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L'art de croire             竹下節子ブログ

la beauté と le beau の違い

普通の日本人はbeau というと「美しい」という形容詞(の男性形で女性形はbelle)で、la beauté というと「美しさ」とか「美」という名詞だと理解している。
la belle というと、「美女と野獣」のように「美女」となる。
でもこの他に「le beau」というのもある。これは別に「美男」le bel hommeではなく「美」なのだが、では、la beauté とle beau の違いは何かというと、それを明確に言える人は少ない。

でも、この使いわけは、例えば、私が音楽仲間と演奏している時に出てくる言葉は必ず「le beau」であって「la beauté 」ではない。

la beauté は主観的で、「見た目」が主で、言葉で言い表せないし、見ることもできない「超越的なもの」につながるもの、与えられているものに、le beau が現れる。

すると最近、テレビでおもしろいことを言っていた。

AIにla beauté を検索させて、それに当てはまる人間の姿を映してもらったら、「美女」の姿が出てきた。もちろんステレオタイプの美女で、髪は金髪で長く、顔立ちはコーカソイド(白人)、胸が大きく、ウェストが細く、腰がはっているというキム・カーダシアン型。AIはネット内の「美」に関する映像をすべて検索して最大公約的美女の姿を出したのがそれだった。

その時の解説が、la beauté とは le rapport de force である、というものだった。つまり、力関係で、それは、時代や場所によって変わる。多く検索される、多くの金を稼ぐ、多くの人の憧れの対象になる、商売道具になる、スタンダードになる、ランク付けの対象になる、などだ。

いい得て妙だと思った。

ある音楽や絵画や建築や衣服が「美しい」という時、それは時代の基準、社会での位置づけに関連しているかもしれない。それは la beauté のレベルなのだ。

Le Beau は存在する。

朝日の光かもしれないし、雲の動きかもしれない。

le beau に参入したりつながったり存在の根を揺さぶられたりすることはなんという「恵み」だろう。
パワーバランスとは無縁の世界がそこにある。



# by mariastella | 2024-12-28 00:05 | フランス語

袴田ひで子さんへの手紙

袴田巌さんの無罪判決が出た時にこういう記事を書いた。



その後、検察が控訴せず無罪が確定して、あらためてよかった、と思ったが、私のこのブログを読んだ方から、10月22日の私のトリオのコンサートに袴田さん姉弟をぜひ招待したい、と言われて驚いた。袴田さん姉弟はなんと浜松にお住まいなのだ。

お姉さまのひで子さんはあちらこちらでのお祝いの席に招かれていらっしゃるのでスケジュールは合わなかったし、巌さんもコンサートを聴ける状態ではないということで実現しなかった。
でも、コンサート会場が浜松のカトリック教会で、巌さんが死刑確定してからカトリックの洗礼を受けたり2019年の教皇訪日ミサに出席されたりなどの経緯があるし、キリスト教関係のグループは再審や無罪確定に至る道で力になったのだと思う。

でも上のブログでも触れたけれど、カトリック教会が掲げているのは「死刑廃止」なので、厳密にいえば、有罪だろうと冤罪だろうと、死刑そのものを弾劾している。

私も何度も書いてきたけれど、私的な報復、復讐、敵討ちなどを法で規制して、「あなたの大切な人を殺した人は国が請け負って殺します」という死刑制度ではなくて、「あなたやあなたの大切な人が罪を犯したとしても国が殺すことはしません」という国の方を支持する。
その延長として、兵役、徴兵などによって「あなたやあなたの大切な人が殺されたり殺したりする戦場には送りません」とセットになっていてほしいのだが。

昔、死刑囚に私の本を差し入れるという方から献辞を求められたことがある。
私の本は私の分身でもあるから、その時以来「死刑囚一般」という感覚はなくなった。いつも、死刑、死刑囚、家族、弁護士、判決を下した裁判官などをめぐる思考が続いている。


でも、袴田さんの場合は、また別だ。もちろんいったん死刑判決を受けたからには、「死刑制度反対」の運動が命を救う助けになるとしても、冤罪、無実の罪をどのようにしてはらすのか、というより深刻な問題があった。

で、浜松教会でのコンサートの数日前、お世話してくれたカトリック信徒の方から、袴田姉弟をお招きできなくても、私の言葉を伝えたいので手紙を書いてくれないかと頼まれた。

それはプリントアウトされて袴田家に届けられたという。

最近、検察総長が「謝罪」に赴いたことについて、いろいろな記事が出ているのを目にした。少なくとも、控訴を断念したとしても、最後まで検察は有罪を主張していたわけだから、微妙だというのは分かる。

で、何となく、気になるので、私の「手紙」をここに覚書として残しておこうと思う。

・・・・・・・・・


袴田巌さま、ひで子さま、

最初にフランスでヴァティカンニュースで巌さんの無罪判決を聞き、ひで子さんやご支援の方々の決して揺るぐことのなかった信念に支えられた戦いの勝利に歓喜しました。世界中で、戦争や災害、不当な生存条件に置かれている無数の人たちのことを思うだけで悲観的になっていたこの頃でしたが、その闇が切り裂けるような光明だったからです。
何十年も決して諦めず、扉が開くまで叩き続けたのは、ひで子さんだけでなく、ご両親、多くのご支援の方々による力の「和」だということから大きな勇気と教えをいただきました。

それだけではありません。

カトリック教会をはじめ国家が人の命を奪う死刑という制度に断固反対している方々がいたからこそ、巌さんの死刑は執行されずに来ました。
でも、私にとって一番大切だったのは、死刑執行が停止になって釈放されたことではなく、巌さんに対してなされた「不正」が是正されることでした。
私は死刑と言う名のすべての殺人に反対です。
ですが、罪の有無にかかわらずあってはならない死刑と、無実の人に殺人者の名を冠した死刑とでは戦いの意味も悲痛さも違います。無実の人を殺人者と決めつけるのは、もうすでに、その人の最も大切な部分を破壊することだからです。
だからこそひで子さんは戦われました。巌さんを死刑から救うだけでなく巌さんの魂の尊厳を救うためだったと思います。

カイロで最貧の子供たちの尊厳を守るため、スラム街で生きて環境改善を訴えるために国際社会までを動かしたシスター・エマニュエルという修道女がいました。彼女の言葉にこういうものがあります。

「私が欲しいと言っているのは哀れみではありません。公正です。私が他者を助けるというときは、この世界がどっぷり浸かっている恐ろしいまでの不正を減らすためなのです。」

巌さんの無罪確定は単なる手続きの連鎖ではなく、長きにわたる不正が正されたと言うことだからこそ、不公正や不平等の世界に生きる私たちを勇気づけてくれたのだと思います。

99歳で亡くなったシスター・エマニュエルはこういう言葉も残しました。

「人生の中で決して諦めてはいけない。決して立ち止まることなく戦い続けなくてはならない。そうすれば、必ず、必ず、求めるものが得られる。」

ひで子さんがまさに戦い続けて勝利を勝ち取ったことはご両親や巌さんのためにだけでなく、不正に立ち向かう全ての人を力づけてくれました。
ありがとうございます。

私たちはささやかでも、それぞれ違った形で、光の側の世界へと共に向かう喜びを分かち合えたらと願っています。

音楽はハーモニーなしでは成り立ちません。
演奏者と視聴者が共に耳を傾ける時にだけ生まれる「めぐみ」です
生きる糧となり、慰めにもなるような音楽をお届けできたら幸せです。

・・・・・


# by mariastella | 2024-12-27 00:05 | 時事

マヨット、フランス、アサドの「声明」、シリア情勢、

これを書いているのは12/21、
今の時点で、フランスはまだ内閣の組閣ができていない。
23日夕方、発表された。過去の首相経験者が2人入っているし、相変わらず極右、極左からは不信任案で弾劾すると脅されている)

政治的カオス状態のところに、「ノートルダム再開セレモニー」で一息ついたと思わせた時に、シリアの政権転覆とフランス海外県マヨットが大型台風に直撃されるという事件が重なった。


このことでマクロンもバイル―も自分の首を絞めている。

マクロンは、マイヨットに駆け付けて2日間滞在したのはいいとして、苦境を訴えて叫びマクロンを非難する人々を前にして、「君たちはフランスの一部であるという幸運を分かっていない、フランスでなかったらどんなM..だったか」という趣旨の言葉で反撃した。(M..は、コロナ・ワクチンを打たない人に対しても発した卑語で、マクロンって、教養があるのかと思っていたら、結局こういうタイプだったのだ。サルコジの言葉遣いを思い出す。)
対照的に、大雨の被害に見舞われたセビリア地方を見舞ったスペイン国王夫妻は、地元民から非難の言葉を浴びせられても、反論などしなかった。

マクロンは徹底的に上から目線で、フランス最貧の海外県に差別的態度をとったわけだ。国家元首としての尊厳とは無縁だ。

彼の発想は多分、この島の「住民」のかなりの部分がコモロからの不法移民だということから来ている。嵐で壊滅したスラムを形成している大半はこのコモロ移民(アフリカ大陸からの移民もいる)で、といっても、出生地主義をとるフランスは、マヨットで生まれたコモロ人の子供にすべてフランス国籍を与えている。で、「人口減少」に向かうフランスの中で、最大の出生率と人口増加を誇るのがこのマヨット県だという皮肉な事態がある。貧困率は60%にも上り、実際、通常時においても政府からの「援助」はかなりの額になっている。


(もともとマヨットもコモロもフランスの「保護領」で、1975年に、マヨットはフランス領に残る決定をし、コモロと別れたという経緯がある。その前にも、「砂糖」に目をつけたイギリスやらオランダなどが「黒人奴隷」を連れてきたなど、植民地主義時代の歴史が綿々とある。フランスがコモロ諸島を「買った」のは1940年?)


一方、新首相のバイル―はと言えば、組閣もせぬまま、マヨットにも駆け付けずに、市長を兼任しているポー市の市議会に出席したということで、ぐっと信頼度を落としている。バイル―はもとキリスト教民主主義の政治家で、最初は期待して協力したマクロンよりも、ずっと庶民の側に立つ人だと思われていたのに、みそをつけたわけだ。すぐにマヨットに行って、何を言われてもじっと耳を傾けていたらマクロンと差異化できたのに。

(2015年のウエルベックの大ベストセラー『服従』は、2022年の大統領選で極右に勝ったムスリムの大統領が首相をバイル―に指名したという話が出てくる。バイル―ならうまくやれるしカトリックも安心するだろう、という発想だった。)


で、シリア。ダマスカスの大学でまだ男女共学はあるけれど、女子学生はアバヤの着用、体をたっぷり覆う服装などを事実上強制されているという報告があった。新政権は、女性の権利を考慮した憲法の作成にかかっているそうだが、それって、基本はシャリア法だけれど、女性の地位について部分的に緩和する、ということで、性別、宗教などを問わない基本的権利としての平等とは明らかに別物に見える。これからどうなるのだろう。


と、また藤永茂さんのブログをのぞいたら、アサドの声明というのが載っていた。この通りだとしたら、大手メディアから聞こえてこないのはなぜだろう。次の日にもアサドがいかに「普通の人」なのかという記事があった。情報が飛び交う中でこれらをどう位置付けていいかまだ分からない。でも忘れないように貼り付けておこう。







# by mariastella | 2024-12-26 00:05 | 時事

クリスマス、おめでとうございます

今年も無事に静かなクリスマスを迎えることが出来ました。

中東のキリスト教徒のことを思うと胸が痛みますが、キリスト教徒が迫害されてきた歴史の長さを思い、それでも「キリスト教」というものが綿々と続いてきたこと自体に感慨を覚えます。

無心な赤ちゃんを見ると、誰でも自然とほほ笑みたくなります。その赤ちゃんがほほ笑み返してくれたりすると、幸せになります。

十字架のイエスを見るとつらいですが、赤ん坊のイエスの姿を広めたアッシジのフランチェスコのおかげで、とりあえず幸せなスタートが伝わります。

誰が言ったか忘れましたが、企業などで使われる「プランB」(それまで続けてきた計画が頓挫した時に発動される次善の策、代替プラン)という言葉を使ったジョークがありました。

神は、創造した人間たちが次々と罪を犯すのを見て何とか救おうと、あらゆる手を尽くしたのに、人間は罪にとらわれたままだった。そこでプランBとして、自分自身が「受肉」して子なる神として降臨することにした。普通のプランBは「次善」であり、プランAよりは見劣りするけれど、神のプランBはすごい。プランAを根本から変えた。

というものです。(人生での頓挫の後も、ひょっとして画期的なプランBが可能かも。)

特に「受肉」を徹底して「赤ん坊」の形で送ったことは確かに画期的(アダムとイヴは最初から成人だった)で、たとえその後の「受難」という厳しい展開があるにしろ、とりあえずスタート時点でみなが「やさしいこころ」になって癒されるのはそれだけで少し救われるかも。

このところ、クリスマスツリーはピンク、ブルー、金と赤というローテーションだったのですが、今年は「緑」に変更しました。(後ろの窓に見える背の高い木は、今のうちに来てはじめてのクリスマスツリーが成長したものです。)
クリスマス、おめでとうございます_c0175451_01382247.jpeg
LEDの飾りはここのところずっと同じもの。
クリスマス、おめでとうございます_c0175451_01390018.jpeg
フランスでは一般に家庭でのクリスマス・ツリーは普通1/6までと言われますが、うちは町のデコレーションと同じく1月末頃まで置いておくので片付けはまだ先でほっとします。
田舎のうちがあったフランドルの村ではイエス誕生40日後の神殿奉献の日である2/2のLa chandeleur までツリーがOKというのが普通でした。1/6の公現祭にガレットを食べて、2/2にクレープを食べて、と、冬の民俗行事とカトリックとグルマンディーズが全部習合しているのが、今も続いていて、しかも、商業化による「消費行動」に集約されています。
でも、クレープの日が終るとはっきりと日照時間が長くなるのが実感できるので、うまくできていると思います。

少し前までは、そして今でもフランスの「地方」では、ツリーよりも、またツリーと同じくらい、日本で「馬小屋」と呼ばれる、生まれたばかりで飼い葉桶に寝かされた赤ん坊を見つめるヨセフやマリーや動物を配したセットが大切なデコレーションでした。アッシジのフランチェスコに端を発したと言われ、昔は実物大の馬小屋がどの教会にもありましたが、フランスでは、特に革命以来すべて消滅したので、ミニチュアの馬小屋が家庭に入るようになりました。有名な南仏プロヴァンスのサントンは、馬小屋だけでなく、ベツレヘム全体を再現しようとするかのように拡大していきました。
 
クリスマス・シーズンに13万トンのチョコレートが消費されるとかいう今のフランスで、どこかの戦地や被災地で生きようとする赤ん坊や子供たちを思う時、旅先の馬小屋で母と養父に見守られて眠る幼子の姿は何を伝えてくれるのでしょうか。

イヴのミサがあった教会。
始まる前に写したので「馬小屋」にはまだ赤ん坊が入っていません。
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# by mariastella | 2024-12-25 00:05 | 時事

クリスマス・プレゼント

12月上旬、日本から小包が送られてきました。

うちの猫ズは、スーツケースや小包が大好きです。
中には絶対に自分たちのおもちゃや食べ物が入っていると確信しているようです。

実際、私が日本から戻った時のスーツケースや日本から送ったり送られたりする小包にも猫ズのためのものが入っている確率は高いのです。(たとえば薬を混ぜて食べさせる時に、普段のものだとなかなか食べてくれないのですが、日本のキャットフードなら味の比較が曖昧なせいか食べてくれるので。)

で、小包が着いてすぐに基地確保するナルくん。
クリスマス・プレゼント_c0175451_06220089.jpeg
実際、おもちゃやキャット・フードもありましたが、クリスマスまでお預け。

で、その代わりに、空にした小包を横にして上の穴を少し広げ、まわりには、もう残り少なくなった今年の猫写真日めくりカレンダーの猫さんたちの写真をはりつけました。
このカレンダーは毎日剥がした後に裏がメモ用紙として使えるようになっているのでたまっていたのです。

で、猫ズは中に入ったり上に乗ったり、上の穴から攻防を繰り返したりして楽しんでくれています。一足先のクリスマスプレゼントになりました。

クリスマス・プレゼント_c0175451_06223672.jpeg
かわいい。「猫の手も借りたい」忙しい年末にこんなコラージュをした自分にあきれながらも満足しています。(ネットでかわいい猫ビデオをついスクロールして時間を無駄にした後は、後悔と自己嫌悪ですが…)


# by mariastella | 2024-12-24 00:05 |



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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