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L'art de croire             竹下節子ブログ

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パリでのコンサート

6/15に、来春の沖縄で予定しているプログラムをはじめて通しで弾いた。

来週からはラモーの別の曲も始めるので、多少は変わるかもしれないけれど、今のところ、ラモーの良さを知ってもらえる最良のプログラムだ。コンサートでも説明したけれど、ラモーのオペラ曲の中のダンス曲、古楽器のオーケストラの演奏会でその真価が分かるものは皆無に等しい。なぜなら、ダンスのステップを支えるには、楽器のアタックが最重要なのだけれど、擦弦楽器にはそれが難しいし、自然に弱くなるべき装飾音の演奏も難しい。その上、たとえば第一ヴァイオリンのパートを十数名以上で弾くなどという場合はなおさら、アタックや装飾音をクリアにすることは至難の業だ。
しかも音楽の構成自体が自在に変化して高度な集中力を要するから、普通のプロのオーケストラが、個人で少し弾いてみて、全員で合わせるのが数回、などという通常のローテーションでは、「破綻しない」というレベルにとどまるだけだ。ステップの体重のかけ方を意識してくれる演奏などめったにない。

会場は、プロテスタントの教会なのだけれど、外目には「教会」らしいところがまったくない普通の建物に見えるので、そんなんところに教会があったなんて知らなかった、という人も多い。
ところが中はまったくホール仕様にもできて、舞台の後ろも全部木なので、音響がとてもいい。メンバーのHは別のバロック・アンサンブルですでにここで2度弾いているし、ギタリストにも人気だ。
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舞台の後ろ横手に階段があって「楽屋」に上ることができる。
今回世話してくれた人はとても気に入ってくれて、次は教会の主催でお願いしたいと言ってくれた。
来春の沖縄支援のコンサートの資金作りということでカンパをお願いするために、沖縄の基地の図面と抗議の集会の写真を置いてみた。
日本の米軍基地の70%が沖縄にあると書いた。
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ご協力くださった方、ありがとうございました。

by mariastella | 2019-06-22 00:05 | 音楽

フランス料理と18世紀のフランス・バロック

世界最初のレストランは1765年にパリのパレロワイヤルに開かれた。

ヨーロッパで言えば、6,7世紀の頃にはいわゆるオーベルジュはあった。旅籠というか、文書配達、飛脚?用の寝泊まり場所での食事サービスで、巡礼宿などもこれに準ずるだろう。

その後、いわゆるカフェやタベルナ、居酒屋類はできたけれど、基本は「飲む」ため。ワインに合わせた食べ物が提供され、大テーブルを囲むという感じのものだったそうだ。

それが、「レストラン」つまり、「回復」、個別テーブルで、メニュー(最初は三種類だったという)を選べるものになった。今は100を超えるメニューが並ぶレストランまである。

それは、アンシャン・レジームに対抗するもので、四半世紀後のフランス革命につながるエスプリ、つまり、「誰でも好きなものを食べることができる」(一人のテーブルでもOK)し、提供されたものについて語ったり書いたりすることで「連帯」できるという「自由」の象徴だった。ガストロロジー(美食学)も生まれ、ヌーヴェル・キュイジーヌ(20世紀のものとは関係ない)と呼ばれた。

まあ、レストランの歴史の蘊蓄などはネットでもなんでも見てもらうとして、それからのフランス料理が哲学やアートと結びついていったことは確かだ。

ここで書きたいのは、その流れの中で、1770年代半ばにプロヴァンス伯の料理長だった人がパリのレストランで初めて、「味覚のコンポジション」を始めたということだ。料理自体はシンプルになった。

宮廷料理は、すでに見た目や装飾、素材のとり合わせは贅を極めていた。いろいろなプロトコルが存在した。

けれども、「味」に関しては、塩からいか甘いか、の二極を中心に構成されていた。

ところが、「レストラン」は、皿数や素材や盛り付けアートはシンプルになっていったけれど、「味」はさまざまな香辛料、隠し味を駆使した洗練されたものになっていった。

これは、フランスのバロック音楽におけるエレガンスの追求にそっくりだ。

今でも、バロック音楽と言えばイタリアやドイツのものがたくさん演奏されている。

特に、相変わらずバッハの音楽は、その精神性の高さで誉めそやされ、文化の違いを超えて普遍的に魂を揺さぶるかのように言われている。それに比べるとフランスのラモーなどはフランスの国境をなかなか越えられない、などと。

バッハが19世紀に再発見されて演奏されたころはロマン派風でバロックではなかったけれど、その華麗で緻密で大聖堂を建てていくような壮大さと計算しつくされたような複雑な細部の装飾、天へ向かう強迫観念みたいなものも含めて、人々を驚倒させた。フランス人など真っ先にバッハの豊穣さに傾倒して崇め始めた。

で、革命と共に忘れられていたラモーと彼の同時代のフランスのバロック曲の方は、20世紀になり、バロック・バレーの振付の発掘によってだんだんと理解され復活していくのだけれど、バロックにバッハのような霊性、精神性、密度、建築ロジックを期待していた人には、ラモーはよく理解されなかった。

バッハの音楽は豪華を極めた複雑な宮廷料理だ。けれども、霊性の味付けの方向は、塩と砂糖のコントラストのように、地上と天の二極でできていて、地上から天を仰ぎ、宴席に集う人たちをまとめて永遠だの救いだのに向かわせる。

ラモーの音楽は、一見シンプルだが、実は無数の香辛料を組み合わせた美食の歓び、つまり、生きる喜びの「回復」を一人ひとりに提供できる。霊性、精神性だけではなく実存的なのだ。

創造主の高みに向かう祈りのような音楽ではなく、創造主が「今度は何をどうやって創って香辛料を組み合わせて命を吹き込もうかなあ」、とわくわくとしているかのようだ。で、命を吹き込まれるので、踊りたくなる。命とは聖霊の踊りなのだ。

壮麗な建築でなく、多様性の連鎖が一見シンプルに次々と生まれていく。まさに「神業」だ。バッハのような「祈り」を誘発しない。この「一見シンプル」「一見軽やかで無垢」というのがフランス音楽における「エレガンス」の意味だ。(実は、数学的テクニックを駆使しているうえ、複合的なので、曲の分析も演奏もとても難易度が高い)

私はヴィオラでバッハを弾くのは好きだ。オーケストラやアンサンブルで弾いていると恍惚となる。

でもラモーのエレガンスで体の動きを誘発するのは擦弦楽器や管楽器では難しい。バロックの身体感覚で踊るのには、撥弦楽器が向いている。(テオルブやギターやチェンバロ)

しかもラモーの魅力を最大にするには、その構成を研究し尽くして複数の撥弦楽器で分けて弾くのが一番いい。

たとえば、すばらしいチェンバロ曲も、10本の指で弾き分けるのは不可能に近いからだ。

けれども、フランス革命前の、それこそ革命的な、見た目のシンプルさと隠し味のヴァリエーションというフランス・バロックの成果の一部をなす「新しいフランス料理」は、革命後の帝政やら王政復古やらブルジョワジーの台頭で、再び「見た目」の宮廷化へと向かっていった。ブルジョワジーが王侯貴族の複雑なマナーや豪華な食卓をコピーし始めたからだ。

で、日本でも今でも「国賓」を迎える時の標準となっているという「フレンチ」は、そのアンシャン・レジームの食卓イメージをコピーしている。マナーも含めた「おフランス」が「本格フレンチ」の敷居を高くする。

日本で本来の「懐石料理」が「会席料理」と融合してしまったのと似ている。

でも、バロック後期に始まった「フレンチ」エレガンスの料理は、日本の茶の湯や懐石料理などのシンプル・エレガンスと本来は相性がいいので、「フレンチ懐石」などというジャンルも現れるし、フランスでも和テイストを活用するヌーヴェル・キュイジーヌが続いている。

それなのに、先日行った広尾のフレンチ懐石の店のバック・ミュージックはジャズだった。

フレンチレストランでは絶対にラモー以降のフランス・バロックの曲をかけてほしい。

命の回復の歓び、食の歓びにふさわしい。

(個人的にはバッハのカンタータを聴きながら食事したくない)

(バッハはフランス音楽、ラモーの理論に精通していた。バロック・バレーの愛好家で実践者でもあった。超越へ向かう祈りの音楽は、体を動かすダンス音楽と両輪をなしているのだ。もともと音楽そのものが、実存を超えた境界領域にあるのだから、心と体の栄養、新陳代謝にふさわしい。)

また後でプログラムを含めた案内を載せるつもりですが、6/15のパリのコンサートのお知らせを載せておきます。来春の沖縄支援コンサートの資金作りの一環です。

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by mariastella | 2019-05-29 00:05 | 音楽

宝塚歌劇

4/25、久しぶりに宝塚を訪れる。

前にはなかったもの、

メイクコスプレ撮影館。スタートのツーショット合成写真館。
猫でスターたちを表すデザイン。

男役風のスタイルの短髪長身の女性と、女役風のフリフリ巻き髪のカップルの多さ。
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こういうコスプレ風味は昔はなかった。というよりみんなが女役の側に立って、ひたすら男役スターを見ていたような気がする。
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スターに会うために徹夜待ちをする人が今でもいるのだろうか。

ここではほんものの男は本当に異質だ。カップルはいるし、熟年夫婦も多少いる。
でも、男役の数の多いこの演目(オーシャンズ11)、ずらりと並んで踊る男たちを見ていると、ほんとに、今この瞬間、女性客はみんな「男なんていらないよなー」っていう実感を共有している感じだ。


4月なので口上と共に初舞台生のラインダンスを見られるのもラッキー。
「ロケット」という言葉も懐かしい。フレンチカンカンは流れなかった。
スターは真風涼帆。この人は、メイクもどちらかといえばあっさりで、鼻筋が長くて、壇蜜風。スーツの着こなしがまたいい。大胆にして繊細。
ヒロイン役も可憐で、客席出の時に私のすぐそばを通ったのを見ると、顔はもちろん、腕も真っ白で艶やかで、お人形みたいだった。

女性用のメインのトイレにも驚いた。どこかのドアの前で待つのではなく、手前で列を作って待ち、開いたところに順次進むのではない。トイレ内部が一方通行の道になっていて、そこを止まらずにゆっくり歩く。両脇に25のほどの個室がずらっと並んでいるので、歩いているうちに左右どこかが必ず開く。通路に出た途端にドアが開きすぐに入れる人もあれば、終わりの方でやっと開くドアに遭遇する人もいるのだけれど、最後までドアが開かずにUターンしなければならないことには絶対にならない。50の個室の平均利用時間と、通路をゆっくり進む人とのランダムな出会いをどう計算したのかはわからないけれど、この「宝塚方式」は世界にここ一つだけだろう。
2014年の100周年記念リニューアルでできた方式だというので、では私が前に宝塚に行けたのはもう5年以上前だということなのだろう。
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劇場前には八重桜がまだ咲いていた。
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巡礼の道である「花の道」の桜は葉桜だったけれど、はっとするほどの香りが立ち込めていた。まさに桜餅の葉っぱの香りだ。
でも、街並みは少し変わっていて、いつも帰りに寄っていた明石焼きのお店がなくなっていた。
駅前の像。
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母が娘時代に通った場所、私や私の友人とも来た場所、バレー教室の先輩の初舞台を見に行ったこともあるし、その先輩がマリーアントワネットを演った『ベルサイユの薔薇』も観た。トリオのメンバーと最初に日本公演をした時も連れて行った。父が亡くなった後、毎年母と観に行くようになった。
私のいたバレー団の発表会の衣装で、宝塚の衣装のストックが使われたこともある。私も宝ジェンヌが使ったチュチュを身につけて踊ったことがあるというわけだ。
ファミリーランドやホワイトタイガーの思い出もある。

また行ってみたい。


by mariastella | 2019-05-14 00:05 | 演劇

シスターたちのロック  ラス・シエルバス

ジョン・レノンは


「キリスト教は消滅するだろう。未来がそれを証明する。今僕たちはイエスよりも人気がある。ロックとキリスト教のどちらが先に消えるかは分からないけれど」


と言っていたそうだ。

それから半世紀が経ち、伝説のロックスターたちは次々と姿を消し、彼らに夢中だった戦後生まれの世代も老いを迎えている。


でも、キリスト教は消滅していない。

ロックも。


1月22日にパナマの「世界青年の日」にローマ教皇の前で、ペルーのロックグループ「ラス・シエルバス」が演奏した。

8-12人と編成は変わるが、ボーカル、ギターやドラムの他にチェロ、バイオリン、クラリネットなど楽器の幅が広い。

シエルバスとは「奉仕者」という意味だ。

メンバーは全員、同じ名のペルーのリマにある女子修道会で5年前に出会ったシスターたちだ。22歳から37歳。

信仰の力を見せるために福音宣教の別の形を求めたのだという。

ほんとうに楽しそうだ。



テキストは宗教的なもので、『神に信頼を』というこのヒット曲はネットで200万回も再生されたそうだ。




なんとなく、60年代に『ドミニク』の歌で世界的なヒットを飛ばしたドミニコ会のベルギー人シスターのことを思い出した。私は当時の日本で耳にしたペギー葉山の歌をよく覚えている。みんなが口ずさんでいた。作詞作曲が修道女でドミニクとは聖人の名なのだとはまったく知らなかった。


スール・スリール(ほほえみのシスター)の悲劇を思うとつらい。日本でもこの映画が公開されたから知っている人もいるだろうけれど、シスター・スマイルという名で莫大な利益をもたらせたはずのシスターは、不正経理の犠牲になり、借金を背負って修道院を出て、それを返すために歌い続け、同性愛のカップルだった別の元シスターと心中した。



ドミニクの歌がヒットして半世紀以上経つ。いろいろ住みにくい時代にもなっているけれど、南米を拠点とするシエルバスのシスターたちの楽しそうな様子を見ていると、世の中には「よくなったこと」もたくさんあるなあ、となぐさめられる。


by mariastella | 2019-02-14 00:05 | 宗教

バッハのパルティータとラモーとビッグバン

トリオのHが最近バッハのパルティータの4番(ニ長調)のOvertureをフルートとヴァイオリンと通奏低音に編曲したのを見た。

チェンバロやピアノの両手ではどうしても弾き分けられない語りとフレージングの妙、ダイナミックがはっきり分かる。特に導入部は完全なフランス風の語りなのでバロック・ジェスチュエルがどういうものかということが念頭にあるのとないのではまったく変わってくる。

その後に続く部分はとてもイタリア的な展開なのだけれど、宗教的昂揚とそこからの出発がはっきりと分かる。


シオランの言葉に、

「バッハに最も多くのものを負っている者がいるとしたら、それは神だ」

というのがあるけれど、本当に、バッハが見せる(聴かせるのだけれど)天上の世界に参入することで「神の存在」を確信した人々抜きにはキリスト教は今まで続かなかったのではないかと思うくらいだ。


バッハの語りは神の国の構築だ。天上の伽藍を確固として完璧に積み上げる。

でも、音楽の伽藍にはそれを支える地盤がない。で、バッハはどうするかというと、このパルティータでは、Overtureのフランス・バロック風の語りで人に呼びかけ、集め、マジックのように、人の心に入り込んで地盤を固めるのだ。それからようやくイタリア的な正確さで建築が始まる。

で、ラモー。

ラモーは伽藍を構築しない。だからラモーを聞いて神に帰依する人はいないだろう。


で、ラモーを聴いて、人は、生きる。

ラモーにはバッハのような緻密な対称性や構築はなく、絶えず揺らぎ、驚かせる。そこに生まれる不均衡はかろうじて動的平衡で、そういう不均衡こそが「生命」ということだ。

それは「神」とは対極だけれど、神の恵みとしての命のクリエーションだ。

2012年に水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催された「ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー(力が生まれるところ)」展のカタログの中で、ビッグバンについて、ブルーノ・ビンゲリ(バーゼル大学の天文学者)が「宇宙の美:対称性と非対称性の間で」(ここに記事がある)という解説を書いている。


要約すると、

ビッグバンは完璧に調和がとれて対称性が高い。最初に対称性が破れた時点で最初は一種類しかなかった力が四種類(重力、電磁気力、強い力、弱い力)に分化した。均一性から微妙な揺らぎが生まれて、対称性から非対称へと進化する。それは秩序から混沌への過程というよりも不確定なものから確定なもの、一般的なものから特定のもの、潜在的なものから実在するものへの過程だった。

しかし地球という惑星上には最初の対称性へ戻ろうとする経路もある。無機物が有機体へと組織化し、新たな秩序と新たな対称性を構築し始めた。原初の秩序に戻る仮想的な経路。これが宇宙の振動の一部だ。混沌は醜く秩序は美しい? いや、完全な秩序、完全な対称性は生命と相容れない。生命は対称性の破れと構築の結果であり、知性は対称性への努力である。

というものだ。

バッハが神を想起させる美は特異な美で現実的なものではない。しかし対称性と非対称性の間の緊張状態が美的感覚の根源なのだ。


人間は「神の似姿」として創られたという言葉がある。

神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」(創世記1,26

というやつだ。で、人間は見た目が基本的に左右対称にできている。(違う場合は気になる

でも、体の中身は非対称だ。心臓は左にあり、肺の大きさも左右で違う。胃や腸も一定の向きに傾いているし、膵臓、肝臓など他の臓器も偏っている。利き手も右が多い。そもそも発生のごく初期に、胎児の胚の中央部にある細胞の繊毛の高速回転運動で羊水に右から左への流れが形成されるということらしい。最初に地球にたどり着いた細胞の回転方向に左右されるというのも読んだ記憶がある。

うーん、だから、一応「神の似姿」で外側は対称性を確保して完璧?に創られたけれど、所詮は「似姿」であって、中身は非対称、だからこそ、生が駆動する。もちろん死を含めた「生」だ。不死の状態は人間的な意味で生きているとは言えない。

それでも人は、音楽は、原初の対称性、原初の秩序を希求する。「不動」と「死」と「永遠」は紙(神?)一重だ。

能管の槻宅さんから、能管の響きがこの世のかりそめの「秩序」を破り、なにか「真なるもの」への扉を開くという感覚のことを聞いたことがある。「秩序」が破られるところに「生命」が動き始めるということだったのかもしれない。


by mariastella | 2019-02-08 00:05 | 音楽

ミシェル・ルグランのこと(続き)。『シェルブールの雨傘』

『ロシュフォールの恋人たち』を観た次の日には『シェルブールの雨傘』と、昨年製作されたミシェル・ルグランのドキュメンタリー映画が続けて放映されたので観た。


『シェルブール・・』は映画版では久しぶりに観たわけだが、映画ならではの背景がしみじみと時代を感じさせた。

恋人のギイが兵役のために列車に乗り込む最北端のシェルブールの駅、同じプラットフォームの片側がノルマンディ南にあるクタンス行きで中距離用。反対側が「パリ サン・ラザール」と書いてある。画面手前に大きく「シェルブール」という看板。そのひなびた感じが胸を突く。

時代が1957年末のことでまだ兵役がある上に独立戦争中のアルジェリアに2年も送られる。アルジェリア戦争後には確か1年の兵役ですんだのにその頃は2年だったのだなあと思う。

戦地からの手紙の中で、ギイが強い日差しのことを書き「アルジェリアでは太陽と死とがいっしょに旅している」、というところも、カミュの『異邦人』の「太陽が眩しかったから」という有名な殺人のことを考えてしまう。シェルブールはノルマンディでも突出して肌寒く雨の多い町という印象だ。そんなところから、灼熱のアルジェリア戦争に駆り出される男の心情はいかばかりだったのか。


パリも遠く、アルジェリアはもっと、ずっと、遠く、若者たちの2年は永遠のように長い。


メールもSNSもない時代、どれだけ多くの恋人たちの関係が破綻したかと思うとこれもあらためて感慨深い。


『ロシュフォール…』と同じようにこの映画でもドヌーヴがタバコを吸いだすが、妊娠中なのでさすがに母親にとめられる。「傘」のショップを経営する母が娘の結婚相手に「傘」で守ってくれることを求める、というくだりにも今回初めて注意をひかれた。

ここのカーニヴァルでもコンフェチ(紙吹雪)で通りが埋まっている。


ミッシェル・ルグランのドキュメンタリーでは、ルグランの映画の影響が強い『ラ・ラ・ランド』の音楽との比較が興味深かった。どんな感情を扱っても、アメリカの音楽は単純だけれどルグランの曲はすべて両義的だというのだ。相反する感情が同時進行していると。ルグランは真の意味で音楽のジャンルを超え境界を無化した人だと。

『シェルブール…』や『ロシュフォール…』のジャック・ドゥミももちろんだけれど、フランスのヌーヴェル・ヴァーグの映画と音楽との関係が画期的だったこともあらためて分かる。

ジャズをはじめて映画音楽に使ったのもルグランだったそうだ。サスペンス映画ではバッハの教会音楽もジャズにアレンジした。

でも、その斬新の価値に気づいたのはハリウッドだった。


フランス映画では『シェルブール…』よりも前に制作上演された『5時から7時までのクレオ』(ジャック・ドゥミの妻だったアニエス・ヴァルダの監督作品)が、ミシェル・ルグランの姿をあまりにもよくとらえている。

あの頃の私には何となく「おフランスの芸術映画」のような見方しかできずに、ピアニスト役のルグランの天才ぶりは目に入らなかった。

『シェルブール…』が日本でも有名な古典だということは知っていたけれど、その映画の吹き替え版の日本人歌手をミシェル・ルグラン自身が指導している場面もあった。私が少女時代に日本で観た『シェルブール…』って、何語だったのだろうと一瞬考えた。

思えば、ラストシーンは1963年のクリスマスで、1962年にアルジェリア戦争がようやく終結した後という設定も興味深い。この映画の製作年代とも重なる。

でも私が同時代の日本ではじめて観た時は、後のイタリア人監督による『アルジェの戦い』もまだ観ていない時だし、頭の中ではフランス語と日本語の違いさえも曖昧で、パリもノルマンディも、アルジェリア戦争も、何もかもが、遠い「外国」の出来事だった。


人は自分の丈に合ったもの、視力にあったものしか見えないらしい。


by mariastella | 2019-01-31 00:05 | 映画

ミシェル・ルグランと『ロシュフォールの恋人たち』

1/26未明にミッシェル・ルグランが87歳で亡くなったので翌日にTVで放映された『ロシュフォールの恋人たち』を観た。



この有名なミュージカルはこれまでにも何度も放映されているけれど私は観たことがなかった。

私が観たのは半世紀以上前の日本の映画館だ。

その時の音楽や踊りや明るい色彩やファッションや港町の様子などよく覚えているけれど、映画としてストーリーも平凡で、「もう一度見たい」という気持ちが起こらなかったのだと思う。


それに比べると『シェルブールの雨傘』の方は、日本でもフランスでも観た。特に印象的だったのはこのブログにも書いた劇場版だ。


その時にもあらためて思ったのだけれど、ミシェル・ルグランは天才だ。

今は彼の音楽の数々を聴いてなおさら、彼の天才ぶりが分かる。

『ロシュフォールの恋人たち』の贅沢さにも今回あらためて驚いた。少女時代に日本で観てから実に半世紀以上が経っている。フランスでは25周年でも話題になったから、さわりの場面はよく目にするし耳にもする。

で、今回まともにもう一度始めから視てみると、ミシェル・ルグランの自由さと即興性、細部と全体の流れの統合に名人芸を感じた。セリフや歌のフランス語が完全に理解できてから観るのも初めてで新鮮だ。すべての脚韻が心地よく耳に入る。これを字幕で見ていた時っていったいどういう受け取り方をしていたのだろう。

音楽に対する教養も昔と今ではまったく違う。

高校生の私はピアノと声楽のレッスンは受けていたけれど、もとより大した才能もなくただお稽古事が好きだっただけだ。ミッシェル・ルグランのように即興もできてオーケストレーションもできて、天性の音楽の才能を持っている人を身近に知ったのはフランスに来てからだ。(私自身は今でも即興もほとんどできないし通奏低音のアレンジもできなく暗譜も苦手で、まだダンスの方が即興や振付ができる。)


トリオのHが、10代の時にオペラ座図書館でミオンのオペラの総譜をその場で観ただけで、うちによってピアノで再現できたり私たちのアンサンブルのためにアレンジを始めたりしたのを見て、こういう人が本当にいるんだなあと思った。これももう四半世紀になるけれど、今東京の新国立劇場の芸術監督である大野和士さんがイタリアにいらした時だったか、パリの私のアソシエーションのアパルトマンに泊まられたことがある。(お兄さまが私の後輩でもあり私のパリのワンルームに当時住んでいらした)

せっかくだからパリのバッハのコンクールで2位になった石山聡さんも呼んでピアノを弾いてもらった。すると大野さんも気軽にピアノの前に座ってオペラの曲を弾きながらいろいろな話をしてくれた。

目の前にピアノさえあれば何でもするすると弾けてしまう人たちって魅力的だ。


フランス・バロック音楽は特に即興の面も多いので、後にはそういう人たちと普通に付き合うようになった。

ジャズも、バロック・ダンス曲のハーモニーとアフリカのリズムが出会ってできた音楽だから、実はバロックと相性がいい。で、ミシェル・ルグランも、そういう「フランス性」をたたえている人だから、『ロシュフォール・・』のようなダンス映画ではその魅力が全開している。

で、当時50歳くらいのダニエル・ダリューが20代半ばのドヌーヴらの母親役で、再開する恋人のミシェル・ピッコリがまだ42歳くらいだったというのは驚きだ。娘役のフランソワーズ・ドルレアックの運命の人となるピアニスト役がなんとジーン・ケリーなのだけれど、当時52歳で、今思うと釣り合わない組み合わせだ。(でもこの映画をはじめて見た頃は、高校生だったから、「大人」はみなざっくりと同じように見えた。)

ドヌーヴを運命の人とするジャック・ぺランには、その後パリで日本映画の上映会があった時に左幸子さんが招かれた時に出会って話したことがある。日本映画なんてめったに見られなかった時代で、何の映画だったかもう覚えていない。なつかしい。


今回の放映を見て、ドヌーヴらが歌って踊る祭りの仮設舞台がHONDAのオートバイの提供のものだというのにもあらためて気づいたが、すごい量のコンフェチ(紙吹雪)が広場の全体に撒かれるのにも驚いた。そういえば、昔のフランスのお祭りってコンフェチの量が半端ではなかったなあ。今でも学年末の催しの後など小学校の前の道にコンフェチが残っている。でも今は祭りを盛り上げるためにレーザーだとかいろいろな便利なものがあるからコンフェチはずいぶん減った。

日本で字幕で観ていた時は「スターたち」はみな「外人」だったけれど、今見ると、それぞれの訛りあり、それぞれの国際的な移動あり、港町というのは、さすがに国際色豊かで世界中に広がっているんだなあ、と分かる。その一方で、インターネットも携帯もない時代、若者たちが一度はパリに「上京」したいという憧れを抱いている「地方性」も活き活きと伝わり、その交差がおもしろい。


これまたなつかしいジョージ・チャキリスらの演じるトラックを運転して企業の広報ショーを担当する2人組は、行く先々でダンサーらをスカウトしてついでに「仲良く」なろうという分かりやすい無責任なプレイボーイなのだけれど、この二人と絶妙の距離を保ちながら実は厳しい美女たちの態度が小気味いい。

一度共通の目的に向かって協力し合った男女が、「ところで僕たち仲良くなったんだから寝ない?」みたいな感じで男から誘われると迷いなく拒否する。だけど、彼らの申し出るサービス(パリに連れていく)自体は拒否するわけではない。彼女らはその才能と美しさ、魅力、「若い女性」であるということだけで、男たちに十分「恵み」を与えてやっているのだから、それ以上の「取引」には応じない。彼女らの選択の琴線に触れるのは「恋」だけだ。


近年、#Metoo運動に対してドヌーヴらが発した 反論に、男たちによる「執拗だったり不器用であったりする口説き」は犯罪ではなく、「言い寄る自由」「ウザがられる自由」が彼らにある、というものがある。

この反論は「一部の女性強者の論理」だとも批判されたけれど、ハリウッドでは大物女優たちもセクハラ糾弾に容赦がない。その目から見ると、『ロシュフォール…』の中の男たちの「言い寄り」ぶりは、セクハラという概念がなかった頃の「不適切」なシーンかもしれない。


でも、この映画でそのような男たちからの「言い寄り」を前にした女たちの態度は、半世紀後のドヌーヴらの態度と変わらない。「男たちとのやり取り」のパターンが「文化」の一部になっていることは他の国でもあるだろうけれど、『ロシュフォール…』(邦題は「ロシュフォールの恋人たち」だが原題は「ロシュフォールの娘たち」だ。この違いにも注目。)以来一貫しているフランスのギャラントリー文化は、ピューリタン文化とのバランスをとる意味でも意味がありそうだ。(セクハラについていろいろ考えている人はそういう視点で『ロシュフォール…』を観返してみるとおもしろいかもしれない。)


ドヌーヴ姉妹がパーティの食事中にそろってタバコを咥えていたり、子供もシャンパーニュだか白ワインだかを飲むというのも一昔前のフランスの「あるある」だった。

ダニエル・ダリューがミシェル・ピッコリとの恋をあきらめるのがDAMEというその姓のせいで、マダム・ダームと呼ばれるのが嫌だったからという理由も、恋の成就と結婚が結びつかず結婚しても別姓が普通の今のフランスでは考えられない。


時代を感じさせるそのようなディティールは別として、とにかくこの映画にはミシェル・ルグランがあらゆる友人たちといつも即興演奏し合っている様子そのものを彷彿とさせる。

「どんな曲がいい ? バッハでも、ストラビンスキーでもミシェル・ルグランでも」というセリフもあるし、はじめて見るピアノコンチェルトの楽譜をやすやすと弾いたり、トランペットやホルンやら何でも手に取って演奏したりと、登場人物の多くが音楽家であり、なんでも自在に楽しめてしまう。

そのノリがとにかくミシェル・ルグランそのものの自由な人生を表しているかのようだ。

彼には他にも有名な映画音楽もたくさんあるし、なぜ『ロシュフォールの恋人たち』の放映かと思ったけれど、この映画の隅々にミシェル・ルグランが活き活きと息づいているのがよく分かった。


by mariastella | 2019-01-30 00:05 | 映画

ナポレオン2世と白鳥の歌

先日、朝のラジオ・クラシックで、ナポレオンの息子の一生を語りながら音楽でたどるものがあった。


私は『ナポレオンと神』で彼のことは少し触れたけれど、主題は父親の方だったから深く掘り下げていない。でも、この若くして死んだナポレオン二世のことを考えるといつも胸が詰まる。


フォンテーヌブローでみたガラガラのおもちゃ、ウィーンでみた子供ベッド(ここに写真あり)、ヒトラーがウィーンから移したアンヴァリッドの墓所。

あの息子がいなかったらナポレオンは討ち死にしていたのではないかと思う。

皇帝とはいっても、フランス革命の後だから、彼はフランス帝国の公邸ではなくフランス人の皇帝と称した。ハプスブルグのマリー=ルイーズを迎えても、息子が生まれるとは限らなかった。誕生の時、逆子ですぐに息をしなかった。

男子だと101の礼砲が、女子だと21の礼砲が撃たれる。国民はそれを待っていた。21発目の礼砲まで緊張が高まっていき、その後で群衆が一瞬凍りついた時、22発目が鳴り響いた。その時のフランス国民の熱狂を再び見るのは、それから百年以上後の1918年の第一次大戦終結の朗報の時だったという。

ナポレオンはチュイルリー宮のバルコニーから息子を両腕に掲げて群衆の歓呼に向けて差し出した。彼はこの息子を「フランス国民」に捧げたのだった。国民もそれを信じた。


(今のフランスは、新大統領の就任式に21の礼砲だから、女子並み? 2013年だったか、イギリスの王子に息子が生まれた時は103発だったそうで、20発は子供のため、21発が女王のため、21発がロンドン市のためと圧ったけれど、では残りの41発は?…)


その後の悲劇、ハプスブルグのフランツ皇帝の孫であるこの息子がウィーンでは「フランツ(=フランソワ=フランス)」と呼ばれながら、悲劇の一生を送ったことは知られている。


で、この息子が結核で亡くなったシーンがラジオで語られた後すぐに流されたのが、シューベルトの「白鳥の歌」の第四曲だった。私にすでに彼の運命への思い入れがあったせいだろうか、この曲が今まで聴いた一番胸に響く葬送曲であるかのように響いた。チェロとピアノの編曲である。

この曲はシューベルトの『セレナーデ』として有名で、初心者でも弾きやすい(実は左手の正確さと右手の三連音符の関係が初心者には難しい)ピアノ曲としても知られていて、私も子供の頃から弾いていた。でもその時はこのような悲劇的な感興を覚えたことはない。センチメンタルという感じはあったけれど。


で、この文脈でのチェロの響き。

曲が終わってから私はすぐにヴィオラを取りに行った。

ェロで弾けるものはすべてヴィオラで弾けるからだ

少しキイを下げてはじめの部分を弾いてみた。

その後で試しにピアノの楽譜を探して弾いてみたけれど、やはりヴィオラには負ける。

もとは歌曲だが、やはり切々と「歌う」ことは人間の声と似た音域のヴィオラやチェロのボウイングによって圧倒的に地平が広がる。

こんなになじみの曲が、ナポレオン二世とその父の運命と突然ぴったり重なったのは衝撃的だった。

藤原真理さんのコンサートではアンコールではいつもサンサーンスの「白鳥」で心が満たされるのだけれど、このセレナーデも聴いてみたい。

40の手習いでヴィオラを始めてもう四半世紀になるけれど、ヴィオラを弾けて良かったと思うのはこういう時だとつくづく思う。



by mariastella | 2019-01-18 00:05 | 音楽

トリックアートとラモー

数ヶ月前、ネットで偶然「noutobook」というトリックアート本を見つけた。(この綴りで画像検索してください)

私は文房具好き、トリックアート好き、子供の頃からノートに落書ばかりするのが好きなので、さっそく日本で注文してもらった。この錯視は二次元が三次元に見えるタイプのものだけれど、特に、スマホなどで撮影するとその角度によって驚くべき効果が現れるようにできている。その点で、いわゆる「インスタ映え」するような「今時」ならではの面白さなのだ。

で、もちろん私自身はスマホすら使わないので、生徒や友人への誕生日プレゼント用に購入した。スマホをいろいろな方向に傾けてもらう。みんなノートに書いてある日本語は分からないけれど、立体的に見える角度を示す写真がついているので楽しめる。

で、先日のトリオの練習の時に、トリオのメンバーの誕生日プレゼントとしてそれを持って行った。

わいわい言いながら、スマホを動かして感嘆し合う。

その後、「そうだ、練習しなくては」と、ラモーとデュフリィを弾いたのだけれど、そのすばらしさにいつもながら、感動する。

どの曲も、何年もかけて、バロック・バレーやバロック音楽論の篩にかけて研究しつくしたもので、それが足らない部分、納得できない部分は、たとえ二小節でも、「理解できないのっぺりとした」ものになる。逆に、理解できたときにはすべてに別の光が当たり、まったく別の世界が立ち上がる。こういう時に、私たちはフランス・バロックの秘密を「誇らしく」思うのだ。

それに対してたとえばバッハの曲などは、もう、楽譜を書かれたとおりに忠実に音にさえすれば、最初から全ての材料がそろっていて、音符がたくさんあって、構築的で、大伽藍ができてしまうキットみたいな面がある。すでに「完成」しているのだ。だから素人が弾いても聞いてもある程度の満足感がある。

けれども、ラモーの曲だと、楽譜通りに音符を弾けば、それはそれで難しいのだけれど、独特の「間」もあり、音の連なりが極小の単位で意味を持っているので、それを意識しない限り、強度がなく、色彩感以外の何も立ち上がってこない。

で、トリオの仲間が、その日の練習の後、そうだ、フランス・バロックはこのトリックアート本みたいだ、と言い出した。

ラモーの天上世界が意味を持って立ち上がる「角度」があって、その正しい角度を見つけて演奏した時だけ、それが立ち現れ、共有することもできるのだ。そしてその「角度」を見つけた時は、あまりにもそれが「自明」なので、それが最初からそのように弾くためにだけ書かれたことが分かる。「正解」があるのだ。

いつもわくわくさせられるのは幸せだ。


by mariastella | 2019-01-04 00:05 | 音楽

象のミュージシャン

もうかなり前に、ピアノを弾ノラという猫の動画が有名になって、それをバックにしたコンサートまで開かれた。(行ったことがある。)

一番有名だったのは、確か隣のピアノでバッハのメヌエットか何かが弾かれていてそれに合わせるようにノラが鍵盤を叩くというものだった。

ところが、最近、タイで撮影された象とのピアノ・・・デュエットの動画の噂を聞いて見てみたら、さらに驚きだった。

オウムが曲に合わせて踊る動画はよくあるけれど、象ってすごい。明らかに曲を聴いて楽しんで、リズムをとったり鍵盤を鼻で叩いたりしている。


全ての音楽とは体の動き、生命のリズムの再現で、音楽のあるところには「生きている体」が出現するというのは本当なんだなあと思う。

それが「象の体」でも同じだ。見た目や大きさがどんなに違っても、命の躍動は同じ息吹の中にあるんだろう。


by mariastella | 2018-11-20 00:05 | 音楽



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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