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L'art de croire             竹下節子ブログ

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望月衣塑子さんの話

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by mariastella | 2019-05-12 00:05 | 時事

「神の道」を歩く 三保の松原

令和最初の朝、「奇跡的」に晴れ間が出て、富士山も少し見えた。
部屋に届けられた新聞。静岡新聞と英字新聞。
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ニュアンスの違いが興味深い。
5月だから鯉のぼりも泳ぐ。
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ホテルの芝生を歩く。このホテルの石彫とその配置、デザインはすてきだ。
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新天皇の車が通ると、沿道から「天皇陛下バンザーイ」の声が上がっているのを聞いて、アナクロニックな不思議な気がする。銀座のデパートで祝令和の酒がふるまわれたり、感動を隠せない人々を見るのも不思議。平成になった時はフランスにいたし、ネット環境もなかったので「代替わり」というものをオンタイムで見る。
TV で「このような平成をいただき、このような令和をいただき、幸せな国民だと思いました」というようなコメントを聞くと、天皇制反対のいろいろな論客からのツッコミが聞こえてきそうな気がする。
まあ、平成に変わった時は、私はいなかったから知らないけれど、「日本中が悲しみに包まれていた…」と形容されているのを見て、2日間は喪に服することが求められたとも知って、そんな「自粛」を強制されるようなムードよりは、まだお祭りムードの方がましだとは思う。
たいていの番組の構成は、なるほど、退位の日が前天皇の学友などがエピソード紹介、即位の日は新天皇の学友らによるエピソードなどに分けられていて、編集しやすいし、準備万端という感じ。
平成最後の日付けの入った御朱印帳は、久野山東照宮で、令和最初の日付けの御朱印は三保の松原の「神の道」が始まる御穂神社で、無事もらえたけれど、静岡で浅間神社に行くと、すごい列ができていた。奉祝天皇陛下御即位の幟。
並んでいる人々の話を聞くと、「三ヶ日は御朱印を集める、混んでいない護国神社に明日は行く、東照宮はロープウェイと拝観料がかかるから1500円はかかる、静岡の人口を考えると有名神社が少なすぎる」、などと言っていた。
三ヶ日というところがやはり正月のイメージだ。でも、日本の正月はあっさりと新暦にしてカウントダウンしている。ユニヴァーサルスタンダードでのお祭りだ。他のアジアの国がそれぞれの暦を守っていることに比べたら、伝統がどうとかいうのではなく、やはり、経済効果の大小で決めているのだろう。
5/1というのは日本的には半端だけど、フランスではスズランの祭りだし、ケルトのヨーロッパではメイポールダンスに残るような一年のはじめだった。
それでも、初詣ならなんとなく分かるけれど、令和の初日ということでしっかりとお詣りしている人たちの姿を見るのは不思議だ。

これは浅間神社にある二葉の葵。
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これは御穂神社。
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御穂神社の子安神のところにはこういう穴の開いた柄杓が奉納されていた。「元気いっぱいの子が生まれますように」とあり、令和元年五月一日、予定日 令和元年 x月x日と日付けが。こういう気持ちはなんとなく分かる。
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浜辺に続く神の道の入り口。
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振り返るとこんな感じ


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神の道の松、三保の松原の海岸の松の枝ぶりは勇壮で、羽衣の優雅なイメージではなかった。しかも、どの松も、風や光の条件がある程度共通しているだろうに、みごとにバラバラで、いわゆる日本的な右に倣えの調和が全然ない。その言い訳のようにこんな看板が。まっすぐや曲がったものや、高き低き、など多様だけれど、三千の美人が一度に笑みるが如し、とある。
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昨日の雨は上がって、波打ち際も歩けたけれど、富士山は見えなかった。
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三保の松原の黒い砂浜には誰かが石で描いた令和の文字が。

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帰りの新幹線で飲むために買った静岡茶。透明で、キャップを緩めると中蓋が落ちてお茶が混ざる。
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デパートの商戦には即位がどうとかいうより「祝新元号」とネーミングに特定したものもあって、それはクリスマスから宗教的含意を取っ払っても商戦が成り立つのと同じ仕組みなんだなあと思う。
大手神社は5/1は深夜まで朱印を発行していて、すごい臨時収入だと思うけれど、宗教法人で課税対象にならないのだとしたら「経済効果」には反映されないかもしれない。

久野山東照宮の御朱印と御穂神社の御朱印で平成と令和。
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(私のものではないです。個人的にはあらゆる記念品やコレクションがむなしいと思うようになっているので)


by mariastella | 2019-05-07 00:05 | 時事

平成最後の?日本平と久野山東照宮

これを書いているのは5/2。

日本滞在が代替わりとか10連休だとかにぶつかるのは避けたかったのだけれど、連休中の飛行機の切符が取れなかったこともあって、結局、代替わり「フィーバー」をもろに見ることになった。

4月30日は日本平ホテルに。

部屋のバスルームからの眺めがすてきで、まるで部屋付き露天風呂みたい。
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部屋の外のベランダから見たところ。
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部屋のリヴィングからの眺め。富士山が見えないので自分で描いてみた。
次の日に見えたら少し位置がずれていた。
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雨もよいの中、ロープウェイで、久野山東照宮へ。
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階段にはりついた八重櫻の花びらも風情。
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久能山東照宮の博物館で、は徳川家康のいろいろな遺品が展示されている。身長155cmで60kgで、手形があったけれど、手は大きく豊かな感じだ。
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具足類も、実際に使われるのでなく、新しい将軍の代替わり毎に造られた美術品なので見応えがある。家康公の目器と鉛筆の展示が興味深かった。考えてみると安土桃山時代にすでにヨーロッパ人が色々なものを持ち込んでいたのだから不思議ではないけれど、鼻に乗せていたのだろう両眼鏡や鉛筆が日常的に使われていたのを想像するのはおもしろい。硬筆はどの程度使われていたのだろう。墨をする必要がないのだから実務には適していたと思うけれど。
この東照宮は夜間ライトアップするそうでそのために組んだ竹パイプのオブジェがうつくしい。
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徳川家康の遺体が最初に収められていた石造りの「御宝塔」が明治時代以降に「神廟」と呼ばれるようになったというのも興味深い。明治は将軍家から天皇へ権力が移行したわけだけれど、そこで国家神道を創って、各地の神を一体化した。
もちろん家康はすでに後水尾天皇から東照大権現という神格をもらっていた(東だけを照らすというレトリックも面白いが)わけだが、菅原道真や家康のような人間出身の神はもちろん八百万神たちをいわばキリスト教の聖人のようにまとめて、あらためて、一神教モデルで再編成した。その上で、「万軍の主」たる超越神を応用して、天皇をその上に置く「現人神」に祀り上げたのだ。

だから、家康公も「その他大勢の神」の一員としてあらためて位置付けることで、歴史の一時期の覇者という面を相対化しようとしたのかもしれない。






by mariastella | 2019-05-06 00:05 | 時事

ノートルダム大聖堂の火事について

パリのノートルダム大聖堂が燃えた件で、あまりにもコメントを求められる方が多いので、特別にひとこと書いておきます。そのうちまとめて書きます。

最初はマクロンの20hの演説(黄色いベスト運動に対する改革案提示)がどうなるかと思って空港のラウンジでネットを見ていたら、急遽それが延期になりました。フランス中が注目していた演説だったので、火事のニュースもフランス中がみまもることになりました。

今は復活祭前の聖週間の真っ最中で、それでも枝の主日の後の大きなミサは聖木曜日まで少し間がある時で良かったです。

聖週間にはイエスの茨の冠の聖遺物礼拝がありますが、クリスタルの容器に収められたそれはすぐに避難、問題は、尖塔の上の雄鶏の中にある聖ドニと聖ジュヌヴィエーヴの聖遺物ですが、尖塔から落ちたのを、修復工事に携わる建築家が見つけたのをすぐにtwitter にあげたのがおもしろかったですね。奇跡だ奇跡だ、というひともいます。
(私が43年前に最初にパリ観光をした時にこの塔の上まで登りました。)
屋根の上に聖遺骨とは、タイなどの仏教寺院の屋根の上の仏舎利も連想します。
ここをぜひ。どこから落ちたかわかります。
下は焼けたものと助かったものとのリスト。
「崩壊」とセンセーショナルに書かれるほどではないようですね。


夏時間に入って夕方以降も明るいのでみんなが集まっていたのも印象的です。炎ノートルダムをバックにセルフィーを撮る観光客もいればオプティ大司教と一緒にロザリオを歌うグループもいましたし、自主的に祈る人たちもいました。
オプティ師のロザリオの録音も聞きましたがやはり胸がつまります。

マクロンの演説を延期するために政府が仕組んだという陰謀論なども出ましたし、極右からは難民テロリストの放火を示唆するようなコメントもありました。
実は少し前にサンシュルピス(ダヴィンチコードで有名になったここが、今回、ノートルダムの代わりに、司教聖座がおかれるようです。復活祭の行事はこことサンユスターシュとで継続です)で、放火があって、幸いすぐに通報されたので扉とその周りだけが焼けました。だから、私も最初はひょっとして放火かもと思ったのですが、すぐにその仮定は否定されたので安心しました。

私はすぐに、パイプオルガンのことを心配したクチです。
一夜のうちに巨額の再建寄付が集まったことで、そんな金があるなら難民救済に使えるのに、という声もありました。大聖堂は国の所有物なので、今回の寄付はその90%を税金から控除とかいう話も出ているので、それはそれでわかります。5年以内に修復と言っていますね。
水曜日には火事が発生した時間に合わせてフランス中の教会の鐘が鳴らされることになり、そういうのは羨ましいです。
巨大歴史木造建築物がたくさんある日本でも改めて危機管理について語られていましたが、例えば金閣寺がまた燃えたとしてもその前で人々が一斉にお経を唱えるとか日本中のお寺が鐘を鳴らすとかは想像できないので。

2度の大戦の後の他の大聖堂の修復についての比較番組が結構あり、ソワソンの大聖堂の例が注目されていました。

ともかく、今回の火事、なんといっても、聖週間の間だったということが一番インスパイアさせる事実です。

そして私の関心はやはり、今回のことを誰がどのように受け止めたのかというその観察にあるので、これからゆっくり分析していきます。






by mariastella | 2019-04-17 23:28 | フランス

バルバラン枢機卿事件について補足

これを書いているのは 3/29。

あすから、日本に行くまでの準備と日本に行ってからあわてないように、20回のシリーズものを予約投稿しておくので、これは昨日に続いて最後の時事記事になる。

またまたフランスのカトリック・スキャンダルで申し訳ないけれど、フランシスコ教皇がリヨン大司教のバルバラン枢機卿の有罪判決後の辞職願を受理しなかったことの背景がひとつわかったので書いておく。

それは、去年の7月、オーストラリアのフィリップ・ウィルソンというアデレード大司教が、やはり、教区内のペドフィリアを司法に届け出ず「隠蔽」したという罪で有罪判決が下された後で、教皇が辞職願を受理していたという例だ。ところが、次の控訴審で、最終的に無罪判決が出た。


ことの次第は1970年代に遡る。ジム・フレッチャーという司祭がペドフィリア行為で有罪になり、2006年に獄死している。70年代に若い司祭であったウィルソン師は、その犠牲者たちの証言を聞いていたというのだ。

にもかかわらず隠蔽したということで20185月に12ヶ月の禁固刑の有罪判決が下された(実際は自宅軟禁に変更された)。

でもウィルソン師は、ずっと無実を訴えていた。若年性アルツハイマーでもあることからすでに大司教としての活動は休止していたものの、有罪判決の後は、すぐに控訴すると発表し、辞職は拒否した。

ところが、すでにペドフィリア事件で傷ついていた国の人々からの非難は高まるばかりで、フレッチャーの被害者たちばかりでなくカトリック教会も彼に辞職を促し、なんとオーストラリアの首相までがフランシスコ教皇にそのことを知らせたという。オーストラリアの司教会議も、「辞職に反対するつもりはない」としてウィルソン師を見捨て、追い込まれたウィルソン師の辞職願は7/30に教皇に受理された。

ところが、12/6、控訴審は、当時の犠牲者がウィルソン師に証言していたという事実に矛盾があるとしてウィルソンに無罪判決を下した。

その後でも辞職願の受理は取り消されていない。


つまり、フランシスコ教皇には、本人の無実の訴えよりも「カトリックを含めた世間の圧力」を優先して、控訴審を待たずにウィルソン師を辞職に追い込んだという苦い経験があるわけだ。

それを考えると、控訴をするバルバラン師の有罪が確定するまでは辞職願を保留するという今回の態度は、十分に理解できる。

もちろん、フランスでは当のペドフィリア司祭がまだ生きていてそちらの最終判決もまだ出ていないという、心情的にさらに面倒な要素がある。

全体として、今回の件は、そもそもヴァティカンという国の首長が、「カトリックのリーダーとしての立場」と小さいながらも国際的に認められている「主権国の首長としての立場」との二つの間で一貫していないことがあるという現実の一つの結果でもある。

そしてカトリックというシステムが、典型的な上意下達のヒエラルキーがあるにもかかわらず、実は、ローマ教皇が「ローマ司教」であるように、各司教区の司教が絶対的な自治権を持っているという「地方分権」のシステムでもあるという構造も、ことを複雑にしている。

さらに、原理的には、リヨンの大司教であろうと、叙階されたばかりのどんな田舎の一司祭であろうと、「聖霊」によってキリストと直接結ばれているのだから、「上司」の許可がなくても、信徒と神を仲介する全責任と自由を付与されていることになる。

だから、一つ間違うと、内向きの閉鎖的な共同体のグルのような行動に突っ走ることが誰にでも可能になるということだ。

特に共和国型無神論という歴史の洗礼を受けてきたフランス型の政教分離社会では、カトリック教会はその歴史を達成し支えてきた一要素となっている。

アングロサクソン・プロテスタント型の国と違って、「私は神を信じる」ということを「共同体」の外では口にできない環境になっているのだ。

でも、今回のスキャンダルで「瀕死」の状態にある、もう立ち上がれないに違いない、とまで言われるフランスのカトリック教会にも、ようやく新しい声が上がっている。

自分たちが閉じ込められていると思っていた政教分離、無神論型の社会の中の檻には、実は、鍵がかかっていないことに気づいた、という人がいるのだ。

「福音宣教」の本当の意味をあらためて問うことで、本当は「檻」の外の多くの人が、「神を信じる」という人の声を聞きたいと思っていることに気付いたという。


日本でなら、それこそ一部の新興宗教や政治家の場合を別として、一般に、だれかが初詣に行ったとか寺社でお祈りとかお祓いをしてもらったとか口にしても、誰も、その人の「宗教信条」を問題にしたり「政治イデオロギー」を追及したりしない。

フランス型無神論のタブーによって形成されている「檻」の感覚はなかなかつかめないだろう。


今回のカトリック教会のペドフィリア・スキャンダルは、宗教の比較社会文化論の見地から見ても非常に興味深い現象だ。

引き続き観察していくことにする。


by mariastella | 2019-04-13 00:05 | 宗教

日本の雑誌をネットで読む

これを書いているのは3/27

先日ようやく死生観についての書き下ろし原稿を出版社に送った。4/15に日本に出発するまでに書かなくてはならない連載原稿ひとつとジャンヌ・ダルクの文庫版の加筆と校正、日本での講座のレジュメづくりなどにかかるのだけれど、ネットで日本の雑誌をつい読んでしまう。


GQ JAPAN5月号の畠山理仁さんの「沖縄『黙殺』」という記事にはいろいろ考えさせられた。

同じ号に内田樹さんの言う「才能は温室で開花する」という経験則に何となく合意。優しく甘やかした方が才能がのびのびと育つという説だ。

「温室育ち」というと「ひ弱」の代名詞だったけれど、教育のスタートにおける絶対肯定と、「教える側」が楽しんでいる様子を見せないと伝わらないというのは分かるからだ。温室とまではいかなくとも、「苗床」的に、適度な日当たりと水があって強風を避けるだけの環境が最初に与えられないと育たないという種類の才能は確かにあるなあと思う。

でも、そのすぐ後で同じ著者が、「娘が父親を嫌いになるのは生物学的にプログラミングされている」と断定していることについては「?」と思った。この方は確かシングルで娘さんを育てた経験があったと記憶するのでそれなりの説得力があるのかもしれないけれど、「嫌いになる」のが生物学的ってことはない。お話を分かりやすくするためのレトリックなんだろうけれど、社会的、家庭的な個々の条件が複合した現象の一つなのだからこんな風に書かれると反論したくなる父親も娘もいると思う。


週刊誌『SPA!』の峰なゆかさんの連載マンガ『アラサーちゃん』の今回(#281)は最初のコマで「ブス、デブ、高校中退のキャバクラ嬢」がリストカットしながら「あれ‥‥? もしかしてメンヘルってもうダサい‥‥? オワコン…・?」とつぶやいているのがショックだった。

その後も、このキャバクラ嬢と「低スペック」の男のやり取りで、「弱者男性とフェミニストの《殺し合い》」が語られるのも、かなり深刻な問題だ。弱者男性側は、女性の方がむしろ優遇されている、男もつらいのだから女も我慢しろ、という理屈となり、両者とも出発点は生きづらさなのに結論が真逆になる。

その一方で、「両者の真の敵である社会的強者男性はノーダメージで生きて」いて、「性差別? ~ 今の日本にはそういうのもうないんじゃん?」などと言っている。

ポリコレ制約ゼロのようなこのマンガだからこそ切り込める現実だなあと思う。


by mariastella | 2019-04-12 00:05 | 雑感

#MeTooとNYシティバレエ団

バロックバレーのクリスティーヌが、冬休みに行ったニューヨークのみやげ話をいろいろしてくれた。
最近パリでも上演されたジェローム・ロビンズ(去年が生誕100年だった)の『牧神の午後』のすばらしさをたっぷり聞かされる。

ジェローム・ロビンスと言えばNY生まれでなんだか生粋のアメリカ人ダンサーのような気がしていたけれど、ものすごく苦労してきた人だそうだ。

ロシアから逃げてきたユダヤ人の子孫で、20世紀初めのアメリカで「ユダヤ人」(同性愛者」「共産主義者」という三重苦を背負っていたからだ。

で、クリスティーヌの話では、今のNYシティバレー団では、例のMeTooの告発以来、女性ダンサーに告発されたベテラン男性ダンサーたちが次々と離団に追い込まれる事態が発生しているのだそうだ。
若手は残るだろうが、このままいけば、女性ダンサーばかりになるのではと噂されているそうだ。

ハリウッドの映画界が大揺れに揺れたのは震源地だから無理もないけれど、他のアート分野も震撼させているのだなあ。

(こういう告発は一度されると立ち直るのが難しいだろう、なかには「冤罪」だってありそうだ。
うちのネコたちを見ていて、もし彼らが猫世界のSNSとかで情報交換していたら怖いなあ、と、ふと思う。#MeTooなんてやられた日には、こちらの悪事が全部暴露される。
もちろんセクハラこそないけれど、嫌がっているネコを無理やり抱きしめるとか、せっかくぐっすり寝ているのに突然腹に顔をすりつけるなんて言うのは日常茶飯事だ。「うちでは芸をしないとご飯もくれないんですよ」と虐待を訴えられそうでもある。被害を外に訴える手段のない相手と暮らす毎日は、ほんとうにこちらに「お世話させていただく」自覚が必要だ、とあらためて思う。)




by mariastella | 2019-03-25 00:05 | 踊り

『ソドマ』のその後とサン・シュルピスの放火

フランスのカトリック界スキャンダルをこのところ追ってきたけれど、この辺でひとまず一時休止することにする。

前にこういう記事も書いた。
私は読んでいないけれど、近頃ようやく、精読した信頼おける歴史家の話を聞いた。

聞けば、この本は、フランスでは結構ベストセラー入りしたのだけれど、英訳された英語圏の国からはかなり批判されているらしい。

まず「噂話」の類が多く、資料に基づいたものではない。

その他、

ジュリアン・グリーンが洗礼を受けた時期など、かなり重要な事実関係に誤りがあること、

同性愛者に向けられる社会的なプレッシャーなど、20世紀のはじめと終わりではまったく違うので単純比較はできないことを強引に比較していること、

ジャック・マリタンとライサ夫婦に男女関係がなかったことをマリタンの同性愛の証拠のようにしているけれど、1960年に出たライサの日記によると、二人は結婚して8年目に貞潔の誓いを立てたそうで、同性愛者が苦行によってそれを昇華するという図式が安易すぎること、

マリタンのところにコクトーやジャン・ギトンやモーリアック、ジイドなどが出入りしていたことで彼の同性愛が分かる、と書くのは性愛と友情を混同していること、

などだ。

で、私もデジタルで公開されている部分をチェックしたけれど、パリのオプティ大司教のことまで、39歳で神学校に入るまで医師として働いていたけれどずっと独身で女性の影がなかったから同性愛者だろうと書いてあるのを読んだ。

なんだか、あまりにも、安易な決めつけで、何よりも、意味が分からない。
だったら、どうした、としか言えない。

神学校に入るまでに女友達がいた司祭だってたくさんいる。
そんなことをいろいろ言われるのでは、司祭たちが実はどんな階級の出身だったとか離婚家庭の出身だったとか、なにかの病歴や障害を持っているとか、なんでも言われそうだ。

前の記事でも書いたが、著者はゲイの活動家で、だからこそ、いろいろ決めつけてもフランスではなんだか「免罪」されている感じなのだけれど、こんな本が興味半分で読まれるのでは、それでなくとも風当たりが強いところに、ほんとうにフランスの神学生だとか司祭や司教たちはきのどくだと思う。とばっちりを受けている人も少なくない。神学生の数は減っているし、教会を支えている女性信徒だって離れていきそうだ。ペドフィリア・スキャンダルのせいで、本人は関係がないのに道を歩いていて侮辱されたり唾を吐きかけられたりする司祭や司教もいるそうだ。

そんなところに、3/17の午後にサン・シュルピス教会で火事があった。
中ではオルガンのコンサートがあって、それを聴きに来ていた人からの通報で早く消し止めたけれど、18世紀の扉や階段の踊り場が焼けたという。ホームレスの衣類に火をつけての放火であることが確認された。ホームレス同士のいさかいが原因という可能性もないわけではないが、バルバラン師が辞職しない(できない)ことがいろいろ批判された後だから、近頃増えるばかりの「教会」をねらった襲撃である可能性が高いという。

サン・シュルピス教会は、『ダヴィンチ・コード』の舞台になって観光客がツアーでやってくる観光スポットにもなっていた。
何よりも、ダン・ブラウンがいなくても、ユイスマンスの本を読んだことがある人なら、サン・シュルピスを傷つけるなど不可能だ、と誰かが言っていた。

それでなくともテロ以来、パリの教会に一人でぶらりと入って心静かにさまざまなキリスト教アートを鑑賞する贅沢な機会が、だんだんと減っている。

今年の復活祭の四旬節は、フランスのカトリック教会にとってほんとうに「受難」の時だなあと思う。


by mariastella | 2019-03-23 00:05 | 宗教

聖人のタイトル剥奪って… 

オーストラリアのペル枢機卿にペドフィリアで有罪判決が下ったことで、カトリック叩きの異様な興奮が一部で相変わらず続いている。
ペル師はワシントンの枢機卿と違って、自分にはやましいところがないから、と、オーストラリアの法廷に召喚された時にヴァティカンからすぐに戻っている。
「罪を認めて悔い改めた」というタイプの事件とは全く違う。
前にも触れたけれど、フランスでもつい最近、地域の区画整理における対立の後で司祭に復讐しようとした夫婦がペドフィリアを告発した後、偽証や名誉棄損で有罪判決を受けた。悪意によって被る濡れ衣というものは確実に存在する。
ペル師はLGBTについて、保守的な立場だった。まあ、現役カトリックの高位聖職者なのだからそのこと自体を責められないだろう。でもシドニーはサンフランシスコと並んで世界一LGBTのロビーの力が強いところだ。しかもヴァティカンでの既得権益粛清の仕事でますます敵を増やしている。ある意味で「お手軽」なペドフィリア告発の罪がもし「無実」なのだったとしたら、ペル師は一種の「殉教」者ということだ。
まあキリスト教はイエス・キリスト以来「無実の罪」に耐性があるから長いスパンで見れば落ち着くところに落ち着くのかもしれない。

で、バルバラン師にはじめて、ペドフィリアの司祭(これは本人が認めているもの)を世俗の司法に告発しなかった罪で有罪先刻が出たことで、今度は、世界中からいろいろな通告を受けていたはずのヨハネ=パウロ二世が何の手も打たなかったことを非難して、「聖人」の称号を取り消せ、という声まで一部に上がってきた。

カトリック側には、そんなことをいうなら、明らかに今のフェミニズム的には女性差別のテキストを残したパウロだって聖人をやめてもらうことになる、聖人とは神のそばにいるということで、勲章などの問題ではない、ナンセンスだ、と言う人がいた。
確かに、日本でも、政府からのものを含めて褒賞、顕彰などを受けたアスリートが、その後で性犯罪の実刑が出てすべてを取り消されたり剥奪されたりという類の事件があったようだけれど、そういう世俗の名誉とか表象と、列福列聖の論理はまったく別のところにあるのは明らかだ。
また、確かにナザレのイエスは、自分の生まれた時代や環境に対してまったく革命的な人(というかキリスト教的には神だから当然だけれど)だったけれど、弟子だってパウロだって、みな人間的弱みを生きてきた「時代の子」だった。
ローマ教皇というとその上にもう中世以来の「領主」として長い間「政治」的「経済」的な存在だったのだから、「その時代の過ち」からは自由ではない。

ヨハネ=パウロ二世については、冷戦時代の共産圏からヨーロッパの理念を大切にしてヴァティカンにやってきた人だった。そして、彼が「自由世界」で目撃した「近代性」は、21世紀の目から見るとスキャンダラスなものもある。
1970年代のパリでは、実存主義のカリスマであったサルトルらと共に、ペドフィリアを肯定するようなマニフェストが展開されたことすらある。もちろん合意なしのものが罪であるのは変わりがないが、フロイトの影響もあり、子供にでもセクシュアリティはあるので、快感を目覚めさせるのは悪いことではない、欺瞞的な抑圧からの解放だ、という空気が「時代の空気」であり、それが大方の問題意識をくもらせたという可能性は大いにある。

その最たるものが、なぜローマ教皇はヒットラーのホロコーストを許したのか、というやむことのない攻撃だ。

ナチスが政権を取った時、世俗の知識人、聖職者、ユダヤのラビなど、多くの人が、ピウス11世に直訴したり親書を送って、ヒットラーを弾劾してくれと頼んだ。特にドイツのユダヤ人哲学者でカトリックに改宗したばかりのエディット・シュタインからの嘆願の手紙は「先見の明」があるもので、同志てすぐに反応しなかったのかとはよく呈される疑問だ。彼女がカルメル会の修道女となった後でガス室で殺され、後に殉教者として列聖されたこともユダヤ教との間にいろいろな摩擦の種になった。
彼女の列聖こそが、教皇への親書に対する遅すぎた答えだったのかもしれないが、ともかくそれをきっかけにカトリックとユダヤ教の兄弟性が繰り返し強調されるようになったので、シュタインの手紙も「殉教」も決して無駄にはならなかった。

ピウス一世には、あのムッソリーニですら、ヒットラーを「破門」してはどうかと頼む心づもりをしていたという証言も残っている。
そう、ルター派がマジョリティのドイツでは30%ほどだった当時のドイツのトップに立ったヒットラーは「カトリック」だった。イエスは実はアーリア人だったと言わせるとか、ゲルマン神話に入れあげるとか、自分も敢えてカトリックとは言わず「キリスト者」であると言っていた。そして、ユダヤ人を「キリスト殺し」だと非難したわけだけれど、ともかく、当時の脅威だった共産主義無神論者ではなかった。

ヴァティカンが、ヒットラーを則「破門」する代わりに、無神論を共通の敵とする同志として1933年夏にひとまず何とか外交関係を樹立したこと自体が、結果論ではなく当時の文脈で考えた時に「戦略」上間違っていたのかどうかは私には分からない。

その後、エデッィト・シュタインの恐れていた通り、ヒットラーの全体主義は猛威を振るった。教会はすべて御用教会としか生き延びられず、それに反対する聖職者はユダヤ人と同じように収容所に入れられた。

ドイツからオランダの修道院に移ったエデッィト・シュタインは、オランダのカトリックとプロテスタントが共同でヒットラーのオランダでのユダヤ人排斥を弾劾する声明を1942年に出したすぐ後で、その報復として、8/2に300人のユダヤ系聖職者を逮捕したのと同時に逮捕されたのだ。
エデッィト・シュタインは、イエスの十字架はまさにユダヤ人の十字架であり、ユダヤ系キリスト者である自分こそが全てのユダヤ人の十字架を背負うという覚悟をもっていた。

過去のいろいろな歴史を検証して断罪することは難しいけれど必要だ。
それらからいろいろなことを学んで「過ち」を減らしていくことは、さらに大切なことなのに、さらに、難しい。




by mariastella | 2019-03-18 00:05 | 宗教

ペドフィリア・スキャンダル 司教はつらいよ

先週、バルバラン枢機卿の辞職願がフランシスコ教皇に受理された次の日、


ストラスブールの大司教が、ラジオで、教会内ペドフィリア・スキャンダルについて突っ込まれたインタビューに正直に答えていたのを聞いた。


今、現在、性的虐待で告発されている司祭が司教区内にいるかどうかという質問で、彼は「一人いる」と言う。で、その司祭は直ちに子供と接触のないポストに異動させられているのかという質問には「否」だと答えた。

つまり、大司教はこの告発を現在の教会の指針通り、直ちに警察に通報した。で、今はその調査中なので、証拠隠滅などがないように、その司祭には何も知らせないように、当局から言われているのだそうだ。

ということは、最悪の場合、まだ「ばれていない」と思っている司祭はセクハラを続けたり別の犠牲者を出したりするかもしれない。それではリスクをおかすことになるのではないか ? トレランス・ゼロとはいえないのではないか ? と厳しく問われても、大司教には自分には今の段階では司法機関に従うしか選択肢がない、と答えていた。確かに、「推定無罪」というのはある。冤罪かもしれない。

これが今までであったら、警察に通報するよりもまず司教が件の司祭を呼び出して、ことの真偽を問うことになる。それで「神に誓ってそんなことはしていない」と答えられれば、それを信じる以外の選択は司教にはないだろう。逆に、事実を認めて悔い改めを表明すれば、やはり神の名において免償しなければならないし、その上でなおかつ司法の手に引き渡すことは「告解の秘密を守る」義務もあるから難しかったわけだ。

バルバラン師の場合もこういうジレンマや教会法的処理について、大きく非難されて決定的に弾劾されたわけだから、このストラスブールの場合は個人的に司祭を呼び出して事情を聞く前に司法に「丸投げ」となったわけで、そうすると彼らの調査を妨げてはならない、となるわけだ。これが教会の公金横領などだったら、「事情を聞く」前に自分たちで「調査」することも可能だけれど、密室の性的犯罪となると、本人抜きの内輪の調査と判断は難しい。


いやあ、まだまだこの問題は試行錯誤が続きそうだ。


ストラスブールではすべての告解室や子供たちが出入りする場所のドアを透明ガラスの窓付きのものに変えたという。

その上に監視カメラや盗聴器まで備えられる日がいつか来るなら、もう倒錯的な段階に突入だ。

このままでは司祭を監督するのが任務である司教のなり手なんていなくなるだろう。

「司祭を監督しよう」などという使命感で聖職の道を選ぶ人などありはしない。


司教ってきのどくだ。

神さま、なんとかしてあげてください。


by mariastella | 2019-03-17 00:05 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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