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L'art de croire             竹下節子ブログ

キリスト教の再活性化  フランソワ・ジュリアン   その8

(前の記事の続きです)

Q : あなたは、福音書の記述自体も「型」やぶりであると強調していますね。

A : イエスはアラム語で話していましたが、彼の発する「福音」はギリシャ語です。哲学によって構築された言葉であり、すなわち、「普遍」概念によって精錬されています。キリスト教的普遍は、イデオロギーとしてではなく、特定の地域言語の特性から離れたところに基盤があります。同時に、複数の言語間のテンションが普遍性を強化しています。イエスの十字架に書かれていたのはラテン語とヘブライ語でした。このような「ずれ」は福音書の中にも表れています。唯一のテキストというのはなく、四つの福音書がパラレルに互いを超えながら、問いを発し、互いに光を当てています。どの福音書も他の福音書の視点に立って読むことができます。どれか一つの中に閉じこもるのではなく、いつもテンションを保っているのです。


Sekko : 四つの福音書の成立の時期、起源などについては多くの研究書があるけれど、イエスの言行録の同じ場面でも微妙に違ったり、明らかに差異があったり、都合の悪そうな場面があったりするのをそのまま保存して「正典」としているのはある意味ですごいなあと思う。新興宗教などでは、教祖が受けた「お告げ」や教祖が偶然見つけた「聖典」を絶対として祀り上げることが少なくないのに、キリスト教のように、御用宗教、体制宗教となった老舗宗教の「正典」が、ばらばらのまま、ということに発するエネルギーというのは確かにあるかもしれない。(続く)

# by mariastella | 2024-03-09 00:05 | 宗教

キリスト教の再活性化  フランソワ・ジュリアン   その7

(前の記事の続きです)

Q : そのロジックは神の内部にもあてはまりませんか?

A : それこそ私の目にはキリスト教最大の特徴だと見えるのです。ヨハネの福音書のプロローグに「はじめに言(ロゴス)があった。」「言は神と共にあった(ロゴスは神の前にあった)」とあります。つまり、ロゴスは神であると同時に神との関係性の中にあるということです。神のうちにある関係性というのはどのようにして生まれたのでしょうか?
「隔たり、ずれ」によってです。ヨハネの天才的な考え方です。神が自分自身を型にはめてしまったら、自己完結して、神学の対象という不動のものになるでしょう。神が「生命」であるためには開かれなければなりません。そのために「父なる神」は「子なる神」へと受肉しました。永遠が「人」になって十字架にかけられたのです。人となった神は、神からの隔たりを最大にし、そのことで「神と人との間」の領域を生みました。神は父と子の間の関係性、緊張、ヨハネはこれによって、「ある」という動詞を「生じる」という動詞につなげたのです。
「すべてのものはこれによってできた」ということで、ヨハネは新しい本質の哲学を提供しました。ギリシャ思想では「生じる advenir」「なる devenir」という言葉は「ある」という言葉の下位のカテゴリーでしたが、「来るもの、将来(a-venir=avenir)」という新しい展望を歴史の中に開いたのです。

Sekko : 循環型の自然観や宗教観と違って、すべてのものの「創造者」がある、始まりがある、というイメージはユダヤ=キリスト教的だと言えるだろう。例えば、古今東西、人間の宗教や文化には、当然ながら「太陽」や「月」が普遍的に存在していて、多くの文化では、それらを神格化していたが、ユダヤ=キリスト教は、「太陽」や天体や地球の自然には「始まり」があり、「終わり」があるという世界観を導入したわけだ。
そしてそれは、現代の科学によって肯定されている。太陽も月も永遠ではなく、れっきとした「始まり」があり、「終わり」も予測されているのだ。

日本では時々「悠久の自然観を持つアジア」などに対して西洋のキリスト教が「進歩思想」「成長思想」をもたらしたせいで、経済戦争や環境の破壊などが進んだ、などという言い方がされることがある。
でもそれは人間が「神との関係性」を失って「自然や他者に対する支配力」を偶像化したせいだ。
東洋が安易に「先祖返り」したところで、そこにも支配、搾取の構造はあった。中国文化のエキスパートであるフランソワ・ジュリアンの考え方は傾聴に値する。(続く)

# by mariastella | 2024-03-08 00:05 | 宗教

キリスト教の再活性化  フランソワ・ジュリアン   その6

(前の記事の続きです)

Q : シャルル・ペギーの言葉にこういうものがあります。「倒錯的な魂を持つよりもっと悪いことがある。それは習慣づけられた魂を持つことだ。」

A : ペギーが筆をとったのは、彼がこの偶然の寄せ集めでできた「型」が生む安易さの中で何もしないで楽々と安住する怠慢の状況に怒りを覚えたからです。

Q : この既成体系に切り込むというのはキリスト教のルーツのひとつではありませんか?

A :  ルーツのひとつではなく、内的ロジックです。キリスト教はその特徴をまさにこの「型に切り込む」ということで特殊性を獲得しました。聖書のはじめから終わりまでそれに貫かれています。これを言うとキリスト教徒を苛立たせるのですが、一番初めのシーン、エデンの園からです。エデンの園には神がセットした平和に満ちています。完璧な「型」の世界です。それを切り崩したのが蛇やリンゴや「罪」で、それによって人間が自分自身を意識化するという「新しい可能性」が生まれました。「歴史」がスタートしたのです。それは苦痛なしには進みません。最初の「型」に切り込んだ結果を引き受けなくてはなりません。そしてこのことで神から追われた人間の「失墜」によって神と人との間に距離とテンションが生まれました。「間」が生まれ、同時にその「間」の領域に神との合意を形成しようという絶えざる歴史が生まれました。聖書は神と人との間の、不可能であるにもかかわらず実際にもあった「出会い」の物語です。


Sekko :  興味深い。「神の権威」にいったん背を向けてからの確執の歴史が延々と続くというのはユダヤ=キリスト教の特徴だけれど、そしてその「罪の意識」を利用して権力を得ようとする誘惑も大きいわけだが、一神教でなくとも、「神」(超越的な何か、人間の限界の外にある何か)と「人間」との関係を「型」にはめこむという「宗教体系」はかなり普遍的だと思う。(続く)

# by mariastella | 2024-03-07 00:05 | 宗教

キリスト教の再活性化  フランソワ・ジュリアン   その5

(前の記事の続きです)

Q : 新刊においてあなたは「神」を「脱-固形」というツールを使って考察しています。数年前から発信されているこの概念を説明してくれますか?

A : ある事柄同士が偶然の一致を見せるとき、すなわちぴったりとはまる時、整合して安定するとき、それはポジティヴだとなります。幾何学的に一つの図形をなすようなもので、それは満足すべきものと映ります。だからこそ、自己満足の中で固まってしまって、動かなくなり、それ以上の何も生まなくなる。活動が止まります。それが18世紀に「ポジティヴ宗教」として、「成長」の概念がドグマ化した現象です。成長や発展は内側から突き上げる飛躍や動機ではなくなり義務化したり順応、適合という型にはまったりします。反省もなく不安もなく、受け身で従順な従属に陥ります。私の提言は、このような「型」になってしまった「安定した一致」の一角を開いて、新しい可能性と新しい方向を可能にすることです。「神」の概念についていえば、これまでの安住を保証してきたあらゆる表現の「型」を崩さなくてはなりません。

Sekko :  なるほど。こうなると、「脱-固形」という訳語が意味をなす。coïncidenceは偶然という意味もあるが、形成されたもの、同盟、などという意味もある。
歴史的地政学的な複数の要素が偶然の落としどころを見つけて形成された「合意」「型」「伝統」というものに、切込みを入れるということだ。
日本の場合なら、近代西洋の「成長モデル」の「型」に無理やり同化して批判精神を失ったこともそうだが、その反動として、別の「型」である「日本古来の伝統」という別の形で硬直したモデルに戻るのも解決ではない。
ポストモダンの脱構築のような価値の相対化でもなく、あらゆる「型」を壊すのではなく切り込んで、活性化させようということらしい。 (続く)

# by mariastella | 2024-03-06 00:05 | 宗教

キリスト教の再活性化  フランソワ・ジュリアン   その4

(前の記事の続きです)

Q : 両側からのその批判にどう答えますか?

A :  哲学者とは、ある意見の体制の外側で試行する者で、矛盾したポジションに立たされるリスクを受け入れる者です。キリストのメッセージには思想にとっても生き方にとってもためになるものがあることを示すことで、私は哲学者としてキリスト教のメッセージを活性化する哲学的な一貫性を保とうとしています。キリスト教の源泉のすばらしさを断言することも躊躇していません。この源泉は誰にでも開かれているもので、そこを探ることでそれが活性化されます。無視することはそれを絶やすことです。過去になされてきた信仰と無神論のイデオロギーの戦いや、天を信じる人と信じない人、などの対立という図式の外に出ることが必要です。「もしも神が存在したら?」という問題の立て方は私のものではありません。

Sekko :  この辺の事情について私も『無神論』(中央公論新社)などに書いてきた。日本人にとっては、キリスト教のベースから発展してきた「西洋」のイデオロギーに服すより、その源泉に触れる方が、思想や生き方のベースになると思う。イエスは革命的な新しさを説いて政治犯として処刑されたパレスティナ人だ。欧米ヘゲモニーに対抗できる。
それでも、日本においてでさえ、キリスト教がマイノリティであることもあって、私の本を読んで「キリスト教でない人にこんなことを書いてほしくない」と言った「信者さん」がいたことがある。「まず信仰の有無を問う」という形から脱却しなくてはならない。

# by mariastella | 2024-03-05 00:05 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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