L'art de croire             竹下節子ブログ

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ジャン=マリー・ブロームのスポーツ政治社会学 その6

---2014年のパリのオリンピックですが、手を挙げたのはパリだけという結果になりました。

膨大な工事を必要とし、赤字のリスクをおかしてまで開催するような巨大スポーツ大会は採算が合わなくて将来的に消滅することにならないでしょうか?



JMB :世界的な経済危機の中で、オリンピックのような巨大スポーツ大会を開催できるような都市は少ないでしょう。高くつきすぎます。

プロモーターたちはそれがインフラを整備させ、雇用を促進し、観光客も誘致できるなどと説明します。もちろんそれは真実ではありません。ロンドンでもアテネでも大きな赤字に終わりました。

フランスでもすでに当初の予算をオーバーしています。工事を続けるには増税が必要でしょう。フランスが売りつけている新型原子炉EPRと同じです。予算が限りなく増えていきます。

とはいえ、「資本主義の最終危機がすべてを正常に戻す」などと思っていません。そんなことは150年前から言われていました。

必要なのは、知的で説得力のある批判を展開できて、実際に社会を変革することのできる政治的体制的な道をつくることです。

今の問題は、スポーツ批判を掲げて抗議することのできる政治的な動きが全く見られないことです。共産党も社会党も、オリンピックを、市民の祭典、エコロジーのモデルにしようなどと言っているのですから。(終わり)



Sekko  :ネットで読むGQ9月号p88の内田樹さんの時事問答の中に、「東京五輪が果たして開催されるかどうか、僕はけっこう不透明だと思います」とあった。電通の仲介でシンガポールのダミー起業に日本の招致委員会から23000万円が振り込まれたのが「買収」だと公式に認められたら、五輪憲章違反だから開催前日でも取り消し可能で、その損害に対してIOCは一切責任を負わないとかで、開催中止リスクを抱えたまま準備が進行しているのだとか。


カタールのワールドカップ招致における「買収」問題はたしか9月に最終判断がなされる。普通は夏と決まっている開催の季節までさすがに金の力で冬に変えてしまったくらいだから、やはり、「合法」より「金」の力が強いのだろう。東京五輪も、世界中がひそかに崇拝している「金」という一神教の前では、「憲章違反」なんて風に吹き飛ばされる。

どちらにしても、これから、東京五輪に関する言説と、パリ五輪に関する言説を比べていきたいと思っている。

日本とフランスのようにメンタリティが異なる国が、「スポーツ万歳」のグローバリズムでどこまで似たような言葉を発するのか、どのようなニュアンスの違いがあって、どのような反対意見があるのかを観察することで、実はもっと深刻な何かを探り出したい。


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by mariastella | 2018-08-14 00:05 | 雑感

ジャン=マリー・ブロームのスポーツ政治社会学 その5

---右派も左派も一致してサッカーのチャンピォン礼賛に参加しています。

そこに疑問を発するあなたは、共産党や進歩主義者たちからの攻撃を受けていますね。

ワールドカップに感情移入しない人は、エリート主義だとかインテリ主義だとか言われて攻撃されます。スポーツのエンターテインメントに向ける大衆の中毒状態に対しての批判は少なく、極左政党のメランションでさえサッカーの贔屓チームを応援するツィートを流しています。


JMB :68年五月革命の後に続いた時期には、今私の言っているようなことは当然の考えでした。知識人はマルクーゼ、ライヒ、フロム、アドルノらのフランクフルト学派や、カストリアデスのようなシチュアシオニスム派から影響を受けていたからです。

けれども今は、資本主義を否定する政治的力はどこにもありません。スポーツ批判だけでなく、もっと深いところで価値が反転しました。

今や左派の一部はイスラム主義者となりイスラム・スカーフを擁護し、別の一部はマドゥロやプーチンのような独裁者を指示しています。40年前には考えられなかったことです。


スポーツのイデオロギー性はもはや思考の対象にはなりません。それどころか、学者もジャーナリストも政治家もみんな嬉々としてサポーターと一緒にカメラにおさまります。私は試合を観にいったことがありますが、上半身裸のサポーターがアルコールのにおいを芬々とさせてヒステリックにわいせつな言葉を敵に投げかけていました。それなのに、民俗学者や社会学者やジャーナリストは声を合わせて、サポーター文化は「共生」「連帯」の素晴らしいモデルだなどと言うのです。

スポーツにかこつけてスタジアムで絶叫する一種の暴動状態は群居の最悪の形です。

極左のメランションは自分の批判している社会の金融支配がスポーツに浸透していることを知っている。サッカーの有力クラブはロシア、中東をはじめとする財閥やマフィアに牛耳られていることも、サッカー協会やオリンピック委員会が汚職スキャンダルがあり、ロシアの国がらみのドーピングがあることも知っているのに不問に付し、「スポーツ界が腐敗していることは承知している、しかしなんといってもポーツは大衆文化だからね」などと言っているのです。


今の支配的な考え方はこうです。


スポーツは、若者に、経済に、健康に、市民の自覚にも、有用である。


「スポーツは善である」というこの前提があるからこそ、スポーツ界の暗黒面を暴露しようとする人がいると、団結を乱す、虚無主義者だ、物事の否定的な面しか見ない偏向だ、などと、「スポーツ」利権の番犬たちがいっせいに吠え立てるのです。

考えることを封鎖する同調主義が支配します。


1980年代から進んだこのような批判精神の衰退、イデオロギーと政治意識の大幅な退行こそが、今のスポーツの阿片的偶像崇拝の基盤にあるのです。

1978年のアルゼンチンでのワールドカップの時、ビデラの軍事政権に異議を唱えてボイコットを呼びかける人々の運動は無視できないものでした。けれども今のは人々が本気で憂うるのはネイマールの足首の具合なのです。



Sekko : ううん、これほど堂々と意見を述べちゃっていいのだろうか、と心配になるくらいだ。

私には「旗色を鮮明にしない」ことでコンフリクトを回避するという卑怯な姿勢があることを自覚しているので、こうはっきりと「主流秩序」に都合の悪いことを言い切る人を尊敬してしまう。

巨大産業になるようなプロスポーツとはすべての面でほとんど縁がないけれど、「スポーツは有用である」、だから善である、みたいな言説には、これまでいろいろ疑問を投げかけてきた。


『カルトか宗教か』(文春新書)では、「健康カルト」について書いたし、『陰謀論にダマされるな!』(ベスト新書)では、代替医療やスピリチュアル系言説と終末論言説の語りの構造がパラレルであることを書いた。


適度なスポーツが心身にいいことや子供や若者に必要なことは分かる。


でも、「スポーツは、若者に、経済に、健康に、市民の自覚にも、有用である」。だから善である、というイデオロギーは、若いこと、経済が順調であること、健康であること、市民の義務を自覚すること、などなどがそのまま「善」であるというのにつながる。

だから、障碍があっても、高齢であってもスポーツをする人は「偉い」。

若くなく、貧乏で、病気で引きこもっているのは「悪い」。

こういう空気が醸成される。

そこに、個々人の健康長寿や資産形成などがそれこそ一種の競技のように「勝ち負け」感を生むとしたら…。根本的な何かが違っている。


かといって、美容や健康のために奔走している人たちを横目で見て、「あいつらはただのエゴイストだ、私はもっと世間にとって有用なことをしたい」と言い切るような自信もない。

ジャン=マリー・ブロームのような人が言葉にしてくれること、それを目にすることができてありがたい、という気持ちだけは、確かに、ある。


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by mariastella | 2018-08-13 00:05 | 雑感

ジャン=マリー・ブロームのスポーツ政治社会学 その4

---スポーツの大会はますます規模が大きくなるようです。オリンピックやワールドカップではスタジアムにもテレビの前にも多くの人が集まります。スポンサー名を付けたチャンピォンの映像はネットで世界中に拡散されます。ナショナルチームのスター選手が練習中に足をくじいたということが公営テレビのニュースで流されます。

特殊な機械的な訓練で性能を増したロボットのような大金持ちのスポーツ選手の偶像化は私たちの文明の現状を反映しているのではないのでしょうか?

意味も意義もないからっぽの状態を。


JMB :まさにその通りです。スポーツはすべての分野に進出します。

資本主義エンターテインメントの主要なオブジェと化しています。

エンターテインメントの中身は重要ではないのです。エリザベス女王の誕生日、その孫の結婚式、マクロン就任式の演出、いずれも、資本の力そのものが、テクノロジーとイデオロギーを駆使してエンターテインメントとなっているのです。

壮大な無駄や見かけを追求する今の世界ではスポーツはとても価値あるものに見えます。だからこそ、ワールドカップを観戦するためにロシアに出かける人のためのローンを銀行が組むのです。

コカ・コーラが、ヒュンダイがスポンサーとなり、クレディ・リヨネ銀行がツール・ド・フランスに出資しています。

どこでもいつでも、テレビで、SNSで、スマートフォンで、人々はスポーツ観戦をしています。社会の不平等が広がり、巨大資本が世界中で環境破壊を進めている間に、スポーツは人々に気晴らしを与えます。不公平を生むシステムを正当化するファクターのひとつなのです。


Sekko :なるほど。中南米の豊かそうでもない国の豊かそうでもないサポーターたちがどうやって大挙してロシアまで応援に来れるのだろうと不思議だったけれど、それ専用の銀行ローンが存在するのだ。

スポーツの大会の開会式や表彰式や閉会式などの演出はどんどん大掛かりなものになっていく気がするが、それをエンターテインメントとして楽しませてもらっているのと同時に、いったいどれだけの金(明らかに税金の場合もある)が投入されているのかとくらくらすることもある。

一方で、良質の作品を世に問う芸術家たちは、「カネになる」システムに乗ることのできたごく少数の者以外、生活するために苦労する。商品となったり投機の対象となったりすることもある芸術作品は、本来は、「恵み=無償性」の上に依って立つものだ。力や技の世界と、真や美の世界は、似ていない。




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by mariastella | 2018-08-12 00:05 | 雑感

ジャン=マリー・ブロームのスポーツ政治社会学 その3

--あなたはスポーツを全体的社会現象だとし、「生き方のスポーツ化」が進んでいると言います。そのようなモデルは私たちに何を促すのですか。スポーツ礼賛はパフォーマンス、効率、収穫の追求、限界の突破と一体になって、「経済成長」イデオロギーにつながっているのですか?


JMB : クーベルタンの頃すでに「若者を若者らしくする」という認識がありました。クーベルタンは、『スポーツと植民地主義』という記事の中で、〈イギリスの植民地主義時代以来、すべてのスポーツ体制は「運動する若者」養成に期待してきた。イギリスのスポーツの目的とは、若者たちに「やる気」「競争心」「忍耐」「ファイティング・スピリット」を養うことだった。〉と述べています。

軍隊ではまず肉体的な忍耐力増強が訓練されます。

ヒトラーも、ムッソリーニも、ペタンも、スターリンも、すべてのファシズム政権は、大衆を団結させ、若者を統制し規律に従わせ、頑健にし、英雄や戦士を礼賛させ、スタハノヴィズムを徹底するためにスポーツを利用しています。


今のフランスのマクロン主義も同じです。自己の限界を突破せよと語り、政治の言説も経済の言説もスポーツ化しています。生産性と競争力と効率を鼓舞するスタートアップへの呼びかけもそうですし、企業も企業内でのスポーツ研修などで社員の団結や克己心を高めようとしています。プロのスポーツ選手が練習と試合の時間配分を管理するように、ビジネスマンも最大のコストパフォーマンスを目指して時間を管理します。

そこには生身の肉体への配慮がありません。機械としての肉体に効率的にエネルギーを補給し燃焼させて機能と利潤の最大化を図ります。マクロンのチームも、各自が「勝利」によって自己実現を達成するよう促されています。


しかし、忘れてはいけないのは、全ての「競争」とは、強者による弱者の排除だということです。スポーツは、生存競争というイデオロギーを内包しています。社会の中での競争による選択が、結果的に「不平等を正当化する」ということです。

(続く)

Sekko :うーん、ある意味、今の新自由主義経済を批判するためにさんざん言われてきたような話でもあるけれど…こうして「スポーツ」と重ねられると、確かに、保守も革新も、「スポーツ」に関しては批判的言説がタブーで、「聖域化」している現状も見えてくる。

ただ、社会主義国家におけるスタハノヴィズムについては、かつて中井久夫さんが、日本人社会で伝統的に求められているのは数字で評価されるような働き方ではなくて「気働き」だ、日本は「気働き文化」だと言っていたのを思い出す。

で、今の日本ではそのような数字化されない「気働き」がもはや評価されなくなったのかというと、「空気を読め」とか「忖度」という形でちゃんと残っていて、その上で、効率だの生産性などで勝ち負けが決められるのだとしたら…

過労死や自死に至るのも不思議ではない気がする。

スポーツ界でも様々なスキャンダルが時折表面化しているけれど、小学校の組体操から相撲やアメフトまで、本当はもっと掘り下げて、根本的に「弱者の尊厳を守る」ことを共通価値と認識するまでに至らないと、私たちは、いつか、確実に、運命共同体的に、壊れていく。


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by mariastella | 2018-08-11 00:05 | 雑感

ジャン=マリー・ブロームのスポーツ政治社会学 その2

これから5回にわたってスポーツ社会学のジャン=マリー・ブロームのインタビュー記事(LADECROISSANCE n.151 p26)を要約して紹介する。


1回はここにある。

そこで、近代オリンピックの父クーベルタンヒトラー信奉者で植民地主義者で人種差別主義者で女性差別主義者だったことを書いた。


ところが、最近、リテラの記事で久米宏さんの東京五輪批判について読んだ。


この中で、「クーベルタン男爵の意思や思いを一番曲げたのは日本でしょうね」とあるのだけれど…。

日本人にすりこまれているクーベルタンの「意見や思い」というのは「参加することに意義がある」というやつなのだろう。


2018年のフランスには、テロで一時低迷していた観光客が戻ってきいるという。

景気もやや回復しているようで、サッカーのワールドカップで優勝したことと2024年のオリンピック開催とで、フランスのイメージはアップしているという。

なんといっても観光はフランスの最重要の売り物だから。


では、J-M.ブローム。


---「テクノロジー至上主義文明」に急進的な異議を唱える者はスポーツというシステムを否定すべきだということですか?


JMB :スポーツは、地球を不可逆的に変えてしまうテクノロジー競争に参加しています。自動車競技、自転車競技、スポーツ競技に関するありとあらゆる機械や器具の性能向上だけではなく、電子クロノメーター、ビデオ判定、などの精密機械のとどめを知らない進化、そしてコンクリートで固めたスタジアムやトラックの建設やスキー競技施設の開発など、環境破壊の直接の要因にさえなっています。しかもスポーツは人々を浅薄さに閉じ込めます。イデオロギーとしては強力だけれど、競技はいつも刹那的なもの、一時的なものでしかない。ローラン・ガロスの後はウィンブルドン、ワールドカップの後はツール・ド・フランス、次から次へと変わり、優勝者も新しくなる。今日の栄光は20年経てば忘れられる。けれども、社会学的問題、環境問題は継続し深刻化するのです。(続く)


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by mariastella | 2018-08-10 00:05 | 雑感

Atelier des Lumières

先日、付き合いで出かけたパリの新名所?、光のアトリエ Atelier des Lumières。

音楽と映像、映像も3D、水面、鏡などをふんだんに使って広いスペースでの展覧会。

オープニングのプログラムはクリムトとフンデルトヴァッサーだ。
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音響がすごいので、家族連れががやがや言っていてもそう気にならないので、座り込んでぼーっと瞑想にふけっている人も少なくない。全方位画面だから、人も邪魔にならない。
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上からも見下ろせる。
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壁に座り込む人たち。
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このオープニングにこの作品のチョイスはぴったりだ。
展覧会としてどうかというより、まあ、別のスペクタクルだと思えばいい。

今はヴーチャルリアリティのスペクタクルもいろいろあるので中途半端と言えば中途半端。
20世紀に360°画面の映画などを見て結構感動したことも懐かしく思い出す。
何にでも慣れて、さらなる刺激を必要とするのかもしれない。

でも、たとえば去年ウィーンで観たクリムトの「原画」がインプットされるのは脳の別のところらしくて、時間が経ってもさらに熟成する。

そして、子供連れでこういうものを見る時に、恐竜や宇宙戦争などの大画面でなく、大迫力の名画と名曲の組み合わせというのは、貴重な機会かもしれないし、フランスらしいコンセプトと言えばいえる。

最寄りメトロの近くで食べたフレンチ-イタリアン・レストランはひろいものだった。『食いしん坊のアーティスト』という店。

confit de canard などを食べたが、こちらの方が「アートだなあ」という出来だった。




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by mariastella | 2018-07-25 00:05 | フランス

ベトナム豚、鶏カップル

うちの猫たちと離れていたバカンス先の観光農場で、ベトナムの黒豚というのが足元に寝ていた。すごい迫力の巨体がどてっと脱力している。
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こうして写真をアップしてみると可愛いと言えなくもないが、実際に見ていると、リスペクトの感がわいてこない。すると、その上に、子供たち用なのか、「この豚を馬鹿にしてはいけません。こういう風に太っているのはこういう種類だからなのです」という説明書きがあった。
こんなことわざわざ書くのは「太っている」ということが嘲笑の的になるという前提だからなのか、また、太っているのは「自堕落」なのではなく「そういう種類」なのだから、しょうがない、多様性を受け入れろということなのか、などと余計なことが頭に去来する。
確かに、第一印象は、こんな姿でただ寝ているだけなんて生きている意味がないんじゃないかとちらりと思った。そして、いくら「そういう種類」だと言われても、人間が食肉用として太らせているうちに「そういう種類」を創るのに成功したんじゃないか、とも思う。

そのベトナム豚のすぐそばに、鶏のカップルがいた。牝鶏があちこちに移動するのだけれど、雄鶏がまるでガードマンのように寄り添っている。鶏と言えば牝鶏がたくさんに雄鶏は一羽みたいなイメージだったから、意外だった。
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この雄と雌の姿の違いを見ていると、ジェンダーのことなど考えてしまう。男女の異装とか、トランスジェンダーのことまで。
何を見てもあれこれ考えてしまう癖はバカンス先でも変わらない。

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by mariastella | 2018-07-21 00:05 | 雑感

アンギャン=レ=バン

先日、パリ近郊の鉱泉保養地のアンギャン=レ=バンに出かけた。

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さすがにこの季節なので町の通りにまで意匠が施されていた。

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普通の町なら、クリスマスシーズンだけのところがほとんどだけれど。


この町とは縁が深くてよく訪れるのだけれど、私が40年以上前にはじめにフランスでホームステイした町がやはり保養地のヴィシィの夏だったことも、ここに来るたび思い起こす。

ここのところ忙しすぎてまとまったことは何も考えられなかった。後23日で通常運転に戻るつもり。

付録:どうでもいいことだけれど、最近何度も起きるので自分でも困っていることを書いておこう。

麻生財務大臣が首相時代に間違えて読んだと言われている「未曾有」と「頻繁」という二つの言葉だが、この麻生さんの話を読んで以来、なぜだかこの二つの熟語を見る度に、「みぞうゆう」に「はんざつ」という読みが頭に浮かんでくる。

特に頻繁が「煩雑」に見えてくるのはなぜだろう。

私だけだろうか。

このままいけばそのうち「云々」も「でんでん」と読んでしまいそうで怖い。


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by mariastella | 2018-07-20 00:05 | フランス

ワールドカップでフランスが優勝した(追記あり)

フランス国内ではフランスが勝つと予測した人が80パーセントを超えて、二度の優勝を示す二つの星の着いたユニフォームも早々と用意されていたから、これで負けたらどうなるのかと思っていたが、結局下馬評通り勝った。

それでも前半はぱっとせず、ハーフタイムでは勝ち越していたにもかかわらず相変わらず酷評コメントが流れていた。「死闘」を展開するクロアチアの迫力はなかなかのものだったけれど、結局はフランスは4人が4点を獲得するという層の厚さを見せて勝った。

準決勝には12歳の黒人のサッカー少年を連れて行き、決勝には傷痍軍人を同行したマクロンはクロアチアの女性大統領と終始にこやかにやっていた。男同士だったら少し雰囲気が違っていたかもしれない。

カップの授与式が大雨で、最初プーチンだけに傘が差されたことが印象的だった。
雨でずぶずぶの芝生に飛び込んですべってはしゃぐポグバなどを見て、これは水泳大会か、と揶揄していた人もいたが、あれだけ派手にすべっても楽しそうにしているのと、試合中には相手チームのファウルを誘発するために少し転んでも大げさに痛そうにする選手の姿のギャップがありすぎる。

1998年のブラジルとの決勝のようにきれいな勝ち方ではなかったけれど、最後までひやひやさせるという点ではファンを楽しませたのだろう。

今は更衣室でも選手たちがすぐにスマホを手に取って様子を撮影してインタグラムに放出するので、メディアもそれを流す。昔ならお宝映像ばかりだ。
マクロンもマリの傷痍軍人と共に入ってきてはしゃいでいる。クロアチアのような女性大統領だったら更衣室は無理だったろう。(フランスのスポーツ相は女性だ。軍隊相やスポーツ相に女性を配することで女性重視と《ぼくちゃんは男》という二つのメリットがマクロンにあるのかも)

モスクワは大雨でもパリは晴天でシャンゼリゼはすでに優勝を確信していた人々でいっぱいだった。

意外なことが一つあった。

1998年の自国開催での優勝の時にシャンゼリゼに来た人が、今回の方が人が多いというのだ。喜び方も派手だと。

理由を解説されてなるほどと思った。

1998年にはブラジル人もたくさんいたからだ。

そういえば当時パリ中にブラジル人があふれていた。

今回は、フランスの開催ではないから盛り上がりが前より少ないのかと思っていたけれど、確かに、モスクワでの決勝に、クロアチア人がわざわざフランスに来る理由はないから、フランスはフランスのサポーターのフランス人でほとんど埋め尽くされていたというわけだ。モスクワにも行きたいけれど、フランスに残ってみんなと一緒に感動や興奮を分かち合う方がいい、という人の心理が分かった気もする。

何にせよ、街行く人々の機嫌がよくなるのはテロの恐怖に戦々兢々としているのと違って喜ばしい。こういう時は、個人競技で天才プレーヤーがどんなに活躍するよりも、団体競技出の勝利というのは「エゴ」や「ナルシシズム」に取り込まれないで「同胞愛」「連帯」のカタルシスがあるのは喜ばしい。
チームが互いのエゴをどのように管理するか、ということは、トリオやカルテットなどで演奏する私にとっても切実な問題だから、考えさせられる部分もある。

もっとも、サッカーとはスタープレイヤーが月何億円という収入を得ている世界だ。
いろいろな意味で私には理解不可能な領域だ。
次期開催国にカタールが選出されるにあたって買収があったといわれ、取り消しの噂も出ているという。気の遠くなるような大金がどこでも動いている。

とはいえ、スポーツの国際大会は経済や愛国心だけではなく外交のツールでもある。

スポーツの世界選手権に往々にして世界大戦風なレトリックが使われるのは嫌だけれど、フランスはお得意のユニヴァーサリズムをちゃんと掲げることができるから羨ましい。監督は優勝後すぐのインタビューを「共和国万歳」でしめくくった。フランス万歳ではない。「自由、平等、同胞愛」の理念万歳ということだ。

実際は、共和国理念だけではやっていけないのでフランス軍隊の標語「名誉と祖国」の方がワールドカップの熱狂には透けて見える気がするが。
前にこことかここで書いた。
モスクワで観戦していたメキシコ人が、「フランスが勝って嬉しい。フランスには勝利する価値がある。普遍価値を擁している国だからだ。我々はみな普遍価値を必要としている」と言ったという。

フランスでは、憲法はいじられまくるが、「自由、平等、同胞愛」という福音書っぽい普遍理念と世界人権宣言はいじられない。

一夜明けた新聞には「永遠」という言葉が使われているのが目立った。1998 年の優勝の時も「永遠に」とあったそうだ。デシャン監督は選手たちに「君たちはこれで一生、一つだからね」と 言ったそうだ。その「永遠」はユニヴァーサリズムに担保されて居場所を獲得する。

追記:

16日も シャンゼリゼでの凱旋パレードなどがあったせいでニュースはずっとワールドカップ優勝関連ばかりだった。14日の軍事パレードでは、赤白青の三色を空に描くはずだった飛行機がガスを積み間違えて青の一部が赤になるという珍事(北朝鮮だったら大変だ)があったけれど、16日には、しっかりとトリコロールの筋が凱旋門の上に描かれた。

近年、フランス人が大通りを埋め尽くすというのは2015年のシャルリーエブドのテロの後の表現の自由のでも、去年の暮れのジョニー・アリディの葬儀など、いずれも「喪」にまつわるものだった。ジョニーのファンなどは、トランプの支援層のような保守的なリタイア層が目立っていた。

今回は、「世界チャンピォン」という「慶事」で、しかも若い世代が大活躍(アルゼンチン戦で活躍した22歳のバンジャマン・パヴァールの出身地は私にとってフランス屈指の思い出の町でもある)ということで、明るく希望に満ちたもので喜ばしい。

98年に掲げられたのが「ジダン、プレジダン(大統領)」と脚韻で、今回は
「リベルテ(自由)、エガリテ(平等)、エムバペ(19歳のスター選手)」という共和国の標語の脚韻になっていたのもほほえましい。

後、テレビのコメントで、ナショナルチームのヘアスタイルがみな一様に「普通」になっていたことが言及された。

サッカー選手はユニフォームで戦うが、ヘアスタイルは奇抜な人が多い。まるでヘアスタイルで個性や自由を表現しているようだ。
それが今回のフランスチームは全員、「普通の髪型」に代わっていた。
フランス人が監督の命令に従ってそんなことをするとは思えないから、これは自発的としか考えられない。
それが、すべての個性や自由はスタジアムで発揮するという今回のチームのマインドの現れだというのだ。

確かにデシャン監督は、個性的でエゴの勝ちすぎるスター選手たちを外した。
それでもポグバのように羽目を外す選手はいたのに、今回は全員謙虚で落ち着いていた。ヘアスタイルはその心境をものがたっていた、という。

そういえばそうだ。日本で言えば日本人選手が全員黒髪の短髪にそろえているようなものだ。今では奇抜なものが普通になっている。

団体競技が外からの圧力でなく自発的な一体感と自由の落としどころを見つけると、強さが発揮できるのだろう。98年はフランスチームが多様でも他のヨーロッパチームは白人ばかりだったけれど今はベルギーやドイツのような国も移民出身の選手を擁していていたのも時代が変わったとおもわせることだった。






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by mariastella | 2018-07-17 00:05 | フランス

1998年ワールドカップ優勝から20年のフランス

7/14付の記事に訂正と追記があります。)


1998年、フランスとクロアチアがフランス開催のサッカーワールドカップで準決勝を戦った夜のことを確か『からくり人形の夢人間・機械・近代ヨーロッパ(岩波書店)』に書いたと思う。パリのマジシャンの集まりに参加していた。フランスが勝つとクラクションが鳴り、通りが騒がしくなった。マジシャンたちは機嫌よく、私のためにだけいろいろなテーブルマジックを披露してくれた。非現実的な夜だった。(ここにも関連記事あり)


いろいろな国のサポーターたちがメトロにあふれかえり、今のようなテロの恐怖もなかった。振り返るとなつかしく、感慨深い。

ブラジルとの決勝の日は、私は日本にいた。録画した試合を早朝に見た後、ハワイに発つために成田空港行きのリムジンバスに乗ったら、フランス人が一人乗り合わせてフランスのスポーツ新聞を手にしていた。つい声をかけた。そのリムジンバスの中でフランスの優勝のことをフランス語で話すことができる喜びを共有したことを覚えている。インターネットも今ほど速報を流していない時代だった。

今年はその優勝から20周年ということで回顧番組がいろいろあった。4年ごとの大会だから、10周年というのがなく10年前には何もなかった。

で、あらためて、20年前の優勝の日のフランス人の熱狂ぶりをテレビで見ることになった。それから数年間、2年後のヨーロッパ杯も優勝したのでみんな機嫌がよかった。

フランス人がすなおに機嫌がいいのを見るのはめったにないのでこちらも気分がよかったのを覚えている。1999年の7の月の終末論どころか、1998年の7の月の「アンゴルモワの大王」はジネディヌ・ジダンのことだと言われたぐらいだ。

20年前のシャンゼリゼの熱狂をテレビで見ると、凱旋門に何度も「ジダン、大統領」とテロップが流れていたしみなが声を枯らして唱和していた。「ジダン、プレジダン」と韻を踏むからだ。ジダンはベルベル人でいわゆるアラブ人ではないけれど、北アフリカのマグレブ三国の出身であるのは確かで、当時のフランス・チームが「ブラック、ブラン、ブール」とよばれていたことのシンボルともなっていた。これも「B」で頭韻を踏んでいる。

そのためにわざわざ英語のブラックを使い、アラブを逆に読んだ俗称ブールを使っている。アラブ系の人気俳優が、優勝の夜を回想して、「あの夜、すべてのアラブは美しかった」とほほ笑んだ。

ただ印象的だったのは、当時のナショナルチームの補欠選手で、結局一度も試合に出なかった人が、疎外感を語っていたことだ。凱旋パレードでも自分が取り残されている感じがしたという。試合に出ないどころかテレビを見ていただけの人々があれだけ感情移入してまるで自分たちの手柄のように狂喜乱舞しているのに、ずっとチームと共に訓練しながらベンチにとどまった選手がフラストレーションをおぼえるというのはなるほどそうかもしれない。「連帯」の心理というのは不思議なものだ。

今のハイビジョンになれた目には当時のテレビ画面はぼやけて見えるものの、シャンゼリゼを埋め尽くす人々の興奮と幸福感は伝わってくる。

それに比べると、20年後の今は、テロの非常事態も警戒し、エッフェル塔の周りにも柵ができているし、セキュリティ・チェックは厳しいし、なんだか時代は悪い方に行っているような気がしてしまう。

そして、今回フランスがロシアでの第一次リーグを順調に勝ち進んでいた間も、解説やコメントはみな一様に辛口だった。こういう時、フランス人が自虐的で素直でなくて、文句ばかり言っているのはいつものことなのだけれど、なんだか、敗退した時のショックを減らすために防衛機制が働いているんじゃないかと思うほどだ。

それでも、決勝に進むころには町のみんなの機嫌がよくなっていくのが分かる。

そして、今のナショナルチームで最年少の天才プレーヤーと呼ばれているキリアン・エムバペだが、この人は、パリ生まれだが父はカメルーン出身、母親がアルジェリア人と、「ブラックとブール」のハーフなのだ。今のチームの「黒人」はフランス海外県出身どころかアフリカからの移民出身が主流なのだけれど、エムバペのようなハーフ(というかダブル)の活躍こそ、形だけの「多様性」の共存じゃなくて統合のシンボルだなあとも思う。その意味では98年よりも進んでいる。彼は19歳とは思えない落ち着きで謙虚でエムバペの父親も元サッカー選手だが、ジダンも「白人(スペイン系フランス人)」の夫人との間の息子たち(うち一人は1998年生まれ)がプロのサッカー選手の道に進んでいる。

一時ナショナリズムの真似事をしても、実はいろんな意味でもう国境のない人たちなのだ。

今回、1998年から20年ぶりとなるクロアチア戦、今回のファイナルを、ロシアのスタジアムで観戦したいのはやまやまだけれど優勝の瞬間はフランスにいて多くの人と感激を共有したい、というフランス人が少なくないのは意外だった。ロシアに行く金も時間もある人でもそういうからだ。やはり、「感動を不特定多数の隣人と共有」することで増幅させて盛り上がりたい、という欲求は大きいのだ。それは、別に「フランスだフランス人同士で」というのではなく、フランスの優勝をいっしょに喜べる人たちが最もたくさんいるところ、という意味だ。

クロアチアの観光地ドゥブロヴニク(アドリア海の真珠)で今バカンス中のフランス人も多いのだが、その人たちが、15日は目立たないようにひっそりと赤白のクロアチアのシャツを着てテレビを見ると言っていたのも笑える。

フランス人にとってファイナルを見るのに最高の場所はフランス、次がロシアのスタジアム、最悪がクロアチア、ということだ。

そういう意味ではサッカーの国際試合は悪くない。

日本ではサッカー自体の位置づけが違うし、監督の国籍でもいろいろ言われるし、「移民出身選手の活躍」なんて想像もできない。


(この記事は日本時間の16日零時過ぎの予約投稿なので、決勝戦は始まったばかり。終わって何か思うことがあれば追記します)


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by mariastella | 2018-07-16 00:05 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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