忘れないうちにメモ。 うちには相変わらず英語雑誌が定期的に回ってくる。 ニューヨーカーは読み切れなくて、欠かさず読んでいるのは、巻末のヒトコマ漫画のキャプションコンテストくらい…。でもこの雑誌はいつも表紙がすてきだからそのうちコラージュ作品に使うつもり。 ざっとだけれど一応まじめに目を通すのはThe Atlanticなのだが、この雑誌の4月号はインパクトがあったので保存することにする。 その後に、アーノルド・シュワルツネッガーの記事があった。75歳を超えたターミネーターの転回点は、というものだ。何となく懐かしい。 彼がボディビルダー出身のアクション俳優で、カリフォルニア知事になったことは知っていたし、オーストリア人でカトリックだからやはりカトリック系のケネディ家の女性と結婚していたことなどについても書いたことがある。 この記事を読んで彼がまだ元気満々で「死にたくない」と公言しているのを知った。「私のような生き方をしてきた者は死ぬというオプションはない」という感じのコメントだ。そして彼の父(ナチスに結果的に加担した)へのわだかまりやら、それを通してアウシュヴィッツへの思い入れ、ドイツ=オーストリアのアイデンティティの根深さ(彼が若きボディビルダーとしてアメリカに渡った時は英語が喋れなかった。今は二重国籍) も印象深い。やはりドイツ=オースリア人の映画監督フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク(彼は一世代若く、身長2mを超える大男)とのコラボをさらに考えていることも知った。頼もしい。 ナチスドイツに席巻された国や地域の出身者においてその歴史やトラウマは消えることがないのだという感慨も覚える。 サンタモニカの彼の事務所に置いてあるという胸像。インパクトがある。 #
by mariastella
| 2023-04-28 00:05
| 時事
4月の中旬、週刊新潮の4/20号で沢木耕太郎と斎藤工の対談を読んだ。私は読んだことがないけれど沢木耕太郎の『深夜特急』という旅行記が、いわゆる観光案内ではない土地になじんだ滞在型の旅記録のはしりだったのだそうだ。沢木は団塊の世代の人で、高校生の時にこの本を読んだ斎藤工(一世代若い人)が刺激を受けてすぐに香港にひと月の一人旅に出たという。でも、私の世代だと、計画性のない貧乏旅行で社会を観察というのは小田誠の『なんでも見てやろう』がすでにあったと思うのだけれど。 で、斎藤は現地でモデルの仕事もしながら滞在費を稼いだと言い、沢木は、現地の人と仕事をすることで実情が見えてくる、ただの旅行者だと旅行者相手の人としか会えないから、という風に斉藤の旅を評価している。
これを読んで、ルソーの『エミール』の中(第五章)にある若者の旅行論を思い出した。イギリス人は裕福な家庭が若者に世界を見せるために旅行に出すが、フランスはちがう、とか、フランスにいる外国人にフランスの感想を聞くと、たいていポジティヴなバイアスがかかっているからよくない、その人が自国に帰ってからフランスをどう思うかと聞くと本音が分かる、とかおもしろいことを言っている。 同じ章には、有名な「よそ者が少ない場所ほどよそ者は受け入れられる。受け入れる人が多い場所では受け入れられない」という一見逆説的なフレーズがあって、昨今の移民問題でもよく引き合いに出される。均質性の高い小さな規模の町なら、外国人を快く受け入れてくれるけれど、大都会のように、泊めてくれる能力のある人が多いところでは、かえってよそ者排除が起こるというのだ。 私が半世紀近く前にフランドルの村に行ったら、隣の人から、「ここで外人を見たのは、第一次世界大戦の時のインド人部隊、第二次世界大戦後のイギリス人、あなたは三人目」などと言われ、好奇心満々で招待してもらったことがある。それに比べると、すでに外国人も移民も難民もひしめくような大都会では、「よそ者」への警戒心が大きくなるというのは理解できる(日本では、均一性の高い地域でのよそ者の方がすぐに警戒の対象になるような気もするが)。
で、「現地の人」と交流しないと、本当に「よその国」や異文化は理解できない、という話になるわけだが、どうなんだろう。何十年も外国に暮らしていても、日本の眼鏡を通してしか世界を見ていない人もいるし、比較や優劣などでアイデンティティを語ろうとする人もいる。いわゆるバイリンガルだとかバイカルチャーと自称している人でも、本当に100%そうだなあという人に出会ったこともない。 ブログ文化が蔓延してからは、外国暮らしの日常やカルチャーショックなどについての「市井の人」の情報もその気になればいくらでも得られるようになった。愚痴や批判を面白おかしく書く人もいれば、一種のマウントを取ろうという人など、さまざまなバイアスもあるけれど、「個人」の体験を敷衍して比較文化的に掘り下げるポジションにあることは稀だ。 また、私も、21世紀に入る少し前から、日本とフランスの比較において、国の差よりも世代の差の方が大きいなあ、と感じることがよくあった。ネイティヴ日本人の私の「日本」は今の若者の日本とは違うし、何十年も共に生きてきたフランスの仲間との方が、警戒せずに安心して話すことができる。コロナ禍とそれにまつわる「生き難さ」をめぐっては、あらためて国民性や歴史(における民衆の成功体験など)の差も感じさせられた。 同時に、短いスパンであらわになったその差よりももっと深いところで日本とフランスの「相性の良さ」についてもより確信できたので、秋に出版予定の日仏論で紹介できるのが今から楽しみだ。 #
by mariastella
| 2023-04-27 00:05
| 雑感
フランス人は「偉大なフランス」のイメージが好き。だから王や神を必要とする。 (その王をギロチンにかけてしまう伝統もある) マクロンはジュピターから今やジュピターの息子で火山の神ヴュルカンVulcainになった。 2022 /7/14のインタビューでは、自分はジュピターよりもヴュルカンだと言っている。 ヴュルカンはローマ神話で「火と火山の神で鍛冶の神」。本来は火事を防ぐ。猛暑の後に Valcaniaという祭り。 国会内での対立を収めて鍛冶屋のように炎の中から何かを作り出す、というのだが、習近平を訪問したマクロンは相変わらずフランス王を演じているものの、フランス国内では何か言うたびに「火に油を注ぐ」」状態になっている。 (Vulcainの日本での表記をwikipediaで調べてみた。ウゥルカーヌス(古典ラテン語:Vulcānus)は、ムルキベル(Mulciber)とも呼ばれ、後にギリシア神話の鍛冶神ヘーパイストスと同一視される。ウルカヌスとも表記され英語読みのヴァルカン(Vulcan)でも知られる、とあった。)
ボルヌ首相の方は、マクロンが中国に滞在中の4/5に、年金改革反対のデモを繰り広げる組合代表者らと会談したが、決裂した。 後でマイクの前に立った時、強面ながら小柄で小顔にしわが目立ち疲れを隠すためかくっきりとルージュを引いて赤い上着を着ている姿は、両脇に立った背広にネクタイという姿の屈強な男二人と対照的でなんだか痛ましかった。 ジェンダーレス社会だなんだと言いながら、ボルヌ首相は「女性」性と共に「見える」しかないのだ。
一方で、社会福祉&連帯閣外相マルレーヌ・シアパが4月8日発売の『プレイボーイ』の表紙を飾ったことも話題になった。女性の権利についてのインタビューと共にファッショナブルな写真を載せているのだ。 『プレイボーイ』誌は今やインテリのムックなのだそうだが、シアパのしなやかそうな体と自信に満ちた美しさを見ると、ボルヌ首相がますます気の毒になってくる。 #
by mariastella
| 2023-04-26 00:05
| フランス
せっかくカルチェ・ラタンに来たのだから書店を少し見て回るが、これ以上「積ん読」を増やす余裕はないので、趣味の文房具に目を向ける。
もうすぐ日本に行くことが分かっているから、「かわいい文房具」に飢えているわけではないけれどつい購入。このノートがすてきだった。見ていて想像が広がる。いかにもビクトリア朝という感じのアナクロさも味わい深い。 表と裏。 #
by mariastella
| 2023-04-25 00:05
| フランス
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by mariastella
| 2023-04-24 00:05
| フランス
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