Q : 各市町村も、彼らのできる範囲で貧困と戦いました。どのようなものでしたか?
A : 1796年以来、各自治体が福祉事務所をが設け、生活困難な家庭に臨時の給付を行うようになりました。当時の記録には、子供を養うための給付の対象になった母子の名が残っています。この事務所が社会活動センターとなりました。 現在、南フランスの自治体の中には、家賃が高すぎて住居を確保できない季節労働者のための住居を用意している場合もあります。 Sekko : 季節労働者というのはバカンスシーズンにホテルやレストランで働く人たちや、農作物の刈り入れのシーズンに農場などで働く人たちだろうか。そのような産業は自治体にとって重要な税収ももたらすものだろうから、人手不足にならないように自治体が住居を確保するというのは理解できる。でも、季節労働者は基本的に単身だろうから、住居の提供は家族連れよりハードルが低いだろう。やはり子供もいる定住の工場労働者などの生活環境の改善の方が深刻な課題となる。
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by mariastella
| 2025-12-30 00:05
| フランス
Q : 当時の労働者は、生活条件を向上させるためにどのように戦ったのですか?
A : 1884年までは、労働者による結社は全て禁じられていました。結社自体の違法性はその20年も前に削除されていたのにもかかわらずです。それでも、労働者は、スト中の生活費を支える口座や相互の救済組織などをつくり始めていました。1884年のWaldeck-Rousseau法以降は、労働組合や共済システムが発展しました。第二次世界大戦後にできたCoopのシステムの多くは工場労働者の運動に起源を持っています。消費に特化した共助システムで、一括購入で安くした製品を販売することです。労働者自身が相互組織をつくるというシステムは今も続いています。たとえば、今回の展示をしたルベは貧困率が高い都市ですが、相互援助のアソシエーションの運動は非常に活発です。 Sekko : 自助、共助、公助という言葉があるが、組合などはまさに共助システムだろう。フランスで「公助」が発展したのは、フランス革命で一時期カトリックの修道会による福祉システムを追放したので、「共和国」がそれを補うことを余儀なくされたからだ。 「自助」も「共助」も不可能で、「公助」の恩恵からも外れる「周辺」に追いやられている人たちを修道会や信者の団体などが、丁寧に見回りして見守る、援助するというのは今も続いている。町の中で道を回って、ホームレスやら病気の人を援助したり、貧困状態にある人の家を回って援助物資を届けたり話を聞いたりすることはフランス語でマロードmaraudeと呼ばれている。 この言葉に当たる日本語は何だろうと、翻訳機能で検索したら、なんと、「畑荒らし、家禽(かきん)泥棒]となっていたので驚いた。「盗む。うろつく」ともあるが、人道団体が「うろつく」のは援助のためであり、こんな風に意味が逆転した事実にはなんだかほっとする。 常にマロードをするマルト会は、貧しいから助けるのではない。自分のせいではないのに社会的に貧困に陥っている人は、無実なのに処刑されたイエスと同じだ、といいう。 仏教なら前世の悪いカルマの報いなのだから、今は来生のために良いカルマを積め、というのがスタンダードだ。貧者を助けるのも「善いカルマ」につながるだろう。 一方、そもそもイエスの受難がスタートであるキリスト教では、難儀している人の中にイエスを見ることで、自分にとっての相対的弱者に寄り添うのはイエスに寄り添うことだ、という理屈になる。 マルト会のメンバーの話では、フランスの行政上の貧困ラインは月収平均値の1100€以下で暮らす人となっているものの、この「平均」は富裕層が押し上げている。毎日の節約を強いられたり、食事を抜いたり、野菜果物などを十分に手に入れられない人は500万人から1千万人にも及ぶという。 #
by mariastella
| 2025-12-29 00:05
| フランス語
Q : 展示の中で1936年のデモの写真に、「我々は生きたいのだ、疲弊したいのではない」というスローガンがありました。これは現在のデモのスローガンにもなりそうですが…。
A : その通りです。社会運動というのは、その歴史を通して、たとえどんな条件下でも働く、ということの拒絶の表明です。スローガンとして繰り返し現れるのは、「賃金の値上げ」と「住居の確保」でした。これも今と同じです。昔も今も、安い住居を見つけるのは簡単ではありません。しかし、住むところがなければ、個人としても家族としても自らを築き上げることはできません。安全だと感じるには自分の住まいが必要です。プライバシーを保つことができ、子供に安定した通学を保証できる住まいです。 Sekko : いわゆるホームレスの人に、「町の光景のひとつ」としてでなく「関係性の中」で出会ったのはこれまでに一度だけだ。 別の修道会のシスターといっしょに炊き出しに参加したこともある。 日本でも福祉にカトリック修道会に存在感があるのはやはりキリスト教の伝統だからだろうか。 以前の記事を検索してみた。 この下にある記事は15年前のもので、読み返してみると、残念ながら隔世の感がある。修道会は今も頑張っているとはいえ、政府はすっかり新自由主義経済がデフォルトになり、弱者のために税金が使われることに不満を持つ人が多数派になっている。 #
by mariastella
| 2025-12-28 00:05
| フランス
(前の記事の続きです。)
Q : 展示されている文書の多くは、貧困についてどのような視線が投げかけられていたかを物語っています。しばしば道徳について問題にされています。貧困に関して当時もっとも一般的だった偏見はどのようなものですか? A : この貧困が社会のシステミックな問題であるにもかかわらず、19世紀には個人に対する罪悪感の押しつけが優勢でした。つまり、貧困の状態にある人は自分で貧困を招いたという考え方です。怠け者だとか、家計の管理ができないとか、貧困から抜け出す努力を何もしない、などです。家族も同じで、子供たちに十分な教育を与えていない、自力で食べていける工夫をしていない、などです。それらの考え方、偏見は、21世紀においても決してなくなってはいません。 Sekko : 前述したように、私も私の家族、知人、友人には「貧困」状態にある人がいない。それでも、いや、だからこそ、この問題をどう考えるかのヒントを得宅でこのインタビューを読み始めた。(1問ごとにここにメモしているので続きを読まないままコメントしている) でも、ここで批判されている、怠け者、日常生活の管理ができない、向上心がない、などという要素は、私自身の日常にささってくる。 するべきことがたくさんあるのに、安易な方に流れて時間を浪費する、自分に課しているはずの毎日のノルマも、週間や月間の予定もどんどん先延ばしになっていく、そもそも、今より堅実で勤勉な生き方をしてより良い結果を出そう、という確固とした気持ちが起こらない。こんなことでは、物質的貧困はともかく精神的貧困に陥りかねない。 19世紀末で貧困にあえぐ労働者に向けた説教に、21世紀で生活に困っていないシニアが襟を正すというのはいったいどういうことだろう。 社会の構造的な不平等や貧困を正すべき立場にある政府やら起業家らも同じではないだろうか。 さらに読んでいこう。 #
by mariastella
| 2025-12-27 00:05
| フランス
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ランチの二回目のサービスだったのですいていました。 ![]() シェフのお任せクリエイトのメニューだったので、一つ一つ口頭で説明を受けても、全部理解できないばかりか短期記憶定着できず、ただ味わうばかり。 (私はラングスト海老とか生牡蠣をパスしています) ![]() このツブ貝、ソースが絶品でした。 ![]() これは、一種のパンを皿の中のソースにつけて食べるもの。 ![]() これはおかわりOKのパンとバター。パンがおいしいのはフランスでは珍しくありませんが珍しかったのはこのバターで、蜂蜜も加えてあるのが塩味とまろやかにマッチしていました。 ![]() ラビオリにトリュフのスライスをのせたもの。 ![]() 一見して肉の固まりかと思った煮込みビーツ。味わい深いまろやかな歯応えでした。 ![]() どの皿も、テーブルでソースをかけてくれるので、ソースをかける前に撮影。ホタテ貝です。これだけで絵になるプレゼンテーション。 ![]() ソースを注ぎます。 ![]() その上にトリュフをスライス。こういう全プロセスが食事の一部になっている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 「お子様ランチ」世界とは別のそのような空間をはじめて意識したのは5歳の時でした。サーバーがテーブルの傍にずっと控えているフランス料理の最初の記憶は10歳。もちろん、いろいろな観光地、クルーズ船、などでの贅沢な食事の記憶が、胃袋だけでなく全体の雰囲気やプレゼンテーションなどが全部合わさったものになっていて、美しい曲のヴァリエーションをいろいろな演奏者、指揮者、コンサートホールなどで何度も聴いた記憶が一つのイメージを形成しているのに似ています。 と、今回初めてそんなことを思いました。もうこんな贅沢ってする必要があるのだろうか、各皿の複雑な説明をすらすらと覚えているこの従業員さんたちは、一度でもこのテーブルでこのメニューを食べているのだろうか、いや、世界中の戦地、内戦地、難民キャンプ、災害の現場などに暮らす人たちは? などと考えてしまいます。 私にとって一流レストランで癒されるのは、食材の組み合わせとプレゼンテーションに欠ける料理人の美意識とクリエーションというアート体験です。このレストランのように画家などアーティストの作品も配して空間もクリエイトしている「全体」を胃袋に至るまで体験できることはすばらしいチャンスだと思います。 阪神淡路大震災の後に被災児童をエールフランスがパリに招いてインターコンチネンタルホテルでコンサートを催したことを思い出します。(私も仲間たちと参加しました。) ルカ・カルトンでの食事によって、「贅沢な食事」などと切り離されている世界中の子供たちが、生のアートを食事と共に分かち合えるという世界の実現を願う心をあらためて呼び起こされました。 #
by mariastella
| 2025-12-26 00:05
| グルメ
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