L'art de croire             竹下節子ブログ

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修道経済 その11

(これは前の記事の続きです)

Q 10 聖ベネディクトの戒律は現代のこの世界に何かをもたらすでしょうか?

A  これらの修道院が示すことは、聖ベネディクトの戒律に従うことで、この世で幸せに生きられるということです。修道士も修道女もみな幸せです。もちろん彼らの幸福が彼らの「霊性」と無関係だとは言えません。けれども、彼らの生活の仕方が、彼らの存在を満足なものにしているのです。

いくつかの、まったく世俗の組織が、この修道会の経済とマネージメントのアプローチにインスパイアされてそれを取り入れようと試みています。HEC(フランスで最難関のビジネス・スクール)は、聖ベネディクトの戒律に依拠したマスターコースをユーグ・マンゲ神父が受け持っています。マネージメントのコンサルタントでこの戒律にインスパイアされる人たちが増えています。修道院のオーガナイズの方法は社会全体に一般化できるようなものではありません。けれども、この修道院の生き方は、ある方向性の中で、新しい、思いがけない何かを生む運動につながるきっかけを示唆しているのです。

私たちはまさに『ラウダート・シ』の中にあります。

( 『ラウダート・シ』はフランシスコ教皇がエコロジーを呼びかける回勅で、アッシジのフランチェスコの「太陽の賛歌」と同じく「あなたが称えられますように」と、万物の創造主を称える言葉だ。ユーグ・マンゲ神父の活動はすでに2001年に、経済成長と開発を優先する社会に対して「意味と発展」学院をベネディクト修道院に設けられた。マネージメントと倫理についてのセミナーを続け、ついにビジネス・エリートを輩出するHECにまで迎えられたのだ。ベネディクト修道院は、過重労働でバーンアウトした人たちにも積極的に癒しの場所を提供している。)

ある講演会でのマンゲ神父のビデオ。11:10くらいから姿が見える。

「今日はみなさんにお話しするために来ましたが、(みなさんのお話を)聴くためでもあります。聖ベネディクトの戒律の最初は『耳を傾けよ』ですから」

みたいな感じで話し始めている。


あるベネディクト会女子修道院での「仕事」の様子のビデオもリンクしておく。



本当にみんな楽しそうだ。

そのあまりにも楽しそうな様子に、最初に観た時は一抹の疑問も抱いていたのだけれど、今回の修道経済の記事を読んで納得がいって、ほっとした。このビデオの中に出てくるすてきな笑顔の女性の一人のおばあさまが、彼女の修道院入りを嘆いていたのを知っているのでこの記事を送ってあげることにした。

この修道女のことは実は前にブログで少し触れている


このシリーズはこれでおしまいです。





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by mariastella | 2018-05-01 00:05 | 宗教

修道経済 その10

(これは前の記事の続きです)

Q 9 修道女や修道士自身には、自分たちが代替モデルであるという自覚があるのですか?

A 彼らは、財産や世界や他者との関係性を、ホスピタリティをベースにした福音書的な一つの証しだと見ています。「私たちがどんな風に生活しているか見に来てください」という姿勢です。「代替経済」という概念は、経済学者や社会学者によるアカデミックな構築物で、典型的な修道会の言説の中には溶け込まないのです。けれども、彼らの生活の中には、今の世界の経済的アプローチである利潤第一主義や個人主義、簡便さや速さの追求、霊性の次元の欠如などへの批判を見出すことができます。


(ホスピタリティ、おもてなし、だ。ホスピスも、ホテルも、ホスピタル(病院)も、中世から巡礼者や病者や貧者を支える組織として、キリスト教に通底する弱者に寄り添う義務と共に発展してきた。もっと言えば、それは「愛」という言葉になる。これが一番難しいのはいつの時代も同じで、「リスペクトする」ことと「愛する」ことの間には実は深淵がある。それこそ「天」を経由しなくてはならないかも。)





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by mariastella | 2018-04-30 00:05 | 宗教

修道経済 その9

(これは前の記事の続きです)

Q 8 修道経済の研究におけるもう一つの重要なテーマはエコロジーでしたね。

A  出発点ではむしろそれが私の軸方向だったのです。でも、そのうちに、修道院においては、修道者自身によっても、深く考察されるに値するアスペクトであるとすでに自覚されていることが分かりました。だから、むしろ労働についての彼らの考えを聞く方が重要だと思うようになったのです。でも結果的には、修道院では、はっきりとした形をとらないでもエコロジックな実践がされているという結論に至りました。

例えばピエール・キ・ヴィール修道院では、生産高第一主義の農業を捨てたのですが、それは、環境保全に対する確信からではなく、そのアプローチではやっていけなくなったからでした。またランドル修道院では、チーズを生産していますが、もちろん添加物などない昔からの自然製法ですが、BIO(自然食品、オーガニック食品として認定されたものに許可されるマーク)という認定マークをわざわざ申請して付けていません。そのマークが彼らのマーケティングに何らの影響を与えないだろうからです。

修道生活のもう一つのエコロジー的な側面は、ほとんどの修道院において、聖書の「詩編」が週一度は全編歌われていることです。

天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。 (詩編19,2

と毎週歌っていて、

Lex orandi,lex credendi (祈りの法が信仰の法=祈りの中で唱える言葉が信仰を生む)と典礼の中でも歌い続けるうちに、どんな修道者も、自分では気づかないままに、神の被造物である自然をリスペクトして信仰を深め、エコロジストとなっているのです。

(今のフランシスコ教皇の福音宣教の大きなテーマの一つがエコロジーであることとも合致する。聖書世界では、自然は人間と同じ被造物であり、共に生きて神の栄光をたたえることになっている。

「多神教世界では自然と共に生きるがキリスト教世界では人間が他の生き物を支配して自然も破壊した」

などというような言説がなされることがあるが、それは、人間が科学技術の発展と共に神を捨てて勝手に暴走した結果だ。利潤追求至上主義の蔓延は、文化や宗教と関わりなく、社会を、地球を、子供たちの未来を蝕んでいる。)





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by mariastella | 2018-04-29 00:00 | 宗教

修道経済 その8

(これは前の記事の続きです)


Q 7 その「他者性」を認める原則に基づいて、ある修道者に仕事を任せる基準はどうなりますか?


A それぞれの修道者に見合った任務を与えるのは修道院長の責任となります。同時に、修道院に必要な仕事のすべてにおいて適切な修道者を見出すという責任もあります。けれども、仕事の内容と報酬が対応しているわけではないので、ある修道士に、その仕事における利潤率によっては正当化されない仕事を与えることが可能です。とはいっても、役に立たない無駄な仕事があるというわけではありません。他者への関係性は仕事との関係性にも反映されます。自給的な仕事と報酬が発生する仕事は同じレベルで尊重されます。一般社会では、家庭の母親が育児をする労働は国の経済指標である総所得(GNI)の中に計算されていません。母親が育児係を雇って給料を払う場合には計算されます。



(これも本質的な問題だ。修道院には、自分たちの生きる分の自給自足の食料生産をしたり、料理、掃除、洗濯、メンテナンスをしたりなどの家事的労働も多いが、チーズ、ビール、クッキー、各種の食品から陶器、レース編み、キルトなど「商品価値」を持って販売されるたくさんの生産労働もある。利益率で労働を評価するわけではないから、その二つは同じレベルにある。それが実現している世界では何が起きているのかというと…)





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by mariastella | 2018-04-28 00:05 | 宗教

修道経済 その7

(これは前の記事の続きです)

Q 6 「他者との関係」というのも修道経済の特色ですね。

A ええ、そのベースは「他者性」を認めることです。各人はそれぞれの価値を持つ異なる人格であり、あるがままに尊重されるべきです。基礎となるこの認識が受け入れられた時点から、「パーソナライゼーション(個性化)」の追求を避けることができます。例えば、世俗社会に置けるように、服装によって自分についての情報を発信するというようなことが必要なくなります。

私の調査においては、特に、修道者で芸術家である人に注目しました。彼らは多くの場合かなりユニークな人たちです。みなと同じ修道服を着ているからと言って、キャラクターのオリジナリティが薄まるということはないのです。

(全ての人がそれぞれの特性をもつオンリー・ワンであることをみなが認識しさえすれば、逆に、「他人と違う個性」を演出する必要がないというのは興味深い。修道院と言えばみなが同じ服を着て同じ時間に同じ典礼に従うというイメージがあるから、没個性であり、自分らしさを発揮できない世界ではないかと思われがちだけれど、その逆で、表面的にみんな同じで平等であるからこそ、自分自身であり得る。他者からも内面的な違いがよく見えるのでリスペクトしてもらいやすい。

確かにそうかもしれない。世俗社会では無理やりに社会規範に合ったヒエラルキーを反映する服装規定みたいなものがあるからこそ、そこから逸脱しないように苦労するとか、逸脱する人を非難するとか、反発して奇矯な服装で挑発するとか、特殊であることを個性だと勘違いするとか、いろいろな葛藤や無駄な時間や無駄な出費がある。ファッション市場には「自分らしさの追求」という言葉による誘惑があふれている。

もちろん修道服も一般社会に出ればコードなのだけれど、修道院のミクロな生活圏では、非常に合理的なシステムで、外的なセルフ・プロデュースなど必要なくなる世界だ。これを可能にするのが基盤にあるリスペクトなのだろう。)





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by mariastella | 2018-04-27 00:05 | 宗教

修道経済 その6

(これは前の記事の続きです)


Q 5 あなたの研究は労働、働き方についても向かっています。修道経済は働き方に何をもたらすのでしょう?

A 最も重要な要素は、労働と報酬とを分離することにあります。これはもう長い間論議されているベーシックインカムという考え方の一つの形だといえるでしょう。修道者たちの受け取るものは、それぞれの必要に応じた者であり、例えば学歴などとは関係がありません。このやり方は、あるポストを獲得するための競争原理を撤廃します。修道院長であることと倉庫番であることは受ける収入になんらの違いももたらしません。今の社会における所得格差について大きな問いを投げかけます。企業のトップと平社員の所得格差が20:1ならまだ容認できますが、250:1などは異常です。修道経済が教えてくれるのは、有能な経営者を引き抜くために莫大な報酬を提示する必要などないということです。では、必要経済においては報酬を決定する基準を定めるのは誰でしょう? 修道会においては、そのような基準の上位に「聖ベネディクトの戒律」があるわけです。世俗社会において、異常な格差を正すためには、市場原理の上位となる基準コンセプトが必要です。



(金権社会、利潤追求が第一の社会では、一部の強者が弱者を搾取したり切り捨てたりすることに歯止めが利かない。政治の部分では、立法府や行政府の暴走に歯止めをかける「憲法」があるわけだが、経済の分野では多くが「野放し」だし、「規制緩和の法律」なども、それがどのように「基本的人権」を侵害するかというような直接のチェックは困難だ。もっと分かりやすい分野でも、違憲が実体化すると憲法の方を変えようとするくらいだ。憲法の条文を変えるとしても、その上に立つ理念や理想にさらに近づけるためのものでなくては意味がないはずだが、なかなかそうはいかない。「聖ベネディクトの戒律」の上位にキリスト教の根源にある平等主義や平和主義や兄弟愛、弱者優先の理念があるから、今でも機能しているのかもしれない)




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by mariastella | 2018-04-26 00:05 | 宗教

修道経済 その5

(これは前の記事の続きです)

Q 4 もう一つのアスペクトである必要経済というのは、どんなことでしょう?

A それは「他者性」に基づいています。「あなた」は「私」ではない。ある領域に関しては、あなたは私よりも多くを必要としているし、別の領域においては私はあなたよりも多くを必要としている。それぞれの修道者が労働に必要とするために支給されるツールは、とてもシンプルなものから洗練されたものまで幅があります。

陶芸の才能がある修道女のためには、最新式の陶器窯が導入されました。それで修道院の名で販売する陶器を製作するのです。一方で、ソレムのベネディクト会修道院で志願者の教育係を受け持つ修道女はテキストを製作するのに20年前のパソコンを今でも使っています。ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センの言葉を使えば、それぞれの人にそれぞれのできることを実現するために必要なものを与えるということです。

 

(ここで「それぞれのできること」と訳したのは、アマルティア・センの「潜在能力」(ケイパビリティ)をフランス語化したcapabilité が括弧付きで書かれていたからだ。

いわゆるキャパシティ、capacitéとはニュアンスが違う。キャパシティが「器の容量」のイメージだとすると、社会的な環境によって与えられた器そのものを、その人に本当に適したものに随時変えることまでを含むニュアンスがある。

日本語のwikiで検索すると

>>>潜在能力とは 「人が善い生活や善い人生を生きるために、どのような状態にありたいのか、そしてどのような行動をとりたいのかを結びつけることから生じる機能の集合」としている。具体的には、「よい栄養状態にあること」「健康な状態を保つこと」から「幸せであること」「自分を誇りに思うこと」「教育を受けている」「早死しない」「社会生活に参加できること」など幅広い概念である。<<<

とある。修道院で各人に与えられるものとは、才能や仕事の能力だけではなく、その時その時における「well being」に適うような配慮がなされるということだろう。)





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by mariastella | 2018-04-25 00:05 | 宗教

修道経済 その4

(これは前の記事の続きです)


Q 3 修道経済のどの点が、代替経済(オルタナティヴ・エコノミー)の一つをインスパイアできると思われる特徴なのでしょう?

A 修道経済は基礎となる二つのアスペクトに依拠しています。

  私有財産の放棄と必要経済です。


  私有財産の放棄とは、個人的には誰も何も私有していないと言うことから成り立ちます。たとえば、修道女や修道士が「私のボールペン」という言葉を使わずに必ず「私たちのボールペン」という言い回しをする修道院があります。私有の放棄は、モノだけではなく権力やガバナンスにも適用されます。理論的には、修道士は、他の修道士に対して何の権力も持ちません。たとえ修道院長であっても同じです。けれども、生活上の現実から、やるべきことの目標というのは存在します。実際の修道院では、力の構造がとてもうまくオーガナイズされています。修道院長の他に、顧問や、参事があるだけでなく、同じ修道会の他の修道院長の訪問というものがあります。これらのシステムによって、修道院長がグル(尊師)化するのは非常に難しくなっています。



(同じ修道会の他の修道院長による視察、訪問、修道院の交替、などのシステムが、閉鎖され固定された環境での絶対者や独裁者の誕生を防ぐというのは、体験的な知恵も働いているのだろうか。このシステムはなんだか、フランスのグラントリアンのようなフリーメイスンにも似ている。各ロッジのマイスターは同格で、互いの交流もあるから、ある意味で牽制もしあえる。全ロッジをまとめるグランド・マスターは任期が長くないし、名が公表されて社会的政治的コメントもするのでこれも逸脱はできない。いや、フリーメイスンの方が修道会システムを踏襲したのだろうか。独身制で世襲がないのにかかわらず1000年以上も絶えなかった修道会が試行錯誤して積み上げたノウハウというのはいろいろな形で浸透している。でも修道会が院長の独裁化の誘惑なしにやっていけるのはやはり何といっても、神という超越を共有しイエス・キリストというシンボルを持ち、しかもそのキリストを各自が内面に取り込んでいるという構造にあるのだろう。生きている人間の神格化を絶対否定するのが安心の基礎にある。)



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by mariastella | 2018-04-24 00:05 | 宗教

修道経済 その3

(これは前の記事の続きです)

Q 2 研究の対象を聖ベネディクトの戒律を採用している修道会に限ったのはどういうわけですか?

A 聖ベネディクトの戒律にインスパイアされた修道会と、托鉢型修道会とでは、暮らし方と、物質財に対する関係へのアプローチがまったく違います。

ベネディクト会やシトー会は、自分たちの労働によって生活の資を賄おうとしています。托鉢修道会や説教修道会(ドミニコ会)は、神の言葉を担うために、労働というくびきから解放されることを願いました。

私は論文の一貫性のために前者に集中することにしたのです。それは別に聖ベネディクトの戒律の方が優れているという表明でも価値判断でもありません。

(托鉢修道会も私有財産は認めていない。中世において伝統的な修道会の多くが荘園領主化したことへの反省により、托鉢によってのみ生活の資を得る修道会がうまれた。アッシジの聖フランチェスコによるフランシスコ会がその代表で、カルメル会なども含まれる。時代と共に、寄進などによって修道会としての財産を保有するようになり、さまざまな形態が生まれた。聖ベネディクトの戒律は、イタリアのモンテ・カッシーノにベネディクトゥスが最初の修道院を作った後の530-556年にできたもので、衣服などの私物も決まったものを貸与される形で、四足獣を食べない、沈黙の強制、典礼、労働など微細にわたる。ネットでも検索できる。ここで扱われるのはいわゆる自給自足のコミュニティで、前に書いた『祈り』の映画の中にあるような施設もこのノウハウにインスパイアされているともいえる。)






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by mariastella | 2018-04-23 00:05 | フランス

修道経済 その2

(これは前の記事の続きです)


Q 1 あなたは定年リタイアしてから研究生活に入られましたが、そのプロジェクトはどのように生まれたのでしょうか?


A 私はエンジニアとしてのキャリアと企業取締役としてのキャリアを歩みました。

リタイアした時点で、興味を持っていたのは、エキュメニズム(教会一致運動)、福祉経済、フェア・トレードの三つについてでした。それが、神学を勉強しようと思い立った理由です。パリのカトリック学院では、私の職歴を鑑みて、修士課程で持続可能な開発について研究することを勧められました。私はすでに修道会ともかかわりを持っていたので、このテーマは、私の興味を持っていた全ての分野を抱合するものになりました。「連帯経済と市場論理」修士課程のディレクターであったエレナ・ラジダ女史は私の選んだテーマに関心を持ち、このテーマで論文を書くことを許可してくれました。この論文は、同時に、私の40年間にわたる職業人としての生活を批判的に見直すことでもありました。

(社会人として働いた後で神学校に入ったり修道生活に入ったりする人のケースはこれまでにも紹介してきたが、社会人としてのキャリアを全うしてリタイアしてから、その経験を批判的に見なおしてしかも学術的に研究する決心をする人もいるのだ。フランスにもリタイアしたら悠々自適、みたいな人は少なくない。そして、時間に余裕ができたことと、死生観を考えざるを得ない年になって、子供の頃に教会に行っていたことを思い出してシニア向け神学の聴講生になる、といった人も確かにいる。でも、ブノワ=ジョゼフ・ポンスさんのように、本格的にフィールドワークも必要な研究で論文を書きしかもそれが今の世界の先端にある課題への提言というケースには驚かされる。

どういう家庭で育ったのか、なぜ修道会と関係があったのか、修道院での黙想体験とかの愛好者だったのか、家族に修道者がいるのか、などと知りたい気がするが、今の時点ではそういう個人情報は分からない。)





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by mariastella | 2018-04-22 00:05 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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