L'art de croire             竹下節子ブログ

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故障を治すということ

日記 その9


2/17

いつもの通りベッドの中で目覚ましラジオを聞いていたら、メダル候補だったフランスのスキー選手が予選落ちしたことがニュースになっていたので、そういえば、フィギュアの羽生選手、どうなったかなと思って聞いていたが、まったく語られない。オリンピックになると、国による報道の違いがよく分かる。

で、ネットを検索したら、金メダルを取ったことが分かり、ネットの動画で演技もちゃんと見ることができた。

先日、この「Seimei」について野村萬斎との対談のことを書いたけれど、少なくとも、能舞台の跳躍では、どんなに素晴らしいものでも、まず、転倒とか怪我の心配はないなあとあらためて思う。

フィギュアスケートはバレエの要素も大きく、力と力のぶつかり合いではないので見るのは好きだけれど、ジャンプがどんどんエスカレートして一流選手でも転倒はもちろん、ひどい怪我をするリスクがある。


バレエでも男性ダンサーの回転とかジャンプはハードで、脚を痛めることはありそうだけれど、氷上のスピードと高さによるほどのリスクはないだろう。

足の故障と言えば、私事で思い出すのは、1999年の夏に日本で本を読みながら上がったメトロの階段を踏み外して足首をひねったことだ。人と会う仕事などがいろいろあったので、腫れが引いた後は、脚を引きずらないで無理して歩いていた。

ある角度での痛みはとれず、フランスに帰ってからやっと医者に行くと、もう固まっているからどうにもできない、などと言われた。

普通の生活はできたので、もし私に「踊る」という生活がなければ、そのまま、「昔、足を痛めたのでうまく走ることはできないおばさん」になっていたかもしれないけれど、バレエのステップが踏めないのは重大だったので、スポーツ医療の専門クリニックに行き、徹底的にリハビリに通うことになった。


まあもともとのレベルが素人のダンスだから、結局、完全に治すことができた。

五十肩の拘縮の後遺症が今でも左腕にあって、右よりもやや可動域が狭いことに比べると、さすがに、足はごまかしがきかないので、最後までリハビリを続けたからだろう。

その11年後に自宅の階段で滑って肩を強打した後でこじらせた。

それ以来、ひたすら転倒が怖くて、どこでも階段では手すりを持つし、バレエでも連続回転は目が回ってバランスを崩す前にやめている。

若い頃に踊っていた時よりも目が回るのが早い。もちろん目が回らないように視線の動きのコツがあるのだけれど、フィギュアスケートの高速スピンを見ていると、人間業とは思えない。検索したら訓練効果で回転も日常動作と同じと認識されて脳が刺激をブロックするのだそうだ。

すごいなあ。


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by mariastella | 2018-02-25 00:05 | 雑感

カトリック大司教と赤旗

日記 その8

2/16

サイトの掲示板で、高見長崎大司教が「しんぶん赤旗」2018/2/7で、憲法九条を改定してはならない、という記事を出されているのを教えてもらった。

早速検索して読む。


高見大司教はフランスのドキュメンタリー番組で、インタビューに流暢なフランス語で答えていたのが印象に残ったと前に書いた。その時の彼の発言にも少し触れたことがある

ちょうど6年前に、岡田東京大司教も赤旗のインタビューに答えていたのを思い出す。

「自戒こめたメッセージ 自然と命守り後世に伝える」というもので、

>>>「いますぐ原発の廃止を~福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして~」日本のカトリック教会が昨年11月に発表した司教団メッセージです。日本にいる3人の大司教の一人、東京大司教の岡田武夫さんに聞きました。2012/2/26<<<とある。

共産党とキリスト教は弱者に寄り添うという一点で共通している。

共産主義政権は、資本主義社会の構造的弱者である「労働者」を「強者」に転換するのを必然としているところが決定的に違う。

日本の社会主義者でソ連のコミンテルンから日本共産党の設立を支援した片山潜はプロテスタントだったけれど、ソ連のボルシェビキが「無神論路線」= 実は神と宗教にとって代わる路線」を採用したので、自分は本当は神を信じていなかった、みたいな弱腰の言葉を残している。でも実は、戦前のキリスト教社会主義者たちは、「御用宗教」としてのキリスト教を擁護していたのではなく、「キリストの教え」に忠実であろうとしたのだった。

日本共産党はその後コミンテルンから離れて独立路線をとったのだから、もう少しイデオロギー色を消して、それこそ、もとの、搾取されている人々を解放する、という方向に、現在の肥大した金融資本主義などの中での労働者の救済ということと、必ず真っ先に弱者が犠牲になる戦争や環境破壊に絶対反対するということに特化すれば、今のカトリックの目指すところと変わらないのは事実だ。

でも、旧ソ連の全体主義と袂を分かった自由諸国内の共産党が次々とそのブランドを捨てていくのに対して、日本の共産党だけはあいかわらず「赤旗」という革命旗を掲げているから、フランスのTVニュースでも取り上げられたくらいだ。

その「赤旗」ブランド死守が生存戦略の一つだというのも、旧社会党の末路と比べると分からないでもないけれど。

で、カトリックというのは、フランスでも二つに分かれている。

ブルジョワ階級のお仲間アイデンティティと、現ローマ法王のフランシスコ教皇と同調して、形や伝統よりも慈しみの実践と偽善の告発に熱心なグループに分かれる。

カトリックが超マイノリティーな日本でさえそんな雰囲気があるのは不思議だが「欧米のイメージ」、「ミッションスクールのお嬢様カルチャー」などのお仲間アイデンティティがフランスとは違う意味で存在していて、「大司教様が赤旗に応えるなんてあり得ない」「聖職者が反体制的な政治運動や発言をするなんてとんでもない」という反応も必ず出てくるようだ。

プロテスタントの方が、もともと個人的に社会主義運動にコミットメントするハードルが低い。

今は「神、金、革命」という次著をまとめている最中なので、いろいろな歴史的、地政学的文脈が頭に浮かぶが、日本でも、超宗派的な日本宗教者平和協議会があって合意事項を明白にしている。どんな宗教でも、人間の死生観に関わるのだから、行きつくところは同じだというのはもっともだ。

合意事項は、今、検索したら、

信教の自由政教分離の確立」、

核兵器の完全禁止と廃絶」、

「(自衛隊及び在日米軍)軍事基地の撤去と軍事条約(日米同盟)の撤廃」、

日本国憲法の擁護と平和・民主条項の実現」、

人権の擁護と民主主義の発展」、

「環境の保全と回復」、「宗教者の国際連帯の強化」(平和五原則

だそうで、宗教が正論に行きつくとこうなるんだなあ、と思う。


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by mariastella | 2018-02-24 00:05 | 宗教

平昌五輪に参加していない国‥

日記 その2

2/10

20hのニュースを見たら、のっけから、シリアのイラン軍拠点を攻撃したイスラエル戦闘機がミサイルで追撃されて墜落したというニュースが流れた。

もとはイランの無人機がイスラエル上空を飛んでいたからだというのだが、ロシアも反応した。
イランとロシアがIS殲滅のためにシリアのアサド政権と組んだこと、ISメンバーはいろいろなところに逃げたり収容されたりしているが、アメリカに支援されてISと戦ったクルドはトルコからテロリスト認定されてシリア内の自治区を爆撃されているし、ISのような「わかりやすくて都合のいい敵」がいなくなると、各国の思惑が噴出している。

イスラエルとシリアは1967年以来、「戦争状態」にある。

南北朝鮮と同じだ。

このニュースでショックを受けたけれど、日本のネットニュースでの扱いはとても少ない。

やはり中東情勢は「対岸の火事」で、平昌オリンピックという「対岸の祭」の方が関心の的なのかもしれない。

そういえば、この冬季オリンピック、イランは参加しているが、シリアもイスラエルも不参加だ。気候的な理由もあるけれど、「平和の祭典」開催中は北朝鮮からのミサイルは飛んでこないといっても、シリアとイスラエルでは火の手が上がっているわけだ。

「聖火」では、ない。

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by mariastella | 2018-02-18 00:05 | 雑感

名護市長選と二つの「ことば」

気になっていた、沖縄の辺野古がある名護市市長選挙。


自民、公明、維新に推薦された新市長が当選。


辺野古をスルーして「米海兵隊の県外、国外移転」「日米地位協定改定」を新市長の政策とさせた公明党の組織票が期日前投票率の高さにつながったのだろうか。


気になって、沖縄の創価学会について検索したら、

こういうのが出てきて驚いた。池田大作氏の「詩」。

いやあ、すごいボリューム。

最後まで読んだが、圧倒される。布教に成功する宗教というのはやはり言葉の力なんだなあ。創価学会沖縄国際平和会館というものとセットになっているのだろう。

沖縄にいわゆ伝統日本仏教の影響がなかったことも創価学会に有利だったのだろう。それこそ「ブルーオーシャン」だったのかもしれない。


前に奄美大島のカトリックのことを調べたことがある。

奄美も伝統仏教の影響が少ない民族宗教の離島だったので、国家神道の押し付けよりも、普遍宗教のキリスト教が広がった。1930年代からひどい迫害を受けたけれど、戦後にまたカトリックの修道会などが入ってきて復興の手伝いをしたので今も存在感があるらしい。


沖縄はそういうわけにはいかなかった。

戦後に入って来たキリスト教はアメリカ軍と切り離しては考えられなかったからだ。


布教におけるマーケッティングやレトリックというのは資金力と同様、決定的なものなのだなあと思う。


実はこの池田大作の長大な美文を読む前に、辺戸岬の「祖国復帰闘争碑」の碑文というのを読んでいた。


これも結構長いと思ったけれど、池田大作の美文の比ではない。


言葉と、言葉が仲介する「人間」との関係、言葉の使命や人間の使命について考えさせられる。








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by mariastella | 2018-02-06 00:05 | 雑感

イラン人と革命

今回のイランの「暴動」に関して、まだ在仏イラン人とは話し合っていないのだけれど、いろいろな記事を読んでいて、今まで私が気がついていないことがあった。

イラン人って、もともと、体制に対して「ノー」を突き付けることができる人たちなんだということだ。

思えば、アメリカの肝入りで導入された王政に対して、イスラム革命が起こったのも、歴史を俯瞰する目で見ると納得できる。

そんなホメイニ革命だったが、それが今のように宗教原理主義化するなどとイラン人は考えていなかったわけで、最初はそうではなかったし、原理主義化の動きにはすぐに抗議の声が上がったし、実際、あることが起こらなければ、ホメイニ体制は長く続かなかっただろう。

あることというのは、ホメイニ革命と同年の1979年にイラクでサダム・フセインが政権を取り、そのサダム・フセインの親欧米スンニー派との確執でイラン・イラク戦争が起こったことだ。

全部で百万人という犠牲者を出したこの戦争。
戦争となれば、国内で改革や革命、政府批判などしている暇はない。
8年も続いたこの戦争がホメイニ体制を確固なものにしたわけだ。

戦争がようやく終わると、今度は、戦死者を含める戦争被害者に、ホメイニの政権は補償年金の支払いを決めた。石油マネーがそれを支えた。すると、年金を必要とする人々は政権を倒すリスクをおかしたくなかった。
そうだよなあ、と思う。
その結果、宗教原理主義体制が20年近く続いたわけだ。
でも「NOと言える民衆」にとってはそろそろ限界なのかもしれない。

ここ10年の私の周りでは、ホメイニ革命の後で亡命した人や、イランの宣教から戻って来た修道女や、王室に近い人々、ばかりと付き合ってきたし、ドバイやカタールなどアラブの湾岸国に知人たちが今も暮らしているので、彼らを通して見えることもあるが、逆に見えなくなるものもあるなあと気づいた。

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by mariastella | 2018-01-25 00:05 | 雑感

オリエントのキリスト教徒(続き)

Arteで『オリエントのキリスト教徒の最後』というドキュメンタリーを観た。

エジプト、トルコ、レバノン、イラク、シリアのそれぞれの状況。


レバノンがフランスの肝入りでキリスト教マジョリティ国として作られて、1943年からの30年くらいは、大統領はキリスト教徒、首相はムスリム、と決まっていたのは知っていたけれど、首相はスンニー派で国会議長がシーア派というところまで決まっていたのだそうだ。

それが、内戦を経て、「レバノンキリスト教徒の鬱」という言葉ができて、レバノンのキリスト教徒は今や、スンニー派寄りとシーア派寄りに分断されたという。シーア派寄りが多い。いや、中東のキリスト教の多くがシーア派とパートナーシップを組んでいる。なぜかというと、マイノリティ同士だから連帯するのだそうだ。


でも、スンニー派はサウジアラビアの系統で「欧米」に支援され、シーア派はイランに支援されるから、結果として中東のキリスト教徒は「欧米」から見捨てられる傾向にある。


それなのに、現地では、「キリスト教欧米の手先」のように見なされて攻撃される。典型的なのがイラクで、2003年の英米軍の侵攻以来、「アメリカのコラボ」という目で見られて教会や信者や聖職者が何度も犠牲になった。


エジプトのコプトへのテロもひどいが、中近東のキリスト教徒がスケープゴートとしてひどい目にあっているのは、ちょうど、一九世紀ヨーロッパのユダヤ人と同じスタンスだという。

マイノリティであり、独自の生活や信仰様式を持っていること自体が迫害を招いているのだ。


キリスト教徒よりさらにマイノリティのイェジディ族はユダヤ教より前の一神教で、彼らは難民キャンプなどでキリスト教徒に守られている。

モスルの司祭が、千年前から伝わるキリスト教の貴重な古文書を救うためにトヨタのトラック2台にぎっしりと積み込んでクルド自治区に脱出しようとした。道すがら、多くの難民が徒歩で必死で逃げているのを見て、トラックの荷台の古文書の上に乗せられるだけ乗せた。

チェックポイントについたがゲートは閉じられている。

後ろからはISが追ってくる。

車は通せないが、歩いてなら入ってもよいことになる。

司祭は、すずなりに乗せてきた難民たちに、持てるだけの本や文書を抱えて入ってくれと頼んだ。

子供たちまでがそれぞれ貴重な書物を抱えて走った。

おかげで、貴重な資料は失われずに無事に避難させることができたという。


トルコのキリスト教徒のジェノサイドのことは知っていたが、もともと、中東で最大のキリスト教コミュニティがあったのだという。

ムスリムがやって来た時は、キリスト教の一宗派だと思っていたそうだ。

それでいろいろとアドバイスし助けていたのに、結局は乗っ取られた形になり、「トルコ=ムスリム」アイデンティティの国になり大虐殺につながった。


エジプトで興味深かったのは、20世紀の前半は、「イスラム化」が目指されたのではなく「アラブ化」が目指されていたということだ。

たとえば、家の中や聖堂の中で靴を脱ぐのはムスリムの習慣ではなくてアラブの習慣だ。

帝国主義国の支配から解放されての、宗旨を問わぬ民族団結のアイデンティティを築こうとしていたのに、欧米諸国から支援されなかった。で、アラビズムがイスラミズムへと転化していったのだという。


他にもいろいろあるが、ともかく、オリエントのキリスト教が、いたるところでその宗教帰属ゆえに過激派から殺され続け追われ続けているというのに、ヨーロッパの国々はまったく関心を示してこず、自国のジャーナリストがひとりでも人質になると大騒ぎする。我々は、西洋の人権主義、人道主義、平等主義、普遍主義など、とうてい信用できない、という聖職者のコメントが印象に残った。


彼らのために本気でがんばっているのはカトリックのローマ教皇くらいかもしれない。南米出身の教皇ということがここで生きてくる。


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by mariastella | 2018-01-24 00:05 | 雑感

オリエントのキリスト教徒

中東のイラク、レバノン、シリア、トルコやエジプトなどにはイスラム化した後にも、20世紀初めには人口の4分の1くらいの、キリスト教徒が残っていた。

それがどんどん縮小して、21世紀に入ってからの中東情勢の悪化で、途方もない数の犠牲者を出し、亡命する人も多く、今や30分の1と本当にマイノリティになっている。キリスト教の揺籃の地でキリスト教徒が完全に排除されると、彼らと共生していたムスリムも、ますます過激派に生活を脅かされるのでは、原理主義化するのでは、と恐れている。


「オリエントのキリスト教徒を救おう」という世論がヨーロッパで盛り上がるようになったのは、ISのような過激派がイラクやシリアを占拠し始めてからだ。


それまであまり意識していなかったのだけれど、近代以降、オリエントのキリスト教徒が中世よりももっと激しく弾圧され始めたのは、ムスリムから、「キリスト教徒は欧米文化の共犯者」とみなされたからだという。


つまり、近代以降、


「キリスト教 = ローマ・カトリックとそこから分かれたプロテスタント =  欧米帝国主義」


というシェーマが出来上がったことで、憎悪と迫害の対象になったというのだ。


もちろん、オリエントのキリスト教は、イスラム誕生に先行する文化だ。

モーセもイエスもエジプトからパレスティナに戻り、イエスはパレスティナで殺され、使徒たちはパレスティナで布教した。

ローマ帝国やヘレニズム文化の版図にも広がったので、地中海沿岸を中心に中東はもとより北アフリカにも根付いた。

オリエントのキリスト教は、後のヨーロッパ帝国主義国のキリスト教よりもずっと古いし、アメリカのキリスト教などはイスラム登場よりもはるかに後のプロテスタント植民者から始まった。


欧米帝国主義国の覇権主義は、産業革命やら様々な要因によって増大したが、キリスト教自体から来ているわけではない。

彼らにとっての「新世界の発見」が宣教師たちの福音宣教魂に火をつけた部分はあるにしろ、帝国主義者全員がキリスト教アイデンティティを持っていたのは、キリスト教の権威を支配のツールにし続けてきた為政者たちの思惑が成功した歴史的な実情以上の部分では大きな意味を持たない。


それなのに、「キリスト教=欧米」と言われてしまうのは、日本を見ていても分からないではない。

「欧米」経由でキリスト教が入ってきて、欧米帝国主義と対峙しなくてはならなくなったせいで、「日本のキリスト教徒= 欧米かぶれ=日本の伝統を捨てた者」のように見なされる言辞は、21世紀の今ですら残っている。


けれども「親欧米」が、中東のキリスト教徒の迫害の口実になっていたとは。


イラクのカルデア派を始めとしてカトリックと近い宗派も確かに少なくない。

でも、中東のキリスト教の方が、言ってみれば本家本元なのだ。


それに、日本のように、キリスト教は採用しなくても、しっかり親欧米の国はある。キリスト教の根源にあったヒューマニズムや普遍主義(共同体を地縁や血縁で縛らない)が少しずつ形成してきた「国際社会」の原則に合意が成立しているからだ。

中東のキリスト教徒が、そのような「欧米帝国主義シンパ」という言いがかりをつけられて迫害されていたことに対して、欧米のキリスト教はずっと無関心であり続けてきた。


彼らの多くにとっては、キリスト教はもはや「政治」とは関係がなく、そのエッセンスを昇華した自由平等主義が旗印なのだから、中東の「キリスト教徒共同体」がキリスト教であるということだけで迫害されていることなど、アナクロニズムでしかなかったのだ。(続く)


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by mariastella | 2018-01-23 00:05 | 雑感

ポール・ボキューズとローマ法王

日本でもフランス料理の権威として有名なポール・ボキューズが91歳で亡くなったので、ニュースになっている。


懐石料理に影響を受けたとか言われるヌーヴェル・キュイジーヌが流行ってからも、料理に古いも新しいもない、おいしい料理かどうかだけだ、と言っていて、毎朝8h15に、朝市を見て回るのが最後まで日課だったとか。

食材に挨拶するためだったという。


おもしろいのは彼を形容するのに、フランス料理のPapeだと言われることだ。

Papeはローマ法王、教皇のこと。


日本でも業界の実力者などを「・・天皇」などと形容するのを見たことがあるが、こういう時に、「王さま」という言葉は使われない。


「王」は支配者であり、天皇やローマ教皇は、支配力を行使しないで尊敬されているというニュアンス、シンボルという感覚があるのだろうか。


ポール・ボキューズの愛称が「ムッシュー・ポール」だったこともおもしろい。


フランス語ではムッシュ-やマダムの後には姓をつけるし、親しい人にはファースト・ネームだけで呼ぶから、ファースト・ネームの前にムッシューなどとつけるのは正しくない。

特殊枠、芸人的な感じだ。


でも、ポール・ボキューズの場合は、教皇がフランシスコなど、ファースト・ネームだけで呼ばれるのも連想してしまった。

リヨンのレストランはミシュランの星の最長記録を更新していて、亡くなって空の星になったというイメージで、


「ムッシュー・ポールは、星々の間にいる」


と言われるのもほほえましい。


料理に関しては、いろいろな意味での総合芸術としての演劇心が印象的だ。

それが彼の名を一大ブランドにしたのだろう。


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by mariastella | 2018-01-22 00:05 | フランス

対日関係新思考

昨年秋にいただいたままの『中央公論』を正月休みになってようやく読み始めた。

10月号にあった論考で、馬立誠の「対日関係新思考」というものの存在を知った。

近頃、どう考えても、最も危うい問題は朝鮮半島にあるのではなくて中国にあるのではないか、米中の新しい「冷戦」時代に入っているのではないだろうか、と考えて深刻な気分だったので、このような考え方が2002年からあったこと、そして中国の若いエリート層から少しずつ認知されているらしいことを知って、救われた気分になった。

ネットで全文読めないかと探したが、かなりの量がこのブログで引用されていることが分かった。

この引用の後には、日本軍と戦ったフィリピンで18歳で戦死した米兵の両親が、保険金で息子の通っていた大学に奨学基金を設立して日本の若者の留学を援助することにしたエピソードが述べられている。奨学生第一号は元特攻隊員で、その後は日米友好のために尽くした。中国はアメリカを社会の現代的管理を進めるモデルにしているのだから、アメリカの日本との関係の処理の例も参考にせよ、という文脈だ。


このブログにはこの記事だけでなく他にもいろいろ有用な情報が紹介されているし、ホームページの方も充実している。少しずつ過去ログを読んでいく。



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by mariastella | 2018-01-19 00:05 | 雑感

Karima Bennouneカリマ・ベヌーヌ(ベノウネ)

カリフォルニアのDavis大学国際法教授のカリマ・ベヌーヌさん(アルジェリア出身)はイスラム圏の国々を訊ねてイスラム法の原理主義的適用に対抗してレジスタンスやアンチ・テロリズム活動を行っている人々へのインタビューをもとにしたベストセラー本『Your Fatwa Does Not Apply Here』を書いた。

特に英語圏の人々に、イスラム圏の国々にある草の根の人権活動や反過激派の実態を知らせたかったからだ。

彼女はもちろんフランス語も自由に話せる。アルジェリアで人類学教授であるきょうだいからステレオタイプから脱する力になる証言の引き出し方を学んだと言っている(父親も生物学教授だったというから知識人一家である)。

フランス語のインタビューを見つけた。フランス語OKの人は必見。

その中で、アフガニスタンでも女性の人権擁護をするイマムに出会ったことも話している。「もし兄弟や夫が姉妹や妻を尊重しないならばイスラムを尊重しないことになる」というイスラムの中の言葉を根拠にしている。宗教を人間が勝手に解釈していることで宗教のエッセンスを破壊することをイマムも心配しているのだ。

このカリマさん、すてき。私の好み。

日本語で何かないかと検索したらひとつだけあった。

英語のスピーチの右に日本語の訳がついている。

これはいい。日本語の訳だけ読んでも大切なことが十分伝わると思う。

一応フランス語版も貼り付けておく。


実は、この彼女が、先日の『シャルリー・エブド』でもインタビューを受けて語っていたのだが、全面的に納得させられた。(続く)


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by mariastella | 2018-01-10 00:05 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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