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L'art de croire             竹下節子ブログ

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ノートルダム大聖堂の火事について

パリのノートルダム大聖堂が燃えた件で、あまりにもコメントを求められる方が多いので、特別にひとこと書いておきます。そのうちまとめて書きます。

最初はマクロンの20hの演説(黄色いベスト運動に対する改革案提示)がどうなるかと思って空港のラウンジでネットを見ていたら、急遽それが延期になりました。フランス中が注目していた演説だったので、火事のニュースもフランス中がみまもることになりました。

今は復活祭前の聖週間の真っ最中で、それでも枝の主日の後の大きなミサは聖木曜日まで少し間がある時で良かったです。

聖週間にはイエスの茨の冠の聖遺物礼拝がありますが、クリスタルの容器に収められたそれはすぐに避難、問題は、尖塔の上の雄鶏の中にある聖ドニと聖ジュヌヴィエーヴの聖遺物ですが、尖塔から落ちたのを、修復工事に携わる建築家が見つけたのをすぐにtwitter にあげたのがおもしろかったですね。奇跡だ奇跡だ、というひともいます。
(私が43年前に最初にパリ観光をした時にこの塔の上まで登りました。)
屋根の上に聖遺骨とは、タイなどの仏教寺院の屋根の上の仏舎利も連想します。
ここをぜひ。どこから落ちたかわかります。
下は焼けたものと助かったものとのリスト。
「崩壊」とセンセーショナルに書かれるほどではないようですね。


夏時間に入って夕方以降も明るいのでみんなが集まっていたのも印象的です。炎ノートルダムをバックにセルフィーを撮る観光客もいればオプティ大司教と一緒にロザリオを歌うグループもいましたし、自主的に祈る人たちもいました。
オプティ師のロザリオの録音も聞きましたがやはり胸がつまります。

マクロンの演説を延期するために政府が仕組んだという陰謀論なども出ましたし、極右からは難民テロリストの放火を示唆するようなコメントもありました。
実は少し前にサンシュルピス(ダヴィンチコードで有名になったここが、今回、ノートルダムの代わりに、司教聖座がおかれるようです。復活祭の行事はこことサンユスターシュとで継続です)で、放火があって、幸いすぐに通報されたので扉とその周りだけが焼けました。だから、私も最初はひょっとして放火かもと思ったのですが、すぐにその仮定は否定されたので安心しました。

私はすぐに、パイプオルガンのことを心配したクチです。
一夜のうちに巨額の再建寄付が集まったことで、そんな金があるなら難民救済に使えるのに、という声もありました。大聖堂は国の所有物なので、今回の寄付はその90%を税金から控除とかいう話も出ているので、それはそれでわかります。5年以内に修復と言っていますね。
水曜日には火事が発生した時間に合わせてフランス中の教会の鐘が鳴らされることになり、そういうのは羨ましいです。
巨大歴史木造建築物がたくさんある日本でも改めて危機管理について語られていましたが、例えば金閣寺がまた燃えたとしてもその前で人々が一斉にお経を唱えるとか日本中のお寺が鐘を鳴らすとかは想像できないので。

2度の大戦の後の他の大聖堂の修復についての比較番組が結構あり、ソワソンの大聖堂の例が注目されていました。

ともかく、今回の火事、なんといっても、聖週間の間だったということが一番インスパイアさせる事実です。

そして私の関心はやはり、今回のことを誰がどのように受け止めたのかというその観察にあるので、これからゆっくり分析していきます。






by mariastella | 2019-04-17 23:28 | フランス

近況 枝の日曜日

3月後半からこれを書いている4/14まで、超死生観の書き下ろしの脱稿、講談社学芸文庫版のジャンヌ・ダルクの加筆と校正などいろいろあわただしかったので、このブログにはもう一ヶ月分の予約投稿をしておいた。

でも、あした日本に出発という今になって、あまりにもタイムラグができそうなので、日本に行く直前のこの週末のことを書いておく。

土曜は1ヶ月半ぶりにアンギャン=レ=バンに出かけた。
前にも書いたことがある。

パリ地方で唯一のカジノがある保養地で、右後ろに見えるのがカジノ。
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上の記事と同じ木だけれど、新緑の初々しい感じがいい。

日曜日は復活祭の聖週間突入で、枝の日曜日のミサに行ってきたけれど、超満員でしかも前の広場で集まってから始まる2時間は疲れた。
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柘植の枝に聖水をふりかけてもらおうと掲げる人たち。

2年前は日本の東京カテドラルで参加した。


その前はパリのお気に入りの教会で。寒かった。
今日は、明日の出発の支度で忙しいので歩いて5分の教会。昔の生徒の親のポーランド人女性に久しぶりに会う。
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教会の中でも枝を振り回して歌っている。
少し前までは、あと五日もしたら磔刑で殺されるって分かっているのになんでこんなに無邪気にイエスのエルサレム入城を喜べるのかなあなどと思っていたけれど、今は物語をシナリオ通りに毎年たどっていくのも「文化」なんだなあと思う。まあ、死ななければ復活できず、キリスト教も生まれなかったので、復活を先取りして祝っているわけだけれど。
ここの司祭は声はいいのだけれど、言っていることは平凡なので私は別のことを考えていた。
先週のフランシスコ教皇の説教で、「目から鱗」の一節があって、さらに、別の話で、「復活祭」の意味を考えなおさせられることがあったからだ。
(4/21の真生会館で紹介します。4/28午前中にも奈良の教会での勉強会があるので、聖霊が助けてくれているのかも。)

祭壇の飾りつけはこういうのだった。
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子供たちがイエスさま、大好き、みたいなメッセージをはりつけているのも、かわいい。
ロバはイエスがロバの背に乗って入場したことにちなんだものだ。
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(ええと、この後に予約投稿のものが続きます。)



by mariastella | 2019-04-14 23:03 | 宗教

バルバラン枢機卿事件について補足

これを書いているのは 3/29。

あすから、日本に行くまでの準備と日本に行ってからあわてないように、20回のシリーズものを予約投稿しておくので、これは昨日に続いて最後の時事記事になる。

またまたフランスのカトリック・スキャンダルで申し訳ないけれど、フランシスコ教皇がリヨン大司教のバルバラン枢機卿の有罪判決後の辞職願を受理しなかったことの背景がひとつわかったので書いておく。

それは、去年の7月、オーストラリアのフィリップ・ウィルソンというアデレード大司教が、やはり、教区内のペドフィリアを司法に届け出ず「隠蔽」したという罪で有罪判決が下された後で、教皇が辞職願を受理していたという例だ。ところが、次の控訴審で、最終的に無罪判決が出た。


ことの次第は1970年代に遡る。ジム・フレッチャーという司祭がペドフィリア行為で有罪になり、2006年に獄死している。70年代に若い司祭であったウィルソン師は、その犠牲者たちの証言を聞いていたというのだ。

にもかかわらず隠蔽したということで20185月に12ヶ月の禁固刑の有罪判決が下された(実際は自宅軟禁に変更された)。

でもウィルソン師は、ずっと無実を訴えていた。若年性アルツハイマーでもあることからすでに大司教としての活動は休止していたものの、有罪判決の後は、すぐに控訴すると発表し、辞職は拒否した。

ところが、すでにペドフィリア事件で傷ついていた国の人々からの非難は高まるばかりで、フレッチャーの被害者たちばかりでなくカトリック教会も彼に辞職を促し、なんとオーストラリアの首相までがフランシスコ教皇にそのことを知らせたという。オーストラリアの司教会議も、「辞職に反対するつもりはない」としてウィルソン師を見捨て、追い込まれたウィルソン師の辞職願は7/30に教皇に受理された。

ところが、12/6、控訴審は、当時の犠牲者がウィルソン師に証言していたという事実に矛盾があるとしてウィルソンに無罪判決を下した。

その後でも辞職願の受理は取り消されていない。


つまり、フランシスコ教皇には、本人の無実の訴えよりも「カトリックを含めた世間の圧力」を優先して、控訴審を待たずにウィルソン師を辞職に追い込んだという苦い経験があるわけだ。

それを考えると、控訴をするバルバラン師の有罪が確定するまでは辞職願を保留するという今回の態度は、十分に理解できる。

もちろん、フランスでは当のペドフィリア司祭がまだ生きていてそちらの最終判決もまだ出ていないという、心情的にさらに面倒な要素がある。

全体として、今回の件は、そもそもヴァティカンという国の首長が、「カトリックのリーダーとしての立場」と小さいながらも国際的に認められている「主権国の首長としての立場」との二つの間で一貫していないことがあるという現実の一つの結果でもある。

そしてカトリックというシステムが、典型的な上意下達のヒエラルキーがあるにもかかわらず、実は、ローマ教皇が「ローマ司教」であるように、各司教区の司教が絶対的な自治権を持っているという「地方分権」のシステムでもあるという構造も、ことを複雑にしている。

さらに、原理的には、リヨンの大司教であろうと、叙階されたばかりのどんな田舎の一司祭であろうと、「聖霊」によってキリストと直接結ばれているのだから、「上司」の許可がなくても、信徒と神を仲介する全責任と自由を付与されていることになる。

だから、一つ間違うと、内向きの閉鎖的な共同体のグルのような行動に突っ走ることが誰にでも可能になるということだ。

特に共和国型無神論という歴史の洗礼を受けてきたフランス型の政教分離社会では、カトリック教会はその歴史を達成し支えてきた一要素となっている。

アングロサクソン・プロテスタント型の国と違って、「私は神を信じる」ということを「共同体」の外では口にできない環境になっているのだ。

でも、今回のスキャンダルで「瀕死」の状態にある、もう立ち上がれないに違いない、とまで言われるフランスのカトリック教会にも、ようやく新しい声が上がっている。

自分たちが閉じ込められていると思っていた政教分離、無神論型の社会の中の檻には、実は、鍵がかかっていないことに気づいた、という人がいるのだ。

「福音宣教」の本当の意味をあらためて問うことで、本当は「檻」の外の多くの人が、「神を信じる」という人の声を聞きたいと思っていることに気付いたという。


日本でなら、それこそ一部の新興宗教や政治家の場合を別として、一般に、だれかが初詣に行ったとか寺社でお祈りとかお祓いをしてもらったとか口にしても、誰も、その人の「宗教信条」を問題にしたり「政治イデオロギー」を追及したりしない。

フランス型無神論のタブーによって形成されている「檻」の感覚はなかなかつかめないだろう。


今回のカトリック教会のペドフィリア・スキャンダルは、宗教の比較社会文化論の見地から見ても非常に興味深い現象だ。

引き続き観察していくことにする。


by mariastella | 2019-04-13 00:05 | 宗教

シャルトル その3

ステンドグラスを少し。マンガのコマ割りとしたら、真ん中の聖母子が2コマ続きで強調されている。
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ユグノー戦争が続いた後、結局カトリックに改宗することでフランスをまとめたナヴァールのアンリ四世は、フランス王が聖油塗布こだわったランスの大聖堂ではなくてこのシャルトルで即位した。1594/2/27のことだった。この写真を撮ったのはちょうどそれから425年後の同じ日に当たる。
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はい、お気に入りの聖遺物。聖母のヴェールの布。

今はヴェールと呼ばれているけれど、なんと、イエスを生んだ時に身に着けていた上衣(長シャツ)と信じられてきた。イエスを妊娠していた間ずっと身に着けていたという説もある。あまり衛生的ではないが。
聖母が死ぬ時に親しい女友達に託し、それが後にビザンティン帝国の女帝エイレーネ―にまで伝わり、エイレーネ―がそれを、ヨーロッパを統一したシャルルマーニュ(カール大帝)に進呈し、シャルルマーニュの孫シャルル禿頭王が876年にそれをシャルトルの大聖堂に与えた。で、瞬く間に巡礼者が殺到、12、13世紀が黄金時代で、カトリックの刷新された時代にも、フランシスコ・サレジオやヴィンセント・ア・パウロなどの聖人がこの前で祈った。

布はビザンティンの絹(パレスティナではないのか、という突っ込みはなし)だそうで、これをかたどったミニチュア型がお守りグッズとして飛ぶように売れたらしい。
またこれのレプリカをカテドラルの中で祝別してもらったものを騎士たちが戦場で身につけた。もちろん貢献あらたかで、騎士が剣で甲冑を裂かれた時もこの布には傷がつかず助かったし、1522年のミラノで砲弾を受けた騎士も、他の服は焼けたのにこの布は無傷で助かったので、帰国してから感謝の奉納版を寄贈している。

レプリカは歴代のフランス王妃が妊娠した時にも贈呈されるようになった。金糸の刺繍が施されたタフタで、「本物」を前にして祝別されたものだった。

アンリ三世はわざわざ1579年に巡礼にやってきて自分用と王妃用に持ち帰った。王妃が妊娠していたわけではなく、それを身に着けて寝ることで子供を授かろうとしたのだ。(結局子供はできなかった)

もちろん、1811年、皇帝ナポレオンの大事な大事な皇妃マリー=ルイーズが妊娠した時にはそれで身を包ませた。(和親条約でカトリックを復活させておいてよかったね)

コピーに聖なる力を転移させることができるというのは仏舎利などと同じだ。
でもそれなら、磔刑像とか聖母子像などがいくらでもミニチュアで存在していたのだから、わざわざ聖遺物の布のそのまたレプリカでなくともいいような気もするのだけれど、うーん、気持ちはわかる。

そんな呪術的心性は過去の遺物だろうなどと言っていられない。陰謀論もフェイクニュースも、21世紀にますます広がっている。

狭義の真偽ではなくて、どんな心を、希望を託すかが問題なのだ。

で、今回私が購入したのは、はじめて見たデザインの、シャルトルの迷路柄のメダル。
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裏にはシンプルにシャルトルCHARTRESと書いてある。
これで快晴のミニバカンスの巡礼記はひとまずおしまい。







by mariastella | 2019-04-11 00:05 | 宗教

シャルトル その2

シャルトル大聖堂の内部についてはネットでいくらでも調べることができると思うので、ここには詳しく書かないけれど、今回私が驚いたのは、15、16世紀の内陣障壁の彫像群が修復中で、ちょうど半分が出来上がっていて真っ白で感動的だったことだ。反対側は黒ずんでいて、これが大変な作業だと分かる。ラテックスでパックをして汚れを取るのだそうだ。

高さ6mくらいで長さは100mにも及ぶ。イエスの生涯や聖母マリアの生涯のエピソードが立体紙芝居のように展開しているのだ。

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この真ん中は受胎告知のシーンだ。マリアは広げた本の前にいる。
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これはヨセフが夢の中で妻子を連れてエジプトに逃げろと告知されているシーンだろう。マリアは縫物をしている。
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マリアって、読書中毒気味だったのかもしれない。子供を抱きながら、あやしながら、本を読んでいる図像もたくさんあるし。もちろん、手首に数珠がかかっているし、神殿で育てられたくらいだから敬虔で時祷書をいつも開いていて祈って設定かもしれないけれど、文庫本とかスマホを手離さないで暮らしているおかあさんに見えて来る。

有名なのは柱の聖母子像だ。(そしてもちろん地下聖堂の黒い聖母)
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でも、復活祭前ということもあってやはり磔刑像がつらい。
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人間の姿としてこういう悲惨な最期を遂げることが分かっている赤ん坊の「受胎」から始まる家族のシーンや母親の苦しみなどを臨場感豊かにこうして見せられることで、キリスト教文化圏の心性が養われてきたんだなあと思うと感慨深い。

by mariastella | 2019-04-10 00:05 | 宗教

シャルトル  その1

シャルトルに行くのは12年以上ぶりになる。

昨年ペギーの回心について書いたので、パリからの巡礼で麦畑の向こうに大聖堂の鐘楼が見えてくるときの感激をもう一度追体験したいと思っていた。

でも、今回はパリからではなく、ル・マンからパリへの帰りだったので、高速道路をシャルトルの出口で離れると市街地に出てそのまま町の中から大聖堂にアクセスするので、あの「麦畑向こうに忽然と姿を現す」というアングルがなくて、なんだか普通の町の普通の大聖堂、という感じ。

その昔はシャルトルに行くときは、ペギーよりもユイスマンスだった。
まずステンドグラス、それから黒い聖母、迷路、といろいろ興味の中心が変わってきて、最後に行った時は、叔母を案内して市内の他の観光スポットも回った。

でも、このブログを始めたのはそのすぐ後だから、その時のレポートがない。しかも、このブログに写真を取り入れるようになったのはごく最近だから、このところ、なんだか、写真満載の記録のない過去はまるで削除されてしまったかのような錯覚か起きる。もちろん昔はフィルムの写真だったから、今のように好きなだけ撮りまくることもできなかったし、そもそも私は、旅行に行くときにカメラを持参しないことも多かった。そしてノートに詳細にデッサンと記録を残していたのだ。

今は、逆に、どんな場所でも検索すれば写真も見られるから、自分であれこれとる必要さえないのに、撮っておけば後でそれを追いながら整理して記録できると思い、しかも、それすらしないままになっていることも多い。

シャルトルのようにちょっと半端な距離にあるところって、その気にならないとご無沙汰してしまう。

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で、いきなり大聖堂の正面に。
前の広場のこんなブロンズの彫像、以前にもあったっけ?
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11世紀始めの司教(22年間も司教職にあった)で、カテドラルを再建しただけではなくこの人のおかげでシャルトル学派が12世紀のヨーロッパの大権威となったことを市が感謝している。
プラトン、ピタゴラスらのギリシャ哲学とヨーロッパのキリスト教神学が出会い、新しい地平を開いた。その後にはアリストテレスを軸にしたスコラ神学の時代になっていったのだけれど、シャルトル派は大きな足跡を残したわけだ。

政教分離のフランスでも市が地元の大神学者に敬意を表しているのだなあ、と軽く驚いて少し調べると、ベルナール・ダミアーノという人の作品で、1997年4月に当時の市長ジョルジュ・ルモワーヌ(ミッテラン政権下で大臣も務めた社会党の政治家だ!)と司教が浄水関係の会社の資金提供で設置したのだそうだ。

カトリックがどうというわけではなくて、フランスの権威がヨーロッパで輝いていた時代のシンボルというのが誇らしいのかもしれない。
イスラム過激派の問題が出てきてからの宗教バッシングや近頃のカトリックバッシングを見ていると、複雑な気分だ。
ともかくこのブロンズ像は私の好みにあっている。

シャルトルの学校と言えばやはり大聖堂のすぐそばにあるステンドグラスの学校が有名だ。
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大聖堂に近づくと、
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柱のデザインがスタイリッシュだ。
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by mariastella | 2019-04-09 00:05 | 宗教

ル・マンのカテドラル その2

快晴が続いているのでここもステンドグラスを通した光が美しい。
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こちらはロマネスク側。
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この壮大さと、観光客がほぼいないというギャップが贅沢きわまりない。



by mariastella | 2019-04-07 00:05 | 宗教

ル・マンのカテドラル  その1

ル・マンのカテドラルといえば、まず、メンヒルだ。

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カテドラルは、12世紀始めの火災の後、プランタジネットのヘンリー二世がその修復記念のセレモニーを行った時も、メンヒルの上に十字架が立てられていたらしい。

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ブルターニュのカルナックやイギリスのストーンヘンジで有名なメンヒル(巨石、立石)だが、古代異教の遺跡とかでキリスト教が壊してきたなどという説もあるけれど、ル・マンの石と呼ばれるこのメンヒルは、4m55の砂岩で、独特の形をしている。この巨石のあった聖地に合わせてカテドラルを建てたのは、巨石に守ってもらうためなのか、巨石を守るためなのか、どちらなのか分からない。

しかも、向かって左下寄りに不思議な穴があいていて、誰でもそこに指を突っ込んで祈れば願が聞き届けられると言われて、つるつるすべすべになっている。

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今は固くなっているけれど、最初に掘り出されてこういう形に彫られた?時はもっと軟らかくて細工がしやすかったろうと言われている。

それにしても、よくある日時計替わりですか、というメンヒルと違って、この石は何かの彫像のように見える。

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カテドラルはロマネスクとゴシックの組み合わせになっているのだけれど、外から見るとY字型の飛び梁が独特で美しい。

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高台にあって迫力満点だし、フランスのカテドラルの中でも白眉だと思う。

パリのノートルダム、後はランス、アミアン、シャルトルなどが有名どころだけれど、ここは、フランス最古のものも含めてすばらしいステンドグラスもあるしこの威容なのに、まったく地元民御用達みたいな敷居の低さが不思議なくらいだ。

昔ル・マンの24時間レースにも行ったことがあるけれど、いろいろな顔のある独特な町だと今さら思う。


by mariastella | 2019-04-06 00:05 | 宗教

ソレーム修道院  その3

グレゴリオ聖歌を聴くために時祷に出席。
驚いたことに、少しずつ集まってきた近隣の人と思われる15人くらい(年配の女性一人の率が高い)の他に、10名ばかりの青年たちが連れ立ってやってきた。派手な刺繍の革ジャンにジーンズといういでたちで、パリでのイメージのブルジョワ保守家庭の青年というイメージではないので驚いた。

その謎は解けた。
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たとえばこんな感じで、ここには青年たちを修道院に泊めて生活させるシステムがあるのだ。時祷が終わると彼らは誘導されて、一般の扉からではなくて修道院の内側に通じる中庭に誘導されて去っていった。
聖堂の中にはイエスを十字架から降ろしたときのシーンと聖母の死の床のシーンのチャペルが翼廊下の壁いっぱいに向かい合わせに作られている。彼らを取り囲む弟子や信徒たちの悲しみの表情が興味深い。「ソレームの聖人たち」として知られる16世紀の作品だ。

これはイエス。ほとんどの弟子は恐れて身を隠したから女性たちが多い。

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こちらが聖母の納棺を囲む使徒たち。
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古い墓所もある。この修道院は最初は11世紀に建てられた。12世紀に十字軍に参加したサブレの領主がイエスの茨の冠の棘を聖遺物として持ち帰ったことで巡礼者が殺到して隆盛を極めたそうだ。

下は主祭壇。

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いつか黙想に滞在するならやはりこういう場所に憧れる。女性用には同じベネディクト会のソレームのサント・セシリア修道院がある。





by mariastella | 2019-04-04 00:05 | 宗教

ソレーム修道院  その2

あんまりお天気がよかったので写真をたくさん撮ったソレームの修道院。
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一日に七回の時祷がある。これは4回目のため。
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何しろ快晴なので、ステンドグラスを通す光がとにかく美しい。荘厳な雰囲気のはずが部分的にファンタジーランドと化している。
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by mariastella | 2019-04-03 00:05 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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