サンシュルピス教会の向かいは6区の市役所で、ここでやっていた「MEDITATION VISUELLE」という展示会に寄ってみた。
![]() ヴィジュアルな瞑想というタイトルなので、禅画というか水墨画的なイメージを連想したけれど、とても直線的でくっきりしたデザインだった。 リビングのインテリアとして色違いで数枚並べて飾られるのを想定したものらしく、配色の妙とすっきりした中に視線を引き込む色のコントラストが特徴的だ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ここでBD(フランスのバンド・デシネ)を一冊買ったのだがそれについてはまた後で。 #
by mariastella
| 2026-01-14 00:05
| アート
1/6、公現祭の日に、久しぶりにProcure書店に行ったので、向かいの広場にあるサンシュルピス教会と6区の市役所でやっていた展示会に寄った。
前日の午後いっぱい雪が降り続けたので、どうしようかと思ったが一転して晴れた。気温は氷点下だけれど陽に照らされた部分は溶けている。 雪のサンシュルピス広場なんて初めてだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() イエスを抱くこのヨセフの表情は厳しくて複雑だ。慈しむというよりおのれに託された使命におののいているという感じ。 ![]() ![]() ![]() サント・ジュヌヴィエーヴ(パリの守護聖女)のチャペルのこの像は19世紀のものなのに、あちこち欠けていて痛々しい。 ![]() 9月にサンタンヌ・ドレイを訪れて以来、親近感を覚える聖アンナ。マリアに読み書きの教育を授けているところ。 ![]() このチャペルの感謝の奉納版は、聖アンナへのもの、聖母マリアへのもの、二人へのものなどいろいろあるけれど、聖アンナと聖ヨセフの二人を名指したものがあった。 イエスの実の祖母とその婿に当たるイエスの養父ヨセフという組み合わせ。この2人に取次の願いを託してかなえてもらったという人による感謝だ。この2人に託せば、確実に聖母に取り次いでもらえるから、イエスにまで確実につながるという発想は興味深いというか、切実なものを感じる。 ![]() 聖アンナのチャペルのフレスコ画はマリア誕生のシーン。 ![]() #
by mariastella
| 2026-01-13 00:05
| 宗教
1/20はカトリック教会で聖セバスチャンの祝日だ。セバスチャンという名のフランス人は少なくないから、ポビュラーな守護聖人でもある。 キリスト教が迫害された初期の殉教聖人の中で、セバスチャンほど日本で知名度のある人は少ない。普通、聖人の名を日本語で検索したら、独自の情報など少ないのに、セバスチャンについては豊富に出てくるので驚いた。三島由紀夫を通してセバスチャンを知った人も多いだろう。 セバスチャンが同性愛者の守護聖人だというのは理解できる。特にエイズが恐慌を巻き起こした1990年前後にはセバスチャンに祈る人が増えたという。 で、セバスチャンが殉教したのは彼がキリスト教徒だったからだが、キリスト教には「殺すなかれ」という戒律がある。ローマ軍の兵士になるということは「敵を殺す」という可能性が前提としてあるわけだが、当時はどうだったのだろう。 それは、兵士の属するキリスト教徒のコミュニティを管理する司教によって異なっていたらしい。ある意味で古来変わらぬ都合のよいレトリックで、すべての戦争は防衛戦争、敵を殺すのは正当防衛、みたいな考えがずっとあった。 兵士となって戦地に赴くキリスト教徒に、行ってこい、と許可する司教もあれば、行って来い、けれども3年間はコミュニティに戻れない(つまりミサにあずかれない)という司教もいたという。 「贖罪」のレトリックは時代と共に変わる。 ともあれ、セバスチャンという洗礼名を持つ人に、よい祝日を。 #
by mariastella
| 2026-01-12 00:05
| 宗教
年末にケニア4ヶ所のサファリツアーに参加した人から送られてきたキリマンジャロの写真を見て、「富士山の方がきれいだ」「富士山の方が高く見える」とコメントする日本人がいた。
富士山は3776メートル、キリマンジャロは6900メートル近いからもっと雄大な印象があったけれど、なるほどこの写真でみると地味に見える。 「満月」の大きさと写真との違いを思い出す。大きな満月に感激して写真を撮ってみると意外に小さい、というやつだ。肉眼で見ている時は、自分の立ち位置はもちろん、周りの景色もみな合わせて見ているから、大きく感じるのだそうだ。
![]() 目の細め型が似ている。 ![]() #
by mariastella
| 2026-01-11 00:05
| 自然
子供たちをスマホから引き離す対策として、秋葉忠利さんが「メンター制度」について書いていた。
確かに、ひと昔前と違って、核家族で両親が働いている家庭では、子供と一対一で話せる時間がほとんどない場合が多いだろう。いや、ひと昔前でも、一人っ子なら別だけれど、きょうだいができると、親と一対一でじっくり話す機会はぐっと減る。 メンター制度というのは、一人の大人が長期間にわたって、一人の子供と信頼関係を築いて一対一で助言したり指導したりすることだという。 それを読んでいて、今私がピアノやギターの個人レッスンでやっていることはまさにそれだと思った。 幼稚園から教えていた子供が高校を卒業したり、小学生から大学院に通っても続ける生徒がいる。この秋の新学期は、小学生から教えていて今は中学生になった生徒が4人いる。きょうだいとの確執や親への不満を語る子もいるし、音楽を通しながらいろいろな話をする。同じメソードを使っても、進歩の仕方が子供によって全く違うので、その子の癖や特徴をつかんで、どうやって動機づけをするかを考え続けている。彼らは、学校の様子や、将来の夢や、他の趣味や活動についても生き生きと語ってくれる。そのおかげで、この国の今の教育や子供たちの実態もつかめて視野が広がる。 しかも、当然ながら、私との時間にはスマホなどない。 学校のように毎年担任が変わるわけでもない。週一回でも、定期的に、家族ではない同じ大人と一対一で関わり続けるのだ。 しかも私はアソシエーションのためにボランティアでやっているという形であり、レッスンで生計を立てたり小遣い稼ぎをしているわけではない。誰かに評価されるというプレッシャーもない。ただただ、レッスンの間はその生徒がその曲をどのように愛することができるか、個性的に構築できるか、を目標にして集中している。 子供と曲の出会いはいつも刺激的だ。 ほとんどの場合、それが彼らに伝わっているし、信頼されているのが分かる。 家庭では、週一回でも親と一対一でそのような時間を持つのは容易くないだろう。 これまで、「美は存在する」ことを伝えるためにレッスンを続けてきたと思っていたけれど、スマホ画面依存になって大人との生身の時間を築くのがどんどん難しい時代には、「メンター」としての役に立っているのかもしれない。 私が今や高齢だし女性だということも安心できる要素だ。 今や保育園でさえ子供へのセクハラなどが問題になる時代だから、大人と一対一になる時間に対してもナーバスになる傾向がある。(モンテソーリの幼児クラスで若い男性の指導者が必ず別の大人の立ち合いを要求されたというエピソードを思い出す。) こんなレッスンや発表会などいつまで続けられるのだろう、と思っていたけれど、なんだか、これからの世代の役に立つメンター活動のひとつなんだと考えると、覚悟と勇気が湧いてきた。
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by mariastella
| 2026-01-10 00:05
| 時事
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