L'art de croire             竹下節子ブログ

「どこでもドア」とカルヴァンの「ダンボール箱」

『カルビンとホッブス(Calvin and Hobbes)』は、ビル・ワターソン(Bill Watterson)のコミックだ。

ネーミングからしてただものではない。

Calvin は宗教改革のあのカルヴァンでHobbesはリヴァイアサンのあのホッブスである。カタカナのタイトルではあまりピンと来ないかもしれないが、アメリカやフランスでこのコミックを手に取る人には明らかにその含意が伝わってくる。

主人公のCalvinは6歳の少年で小学校の1年生という感じ。

ホッブスは彼がいつも抱いているトラのぬいぐるみだが、彼と2人だけの時には大きい2足歩行のしゃべるトラになる。

その掛け合いも面白いのだが、もっとおもしろい小道具は旧式の大型TVが入っていたと思われるダンボール箱だ。6歳の子どもがすっぽり入るくらいの大きなダンボール箱。

子供が「これちょうだい」と言って、自分の部屋で秘密基地にするような大きさだ。

で、この箱が、最初はこの中に入れば恐竜にも昆虫にもなれるような変身ボックスとして使われる。

次は向きを変えて自分の分身(コピー)を製造(5回で機能しなくなる)するマシーンになる。

分身がCalvinの代わりに学校に行ったりするのだ。分身ナンバー4が帰ってきて、「校長室に呼びだされて叱られた」と報告する。分身ナンバー2もナンバー5もすでに校長室行きになっている。
Calvinは「ぼくの評判はどうなるんだ、どうしてくれる」とナンバー4に文句を言うのだが、「文句言うなら自分で学校に行けばいいじゃないか」と反論されて「まあ、なんとかなるだろう」とひっこんだりする。

この箱は最後はタイムマシンとして使われる。

もう宿題が終わっていそうな2時間後に行くとかわりあい細かい実用的なことにも使われるのだが、2時間後も宿題はまだできていないのだ。

このコミックにおける現実と空想の境界の味は、よく読むとちょっと怖い。
脳内世界の現実を見ている感じだ。

たとえばドラえもんの「どこでもドア」を見て、いろんな人がいろんなことを空想するのとは決定的に違う何かがある。

夢の既視感とでも言おうか。

Calvinのダンボール箱を「パンドラの箱」と評した人がいたが、いいところをついている。

ダンボール箱はあまりにもありふれた外観を持つ。そして、日常の中で使い古し、ある時はわくわくしながら中身を取り出したり、ばらして捨てたり、不用品を収納したり、本や書類を死蔵したり、中が詰まったり、空にされたりの繰り返しの中で、それ自体は「なにものでもないもの」でしかない。

なんとなく、「穴」みたいな存在だ。

忘れられた記憶の穴。

ドラえもんが「未来から来たネコ型ロボット」で、のびたくんの友人であるとともにメンターとしての「使命」とか「意味」を持っているのに対して、ホッブスは、Calvinの自我の投影なのか逸脱なのかよく分からないが、ともかくその本質は「ナンセンス」であり、「不条理」を抱えている。

誤解を恐れず言ってしまうと、Calvinとホッブスとダンボール箱が生む奇妙な世界は、ある種の「霊能者」と自称する人たちが日常見ている(らしい)世界に似ている。

Calvinとホッブスの世界に親和性のある人、違和感を覚えない人たちが確実にいて、その人たちの「リアル」とはこういうリアルなのだ。

これを「子供の世界」と言いかえると、無難なのだけれど、少し違う。

なぜなら、それは、そのリアルをキャッチできない人にとって、

「ほほえましい世界」

などではなくて、

「見て見ぬふりをしなくてはならない世界」

であるからだ。
[PR]
# by mariastella | 2012-08-19 22:28 | 雑感

トロムラン島の謎

TV のニュースでトロムラン島の発掘について「ポンペイのような考古学の宝庫だ」と学者が興奮して言っていたのを見て複雑な気がした。

インド洋、マダガスカルの東450kmにある周囲が3,7kmしかないサンゴ礁に囲まれたこの無人島は、絶えず強風にさらされて林すらない平らな砂ばかりの標高7mの島だ。

1722年にフランス人が発見したこの島は現在モーリシャスとフランスの間で領土問題となっている政治的な場所でもあるが、一応フランス領とされていて、1953年に設置された気象観測所の点検のために2カ月に一度フランスの空軍機が訪れるそうだ。

当初「砂の島」と名付けられたこの島が「トロムラン島」になったのは、1776年にこの島で漂流者とその子孫を救った船長の名を冠されたからだ。

1761年に置き去りにされた60人のマダガスカルの奴隷は、15年後に救助された時には、8か月の赤ん坊とその母と祖母と5人の女性だけだったという。

その組み合わせがいかにもミステリアスだったので、調べてみると、1774年に救助を試みた船が、結局島に近づけずにボートと船員一人だけを残して去り、泳いで島にたどりついたその船員が、翌年に男と女数名を連れて筏で脱出したが行方不明になってしまったということだ。

その時に去った船員だか男だかが赤ん坊の父親で、1776年の救助よりも17カ月前(9か月の妊娠期間を足して)の時点では少なくとも男がいたということになる。しかし、もし最初の遭難で残された男女がみなカップルだったとしたら、もっと他に子供や赤ん坊がいても不思議ではないから、ひょっとして島に残っていたのは女性ばかりだったのだろうか。

ことの起こりはこうだ。

1761年、フランス東インド会社が、マダガスカルで男女子供の奴隷160人を密買して当時フランス島と呼ばれていたモリシャス島に売るために向かった。

ところが「砂の島」の近くで遭難し、鍵のかかった船底に閉じ込められていた100人の奴隷と、フランス人20人が命を失った。

この時に閉じ込められていたのがそもそも屈強な男の奴隷で、助かった60人はもとより女子供だったということも想像してしまう。あるいは全員閉じ込められていたのだが、遭難した時に女子供だけかろうじて解放されたのかもしれない。

ともかくフランス人122人とマダガスカル人60人が「砂の島」に漂着、船からはSOSを知らせるための大砲(錆びついたまま今も浜に残っている)や食料や道具類を持ちだし、船の残骸をかき集めた。

島には何もなく、木の実も果物もない環境だ。

船長は正気を失っていたので、リーダーが代わった。

とりあえず、奴隷用とフランス人用の二つのテントを作り、井戸を掘り、鋳造炉まで作って、船を造り、2ヶ月後にフランス人122人が脱出した。

残された60人には少量の食料を置き、すぐに救助に来るからと言い残した。

彼らは4日後にマダガスカルに着き、さらに「フランス島」で総督に救助を要請したが断られた。

「フランス島」の総督は奴隷売買を禁じていたからだ。

奴隷売買を禁じるような人道的な総督がなぜ救助を出さないのかと思うが、奴隷を入れたくなかったのは、奴隷を養いたくなかったからであった。

おりしも英仏の植民地7年戦争の時代で、総督はイギリス軍に島を封鎖されることを恐れていたのだ。

奴隷を買って食い扶持を増やしている場合ではないし、ましてや、総督命令に背いて密売されようとしていた奴隷をわざわざ救いに行っている場合でもない。

乗組員はパリに戻り、ことを知った啓蒙の世紀のパリの貴族やインテリたちは、この置き去りを非人道的なスキャンダルだと見なして騒いだが、おりしも7年戦争が激しくなりフランスが敗れたので、「砂の島」のことはすっかり忘れられてしまった。

最初の救助がこころみられたのは7年戦争が終わって10年も経ってからだったが、試みは挫折した。「砂の島」はそれほどにアクセスの困難な「絶海の孤島」だったのだ。

奴隷取引では、男は骨格で、女は腰の大きさで、子供は歯で選ばれたと言われる。

砂の島に残された60人が何歳くらいでどういう性別だったのかという構成は分からない。

2006年と2008 年に考古学者が「発掘調査」を始めると、珊瑚のブロックでできた数棟の建物が発掘された。

食料になっていたと思われる海鳥や亀の骨も出てきた。火打石や手づくりの各種食器も出てきた。

で、絶海の荒野のような孤島でいったいどうやって15年もサヴァイヴァルが可能だったのかについて、学者たちは調査しながらその貴重な発見の連続に興奮しているわけである。

無人島に主人と奴隷が漂着するというシチュエーションはへーゲルの『精神現象学』の主人と奴隷の弁証法を思い出してしまう。

このケースでは、遭難した場合の危機管理のノウハウがあった船員たちのスキル(船から何を取り出すべきかという判断も含めて)が全滅を救ったとも言えるが、船員がすべて屈強な男たちで、屈強な奴隷の男は船倉に閉じ込められて溺死、残ったのは奴隷の女子供と、船員たちとの間にできた子供、という組み合わせだったのではないのかと、どうしても考えてしまう。

もし奴隷の男女と子供の割合がバランスよく残されたのだとしたら、生き残った数のアンバランスも謎になる。

この島は砂の荒地だから、毒性のある動物や危険な獣もいなかったはずだから、リスクを冒す男が命を落としやすいということもないだろう。

奴隷貿易を弾劾すべきなのは当然だが、長い航海のうちにばたばた死んでいったり、植民地のマニファクチャーなどの過酷な労働条件で死んだり殺されたりした無数の奴隷たちの運命の不当さや苛烈さとはまた別に、何もない空っぽの涙型の孤島で15年も生き抜いて、救出された後は「解放された」という以上の記録を残していない7人の女と赤ん坊のそれからの運命を思うと、万感の思いがこみあげる。

女たちと赤ん坊を救助して「砂の島」を「トロムラン島」にした騎士トロムランは、この時31歳だった。

7年戦争で敗れたイギリスに一矢報いるためにアメリカ独立戦争でも戦った。

聖ルイ騎士章を授与され、フランス革命下でも海軍副総督に出世した。

ナポレオンが失脚してイギリス領のセントヘレナ島に置き去りにされた年の翌年、1816年に、81歳で生まれ故郷のブルターニュで死んでいる。

トロムラン島で生まれたあの赤ん坊は、フランス革命をどんなふうに生きたのだろうか。
[PR]
# by mariastella | 2012-08-17 07:59 | 雑感

選択か合意か - アベ・ピエールの言葉

先日テレビで久しぶりにアベ・ピエールのことをやっていて、前後は聞いていなかったのだが、その中で、アベ・ピエールが語っているビデオが挿入された。

「人が選択していると思っていることは、ほとんどの場合、同意(合意)しているにすぎないのです」

というワン・フレーズだ。

ちょっとショックを受けた。含蓄がある。

今の世界では、なんでも自己責任とか自助努力とか、表現の自由とか、あるいは、既成の価値やらに惑わされないで自分の頭で考えて自分の生き方を選択しようとか、「自分が主役」という考え方が主流だ。

それが極端に行くと、他を踏みつけるエゴイズムはもちろん、自傷や自死の権利、売春の権利など、にまで及んでしまう。

でも、確かに、私たちが、そうやって複数、または無限の選択肢から「自由」に「選択」していると思っていることのほとんどは、単に誰かから、社会から、システムから、提案または強引に勧められたものに「同意」「合意」しているにすぎない。

「選択の自由」は巧妙に仕組まれた幻想かもしれない。

「2030年までに原発依存率を・・%にするのに賛成か」

「子孫に借金を残すのか今増税や緊縮を受け入れるか」

などという欺瞞的なものから、

「女性がキャリアを優先するか子供を優先するか」など、

とにかく、選択肢の立てられ方、与えられ方そのものが、すでにイデオロギー的だったり、社会や伝統のバイアスがかかっていたりする。

「選択」したつもりでも、そもそも選択肢の与えられ方に反論する余地がなかった場合には、「自分で選んだのだから後は自己責任」だという論は立たない。

幻想の自由を与えるたいていの「選択肢」は、未知の要素、不都合な要素をあらかじめ恣意的に排除し、見ないようにした上で、分かりやすい情報だけを分析し予測した上で準備される。

その恣意的な選択肢を検討した末に最適解を得たかのようなポーズをとり、いざ未知の部分が立ち現われてくると、「想定外」だったと言って、嘆いたり逃げたり諦めたりごまかしたり開き直ったりするスタイルは、今や、特権階級のレベルでも一般人のレベルでもスタンダードになっているほどだ。

ほとんどのケースは、「合理的な最適解」を押しつける「合意」の強制だったのに。

そういえば、レイプ裁判などでも「あれは女性も合意していた」などという弁護も聞かれるが、合意するか殺されるかみたいな強制二択のような状況の「合意」など、「自由な選択」とは真逆のところにある。

登校拒否、引きこもり、二―ト、住所不定などいろいろな社会的にネガティヴな状況も、
社会や環境から一方的に与えられたやり方、生き方に合意せざるを得なかったり、あるいは
どうしても合意することができなかったりする結果であるのかもしれない。
[PR]
# by mariastella | 2012-08-08 17:58 | 雑感

トロンプ・ルイユ展

装飾美術館で、前から行こうと思っていた「Trompe l’oeil」 展をようやく観た。

Trompe l’oeil (トロンプ・ルイユ)というと、日本でもところどころで見る「トリックアート美術館」だとか、筒状の鏡に映して絵を見るアナモルフォーズなどをすぐ連想するが、この展示会は、摸作だとか偽作だとか錯視だとかイリュージョンだとか多様なテーマを包括している。

リノリウムという素材がlin 麻と oleum油の合成語で実際に亜麻仁油を使っている発明品だったとはじめて知った。リノリウムにタイル模様が描かれていたり、フローリング柄だったり、大理石柄だったりというのは日常的に見かけるので、普通のように思っていたのだが、なるほどあれも「だまし絵」の一種だ。

素材感やら凹凸やら、遠近感やら、いろんなものを工夫して、人はいつも「偽物」を創ってきた。

創造の模倣、パロディ、いや、創造そのものかもしれない。あらゆるポートレートや銅像だって、実物の模倣、固定、似せたものなのだから、だまし絵の一種かもしれない。

また、CGやデジタルプリント技術の発展によって、誰でも手軽にかなり高度な模倣やだまし絵の制作ができるようになったし、安価に手に入れられるようにもなった。考えたら、コート柄のTシャツとか、サングラスが胸にひっかかっている柄のTシャツなどは私も持っている。本物そっくりの家具や食べ物や食器のミニチュアなども持っている。かなり好きだ。

錯覚を狙うというより、何かを手がかりにして想像をふくらませるのが楽しい。

こちらの庭にはよくキノコやコウノトリや小人さんの置物がある。妖精や小人などはリアルには存在しない(少なくとも目に見えない)キャラクターだけれど、その「偽物」、コピーを創ることで、逆に、どこかにあるかもしれないリアルを想像できる。

バロック様式の教会の天使たちや、植物をモティーフにした凝った装飾などにもみな同じ効果がある。

いや、カトリック世界では教会の中にも道端にも、家庭にも、個人の首にかかるペンダントにも至るところに見られる「キリストの磔刑像」なんていうものも、その大量のコピーの力でそのもととなった「オリジナル」を現出させる勢いだ。

パリのバック通りとか、ルルドとか、ファティマとかメジュゴリエとか、有名な聖母の「ご出現地」でも、実際に聖母の姿を見たりお告げを聞いたりするのは少数の幻視者とか神秘家だけだけれど、彼らの描写した聖母の姿がすごい勢いで大量に生産され、コピーされ、拡散され続けるので、「ご出現」とは実はこのことなのか、とも思ってしまう。

「だまされる目」とは「期待する視線」のことなのだろう。
[PR]
# by mariastella | 2012-08-07 01:43 | アート

未成年の自殺報道について

大津いじめ自殺事件についていろんな方から意見を聞かれたのでひとこと。

自殺防止のためには報道を規制すべきだということは、国連のWHOからのガイドライン
でも強調されていることだが、その中で、

「個人的な問題に対処する方法として自殺を描き出さない。」というのがある。

自殺が「問題対処の方法」の選択肢の一つであり得たかのようにまず描いておいて、それからその選択肢を選ばせない方法をあれこれ議論するのはどこか間違っている、と私も思う。

日本語では「自裁」、「自決」という言葉もあり、「自殺」というのも『春秋左氏伝』などに出てくる古い漢語らしい。私はなんとなく、Suicideの翻訳語だと思っていた。

日本の昔の心中だとか切腹とか自害というのは、「選択」というより、社会的に行き詰って他の選択肢がなかったり制度化して強制されるものだったりという印象を持っていたのだ。

キリスト教国では、「狂気の果て」と見なされない正常な判断力のある人間の自死は長いあいだ世俗の法律上でも犯罪で、死骸が罰せられて裁判所の前で引きずりまわされたりあらゆる名誉や記録を剥奪されたりした。

もちろん教会も、自殺者の魂は地獄に堕ちると断言していた。

ところが、実は、自殺という言葉自体は、18世紀までは存在しなかった。

Homicide (殺人)という言葉はあったので、それにラテン語sui(selfという意味のse の属格)
を加えて造語されたものなのた。

suicidium というラテン語はあったのだけれど、英語やフランス語にはなっていなかった。

「意図的に自分で自分を殺す」という用法でsuicideが使われるようになったのは18世紀の前半なのだ。

それは、まさに啓蒙の世紀に現れたことになる。

18世紀には、「自分を殺人する」とか、「心臓を溺れさせる」とか「人生を短くする」などの表現でいろいろな人の自殺がニュースになり、フランス中のサロンで、法廷で、告解室で、人々が真剣に語り始めた。

ありとあらゆる階級の男女が自殺し始めたのだ。

遺書が残され、警察の調書が公開されるようになった。

それによって、「自殺」という言葉が生れ、市民権を得た。

それまで、悪魔の行為とされ、法律でも弾劾され、民衆からも忌み嫌われていたタブーのような犯罪が、

人々からも「理解」される個人的な身の処し方、

もっといえば、「自由」を行使する表現の一つに変わったのだ。

「自殺」が18世紀フランスで「市民権」を持つに至った理由の一つは、同じ頃、「幸福」が市民権を持つようになったことであるという。

死後に天国に行けるという希望ではなく、この世での「世俗的幸福」の追求や実現が初めて人々の視野に入ってきたということなのだろう。

「幸福」の具体的なイメージができてはじめて、人は「絶望」を知ったのだ。

実際、常に生命の危険にさらされているような社会ではサバイバルの本能しか働かないだろう。

18世紀のフランスでは、生活の苦しさだけでなく、政治的絶望、失恋、名誉のために、人々は命を絶った。

そしてそれについて意見がかわされたのだ。

フランス革命が起こった。

で、まるで、人権宣言やカトリック教会の否定と軌を一にするかのように、1791年には自殺が刑法の罪から外された。

後にこの91年法は廃止されるのだが、一度「市民権」を得た自殺は、次の世紀のロマン派の時代に向かってますます大きく成長していく。自殺にはロマンティックな付加価値すら与えられた。

これは、何を意味しているのだろう。

もちろんいつの時代にもどのような文化にも、何らかの理由で自死を決意する少数の人や、鬱病などの心の病から自死に至る人はいただろう。

けれども、それだけでは、近代以降の自殺の増加を説明することはできない。

自殺の増加は、それを「身の処し方」「人生の問題の対処法」として認知した社会の変化に深く関係しているのだ。

私たちの住む社会には、

「個人は自分の命に対する全権を有する唯一の所有者であって、自暴自棄自殺を自由に行使できる」

というイメージが描かれ、提供されてしまっているのだ。

けれども、自殺への促しは決して運命的なものではない。

社会的、人為的なものだということである。

それなら、少なくとも未成年から自殺という選択肢をなくしてしまうような社会の仕組みをつくれないだろうか。

WHOのガイドラインが呼びかけていることは、そのような「近代概念としての自殺」の歴史を見据えた上でついに生まれてきたものなのである。

あらゆるメディアはその辺をもう一度深刻に受け止めるべきではないだろうか。

(18世紀フランスで自殺が「個人の選択」として認知されていく経緯を詳しく分析している下記の本を参考にしました)

≪S'abréger les jours: Le suicide en France au XVIIIe siècle ≫Editeur : Armand Colin
Dominique Godineau est professeure d’histoire moderne à l’Université Rennes 2. Elle a consacré de nombreuses études à l’histoire des femmes et de la Révolution française et a publié Citoyennes Tricoteuses. Les femmes du peuple à Paris pendant la Révolution (1988, Perrin, 2004) et Les femmes dans la société française, XVIe - XVIIIe siècle (Armand Colin, 2003).
[PR]
# by mariastella | 2012-08-03 06:41 | 雑感

ロンドン・オリンピックなど

ロンドン・オリンピック、 時差が一時間しかないので、時々ニュースや中継で見ている。

でも、ニュースの度にシリアのアレッポ爆撃のシーンも報道される毎日だから、すごく複雑な気分だ。

「内戦」にはオリンピック停戦もないのか。

シリアはちゃんと選手団を派遣していて、バッシャール・アル=アサドのロゴのシャツを着て入場していたりする。

7 月30日にはロンドンのシリア大使館から高官が去った。緊張が続く。
アレッポ爆撃にはロシアの兵器が使われている。

親欧米派であるサウジアラビアやカタールからは、選考基準とは別枠で、今回初めて女性選手をオリンピックに参加させている。
これらの国の平和な「民主化」をアピールする必要が「国際社会」にあるからだろう。

こういう背景を見ていると、とても、能天気にオリンピックを楽しむ気にはなれない。

唯一楽しいと思ったのは、わずか十分ほどしか見なかった開会式のセレモニーでのシーンだ。

ジェームス・ボンドに迎えられてやってきたという形の女王陛下が入場し、グレート・ブリテンの国旗が掲揚されるために運ばれてきたシーンだった。

ビデオなどで再確認していないので覚えていないが、多分それぞれの制服を着た数人の軍人が国旗を広げて横にして持ってきたのだと思う。

ポールの下に到着して、その場でしばらく足踏みを続けていたのだが、それが全く足並みがそろっていないでばらばらだったのだ。

中国や北朝鮮とはいかなくても、フランスの革命記念日の軍事パレードでも、各種軍隊はリハーサルをして完璧な動きを見せるものだ。この開会式は国威発揚型の北京とは真逆で全体に肩の力が抜けてユーモラスで好感が持てたけれど、女王陛下の前で国旗掲揚の時に軍人があんなにばらばらでいいんだろうか。あまりの意外さに楽しくなった。

こういうところが、良くも悪くも「先進国」の余裕なのかなあとも思う。

最近『ナチを欺いた死体』(中公新社)というノンフィクションを読んだのだが、第二次大戦下のスペインがどういう状況だったのかが初めて具体的に分かって興味深かった。

一応中立だったスペインは枢軸国側とイギリスのスパイと二重スパイとが複雑に暗躍して化かし合いをしている場所だったのだ。

そして、スペイン人、イギリス人、ドイツ人は、彼ら同士、一目見ただけで分かる。

さらに、ドイツ人にはユーモアのセンスがないとか、今でも言われている類のステレオタイプの民族性が諜報活動や欺瞞作戦に応用されていて、それが単なる偏見などではなくてちゃんと機能しているのもおもしろい。

最近、私の親しい人がドイツ人と働くようになって、ドレスデンからミュンヘンに行くためにルフトハンザの昼の飛行機に乗ったら、周りはみな同じ服装で同じ髪型のドイツ人ビジネスマンばかりだった。機内の乾燥を防ぐためにパイプから突然ミストが吹きつけられたので驚倒してガス室のことを連想したが、もちろん他のドイツ人は平然としていた。

フランスにいたらヨーロッパはいろんな民族が混ざっているなあと思ってあまりステレオタイプな見方はできないが、あのようなステレオタイプは、ヨーロッパ人同士が時間をかけて互いに観察し合って築き上げてきたもので結構根拠があるのだ。

ふと、パトリス・ルコントの『ぼくの大切なともだち』にも出てくるが、ギュスターヴ・エッフェルの祖父はドイツ移民でBönickhausen.という名をフランス人が発音できないのでフランス風に名を替えたものらしいということを思い出した。もし名を変えてなかったらエッフェル塔はブニックハウゼン塔だったと。

そう言われれば、エッフェル塔のような当時最新の建築テクノロジーをものにするなんてケルト系やラテン系のフランス人らしくはないなあ、といまさら思ったりする。

私はもぐらさんの『四国四兄弟』とか県民性のマンガを時々見ているけれど、いろんなレベルで地域性というのはあるものだなあと思う。

ただし、レベルによってそれを持ち合わせていない人もいる。たとえば私には日本人らしいところとフランス人らしいところとどちらもあるが、日本で先祖代々どこかに住んでいたというような故郷がないので、県民性というのは分からない。フランスでもパリやパリ近郊にしかいないからローカルなこだわりがない。

フランスでオリンピックの報道のされ方を見るたびに、あらためて国民性の違いがはっきり感じとられるのはご愛敬であるが、自分の意識も観察できて興味深い。
[PR]
# by mariastella | 2012-08-02 02:55 | 雑感

レオス・カラックスの『ホリー・モーターズ』Holy Motors

今年のカンヌ映画祭でコンペに参加して話題になったのに何の賞ももらえなかったレオス・カラックスの『ホリー・モーターズ』を観た。

少なくとも、ドゥニ・ラヴァンは主演男優賞に値する演技だ。

カラックスは鬼才という言葉がぴったりで、彼の分身のようなドゥニ・ラヴァンがまた鬼才、異才というかあくが強いので、好き嫌いは大いに分かれるだろう。

大衆に対して映画を創るのではなくプライヴェートな映画を創るのだ、と本人が言っている通り、芸術性は高いがナルシシズムと過剰さとキッチュさで息苦しくなる。もう50歳になるドゥニ・ラヴァンの異形の肉体の生々しさにもひいてしまう。

動作の美しさを追求しているとか、マイムで鍛えたしなやかだが野性的な身体表現、などと言うが、ただ圧倒されるだけで、無意識にバリアをはっていたので楽しむところまでいかない。

音と映像が凝っていて工芸的と言えるぐらいだ。

カラックスの本名のアレックスとかオスカーとかが、主人公の名に使われていて、この映画が、カラックス自身の内的世界や想念、映画創りへの執念や期待や失望などをさまざまな形で表現しているのだということは分かる。

オムニバス映画のように次々とキャラクターやシチュエーションが変わり、ビジネスマンと物乞い、娘や姪や前妻との突然のヒューマンなやりとり、墓地、教会、廃墟のデパートを舞台にしたエステティックの過激さが次々と打ちこまれる。

一作でいろんな究極のシーンが見られるのを贅沢と見るか、全体の「意味」が分からないことにフラストレーションを感じるか難しいところだ。

映画創り、特に俳優の演技というもののメタファーだという一応の解釈はあって、今の映画の観客は、ストーリーを追う、起承転結のカタルシスを求めるようにフォーマットされているのでそれに挑戦する、という意味もあるらしい。

物語の整合性のある意味がなくても、それぞれの「瞬間」を驚き、味わうことを奨励しているとも言われる。逆に、人生や日常の「断片」はどれも偶然の集積にも見えるし不条理にも感じられるが、全体をみると、それは謎の絶え間ない脱構築と再構成の連続で、それこそが「生」と「美」の秘密なのだという解釈もある。

私がなんとなく連想してしまったのは、『ユダヤ人とバイブル』という本のことだ。

その中で、旧約聖書というのは、一読すると曖昧、矛盾、支離滅裂の連続だが、一見して欠陥のように見えるこれらの面こそが時代を継いで読まれてきた理由の一つだとある。各世代に、読み直しのための本質的自由が与えられるからだという。

ラビたちにとっては、バイブルとは『オデッセイ(オデュッセイア)』の対極にあるものだ。

バイブルの表面的な不完全さこそが、その真実性を担保している。

なぜなら、神は詩人ではないからだ。

詩人は嘘をつくが、神は真実を語る。

つまり、ホメロスなら完璧な叙事詩を創作できて、人々はそれを完成品として鑑賞できるが、神の言葉を人間がキャッチして書きとめたバイブルには文学作品のような整合性がないのは当たり前だというわけだ。

カラックスの映画は、ここにきて、作品というよりも、ご託宣、神的ビジョンのご開帳になったのかもしれない。
[PR]
# by mariastella | 2012-07-29 21:02 | 映画

女たちだけの村

「女たちだけの村」というと、戦争ばかりしている男たちを改心させるために女たちがそろって出て行く、とか男たちを追い出すというようなコメディのストーリーが思い浮かぶが、そうではないもっと深刻なものがある。

ケニアのナイロビから300km北にあるTumai(スワヒリ語で希望を現すTumainiが語源)という名の女たちだけの村がそれだ。205人の住民は女たちと16歳未満の男の子を含めた152人の子どもたちからなり、ヤギを飼ったり、そのミルクを売ったり、狩をしたり、自給自足の生活が成り立っている。

月に一度は身を清めて山のふもとで精霊に歌って雨ごいや家畜の無事を乞う宗教儀式もある。男たちと一緒の共同体では続いていた女児の性器切除の習慣もきっぱりとやめ、村の運営のすべては合議制で決める。

2001年にここにやってきたのは、1970年から2003年の間にArcher's Post村の近くで演習しているイギリス軍にレイプされた女たちを中心に、離縁された女、夫から暴力を受けた女たちである。

この試みがうまくいっているので、最近は、やはり戦争中にレイプの犠牲になったコンゴの母親たちに招かれて体験談を語っている。

彼女らの表情も、身なりも、尊厳に満ちている。

レイプの結果の子どもを産まざるを得ない境遇にある女たちにとって、政治的倫理的ないろんな言説がとびかうけれど、このように具体的な方法を実現している例はめったにないだろう。

大人の男たちと未成年の子どもの集団と言うと、すぐに小児性愛のリスクの話になったりするが、女たちが子どもを育てている集団というのは、圧倒的な自然の強さと安定感が感じられる。

アルジェリア人の父とチェコ人の母を持つNadia Ferroukhiという女流写真家が彼女らに魅せられて写真を撮り、それをネットで公開、だれでも有料でA4でプリントアウトできて、その収入はTumaiに寄付されている。

http://www.nadia-ferroukhi.com/v2a/aiderlevillagetumai.html

アフリカには子どもの頃からレイプの犠牲になって子を育てる女たちが少なくないが、今まで、カトリック系の修道会が未成年の少女たちを保護して寄宿させて縫物などのスキルを獲得させるという活動は知っていたけれど、その他に、このような主体的で力強い対策が存在していたこと事実は知らなかった。

この村で育てられて、外に出される男の子たちとの関係や、その後でその男の子たちがどういう人間になりどういう役割を担うのかに興味がわく。この村の子どもたち全員に高い教育を受けるチャンスを与えてやりたい。何かが変わるかもしれない。
[PR]
# by mariastella | 2012-07-19 21:22 | フェミニズム

天使の取り分ANGEL'S SHARE

今年のカンヌで審査員賞を受賞したケン・ローチ『天使の取り分ANGEL'S SHARE』を観た。

ケン・ローチは私の好きな監督だ。

犯罪歴があって職のない若い男の恋人に赤ん坊が生まれる。ダルデンヌ兄弟の「L’Enfant」だったら、ここで若い父が赤ん坊を売りとばしたりするのだけれど、ケン・ローチでは父性に目覚めた主人公が、何とか自立しようとする。

そこにウィスキーのテイスティングの蘊蓄や、幻のウィスキーを盗み出す話や、教育指導員とのあたたかい交流などが組み合わさって、ユーモラスでありサスペンスフルでもあり、この監督ならではの人情味にあふれ、後味もいい。

スコットランドをうまく描いている。

社会から完全に落ちこぼれたような若者のグループが、妙な連帯の中で、イニシエーションの旅をする。おとぎ話でもあり、一種のビルドゥングス・ロマンでもある。

でも、去年のロンドンでの暴動騒ぎといい、フランスでも職のない若者は多いし、うちに引きこもるよりも路上に出て暴力沙汰を起こしたりする方が多いので、他人事とは思えない。

この映画を観た同じ日に夜のメトロのホーム(サン・ミシェル駅)で、3人のポリスが一人のアラブ系の若者を囲んで持ち物をすべて出すように命令して、皆が声を荒げていた。尊厳とか尊重というのはかけらもなく、まるでいじめのシーンのようだった。何があったのか分からないが、ああいう風に扱われる若者が前向きに生きていけるとは思えない。

こうしてあちこちでポリスから高圧的に尋問されている若者たちの中には、この映画の主人公のように隠れた才能のある者や知的能力の高い者も一定の割合でいるはずだ。

フランスではゲットー化している移民二世や三世の多い地域の優秀な生徒に奨学金を出してグラン・ゼコールの予備クラス(国立)に引き抜くという試みが広がっていて、そんなもの、きれいごとで、本当の解決にはならないだろうと思っていたが、やはり、手っとりばやいのは、教育によってチャンスを与えるという王道だなあと思う。よい指導者との出会いもそうだが、シンプルに「本を読むこと」が若者の可能性をいかに広げるかというのも痛感する。

ただし、優秀な者だけを一本釣りで引き抜いて援助して成功させたり更生させたりするというのは、政策の正当化にはなるだろうけれど、ケン・ローチの映画が本当に痛快なのは、底辺にいた主人公が責任感やら自分の才能に目覚めて悲惨な境遇から抜け出るというところではない。

主人公の周りにいる、本当にどうにもならない盗癖の女の子や頭の弱そうな男やら、主人公の足を引っ張っているように見える「クズ」のような若者たちも、「一緒に行動する」ことで、居場所があって、チャンスがあって、自分の立ち位置や能力などと、怒りや憎悪や侮蔑などを通してでなくはじめて向かいあえたということだ。

社会的な弱者にとって真のハンディは、能力のなさではなくて、暴力的な憎悪の環境にいることなのだ。暴力や憎悪や侮蔑の視線のある世界で「自助努力」など誰もできない。

もちろん、では彼らを安全なところに囲い込んで個別に隔離すればいいのではない。

みなが「より弱い者」を抱えていく、という環境に投げ込めばいいのだ。それは別にすごく強い人が弱者を守るというような家父長的「憐れみ」の環境ではない。家父長的憐れみの行使には「見下し」が伴いがちで、それは憐れみに感謝しない者を罰するという誘惑と紙一重だからだ。

この映画のように、たとえ全員が社会的弱者でも、みんな、「弱さの個性」は違うのだから、弱い者同士が助けあうという可能性は絶対に存在する。

この映画のくれる希望のメッセージの根本はそこにある。
[PR]
# by mariastella | 2012-07-13 16:46 | 映画

Cima da Conegliano

行ってきた。

リュクサンブール美術館でやっている今週末で終わりのチーマ・ダ・コネリアーノ展だ。

その帰りにはRue Ferouを抜けてサン・シュルピス広場に出る。

この狭い通りの左側、昔は修道会で今は財務省の役所になっている建物の壁が延々と続くのだが、ここに6月14日から、のランボーの『酔いどれ船』の詩がぎっしりとペイントされている。

1871年、17歳のランボーはサン・シュルピス広場のカフェで初めてこの詩を読み上げたのだという。
その時には、この通りへと風が吹いていたに違いない、と、壁に書いてあった。
なかなかしゃれた試みだ。

私は5月の末にもこの広場にきて、1833年4月に若きフレデリック・オザナムが友人らとSociété de St Vincent de Paulを立ち上げた場所を訪れた。

この広場は若者に聖霊が降るところなんだろうか。

そういえば、そのランボーの17歳の有名な写真の表情は、チーマ・ダ・コネリアーノの有名な聖セバスチャンの絵の表情と似ている。


実は、このセバスチャンの視線に代表されるチーマの描く聖なる人物たちの「目つき」は、私をずっと離
れないものだ。

もとはといえば、チーマより少し前のメロッツォ・ダ・フォルリの有名な奏楽の天使というフレスコ画の中でリュートを弾く一人の天使の目つきが、ながいこと私から離れなかった。



この天使のポスターを20年くらいうちの音楽室に貼ってあったのだが、猫に破られて捨ててしまった。それからボヘミアバロックの天使の像のポスター(これは額でプロテクトした)に替えてからもうずいぶんになるのだが、メロッツォの天使の目はずっと私を見ていた。

正確にいえば、メロッツォの天使もチーマのセバスチャンも、多分「あっちの世界」を見ているので、私と目が合うのではないのだけれど、私には彼らの視線の向こうのものが射るように突きささっててくるような感じがするのだ。たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザと目を合わせてもそんな感じはしない。

チーマの絵では、裸の赤ん坊のイエスの目つきですら私を共振させる。

とくにこれ

 
なんでだろう。

チーマの聖母子像はたくさんあって、中には薄青のシャツの上から腹巻をした幼子イエスもあってかわいい。マリアのヴェールの下、頭に直接触れている布は、刺繍のしてあるものとか透けているものなどいろいろなヴァリアントがあって、透けているものはイエスの聖骸布を暗示しているという説もある。

そんな母子を、成人した洗礼者ヨハネだの天使だの、使徒や殉教者や後の司教など、いろんな人が取り囲む構図の「聖なる会話」といわれるテーマは、キリスト教世界における聖人のコミュニオンというものがいかに時代も場所も時系列もみなシャッフルしていつも「そこに生きている」ものだったというのがよく分かる。

しかもその中心人物であるイエスが赤ちゃんの姿でもOKというのが楽しい。

近くで見ると、とにかく絵が上手な人だ。

でも、チーマの絵は、繰り返されるその視線のせいで、いつも窓の外を見せられている気になるから、オブジェとしての絵のディティールとはまったく別のものと出会える。音楽と似ているかもしれない。風通しがいい。

サン・シュルピス広場の角で久しぶりにProcure書店にいった。

ここは誘惑が多いのでずっと避けていて、近頃は読みたい本は近所の本屋に取り寄せてもらったり通販で買っていたのだが、ここのキリスト教関係のコーナーに行くと、あらためて幸せな気分になった。面白い本が多すぎて、どれだけ読めるだろうという気持ちと、どれだけ紹介できるだろうという気持ちがわく。

人ごみの中にいても、私はあまり他の人の情報をキャッチしない。無意識にバリアをはりめぐらせているからだろう。でも、墓地に行くと、生きて死んで埋葬されている人々の渦巻く思いみたいなのがぎっしりみっちり濃密に感じられる。Procureの宗教書のコーナーに行くと、それに似た感じがする。聖人や神秘家の著作も多いせいか、やはり並々ならぬ思い入れがびっしりと重なってはりついているのだ。

興味深い本を8冊ほど買った。一応夏休みなので心ゆくまで読める。

追記) リンク先が開かないという指摘をいただいたので、教えていただいたものに変えます。私は基本的にフランス語の検索サイトで画像としてピックアップするんですが、コピペするとうまくいかないようです。すみません。画像のはりつけもいつもうまくいかないので、みなさん適当に検索してください。

で、画像の「目つき」を見ても情感が伝わらない、分からん、というご意見もあったのですが、私は、これに関しては、別に美術批評を言ってるのではなくて、なんだか分からないけれど、この目つきが私に何かを見せるような気になる体質というか、前世の因縁(!)というか、があるようです。はっきりいって、私はチーマの絵がすごく好きだとか、お気に入りの画家だとかいうのですらないんです。ただ、彼らの見ている何かに吸い込まれそうになるのです。

この展覧会では茨の冠をかぶったイエスの顔もあり、そのイエスもすごい視線なんですが、そして目がストレスで充血して血の涙まで流している壮絶なものなのですけれど、その目つきの方には私は反応しないんです。絵としてはすごいなあと思うんですが。このイエスが見てるのは多分、人間なんでしょう。

ああ、この画像もリンクしておきたい。


どうでしょうか。
[PR]
# by mariastella | 2012-07-10 01:53 | アート

Adieu Berthe ou l'enterrement de mémé


Bruno Podalydès の新作『さよならベルト、または、おばあちゃんの埋葬』というコメディを観た。といっても、結局火葬にして灰を池に撒いたのだから、厳密には埋葬とは言えない。

墓地に立ってギターの弾き語りで埋葬を演出していたある葬儀屋が、別の客に呼ばれて去る時に、「Bonne éternité ! (よい永遠を !)とあいさつするのがおかしかった。確かに、あの世での永遠の滞在が不具合だったら大変だ。

主演が、監督の弟である演技派Denis Podalydès(サルコジ役の秀逸さが印象的だったコメディ・フランセ―ズ系の俳優)と、これも演技派で絶対おもしろいValérie Lemercierで、認知症の父親に代わって突然祖母の葬儀を采配しなくてはならなくなった薬剤師の悲喜劇なのだから、大いに笑ってしんみりと人生について考えさせられもする良作…

であるはずなのだが、へんに日常的でリアルである分、かえって世代の微妙な差とかが邪魔をして、感情移入できなかった。

認知症の父親の方がむしろ私の世代に近くて、40代半ばの夫婦と夫の愛人が携帯メールでやり取りするシーンは、僅差で私たちの感覚とずれている。

その40代の男女が愛憎の危機を迎えていて、悶々としたり爆発したりする様子も、ゲームに夢中になって父親に返事もしない高校3年らしい息子との関係も、知り合いのあれこれを思い出させてリアルだが、自分とはかけ離れている。

ある映画に感情移入できるかどうかなどはもとより登場人物の設定とリアルの自分が似ているかどうかなどとは関係ない。
それなのに、この映画は明らかに、フランスの今時の家族の等身大の悩みを切り取ってみせているだけに、わずかのずれがむしろ違和感をもたらす方向に働いた。
すごくうまくできているのに。

登場人物たちの心理模様はおそらく多くの人が共通して経験していることで、自分でも直視しない部分を突きつけられて笑いとばされていることが、カタルシスにもなり深刻にもなり得るのだろうが、私は憐憫の気持しか湧かなかった。

昔、「しあわせな人間にはアートは分からない、というか分かる必要がない」と島田謹二さんが言っていたが、その時と同じような居心地の悪さがある。

たかが映画で居心地が悪くなるというのはそれはそれで影響絶大だとも言えるが…
[PR]
# by mariastella | 2012-07-08 08:06 | 映画

プラハで考えたこと その3

プラハで実感できたのは、この国の人々やこの町の隅々にはりついて今も脈打っているような消し難いルサンチマン、白山の戦いのトラウマだ。

チェコ人はみな、ヤン・フスの孤児である。

ほとんどあらゆる教会の内部を炎の舌がゆらぎのぼるようなバロックの装飾で飾り立てた執念は、たんにハプスブルク家からやってきたカトリック候たちだけの趣味や教育的戦略ではない。生き延びるためにカトリック教会への忠誠を誓い、それを証明しようと決断したフスの孤児たちによるパフォーマンスだった。

でもフスの孤児たちの内なるウィクリフ主義は、ポーランドやハンガリーにもしっかり伝播していた。

これらの国における、フスゆずりの反抗精神と、カトリック世界のネットワークを利用できる可能性とのふたつは、社会主義政府に支配されてソビエト共産党の圧力をうけていた時代にも生き延びていた。

だからこそ、これらの国から共産圏は少しずつ崩壊していった。

1956年のハンガリー動乱、1968年のプラハの春、1980年のポーランドの連帯(ソリダノスク)組合の結成、などは、それを雄弁に物語っている。

考えてみたら、いわゆる宗教改革の百年も前にフスが火刑に処せられたのが1415年、白山の戦いでプロテスタントのチェコ貴族が全滅させられたのが1620年だ。

チェコ人は、表向きのウィクリフ主義を捨ててそれを内奥の埋め火としてとっておくことにするまでに、実に200年以上もかけたわけだ。
日本の長崎の一部の隠れキリシタンのような規模ではなく、それが民族アィデンティティになるほど広く強烈なものだった。

そしてその精神は、国中がカトリック化しようと、壮大なバロックの装飾が完成しようと、脈々とうけつがれて、埋め火は消えることがなかった。

市庁舎前の広場の石畳にはめこまれた27の白い十字架は、1621年に白山の戦いの指導者の生き残り27人が処刑されて首をおかれたところだと言われる。それを見守るように、巨大なフス像が建っている。

プラハ城では、反乱の鎮圧のきっかけとなった1618年の、神聖ローマ帝国から乗り込んでくる王を認めないボヘミア人が国王の役人のうち2人を窓から投げ落としたという事件が起こった場所も見学した。

私は、もちろん、ラディスラフ・クリマのことを考えた。

ドイツ人やユダヤ人と親しく交流して複数の言葉を自由に操った彼の到達した「神」の形に至る道を用意したのはやはりプラハのこの独特の空気だったと思う。

つまり、言葉は悪いがある種の偽善性、バロック芸術に執拗に投資することによってカトリックへの迎合をみせた過剰反応とその底に流れるアィデンティティの違和感である。

こういうものは、やはり、理屈だけではなく、町の中にいてはじめて腑に落ちる感じがするものだ。
[PR]
# by mariastella | 2012-07-07 01:19 | 宗教

プロメテウス

リドリー・スコットのSF3D映画『プロメテウス』をつき合いで観に行った。

『エイリアン』が怖かった記憶があるので、もう残りの人生でホラーやヴァイオレンス映画をできるだけみないと決めた私は気がすすまなかったのだけれど、地球外で起こるホラーは今やあまり怖くないことが分かった。日常的な舞台で起こるホラーの方がトラウマになる。

で、印象に残ったのはふたつだけで、まず、人間が自らの創造者をさがすわけだが、人が「親を殺す欲望」なんていう言葉が出てくるところ。フロイトなんかの父殺しをイメージしているのだろうが、何かとてもリアルに響いてぎょっとした。

もう一つは、ヒロインが十字架のペンダントを首にかけていて、一度外すのだがまた首にかけて、アンドロイドから「こんな試練の後でもまだ信じているのか」みたいなことばをかけられるところ。

アメリカらしいというか、要するに、自分たちを創造した存在(ここではクリエーターという言葉を避けてエンジニアと通称されているのだが)を探す旅に出るということ自体が、創造神を頂く一神教文化圏の逆説的な希求になっている。

もちろん、そのクリエーターに会って老衰をストップしてもらいたいという人類普遍の「不老不死」の願いにとらわれている老人も出てくるのだけれど、それだって、ふつうなら「若返りの薬」とか「不老長寿の術」などを探求するパターンだろう。

人間を死すべき存在に創った「製造元」のクリエーターに出会ったからといって「死なないようにしてもらう」なんて、発想がやはり、DNAをばらまいて似姿を残してくれた異星人を「全能の神」の代替として想定しているようなものだ。

結局、生き残るのは、十字架をにぎりしめた考古学者だけで、その彼女も結局地球に戻るよりも、人間のルーツのクリエーターの住むところに行きたいというのだから、ほんとうに神と宇宙人って、紙一重だ。

宇宙人は無神論者の神さまで、宇宙開発は無神論を喰らって進んだのかもしれない。で、「親を殺す欲望」というのも、じつは「神を殺す欲望」と連動しているのかもしれない。

十字架でもにぎりしめないと、「宇宙にクリエーター」を探すのは神への冒涜感があって、そこで出会う困難には「神罰」感がともなうんだろう。

で、唯一のカタルシスは、地球人を全滅させようとしている(旧約聖書で大洪水を起こした神みたいな)人間の生みの親である宇宙人の飛行船に、カミカゼみたいに体当たりでぶつかって阻止したヒロイックな自己犠牲のクルーたちの話になる。

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない(ヨハネ15-13)」

というイエスの教えにいきつくわけだ。

彼らはきっと天国へ行くだろう。一方で、彼らを見捨てたリーダーの方は墜落した飛行船の下敷きになってあえなく死ぬ、とちゃんと「天罰」がくだっている。

アメリカのモラル的に「公正」な話にできあがっているなあ。
[PR]
# by mariastella | 2012-07-06 01:36 | 映画

ノストラダムスの大予言

プラハ・シリーズその3の前に忘れないうちに書いておく。

先日、TBSラジオの「爆笑問題の日曜サンデー」(このタイトルって、なんか同じことを二度言ってないか?)というのに、電話インタビューで、ノストラダムスのことについて聞かれて参加した。

ノストラダムスについて話すなんて久しぶりだ。

で、もちろん、いろいろ話したうちの一部のみ収録されたのだが、収録されなかった部分に、ひとつだけ、私が1999年の7の月の前にいろいろ書いたり喋ったりした時には言わなかったことがあるので、ここで書いておく。

私は『陰謀論にダマされるな』という新書で、現代社会にはびこっている形の終末論の起源はキリスト教文化で陰謀論の起源はフランス革命だ、と解説した。

同様に、ノストラダムスの『予言書』の解釈論争のルーツも、啓示宗教の啓示注解の歴史がルーツだという事情が存在する。

どんな文化でも、宗教の聖典や経典や文学古典や民俗伝承などを研究、分析、読解して時には再解釈、新解釈などが出てくるということがある。

特に、一定以上の長さのあるテキストなら、暗号のように裏の意味をさぐったり、単語の文字の数だとか、逆から読むとか、文字を並び替えたりとか、なるほどと膝を打ちたくなるものから、どう見ても恣意的なこじつけだと思われるものまで、ありとあらゆる珍解釈やトンでも解釈がゲームのように展開されることもある。

特に終末論系のテキストはその対象になりやすい。人々がネガティヴな情報の予測の方になぜか惹かれるので、あるいは脅した方が商売になるので、実際、20世紀末の日本では、新・新宗教の教祖たちはほとんどみな、ノストラダムスの予言書を掲げて終末論をぶち上げていた。

日本ではもちろん、ノストラダムスの予言書はそういう時に便利で使い勝手のいいテキストとして1973年から突然クローズアップされたわけだけれど、そもそも、16世紀の幻想文学テキストが、当時から続けてずっとあれこれいじくられてきたということ自体は、やはりそれが、「キリスト教文化圏」のテキストだったからだと思う。

実際、ノストラダムス自身も「聖霊からインスピレーション」を受けたと言っている。

旧約聖書には預言者はたくさんいるし、新約ではイエス・キリストという救い主を得て、一応「救い」の解決はついているはずだが、ヨハネの黙示録もそうだが、その後のキリスト教世界ではあらゆるところで聖人や天使や神のお告げを聞く人たちがあいかわらず絶えることがない。

そうやってお告げを聞いた人の中には、異端だとして処罰された人もいれば、正式に聖人の列に加えられた人もいる。その線引きのためにも、お告げの内容を審査するいろいろな方法が発展した。

また、「正典」である啓示の書もまた、それをどういう風に解釈するかは各時代の権力者や権威者が誘導してきたし、学者たちも生涯をかけてきた。

その解釈もまた、「聖霊」によるインスピレーションによってはじめて可能になるわけで、人間的な論理的証明などは落とし所にならない。
それでも、人間を超越する何かからの真実の啓示があって、それを受け取って読み解くということが人間の使命であるという基本線は変わらない。

そこのところは、たとえば四書五経の研究などとは本質的に違う。

もちろん日本でも、突然「神からのお告げを受けた」と称してそれを書きとめて新宗教の経典にする人はいるわけだが、その解釈は、そのテキストを真偽の対象ではなくて信仰の対象として読む人たちに範囲が限られる。

ノストラダムスのテキストは、それ自体はキリスト教世界のルネサンスや宗教改革などの時代を背景にしてキリスト教的テイストで書かれたものであるけれど特定信仰のテキストではない。

それがいつのまにか「普遍的啓示」のような自由なポジションを獲得して、サブカルチャーの神学、一億総神学者まがいのコメントが書き継がれてきたわけである。

もっともらしく予言書を読み解く、という伝統が、やはり啓示宗教の一神教世界、とくにキリスト教世界に根差すものだということが、よく分かる。

全くキリスト教的なベースのない世界観の文化からは、末生思想だとか世直し思想がでてきても、ノストラダムス現象みたいなのは、やはり生まれなかっただろう。
[PR]
# by mariastella | 2012-07-05 00:19 | 雑感

プラハで考えたこと その2

プラハの建築物の多様さと美しさについてはある程度想像していたので、驚きはなかった。

モーツアルトがそこで作曲して弾いたというオルガンのコンサートを聖フランチェスコ教会で聴いたのはそれなりの感慨があったが、お約束通り有名なマリオネットのショー(ドン・ジョバンニはやめておけとエリカに言われていたのでファウストにした)を観に行ったのも、ボヘミアングラスや木のおもちゃのショッピングも、楽しかったが驚きはなかった。

驚いた、というより、知ってはいたのだが、すごく強烈でインパクトがあったのは、ロレッタ教会の聖女スタロスタの磔刑像だ。

一瞬、何とも言えない倒錯感にくらくらした。
今まで私の知っていたのはフランスのものでこういうの

とか、こういうの

と、まあ、知らない人が見たらどれもびっくりするかもしれないが、これまでに見たのは彩色像だったのが、ロレッタ教会のは美しい服をまとっていたからだ。

聖母像に毎年、金糸銀糸の刺繍付きの豪華な服を着せかえるという教会は少なくない。特にアンダルシアなどはそうだ。イエス像は、聖母子像の子どもの姿なら服を着せられるものもあるが、成人したイエスで豪華な服というケースは見たことがない。

特に西方教会では栄光の復活のキリスト像よりも磔刑像がメインになってきたので、裸か腰布を巻いているかという具合だから、「立派な服」とは縁がない。

だから、立派な服を着た磔刑像、というのにそもそも愕然とするのだ。

しかも、女性の服。

というか、聖女スタロスタ。

しかも、ひげ面。

ほぼ、際物である。

この聖女の伝説は、あまりにも信憑性がなくて、そのルーツもわからず、今は殉教者リストからはずされているほどだ。民間伝承もいいとこである。

名前も、このスタロスタの他に「強い乙女」(virgo fortis)に由来するWilgeforte とか Livrade とかLiberate とかAcombe とかばらつきがある。

伝説は14世紀頃にできたのが16世紀の殉教者伝によって広まった。オランダが発生地だという説もある。

11世紀のシチリアのプリンセスが、処女の誓いをたてていたのにポルトガル王と結婚させられそうになった、ポルトガル王(あるいはスペイン王)の娘が異教徒と結婚させられそうになった、ある娘が兵士たちに襲われそうになった、など色々なバージョンがあるのだが、共通点は、そこで娘が、自分を醜くしてください、と神に祈り、それがかなえられて髭が生えたので、ぎょっとした男が逃げて行ったという話だ。さらに、怒った父親の手で十字架にかけられた、魔女とされて十字架にかけられた、などという結末がある。

殉教者には十字架につけられた者もいるが、処女殉教者ではこの人がただ一人だという説もある。十字架に縛られたのでなく釘打たれたのが一人だけなのだろうか。まあ、もっと倒錯的で嗜虐的な殺され方をした殉教者もたくさんいるが。

また、この伝説のルーツについては、裸の磔刑像しか見たことのないローマ・カトリックの人間が、立派な服を着せられている東方教会の髭のキリスト像を見て、理解できずに、ひげの聖女物語を創作したのだという説まで存在する。

基本線は、男に性の対象と見られるのを拒否するために髭を生やしたというところで、聖女スタロスタは「不幸な妻の守護聖女」にもなっている。

「のぞまない結婚をおしつけられた妻」ということなら、「髭を生やして離縁される」のが解決というのもなんだかなあ、などと思うが、ともかく、この髭の聖女のエピソードは、どんな宗教にもよくある奇想天外な不思議譚のひとつであるとはいえ独特のインパクトがある。

冠、リボン、三つ編み、ほお髭、あごひげ、レース、刺繍、フリルの服、磔、釘打たれて流れる血、
などの小道具に違和感があり過ぎることと、何よりも、やはり、キリストの磔刑像に似すぎていて、

「女性殉教者に髭が生えた」

というより

「キリスト磔刑像に女の服を着せた」

と見えてしまうためである。

ネットを検索すると、ひげ女のサイトがあって、この聖女もしっかり出ていたし、この伝説をもとにした、裸で髭面の磔刑像というエロテッィクな絵も紹介されていて、こうなるとアンドロギュノスとか両性具有の妄想である。

ここにいろいろな画像

で、この中のひげ女サイト


というわけで、プラハの濃いボヘミアン・バロックを堪能しながらも、変なところで衝撃を受けたロレッタ教会だった。

あ、この聖地はすばらしくて、いくらでも書くことがあるのだが(私はパリのノートルダム・ド・ロレット教会も大好きだ)、それこそいろいろな案内書があると思うのでここでは、不思議な聖女の話だけ取り上げてみた。

まあ、こんな奇抜なものを祀っていたりしたら、プロテスタントから偶像崇拝だの迷信だの言われたのも分かるし、ユダヤやイスラムなど他の一神教のすっきり感を尊敬したくなる。

もちろんいろんな異形の神々やらで満艦飾のヒンズー寺院なんかを思い浮かべて比較すればロレッタ教会もひげの聖女もどうってことはないのだから、宗教におけるファンタジーのさじ加減というのは微妙だなあとつくづく思う。
[PR]
# by mariastella | 2012-07-04 02:07 | 宗教

プラハで考えたこと その1

今の時代、どこかに行こうと思ってインタネットを検索したら、写真満載の個人のブログがたくさん出てくる。中にはその地で暮らしている日本人やフランス人による詳細な情報もあって、もう、わざわざ旅行しなくても行った気分になってモチヴェーションが下がるほどだ。ユイスマンスの『さかしま』のデゼッサント状態である。ヴァーチャルでおなかいっぱい。

私が最初にヨーロッパに来てよく旅していた頃が、デジタルカメラだのブログだのの時代でなくてよかった。

ひょっとして今の若い人のように詳細な旅行記や写真をせっせとアップして情報を垂れ流して、他の人の役には立っても自分で深めるチャンスを失っていたかもしれない。

で、一応行ってきたプラハ。

公立中学の音楽教師をしている親友が、生徒を連れて音楽旅行を企画しているそうで、下見をしてくれと言った。いたるところでコンサートがあるし、モルダウ河岸のスメタナ博物館、ドヴルザーク博物館、モーツァルト博物館、楽器博物館と豊富だ。ほとんど全部歩いて行ける。日本からは直行便がないがパリからは手軽で人気の場所なので、ガイドブックも豊富だ。

で、情報の追認になるのかなあ、と漠然と思っていたら、

「現場に行って初めて腑に落ちた」

というようなことがいくつかあった。

これまで漠然と思っていたことが実感できたり、新鮮な発見があったりした。

その一部を紹介していこう。

まず、エリカお勧めの旧ユダヤ人墓地に行った時のこと。

ユダヤ人街にある、ヨーロッパ最古と言われるシナゴーグを訪問した。

その入り口で、連れの2人の男は、使い捨てのキッパ―を渡されてその着用をうながされた。

「それって義務ですか ?」と私が思わず質問すると、

「いやいや、男だけね、あなたはOK」と、勘違いされた答えが返ってきた。

パリでユダヤ博物館には行ったことがあるし、身近な仲間にも、ユダヤ人はたくさんいる。
プラハに行った前日にうちでやったパーティでは、毎週シナゴーグに通っている熱心な小学校教師も来ていた。私は彼女が高校生のころから知っていていっしょに旅行したこともある。彼女はイスラエルでも数年教師をしていた。今はやはりユダヤ人と結婚して一児の母でもある。
私のピアノの生徒にも熱心なユダヤ教家庭の子供がいた。

けれどもフランスではユダヤ人とムスリムが緊張関係にあるから、一目見て外人である私はフランスのシナゴーグやモスクには入ったことがない。

モスクの方は、三度ばかりも中に入ったのは、井の頭通りにある東京ジャーミーだけだ。

で、あそこでは、入る時に、女性はスカーフを渡されて頭をおおうことになっている。

私はサウジアラビアでも外出時に規定の黒いヴェールをつけていたから、東京ジャーミーのカラフルなスカーフ(自分で柄を選べる)に抵抗はなかった。
パリの南郊外のチベット仏教センターでフランス人もみな靴を脱がされることと同列に感じていた。

モスクでスカーフやら、サウジアラビアで総黒服やらというのは、エキゾテッィクだし、ほとんどコスプレのイメージだった。

もちろん、フランスでの公共の場におけるイスラム・スカーフと政教分離の問題や女性差別のテーマにはずっと関心があったのだが、特定のグループの人にとっての「聖域」にこちらから望んで入って行く場合に、そこの規定をリスペクトするのは当然だと思っていたのだ。

ところが …

このプラハのシナゴーグの入り口で、ユダヤ人ではない普通の「観光客」である私の連れの2人の男がキッパ―の着用を命じられて、頭にのせたのを見たとき…

私は、それが男だけに課せられているのを見て、痛快だと思ったのだ。

私は自由、私は私のまま。

男たちは、自分たちの習慣だの宗教などと関係なくドレスコードを課せられている。

ちょっと、いい気味。

この時、私は、モスクだのサウジアラビアだので、女性だけがコスプレさせられているのを当然のように見続けている男たちの心象風景が「実感」できたのだ。

イスラムのドレスコードの男女差別について異議を唱える男性の人権活動家は少なくないし、真摯だとも思う。
だけど、実際に、それに従わねばならないようなシーンに出会ったか出会わないかでは、心の奥にあるアンテナの感受性が変わってくる。

また、私のように、それが逆転した時の「痛快さ」を感じて、はじめて、それが女性だけに課せられている時の不自然さを実感する場合もあるのだ。

ちなみに、東京ジャーミーに入るのは無料だが、プラハのヨーロッパ最古のシナゴーグに入るのは有料である。有料なら、チケットを買う前にドレスコードに合意するかどうかを確認してもいいはずだ。

もっとも、女性のみに課せられるドレスコードは「差別」の含意があるから拒否されたり批判されたりする可能性があるが、男性のみに課せられるドレスコードは「特権」だくらいの合意が社会にあってスルーされるのかもしれない。そこのところは微妙だ。

よく考えるとポーランドやハンガリーなどのユダヤ地区の観光でも同じことが起こるし、無神論者を自負するフランス人などがキッパー着用を拒否して入場をやめてしまうという話もあるのだが、実際に体験すると、感慨を覚える。
教会や寺院で、男でも女でも、短パンやノースリーブ、タンクトップはダメ、腕や足を見せるなという場所はそれなりに納得できるが、性別によって変わるというところに、より深い考察をうながされる。

そこから遠くないところにスペイン・シナゴーグというのがあって、そこは、完全に博物館化しているせいか、オルガン・コンサートなどが日常的にあるせいか、キッパ―は渡されなかった。もちろんユダヤ人旅行者や団体も多く、被っている人もたくさんいた。そのシナゴーグの絢爛さは、なんか、もう、どの宗教も、天国的な演出をするのは同じだなあ、と思わせる。ユダヤ人迫害の資料もたっぷり見せられて、それは墓地でも同じだったが、非ユダヤ人はすべて罪悪感に囚われる。

今「ユダ論」にかかっているのだが、ユダ、ユダヤ人、裏切り者などというこじつけのロジックで、一民族をまるごとスケープゴートにしようという壮大ないじめの構造がヨーロッパのキリスト教社会を長い間ささえていた事実にはあらためて震撼させられる。近親憎悪のようなものが働いているというより、もっとプリミティヴな「都合のいい弱い者いじめ」に「普通の人」がどんどん巻き込まれていくのである。

墓石が朽ちて倒れかかって重なっている旧ユダヤ人墓地も、独特の迫力を持っている。

ユダヤ教は火葬でない土葬なのに、一体どうやってこんなに狭い場所に15 世紀から18 世紀にかけての12000基の石板が折り重なって立てられ8万人が埋められたのだろう。明らかにバロック様式の墓碑もある。ゴーレム伝説も違和感がない。

墓地に降りるまでに通るシナゴーグの壁には、第二次大戦中にナチスの犠牲になったボヘミアとモラヴィアのやはり約8万人(77297人)のユダヤ人の名と死亡場所と年月日がびっしりと書き込まれている。共産党政権の時代はやはり反ユダヤ主義があったので、1968年のプラハの春以来閉鎖されて名前が消えたのを、89 年にまた書きなおしたということで、新しく明るいのだが、その執念が感じられてたじたじとなる。

で、ユダヤ人墓地を出たら、典型的な東ヨーロッパのアシュケナージというかイディッシュ風の黒服、黒帽子に白い髭のラビが笑みをたたえて私たちに英語で話しかけてきた。

「Have a good day」というのはフランス語でなんというのかと質問するのだ。

広報担当なので、フランス人にも話すので、別れ際にフランス語でそう言いたいらしい。

「Bonne journée」だと教えてから、いろいろ話をした。

あの墓地のあんなせまいところにどうやって埋葬したのかと聞くと、

「私たちはここ以外の場所に埋葬する権利がなかったので、死者が出る度に前の場所を掘り返して、一段深くしていったんです。そうやって12層にまでしたけれど、いちいち掘り返しては前の遺体を移動させたんです。」

と、すごく悲しそうな顔をした。

私は、英語が思いつかなかったので、この場所はとにかく「impressionnant(圧倒する)」だとフランス語で言った。

彼は「まったくだ、too strong, too strong」だと暗い顔で繰り返した。

で、再びにこやかに、覚えたばかりの「Bonne journée」という挨拶と共にラビが私の連れの2人の男に握手したので、私も手を出すと…

「私は女性の手に触れられないんです。ごめんなさい」

と言われた。

これにも、一瞬動揺した。

ユダヤのラビは原則妻帯者のみだ。

独身が課せられるカトリックの神父やチベット仏教の僧侶なんかよりもリベラルなイメージだし、私は親しいカトリックの神父とも家族同様のチベットのラマとも普通にハグしている。

そうか、ラビって女性と握手できなかったんだっけ ?

ハリイ・ケメルマンの『土曜日ラビは空腹だった』などのシーンを思い浮かべてみる。
ギターつながりのあるJoann Sfarが描いているマンガ『ラビの猫』(映画化もされた)のシーンも。

いや、インタネットにあるイスラエルのラビへの質疑応答コーナーをのぞけばいい。

すると、年齢に関わらずすべての女性(妻や肉親以外)と握手してはダメとあった。

Ovadia Yossefがイスラエル賞を受賞した時、当時の首相ゴルダ・メイア女史が握手のため手を差し伸べたのを握らなかったので失礼だと言う人がいて、彼は「礼儀や名誉よりもトーラ―の方が重要だ」と答えたそうだ。

同様にGaon Harav Mordehaï Eliyahou が英国女王に謁見した時、女王が手を差し伸べたのに彼は、イギリスの兵士のように「気をつけ」の姿勢をとっただけで握手はしなかった。世界中のジャーナリストたちがそれを見ていた。
その夜、彼は王宮の儀礼責任者からの謝罪の手紙を受け取った。英国女王の外交儀礼のマニュアル書を確認したところ、「英国女王はラビに握手をしてはならない」との一項があったというのだ。

で、

「Ovadia師、Mordehaï Eliyahou師、英国女王の先例を踏襲して、女性との握手をしないように。自分の手は妻だけにとっておく、と言ってもいいし、自分のラビから禁じられたと言ってもいい」というのが、アドヴァイスの結論だった。

ふむふむ…

一度プラハのユダヤ人地区を観光しただけで、二度も、性別による扱いの差を経験した、という話である。
[PR]
# by mariastella | 2012-07-03 00:58 | 宗教

カトリック国の自殺について

サイトのForumに、ヨーロッパの経済危機のあおりで自殺が増えているというニューズウィークの記事に関して、イタリアやスペインはカトリック国なのに宗教は自殺の抑止力にならないのかという質問があった。

そのことについて少し。

このNewsweekの記事はフランスでも紹介されたことがある。
それに関して「今のヨーロッパのリーダーのしていることこそヨーロッパ自体の自殺だ」というコメントがあったのを覚えている。

で、それとは別に、イギリスのUniversity of Warwick という大学で、プロテスタントの伝統国とカトリックの伝統国の自殺率についての比較研究(Sascha Beckerさんが責任者)もあるので紹介しよう。

その結果は、自殺率がプロテスタント国では10万人につき15.5人、カトリック国では8.9人ということだった。

この比較には、19世紀と21世紀のプロイセン、および最近のOECD10カ国のデータを使ったそうだ。

なぜプロイセンに注目したかというと19世紀のプロイセンではカトリックとプロテスタントが共存していて、そのどちら側にも、宗教は生活のすべての面で重要な要素であったからだ。 で、その頃は、プロテスタント側の自殺がカトリック側の3倍と、明らかな差があった。

その理由として、プロテスタンティズムにおける個人主義の強さ、カトリシズムにおける罪の意識を挙げている。それは今でも有意の差があるわけで、宗教は生き方だけでなく死に方にも影響を与えているわけだ。

もちろん、そもそも人が自死を選ぶような時は、本能的な生存欲求というのを超えてしまう異常な精神状態にあるわけで、そのような非常状況においては「宗教」のことなど考えていられないだろうから、「罪」の意識などが大きな抑止力になるとは思えない。それはどの国の場合でも同じだ。

ここで書きたかったのは、それでも、そもそもなぜカトリックで自殺が罪であるというコンセンサスが浸透していたかということだ。神学的な理屈でなく、一昔前(つまり半世紀前の第二ヴァティカン公会議前)の「カトリック国の普通のカトリックの人たち」の意識である。

彼らにとって自殺が取り返しのつかない「罪」であるのは、死後に地獄に落ちて、最後の審判の後で復活するチャンスを永遠に失うからだ。

で、自殺以外の罪ならば、極端に言って、たとえ他殺であっても、敗者復活のチャンスがある。

なぜなら、「人を殺したがそれを後悔している」と聴罪司祭に告解すれば、贖罪(祈り、断食、巡礼などいろいろ)を課せられるとしても、とりあえずは、告解さえすれば、神の名によって「罪障消滅」を宣言してもらえるからだ。

重い罪でとても生きている間には償えないとしても、煉獄に入って苦役するとか、他の人に祈ってもらうとか、いろいろな方法で、セカンド・チャンスがある仕組みになっている。

「赦し」や「救い」は神の側にのみかかっているのであり、神の愛は無限だから、どんな極悪人でもそれを「期待すること」はできる。それを期待し、神の愛を信じること自体がすでに「救い」のロジックの中にあるのだ。

こう書くと、自殺がなぜ、他殺よりも救いのない「最悪の罪」なのかが理解できるだろう。

つまり自殺とは、

「本人が告解することのできない唯一の罪」

であるからだ。

死んでしまえば、司祭に会いに行くこともできない。

「自殺」が悪いのではなく、「告解ができない」のが致命的なのだ。

結果として、神の愛や救いに対する信頼を「自由意思」によって封印することになる。

神は全能ですべての人を救えるのだが、「自由意思で救いを拒否した人は救えない」という構造になっている。それが自分の似姿として人間を創造した神によるリスペクトであり、人間は救いを拒否できる自由を行使できる。

ただし、自死を選ぶような人が、真の意味で「自由意思を行使する」精神状態にあるかどうかは別の話なので、刑法で犯罪者に「心神耗弱」や「心神喪失」が認められれば刑が減軽されるように、自死した人を救うかどうかだって、決めるのは聴罪司祭のマニュアルではなく、最終的には神でしかない。

だから、刑法に人権主義が取り入れられてきたのと同じように、 自殺者に対するカトリック教会の扱いも変わってきたわけだ。

なんだかんだといっても、人間は、それなりに想像力を広げて(いろいろな人の身になって)、互いに寛容になってきていると思うし、それは、いいことだと、すなおに思う。
[PR]
# by mariastella | 2012-07-02 07:34 | 宗教

佐宮圭『さわり』(小学館)

いわゆる東西の文化の比較論を安易になさる時に、比較される対象のレベルだの範囲だの時代だのがあまりにも非対称すぎるだろう、と思うことがよくある。

その一つが、佐宮圭の『さわり』(小学館)のp217-218にかけての「西洋音楽」と「邦楽」の違いだ。

「西洋音楽」と言っても、いつの時代のどの国のものか分からない上に楽論の一部が取り上げられていて、それに対置されるのは、琵琶と尺八という限定された楽器の奏法における精神論の問題になっている。

まず、西洋音楽は一音では音楽とは呼ばれず、ドレミなどの音程の関係性によって音楽が構築されるので、複数の音が集まって初めて「音楽としての価値」が付与される、とある。

で、

――音と音の間の無音の状態は、西洋音楽にとって、ただの『休み』でしかない。
ところが、邦楽では、これらの西洋の常識が覆される。――

というのだ。

音符と音符の間の休符は「休み」、って…

日本の幼児音楽教室の用語ですか。

ちなみに休符はフランス語では四分休符以下の短いものはsoupir(吐息) で、二分休符以上の長いものはsilence(沈黙)と呼ばれる。

それに対して、

――邦楽の「無音の沈黙」は、その一音に拮抗するほど無数の“音”がひしめく〈間〉として認識される。――

んだそうだ。

洋楽だろうが邦楽だろうが、およそ演奏家と言われる人で、「休符」を「ただの休み」などと認識する人なんてだれ一人もいない、と断言できる。

それが意味を持つのは多分音楽をデジタル入力する時くらいだろう。

音程の関係性によって音楽が構築されるのも、どこでも同じだし、一音に命をかける意気込みがあるのも、琵琶や尺八だけではない。

ここで「西洋音楽」と言われているものが、音程の関係性というより、ハーモニー進行の関係性というのは認めるが、そのような、音楽の構造は、マチエールでしかない。

「音楽性」を創るものは、いつも、音と音との合間、無音、無限の音の大洋の中から、どのように音が生れてくるのか、生みだされるのか、という「力動」の中にあるのだ。

こういう比較のされ方というのは、まるで、

「西洋文学というのは主語と動詞の関係性で構築されるので動詞の活用が間違っていると意味をなさない、それに対して俳句というのはぎりぎりの凝縮した表現の中に森羅万象を込める幽玄な複雑性を有して・・・」

といっているのと同じだ。

文法の話と、芸術としての訴求力は全然別の話だろう。

こういう言辞というのは、往々にして

「一神教というのは自然を征服し…それに対して日本の仏教的風土は自然と共生し…」

云々の安易な比較にも繰り返し繰り返し使われる。

実際この本の洋楽と邦楽の違いでも似たようなことが書かれている。

このような比較にはいろいろうんざりすることが多いし、反論もいくらでもできるのだが、こうやって、音楽についてもっともらしく書かれると、あらためてひどい。

ここでは武満徹や小澤征爾がどのようにして邦楽器と西洋オーケストラを共演させていったかという文脈で、その苦労話はよく分かるのだが、残念だ。

音楽の構造、素材は、文化や時代によってヴァリエーションがあるが、それでも、テトラコルドのような、人間の耳にとって普遍的なポイントは共通しているし、だからこそ、音楽自体に普遍性がある。

それよりさらに、すぐれた演奏というのは、文化の違いやテクニックや構成の細部を超えて、それらのマチエールを運んでいく大きな流れや息吹が大きな「命」と共振していると感じさせてくれるものだ。

ノヴェンバー・ステップスがニューヨークの人の心をとらえたのは、別に、邦楽の精神性の優越に人々が降参したのではなく、すぐれた演奏に出会ったからだ。

佐宮圭の本によれば、邦楽器と出会うまで、武満は一つ一つの音がレンガで、作品はそのレンガを積み重ねて築く「建物」だととらえていたそうだ(P227)。それを邦楽との出会いで、宇宙観、精神と音楽を合体させたという。武満にとってはきっとそうだったんだろう。

それはそれで日本の音楽史としては興味深いが、それを「日本の音で世界を震わせた」という文脈に持っていくのは、「邦楽」にとっても「洋楽」にとっても、「現代音楽」にとっても、読者を残念な方向にミスリードすると思った。

この本を読んだのは、鶴田錦史という(男装の同性愛者である)琵琶奏者にジェンダーの点からも興味を持ったからだ。

音楽家が資産家であるというシチュエーションにも惹かれた。

邦楽における撥弦楽器による「語り物」が、フランス・バロックと近いものがあるから、ということもある。

とてもおもしろかった。

昔見た小林正樹の『怪談』の耳無し芳一の琵琶と語りが鶴田によるものというのも初めて知った。その一部も、「ノヴェンバー・ステップス」の鶴田の演奏も、今はネットでアクセスできる。ネットでの映像と音も、本も、十分にこの型破りな人のカリスマ性を伝えてくれる。

鶴田のエネルギーが安易な東西比較などを軽々と越えているのは、確かだ。
[PR]
# by mariastella | 2012-06-18 01:03 | 音楽

お告げを聞いた2人の少女

昨日のアヌーイのジャンヌ・ダルク劇の続き。

イギリス軍を追い散らしてオルレアンを解放しろと神が望んでいる、と強弁する少女ジャンヌに、シャルル七世が

「そんなこと言うけどさあ、イギリス人だって同じ神に祈ってるんだぜ、で、神はより多くの軍隊とより多くの金を持っている側につくって、相場が決まってるんだ。軍隊も弱く金もない僕には無理無理…」

みたいな感じの答えをする。

そこで、ジャンヌは

「それは違うわ、神は勇気のある方につくのよ」

ときっぱり言うのだ。

思えば、天使から受胎告知を受けた時のマリアと、やはり天使から声を聞き始めた頃のジャンヌは同じくらいの年の娘だった。

マリアの場合、ナザレというローマ属領の辺境にわざわざ天使が来て、神に選ばれたと少女に告げたわけだ。

少女は、突然の受胎を告知されて最初は驚くが、すぐに、アーメン、フイアット、let it be 、ainsi soit il、み旨のままに、お言葉どおりこの身になりますように、という感じで、受け入れる。
それもすごいけれど、「受胎」とか「受け身」とかいう「受動」ではある。

ジャンヌ・ダルクの方も、フランスのはしっこの田舎で暮らしていた少女なのに、突然やってきた天使から使命を告げられるのだが、こちらの方は、自分で兵士を率いてイギリス軍を追い出せ、と言われたのだから

「え、そ、それは、お人違いでしょ」

とあわてたのも無理がない。

なるようになるとか、み旨のままに、とかいう受け身でじっと耐えたり待っていたりすれば事足りるのではない。

10代半ばの田舎娘。

馬に乗れ、

シノンに行って王太子を説得しろ、

軍隊を率いてオルレアンに行って戦え、

王をランスに連れて行って戴冠させろ、

などと無理難題を言われても…。

神は、ジャンヌの親や守備隊長や王太子や聖職者やらに対しても、お告げだの夢だのによる「根回し」すらしてくれていなかった。

すべてはジャンヌだけに、かかっていたのだ。

キリスト教の歴史の中では、時々聖人や聖母が一介の信者の前に現れて「ここにチャペルを建てろ」などとあれこれ難題を吹っかける話がある。困った信者はそれを司祭に伝えるのだが、もちろん一笑に付されるし、しつこく言うと、では証拠に奇跡を起こしてもらえ、などと言われる。

で、時々、泉が湧いたり、季節外れの花が咲いたり、マントに聖母像がプリントされたり、花びらの雨が降ったりなどの「奇跡」が恵まれる。

ジャンヌ・ダルクはそういう「徴し」ももらえなかった。

でも、彼女には、インスピレーションが与えられた。

村を出ること、

守備隊長を説得して、シノンの王太子のもとに行く手配をしてらうこと、

王太子を説得すること、神学者たちによるチェックに耐えること、

歴戦の将官たちと渡り合うこと、戦火をくぐること、

そして、宮廷全部を移動させて敵地にあるランスの大聖堂での戴冠式にこぎつけること、

不可能に次ぐ不可能を彼女は次々と可能にした。

アヌーイが、彼女がランスで人生の頂点に到達したと見なしたのは本当だ。

それに比べたら、その後の敗北や逮捕や異端審問や火刑台で生きながら焼かれたことなどは、ひょっとして、別の位相の出来事なのかもしれない。

地方の庶民の17歳の少女が、王や聖職者や軍人と渡り合い、一国の歴史の流れを変えた。

悲劇的な最後まで見るからひとつの数奇な人生のように思われるけれど、彼女の「されたこと」ではなく、「したこと」や「言ったこと」だけに注目すれば、まさにそのままが奇跡だ。

与えられた使命がどんなに不可能に思える時でも、十五世紀のこの少女がそうしたようにゴールに向かっておそれずに進めば、不可能が可能になることがあるのだ。

マリアの受容とジャンヌ・ダルクの能動ぶりは、対極にあるようでもあるが、私たちには、人生で、抵抗せずに何かを受容すべき声を聞く時と、不可能に挑戦すべく突き進むべき声を聞く時と、両方あるのかもしれない。
[PR]
# by mariastella | 2012-06-16 06:13 | 宗教

Jean Anouilh のジャンヌ・ダルク劇『L’Alouette』


Théâtre du Montparnasse でアヌーイ(Jean Anouilh )のジャンヌ・ダルク劇『L’Alouette』(ひばり)を Christope Lidonの演出で観る。この同じ劇場で、半世紀以上前の1953年にSuzanne Flon の主演で初演されたものだ。

今回のジャンヌ・ダルク役は、Anny Duperey とBernard Giraudeau の娘で26歳のSara Giraudeau だ(20歳で、母親とやはりアヌーイの『白鳩Colombe』で共演してデビューしている)。シャルル7世役が歌手のミシェル・サルドゥーの息子のDavy Sardou と、二世の若手が出ているのも話題だ。

Anny Duperey は好きな女優で、猫好きで有名で、彼女の猫のアンソロジーなどは私も愛読している。故ベルナール・ジロドゥも名優だったが、私には、昔日本で観た日仏合作のTVドラマ『恋人たちの鎮魂歌(フランスのタイトルは « 明治神宮の鳥 »)」の中で、ミス・フランスでボンド・ガールだったクローディーヌ・オージェと共演していたごく若い時のイメージが強烈だった。日本が舞台だったせいか、ドロンやベルモンドのような有名な映画スターよりも、へえ、フランス人のテレビ俳優ってこんな感じなんだ、という等身大の印象を残したのだ。だから年配になって彼が名優で監督でプロデューサーとしても認められていることが分かっていても、私の中では今でも日本と結びついたなじみ深い思い出になっている。

そんなわけで、娘のサラ・ジロドゥーも、なんだか娘のような感覚で見守りたい感じになる。

ジャンヌ・ダルクというと普通は短髪なのだが、牢獄のジャンヌは9カ月も拘束されていたのだから、髪はのびていただろうというので三つ編みになっていて、幼い少女のような雰囲気がより強調されているので、審問官らを前にした堂々とした様子がさらにコントラストをなしている。

実は先日、アヌーイにも大きな影響を与えたJean Giraudouxの『La folle de Chaillot』をお気に入りのJean-Luc Jeener の演出で観たのだが、自分でショックを受けるくらいに感動できなかった。このブログに書く気もしなかった。

私はこの戯曲を読んだことも観たこともなく、今までに知っているのは、1970年頃に日本で観たアメリカ映画の『シャイヨの伯爵夫人』だけである。キャサリン・ヘップバーン主演で、彼女らの言動や、パリのシャイヨ宮の印象が強烈で、初めてパリでシャイヨ宮を見た時も、それから長い間もシャイヨ宮に行くたびに、その映画のシーンが思い出された。

それから何十年も経ち、今ではジロドゥの当時のフランスも想像でき、語られているフランス語も完全に分かるのだから、彼のフランス語の華麗さもさぞや新しい気分で堪能できるだろう、そしてこの時代の社会派の意味と、ある意味で今も変わらぬ資本家の貪欲さを痛切に感じられるだろうと期待していたのだが…

まったく心を動かされなかった。

どうしてだろう。

それに対してこのアヌーイの『ひばり』は、やはり、脚本も演出も俳優の演技も素晴らしいのだが、それに加えて、ジャンヌ・ダルクの生のカリスマがみなぎっている。

「私は(天の)声を聞いたその時に初めて生まれ、やれと言われたことをしている時に生きたのです。」

と、自分の生の意味を理解してはじめて死を受け入れるシーンは、それまでの、ユーモラスでかつドラマティックな展開のすべてをまとめあげて、舞台も観客もいっせいに、ジャンヌ・ダルクの見ていた世界にテレポートしてしまう。

テキストがところどころ今の世相を揶揄したものになっていることもあるのだが、とにかくまったく古びていず、真実というものは、あるところにはいつも厳然としてあるものだと分かる。

ジャンヌがもっともヴァイオレントに制裁を受けたのは、審問法廷や牢獄や火刑台よりも、ひょっとして、家族や村人の無理解を突破しなくてはならなかった時かもしれない、とも、この舞台を見て思った。
[PR]
# by mariastella | 2012-06-15 06:35 | 演劇

ビデオ・アートの出光真子

私が、日本の多くの家庭の主婦の置かれている時として抑圧的な状況を、具体的な形でありありと感じるようになったのは、さまざまな女性の書くブログを見るようになってからだ。

それまで、個人の家庭の中の事情というのは、友人から愚痴を聞くというようなシチュエーション以外になかった。

それが、今や、ブログによって、いろいろな世代、いろいろな地方、いろいろな状況にある人の実態が、ある時は演出を加え、ある時はナルシシスティックに、多くは赤裸々に、怒りを込めて、ほぼ実況として伝わってくるのだ。

いわゆる掲示板に寄せられる質問と答えの内容にもくらくらする。

最近偶然行きあたって、一番ショックだったのはこれ。

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2012/0531/512215.htm?o=0

うーん、質問も答も、想像もおよばないくらいに私の現実とはかけ離れている。

そんな折、ポンピドーセンターの近代美術館のデジタルアートのコーナーで出光真子の作品を見た。

ポンピドーで草間彌生展を見ようと思っていたのに見損ねてしまって、なんとなく、日本女性アーティストの作品を探してみたくなったのだ。

そこにあったのは、『Yoji, What’s Wrong with You ?』(洋二、どうしたの?)1987という作品で、これがなんというか、強烈なのだ。

日本語で検索したら

http://www.makoidemitsu.com/www/home_j.html

というサイトにいろいろなものが紹介されていた。

東京のブルジョワの家庭に生まれたが家父長的な環境からアメリカに飛び出した姉妹がアーティストになってアメリカ人と結婚して子供を生み、その子育てや主婦業にも疑問を持って葛藤して…

という出光真子の経歴から絞り出されてきたような訴えの数々であり、構成が斬新で訴求力があるのだが、どれもみな、いわゆる「イタイ話」ばかりで、出てくるすべての人間が不幸に見えてくる。

女性をヒロインにした日本の演歌とかホームドラマとか人妻ドラマとか社会ドラマとか、無数のものが語りながら実は語れていなかったものが、出光真子の映像と映像内映像(大きなテレビ・スクリーンが必ず配されている)によって、ごまかしのきかない姿で突きつけられているという感じだ。

この人の作品はフェミニズムから評価されているんだそうだ。

作品の中にはママコさんの「主婦のタンゴ」というマイム作品をベースにしたものもあることも知った。ママコさんみたいに「主婦」の対極にいる人がこのような作品とコラボできるというのは、芸の力というものがリアルの生活体験とは関係ないという見本みたいなものかもしれない。

ポンピドーのビデオコレクションには他にも日本人女性(1930年代生まれの人)の作品がいくつかあったが、どの人もみな若くしてアメリカにわたってアヴァンギャルドに活躍したという感じの経歴であり、日本社会から突き抜けてしまっている。そうやって突き抜けてはじめて、逆に、ものすごくローカルでプライヴェートで伝統的な闇を串刺しにしてえぐって見せるのだから、草間彌生も含めて、何か宿命的なものを感じる。

日本のような国で生れ育った女性アーティストが「普遍」に到達するにはジェンダーのプリズムを通過せざるを得ないのか、あるいは、すべての規範的なものを無視し、あるいは無視されなければならないのか、と問いを立てたくなる。
[PR]
# by mariastella | 2012-06-14 01:55 | フェミニズム

Troels Wörsel

Troels Wörselというデンマークのアーティストがいる。カタカナでなんと書くんだろう。

ポンピドーセンターにこの人の大きな馬の絵があって、すごく迫力がある。

http://www.cbx41.com/article-26338775.html

実はこの作品もいろいろな連作、習作になっていて、Troels Wörselの画像で検索したら写実的なものや、さまざまなトーンのものを見ることができる。

左向きの一頭の馬を真ん中で分けて背景によって味付けを変えたものだ。

「味付け」というのはこの画家が意識して使っている「料理する」という言葉にぴったりだ。

この馬のヴァリエーションは、調味料や盛り付けや付け合わせや食器をいろいろ変えてみたものだというのがよく分かる。

マチスにおけるアフォーダンスが「視覚」優先だったのに対して、Wörselは味覚に引き寄せているわけだが、右側の後半身がモノクロの「食材」状態で、左側に侵入した前半身が芳醇な味覚の至福に変身しているという感じが、オリジナルの前に立つとすごくよく伝わってきて、いつまでも眺めていたくなる。

おもしろい。
[PR]
# by mariastella | 2012-06-13 01:23 | アート

Matisse : Paires et séries マチス展

ポンピドーセンターのマチス展が終わりに近づいたのであわてて行ってきた。この間から、忙しさにまぎれてたくさんの展覧会を見逃していたのだけれど、このマチス展と、リュクサンブールでやっているチーマ・ダ・コネリアーノ展だけは絶対に見たかったのだ。

Paires et séries、つまり、「ペアと連作もの」、マチスに特有の、同じテーマで同じ大きさの絵を何度も描き直す、というか、ヴァリエーションを研究したものを合わせて展示するという面白い趣向だ。

ラフな軽いものがじっくり描き込まれるものに変化するというのは分かるのだが、じっくり描いたものが、単純化していく作業の緻密さの方がおもしろい。

今回彼の室内画を並べてみて、フランス・バロック音楽との共通点を発見した。それは、mise en scène 演出、へのこだわりということだ。何をどう並べて再構成するか、「単純さ」さえ、実は考え尽くされたものなのだ。

こんなやり方を見ていたら、この人がもし、絵をデジタル処理できる時代に生きていたらそっちに走ったのかも…とまで思ってしまった。クリック一つで、色を変えたり、いろんな試行錯誤ができる。

実は同じ階でゲルハルト・リヒターの回顧展をやっていて、この人がまた、写真に特殊効果を与えて描くというデジタル処理の先駆みたいな人で、最近は実際にレーザープリントを使った作品をコンピューターで創っているのだ。

もっとも、マチスの「連作」も、リヒターの作品も、デジタルどころかずっしりとこだわりの手触りがアナログに伝わり、画家の気配というのが濃縮なので、たとえばウォーホールの連作だとか、他の画家のパロディ風の連作などとは全く違う。

また、下の階の近代美術館の常設展の方に、マチスの彫刻の裸の背中の連作が展示されているので、それも絶対に合わせて見るべきだ。何年も間をおいてレリーフが単純化していくのを見ると、色がなく、形とうねりだけが手触りと共に伝わってくるだけに、彼が絵に求めていたものがもっとはっきりと分かってくる。

連作で今回のマチスと同じような印象を受けたのは、バルセロナのピカソ美術館で観たベラスケスの模写のシリーズである。

その印象とは、ずばり、「アフォーダンス」だった。

これについてはまた改めて書こう。
[PR]
# by mariastella | 2012-06-12 08:23 | アート

プラハに行くことにした

月末にプラハに行くことを決めた。

ボヘミアのバロック・アートは前からかなり好みだったが、エリカのおかげでソリプシストKを読んでから、プラハはまた特別のところになった。

いわゆる観光地としては、共産圏であった頃の方が今よりずっと風情があったとみなが言っている。今では、メインストリートは、パリでもNYでも表参道でも似たような高級ブランドがずらりと並んでいるのはプラハでも同じだ。グローバリゼーションの「正体」がよく分かる。

でも、共産圏の時代より格段にいいこともある。それは社会主義政権時代には没収されていたさまざまな美術や資料のコレクションがかなり復活したことだ。

だから第一の楽しみは、ストラホフの修道院内にある国立図書館だ。

出発までにもう一度バロック・バレーのクラスでエリカに会うのでプランを見てもらう予定だ。

チェコはヨーロッパの歴史の大きな流れや支配者たちの思惑に翻弄され続けて、文化的にも思想的にも、民族的にもいくつもの表の顔や裏の顔を持っている。その中でしか生まれないようなキャラがいる。

私にとってはやはりヤン・フス、そしてソリプシストのK(ラディスラフ・クリマ)の2人がその始まりと終わりにいる。

今ドボルザークの弦楽トリオを練習(ヴィオラ)しているところなのでドボルザークにも思いがとぶ。Opus74の第一楽章なのだが、どこかバロック的な香りがする不思議なエクリチュールだ。

スメタナとかドボルザークはいかにもボヘミアとかスラブらしさとかのロマン派バリバリのイメージで、それも嫌いではないのだが、この弦楽トリオが一作だけあって、それを弾けることはKの世界に別の方法で入っていく感じがする。

24日の生徒の発表会の後でこれを弾いて、翌日にプラハに出発である。
[PR]
# by mariastella | 2012-06-11 00:15 | 音楽

リジューの聖女テレーズを読み返すことにした。

リジューの聖テレーズは近代カトリック最大の聖女で「教会博士」の称号さえ獲得した人だ。

同じカルメル会で同じ名のアビラの聖テレジアも同じく教会博士でビッグネームだが、彼女は67歳まで生きて、かなり華やかな活動をしている。

24歳で死んだテレーズの方は、生前は修道院内でしか知られていなかった。

私は19世紀末のフランスの時代背景とからめてテレーズについて書いたことがある(『聖女論』筑摩書房)。

彼女の時代や家庭環境などから彼女の心理だとか動機などはよく分かる気がした。「かわいい」という感じもする。彼女のような「聖女」が時代のニーズと合致して、いろいろな意味での「奇跡」を起こしたことも分かる。

それでも、私には、どこか、彼女に夢中になれないところがあった。

濃密な情感がみなぎる16世紀スペインで生きた常軌を逸したような過剰な神秘家テレジアにはわくわくと魅惑されても、反教権主義の高まりとその反動のセンチメンタルな「女子供」のカトリックの香りが強い19世紀末のノルマンディの女の子テレーズにはどこか冷やかな目線で向かってしまうのだ。

テレーズはもちろん「ただ者ではない」一種の天才なのだけれど、その「小さき者の神学」も含めて、私を芯からインスパイアするものではなかった。なんだか、大人たちからよってたかって過剰解釈されているような気もしていた。

ところが、最近しばらくぶりにリジューについて調べていると、そのデジタル・アーカイヴの充実ぶりに感動した。

時代が比較的新しいこと、活動の時期と場所が非常に限定されていること、家族に複数の修道女がいることなど、その気になれば、彼女と彼女にまつわるすべての「言葉」を網羅することができて、実際、それがほぼ実現されているのだ。

彼女の書いたものや解説書はすでに結構な量を読んでいたけれど、アーカイヴのサイトを見ると、圧倒される。

http://www.archives-carmel-lisieux.fr/carmel/

ここにきっと、私が見落としていた何か、テレーズの魅力の決定的な発信源が隠れている予感がする。

テレーズは私にとって「知的」にはもう納得できた人物だったし、人間的にも共感できるパーソナリティだったが、その信仰の位相は実は異邦人だった。

このサイトを細かく読み上げていったら何が見えてくるのか楽しみだ。
[PR]
# by mariastella | 2012-06-10 00:35 | 宗教

ラカンとカトリック

ジャック・ラカンがカトリックの家庭に育ちイエズス会の教育を受け、弟にベネディクト会士がいるのは知っていたが、1974年にローマで記者会見をした時に、「本当の宗教とはどういう意味ですか」と聞かれて「本当の宗教とはローマ(カトリック)の宗教です」で答えていたとは知らなかった。

十字架のヨハネだとかシレジウスだとか、神秘主義者に興味を持っていたというのは分かる。

いわゆる「否定神学」にも。

カトリックのように一時期のヨーロッパの規範になり尽くした教義体系のある世界でそこから「突き抜けた」シンボリックな言葉で語る神秘主義者の世界は、必然的に精神分析学が探ろうとしている世界と似てくるということも分かるのだけれど。

ヨーロッパの知識人で、何らかのキリスト教の影響なしに思想を構築した人なんて存在するのだろうか…
[PR]
# by mariastella | 2012-06-09 01:07 | 宗教

アンチ・フリーメイスン

フリーメイスンについての本の構成が固まってきている。

昔、岩波の『グノーシス 影の精神史』の中で『フリーメイスンとグノーシス主義という一章を担当したことがある。その時に、独立してフリーメイスンの本を是非、と持ちかけられたのだけれど、どのようなアングルで取りかかっていいか分からなかったので辞退した。

フランスのメイスンとアングロサクソンのメイスンとの違いや、それぞれの宗教や社会や「近代化」との関係はいろいろ分かっていたのだが、それと、私の直接知っているフランス人のメイスンたちの活動や、ロビーイングや人脈作りのあれこれをどう統合するか分からなかった。

そのうち、フランスのフェミニズムとメイスンの関係が、また別のテーマとして現れた。

最近では、大統領選で極左の候補として人気を博したメランションがメイスンであることにも注目した。

これらのさまざまなアプローチを整理して俯瞰するには、やはりヨーロッパにおけるカトリック教会の変遷、ユダヤ人との関係、自由思想や無神論の流れを通さなくてはならない。

フリーメイスンを語るには、さまざまなグループを弁別することはもちろん大切だが、はっきりと、フリーメイスンの歴史を語ることと「アンチ・フリーメイスン」の歴史を語ることとを分けることが大切だと、今は思う。

さらに言えば、フリーメイスンを語るには、「アンチ・フリーメイスン」とは何であったか、何であり続けるのか、を見ることが絶対に必要だ。

「無神論」を通してはじめて、人々の神に託すイメージが明らかになるのと同じだ。

私はもちろんフランスからの視点を中心にしているのだが、今はインタネットのおかげで、歴史的なアンチ・フリーメイスンの文書の原典にが比較的簡単に読める。それらを調べ上げた研究サイトも少なくない。その豊かさは無神論の場合と匹敵するほどである。また。ユダヤ人メイスンやカトリックのメイスンに対する論考も考えさせられるものがたくさん読める。

このテーマについて長年考えてきたおかげで、今や、何を読んでも自分の中のしかるべき文脈にすんなり入っていくところが便利だ。

今日的だと思うのは、何でもかんでも「情報開示」や透明性を求めるという現代の風潮のルーツとアンチ・フリーメイスンとの関係だ。もちろん「陰謀論」の隆盛とも表裏をなす。

ポピュリズムは、「エリートの秘密主義」をいつもスケープゴートにしてきた。それは「選ばれた人(民族)」の持つとされる特権意識や排他性への嫌悪でもある。

権力によって抑圧されたり搾取されたりしている人は多いが、その権力を羨望、嫉妬している人もまた多いのである。
[PR]
# by mariastella | 2012-06-08 01:05 | フリーメイスン

ヴァティカンと情報開示

そのカリスマ性が万人に認められていた前教皇JP2は、彼ならでの外交を展開して歴史に影響を与えたが、「不透明」な部分もたくさんあった。

当時から教理省長官だったラツィンガー(現B16)の方が、小児性愛問題、財政問題についても執拗に追及しようとしていた。
まあ、だからこそ、彼が教皇になってから敵も多く作ってしまったわけだ。

聖職者がすべて財政音痴というわけではない。フランスのサン・ドニ司教は公認会計士の資格をもっているし、経済通もたくさんいる。
しかし、カトリック教会は世界の10億人以上がかかわる巨大なマルチナショナル組織なので、アメリカでの収支とアフリカの収支とを同列にはできない。大国の一都市よりも小規模なヴァティカンの行政組織が統括できる問題ではあり得ないのだ。

面白いのは、たとえB16がそういうヴァティカンの「改革」に手をつけようとしても、彼がドイツ人であることから、

「ドイツ人による改革」=「ルターによる宗教改革」

という連想が働くので、多くのヴァティカン人が抵抗を感じる、という話である。

そんなことは思いつかなかった。もちろんヴァティカンの要人は年配者が多いので「改革」には消極的という心理も分かる。

また、ヴァティリークスで蒸し返されたヴァティカンの「秘密体質」だが、これも、時と場合とモノによりけりなので、一国の政府だとか公共事業だとかの単なる不透明性や金持ちの税金逃れなどと違って、一律にバッシングや揶揄の対象になるものではないというのも分かる。

ある人が例を挙げていたが、たとえば、アメリカのある大富豪の未亡人が亡くなる時に莫大な遺産の半分をカトリック教会に寄付したいと遺言を残したとして、その詳細の情報開示が伴えば、子孫やら弁護士やら会計者らが出てきて大騒ぎになる可能性もあるわけだ。

何につけ、秘密というより「目立たない」ことを選択する智恵というのは理解できる。

しかし、内部の腐敗だとか、小児性愛や虐待のように、弱者救済というキリスト教の根幹の真逆にある犯罪の隠匿などは絶対に許さないで粛清するというのはB16の方針でもあるし、そこを曖昧にするのは、それに比べて大した内容ではない「秘密文書流出」などと比べものにならないカトリック世界全体の危機だと思う。
[PR]
# by mariastella | 2012-06-07 04:57 | 宗教

ファルハディの『別離』

Asghar Farhadiの『Une séparation一つの別れ』

日本でも『別離』というタイトルで上演中らしいイラン映画の傑作。

今のイランのような特殊な状況にある国なのに家族の抱える問題は普遍的だ、というような評が日本には少なくないのだが、フランスではその特殊性というか、政治的イデオロギー的な文脈の中で評されている。

今のイランの国際状況下でのアートの表現だから、それを抜きにしては語れないのだが、日本人から見ると、もっとエキゾティックかと思っていたら中流の家庭の中が意外と日本と似ているなあ、みたいな類似点に目が行くらしい。

もちろん人間性に深く分け入ってゆく普遍性は十分にあって、なんだかベルイマンの映画を見ているような気になった。

特殊な状況(娘を国外に出して教育したいという母の願い)から出発するのに、すごく日常的で家庭的な齟齬があり、悪夢のような展開になって、真実を探るミステリー仕立てになっているので緊張感が持続してストーリーテリングもすばらしい。

想定外の危機が連鎖するのを前にして、みんなが必死にサヴァイヴァルするのだが、その戦略に、自分の理念だとか原則だとか、愛情とか誇りとかをどう折り合いをつけるのかというスリリングな話だ。

政治的にも宗教的にも社会的にもさまざまな矛盾が意識化されている世界だからこそ、それぞれの生き方の選択の苦渋も、より露わに見えてくる。


俳優がみな素晴らしい。

イランやイスラエルのアーティストたちがからめ手から今の状況にどんどん問いを投げかけ続けると、いつかいい方向にブレイク・スルーが起こるかもしれない。

ファルハディの次作は、マリオン・コティヤール主演の社会派スリラーであり、秋にフランスで撮影されるらしい。

楽しみだ。
[PR]
# by mariastella | 2012-06-06 01:49 | 映画

l'église Saint-Nicolas-du-Chardonnet

今、カトリック界はヴァティリーク(Vatileaks)にまつわる陰謀論で騒がしい。

先日、聖霊降臨祭の日曜、カルチエ・ラタンの真ん中にあるサン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会église Saint-Nicolas-du-Chardonnetの中に初めて入った。

ここはもう長い間ルフェーヴル司教のカトリック教条主義派(聖ピウス10世会)が占領した形になっていて、第二次ヴァティカン公会議以前の典礼を守って古式豊かなラテン語でミサを捧げている。

極右人民戦線の大統領候補だったマリーヌ・ル・ペンも3人の子をこの教会で洗礼を受けさせた。占拠が1977年で、私は、その前にこの有名な教会(聖ニコラウスの骨から出た水とか聖ヴィクトワールの右足とか聖遺物もたくさんある)を訪れる機会を逸したまま、1988年にJP2がルフェーヴルを破門したのでなんだかますます近寄りがたくなっていた。

ところがここは、17世紀の聖ヴィンセンシオ・ア・パウロや愛徳姉妹会の最初の教区であり、ゆかりの建物も周りにたくさんある。愛徳姉妹会のシスターたちにとってはぜひ巡礼に訪れたい場所でもあるのだ。

けれども、もちろんカトリックのシスターたちは、そこに出入りしないようにと言われていた。彼女らの「制服」のせいで、明らかに所属が分かるからだ。

2009年に現教皇B16が彼らの破門を解いたので、事態は好転するかと思えたが、メンバーのナチスのガス室はなかった発言などが蒸し返されて、また緊張状態にある。

でも、先日は、日本から来ていた愛徳姉妹会のシスターが、死ぬまでにもう一度この教会に入ってみたいというので、聖霊降臨祭のミサ中のシャルドネ教会に寄ってみた。

ちょうど説教中で、しかもその声がスピーカーを通して外にまで聞こえていて、扉の前で何人かの人が聴いていた。そばには修道院グッズを売る露店が出ている。入口には肩をや足を露出した格好で来るなと注意書きが張り出してある。

おそるおそる中に入ったら、女性のほとんどがヴェールなどで頭を覆っているのが眼についた。日本のテレビで年末に見る長崎の教会で白いレースの布を被っている信者の姿とか、アンダルシアの教会で黒いヴェールのマンティーラを被っているスペイン女性たちを思い出す。フランスではめったに見かけない。これなら、ヴェールをかぶっているシスターの方が私より目立たないかも。

説教では、カトリックという言葉が頻繁に繰り返されていた。

いかに彼らが真のカトリックであり続けるために、前の教皇、今の教皇に従わないという苦渋の決断を迫られたかを切々と述べるのだ。

説教の内容が自分たちの立場の擁護だというのは、やはり、この教会内部だけの小世界というセクト性が際立つ。
1988年以来、いやここを占拠した77年以来、もう35年も、そのような自己の正当性と正統性の主張ばかりを糧にして語り続けていたのだろう。

けれども、その後で、「今の教皇は新しい可能性を我々に与えてくれるかもしれない(offriraitと条件法)」と言い始めた。

それを聞いた少し後で教会を後にしたので最後までは聞かなかったのだけれど、その言葉に彼らの素直な「希望」が込められていて、なんだかほっとした。

教会にはかなりの人が入っていて、年配者も多いが、若い世代も決して少なくない。新しい世代には新しい希望を与えるような言葉が必要だ。
それまで言葉が通じていなかった人々を劇的に結びつけたという聖霊降臨記念の日には特に。

B16は、外交センスや政治手腕などに欠けて、側近に「丸投げ」するタイプのインテリ教皇なので、いろいろな問題の渦中にいるわけだが、彼の誠実さや、すべてのキリスト者とつながりたい、すべての人を大きな意味の教会に迎え入れたいという痛切な思いは信じられる。長いスパンでみると、彼の決断の多くはよい流れに向かうと思う。

でもヴァティカンの仕組み、省庁の横のつながりがないとか、昔は世界中の司教と一対一で話していた教皇が今はグループでしか謁見しない(健康上の理由もある)とか、制度、組織としてのカトリック教会はいろんなところで齟齬をきたして、悪意や権力欲やエゴイズムが跳梁できる場になっているのだろう。

今年は第二ヴァティカン公会議の50周年でもある。

50年前の聖霊の播いた種はどう育っているのか、それがいよいよ、本当の意味での刷新につながるのか、探りたい。
[PR]
# by mariastella | 2012-06-05 19:26 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧