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L'art de croire             竹下節子ブログ

フランスのライシテについて その2

Q : ライシテは、フランスだけにある独自のコンセプトだと見なされることがよくありますが、今起きているのはそれですか?

A : いいえ。1905年の立法の前には、メキシコやアメリカのモデルが多く参照されました。そこでは「分離主義」が称揚されています。ライシテとは、言葉はフランス以外では必ずしも使われていなくても社会のオーガナイズの原理であり、フランス以外にも通用する考えです。
アングロサクソン圏では「secularism(世俗主義)」という言葉の方が好まれます。
この言葉の違いによって、アングロサクソン圏では、それが社会全体の動きに結びつきますが、フランスを含むラテン系諸国では国家による積極的な政策という形をとっています。

Sekko : ラテン系諸国はカトリック教会をベースにして形作られてきたから、「政治権力」と「教会の権威」というのが密着もしていたし、それ故の確執、戦いもあったから、主にカトリック教会を想定した政教分離であったわけだ。
アングロサクソン国ではプロテスタントが発展したので、社会における「住み分け」などの方向に進んだわけだろう。

# by mariastella | 2026-02-07 00:05 | フランス

フランスのライシテについて その1

昨年のクリスマス前の「待降節」に、ある市役所が建物の中にプレゼピオ(いわゆる「馬小屋」で、赤ん坊の姿のイエスの周りにヨセフ、マリア、動物、羊飼いなどを配する飾り)をしつらえると「ライシテ(政教分離)」に反していると抗議されて取り下げた。それは「entrisme」であるという声が上がったのだ。
entrismeとは日本語訳を見ると「潜入工作」とあるが、要するに、市役所のような公共の場所に、イエスの誕生シーンを置くことで、市民を密かに洗脳するというか、キリスト教のメインのシーンのひとつを知らないうちにインプットするのは政教分離に反しているというのだ。
これは特に今世紀に入ってから浸透してきたイスラム兄弟団などによるフランスのイスラム化を目ざすイデオロギー集団の発想で、昔は目立たなかったラマダンやイスラム・スカーフを少しずつ「見える」化してきたのは、まさにentrismeだった。

でも、キリスト教のシンボルについてはentrismeなどあり得ない。
政教分離法以来、国や自治体の所有になったとはいえ、十字架を頂いた教会がそこかしこにある。ゴシックやネオクラシックのカテドラルはインバウンド客を集め、観光立国フランスにとって大切な財産だ。クリスマスはもちろん、カトリックのカレンダーによる移動祝祭日である復活祭やイエスの昇天、聖霊降臨は祝日だし、8/15の聖母の被昇天、万聖節の11/1なども祝日になっている。
イエスの生誕のクリスマスはサンタクロースの商業主義を別にしても、日本の除夜と新年と同じく家族が集まる機会になっている。(友人たちとのパーティなどは大晦日。クリスマスが、実家で集まるタイプの家族の日)
その後の、公現祭のガレット、2月がイエスの「お宮参り」のクレープ、復活祭はチョコレートと、教会に行かなくても、食を楽しむフランス人の食文化と結びついている。
要するに、キリスト教はすでに風俗や風景の一部だから、密かに洗脳、などという必要がないし、市役所に飾られた「馬小屋」を見たことがきっかけでカトリックに改宗する人などいないだろう。いや、イスラミストにとってはリスクなのだろうか。

フランスはもともとゴール人、ケルト人にローマ人、ゲルマン人が多様に混血してできた国だった。パリはカトリック神学の中心地のひとつだったし、いつもユニヴァーサリズムを(少なくとも建前としては)掲げてきた。移民も多く受け入れ、ルーツや人種の異なるカップルの数もヨーロッパで群を抜いている。

第二次世界大戦後の地政学的状況から、政治的なユニヴァーサリズムは大きく揺らいだ。

旧植民地からを含む「移民対策」として、

ドゴール時代は、移民ひとりひとりに対して、共和国のユニヴァーサリズムに同意する「assimilation 同化政策)がとられた。

ミッテラン時代に、それが、移民を出身国や文化の違うそれぞれのグループとして受け入れる「integration 統合」となり、アメリカ化したサルコジ政権以来、すでにそれぞれの規範を持つ共同体が自由に活動できる「inclusion」へと変化した。グローバリズムの一環だ。

そういうアメリカ型の「ポストフランス」を掲げるグローバリストと、かろうじて残っているフランス風の歴史や文化やユニヴァーサリズムを意識して排除する「アンチフランス」の勢力とが手を組みつつあるのが今のフランスの状況だと言えるだろう。

共和国とカトリック教会との対立を終わらせるために120年前に導入された「ライシテ」の考えは、はたして今もなお機能しているのだろうか?

高等研究所で「ライシテの歴史と社会学」を教え、「現代フランスの宗教」「若者たちのライシテ」の著書があるフィリップ・ポルティエ(Philippe Portier)がカトリック・メディアのインタビューに答えたものを少しずつ読みながら意訳してみる。

(LA VIE No 4188 / 2025/12/8)

Q : 1905/12/9に成立した政教分離(正確には政府とカトリック教会の分離)はフランス史にとって重要なできごとでしょうか?

A : はい。19世紀以来議論されてきた「共和国のフランスとカトリックのフランスという二つのフランス」問題に決着をつけたからです。当然のものとして受け入れられていたそのライシテが、フランスにおけるイスラムの台頭によって、1990-2000にかけて再び議論されるようになりました。フランス革命以来の争点だったものが、社会におけるイスラム教のあり方について再燃したのです。
ライシテ法の条文の解釈をめぐって、「良いライシテ」の規範について議論されたわけです。(続く)



# by mariastella | 2026-02-06 00:05 | 宗教

今度は半年ぶりの健康見本市

このところ夏にナチュラリーの見本市に行っていたのに、冬にBien Etre (ウェル・ビーイング)と称する同様の趣旨のサロンの招待状が来た。ポルト・ド・ヴェルサイユの第一会場だ。ポルト・ド・シャンペレのパラプシー(始めた人が最近亡くなったそうで、去年は中止、今年は名を変えて「見えないものの真ん中に」というのがあるそうだ。)がなくなったせいか、健康とは直接関係なさそうな手相見やタロット占いなどがけっこうブースを出していて、すごい人だった。
去年はこれ。

見本市会場の前の建物にびっくり。
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第一会場で、満員なのを見ると、フランスはまだ戦場になっていないんだなあ、これだけの数のシニアにとって一番の関心事は自分たちの健康なんだなあ、と感慨を覚える。
講演コーナー。
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オステオパシーのコーナー。
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アジア系は人気がある。
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「本当の自分になる」系のパーソナル・デヴロップメンはシニア向きではないが相変わらず需要があるのだろうか?
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パワーストーン系は変わらぬ人気。
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前に木の鍋敷きを買ったのと同じコーナーでコースター。
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同じブースで、「巳年」は終わったけれど蛇を買った。なぜか気に入った。猫ズも興奮する動き。
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食事コーナーでいつものガレットがなくて、BIOのポケボール風のものを食べた。
同じテーブルでシニア女性と話がはずんだ。

「体によさそうな」ものの試飲や試食はあちこちにあったけれど、今特に体調不良でもなく痛いところもないのでスルー。今までの例から言っても、一月分購入して続けて摂取しても、これといった満足感もないからまあいいか、という感じ。


# by mariastella | 2026-02-05 00:05 | フランス

アメリ・インディアンと黒人奴隷

最近、歴史のドキュメンタリーを視聴して衝撃を受けた。
アメリカの先住民であるアメリ・インディアンと強制的に連れてこられた黒人奴隷との関係だ。

黒人差別の問題はいつも居心地の悪い、罪悪感を抱かせる。

子どもの頃日本で見かけた黒人は、「成功したアメリカのビジネスマン」という感じだった。(米軍基地の黒人兵などは視野になかった)スポーツでの活躍を見ても彼らは体格もよく運動神経もいい強い人種だという印象だった。フランスに来てメトロなどで見かける黒人は、アフリカからの亡命者や移民で、身なりも含めて貧相な感じで驚いたことを覚えている。


アメリカにおけるいわゆる「奴隷の子孫」は、すでに奴隷として選ばれた頑強な身体条件の上に劣悪な渡航に耐え、過酷な生を生き延びてきた人たちだから、心身の強者であることは納得がいくなと思ったものだ。それでも軽い罪悪感を覚えるのは、「肌の色」の違いのインパクトに慣れることがないからだ。いわゆるアラブ人もフランスでは差別の対象になることがあるけれど、日本人には区別がつかない。トルコ人もイラン人もユダヤ人も見た目では「西洋人」カテゴリーに入れてしまう人が多い。

昨年ブラジルに関する会議に出て、南米の黒人奴隷について初めて意識したけれど、今回見たドキュメンタリーは、アメリカの「西部開拓」における黒人についてだった。

いわゆるウエスタン映画などのカウボーイは白人ばかりだが、実は、かなりの割合で黒人のカウボーイがいた。ジョン・ウェインが主演したカウボーイも、インディアンのカイオワ族に拉致された妻子を救いにいった実在の黒人がモデルだった。

解放奴隷の多くが、自由と富を求めて西海岸へと向かったのだ。

しかし政府は黒人とインディアンが、抑圧される者同士として連帯することを避けたかった。で、リンカーンがどうしたかというと、一部のインディアンを「市民」と見なして黒人奴隷の所有を認めたのだ。白人の「主人」から「買う」という形だ。市民とされる三つの条件が、「木かレンガの家に住むこと」「決まった時間に食事すること」「奴隷を所有すること」というものである。チェロキー族など五部族が「市民」となり、4万人の黒人奴隷を所有していた。1830年のケンタッキーでは人口10%に上るインディアンが一家につき30人から400人という数の黒人奴隷を所有していたという。栽培していたのは綿花やタバコではなく、トウモロコシなどだった。

黒人奴隷を所有しているインディアンには南北戦争でも北軍についた者もある。

全米で50万人いた解放奴隷の半分は北軍についた。

チェロキー族の有名なジョン・ロスと黒人奴隷との関係(400人所有)について書いたものは読んだことがない。

そして、「市民」として背広を着てネクタイを結んだような先住民は、日本人の目から見ると、「西洋人」に見える。昔は、白人、黒人、黄色人種にインディアンが赤色人種などと言われていた。実際は、居住地による肌のメラニン色素の多寡によるわけだけれど、インディアンの肌の色といっても、ハリウッド映画に刷り込まれた羽根飾りをつけた「インディアンの格好」と込みで区別している。「市民」の服装をしたら日本人の目からすると白人と区別がつかない。

インド人の場合は、顔立ちが「西洋人」でも、肌の色が黒い場合は「黒人」と意識してしまうから、「黒」という色のインパクトは大きい。「闇」や「夜」の連想である種の「恐れ」を誘発するのかもしれない。




前に書いた関連記事をリンクしておこう。



# by mariastella | 2026-02-04 00:05 | 歴史

「がり勉」に憧れる

この頃「怠ける時間」が少し減った。
あるビデオを視聴して、ブルガリアの物理教師のテオドジ・テオドジエフ(Teodosi Teodosiev)という人が数学や物理の英才教育をして、中学生高校生が無料で参加できる研修では日に15時間も勉強させているというのを見たからだ。
教室で夜11時まで教えている。AIより頭がいいことを証明しなくてはならない、と生徒たちに気合を入れている。
彼の教えを受けた生徒はさまざまな国際コンクールに入賞し、ノーベル賞をとった人もいる。たいていは、ブルガリアからイギリスやアメリカに渡って研究生活を送るわけだけれど、テオドジを恩師として尊敬している。

テオドジは76歳になるけれど、若者の数学や物理の能力を高めようと、無償で働き、私財を投じても学校をつくろうとしている。「妻に知られたら殺される」とジョークを言っていたところを見ると、アスペルガー気味の「変人」ではなくて、物理教育への熱意以外は「普通の人」のような印象だ。
特別研修のクラスに女子が多いのを嘆くので、男尊女卑かと思ったら、女子がいると男子が気が散って集中しないから最高のパフォーマンスを引き出せないからだという。
なんだか実感がこもっている。
確かに、若い男女が生活やクラスを共にすると、男子の方が女子の存在に惹かれるというのが分かる。それがハンディになることもあるだろう。

それにしても、今の時代、黒板をひたすら数式で埋めていくこういう授業風景にノスタルジーをそそられたし、日に15時間勉強しろ、というのもなぜか気に入った。「そうだ、私もだらだらしていないで、書斎に入ればすぐに本を読んだり仕事したりしよう」、と思った。
私にはいわゆる「がり勉」の経験がない。

暗譜演奏の能力も、バレエの振り付けを覚える能力も、ぎりぎり「普通」だと自覚していたけれど、いわゆる学校の勉強に必要な記憶力はよかったので、予習も復習もせずノートをとることすらしなかった。試験の前日にも関係のない本をつい読んでしまっていたし、宿題もしたくなかった。夏休みの最終日に宿題ができていないで、やる気もなく、母が漢字を続けて五行書くとか、い合わせた叔母が分数の計算問題をやってくれたりしたのを覚えている。
成績はよかったので、さぞや「がり勉」しているだろうとクラスメートから思われていたこともある。実際はお稽古ごとのない時はうちではひたすらマンガを描いていた。
それでも、いわゆる学習雑誌で、試験前一週間の勉強の時間割を自分でくわしく作る、という特集を見て憧れたことがある。十五分単位で規則正しく自分を拘束するような表を作ることに憧れたのだ。
自分は怠けていたけれど、絶えず努力して一歩ずつ進む人の伝記などを読んで憧れていた。私にとって「努力して何とか完成する」という体験は、ピアノの発表会の前だとか、今やっているヴィオラだとか、「才能がない」分野だけだ。でも世の中には、才能もあって、地道で絶え間ない努力もして、目標を達成するというすばらしい人たちがたくさんいる。でもそれはいつも「憧れ」でしかなかった。

今、テオドジのドキュメンタリーを見て、すぐに「やはり机に向かってやるべきことをやる」のが王道だなあとすなおに思ってすぐに(三日坊主かもしれないけれど)日常に反映したのはなぜだろう。なんの共通点もない人だけれどやはり「年齢」だろうか。テオドジの体力、気力、知力はそれだけで常人ではないし、恵まれた遺伝子も持っているのだろう。世の中の政治家には、高齢になっても、ますます自己顕示の欲望全開の人が多々いるけれど、テオドジは、ブルガリアのようなマイナーな国に留まって、ひたすら「後進」のために、自分の知識を伝達し続けて、私費さえ投じている。AIに勝つとして自分のレベルも更新し続けているし、それが若者に伝わって成果も出している。自分の使命が終ってもそれがずっと続くようにと具体的なプランにとりかかってもいる。
そう、「使命感」があるのだ。そして、レベルアップするには、机に向かう時間に妥協しない「がり勉」が必要だと明言し、生徒たちにぴったり寄り添う。「しごき」などではなく、単なる英才教育でもなく、自分の生きざまを分け合っているのだ。
今の世の中では「ゆとり教育」だとか、コンプライアンスとかで阻まれてしまう。

今は「高齢者」も元気だけれど、いつまでも歩けるようにとか、いつまでも美しい肌だとか、ひとりひとりに的を絞ったマーケティングの言葉ばかりで、他の人よりも元気、若さを保つ、などの成果を提供する感じのものばかりだ。毎日ウォーキングしたり筋トレしたりを続ければ今日も昨日と同じく元気でいられる、継続は力なり、と言われても、自分の体や心だけがターゲットであれば、少なくとも私には続かない。

「1日15時間勉強しろ」というテオドジの「がり勉」実践の呼びかけは私の心に響いた。次世代との関係性において自分の信じることを無視の心で伝授する姿に感動したのだ。残された時間を無駄にしないようにしたい。

(私は無駄な誘惑に簡単にはまってしまうタイプなので、ゲームやネトフリドラマなどは最初からかかわらないようにしているけれど、うまくできている無駄なビデオにはまってしまうことはよくあって、後悔することが多々ある。)

このYoutubeは2027/1/7まで視聴できます。

# by mariastella | 2026-02-03 00:05 | 人生観



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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