L'art de croire             竹下節子ブログ

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政治家の体力と知力

「対話」「議論」「意見交換」を打ち出したマクロンが1/15にノルマンディに出かけて地方自治体の代表たち600人と、午後の7時間に及ぶノンストップの質疑応答をした。テレビで生中継があった。

内容についてはまた別の時に書くが、日本人の感覚で驚いたのは公開で、休憩なしの7時間近くの長丁場というところだ。トイレ休息もコーヒータイムもない。私が一部を見た時はマクロンは立ったままで水も飲んでいなかった。


これをフランス全国でやっていくというのだから、今までの「王さま」スタイルが高くついたというわけだけれど、それにしても体力と気力はすごい。

さすが41歳の若さ。働き盛り。

でも、今まで見捨てられていたと嘆く地方に出向いて「庶民」と向き合ったにしては、相変わらずの「優等生」言葉を頻発して、実況でいろいろな批判がツイッターで飛び交った。

第一、「中央から無視された地方」というのを

"Un sentiment de déprise lorsqu'ils sont dans la ruralité".

と表現した。このdéprise というのが、「辞書を引かなくては分からない」と揶揄された。
私などはむしろ、単純に、priseの反対だと連想するので何の抵抗もなかったけれど、「今」風、「庶民」風に、

les campagnards sont des laissés pour compte.

と言えばいいのに、と揶揄されたのだ。
うーん、もともとマクロンは、リセの頃から愛聴のシャンソンもジャック・ブレルとかレオ・フェレの曲だったとかで、完全に時代錯誤だった、と言われる。
確かに、マクロンの親世代である戦後のベビーブーマーのテイストだ。

若い世代からは「スノッブでジジイくさい」と言われ、その「ジジイ」からは「青臭い」と言われるのだから気の毒でもある。

今、「黄色いベスト」運動が極右ル・ペンにとりこまれようとしている傾向が強くなってきたから、マクロンが全力で「下々」と「向き合う」のは悪くはない。

それにしても、あんなに「下品」で「無教養」な言葉や態度を頻発していたサルコジに対しての方が、攻撃も下品だったけれど、分かりやすいと言えば分かりやすかった。
マクロンって、かなり逆説的な存在だ。
教養は「謙虚」に裏打ちされていなければただの「武器」だと思われる。
「黄色いベスト」の多くの人がマクロンに求めているのは「教養」でなくて「謙虚」だということが彼にはまだ分からない。

これは前から書いていることだけれど、フランス人はよくしゃべる。どんな人でも、根拠がなくても、滔々と自説をまくしたてる。フランス語自体にもそのメカニズムがある。

確実に思えることは、どこかの国の首相なら、批判的な人々、不満を持っている人々の前で7時間も直接質疑応答するような体力も気力も語彙もないだろうなということだ。

(細部をチェックするのが必要な時があるかもしれないので、自分のためにここに全シーンを貼り付けておきます。)


by mariastella | 2019-01-17 00:05 | フランス

マルスィアル・フーコーの語る「黄色いベスト」運動

「毎週土曜」が定番となって続く「黄色いベスト」運動についてのまとまった言説が出回り始めている。

パリの政治学院のマルスィアル・フーコーが興味深いことを言っていた。

「黄色いベスト」運動は、SNSでの広い呼びかけなしには起こらなかったとは言えるけれど、実は、フランス人でSNSの情報に信頼を置いているのは13%に過ぎないという。そして自分の周囲の知人友人、属する自治体のリーダー(町長や市長など)の言うことには90%以上のフランス人が信頼を置いているそうだ。
この10年ほどこの傾向は顕著だそうだ。

だとしたらフェイクニュースへの耐性は案外あるのかもしれない。

つまり、政府や大統領には激しく抗議しているけれど、「地元の議員」とは話し合う気が満々ということでこの辺が解決への道につながるかもしれない。

こういう「町内会」っぽいところって、個人主義のフランス人に一見似合わなさそうに思われるけれど、なんだか実はよく分かる。「家族の絆」だって少なくとも日本の大都市に住む日本人より強そうだ。農耕民のDNAはフランスの方が色濃く残っているかもしれない。

フーコーのビデオ。

by mariastella | 2019-01-16 00:05 | フランス

女性差別とユダヤ人差別

ラジオで44 歳の女性ラビ(フランスでは希少)のデルフィーヌ・オルヴィラール(Horvilleur)が「黄色いベスト」運動と反ユダヤ主義の復活について話していた。

今のポピュリズムに共通していえる「エリート」「権力者」「富裕層」への抗議とそれに伴う憎しみの連鎖から、昔からの反ユダヤ主義(ユダヤ人は金融強者で闇のネットワークで世界を支配している、富裕者、陰謀論)が復活しているという。アメリカのピッツバーグでシナゴーグを襲ったテロリストもユダヤ人が移民のキャラバンを通している、などと言っていた。ポピュリズムのあるところに反ユダヤ主義もある。
1946年にサルトルはユダヤ人とは反ユダヤ主義者の視線の中にしかいないという考えを表明した。その後も、2012年のトゥールーズのユダヤ人学校のテロの時も、フランスでは、反ユダヤ主義は、中東でのイスラエルとアラブの対立を反映したものだという見方がされていた。
これに対してオルヴィラールは歴代のラビによる説明をたどりながら、反ユダヤ主義は進化しながら更新され続けていることを述べる。

反ユダヤ主義というユダヤ人差別の特徴は、「嫉妬」にある。

他の人種差別、民族差別などの差別は、差別する対象に対する優越感に支えられている。つまり被差別者は何かが足らない、劣っている、と見なされる。ところがユダヤ人差別はちがう。

ユダヤ人はカネやネットワークや権力など自分たちにはないものを持っている、という嫉妬と偏見が基盤にある。そしてそれは、本来自分たちにあるべきものをユダヤ人に奪われているのだという不当感につながり、陰謀論を生む。

ここまでは分かる。

驚いたことにオルヴィラールは、さらに、そのようなユダヤ人差別と女性差別の相似点を指摘する。
ユダヤ人差別の言葉には、ユダヤ人がヒステリックで、金が好きであるという偏見に、性的な侮蔑も込めたものがあるらしい。今「黄色いベスト」運動の憎しみの対象になっているマクロンが同性愛者でユダヤ人である(実際はちがう)と攻撃されるのも、「女のように陰謀に長けて強欲」というイメージだからだそうだ。ユダヤの男には生理がある、という差別言辞も存在したという。

うーん、奥が深い。
そう言われれば今まで闇に隠れていたものが浮かび上がってくる。

逆に、男性による女性差別の中にも、「女性が劣っている」という優越感だけではなく、女性に対する嫉妬や劣等感も隠れているのかもしれないし、「母なるもの」への永遠の憧憬の裏返しもあるのかもしれない。

単純な「肌の色」だとか、特定機能の優劣だとかに起因する差別よりも、ずっと奥が深い。


by mariastella | 2019-01-15 00:05 | フェミニズム

朝市とローコースト衣服

うちの近くには歩いて5分くらいのところに月水土と週三回の朝市がたつ広場がある。
メトロを乗り継いで買い出しに来る人がいるくらい新鮮で安い青果や魚がたくさんある。
衣服や靴も売っている。私はめったに行かないのだけれど、たまに行くとその安さに愕然とする。
昔、生活に困窮していたフィリピンのメイドさんがそこで革のバッグなどをよく買っていたが、100 円ショップほどではないにしろとにかく安い。セーターやジーンズなども5ユーロ、10ユーロなどがいくらでもある。化粧品や雑貨などは1ユーロでほんとうに100円ショップ並みだ。

私はもう30年くらい前、従兄に頼まれてサントノレの日系高級プレタポルテの名目社長を少しの間やっていた。その時、前の年のバーゲン(フランスでは条例で決まったバーゲン期間や条件が細かく決まっていた。「規制緩和」の今もその名残はある)で売れ残った商品は地下室にしまわれていて、それをliquideurという専門業者が買いたたきに来ることを知った。彼らは付近のブティックから売れ残りの服を一括買いし、ブランド名のタグを外して地方の朝市などに卸すのだった。だから、朝市に並ぶ既製服の中には「元高級品」があるので見逃してはならないと教わった。

でも、実際そういうものにあたることは少なく、今の朝市には、「安かろう悪かろう」風のペラペラの服がたくさんあり、それが飛ぶように売れている。赤ん坊や幼児の服はなるほどと思う。長い期間着るせるわけではないので、洗って着まわして捨てるという方法もあるだろう。あまりにも種類が豊富なので私もつい買ったことがある。5ユーロの猫柄のパジャマを買って、一度洗濯したら終わりかなと思っていたら、意外と縫製もしっかりとしていて驚いたこともある。

で、暮らし向きが楽ではないだろう移民の女性たちが朝市で実によく服を買っているのを見て、女性は安くてもこうしていろいろな服を買うのが楽しみなんだろうなあと思っていた。

ところが、先日のラジオで、今地球を汚染しているものの第一セクターは燃料系だけれど、その次がローコースト衣料なのだときいた。

ローコースト衣料が第三世界の女性や子供の低賃金長時間労働搾取によって成り立っていることを知ってはいた。ところがそれだけではない。
世界に出回るローコースト衣料の大半は綿製品で、その綿花の栽培には大量の農薬が投下されていて、その綿を染める染料も無規制で毒性のあるものが多いのだそうだ。染める人にも健康被害がある。すなわち、栽培、染め、縫製の全ての過程で自然環境も社会環境も汚染している。これを防ぐには、ローコースト衣料を大量に買っては捨てるという消費の仕方をやめるしかないという。

同じエコロジーでも、大企業であるエネルギー産業や自動車産業のコンプライアンスだとか直接口に入る農作物のことには注意が向きやすいけれど、衣料も巨大な環境汚染セクターなのだと聞いて、昔ながらの「いいものを長く着る」ことの大切さをあらためて思う。

今フランスは公式のバーゲンシーズン。「お買い得」そうな品々を眺めていろいろな感慨を覚える。




by mariastella | 2019-01-14 23:46 | フランス

マルセル・ゴーシェの『ロベスピエール』

年明けに入手したもう一つの歴史本は、マルセル・ゴーシェの『ロベスピエール』だ。

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フランス革命の経緯についてはもういろいろ言い尽くされ書き尽くされているのではないかと思っていたが、なにしろ、あのマルセル・ゴーシェが書いているのだ。

確かに、フランス革命の理想と現実の乖離、理想が原理主義になり暴走することの病理などは、ロベスピエールの運命に象徴されていると言えるだろう。

「正義」や「理念」のために身を捧げる人たちがある一線を越えて「不正義を徹底的に排除し懲罰する」という不条理。それがひょっとして「正義」という理念の中にアプリオリに組み込まれているのだとしたら怖い。

きわめて今日的な問題でもある。


私が子供の時に読んだ長編小説にユゴーの『93年』の短縮版の『嵐の九十三年』というのがあった。

主人公のゴヴァンは最後にギロチンにかけられるのだけれど、その前に「共和国、万歳! Vive la République !」と叫ぶ。ギロチン台での処刑というのもショッキングだけれどいわば同じ共和国のために、革命にかかわった側から処刑されるのにもかかわらず、「共和国、万歳」とする信念は変わらない。そのことに強烈な印象を受けたのをはっきりと覚えている。

理念、信念、と生身の人間、その命と感情、価値観の関係の難しさに圧倒されたのだ。

今は著作権フリーだからこの小説はフランス語ならネットでどこでも全文読める。


ネットの検索機能を使って「Vive la République !」が何度出てくるか調べたら7か所だった。

それをチェックしながら、いろいろ考えさせられた。

(これを書いている時、日本語のネットでマルセル・ゴーシェ君主制についてインタビューに答えている記事を見つけた。
今のマクロンと黄色いベスト運動を念頭に置いているのだろう。確かにフランスの第五共和制は今でも「王政」に似ている。オランドが出てきたときはそれがより合議的なものに変化するかと予測した者は多かったけれど、そうはならなかった。けれども、マルセル・ゴーシェがオランドはギロチンにかけられたというのはあたっていない。彼は「王」になれなかったからだ。民衆はマクロンという「王」、ギロチン台に送り込むに値する「王」を必要としたのだ。)



by mariastella | 2019-01-11 00:05 |

カトリック信徒には同盟者はいない 

新年の初読書はこれ。
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ジャック・マリタンが、モーリアック、クローデル、ベルナノスとかわした書簡集。

この面々だからさぞかし敬虔な神学や信仰の話なのかと思うと大違い。

「カトリック信徒には同盟者はいない」というのはクローデルの言葉だ。
カトリック教会は政党ではないのだから「共闘」をする「同志」ではない。
同じ福音を信じている「同胞」「きょうだい」であるだけだ、という。
きょうだいの意見が食い違うこともあれば仲間割れ、喧嘩もある。

で、20世紀フランスのカトリック哲学や文学の高峰をなすこの面々の書簡集は歯に衣着せぬ驚きのものだ。あまりにも不都合なのでベルナノスの著作権者側からは公開を拒否された手紙もあるが、マリタンの返事によってその内容が想像できる。

モーリアック、クローデル、ベルナノスの順で編集されていて、マリタンに霊的に一番近いモーリアックから、スペイン戦争への立場で対立したクローデル、反ユダヤ主義で対立したベルナノス、とだんだんとテンションが高まっていく。

反ユダヤ主義(セリーヌのようなものではない)についてベルナノスに対立するのは他の3人で、スペイン戦争でスペインのカトリック教会を支持するクローデルに対立するのは他の3人というように、右へならえのコンフォーミズム、同調とは程遠い。
全てのキリスト者がそれぞれ固有の人格として神と向き合っているので、共同体の掟や同調圧力とは関係がない、ということなのだろう。

もちろんその内側には、それぞれの罪悪感もあって、「悪魔は全てのアートの協働製作者である」というジイドの言葉が彼らに突き刺さる。
クローデルは、文学者の心を覗き見た時よりも神を失望させるのは、自覚のない司祭の心くらいのものだ、と言っている。
文学者というメチエは薄汚く、私の人生は売春家業のようなものだ、とも言った。
それに対してマリタンは、神から与えられたものを受け入れる方が賢明ではありませんか、文学も、克服できない悪徳と自覚しながら恥の感覚を持ちながら成す場合は売春とはいえません、と答えている。

マリタンはともかく、クローデルは日本におけるフランス大使であった時期もあり、ロダンの弟子だった姉のカミーユ・クローデルも有名で、ノートルダム大聖堂での回心も知られているから、そんなに葛藤があったのかと驚く。

マリタンはある意味で非の打ちどころのない人物で、クローデルやベルナノスらから「夢見るジャック」「パリカトリック学院の偉すぎる教授さま」「女々しい夢」などと揶揄され「このバカヤロー」と罵倒もされている。その辺も、「兄弟ケンカ」という感じではある。

アートには悪魔の働きが加わっているというのは何となくわかる。
そばにいるのが天使だけでは、そもそもアートの創造に駆り立てられるモティヴェーションはないだろう。悪魔のささやきが聞えているからこそ、それと戦い、問いを投げつつけることが文学者なのかもしれない。
全ての「知的」なアクションにも悪魔の影がある。「智恵の実」を勧めたのが悪魔だったなら、そもそもの出発点から人間の人間的営為には悪魔の隠し味があるのかもしれない。

「エデンの園」の「お花畑」の夢は帰ってこない。





by mariastella | 2019-01-09 00:05 |

イエスの血の汗---不安は実存的なものではない

新年のラジオでパリ大司教が新年にあたってのいろいろな不測の状況について話していたのが印象的だった。不安ばかり感じて守りに入るのはいけない、という趣旨で、不安は実存的なものではなくて病理的なものだ、というのだ。何しろ神学校に入る前、公立病院で10年間診療にあたっていた医師のことばだからなるほどだと感じた。 

病理的な不安と実存的恐怖は別物だ。

で、受難の前の日、最後の晩餐の後でイエスが一人ゲツセマネの園で悲しみ悶えたことが「不安」であり、それは「受難」の前のことで、実際に捕らえられたり鞭打たれたり十字架につけられたりした時はもう「不安」による苦しみはなかった。祭司たちの審問にも堂々と答えている。

で、イエスの不安も「人間としての条件を受け入れたゆえの病理」であって、その証拠が「血の汗」だという。

「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。」(ルカ22,44)というシーンだ。これは血汗症で極度のストレスによって引き起こされるものだそうだ。つまり、イエスは、死の予感を前にして超然と悟っていたのではなく、人間として当然の最大級のストレスで悶えた。

そのイエスが平安を得られたのは、結局、神の助けを祈ったのでなく、「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」と、神に任せることを受け入れたからだった。

血の汗がしたたるほどに最大限の不安に押しつぶされている時、平安は自分の中に探しても見つからない。平安は外から来る。人生は、生きることはすべて「リスク」である。「やってみる」というリスクを冒さないところには生きることの本質は見えない。本質があるところを探すのが生きることで、そこに暴力や威嚇や死という現実の危害を前にして恐怖が起こったとしても、それはもう「病理的な不安」とは別のものであり、その恐怖とどう戦うか、どう対処するかを冷静に考えることすらできる。

以上がオプティ師の話の趣旨だ。

(まだカトリック的にはクリスマス期間なのになんだか復活祭前のような話だ。)

でも、これにはジャンヌ・ダルクのことも想起させられた。ジャンヌも捕らえられたはじめの頃は拷問や火刑を脅されて心が折れた。けれども、最終的には運命を受け入れて堂々とふるまった。

ローマ教皇の口にする「恐れるな!」という言葉もこういう文脈なのだろうとあらためて理解できる。


by mariastella | 2019-01-07 00:05 | 宗教

ロシア発ジャンヌ・カルマンの替玉説

2018年の1210日、ロシアの物理学者で数学者であるニコライ・ザックという人が、これまで記録が確認されているうちで人類の最長寿とされているフランスのジャンヌ・カルマンさん(1875/2/211997/8/4、 122164日)が実は1934年に59歳で死んでいて、相続税を払わずに済ますために当時35歳だった娘のイヴォンヌさんが母親に「なりすました」という記事を出した。それを高齢医学専門のヴァレリー・ノヴォスロフという人が、科学雑誌ではなくウェブサイトで伝えた。


フランスのメディアではまたたくまに話題になった。

ジャンヌ・カルマンさんと言えば、アルルでゴッホに会った思い出を語っていたし、子供もいないときいていたけれど、一人娘のイヴォンヌさんが36歳で亡くなっていて、イヴォンヌさんの一人息子も30代でバイク事故で死に血筋が絶えた、という話だったようだ。

生存時、毎年の誕生日には世界最高齢女性としていつも話題になっていたので彼女の姿はよく覚えている。

よく笑い話になっていたのは、彼女が90歳で施設に入った時に持ち家をある公証人に売ったエピソードだ。フランスではよくあるシステムで、所有権は移るが、買い手は最初の一括金の他に売り手が死ぬまで決まった年金を支払い続ける。売り手が90歳だとしたら平均余命は5年くらいで計算されるので、家の相場から一括金を引いたものを60ヶ月で分割払いする見当で月々の支払いが決定される。もしたとえば1年後に亡くなれば買い手は相場より安く手に入れたことになる。で、カルマンさんの住まいの買い手の公証人はまだ40代後半だった。それなのに、カルマンさんはその後32年も生き、公証人はカルマンさんの死の2年前に77歳で亡くなったので未亡人がその後もカルマンさんに年金を払い続けたという話だ。公証人と言えば、フランスでは家の売買に必ず登場するプロだから、普通は損などしない。だからこの話は一層笑えるのだ。

でも、もし、カルマンさんが実は娘のなりすましだったら90歳の時は実は70歳手前だったわけだから、いくら何でもおかしい。公証人が気づくのではないだろうか。


ロシア人の唱える替玉説の傍証の一つに1930年代のカルマンさんの身分証明書写真があり、その時のカルマンさんは60歳前後のはずなのに、どう見ても若すぎるというのがある。新聞でその写真を見たが、確かに、20代といってもおかしくない若さだ。写真の修正などできる時代ではないし。(他の根拠としては目の色や身長や額の形などの違いも挙げられている)

カルマンさんの実家はアルルの名士だったので、突然娘が母の名を名乗るなど不可能だ、とフランス人のカルマンさん研究者はロシア人の替玉説を一笑するが、うーん、ふたつの大戦の間の時代、名士だからこそ、共同体の人々も納得できるような形で身分証明書だけが入れ替えられたということもあり得るかもしれない。夫ともいとこ同士の結婚だったし。

件の「被害者」である公証人も、90歳と70歳の違いを見抜けなかったのではなく、何らかの理由でできるだけ長く年金を払い続けるつもりだったのかもしれない。

フランスでの「系図」研究は、石造りの教会に残る洗礼や埋葬の記録があるから、家名存続が中心で養子が普通にあり寺社の記録が火災などで焼失しやすい日本よりは確かな部分もある。カルマンさんは敬虔なカトリックだったとあるからカトリック教会の記録を欺くというのは難しい気もするけれど、身分証明書は世俗のものだから改変がスルーされていた時代もあったのかもしれない。

実際、この「替玉説」は、フランス語版のWikipediaにも早速書き加えられていて、真実を知るには母娘二人の墓を掘り起こしてDNA鑑定をするしかない、とある。でも、今さら、「陰謀説」が唱えられても、誰も被害者がいないか脱税でも公文書偽造でもとっくに時効だから、そのような鑑定がなされるわけがない。

私がこの話に気をひかれたのは、もしジャンヌ・カルマンさんが人類の最長寿者でないとしたら日本人が繰り上げ一位になるかもしれないなあ、と思ったからだ。実際ジャンヌ・カルマンさんが現存最高齢者になった時は日本人男性がなくなった時だと記憶する。

で、ネットで調べると、カルマンさんに続くのは日本人ではなくアメリカ、ペンシルバニア州のサラ・ナウスさんで、1880/9/241999/12/30 11997日、カルマンさんの二年後に亡くなるまで世界一の長寿者だったとある。(カルマンさんのすぐ後は、やはりフランス系のカナダ人女性だった)

で、三位が日本人で、鹿児島の田島ナビさん(1900/8/4~2018/4/21117260日)だそうだ。生年月日に確証のある世界最後の19世紀生まれの人だったとある。

うーん、ではカルマンさんが替玉だったとしても田島さんの繰り上げ「世界一」は無理か、と変なところで「愛国心?」が刺激される。サラ・ナウスさんの生まれたのは南北戦争が終わってから15年しか経っていない年で、アメリカのような移民の国で連邦制の合衆国の記録なんて、日本やフランスのように中央集権で歴史があって定住度も高い国とは違うからどの程度確実なのか、などと勘繰ったりして…。 

フランスでも例えば華僑などの移民は、誰かが亡くなっても身分証明書を使い回しているので100歳以上の人がいくらでもいるなどとよく言われている。


それにしても、親子関係って一見すごくナチュラルに見えるけれど、実は、時代や文化によって変化も多いしさまざまなパターンもある。それに高齢者の外見だって、時代と文化によって大きく変わる。

日本では、今の人の見た目年齢は七掛けだと言われる。今の60歳は一昔前の42歳、今の70歳なら49歳、というわけだ。分からないでもない。そして個人差は大きい。ジャンヌ・カルマンさんは60歳でも35歳の「美魔女」に見えたのかもしれない。122歳当時の写真は、実は99歳だったのだと言われても、正直分からない。恒例有名人でも、作家の佐藤愛子さんの今の95歳のつやつやしたお顔とそれより10年若い85歳の時のマザー・テレサの顔を比べろと言われても無理だし。

年の初め、同世代同士、「今年も元気に」「お互い健康第一に」などと声をかけ合うことが多いこの頃、はるか彼方にいる百歳長寿者たちを遠く、まぶしく思う。


by mariastella | 2019-01-06 00:05 | フランス

トリックアートとラモー

数ヶ月前、ネットで偶然「noutobook」というトリックアート本を見つけた。(この綴りで画像検索してください)

私は文房具好き、トリックアート好き、子供の頃からノートに落書ばかりするのが好きなので、さっそく日本で注文してもらった。この錯視は二次元が三次元に見えるタイプのものだけれど、特に、スマホなどで撮影するとその角度によって驚くべき効果が現れるようにできている。その点で、いわゆる「インスタ映え」するような「今時」ならではの面白さなのだ。

で、もちろん私自身はスマホすら使わないので、生徒や友人への誕生日プレゼント用に購入した。スマホをいろいろな方向に傾けてもらう。みんなノートに書いてある日本語は分からないけれど、立体的に見える角度を示す写真がついているので楽しめる。

で、先日のトリオの練習の時に、トリオのメンバーの誕生日プレゼントとしてそれを持って行った。

わいわい言いながら、スマホを動かして感嘆し合う。

その後、「そうだ、練習しなくては」と、ラモーとデュフリィを弾いたのだけれど、そのすばらしさにいつもながら、感動する。

どの曲も、何年もかけて、バロック・バレーやバロック音楽論の篩にかけて研究しつくしたもので、それが足らない部分、納得できない部分は、たとえ二小節でも、「理解できないのっぺりとした」ものになる。逆に、理解できたときにはすべてに別の光が当たり、まったく別の世界が立ち上がる。こういう時に、私たちはフランス・バロックの秘密を「誇らしく」思うのだ。

それに対してたとえばバッハの曲などは、もう、楽譜を書かれたとおりに忠実に音にさえすれば、最初から全ての材料がそろっていて、音符がたくさんあって、構築的で、大伽藍ができてしまうキットみたいな面がある。すでに「完成」しているのだ。だから素人が弾いても聞いてもある程度の満足感がある。

けれども、ラモーの曲だと、楽譜通りに音符を弾けば、それはそれで難しいのだけれど、独特の「間」もあり、音の連なりが極小の単位で意味を持っているので、それを意識しない限り、強度がなく、色彩感以外の何も立ち上がってこない。

で、トリオの仲間が、その日の練習の後、そうだ、フランス・バロックはこのトリックアート本みたいだ、と言い出した。

ラモーの天上世界が意味を持って立ち上がる「角度」があって、その正しい角度を見つけて演奏した時だけ、それが立ち現れ、共有することもできるのだ。そしてその「角度」を見つけた時は、あまりにもそれが「自明」なので、それが最初からそのように弾くためにだけ書かれたことが分かる。「正解」があるのだ。

いつもわくわくさせられるのは幸せだ。


by mariastella | 2019-01-04 00:05 | 音楽

エコロノミーとユアン・ブランコとマクロン (追記あり)

エコロノミーという言葉を最近はじめて知った。

エコロジーとエコノミーを合わせたもので、似たものにすでに「エコノロジー」というのがあり、そこにはテクノロジーも加味されているとも言われる。

基本的に、エコロジーとエコノミーを両立させよう、環境破壊しない経済システム、それには環境保存のテクノロジーも必要だというのだけれど、クリスマスのローマ教皇のスピーチにあったように、ほんとうはもうそんな優雅なことは言っていられない。

で、エコロジーを推進するには、もう霊的(スピリチュアル)な覚醒とアプローチしかない、と、無宗教というか不可知論者のフランスのインテリが話していたのが興味深かった。

いわく、経済成長を是とするのは今や「成長教」という宗教、信仰みたいな域に達していて、エコロジーを優先する必要性を喚起するには、もう科学的アプローチも、経済的アプローチも政治的アプローチも、ことごとく、その「成長教」(より多くの生産と消費を是とする)の前に歯が立たなかった。

成長教に対抗して、人類だけでなくすべての環境を視野に入れたエコロジーを推進するにはもう霊的アプローチしかない。

なぜなら地球の人類の90%は何らかの信仰を持っているのだから、その90%に訴える形でエコロジー推進の力を汲み上げるべきだ。


なるほど、確かに、生身の人間を超える未知の何かを信じない、誕生や死に関するすべての宗教的儀礼を信じない、実存的な危機に際して神仏やご先祖にも恃むことがない、などという筋金入りの無神論者や世俗イデオロギーの人は人類の10%くらいなのかもしれない。そう考えるとエコロジーに霊的ディメンションを取り込むことは大きな可能性があるともいえる。だとしたら、世界の主権国の首長の中で最大の環境保護論者がヴァティカン市国の元首であるローマ教皇だというのは力強い。富と利潤を生む最大のセクターが軍事産業で、軍備も戦争も人間による環境破壊の最たるものだ。エコロジーはエコノミーとセットになるのではなく平和とセットになるためにこそ霊的アプローチを必要とするのだろう。

***


これは、フランス語を読むか聞き取れるかどちらかの方へのお勧め動画(1/5まで無料視聴可)テキストのリンクです。フランスの現状分析、マクロン現象の「正体」を知りたい人には必見です。

(追記: テキストのリンク先を変更しました。これで直接アクセスできるはずです)

ユアン・ブランコ(父がポルトガル人の映画人、母がスペインの精神分析医でアンダルシアに生まれ、パリで教育を受けた)という29歳の若者による黄色いベスト運動の本質喝破です。

真の意味でこんな頭のよい人を始めてみました。分析は感動ものですが、メディア支配の独裁の怖さは全世界に広がっていて、自然環境以前にもう人間の尊厳が破壊されつつある現実に衝撃を受けました。

ある意味で、彼の言っていることはすでに言われてきたことでもあり、誰でも薄々感じていたのですが、マクロンの登場で、極右と極左以外の保守と革新の差がなくなったことは確認すべきことだとあらためて思いました。

 

***

12/31の恒例の大統領のTVスピーチで、マクロンは新年に向けての三つの誓願というか決意というかを打ち出した。共和国の理念である「自由・平等・同胞愛」が実現されていないことへの怒りを受けて、「真理、尊厳、希望」を標榜したのだ。

ユアン・ブランコの指摘するネオリベの申し子という本質と違って、ネオリベの非人間性についてまるでローマ教皇と同じ言葉で批判している。そして、この「真理、尊厳、希望」という三つも、誰も指摘していないけれど、まったくカトリック的というかキリスト教的な理念のコピペだと言える。フランス人のキリスト教文化のDNAに対して潜在的な訴求力を狙ったのだとしたら大したものだ。

あるいはマクロン自身のイエズス会系教育やポール・リクールの助手?としての何かが彼のDNAにも沁みついているのだとしたら、これからの「対話」に「希望」が持てるのかもしれない。




by mariastella | 2019-01-03 00:05 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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