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L'art de croire             竹下節子ブログ

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オルバン大統領とキリスト教

前にこういう記事を書いた。



私の頭の中では、ハンガリーと言えば、冷戦中にずっと上智大学にいて日本のイエズス会の中心的役割をしてきたハンガリーのネメシェギ神父のイメージがあり、日本のハンガリー人にとってもカトリックの共同体はアイデンティティの大切な部分だという認識があったので、極右ポピュリストなどと評されるオルバン首相もカトリックだと何となく思っていた。ポーランドと同じく、旧共産圏のカトリック国は、結局古いタイプのアィデンティティ宗教で、移民に対して偏見があるのかなあと。

そしたら、全然違った。

ガボール・イヴァニイという人がいる。プロテスタントのメソジスト教会の牧師だったが1970年代に共産主義体制に異を唱え、国の支配下にあった教会から除名された。それに対する抗議の徴しに、その時以来髭をそらないと決めたので、今でもまるでギリシャ正教の司祭みたいだ。この人が、1988年、民主化を求める学生運動のリーダーだった24歳のオルバンと意気投合した。

オルバンとイヴァニイの2人は共に、共産党が権力を失った1989年の議会に参加することになった。同時に、オルバンはそれまでの無神論的立場からキリスト教に回心し、1993年に、ブダペスト近郊のイヴァニイの教会で結婚式を挙げた。フィデス党の党首になった年だ。オルバン夫妻はすでに7年前に共産主義政権下で結婚していたが、教会の結婚式はしていなかったからだ。同時に、89年に生まれた娘にも92年に生まれた息子(彼はその後ペンテコスタ派の説教師になっている)にも洗礼を授けてもらった。

1998年から2002年に首相になった時は、プロテスタントであると公言していたが、イヴァニイの支援は得られなかった。イヴァニイはジプシーの統合政策を掲げてナショナリストたちに嫌われていたからだ。2011年に政権に返り咲いた時、議会は、イヴァニイが創設したハンガリー福音協会を、国の補助金を受ける資格のある宗教団体のリストから外した。そのせいで、毎日1500人のジプシーを世話するイヴァニイの慈善活動は立ちいかなくなった。イヴァニイは政府に公開書簡を出して、ハンガリーがファシズムに向かっていった二度の世界大戦の間の時期に後戻りしている、キリスト教をナショナリストのツールにしていると批判した。今のハンガリーでは45%が特定の宗教に属していないと答え、37%がカトリックで、14%がプロテスタントという抗生なのに、ルバンはキリスト教が国のアイデンティティだと煽動している。ム2015年にアフガニスタンとシリアの難民がヨーロッパに入ろうとして押し寄せた時に、オルバンはそれをイスラム教の侵略だと形容し、2018年の四度目の政権就任演説では、国の標語はプロテスタントのモットーである「Soli DeoGloria」(ただ神のみに栄光)でならないと声をあげた。

イヴァニイは、オルバンの政府にはキリスト教的なものはひとつもない、と返した。

ブダペストに、ホームレス、ジプシー、難民のための避難所を造るイヴァニイは野党からの出馬の誘いも断り、福祉活動に専念している。2017年には新聞紙上で、「もしオルバンが目の前にいるなら、地獄に堕ちるぞ、と警告したい」と言った。2019年、オルバンは、「イヴァニイは自分のことをファシストだと言った。彼をゆるせないのはそのことだけだ」と返したそうだ。(La Vie no3854 より)

私は今のハンガリー政府が宗教団体に補助金を出すタイプの政府だということすら知らなかった。

もう90歳をかなり過ぎておられるおだろうネメシェギ神父は、これらのことをどう考えてどう発信しているのだろうか。

母はネメシェギ神父にずいぶん助けられた、と言っていた。

社会主義の全体主義政権の時代に苦しんだり、その後の展開の中でさまざまな形のトラウマを受けたりした人たちはたくさんいるだろう。ソ連の崩壊にともなったロシア正教の露骨な使われ方のことも思い出す。人間が必要としているのが神なのか偶像なのか、分からなくなる。

イヴァニイのような人を神が必要としていることは、何となく、分かる。


by mariastella | 2019-08-03 00:05 | 宗教

麻生大臣と山本太郎の共通点って・・・

麻生大臣と山本太郎の共通点って。


ふたりとも、名前が「太郎」。

ふたりとも、カトリックってとこ。


山本太郎が、安保法制の強行採決の時に民主主義は死んだってことで「お焼香パフォーマンス」をした時に使った数珠は衆議院議員会館の売店で買った、という話をした時に、「僕はもともとカトリックだから」と答えている。(この最後の方、1015秒あたりから。)


それに対してネットでは、カトリックはサタニストに乗っ取られているとか、ロスチャイルドがどうだとか、例の陰謀論が語られているのを見た。 やれやれ。


麻生さんの方って、今では「え―っ」と声をあげたくなるような発言しかしていないけれど、2007年だったかに外相として中東和平構想を語ったスピーチは当時もすごく感心したのを覚えている。



このすばらしいプロジェクト、その後、どうなってしまったんだろう。


麻生さんがカトリックっていうのは有名だから、この中東の平和のアイディアにも、どこかにカトリックの平和主義があるのかなあ、と当時は好意的に考えていた。

フランスならいわゆる「洗礼を受けている人」をカトリックと見なすなら、数は多いから、それがどうした ? という感じだけれど、カトリックが人口の1%にも満たないマイノリティである日本でカトリックを公言している人って、多少はカトリック的な考え方をするのかなあとも思ったのだ。


しかも、麻生さんは「戦後日本で初めてのカトリック信徒の首相」ということで海外で話題になったし、洗礼名もフランシスコで今のローマ法王と同じだし。幼児洗礼で、祖父の吉田茂とも関係の深い東京カテドラルにクリスマスのミサに家族で行くとか、伊勢神宮に参拝したことで日本のカトリック中央協議会から抗議されるとか、まあ、日本のブルジョワ・カトリックなんだけれど、知られているだけに、どこか「良心のブレーキ」がかかっている人なのかなあと想像したかったのだけれど。


今回の参院選で、「クリスチャン・プレス」というものに、立候補者にクリスチャンがいるかどうかの記事が載っていた。日本でこんな風に調べる人もいるんだ…。マイノリティの面目躍如?

でも、山本太郎のカトリックは載っていない。創価学会の野原さんを東京選挙区の候補者にしたくらいだから、まさかクリスチャンだとは思っていなかっただろう。それでも、れいわ新選組が徹底的にマイノリティや弱者を当事者として押し出して弱者救済を掲げているのは、カトリックと言えばカトリック的だなあと思う。


キリスト教はもともと「カエサルのものはカエサルに」で、政教分離と言われているけれど、フランシスコ教皇は、クリスチャンが政治をすれば政治はもっと良くなる、なんて発言をしたことがある。


日本人には、アンダードッグ効果というか、もともとは負け犬、敗者を支援するような判官びいきのメンタリティがあるのだと思っていた。弱肉強食の市場主義の蔓延が、「長い物には巻かれろ」のメンタリティの方を強化してしまったのだとしたら、残念だ。


by mariastella | 2019-07-30 00:05 | 宗教

太郎とマクロン  その1

これを書いているのは7/22だ。

参院選が終わってフランスのニュースでも投票率の低さが言及されていた。

選挙運動中に、れいわ新選組の街頭演説のフィーバーをネットで見ていた時、2017年の大統領選でマクロンが無所属で突然運動を立ち上げた時のミーティングを思い出した。

カルトさながらの熱狂を見ながら、まさか、が本当になったのだ。


ただしマクロンはすでに現役の財務大臣だった傍らにその運動を開始して、その後、辞任して社会党からも離れる形で運動を広げていったので、選挙直前にやっと候補者を揃えたいわ新撰組」には時間がないだろう、衆議院選挙に向けてやっていくしかないだろうなとも思った。

それに、マクロン・フィーバーが何度も映されたのはテレビを通してのことで、マスコミから無視されてネットに頼った山本太郎とは違う。

もちろん直接選挙の大統領選と日本の政権奪取のシステムも違う。

似ているのは二人の若さと演説のうまさだ。

右でも左でもない中道のプラットフォームを作って、既存政党に見切りをつける政治家を吸収して政権を取ろうという気概も似ている。

今回政党要件を満たしたれいわ新撰組に、野党や与党の政権批判派が集結できるかどうかは分からない。

高学歴でもともとロスチャイルドで働いていた自由主義ばりばりの経歴のあるマクロンと、母子家庭で高校留年でタレントなど様々な職業を転々としてきたという山本太郎をある種のポピュリズムで結びつけるのも難しいだろう。


けれども、マクロンも、草の根運動をしていた頃は、右にも左にも、金持ちにも庶民にも等しく手を差し伸べると宣言して人気を博していた。だからこそ、まず「金持ちの優遇」から始めたマクロンに裏切られたと感じた「黄色いヴェスト」運動があれほど盛り上がったのだ。マクロンと黄色いヴェストはほとんど同床異夢の関係だ。


今回のれいわ新選組の選挙戦略で歴史に残るのは何といっても特別枠を使って二人の重度障碍者を国会に送り込んだことと、東京区に沖縄の創価学会員を送り込んで、婦人部の会員による胸に迫る告発などを広く耳にする形にしたことだ。

こんなまさにイノベーションとも呼べる「奇策」を思いついたのはすごい。自分で考えついたのか、それともひょっとして小沢一郎が別れる前にアドバイスしたのだろうか、などと思ってしまう。

自分で言葉を発することもできないALSの患者を国会に送る、というのは例えばトランプ型のポピュリズムでは逆立ちしても発想できない。


私の知人はパリのALS支援協会の世話をしていた。親しかった友人はリタイア後に奔馬性ALSを発症して4ヶ月で呼吸器設置を拒否して亡くなった(診断がついてから4ヶ月ということで、それまでは不調の理由が分からずいろいろ検査や対症療法をしていた)。 日本の友人にもご家族をALSで亡くした方がいる。ALS型の身体障碍は人を実存的な不安に陥れる。

できれば見たくない。

ポピュリズムとは逆のポジションにある。


今回の山本太郎がさまざまな「当事者」を前面に出してひとりひとり思いきり語らせた、というのは画期的だ。

「当事者」を可視化するというのは、偏見や差別に抗う最も有効な手段だと思う。


たとえば、この世界に、ALSのスティーヴン・ホーキング博士が存在していたことの意味はすごく大きかったとつくづく思う。

先日の記事で「自立」の二つの意味に触れて、身体機能の自立の他に、「意思決定能力」がある自立のことを書いたけれど、その意味で、新参議院議員となる舩後靖彦さんは優れて「自立」した方だ。

世間では、妊娠中の検査でトリソミー21などの遺伝的異常のある胎児の誕生を妨げる方向が普通になってきつつある。実際のトリソミー21によるハンディのある人やその周囲の人が最も恐れるのは、そうしていくうちに、そういうハンディの人の姿が社会から見えなくなることで、ハンディを乗り超えて生きている人への視線が変わり、生きづらさが増えるのではないかということだ。

ALSは、人生のどの時点でも発症する。染色体異常のような「事前の淘汰」は不可能だ。

山本太郎が言うように高齢化に伴って誰でも「寝たきり」になるかもしれない。身体機能の自立を失った人のアシストは成熟した社会の義務でもあるのだ。


れいわ新選組の開票会場のビデオでは、次は「知的障碍者」も当事者として立てたい、と言う発言があった。自閉症スペクトラム障害あたりが現実的なのだろうか、それとも、トリソミー21の当事者になるのだろうか。


れいわ新選組の言っていることには、他のポピュリズム政治家と共通する「不当さを訴える怒り」や、マクロンと共通する「ポジティヴな快適さ、威勢のよさ」の他に、障碍者を可視化する「居心地の悪さ」がつきまとう。

(ほとんど、難民キャンプの惨状を可視化するローマ法王みたいに不都合だ)


私はヨーロッパのポピュリズムとマクロンの登場と軌跡を観察しているので、「れいわ新選組」についていろいろ考えさせられるのだけれど、もう少し様子を見ることと、今、仕事が立て込み中なので、今回はこの辺で。(いつかその2を書きます)


by mariastella | 2019-07-24 18:57 | 時事

覚書から その9  「文明」とは何だろう

 文明はcivilisationシヴィライゼーションの訳だろう。


「ざん切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」


で、どちらかというと欧米文化、特に科学技術、和魂洋才の「洋才」を意味していたのだろうけれど、今は、civilisationとは、要するにインフラストラクチャーの整った都市型の生活環境のあるゾーンという意味で使われることが多い。

けれどももともと文明は、シヴィル、つまり「市民」化した社会ということで、支配者と臣民の封建的主従関係ではなく、共同体の構成員がある種の契約関係を結んで権利と義務を分け合うという社会の形態のことで、「西洋近代」に生まれたものだった。

そのルーツは、創造主である神のもとではすべての人が平等で自由な同胞関係にあるという一神教的世界観にある。

だから、19世紀以降ヨーロッパが旧オスマン帝国の版図に「文明」を輸出して「グローバル化」した時、イスラム圏はその文明が同じ一神教であるイスラム文明と一致していると認めて受け入れたという。

イスラム「文化」は別としてイスラム「文明」というのは発展的に解消させたわけだ。

で、「文化」以外の「イスラム」はいつのまにか、「イデオロギー」となってしまった。


日本のような国でも、「文明開化」によって、「自由民権」の思想が入り、普遍的なものとして受け入れられた。問題は、それをするのに一神教モデルを天皇の神格化に応用することで「天皇の赤子(せきし)としての四民平等」というシステムを作ったことだ。

天皇は超越的創造神ではなく建国の神から続く万世一系の子孫という生身の人間なので、あらゆる政治、権力に利用される装置となってしまった。

明治18年の伊藤博文内閣の農商務大臣だった谷千城(軍人でもあった)は、いわゆる「鹿鳴館」政策を批判した。すでに中国も欧米に浸食されていたにもかかわらず、「中国文明」から「欧米文明」に乗り換えることの危険性も説いていた。

「そもそも我国進歩の度を考るに、衣食住の三は既に清国に及ばず、文明は数千年の勉強を積むにあらざれば、以て欧米と馳騁し難し。而るに世人往々欧米の書を読み、欧米の説を聞き、其声を模擬し、其論説を剽窃し、揚々自得、或は改むるに及ばざるものを改めんとするあり。或は早く已に文明に達したるの空想を懐くあり。何ぞ其誤れるの甚だしきや。文明とは学術教法政理より、農工商国民の精神衣食住の程度に至る迄を総称するものにして、器械の如きものに非ず。豈一朝一夕の模擬移取すべきものならんや。」(『意見書』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/783474p.33)


こう述べた後で、40年前にはオスマン帝国のヘゲモニー下にあるとはいえ強かったエジプトがムハンマド・アリー政権による「欧米文明」と「文化」の急速な採用によって社会が衰退し結局はイギリスの保護領となった例を挙げている。


それにしても、「文明とは学術教法政理より、農工商国民の精神衣食住の程度に至る迄を総称するものにして、器械の如きものに非ず。」という見方は大したものだ。

一国の経済や産業の「発展」だって、国民ひとりひとりの「精神衣食住」のレベルまで視野に入れなければならない。

経済力と軍事力で競うような今の「先進」国の視野は、狭窄している。



by mariastella | 2019-06-14 00:05 | 雑感

望月衣塑子さんの話

4/22の夕方はこの集会に。
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その前に久しぶりにキャピトルホテル東急のオリガミのダイニングで友人とランチ。

ロビーのこの生け花は八重桜だと思ったら、
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反対側から見るとこんな感じ。ダイナミックだ。
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さて、衆議院第一議員会館。
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通行証を配るとき、会議室と自己申告するだけで、荷物チェックなし。まだフランスのセキュリティ頭の私には、かえって不安だ。別の入館者の団体には荷物検査があったのに。

4h50になって、開場は4h55なのでお待ちくださいと言うお知らせに、「もっと早く開けろ!」と怒号が上がった。すぐキレる高齢者という感じ。
でも若い人も比較的いた。出席者240名だったそうだ。

望月衣塑子さん。

イメージでは大柄な人かと思ったけれど、小柄でキュートな人だった。

講演は身振り手振り、菅さんのモノマネも入れて、随所に笑いをとってまるで末廣亭にいるようだった。声も大きく、エネルギッシュで、、圧倒的なパワーの人だ。昔は児童劇団に入っていて舞台女優を目指していたそうで、なるほど、と思わせる説得力だった。パワーポイントをコピーしたものも配られて、あらためて彼女の受けてきたひどい扱いを知る。

このことについて、最初セクハラという意識はなかったそうだけれど、1人の記者を名指しで排除しようという試みは初めてだそうで、セクハラもメディア規制も、同じルーツ、つまり、「権力のある側の傲慢」だと別のジャーナリストも言っていた。
国会議員の女性でも、女性が政府を激しく追求すると、女は感情的だとかいう例のレッテル付で批判されたり揶揄されると同感しているそうだし、逆に、望月さんのことを、子供2人もいるのにがんばっているわねーという形で応援する人もいるのだとか。男性のジャーナリストの子供の数を知ろうとする人はいないのに。

もとNHKにいたプロデューサーの永田浩三さんのNHK批判もショッキングだった。
被差別部落出身とかで、NHKの番組改編報道の犠牲になって左遷された朝日新聞の本田記者の話も出た。
永田さんはクローズアップ現代にも関わっていたそうだ。
クローズアップ現代は、カルトのテーマの時に相談されたことを思い出す(私は文春新書で『カルトか宗教か』を出していたので)。
日本で目立っているカルトと関わりたくなかったので、フランスでカルト認定されていて日本では具体的に話題にならないサイエントロジーを取り上げることを提案したけれど、局内に関係者がいてFaxで圧力がかかったとかで中止になった。真相は分からないままだ。
梓澤和幸さんのスピーチも熱が入っていて、彼らから援護射撃をされている望月さんも感無量という感じで、私は何度も涙が出てしまった。政治的な集会で泣かされるなんて自分でも驚きだ。

まとめ役の方が、フランス人はお天気の話をするように政治の話をするそうです、と言っていた。
よく日本人が「フランスでは…」という時に、そうでもないよ、と違和感があることは多いけれど、これに関しては本当だ。
黄色いヴェスト運動もそうだけれど、彼らは権力者の「傲慢」に激しく反応する。
望月さんの質問に対する菅さんのような答え方が長続きするなど信じられない。

結論は、マスメディアの崩壊ではなく、マスメディアの幹部の崩壊、矜持の不在、というもののようで、それでも、今の時代、望月さんへの妨害もあっという間にSNSで拡散されて、市民からの抗議が目に見えるようになったことで救われていると彼女は言っている。それについては、確かに地味な男性スケープゴートよりも、女性でかつ幼い2人の子の母で、表現力、インパクト抜群で、しかも政治部でなく社会部の望月さんがパワハラの標的になっていることが、ある意味、心あるジャーナリストの連帯の収束力を強めていると言えるだろう。

「使命」とはこういうものなのかもしれない。リタイアした世代が心置きなく彼女を応援するのも頼もしい。望月さんのお連れ合いは全国紙の記者だそうで、彼女の一番頼りになる戦友なのだとしたらすてきだ。


by mariastella | 2019-05-12 00:05 | 時事

米朝首脳会談の後とシリアから戻った子供たち

 先ごろ、米朝首脳会談に関する日本のメディアの記事を読んでいるとなんだかネガティヴなものばかりで心もとなかったけれど、私がいつも読んでいるブログの三方は全員がポジティヴな見方をしていたので少しほっとした。


元広島市長による広島ブログ。


弁護士の澤藤さんのブログ

元外交官でレバノン大使だった天木さんのブログ


私は他のことに関して彼らの意見にすべて与するものではない。

彼らの間でも意見が異なるテーマがある。

でも、彼らはそれぞれ「ぶれない」ところが信頼できる。

家族会関係者のこの発言も興味深く読んだ。


なるほどだと思う。


40年も経っていれば、一方的に拉致被害者の返還などというより、日朝国交を回復して被害者が向こうで作ったかもしれない家族とも自由に行き来し、今の時点でそれぞれの当事者たちが最も望む形に沿えるように支援することが最善であるというのは分かる。

今のフランスで切実な問題は、ISに洗脳されてシリアに渡ったフランス国籍の女性たちが連れて行ったり、現地で生んだりした子供たちの「引き取り」だ。

子供たちはある意味で「拉致」されたと言える。

現在フランスに戻ってきた子供たちは70数名だそうで、シリアにはまだ300人以上残っているというが、現地で生まれた子供たちについては出生届とかがあるわけでないので正確な数字は把握されていない。

彼らは、テロ関係の犯罪容疑で裁かれる親たちと隔離される。

フランスによる再教育のプログラムを受ける年齢でない子供たちは、保護家庭に引き取られているが、ISの子供たち専門のオリエンテーションを受けた保護家庭ではない。

いろいろな問題が噴出しているようだ。

普通の移民や難民の子供たちを暫定的に引き受ける家庭に振り分けられるからだ。


ISから来た子供たちは多くの問題を抱えている。

もちろん、生まれた時から「戦闘地域」にいたというトラウマもあるが、みんな父親との関係がなく母親とだけ暮らしてきた。もちろん保育園や幼稚園や地域の「社会生活」というのも知らない母子隔離状態だ。だから子供たちは母親から引き離される時点でパニックに陥るという。


母親の中には積極的にテロリズムに参加した者から、洗脳の犠牲者、性暴力の被害者、最初から騙された者などいろいろなケースがあるが、それは裁判によって明らかになるまで「容疑者」として留置されている。(シリアで逮捕されて裁かれ、終身刑の判決を受けた女性もいる。)


どのケースであっても、子供たちはみな、被害者だ。


それを思う時、北朝鮮による拉致被害者に子供や孫がいる場合、彼らを一体どのように「保護」できるのか、というパースペクティヴをはたして日本政府が持っているのかどうかについての疑問が、頭を離れない。


by mariastella | 2018-06-21 00:05 | 雑感

G7の共同声明からのアメリカの撤退とヨーロッパ

先ごろのG7サミットでのアメリカ撤退劇と続く米朝会談を見て思ったこと。

G7で、我々共通の「警戒すべき敵」は中国だから、と水を向けられたトランプが「いや、アメリカの敵はヨーロッパだ」と答えたのだそうだ。

これにはヨーロッパがのけぞったようだ。

G7のヨーロッパと言えば、英独仏伊、第二次大戦では連合国と枢軸国に分かれるし、独仏は、一時ドイツに占領されたフランスが戦後ヨーロッパ共同体を呼びかけた仲だ。

で、このアメリカ、特に、あらゆる国際合意を蹴って、二国間の力比べに改宗しようとするトランプの前で、一国ずつでは「勝ち目」のないヨーロッパは、本気でアメリカから自立しなくてはならない、と覚悟を決めるそうだ。

戦後ずっとアメリカの核の傘に入って守ってもらっていた「被保護者」の習慣からいよいよ抜け出すべきだと。

ヨーロッパと言えば、移民国家アメリカのルーツの国々だから、なんとなくそれなりの「権威」を保っているのかと思っていた。しかも、第二次大戦の連合国側だった英仏の二ヵ国は「核兵器保有」を国際的に正当化している国だ。日本の立場とは根本的に違うと思っていた。

でも、考えたら、第二次大戦というより、その後40年以上続いた「冷戦」が今のヨーロッパのメンタリティを作ったらしい。

つまり戦争で荒廃したヨーロッパは、「復興」のために、軍備どころではなかった。国境を接する「共産主義陣営」に対する「防衛」の余裕はなかった。そこで結局、NATOの名のもとに、実質上アメリカの庇護地域となっていたし、冷戦後もその状況に慣れきっていたのだ。


考えてみると、アメリカもそうだが、今のヨーロッパの政治家たちはみな「戦後」生まれだ。「世界はアイゼンハワーのアメリカとフルシチョフのソ連の二大国のにらみ合いからできている」と思って育った人がマジョリティである。

アメリカは南北戦争以来、戦場となっていない。911を除いては、「攻められて」いない。

「共産主義陣営」から直接ミサイルを向けられていたヨーロッパ、中東とも地続きで難民が押し寄せるヨーロッパ、北朝鮮や中国に近くソ連(今はロシア)とも近かった日本などとは「脅威」の質が違う。

「鬼畜米英」などと言われてアメリカを憎悪させられていた日本人がいつのまにかアメリカ一辺倒になって日米同盟と軍事基地提供がデフォルトになっていることにあらためて驚いていたが、ヨーロッパも同じだったのだなあ、と今さらにして思う。

でも、結局、ヨーロッパの決意が、

《ではあらためて、アメリカからの庇護なしで「自力の軍事力」を高めよう》

という方向になるのでは何かが間違っている。

あれだけ争いの絶えなかったヨーロッパ内をせっかく恒久非戦ゾーンにしたのだから、自分たちの保身だけではなくその平和の理念を外に広げていく方向に行ってほしい。


現実は、ヨーロッパ内の理念の共有さえあやしくなって、押し寄せる難民の前にナショナリズム全開になりつつある国も出てきている。

ジョスパン政権時代の外務大臣ユベール・ヴェドリンヌは、そもそもヨーロッパがアメリカに追従してロシアを制裁したのがまずかった、ロシアを取り込むべきだった、と言っていた。結局ロシアは、中国、イラン、インドなど「非ヨーロッパ新興勢力」とのが新しい「勢力圏」を形成し、そちらの方が少なくとも表面上は明らかに「協力」体制が強固そうだ。


それでも、人がすべての同胞との平和を希求する時代はきっとやってくる、と、信じたい。


by mariastella | 2018-06-19 00:05 | 雑感

『ペリーの告白』

NHK放送の元米国防長官『ペリーの告白』


というのを紹介してもらって視聴した。


このペリーさんは、定年制のないアメリカの大学で、90歳でも教鞭をとっているそうだ。

黒船来航のペリー提督の五代後の縁戚に当たるという。

94年から97年まで国防長官で、2002年には日本の安全保障に寄与したとして勲一等を授与されているそうだ。


日本のTVがペリーさんのサンフランシスコの自宅に迎えられる最初のシーンに、96年に日本の国務大臣(防衛庁長官)臼井日出夫と署名のある「守正不撓」という書が額装されて飾ってあるのが目についた。

そういえば東京都前知事の舛添さんも、自分の書を外国人に寄贈することがあるので中国で書の道具だとか書を書きやすい服だとかを「公費」で買っているなどと追及されていたのを思い出した。

日本の政治家って、こういう「揮毫」が教養のひとつなんだろうか。

でも書いている言葉は中国由来のものがほとんどで、仮名文字のような日本的な感じはしない。

毛沢東も揮毫しているようだけれど、今の中国は簡体字を使っているが、共産党の高官などは今でも「揮毫」を政治的、外交的に使っているのだろうか。


で、例によって臼井氏の書についてネットで検索すると、「衆議院議員 臼井日出夫」の名で、「種谷扇舟氏、書の源と創造」という記事がヒットした。


>>
会場に入ると、多くの大作の中で、圧倒的な迫力で迫ってくるのが、会場中央に掲げてある「謝々中国」「感激人民」の書である。
 扇舟氏は極めて繊細な筆致の作品をたくさん仕上げておられるので、良い作品はそうしたものの中に多いように思う。しかしこの作品のあの肉太の力量感あふれる筆致は、扇舟氏が生涯をかけて愛した中国の書に打ち込んだ作品としての圧倒的な迫力がみなぎっており、大好きな書である。
 私は高校2年生の時に、書道を選択することによって、扇舟氏にご指導いただく機会を得た。当時、剣道部に所属していたバンカラの私の字は、「三悪筆」といわれるくらいひどかったのだが、振り返ってみて、そのワーストスリーから脱出できたのは、扇舟氏の「臼井君、君は自分の字が下手だと心配することはないよ。広い中国には、君の『字』の手本になる『名筆』がちゃんといるからね」の一言だった。
 「うまくなりたい」と力んでいた私の肩から力がスーっと抜けていった。楽しく学んだ1年間、それから書道が大好きになった。<<

だそうだ。


神道政治連盟国会議員懇談会メンバーという臼井氏の経歴から見て、この時の「謝々中国」「感激人民」という書の言葉は皮肉な感じがしないでもないが、ともかく書に自信がおありの方のようだ。

で、本編で、沖縄県知事だった同年配の大田昌秀氏と個人的に交流のあったペリーさんは、普天間基地を移設すべきだが、沖縄の人々の負担は軽くしたい、沖縄以外の場所でも十分機能は果たせる、と当時日本政府に言ったのに結局沖縄のままとなった、と遺憾の念を口にしている。

その「日本側」の防衛庁長官が寄贈した書が「守正不撓」だって。

たわむことなく正義を守るという意味だろう。

似たような言葉に「守正不阿」というのがある。

おもねることなく正義を守るということだ。加計問題の前川喜平さんのことが思い浮かぶ。


こんな書を日本の防衛庁長官がアメリカの国防長官に揮毫していたんだなあ…。


ちょうど、矢部宏治さんが田原総一朗さんとの対談(講談社『本』2017/11)で、富士の演習場の例を挙げて、自衛隊に返還されてからも密約で米軍が優先的に使える、管理経費がかからないし米軍基地でないから周辺住民の反対運動も少ないのではるかに都合がよかった、沖縄でも、辺野古ができた後で普天間を日本に返しても米軍が優先的に使うということだってあり得るかもしれない、と話しているのを読んだところでもある。

『ペリーの告白』、この人の立場でこの人の世代であれば「抑止力」の刷り込みは深く、「米軍基地こそがリスクはあっても戦争勃発を抑止する唯一の手段」という限界があるのはしょうがないと言えばしょうがない。

でも、この人でさえ、今の情勢の方が過去よりも深刻であること、でも、まだ遅すぎるということはない、と言っている。

米軍兵士の一人一人、殺し殺されることも想定した命令に従わなければならない人たち、日本がアメリカの捨て石に、沖縄が日本の捨て石にされているように、名のない一人一人の米軍兵士たちも、歴史の壮大な過ちの犠牲者だ。


11月に「核の抑止力」を否定したフランシスコ教皇とつながるカトリックの那覇教区の新司教に任命されたのがカプチン会の米人司祭だと前の記事で書いた。


沖縄の問題は、単に基地の移転の問題や、犠牲の押し付けなどの問題ではない。米軍機が低空飛行する危険にさらされた住民だけの問題でもない。もっともっと根本的な、「いのち」への視線の問題だ。戦争の多くの犠牲者のいのちを思うことは、「力」によって脅かされているすべての人のいのちを思うことだ。


闇の中にいるからこそ一筋の光が見える、という言葉の意味を改めて考える。


( BSで『沖縄の核』というのが放映されたようです。ペリーさんの国防長官の頃は冷戦後ですがさて、「沖縄の核」については何も言ってないなあ、とあらためて思いました。)


by mariastella | 2017-12-18 00:05 | 雑感

ミシェル・ウエルベックの発言、メルケルとシドゥオゥ

『従属』Soumissionという小説で、フランスにイスラム教徒の大統領が生まれる近未来の小説で話題になったミシェル・ウエルベック(Michel Houellebecq)、ネオ保守の雑誌のインタビューで、


フランスのイスラム教徒たちが満足するのは、フランスがカトリックを国教に戻してその上でイスラムを寛容にとり扱う時だ、


みたいな発言をしているという。


どの国でもマジョリティとマイノリティ、文化、伝統などが相対的な力で社会を動かしているから、彼の一見反動的な極論にも、なるほど、イスラム教徒にフランスでのマイノリティである立場と意識を自覚させれば感謝して謙虚に暮らすだろう、と納得する人もいるかもしれない。


でも、それをいうなら、エリザベス女王を首長とする「国教会」があって、国民全部がいったんは国教会に属するという形式が続くイギリスで、共同体主義の中でイスラム教条主義が横行していたりテロの標的にもなっていたりすることを説明できない。


フランスだって、いわば「ライシテ(フランス風政教分離)の共和国主義」そのものを「国教」としているような国なのだから、そのライシテの中で信教の自由を擁護されるムスリムが、「感謝」などしないで過激派に取り入れられてゆくことを説明できない。

ドイツでメルケル首相のマジョリティ連立政権の試みが、難民問題と環境問題で暗礁に乗り上げているのも心配だ。


過去に、彼女が難民百万人でもドイツはOKと言った時に、EUの他の国からは、現実を知らない理想主義だと叩かれるよりも、それはドイツの高齢化と労働力不足対策だなどと言われた。

彼女が難民OKというのは、「助けを求めて来るものをすべて受け入れるのはEUの精神に合致しているから」という建前だったので、その「正論」に踏み込むことはできずに、まるでそれがドイツの利己的なご都合主義であるかのように批判されたのだ。

私はメルケルの人道主義は本音だったと思う。

その本音を通せない現実との折り合いがつけられなかった。


前にも書いたことがあるけれど、ドイツのようにマッチョな社会で、メルケルが長期間政権を維持してきたことは不思議だ。もちろん好調な経済の後ろ盾があったにしろ、マクダ・ゲッベルスのような女性の悲劇を生んだ国で、しかも、「共産圏」に組み入れられた東ドイツ出身で、よくここまで来たなあと思う。


けれども、それをいうなら今のポーランドの首相ベアタ・シドゥオゥ(シェドワの表記もあり)の白人カトリック・ポーランドファーストもすごい。

今書いている本の中で、「共産主義はキリスト教最後の異端」という言葉があるのだけれど、

メルケル(ルター派)のキリスト教的信条とEUのキリスト教ルーツ、

ポーランドとカトリック、

この旧共産圏の二つの大国(東ドイツとポーランド)の二人の女性首相の対照的な姿勢と、

それぞれに向けられる国民の視線の違い

に感慨を覚える。


彼女らに比べたら、なんだかんだ言ってもフランスは苦労が足りないお花畑の男たちがのさばっているなあ、などとひそかに思う。


by mariastella | 2017-11-27 00:05 | 雑感

猛暑のフランスと新大臣とドレスコード

このところパリで35度を超す日が続いている。

6月の気温としてはフランス中で戦後最高記録の日々だ。

東京と違って交通機関にも事務所にもクーラーが少ないから、通勤者はつらい。

一般の人と接触する職場はたいてい男だけにドレスコードがある。サンダル、半ズボンが禁止だそうだ。

女性はサンダルにミニのワンピースでも何とも言われないから、圧倒的に女性の方が優遇されている。

それで、男性から性差別だと文句が出るのではないかと思っていたら、昨日、ナントのバス(と市電)の男性運転手たちがスカートで出勤したのをニュースでやっていた。

スコットランドのキルトなどがあるから、そうショックキングでもない。みんなデニムのような地味なスカートだし。

確かに、今の時代、女性の方が服装規定は自由だ。

公式の場所にズボンをはいていっても、どんな丈のスカートでも、上着があろうと肩を出そうと大丈夫だ。

男性のフォーマルは、イギリスのような気候のところがルーツだからいろいろと無理があるなあと思うが、軍隊の伝統と同じで男の方が「制服」っぽいものを受け入れるハードルが低かったのだろうか。

フィリップ首相の新内閣で、国防省の名がまた変わって今度は「陸軍省(と日本語訳で出てきたが、すべての軍が含まれる)」の大臣がフロランス・パルリーになった。史上二人目の軍隊の大臣グラールに引き続いての3人目。この人はジョスパン内閣の時に政権に関わり、その後エールフランスやフランスの国鉄の要職にもついていたという経歴の54歳だ。任命されたその日にさっそく引継ぎ式をしていた。

重そうで暑苦しそうな軍隊の前にスカート姿の二人の女性が立つ。グラールはさすがに上着を着ていたが、パルリーは半袖ワンピース。

記録的暑さの日なのだから正しい選択だけれど、ずらりと並ぶ制服組の方はさぞ暑いだろうと思うとなんとなく違和感を覚える。女性が軍のトップにいるのがおかしいとかいう問題ではなくて、全軍を率いるジュピターを気取るマクロンによる周到な「印象操作(この言葉、使い勝手がいいですね)」のような気がするからだ。

バイルーやフェランのようなベテランの後を埋めたのは、結局マクロンのお仲間で、例の同い年のバンジャマン・グリヴォーだとか「マクロンボーイ」と呼ばれる36歳のジュリアン・ドゥノルマンディなどだ。

マクロンに心酔している優秀な若者のようだが、どこの香水の宣伝のモデルですか、というような見た目だなあ。

まあ、ともかく徹底的に企業型成果主義でやっていくという新政権のお手並みを見るしかない。


by mariastella | 2017-06-23 02:48 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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