立派なもの」は王侯貴族の城と同じで「富の象徴」だと批判された時もある。そんなものを莫大な金をかけて修復する?
「いや、ノートルダムは全ての教会と同じように、王と最貧の人々が共に食事をする食堂です」という答えがあった。食事というのはもちろん「聖餐」で、水と小麦粉だけのささやかなホスチア(聖体パン)が、王にも貧民にも分け与えられる。それを仲介できるのは王や貴族ではなく、「名もない田舎司祭」でもOKだ。
今のカトリックでは、要理の勉強をして洗礼を受けて堅信するなど聖体拝領するにはいろいろな規定があるけれど、イエスは屋外に集まった五千人もの人にパンと魚を分け与えた。

教会って、どんなに小さな建物でも、立派なカテドラルでも、パンを分け合う場所なんだなあ、と思う。
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ブロンドのノートルダム、行ってみたい。

正式公開に先立って、11月末にマクロンがパリ市長やパリ大司教らと共に、ノートルダムの内部を見学し、2000人の職人のうち集まった1200人に感謝の言葉を述べた。
ちょうど晴天だったので、石がブロンドに輝いているのが実感される映像だった。職人たちを最初に招待して、感謝するというのは正解だったと思う。

(フランスとしては再開に教皇に参列してほしかったろうが、教皇は12/15にコルシカのアジャクショーの公式訪問を決めた。実はコルシカは古くからの「境界領」だった歴史がある。
それにしても、フランスに来る時は、ストラスブール、マルセイユやコルシカ、と、パリを避けているかのような教皇、「民衆に寄りそう」みたいな姿勢が相変わらず徹底している。)



# by mariastella | 2024-12-05 00:05 | フランス

ボリス・ジョンソンのインタビュー記事を読んであらためて思った英米とヨーロッパの関係

11月半ば、フランスに戻ってから初めて買った紙の雑誌。
ボリス・ジョンソンのインタビュー記事を読んであらためて思った英米とヨーロッパの関係_c0175451_21070535.jpg
雑誌はどちらかというとリベラル側のエクスプレス誌。
「トランプはあなた方が思っているよりうまくやるだろう」というのがテーマだけれど、差のことよりも、Brexitやコロナ禍を振り返った話が印象的だった。

フランス人に話すと「本当かどうか分からない」などと言われるのだが、イギリスが参加していた頃、独仏の二国から実は「差別的」扱いを受けていた、というのはなんだかよく分かる。
当時、ウクライナにまつわる外交交渉で独仏の代表と同行していた時、まるでジョンソンが存在しないかのようにあからさまに無視されていたというのだ。ウクライナは独仏の「庭」であるかのような態度だったという。

細かいことはスルーするけれど、第二次世界大戦の経緯と終わり方、その後を見ていると、その辺の感情が分かる。

今のイメージでは、「英米仏」などは連合国として「独伊日」の同盟国に勝利した側、にもかかわらず独仏は早くからヨーロッパを二度と戦場にしないように石炭鉄鋼同盟などで連携した。

当時の「英米」的には、ドイツに占領されていたフランスは「敗戦国」側で、実際、ドイツ軍よりも英米軍、特に米軍がドイツだけでなくフランスも徹底的に爆撃した。フランスの一般市民の犠牲者の多くは米軍による空襲の犠牲だった。

米軍はフランスを占領しよう、保護領にしようとしていた。通貨も用意していた。
フランスが「連合国」の戦勝国に席を連ねたのはドゴール将軍の「自由フランス」の離れ業だったと言っていい。

実際、ある意味で、対戦が終った時点で、ドイツもフランスも、連合国軍による被害でぼろぼろだったのだ。

歴史的には、フランスとドイツは対等な形で敵対していない。ドイツは領邦国家だったし、ルーツは同じフランク王国だ。宗教戦争の時代も、ハプスブルグ家と戦うためにはカトリック国のフランスはドイツのプロテスタント国と同盟を結んだ。国境を接しているので、アルザスなどの争いはいつもあったけれど、普仏戦争いぜんはドイツ対フランスという敵対構造はなかった。

一方で、イギリス王室はフランスの絶対王権をモデルにしようとしたし、フランスに勢力を伸ばしてフランス王になろうとした。でも英仏海峡があるし、ジャンヌ・ダルクがはじめて「イギリス軍をフランスから追いやる」という形のナショナリズムをスタートさせた。

第二次世界大戦をもろに生きた世代のフランス人から以前、「本当の敵はイギリス、ドイツとはそもそも敵ではなかった」と言われたこともある。

戦後フランスが早くにドイツと手を結んだのは、英米主導になるよりも、ヨーロッパ大陸内で復興体制を固めようという思惑で、もともと勤勉で復興や成長も早いと思われるドイツと手を組んだ方が有利だったからだろう。「敗戦国」だから政治的には御しやすいから都合がいい。核兵器などもフランスには規制がないから開発できて、ドイツをけん制できる。

第二次世界大戦におけるフランスとドイツの微妙な関係が戦後のEUをけん引した。
そこにイギリスが入ってきたのは「政治」とはまた別の「経済」の思惑があった。
ドゴールはNATO軍からも撤退していたから分かりやすい。
アメリカのイギリスからの「独立戦争」を助けたのはフランスだというレトリックもいつも使われる。

私が若い頃には日本人がドイツに行くと「次は勝とうな」と声をかけられるというエピソードだかジョークだかがあった。日本のゼロ戦が米軍の戦艦に突っ込んで爆発する記録映画を観て喝采するフランス人もいた。

今はなんとなく、「西洋」とはアメリカと英語の世界というイメージが定着している。

でも、ボリス・ジョンソンの語るEUの記事を読んでいると、ランスに戻ってから初めて買った紙の雑誌。

雑誌はどちらかというとリベラル側のエクスプレス誌。
「トランプはあなた方が思っているよりうまくやるだろう」というのがテーマだけれど、差のことよりも、Brexitやコロナ禍を振り返った話が印象的だった。

フランス人に話すと「本当かどうか分からない」などと言われるのだが、そして確かにジョンソンはもともとEU懐疑派なのだけれど、イギリスが参加していた頃、独仏の二国から実は「差別的」扱いを受けていた、というのはなんだか実感があってよく分かる。
当時、ウクライナにまつわる外交交渉で独仏の代表と同行していた時、まるでジョンソンが存在しないかのようにあからさまに無視されていたというのだ。ウクライナは独仏の「庭」であるかのような態度だったという。

細かいことはスルーするけれど、第二次世界大戦の経緯と終わり方、その後を見ていると、その辺の感情が分かる。

今のイメージでは、「英米仏」などは連合国として「独伊日」の同盟国に勝利した側、にもかかわらず独仏は早くからヨーロッパを二度と戦場にしないように石炭鉄鋼同盟などで連携した。

当時の「英米」的には、ドイツに占領されていたフランスは「敗戦国」側で、実際、ドイツ軍よりも英米軍、特に米軍がドイツだけでなくフランスも徹底的に爆撃した。フランスの一般市民の犠牲者の多くは米軍による空襲の犠牲だった。

米軍はフランスを占領しよう、保護領にしようとしていた。通貨も用意していた。
フランスが「連合国」の戦勝国に席を連ねたのはドゴール将軍の「自由フランス」の離れ業だったと言っていい。

実際、ある意味で、対戦が終った時点で、ドイツもフランスも、連合国軍による被害でぼろぼろだったのだ。

歴史的には、フランスとドイツは対等な形で敵対していない。ドイツは領邦国家だったし、ルーツは同じフランク王国だ。宗教戦争の時代も、ハプスブルグ家と戦うためにはカトリック国のフランスはドイツのプロテスタント国と同盟を結んだ。国境を接しているので、アルザスなどの争いはいつもあったけれど、普仏戦争いぜんはドイツ対フランスという敵対構造はなかった。

一方で、イギリス王室はフランスの絶対王権をモデルにしようとしたし、フランスに勢力を伸ばしてフランス王になろうとした。でも英仏海峡があるし、ジャンヌ・ダルクがはじめて「イギリス軍をフランスから追いやる」という形のナショナリズムをスタートさせた。

第二次世界大戦をもろに生きた世代のフランス人から以前、「本当の敵はイギリス、ドイツとはそもそも敵ではなかった」と言われたこともある。

戦後フランスが早くにドイツと手を結んだのは、英米主導になるよりも、ヨーロッパ大陸内で復興体制を固めようという思惑で、もともと勤勉で復興や成長も早いと思われるドイツと手を組んだ方が有利だったからだろう。「敗戦国」だから政治的には御しやすいから都合がいい。核兵器などもフランスには規制がないから開発できて、ドイツをけん制できる。

第二次世界大戦におけるフランスとドイツの微妙な関係が戦後のEUをけん引した。
そこにイギリスが入ってきたのは「政治」とはまた別の「経済」の思惑があった。
ドゴールはNATO軍からも撤退していたから分かりやすい。
アメリカのイギリスからの「独立戦争」を助けたのはフランスだというレトリックもいつも使われる。

私が若い頃には日本人がドイツに行くと「次は勝とうな」と声をかけられるというエピソードだかジョークだかがあった。日本のゼロ戦が米軍の戦艦に突っ込んで爆発する記録映画を観て喝采するフランス人もいた。

今ではなんとなく、「西洋」とは「アメリカと英語の世界」というイメージが定着している。
ヨーロッパも王室や貴族の部分では姻戚関係が混み入っている。
ボリス・ジョンソンの語るEUやアメリカのこれからについての記事を読んでいると、すべてが絡み合っているようで通底しているなにかがあるようにも見える。

フランスでは僅か29歳のバルデラが「回顧録」を出すと同時にマリーヌ・ル・ペンがEU議会での予算不正疑惑で被選挙権を5年間停止されるかもしれないというニュースが重なって、騒ぎになっている。

ウクライナ、ガザ、「機を見る」ことにたけている国々がどう出るかの情勢を追っていきたい。



# by mariastella | 2024-12-04 00:05 | 歴史

日本で読んだマンガ 「ゴミ清掃員の日常」

日本で移動の時に、スマホやタブレットを見たくないので薄くて読みやすいマンガを借りて読んだ。
日本で読んだマンガ 「ゴミ清掃員の日常」_c0175451_00394132.jpg
ゴミ清掃員が幼稚園児の憧れに映るなんて、フランスでは想像できない。
このマンガは珍しいエピソードがたくさんあって「教育的」でもあるけれど、いつも不思議に思っていることがさらに印象づけられた。
日本ではゴミを袋で出すというのは知っていたけれど、今さらながら不思議だ。
町内会でゴミ出しの当番が決っていて、カラス除けのカバーをかけたり、後で掃除したりするという話や、悪天候の日でも通りの向こうの集積所まで運ばなくてはならない、などということも読んだことがある。

フランスでは、燃えるごみと紙、プラスティックなどのリサイクルゴミ用に2種類の蓋つきゴミ箱が市から各戸に提供されていて、それを家の前に出しておくだけでいい。(ビンの回収箱は通りにある。)ゴミ回収車が来てそれを機械で持ち上げて空にしてくれる。それをまた家の前に戻してくれるから回収すればいい。
 
どういう理屈でこの違いがあるのか分からないけれど、週に数回何十年もこれを続ける時間と鵜力の差は膨大だろう。日本ではその他に「ご近所の眼」というのもありそうだし‥。
フランスではゴミ収集の税金は固定資産税についてくる。家の所有者はそれを借家人に請求することができる。

だから、このマンガは、その差にあらためて愕然とさせられるものだった。
フランスのゴミ収集作業の人はほとんど移民労働者が多い。
そして、年末には郵便配達人もそうだけれどカレンダーを各戸に持って来るので、日ごろの感謝のために、絵柄を選んで買う。値段はないので心づけを渡す仕組みになっている。各戸のゴミ箱が分かっているのだから、いつも大目に渡しておく。

もう一つ、日仏の差があまりにも大きいと思うのは、政治で話題になる「夫婦別姓」の問題だ。夫婦で姓が別だと家族の一体感が失われるとかいう。子供の頃、親が離婚した子供の姓が突然変わるので驚いた記憶がある。

フランスでは基本的に学校でも先生からでもファーストネームの方で呼ばれるので気にならない。第一、いわゆる婚外子が半数以上とか言われているし、親が結婚していようがパクスと言われる事実婚状態であろうが、夫婦別姓でもいいし、子供の姓も自由で、たとえば鈴木さんと佐藤さんの子供の出生届を鈴木姓にしても佐藤姓にしても、鈴木-佐藤や佐藤-鈴木という合成名にしてもいいし、後に子供が変更することだって可能になっているはずだ。そのことで家族の一体感がどうのこうのというのは聞いたことがない。

ゴミの収集と夫婦別姓。

関係ないようでいて、日常の生活に関わる問題だ。
他の国と比べたことがないので分からないけれど、フランスの方がいろいろな意味でプレッシャーが少ないのは確実だ。

このような「文化」の一側面にスポットを当てたという点で、このマンガは興味深かった。(その他に、このゴミ清掃人がお笑い芸人であり、妻子のために努力している様子、このマンガを妻が描くことになった経緯なども印象的だった。)


# by mariastella | 2024-12-03 00:05 | 日本

広重の青

日本を発つ前日、今回初めて、自分だけのための行動をした。
歩いて数分で行ける太田記念美術館の「広重の青」展を観に行ったのだ。

仲間のHはすでに観ていて、「広重のプルシアン・ブルーの秘密がすべてわかった」と興奮したように言っていた。

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なるほど、浮世絵で使われてきた、植物系の「つゆ草」や渋い「本藍」は、鮮やかな青の濃淡を表現できず、時と共に色落ち、変色するので、海の色や空の色を描きたい風景画よりも人物画が主流だった。それが、18世紀初頭にベルリンの染料業者が偶然発見した化学合成染料の「ベロ藍」が1747年に輸入されてから、浮世絵を変えた。
青の濃淡が可能で、「ぼかし」も可能で、色落ちもしない。空の青、水の青の表現が可能になったのだ。カトリックの典礼色に「青」がなく、青という色概念もなかった。青は「空色」「水色」などと個別に呼ばれていたのだ。そんな青が「聖母マリア」のシンボルカラーになったのは不思議なくらいだ。
「青は藍より出でて藍より青し」というけれど浮世絵で色あせてしまうのなら意味がない。
18世紀半ばまで色彩風景画が発展しなかったとは…。
中国や日本は文字が毛筆だから絵もそのまま墨絵が発展した。文字が硬筆で「画家」は別のジャンルだった「西洋」とは「色」の使い方も違ったとは理解できるけれど、「青」がそこまでハンディになっていたとは。

で、あらためて、風景画の空と水の青の使い方を見てみると…。
ぼかし方などもうまいけれど、そもそも広重って「構図」の天才だなあ、と感心する。カタログの表紙の絵もそうだけれど、橋と橋桁、船、遠景の山、街並み、月、配置の凝縮力がすごい。 

下の絵も「すべて」を配した形と色、白抜きにした部分の妙、赤の使い方、ベロ藍の陰影あってこそのものとはいえ、「すべてを描く」技量に戦慄せざるを得ない。
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縦長の「屏風絵」のような構図でも、橋桁から見事にすべてが見えている。それを可能にしたのも「ベロ藍」プルシアン・ブルーを駆使できたからなのだ。
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ぎりぎりに足を運んだ展示会だが、刺激的だった。
(同じく徒歩圏内の根津美術館は今や入館に予約が必要なのだそうだ。)

この日は土曜日。
相変わらずどこもすごい人出だが、比較的空いているレストランで食事した。
今回は焼き肉を食べる機会がなかったから。穴場というのはあるものだ。
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そういえば、このブログには載せなかったけれど、春にオープンした「ハラカド」のフードコートの台湾料理は二度食べた。仲間たちとは上の階で飲み物を飲んでテラスにも出てみた。23時までやっているので便利だ。下はテラスから撮った夜景。
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これから先、もし彼らが観光で日本に来る時があるなら途中で合流することはあるかもしれないけれど、もう今回のような旅は共有しないだろう。
Mがクレタ島に持っているアパルトマンにはHもバカンスで滞在しているし、ふたりはドイツ旅行もしているけれど、「旅のための旅」をこれから先彼らと体験するとは思えない。
ともあれ、2003年以来、彼らと5回も日本に来ることになった。
私たちの友情を音楽の形で日本の同胞に伝えることが出来たのは奇跡のような幸運だった。

(11/15、日本から戻った後はじめての練習をした。2月のコンサートに入れるラモーを4曲くらいさらった。ラモーは本当に、異次元から語りかけてくるようなアクロバティックな繊細さを繰り出してくる。異世界の得体のしれない生き物のように形を変えながら蠢いているのが同時に緻密で完全に整合性のある動きだというのが驚きだ。私たちの旅と冒険は続く。)


# by mariastella | 2024-12-02 00:05 | アート

矢来能楽堂で「鉄輪」を鑑賞

11/2、観劇の前に表参道の河合楽器に3人で行く。ここで私はいつも生徒や室内楽仲間へのおみやげや楽譜や本やアクセサリーを買っている。

彼らは前にも私がプレゼントした五線テープなど買っていた。あれはほんとうに便利だ。今は3サイズある。

で、その後、半蔵門線と東西線を乗りついで、神楽坂の矢来能楽堂に。
はじめて来るところだ。この日に、解説付きの能があることを槻宅聡さんに教えてもらった。祝祭性や霊性はないけれど、夫に捨てられた恨みで鬼となる女という「分かりやすいおもしろさ」の演目なのでぴったりだった。
(Hとは、2007年の宇高会パリ公演の「祈り」のバックコーラスをいっしょに担当したことがある)
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暗いせいか、まるで隠れ家のようなエントランスだ。
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解説があり、地唄の一節をみんなで復唱したり、上演中はスマホやタブレットで、字幕や説明が出るようになっている。英語ヴァージョンもあるので仲間にも理解しやすかった。ほんとうに便利な世の中になった。

しかも、上演中はもちろん撮影禁止だけれど、終演後にフォトセッションがあり、シテが登場して型を見せてくれるのを自由に撮影できる。「どんどんSNSにあげて広めてください」という。このコンセプトもすごい。
伝統芸能がこうしてポピュラーになっていく時代なのだろうか。
学生時代から当時は松濤にあった観世能楽堂とか国立能楽堂ばかりで、ここの能楽堂は存在すら知らなかった。
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9時半頃に表参道に戻った後、金曜日の夜だし、どこのレストランで食事できるかと心配だったけれど、隠れ家風レストランに席が空いていた。

電話してから行くと、表からはほとんど何も見えない。スイッチを押すと支配人が鍵を開けてくれる。なんだか秘密クラブみたいで好奇心をそそられたが、中では「宴会」をしているグループが何組もいてとても盛り上がっていた。なんと「禁煙」ではないので心配したけれど、みんなおしゃべりと飲み食いで、喫煙している人はほとんどいないので助かった。創作料理で、夜は会員制のバーに近く、二時間半以上の宴会もOKで、値段もアルコールは別として居酒屋風でリーズナブル。
Hはそんな雰囲気が大好きで感激していた。確かに観光客が入ってくるような場所ではない。店の人もフレンドリーで、今回の仲間との日本最後のディナーがたっぷりくつろげるものになった。

今年は豆腐レストランに行けなかったので、おぼろ豆腐を注文した。満足。
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# by mariastella | 2024-12-01 00:05 | 演劇



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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